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姉の為に。  作者: たかだひろき
最終章 【決戦】編
200/202

第二十話 【さようなら、世界】




「……」


 大戦が終わった。

 結愛の尽力を継いで――悪く言えば戦果を掻っ攫い、元凶たる宰相を倒して終わらせた。


「葵様!」


 何もなかったはずの場所から張り上げた声が聞こえた。

 そちらに視線を向けると、慌てた様子で駆け寄ってくるラディナや、小野寺さんや二宮くんたち召喚者が十数人ほどの集団で駆け寄ってくる。

 宰相が倒れ気を失ったことで、援軍を寄せ付けないために空間を遮断していた結界が解けたのだろう。

 大小の差はあれど、その顔に焦りや不安が見て取れる。


「皆、無事だったみたいだな」

「――それはこちらのセリフです。……終わったのですね?」

「うん。通信で言った通り……全部ね」


 倒れている宰相へと視線をやりながら、ラディナの問いに答える。

 気を失い、影でできた体を維持することもできなくなると思っていた。

 魂だけとなった宰相を残った魔力で留めながら対話をしようと考えていたが、どうやらその面倒は回避できたらしい。


 問題ないとはわかっているが念のため、初代勇者と気を失っているアンジェとアフィの様子を確認する。

 魔力を大きく消費したことと疲労から倒れているだけで、即座に影響のある何かがあるわけじゃない。

 まだ余力のあったラディナからアンジェとアフィへ魔力を少しだけ分け与えて回復を促す。


「葵。これからどうするの?」

「取り敢えず、宰相が起きたら話をしようと思ってる。終戦のこととか帰還方法とか……あ、って言うか結愛、体とか頭とか大丈夫? だいぶ神通力に侵されてなかった?」

「大丈夫よ。今のところは倦怠感とか頭痛とか、初めて魔術を使った時と同じくらいの影響しか出てないわ」

「大丈夫じゃない気もするけど……即ぶっ倒れることはないわけね?」

「ええ」


 平気そうな顔をして、結愛はそう嘯く。

 実際に即倒れるなんてことはないだろうけど、余裕があるわけでもないはずだ。

 直感とでも言うべき感覚が、結愛は気力だけでギリギリ繋いでいると言ってくる。

 なら、早いところ決着はつけておくべきだろう。

 ここまで来れた以上、後回しにはしたくないしな。

 教皇に大陸へ戻る準備をしてもらう通信をしてから宰相を起こす。


「おーい。倒れてるとこ悪いけど起きてくれー」


 声を掛けながら影で判然としない頬の辺りを軽く叩く。

 実態はあるのだが、手のひらから感じる何とも言い難い不思議な感覚。

 影に触れると言う人生で初めての経験をしながら、ポスポスと音を立たせて宰相を起こす。

 けど、宰相は全く起きない。

 死んでいる――と言うことはないが、一向に起きる気配すら見せない。

 早めに終わらせたいし、少し乱暴になるが肩を揺すって起こすことにする。

 それ以上の衝撃を加えて起こすことも考えたけど、流石に乱暴の域を越える気がして止めた。

 ただ、肩を揺すってもそう簡単には起きてくれなかった。

 一分ほど、地道に揺らして声を掛け続けてようやく、宰相はゆっくりと目を覚ました。


「起きたか? ここがどこで、あんたが誰で、どうしてこうなったか。わかるか?」

「……わかるよ」

「ならよかった。ああ、くれぐれも暴れようなんて考えるなよ? まぁ暴れたとしても面倒ってだけだけど」


 これは嘘ではないが、真実でもない。

 もしまたなりふり構わず暴れられたら、甚大な被害が出る。

 宰相との戦いで一番の功績を上げた結愛が同じことをできない以上、あそこまで優勢に持っていく術が限りなく少ない。

 俺も万全ではなく、人質になりうる人も増えた。

 もう一度戦いの火蓋が切って落とされれば……さっきよりも厳しい戦いになる。

 だからこそ、その本心を隠して(あたか)も余力ありますよという風で話す。


「安心しなよ。もう、そんなことをする必要もないさ」

「……そうか」


 意識を取り戻したことで元に戻った宰相の影。

 そこから汲み取れる表情は、さっきまで見せていたどの表情とも違う。

 穏やか。

 その言葉が最適になるくらいには、優しい表情になっている。

 俺が最後の一撃にと撃ち込んだ、数多の感情(こころ)

 それらがいい塩梅に宰相の心を穿ってくれたんだろうな。


 そのおかげでというかそのせいでというか、まぁとにかく宰相は我に返ってくれたのだろう。

 自分がしてきたことの無意味さとか、その行動が世界に与えた影響とかの諸々を。

 正気を失っていれば物事の善悪を判断することは難しいだろうしな。

 それが言い訳にしかならないのは宰相もわかっているだろうが、だからと言ってこちら側が無理解のまま進めるのは横暴というものだ。

 上から目線になってしまうが、罪とそこに至るまでの経緯を理解していなければ、正しい罰は下せない。

 俺たちが勝利したのだから、それくらいの権利は認めてもらいたいところだが……ま、その辺りも含めて話し合いをしたいところだ。

 差し当たっては取り敢えず、終戦の儀式から始めよう。


「じゃあ丁度いい。あんたの口から終戦の言葉を聞きたい」

「構わないが……あの子――魔王(ダレン)からじゃなくていいのか?」

「あんたが魔人の頂点だろ?」

「事実上は、だ。形式的にはあの子が頂点で、十魔神以下全ての魔人の目標であり目的は魔王だよ」

「そうなのか」


 それは知らなかったな。

 いやまぁでも、俺が戦ったことのある魔人の中で魔王軍に忠誠を誓っていたやつらは、確かに宰相じゃなくて魔王に重きを置いていたような気もする。

 なるほど。

 となると、宰相相手ではなく魔王と交渉しなければならないか?


「だが、あの子は君たちの話を聞いてくれるはずだ。自らを負かした相手の言うことを聞かないなんて子に育てた覚えはないからな」

「……なるほど?」


 正気を失い世界を巻き込んだ復讐を仕掛けた男が今更そんな道理を弁えたようなことを言っても信憑性は皆無だが……魔王が話の通じる奴だと言うのは理解できる。

 魔王の根底には魔人らしい戦闘狂の血が流れていたが、同時に話をしたいと言う気質も持ち合わせていた。

 それが強者との戦いについての話し合いだったから、という可能性も否定できないけど。

 どうせ話してみればわかること。

 まだ神殿は消えていないようなので、教皇に聞けば魔王の位置はわかるかな?


