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姉の為に。  作者: たかだひろき
最終章 【決戦】編
198/202

第十八話 【世界の敵・アヤノアオイ】




「綾乃葵――さようならだ」


 宰相のそれよりも遥かに重く鋭い殺気を纏う男。

 重力に逆らうように、羽のような軽さでゆっくりと地上に降り立った人型の影は、その影をボロボロと地面へ零した。

 その下から現れたのは、俺とほとんど変わらない人間。

 同じ顔で、同じ体格で、同じ声で。

 俺のクローンと言われても納得できるほどに酷似している。

 けど、違う点も多くある。


 今の俺は、師匠の魔眼と竜人から受け継いだ瞳の影響で金と黒のオッドアイへと変わっている。

 けど、目の前に降り立った影から出てきた奴は光のない黒の目だけを持っている。

 放つ殺気に引けを取らない目つきの鋭さも持ち合わせている。

 それでもその他の各パーツは、俺のクローンと見紛うくらいには似通っている。


 それに、結愛が怯えている。

 表情や態度に出さないよう隠そうとしているけど、隠しきれていない。

 手は僅かに震えているし、呼吸も乱れている。

 黒い瞳からは明確に怯えが見て取れる。

 自分の感情を隠すのが上手い結愛が、それすらできなくなっている。

 明らかな異常。

 一つも間違えてはいけない。

 でなければ、俺に未来(いのち)はない。


「……さようなら? いきなり随分と物騒だな」


 宣戦布告ともとれる奴の発言。

 委縮する心と強張る身体に鞭打って、強気に話しかける。

 交渉なんてできるとは思わない。

 殺気を隠そうともせず無差別に振りまく奴は、会話になんて応じないだろう。

 これは、ほんの一時でもいいから稼ぐための手段。

 消え去った腕を初代勇者が治してくれるかもしれない、その一縷の望みに託すために。


「結愛を危険に晒すような男にはこれでも丁寧な方だろ」

「……そうだな、それもそうだ」


 まさかの返答。

 極僅かと切り捨てた可能性が現実となり驚いて、でも違和感のないように言葉を返す。

 結愛を見る目だけは一丁前に優しくて、その時だけは殺気も薄れる。

 結愛がどう思うかは別として、奴が本当に結愛のことを想っているのだと伝わってくる。


「で、お前は何者なんだよ」


 なんて聞いてはみたものの、奴の正体なんておおよそ見当はついている。

 これまでの旅で体験してきた数々の物事が、奴の正体を暴くだけの証拠となっているのだから。


「言わなくてもわかっているだろうが」

「お前の口から聞きたいな? 俺以外にはまだはっきりと伝わってないようだし」


 それっぽい言い訳に、奴は周りを軽く見まわして、ふんと鼻を鳴らした。

 薄めたはずの殺気を再び濃くして撒き散らし、その存在感とともに俺を指差す。


「アヤノアオイ。そこにいる(ザコ)の成れの果てだ」


 ――ああ、やっぱり。

 見当とやらは、間違っていなかった。

 これまでの旅路の経験だけじゃない。

 俺の内にあるはずの複数の魂。

 王国で猿の魔獣を相手に完封した魂と。

 初代勇者のコピーと師匠と竜人と、そして俺。

 俺の内側にあった五つの魂の内、一つだけが綺麗さっぱりなくなっていた。

 さっきまで、俺の内側を食い荒らしていた痛みの原因。

 それこそがきっと、魂を奪われるときの痛みだったのだから。


「名乗った割に、意外と驚きの声が少ないのが気になるが……まぁいい。この時間稼ぎに付き合うのは終わりでいいか?」

「わざわざ付き合ってくれるなんて優しいじゃんか。その優しさに免じて腕が治るまで待っててくれないか?」

「馬鹿かお前は。テメェの腕は治癒魔術じゃどうにもならん。時間を巻き戻しても無意味だ。その腕はお前が生まれた時からそうなってたことにされてんだから」

「……それあれか? 因果の逆転って言う」


 因果逆転。

 アニメやゲーム好きには聞き覚えのある単語。

 本来なら過程を経てから結果が伴うのに対し、結果を決めてから過程がなぞると言う、まさに因果が逆転している事象のこと。

