【暗躍する人影】
「――嘘……申が死んじゃった……」
「本当か? 何かの間違いじゃなく?」
「本当だよ兄さん。意識共有の魔術から何も感じられなくなっちゃった」
その声の主の姿は、雪の降りしきる森の中にあった。
一人は、浅黒い肌に少しくすんだ黄色の瞳とオレンジ色の髪を持つ、まだ幼さの残る少年。
ぶかぶかの黒いフード付きのコートに身を包み、剥き出しになった石の上に頭を抱えるようにして座っている。
申の死を嘆いているのが彼だ。
もう一人は、その少年に兄さんと呼ばれた男だ。
少年と同じコートを着用しているがこちらはサイズがぴったりで、目深にフードを被っているため、その顔ははっきりしない。
長い頭髪はフードの右側から垂らされており、少年よりも少しだけ赤味の強い髪色をしている。
長身で、コートの外から見てもわかるほどのがっちりとした体型でを持っており、特に背部の凹凸が常人のそれとは一線を画している。
そんなフードの男は、少年の方を振り向かずに、少年の言葉に応えていた。
まるで、今はそれ以上にやるべきことがあるのだと言わんばかりに。
しかし、少年の声音を聞いて、申の死を嘆く少年の方を向き、フードの奥からジッと少年を見つめた。
そして、ひとしきり見たかと思えば、ふと口を開いた。
「アル、怒りに呑まれるなよ。時に感情は力を引き出すが、それは一時的なものに過ぎない。それ以上に、魂が濁れば思考が鈍る」
「……うん、大丈夫だよ、兄さん。怒りはしてるけど、僕はみんなを纏める側だから、冷静でなきゃいけない。大丈夫、わかってる」
「それならいい。アルとエグは大事な戦力だからな。魂は濁らせるなよ」
「うん。もしそうなったら教えてね、兄さん」
「ああ」
そう言って、少年は深呼吸をした。
その動作一つで冷静さを取り戻し、少年は人差し指と中指を立て、額に指先を当てると、考えるように黙り込んだ。
それを見て、フードの男は少年から目を逸らし、先ほどまで向いていた方に向き直った。
しばらくそうしていると、フードの男はふぅと息を吐き、肩の荷が下りたと言わんばかりにゆったりとした動作で未だ同じ動作で集中している少年の傍に座り込む。
その後すぐに、フードの男が見ていた方向から一人の女性が現れた。
病的ともいえる白い肌を土と血で汚した、男たちと同じコードに身を包んだ女性だ。
白とも青ともとれる淡い色の髪を持ち、それを肩の下あたりまで伸ばしており、今はそれを後ろで結っている。
凛とした美人の顔立ちをしており、切れ長で蒼穹の如き瞳は彼女の気高さを表している。
「戻りました、カスバード様」
「どうだった? ここの魔物たちは」
女性は、カスバードと呼んだ男の姿を捉えるや否や、踵を合わせ、綺麗に直立する。
そして、カスバードの言葉にはいっ、と礼儀良く答える。
「流石、と言うべきでしょうか。伊達に、人類最高の質を誇る帝国と言われているだけはありません。その下地は、必要に駆られての成長だったのですね」
「嫌でも強い、と言わないのがライアンらしいね」
ライアンと呼ばれた女性は、カスバードの言葉に何も言わずに、無言で瞳を伏せた。
その様子にカスバードがフッと笑う。
「私の教えた体捌きや技術の面は、既に形にはなっている。あとは、それを自分の感覚に落とし込んでいくだけだ」
カスバードの説明を、ライアンは黙々と聞いている。
一言一句聞き逃すまいとしているその姿勢が、彼女の成長を早めている一因だと、カスバードは常々思っている。
「私から言いたいことは、このくらいだ。何か、質問や言いたいことはあるかな?」
「……欲を言わせていただくのであれば、帝王と一戦交えてみたかったです」
ライアンの不敵ともとれる発言に、カスバードは嬉しいような惑うような、難しい表情をした。
「無茶を言うな。帝王はこの国を治める王であり、人類最強の一人だ。そう易々と謁見できるわけでもないし、まして戦うなんて以ての外だ」
「わかっております。欲を言ったまでで、本気で思っているわけではありません。私では、皇帝は愚か、カスバード様に傷一つ追わせられません」
「今のライアンからなら傷一つくらいは喰らうと思うが、それでも勝てないのは事実だ」
自分を卑下するライアンの言葉を、カスバードは真正面から肯定する。
しかし、それは謙遜でも何でもないただの事実であるがゆえに、ライアンも少し悔しそうに俯くだけだった。
「申し訳ありません。私が開眼さえしていれば、カスバード様にこのようなお手間を取らせることもなかったのですが」
「気にするな。お前は魔眼がない代わりに他の誰にも真似できないものがあるだろう? 今はそれを鍛える場面だ。忘れたか?」
「いえ、そのようなことは。ただ、アルバード様やエグバード様のように、目覚ましい成長を遂げておりませんので、少し自分が情けなくなっているだけです」
ライアンは、やはり自信なさげに瞳を伏せる。
カスバードの言ったように、ライアンは同年代の誰もが持っている魔眼をまだ目覚めさせていないが、それに代わるものを持っている。
しかし、それだけだ。
それが誰にでも通用するようなものではないし、まだ“使える”だけで“扱える”わけではない。
ライアンが持つもの自体は誇れるものだが、それを満足に扱えないからこそ、ライアンは自分に自信が持てていない。
そんなライアンに、カスバードは気楽そうに声をかける。
「そう落ち込むな。確かに、今のお前では俺はもとより、年下のアルやエグと戦っても勝敗はわからないだろう。だがそれはあくまで今の話だ。資質だけで言えばライアン。お前は一流だ。俺と同じステージに立てば、総合力で俺を超えるだろう。そして、俺はそのためにここでお前を見ている」
落ち込むライアンを、カスバードは励ます。
ただし、そこに慰めの感情は一切なく、あるのはただの事実だ。
「誰もが気が付くような目覚ましい成長だけが全てではない。強さとは地道に積み重ねた者にも宿るものだ。ライアンは着実に力をつけている。それは魂を見ればわかる。だからお前は、自分の力を信じて進め」
「……ありがとうございます。カスバード様」
ライアンは、そう言って頭を下げた。
カスバードはそれに無言で頷いた。
「兄さん。あれ……」
先ほどまで集中していたアルバードが、いい雰囲気の二人の仲に割って入った。
しかし、そんなことを気にする様子もなく、カスバードのローブの裾を引いて、ある一点を指さした。
こちらも咎める気はないのか、アルバードの指し示す先を見据えた。
そこには大空を漂う大きな塊があった。
一見すると逆三角形の岩の塊でしかないそれが大きな島であることを、この世の誰もが知っている。
その島は、少なくとも魔術では届かないほどに、高く遠い場所だ。
手の届かない、遥か高みにあるそれを見据えて、カスバードはアルの頭に手をポンと置いた。
唐突に頭に手を置かれ、びっくりしているアルを他所に、カスバードは島を見据えたまま呟く。
「いずれ、アルはあれを従えるんだ。それが宰相様と魔王様の望みだ」
「……はい。もっともっと、頑張ります」
瞳に決意を宿し、少年ながら男らしい顔をするアルバードを見て、カスバードは微笑む。
そして再度、島に在る存在へと、強い意志を込めた視線を送った。