「ボクのこと、呼んだかな?」

「……随分とお早い到着で。まだ通信すらしてないのによくここに来れたな」

「目を覚ましたボクを導くように通路が伸ばされていたからね。綾乃葵、君の差し金だと思っていたのだが、どうやら違うようだ」


 外見上の傷は見受けられず、ぱっと見万全の状態で俺たちの元に現れた魔王。

 その瞳に敵意はなく、話し合いをしてくれると考えても良さそうな雰囲気を感じる。


「随分とこっ酷くやられたようだね、お婆ちゃん……いや、宰相と――」

「――待て。俺が気を失ってからどれくらいの時間が経った?」

「時間? んー……五分も経ってないと思うけど――ッ、待て動くな!」


 時間を聞いたかと思った瞬間、宰相は跳ね起きて神通力を練り始めた。

 唐突な動きにすっかり話し合いへと意識が移行していた俺は、その出鼻を挫きそびれた。

 危険を察知したラディナが召喚者たちを動きで纏めているのを尻目に、臨戦態勢を取る。

 しかし――


「っ――なんでッ!」


 宰相が練っていた神通力は、突如として霧散した。

 俺が“魔力操作”で敵の魔術を消し去った時のような、そのくらい一瞬で掻き消えた。

 俺が何かをしたわけでもなく、宰相がミスをしたわけでもなさそうな様子。

 どうして途中でやめたのかを聞くより前に、優先しなければならないことがある。


「……何をしようとしてたんだ?」

「君たちと戦っている時、劣勢に追い込まれた俺は万が一に備えて神通力で作り出した時限式の爆弾を作っておいたんだ。それが十分で作動するからその前に除去しようと思って――」

「――それはどこにある!?」

「上空100キロメートルほどの――」


 宰相が言葉を切るより早く、俺は指定された距離の上空を探る。

 100キロメートルなんて“魔力探査”ですら感知したことのないほどの距離。

 それを使い慣れた魔力ではなく神通力でそれをやらなきゃいけないとなると厳しい条件だけど、そんなことはどうだっていい。

 正気を失っていた状態の宰相が仕掛けた爆弾なんて碌なものじゃない。

 だから早々に片付けなければ、大勢の死人が出る。


「解除方法や形状なんかを教えて」


 他にも聞かなければいけないことはあったけど、“時限式の爆弾”という情報と“宰相が焦っていた”という二つの情報から、早期にどうにかしなければならないものという認識が前に出すぎてしまった。

 そんな俺のミスをカバーするように、結愛が宰相に質問を投げかけてくれた。


「魔術を打ち消す要領で潰せる。ただ万が一にもバレないように大気に溶け込ませたから、形状なんてものは存在しない。仕掛けた俺でなければ見つけるのも困難な――」

「――それで十分だ」


 明確な形はない。

 けど、確かにそこにある。

 ならどこかに違和感はあるはずだ。

 届かせろ上空へ。

 感知しろ正確に。

 意識の全てをこの昏い空へ――


「――……見つけた」


 上空に届かせた意識。

 それが見つけたのは、空を覆うように広がった無数の神通力。

 言っていた通り、形という形がなく、大気に溶け消えるようにして散らばっている。

 横にもかなり広がっているから一気に全部は難しいけど、解除方法が魔術と同じでいいなら大丈夫。

 後は爆発する前に解除を――


「――ッ!?」


 ズズンと、地響きに似た音が()()()響いた。

 状況が把握できていないほとんどの人が慌てた様子で頭を低くし、簡易的な防御姿勢を取った。

 けど俺は、そんなことをするよりも向け続けていた意識の先に囚われていた。

 広がった神通力が炸裂し、その力を四方へと拡散させていくのを捉えてしまったから。


「宰相。あれが爆発したらどんな影響がある?」

「それは――」

「――この惑星が崩壊する」


 聞きなれない声。

 地響きが聞こえた天空から降り注ぐ、脳に直接響くかのような声。

 気付けば、俺たちの背後を取るような形で数人の集団が立っていた。

 俺ですら気づけない隠密行動をしていなければ見えている三人で全員かな。

 一人は天の塔でも会ったフィラで、その隣に立つ初老よりは若そうな鋭い目つきの神様、そして先頭に立派な髭を蓄えた神様っぽい神様の三人。

 天の塔では声を掛けられるよりも前に朧げにでも気配に気付けたのに、今は“魔力感知”には引っ掛からず、神通力による感知ですら声が聞こえるまでその集団に気付けなかった。


 全員が白を基調とした簡素な服に身を包み、異様なオーラを纏っている。

 神々しいとでも言うべきそのオーラは威圧感なんて微塵もないのに、自然と体が平伏そうとしてしまうくらいの何かを放っている。

 現に、俺と結愛――遠くで見守っている初代勇者以外の全員が頭を垂れ、膝をついている。

 まるで、王様に謁見でもしているかのような堅苦しさ。


「これから一時間の後にこの惑星は宇宙から隔離され、地上の生物は全て消滅する」


 先頭に立つ老人――いや、老神と言った方が字面では正しいかな。

 老神は事情を説明しながら、後ろの二人を牽引し俺たちを追い越す形でゆっくりと歩みを進める。

 緩慢なはずの動きなのに、それを止めることができない。

 まるで何かに強制され、動きを封じられているかのような感覚。

 そして、声も出さずに動かない宰相に触れられる位置で足を止めた。

 宰相は……何かを悟ったかのような表情で目を瞑っている。


「綾乃葵」


 老神の背中に隠れて見えなくなった宰相の声。

 どこか申し訳なさそうで、けど諦めてはいないような。

 まるで俺に何かを託すような声音で。


「すまない。後を頼む」


 俺が何に対しての頼みなのかを聞くより前に、老神が宰相を気絶させた。

 地面に横たわりそうになった宰相をフィラが支えた。

 そこでようやく、俺は言葉を紡いだ。


「先程、全部消えると仰っていましたが、どうしてそれがわかるのか聞いてもいいですか?」

「堕ちた神の所業を我らが見逃すはずがないだろう」


 ともかく、淡々とした表情ながらも俺の問いにしっかりと答えてくれる老神への質問に、今度はフィラの隣に立つ鋭い目つきの若めな神様が厳しい口調で代わりに答えた。


「……つまりあなたたちはフィラと同じ神だと?」

「そう言っている」


 ……ここで神が現れるなんて想像もしていなかった。

 神はそう簡単に地上に介入できないとフィラが言っていたから、というのもあるが、それ以上に積極的に関わってくることはないと考えていたから。

 考えてみてほしい。

 五千年もの間も放置していた神を、今更になってどうこうしようなんて普通は考えるはずがないだろう?

 だからこそ、決着はきちんと俺たちでと思っていたのに……ここで現れるとなると色々と面倒だ。

 しかし帰ってくれなんて言ったところで聞いてくれるはずもないだろうし……。


「一応聞いておきたいんですけど」

「なんだ?」

「宰相の――いや、その神様の処遇は俺たちで決めるから帰っていただくことなんて……できないですよねそうですよね」


 聞こうとしたら後ろにいる男性型で鋭い目つきの神様にギロリと睨まれたのですぐに言葉を撤回した。

 やはり、俺の言葉は聞き入れてもらえないらしい。


「そもそも貴様――いや、貴様とそこの女。なぜ貴様らは平伏していない?」

「えっ、と……?」


 俺を睨んできた神様からの質問。

 意図が分からず、結愛と顔を見合わせてどう弁明するかを考える。


「人の身にあれば我らの存在を仰ぎ見ただけで伏せるのが()()なのだ」


 しかし、俺たちの返答を待つより早く、その神様はそう教えてくれた。

 俺たちが普通でないことが気に食わないのか、鋭かった目つきが一層厳しくして俺たち二人を睨みつけてくる。

 そんな()()を地球から来た俺たちに説かれても、とも思ったが、小野さんや二宮たちは一切の躊躇なく平伏しているな。

 となると、神様の言う通り俺と結愛の反応が異常なのか?