 つまりは、俺の腕が何らかの術によって消し飛ばされたのではなく、初めから腕がないものとして扱われた結果として腕が消えた、と言うこと。


「正確には違うが、まぁ似たようなものだ」

「なるほどな。つまりどれだけ時間を稼いで治療に専念しても、この腕は治らないってことか」

「……テメェがそんなだから、俺が出しゃばらなきゃいけねぇんだろうが」


 呆れるような溜息とともに、奴は腕を持ち上げた。

 手のひらは広げられ、奴の視線が見据えるのは俺。

 治療が無駄ならば、初代勇者が俺の傍にいる必要もない。


「ありがとうございます。血を止めてくれただけで十分ですよ」

「私が巻き込んでしまったんだもの……せめて、このくらいは……!」

「いいんですよ。どうせあなたが何をしても、俺はこうなる運命だったんですから。初めから……それこそ、この世界に来るよりも前から。そうだろ?」

「……」


 奴は否定しない。

 けど、首を縦にも振らない。

 無言の肯定ってやつだろう。

 それが正しかろうが間違っていようが関係ない。

 俺がやるべきことは、変わらないんだから。

 初代勇者の元から離れ、左手に『精霊刀』を握る。

 片腕でどこまれやれるかはわからない。

 けど、やるしかない。

 俺の肩には、この場にいる全員の命が懸かっているのだから。


「一つだけ教えてやる。テメェは治らないとかほざいてやがったがそれは間違いだ。今のテメェでもその腕は治せる」

「……は? さっきお前が無理って――」

「魔術じゃどうにもならねぇって言っただけだ。現に、初代勇者が血を止めただろうが。それすらわからないようならテメェはやはりここで消す」


 何を言っている?

 魔術以外の治療法?

 医術にでも頼れと言うのか?

 この戦場のど真ん中で?

 そもそもくっつける腕も消えてるから縫合すら出来ないのに?


 ……いや、絶対にそれ以外の治療方法があるんだ。

 奴の目的は未だにわからないけど、あると言うのならあるんだろう。

 これが俺の思考を戦闘以外に割かせるための作戦である可能性も否定できないが、実力差からしてそれはないはず。

 もしそうならどれだけ万全を期すんだよと笑いながらツッコミを入れてやる。

 考えろ。

 腕を治す方法を。

 奴に最後まで抗うために。


「綾乃葵。お前にチャンスをやる」

「……お前は今すぐにでも俺を殺したいんじゃなかったのか?」

「結愛を救えないような雑魚は殺す。それは絶対だ」


 消えることのない、絶えることのない殺意。

 俺にだけ――いいや、結愛以外の全てに向けられて、その上で俺に多く注がれるそれは、今もなお変わらない。

 奴がマイナス以外の感情を向けるのは結愛だけ。

 結愛以外の生物に対して向ける感情は、等しく殺意か無関心。

 けど、その奥底。

 俺の勘違いでなければ、そこには優しさがあるように感じる。

 やはりそれも、俺に向けられたものじゃないのは確かだが。


「だが、貴様はこれまでの奴らより多少はマシだ。現に、ここまでこれたのはお前が初めて――最初だ。ほら喜べよ」

「いや全く実感ないから喜ぶも何もないが」

「……まぁ、これまでのお前がどこまで辿り着いたかなんてどうでもいいか。とにかくもう三度、お前の腕を消し飛ばした攻撃を撃つ」


 同じ地上に立ちながら俺を見下す奴は、ゆっくりと右腕を伸ばす。

 今度は手のひらを広げるのではなく、人差し指だけを伸ばしている。


「残った右腕、万全な左腕、その二つが繋がる肉体……その順に撃つ」

「わざわざ宣言してくれるなんて本当に優しいな」


 問題なのは、攻撃そのものが全く優しくないことだけど。

 例えその宣言通りに攻撃されたとして、今の俺では絶対に対処できないし、それは奴もわかっているはず。

 なら俺を甚振(いたぶ)って殺すなんて宣言をして何のメリットがあるのか。

 奴に嗜虐心の類は恐らく存在しない。

 結愛以外の全てに関心を持たない奴は、そんなものを持つ必要がないわけで。

 ならそれ以外の理由があるのか?