 てっきりこの世界の人に付与された無意識的な礼儀とかだと思っていたのだが、今の発言からして違うのだろうし。


「まさか貴様ら、神の力に触れたのではないだろうな?」

「……神通力のことですか? そこの神様と戦うときに使いましたが……」


 神様の権能が如何ほどのものかはわからない。

 けど、神様が俺たちの心を読める場合は嘘を吐くのは得策ではない。

 それに――神様が俺たちの前に現れてから、魂の奥底に仕舞ったはずの奴が強い反応を示している。

 気を抜けば体の支配権を持っていきかねないほどに強く、確かに呼応している。

 奴が初めから神通力に精通していたのと神様に反応していること。

 その二つに何か関係があるのかもしれないが、それはまた後で聞くとして――取り敢えず、嘘を吐くメリットが見当たらなかったから正直に話した。


「やはりか。コイツらも処分しておくべきではないですか?」

「……」


 先頭に立ち、最初の説明以降はだんまりを決め込んでいた老神へ、目つきの鋭い神様はそう進言する。

 神様の世界でも立場や序列的なものがあるらしいが、そんなことを気にしている暇はない。

 今、俺たちと話している若めの神様は「処分」と言った。

 人の暮らす世界で暴れた宰相という神と同じ処分をするべきだと、そう発言したように聞こえた。

 勘違いでも、間違いでもない。

 不快と怒りを含んだ鋭い目つきの奥から、明確な殺意を感じ取れる。


「神の力は地上で使ってはいけない。地上で暮らす人たちを巻き込まないためにあなたが作られたルールです。彼らは邪神と共にそれを破った」

「待ってください。俺たちはそんなルールは知らないし、そもそもそのルールは神に対して施工されたものでしょ? ただの人に過ぎない俺たちに適応されるのですか?」

「許可なく神の力を使ったのなら同じだ」

「……」


 何という理不尽。

 いや、そもそも大戦が終わった後、手柄を掻っ攫うような形で出てきた神だ。

 その時点で倫理というかその辺りの常識がないとは思っていたが……そこを詰めても神だからと一蹴されそうだ。

 しかしそうなると、いよいよどうするべきか悩むな。

 神様との敵対はダメだ。

 今の余力じゃ絶対に勝てないし、この神たちが地球に来れないと言う保証はない。

 なら、逃げるように地球に帰ると言う選択肢もなくなる。

 かと言ってわざわざ処分を受けてやるほどお人好しでもないし……いい加減、内側から()の叫びが五月蠅(うるさ)くなってきた。


「貴様らには正しい処罰を与える。安心しろ。自己防衛の範疇として認め、そいつよりは軽いもので済ませてやる」

「お断りします」

「……何?」

「お断りします。俺たちはあなた方の処罰なんて受けないし、受けるつもりもない」


 郷に入っては郷に従え――つまりは、異世界に来たのだから異世界のルールに従えと言うこと。

 もしそう言われたのなら理解はできるが、それでもこの地上ですら発布されていなかったルールを適用するなんて明らかにおかしい。

 俺たちは悪いことをしたつもりはないし、そのルールを破ったとて不幸になった人は神を含めても誰もいない。

 そもそも論、ここは地上なのだから神様のルールを持ち出すのなら郷に従うべきは神様の方だ。


「貴様らの判断なぞ関係ない。処罰は絶対だ」

「なら――」

「戦ってでも抵抗するか? 止めておけ。貴様ら人では神には勝てん」


 心を先読みでもしたのか、鋭い目つきの神はそう牽制してくる。

 実際、神を三人も相手取って勝てるとは思っていない。

 堕落したとはいえ、一人を相手にここまで追い詰められたんだ。

 勝てると思う方がおかしい。

 けど、そんなことは言っていられない。

 フィラは終始無言で助け舟を出してくれる感じではなさそうだし、先頭の老神も反応を示してくれない。

 なら、俺たちがどうにかするしかない。


「……本気で抵抗するつもりか?」

「当然だ。いきなり認知されていない自分ルールを持ち出されてそれで裁かれるなんてどうかしてる」

「なら仕方ないな」


 後ろで、フィラが何か言いたそうに口を開き、けどそれをグッと呑み込んだ。

 彼女の立場上、俺たちに加勢するわけにはいかないんだろう。

 別にそれで構わない。

 彼女にはここを乗り越えた後でまだやってもらいたいことがあるんだ。

 ここで他の神からの信頼を損なうような真似はしなくていい。

 俺と結愛の二人で、この状況を打開するんだ。

 話し合いの場に持っていくための、最大限の抵抗を――


「私たちはこの場に戦いにきたのではない」


 衝突の本当に寸前。

 踏み込んだ足で地面を蹴る直前に、老神がポツリとそう呟いた。

 ただの呟き。

 独り言のような、大して大きな声でも、誰かに警告するような声音でもない。

 それなのに、全身に圧しかかるようなプレッシャーを感じる。


「私たちはあくまで、こいつを回収に来ただけ。それに貢献してくれた現地の人に感謝こそすれ、戦う必要はないだろう」

「しっ、しかし……こいつらは神の力を使いました。それは我々のルールに反しますし、何より地上にどれだけの影響を及ぼすか……。こいつらの動向を常に監視するわけにもいかないでしょう」

「そも、この子を取り逃がしさえしなければ、彼らが神の力を使うような状況にはならなかった。元を辿れば全て私たちの責任だ。自らの失敗を棚に上げ、そのせいで現れた()()()に対しルールを強要するのは間違いだ」

「……」


 どうやら老神は、話の通じない神様を窘める形で助け舟を出してくれているらしい。

 現に、目つきの鋭い神様は口を噤んで黙りこくっている。

 それを納得と受け取ったのか、老神は俺たちの方へと向き直る。


「君たちに謝罪と感謝を。この件に関して、君たちに責任を問うことはしないと約束しよう」

「……いえ、その言葉を頂けたのなら大丈夫です」


 誤解というか冤罪というか……ともかく、真っ当な判断が下されたので問題はなくなった。

 目前の問題が消え、そして脇に置かざるを得なかった問題を思い出す。

 フィラから宰相を受け取り肩に乗せた鋭い目つきの神様を尻目に、差し迫った世界崩壊の危機のことを。


「あの――」

「この子の()()()()については、申し訳ないが私たちは関与できない。神が地上で力を使わないというルールについては……君たちも聞いたばかりだからわかるだろう」


 ついさっき言われたばかりだから、それはわかる。

 わかるけど――


「アレを俺たちだけでどうにかしろと? もう爆発したアレを?」

「私たちは手を出せない故、そうなるな」

「……」


 申し訳なさそうな声で、老神はそう言った。

 天を――ほとんどの人が見えないだろう天を裂くヒビへ向けられた人差し指が、虚しく突き上げられている。

 起爆する前の爆弾ならば、正しい手順を踏みさえすれば爆発させずに無力化できる。

 しかし、爆発した爆弾を無力化する方法は限られている。

 この世界で例えると、爆発の影響がなくなるまで空間を断ち切ったりだとか、風で爆発を散らしたりとか。

 他にも少ないながら、対処のしようはあるだろう。

 けど、天を裂くヒビはもうそれらの魔術で覆い隠せるほどの範囲じゃなくなってしまった。

 初速で既に。

 時間が経てば経つほど、もっと広大になっていく。

 神通力の応用ですら、対処ができないほどに。


「面倒ごとを残していくのは悪いと思っている。しかし、君たちなら乗り越えられると信じているよ」


 言うと、老神は真っ白なゲートを生み出した。

 目が潰れないくらいの、しかし辺り一帯が真っ白に埋め尽くされるくらいには眩い光。

 至近距離にいた結愛と神様たち周辺しか目視できなくなってしまった。

 そんな俺を他所に、光を放つゲートへ宰相を抱えた神様が入り、無責任なことを言い放った老神が入った。

 最後、残されたフィラが光のゲートの前に立つ。


「地上で人が神の力を使ったことに関しては、恐らく今後、対処が為されるでしょう。そこであなたたちのことは不問にされるでしょう」

「……?」


 ゲートの方を見ながら話すフィラ。

 彼女は淡々と、言葉に抑揚をつけず事務的だ。

 というか、その話ならさっき老神から聞いた。

 神様たちの不手際の後始末を押し付ける形にはしないと。

 何故それを今更繰り返すのか。


「天を覆うアレは、神の力を使えば対処はできます。私にはルールがあるのでできませんが……魔力の問題を解決できさえすれば、あなたでもできるでしょう」


 俺が対処をするのなら、間違いなくそうしなければならないだろうな。

 それは俺もわかっているんだ。

 そんなわかりきったことを、どうしてフィラは言葉にしているんだ?


「それから……これが私にできる最後の助言です」


 光り輝くゲートを背に、フィラが振り向いた。

 文字通りの後光に身を包み、手を伸ばしてきたフィラが言う。


「裂け目の対処の成否に関わらず、この世界は辺りを巻き込んで他の世界と隔離されます。元の世界に帰られる場合は、対処を終えるより前でなければなりません」

「え? それ――」


 聞き返すよりも早く、フィラは頭を下げてゲートへと入った。

 直後、そのゲートは閉じられ辺りを埋め尽くしていた光が薄まっていく。

 それと同時に辺りが白から元の色へと移っていき、宰相がいなくなったこと以外は終戦直後と変わらない状況へと戻ってきた。


「綾乃くん、会長! 無事でしたか?」

「無事、って言うと?」

「光に呑まれて姿が見えなくなっていたんだ。光にも触れなくて……」


 なるほど。

 どうやらあれは、簡易的な結界や空間断絶の類だったらしい。

 真っ白に染まった部分が結界の端だったってことか。

 いや、そんな考察は今するべきことじゃない。

 フィラの言葉が本当なら、今から一時間以内に天の裂け目をどうにかして、その上で地球へ帰還する方法を探さなければならない。

 自らの罪を認め、それを償うべく改心した宰相に、世界に与えた影響という罪をこれ以上増やさない為にも。

 結愛たちが無事に、地球に帰る為にも。


「『召喚者と、それから転移者、全員集めて』」

「え? え?」

「『急だけど――今から全員、地球に帰る』」


 詳しい状況を説明している暇がない。

 全員が纏まってから話すことにして、頭に大量のハテナを浮かべる召喚者たちを急き立てる。

 これが正真正銘、本当に最後の戦いだと、疲れた体と頭に鞭を打って。






「全員揃ったな?」


 クラスメイト二十九人に、担任の龍之介先生と結愛と俺。

 隼人の策略で魔王軍で使われていた転移者二十名と担任の坂上。

 そして、結愛の両親である大地さんと真衣さんを合わせた計五十五人。

 召喚者の大半はほぼ無傷だが、転移者はまだ目を覚まさない人たちもいる。

 本来ならその人たちが意識を取り戻すまで待つべきだろうが、今は時間がない。

 心の中で謝罪をして、緊急避難で何一つなくなった共和国の地上に集めた彼らの前に立つ。

 五十五名と親しかった人たちに見守られながら、後回しにした状況の説明を行った。


 あと一時間で、この世界が消滅すること。

 消滅すれば、地上にいる生命すべてが命を失うこと。

 その消滅を回避したとして、俺たちが地球に帰る手段がなくなること。

 俺と結愛以外、誰一人として天を引き裂き続けるヒビが見えないのに、誰もその言葉を疑うことはなかった。

 天を裂く爆弾が起こした地響きは、魔人の大陸にいた俺たちだけでなく共和国にまで響いていたようで、それが俺の言葉を信じる要素になってくれたらしい。

 それと、恐らくは地球に帰れると言う状況もそれを後押ししてくれているんだろう。

 召喚者は当然、神隠しでこっちの世界に飛ばされた転移者たちの念願だろうし。

 ともかく終始無言で話を聞いてくれたので、スムーズに説明を終えられた。


「私たちは何をすればいいですか?」

「これから指示する形に並んでもらって、魔力の提供をお願いします。小野さんと二宮さんがメインで魔術の発動を。その補佐と細かい調整を結愛に任せるから」


 中心に転移を使う三人を置き、未だ起きない転移者をその周りに寝かす。

 残った人で囲むようにして並んでもらい、三人では補いきれない魔力の譲渡を行ってもらう。

 もちろん、譲渡には面倒な手順が必要だが、それを簡略化して誰にでも使えるスクロールは既にカナ先生が開発してくれている。

 まだ試験的なもので安全の面については確実とは言えないが、背に腹は代えられない。

 全員を集める前に核を担う三人には話を通していたから、スムーズに進められた。


「地球の場所は?」

「さっき光に包まれた時に教えてもらったから、それを使って」


 前段階の話し合いでこの情報は共有しているので、これは他のみんなを安心させるための演技。

 尤も、リアルっぽさを出すために結愛の手を握って情報を送ったのはガチだ。

 さっき、フィラがゲートの先へ消える前に手を伸ばしたあの瞬間に、後光の光に紛らせてもらっていた地球の座標情報。

 それを使えば、急造の転移でも間違いなく地球へと帰還できる。

 ま、制御と調整は三人に任せるけど、最初の起動()()は俺がやるので間違いない。


「葵は何するの?」

「あの裂け目の対処」

「……」

「そんなジト目で見てこないで……」


 前段階で時間がないからと(ぼか)した起動後の俺の行動。

 俺が何をしようとしているか。

 それを一言で見抜いた結愛が、渾身のジト目を送ってきた。

 こうなることは前段階で話に出た時点でわかっていたけど、それ以外にやらなければならないことが多すぎて結愛の反応への対処を考えている暇がなかった。

 なので行き当たりばったり――その場凌ぎをするしかない。

 俺と結愛の会話が聞こえていたらしい他の面々も視線を向けて答えを待っているから、全員を――せめて俺を止めようとするだろう人たちを納得させられるだけの理由で。


「予め説明しておくと、俺は今回、皆と一緒には帰らない」

「どうして?」

「裂け目の対処には俺か結愛のどっちかの力が必要。で、地球では行方不明って認識されてる大地さんと真衣さんが戻るわけでしょ? なら一緒にいるのは俺よりも結愛の方がいいと思うんだ」


 親しいとはいえ血の繋がらない他人の俺よりも、実の娘である結愛の言葉の方が信憑性は上がると思う。

 それに結愛は俺よりも信頼度が高いからな。

 口も上手いし、向こうでの対応とかも結愛の方が卒なくこなせるだろうと言う打算もある。


「初代勇者は? 彼女も神の力を使えるでしょ?」

「誇らしいことにあの人よりも俺の方が力の操作が上手いんだ。制御は俺がやった方が確実――と言うか、初代勇者にもできない。必然、俺がやらざるを得ないんだよ。ま、細かい補助は任せると思うけど」


 召喚者や転移者などを集めている間に、大勢に協力を呼び掛けていて、そこに初代勇者も加わってもらっている。

 五千年前の偉人が急に出てきてその人を信じられるか、という疑問もあるけど、万能の彼女なら問題なく成し遂げてくれるだろう。

 それに、各国の王や長たちにも説明と説得をお願いしているからな。

 共和国の地下にほぼ全人類を避難させていたのが功を奏すとは思いもしなかった……と、思考が逸れた。

 ともかく、爆発の対処のメインは俺が張り、その補助を初代勇者に任せる。

 それが一番確実な方法だ。


「俺が犠牲になろうって話じゃないよ。ちゃんと俺が地球に帰る手立ては考えてあるからさ」

「それ、今言える?」

「言えるよ。前にさ、天の塔で神様に会った話したでしょ? あの時に一個、お願いを叶えてもらう権利を貰ったんだよ。それを使えば、世界が分断されてても帰れるよ」

「……ふーん?」


 そう説明しても、結愛は完全には納得してくれない。

 まぁだろうな。

 考えもなしに結愛と口論しても勝ち目は限りなく薄い。

 今回の大戦を一人で全て担うくらいには無理が過ぎる。

 何か別の言い訳を考えた方がいいのかもしれないが、これが一番結愛を納得させられる根拠だったわけだし……。


「ま、良いわ。今は納得してあげる」


 フッと視線を外して、諦めたように溜息をつきながら結愛は言った。

 その所作に心が締め付けられるように苦しくなったが、どうにかそれを抑え込む。


「あの、綾乃くん」

「うん?」

「さっきの話、その神様にお願いしてその裂け目? を直してもらうんじゃダメなの?」

「神様はさっき以上に地上に干渉できないんだ。だから地上にいる誰かがやらなきゃいけない。じゃないとこの世界の全員が死んじゃうからね」

「……そっか」


 俺の説明に、小野さんは俯きながらも頷いてくれた。

 俺なんかのために悲しんでくれるとは、やはり優しい人だ。

 結愛がいなかったら惚れていたかも――いや、悲しいことにそれはないな。


「こんな状況で言い出すとキリがなくなると思うんだけどさ」


 俺が残り、他の全員で地球に帰る。

 心の奥底で納得はできておらずとも、全員がその方向で指針を定めてさぁ準備だ、という段階で、中村が声を上げた。

 不穏な前置きに何を言うのかと警戒する。

 場合によっては意識を刈り取らねば――


「俺、こっちで生きるって決めたんだ。だから地球には帰らない」

「――はぁ?」


 そう宣言した中村の顔には、一切の迷いはなかった。

 堂々と、それこそこの話が出るよりも前に決めていたかのような肝の座りっぷり。

 いっそ清々しさすら感じる宣言に、どよめきが奔った。


「なんでって質問の前に答えておくと、俺は純粋に好きになったヤツと一緒にいたいだけの恋愛脳ってだけ。帰れるなら両親に親不孝でごめんなって一言くらい謝りたいけど……こっちに帰ってこれないなら、俺はこっちに残る」

「……本当にいいのか?」

「ああ。両親に会えないのも友達に会えないのも、全部わかった上で俺は残る。俺が言っても説得力なんてないだろうが、皆には帰ることをお勧めするよ。地球にいる家族や知り合いと一生会えなくなる判断をこの数分でしなきゃいけないのは……きついからな」


 妙に実感の籠った言葉。

 それは揺らいだ判断を元に戻すくらいには説得力があった。

 正義感を出して一生地球に帰れない――つまりは家族や友人などとの繋がりを失う。

 それがどれだけ重いことなのか。

 考えれば考えるほど、比重は帰還に傾く。

 言い出した時は焦ったが、上手いこと演説したな。


「こっちで取ってられる時間もあんまない。家族を捨ててでもこっちに残りたい奴だけ俺の指示に背いてくれ」


 判断の余地を残している風で、その実そんなことは一切ない。

 昔から日本人は同調圧力に弱く、家族を大切にしがちだ。

 いや、家族を大切にするのは海外も同じか。

 まぁとにかく、「家族を捨ててでも」なんてことを言われれば大半はそんなことができなくなる。

 そして一人がそっちに寄れば、後は流れだ。

 ありがたいことに結愛が先陣を切って指示に従ってくれたので、小野さんを筆頭にそっちに流れてくれたのも大きい。

 長い物に巻かれろの精神も強く作用していそうだ。

 数分で陣形が組みあがり、後は俺が起動してその後の制御を小野さんと二宮、そして結愛に託すだけ。


「葵」

「ん?」

「ちゃんと、帰ってきてくれるのよね?」


 俺の指示通りに組み始められた互い違いに円形の列を為す集団の最奥。

 中心からはっきりと外にいる俺の目を見て、結愛は問いかけてくる。

 何でも見透かすような視線を向けられ、俺は()()()()()()()()答えを口にする。


「――もちろん。これに関しては誓ってもいいよ」

「……“誓う”と達成できないから“約束”に切り替えたんじゃなかった?」

「神まで倒した今ならもうそれ撤廃してもいいんじゃないかなって思ってさ」

「……そっか。そうね」


 言い終えると、天を仰ぎ大きく息を吐く。

 それをしてから再度、結愛は俺の方を見た。


「じゃあ条件を出すわ」

「……一応聞いておこうか」

「一年以内に帰ってこなかったら、葵のパソコンのデータ全部消すわ」

「それは……恐ろしいね」

「あら、普通は喜ぶ所じゃないの?」

「その普通はある程度の大人じゃないと普通にならないと思うよ? 俺の場合だとゲームのデータが飛ぶのがキツイ」

「ならいいじゃない。キツイなら必死になるでしょう?」

「うーん鬼畜だなー」


 俺の反応に満足したのか、結愛は小さく笑って目を伏せた。

 どうやら最難関は突破できたらしい。

 半ば見破られていた気がしないでもないが、それでも突っ込まれなかったのは上々だ。

 地球への転送を成功させたら安心して裂け目の対処に移れる。


「よし、並んだね? 意識を失うギリギリまでそれに魔力を注げば、後は中央の三人がどうにかしてくれるから……全員しっかり頼むよ?」


 悪戯に笑って、冗談めかして圧をかける。

 失敗すればどうなるかわからないようなものに乗っかるのだから必死にやってくれるだろう。

 だから、無駄なプレッシャーは要らない。

 茶目っ気の残るくらいでいい。

 男の茶目っ気なんて需要の欠片もないだろうけど。


「じゃ、行くよ」


 大体一年ぶりに見る、召喚時の光。

 あの時はこんなことになるなんて思ってもいなかった。

 最愛の人が行方不明になって、与えられた役割と捜索とで必死になって。

 もう本当に紆余曲折を経てここに辿り着いた。

 転移前に戻れたらどうするかと聞かれたら――即答はできないな。

 それくらい辛いこともたくさんあったし……けど、同じ道を選ぶかな。

 その方が、多くの人を幸せにできそうだし。


 あー、でも。

 結愛を幸せにしてあげられないのだけは心残りかな。

 その点に関しては……ごめん、俺。

 帰還と裂け目の対処と……大戦の事後処理とか諸々?

 その辺を終わらせたらちゃんと向き合うから、それまでに論破して泣かすくらいのこと考えておいて。


「……」


 結愛たちを囲む円陣を、青白い淡い光が呑み込んでいく。

 まだ人の形はある。

 転移と違い、距離が長すぎると演出が変わるのかなと、同でもいいことを思ったり。

 でも構造は転移のそれと大差なく、半分無意識で使えるから集中こそすれ考えるようなこともない。

 後ほんの数秒で、全員とお別れ。




 最後に、結愛の顔でも――




「――葵っ」


 光の中から飛び出してきた結愛が、一直線で俺の元へ来る。

 困惑し、九割方完成させている術式を解くかどうかを迷った一瞬で距離を詰めた結愛は、俺の頬から小さくリップ音を鳴らす。

 前髪でその表情ははっきりとは見えない。

 けど、口元は確かに笑い、全体的に少し紅潮しているようにも見える。


「――帰ってきたら、この続きをしましょ」


 小さく。

 周りにいる誰にも聞こえないような声で囁いて、結愛は円陣の中央へと戻っていった。

 頬に触れた熱とそこから発せられた音、そして――言葉(こえ)

 それらの意味を探ろうとして、今じゃないと切り替える。

 切り替えて、後の一割を組み上げて――




 光は収束し、天へと昇って行った。

 ル○ラみたいだなと、少しだけ感慨もクソもないことを思ったのは内緒だ。

 裂け目を通っていくみたいに昇っていった結愛たちを、少しの間だけ見上げる。


「葵様?」


 しばらくそうしていた俺に、横から声がかかる。

 つい数時間前に懐かしいと感じ、けどやはり聞き慣れたラディナの声。

 心配そうな顔で俺を見上げるラディナは何か言いたげで、でも何も話そうとはしない。


「大丈夫。行こうか」


 時間は有限。

 準備に二十分ほどかかってしまったので、あの裂け目がこの惑星とその一帯を破壊するまで四十分ほど。

 共和国の地下に広がっている全人類のシェルターのどこまでが協力してくれるのか――いや、全人類を協力させなければ恐らく間に合わないだろう。

 転送を優先したために、時間経過で裂け目は広がってしまっているのだから。

 それに、救世の一大事に参加しないなんてことは、いずれ余計な火種を生みかねない。

 せっかく人類と魔人が手を取り合えるかもしれない世の中にしようと試みているのに、そんな不和の要因を見逃したくはない。


「葵様、後悔してますか?」


 ラディナが自分の頬を指差して聞いてくる。

 指差された左の頬――つまり、さっき結愛がリップ音を鳴らした頬。

 後悔しているか、だって?

 ……まぁ、そうだな。

 それが最後になるとわかっていたのだから、もっとしっかり堪能しておけばよかったなとは思う。

 けどま、あの時に戻れると知って戻りたいかと言われたら――NOだな。

 もう一度あんなことをされたら決意が揺らぐ。

 だから――


「そんな暇ないよ。さ、ちゃっちゃと世界救っちゃおう」

「……はい」


 ラディナと中村と、帰還を見送った人たちと。

 彼らを転移させ、本当に最後の戦いに移る。

 勝てば全生命が生き永らえて、負ければ全生命を道連れにジエンド。

 全く……洒落にならないギャンブルだな。

 ま、最初で最後のギャンブルと思えば丁度いいか。


 あ、そうだ。

 その前に一つやることがあった。

 最も大切で、忘れてはならないこと。

 万が一を排すための、とっておきの切り札。


『ねぇ神様。()()()があるんだけど――』











 * * * * * * * * * *











 視界を埋め尽くした光の波。

 それらを乗り越え辿り着いたのは……()()()()()()

 人数を確認――うん。

 葵を除いてパパとママを含めた三十三人、全員いるわね。


「……成功、した?」

「うん、成功だよこれ」

「え、マジ? 戻ってこれたの?」


 召喚の時は転移中の意識はなかったのに帰還の時はちゃんと意識があったのは、その現象に見覚えがあって、且つ体感できていたからなのかな。

 何にしても葵の予想通り、()()()()()()()に戻ってこれたみたいで何よりだわ。

 これで、異世界に召喚された間の出来事は地球側ではなかったことになった。

 元々あった初代勇者召喚の時に五千年の時間軸のズレを利用するなんて荒業(はっそう)、よくもまああの状況で思いつくわね。

 そのせいで地球とあの世界に在った時間軸のズレが修正されちゃったわけだけど……もう()()()()()()()()()()のだから関係ないかな。


「やった! 戻って来れたぞ俺たち!」

「うおー! ありがとう翔! 小野さん!」


 帰還の成功に喜ぶ葵のクラスメイト達。

 五月蠅くなる前に防音遮音の結界を張ったので、隣のクラスから違和感を持たれることはないはず。

 抱き合い涙ぐみ喜ぶ彼ら彼女らをを尻目に、ピロンと着信音のなったスマホを見る。

 三者会議の時に、両親に渡してと葵から預かったスマホ。

 その画面に、『私たちも無事着きました』とメッセージが入っていた。

 どうやら、転移者との分離は上手く行ったみたいね。

 あっちは私たちとは違って状況の整合性は取れないのだけれど……人目の少ない場所での神隠しってことで話を合わせてくれるみたいだし、大丈夫だと思う。

 その辺りの話し合いも後でするとして、スマホの画面を閉じて胸ポケットへ――


「……」


 葵が持っていたスマホ。

 連絡手段としてしか考えていなかったため、デザインも性能もシンプルな旧世代のスマホ。

 中古ですら買えるかどうか怪しいくらい昔の型番の、スマホ。

 誰が見ても葵のものだとわかる――葵の()()

 最期の、我ながら大胆だと思う行動をした時を思い出して、そのスマホを胸に抱く。


 葵と過ごした約半年の時間。

 記憶を失う前の私と、記憶を取り戻してからの私で一緒に作った、葵との思い出。

 それから、地球にいた頃の思い出も。

 どんな私でもずっと私だけを見ててくれた葵。

 常に私を最優先で考えてくれた葵。

 生まれた時からの幼馴染で、ずっと一緒にいた葵。


 それらが走馬灯のように蘇る。

 ――永遠に更新されることのない記憶として。


「っ……」


 胸が苦しくなる。

 涙が溢れてくる。

 膝から崩れ落ちて、パパとママに心配される。

 大丈夫と言っても、泣いている私を二人は放ってはおかない。

 でも……大丈夫。

 あと数分もしたら立ち直るから。

 大丈夫、大丈夫だから。


「――綾乃くん、やっぱり帰ってこれないんですね」


 私が泣いているのを見てか、日菜ちゃんがそんなことを言う。

 違うよって、そんなことないよって言わなきゃいけないのに、締め付けてくる胸がそれを言わせてくれない。


「日菜、それどういう……?」

「そのままの意味だよ。綾乃くんはもう帰ってこない。じゃなきゃ、結愛会長が泣くはずないじゃない」

「……」


 歓喜に包まれていたクラスが、一瞬で静まり返った。

 私の所為で、嬉しい楽しい雰囲気を邪魔してしまった。

 葵の努力を無駄にはしたくなかったのに……。

 私はそんなこともできずに、我が儘に泣いて俯いて……ほんと、情けない。


「――スンッ」


 まだ苦しい。

 涙もそう簡単には止まってくれない。

 けど、このままじゃダメだ。

 葵が好きでいてくれた私は、こんなところでへこたれない。

 せめて、葵がずっと好きでいてくれるような。

 もっとずっと、かっこいい姿でいなきゃ。

 でなきゃ、あの世に行ったときに、葵に合わせる顔がない。


 溢れる涙を袖で拭う。

 目元が擦れて、涙も相まって赤く腫れるけど関係ない。

 口をキュッと結び、もう一度だけ鼻を鳴らす。

 葵が残してくれたスマホを握り締め、そして日菜ちゃんたちの方へ――


「お? なんだ、ここまだじゃねぇか。ったく見逃したのかよだらしねぇ」


 ガラガラとスライド式の教室の扉が開いた。

 入ってきたのはおよそ学校に関係した人とは思えない格好をした黒づくめの男性。

 歳は三十ほどで、そこそこのガタイに肩には()が握られている。

 教壇の近くにいた私に目をやってからクラスメイトを見回して、男は口を開く。


「おら、お前らは人質だ。警察がヘリを用意するまで端っこに固まってろ。抵抗したら撃つからな」


 アサルトライフルの銃口をこちらに向けて、安っぽい脅しをかけてくる。

 けど、その程度の武器で一体何ができると言うのか――なんて思考が頭をよぎった辺り、異世界に行った主人公が現実で無双するというテーマのラノベを思い出した。

 その心理を体験として理解し、なるほどと納得する。

 魔術やそれに付随する技術があれば、そこらの銃など襲れる必要もない。

 レールガンであれば話は変わってくるだろうけれど……そんな特殊な銃には見えないし、関係ないかな。


「あ? 何だお前ら。(これ)が見えないのか?」


 銃をチラつかせているのに一向に動こうともしない私たちに、男は疑問を言葉にしながら再度銃口を向けてくる。

 どうやっても対処ができそうなので反応に困っていると、更に続けて言葉を投げてくる。


「そうかそうか。ビビって声も出せず動けもしないのか。なら……ほら、突いてやるからあっちの隅によってろよ」


 一番近くにいた私がターゲットになり、銃口で私の胸の辺りを突こうとしてきた。

 反射的にその銃口を握り、合気の応用でその銃を取り上げる。

 銃ごと腕を捻るようにして奪い取ったので、男は為す術なく自らの武器を取り上げられた。

 まさかの反撃に一瞬だけ思考が追いついておらず、瞬きを三度ほどしてからようやく状況を呑み込んだらしい。


「て、てめぇ! 逆らって済むと思ってんのか!? 俺たちはバンデッドだぞ!?」

「バンデッド……? ……ああ。最近ニュースで見かける盗人の集団ね」


 バンデッド……義賊だったかしら。

 私の認識ではただの犯罪集団で、記憶にある義賊の行いではない気もするのだけれど……それはどうでもいいわね。


「メインウェポンを奪われて人数不利。どうするの?」


 実際には使ったことなどないので、見様見真似で銃を持ってみる。

 アサルトライフルなだけあってかなり重いが、素の力でも持てはするわね。

 万が一にでも誤射してしまうのが怖かったので、取り敢えず銃口は上に向けておく。

 一年生の教室は本館の最上階だから、撃ってしまっても壁に穴が開くくらいで済むし。

 物理の結界を張り直したので貫通はないと思うけれど。


「――ハッ! 我らバンデッドがアサルトライフル一丁だけだと? ……そんなわけないだろうが!」


 そう言って、素早い動作でハンドガンを取り出した男は、迷いなくその銃口を私へ向ける。

 銃を取られて多少は緊張したのだろうが、男のハンドガンの銃口は私を捉え、私のアサルトライフルの銃口は天井。

 その優位性から、ビビらせやがってとでも言いそうな緊張の中にある笑顔でハンドガンを握っている。


「ビビらせやがって……撃たれたくなかったら銃をその場に落として手を挙げろ」


 想像通りの言葉が男の口から発せられ、思わず「当たった」と言いそうになった。

 それを寸前にところで抑え、どう対応するかを考える。

 男の口ぶりからして、恐らくはこの学校にバンデッドとやらが乗り込んできたのだろうと予測できる。

 銃を肩に担いで堂々と廊下を歩いてきたわけだし、そうでなければ相当の馬鹿となる。

 いや、言動から滲み出るのは馬鹿の――と失礼、愚者のそれなのだけど、“俺たち”と集団を名乗った以上はそんな愚行はしないと考えていいでしょう。

 なら、他のクラスも似たような状況になっていると考えるべきで……そうなると、なるべく周りを不安にさせるようなことはしない方がいいわね。

 防音遮音の結界を張ったとはいえ、急造のものだから完全に音を消しきれる保証はない。

 万が一にでも銃声が聞こえれば、怯えからまともな判断ができなくなる可能性も捨てきれない。

 ここは素直に従っておいた方がいいでしょうね。


「――お。なんだ素直じゃねぇか。……へっ、よく見たら随分と可愛い顔してんじゃねぇか」


 従順に従うや否や、殴りたくなるような下卑た笑みを浮かべる男。

 アサルトライフルを優先して取り戻した後でそれは肩に。

 素早い行動のできるハンドガンを主武装に、私へと手を伸ばしてくる。

 さっきの言動からもなんとなく推し量れてはいたけれど、バンデッドという集団の底が知れるわね。

 あまり刺激しない方がいいと結論付けたけれど、男の行動が許容範囲を超えるのならその時は――


「――よう。俺の()()()()()に名に手ぇ出そうとしてんだ?」


 男の背後から、突如現れた気配が喋る。

 聞き覚えのある声。

 体感、つい数分前に聞いた、声。


 あり得ない。

 絶対にない。

 これは夢、もしくは幻聴。


 頭はその声を否定して、けど本能は肯定する。

 私の中での乖離を他所に、男が振り向きハンドガンを撃つ。

 さっきまでの言動からは考えられないほどの即断。

 迷いなく振り向き、その癖とんでもない精度で放たれた弾丸は、寸分のズレもなく頭と心臓を貫いた。


 ――弾丸が握り込まれていなければ。


「なんでここだけ取り逃してんだよ、ったく」


 言うよりも早くに鳴らしていた指。

 恐らく、男は何をされたかもわからずに気を失っただろう。

 あまりに一瞬の決着。

 頭から地面に倒れた男のことなんて、もうすっかり頭からなくなっていた。

 私の視線は、目線よりも少し上。

 声の発生源の男だけに向けられていた。


「『おい()()。1Fだけ対処で来てねーじゃねーか。せっかく対処任せたのに――は? 演出? ……余計なことしやがって。あーあーはいはいありがとさん。後で覚えてろよ』」


 虚空へ向けて話し始めた男の顔がぼやけ始めた。

 じわじわと(にじ)んでいき、まともに世界が見えなくなる。

 さっき封じたはずの鼻が、また鳴り始めた。

 今度は抑えも効かない。


「――なんで泣いてんだよ結愛。()()()()の再会なんだから――って、こっちじゃまだ数分しか経ってねーんだっけか」


 私が泣いて答えていないから、一人で盛り上がっている人になってしまっている。

 それに申し訳ないと思いつつ、けれど嬉しくて涙が止まらない。

 そんな私に手を伸ばし、溢れる涙を拭ってくれる。


「あー、できないかもだけどさ。そのー……泣き止んでくんね? 一旦さ?」

「……無理だよ」


 恐らく、困った顔をしていると思う。

 涙で滲む視界にそれは映らないから憶測でしかないけれど、頭を撫でてくれる手からそう伝わってくる。

 嬉しくて高鳴る心臓が、今度は逆に苦しく感じる。

 けれど、苦痛なんかじゃない。

 幸せにすら感じる。


「もう葵は帰ってこれないって……」

「あー……それね」


 私の言葉にバツの悪そうな顔をして目を逸らす。

 頬を小さく掻きながら、やはり視線はどこかへやりながら言い訳を口にする。


「向こうで裂け目の対処して帰ってこないつもりだったんだけどさ。でも俺の功績を認めてくれたフィラ(かみさま)たちが例外かつ特例として介入してくれたんだ。……まぁおかげで、ラディナに貞操狙われたり王国に王位押し付けられそうになったりで色々と大変だったんだけど」


 困ったような言い回しをするけど、でもどこか楽しそうに笑っている。

 苦労していたのは間違いないのかもしれないけど、それと同じくらいに楽しい思い出もあったんだと思う。

 こっちは死んだと思って悲しい思いをしていたと言うのに……と怒りが湧いてこないでもないけれど、笑いながら思い出を語れるのなら良かったとも思う。


「……ちゃんと、全部終わったんだね?」

「ああ。そこは問題ない」


 半年という短い時間でそれを断言できるくらいには、きちんとやるべきことをやってくれたんでしょうね。

 一年という私が無理だと思いながら設けた制限を守る為に。

 もしかしたら、私との年齢差が変わらないように半年にしたのかも、なんて思ったりして。


「良かった」


 涙も鼻も、しばらくは止まらない。

 けれど、それを抑えるよりも先に、言いたいことがあった。

 もう言うことはないと思っていた言葉。

 心の底から言えることは、永遠にないと思っていた言葉を――


「――お帰り、葵」

「ただいま、結愛」




















 その後、「帰ってきたら続きをしましょ」を額面通りに受け取った葵が色々そっちのけで私を連れ去ろうとしたけれど、それはまた別の話。







 書き覚えのない後書きからこんにちは。

 こんばんはかもしれないしおはようかもしれないですね。

 活動報告を読まない人には初めまして、作者のたかだひろきです。


 こんな場所に出張ってきた理由はまぁ察しているかと思いますが……『姉の為に。』これにて完結となります!

 初投稿から約四年……“途中まで書いては最初からやり直し”を二度ほど繰り返したので、そこも含めれば五か六年ほどになりますかね。

 ようやく辿り着いたこの場所はなんだか清々しさを感じます!

 達成感や高揚感と言った感情で今にも踊りだしそうなくらいに嬉しいものがありますね!

 そんなハイテンションをどうにかこうにか抑えまして。


 これを読んでくれているだろう読者の皆様への感謝を。

 ほぼ脳内で完結し、アウトプットなどほとんどしていない設定とプロットと思い付きだけで突き進み。

 様々な矛盾や伏線の回収し忘れ等!

 おいおいマジかよと目を瞑りたくなるくらいの失敗の多々ある作品を読み続けてくれた皆様!




 ほんっっっっっっっっっっっっっっっっっっっとにありがとうございます!




 読んでくれている人がいるだけで励みになってました!

 いやマジで!

 これガチですからね!?

 ここまでこれたのも、本当に読者の皆様のおかげです!

 改めて、ありがとうございました!




 自分で言うのもなんですが、『姉の為に。』はあまりにも素人の走り書き感の強いので、いずれはリメイクなどをするかもしれません。

 変えたい展開や掘り下げたいお話などは色々と脳内に書き留めているのでね!

 『姉の為に。』とは違う作品のことも多少考えたりはしていますが……リメイクも別作品も、結局は自分のやる気次第なのでね。

 お待ちくださるのであれば、気長~に首を長くして待っていただければなと思います!


 閑話休題。


 ここまで読んでくれた方はもうわかり切った事実だと思いますが、『姉の為に。』の本編はこれで終わりになります。

 あまり掘り下げられなかった“奴”の話やエピローグ的なものを書くかもしれませんが、どちらも一話ずつを想定しているのでそう長くはならないでしょう。

 お察しの通りこれもまた脳内での話ですので、実際に書いてみたらボリューミーになる可能性も否定はできませんけどね……へへっ。




 そんなわけで再三とはなりますが!

 ここまで読んでくれた方々、本当にありがとうございました!

 またいずれ、お会いしましょう!




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