「待って!」

「……どうして止めるの? 結愛」


 奴と俺の間に割って入ってきたのは、さっきまで震えていた結愛だった。

 両手を広げ、俺に背を向け奴と真っ向から対峙している。

 さっきまで怖くて震えていたと言うのに、今はその様子を微塵も――いや、結愛の心は今も恐怖している。

 広げた両腕は僅かに震えているし、重心もブレている。

 普段の結愛なら重心がブレるなんて絶対にあり得ない。

 結愛は他の誰よりも他者の感情や気持ちについて敏感で、だからこそ結愛だけには殺意を向けていないのに奴に恐怖しているんだろう。

 それでも、結愛は勇気を出して来てくれた。

 アンジェの結界は――なるほど、『無銘』を核に維持して、アフィに守ってもらってるのか。

 って言うか、アフィが軍勢を片付けてこっちに来てたのにすら気づかないなんて、本当に余裕がなかったんだな、俺。


「どうしてあたなは葵を殺そうとするの?」

「さっきも言ったはずだ。結愛を救えない奴は全て殺すと」

「それに何の意味があるの? 殺しても何も得られないじゃない」


 奴と会話を続ける結愛。

 俺を即座に攻撃することはないと踏んでか、広げていた両手を下ろした。

 それが元に戻るまでの一瞬。

 結愛は指を曲げた。

 恐らくはハンドサイン。

 意味は分からないけど意図ならわかる。

 私の心を読めと、そう言っているんだ。

 奴に気付かれないよう、必要以上に集中して結愛の心を読む。


「得られるものはある」

『頑張って時間を稼ぐから、葵はあの人の言葉の真意を考えて』

「何があると言うの? まさかあなた、人を殺して喜ぶような狂人じゃないでしょうね?」


 奴の言葉の真意。

 それは多分、さっき俺も考えたこと。

 三回の攻撃で俺を殺すと言った、あの言葉の意味。

 俺が一度は喰らい、その治療もできていない攻撃を三回に分けて行おうとしているのか。

 そこの意味を考えろと、結愛は言っている。

 結愛がそう言うのなら、きっと何かがある。

 結愛の直感はいつだって正しくて、そしていつも、俺を救ってくれるのだから。

 考えろ。

 奴の言葉の真意。

 完全に読み取れない、奴の心の奥底を。


「俺にはもう、喜びなんて感情はないよ。ただ、生物を殺せば多くの魔力が手に入る。だから殺す。それだけ」

「魔力……? それを集めてどうしようと言うの?」

「結愛を救うために使うんだ」


 奴が俺に対して攻撃を行う理由。

 結愛を守れない俺を殺したいと言う気持ちは間違いなくある。

 実際、奴が宰相の体を乗っ取る前に使った術を結愛に使われていたら、ほぼ間違いなく結愛を助けられなかった。

 俺の命と引き換えに一度くらいなら守れるかもしれないが、宰相は二度も三度もあの攻撃を仕掛けられるようだったし、一度きりでは意味などない。

 でも奴が俺を殺すなら、別に他の手段だっていいはず。

 奴の保有する魔力は、感じ取れる範囲ですらここにいる全ての生命の魔力を足しても足りないくらいに莫大。

 それだけの魔力量があれば、わざわざ未知の攻撃に頼ることなく俺を殺せる。

 一番楽だからという理由だけでその攻撃を選ぶのかと聞かれれば……いや、選ぶかもしれないな、うん。


「私を救うため?」

「ああ。結愛はこの世界で死に囚われている。この世界でだけなのか、地球にいた頃からなのかはわからないがな。どう足掻いても、この世界は結愛を殺そうと動くんだ」

「まるで見てきたかのような言い方ね……けど、あなたは自分のことを成れの果てと言っていたし、実際に見てきたのかもしれないけれど」


 いや?

 確かにあの攻撃は俺に対して一番簡単に有効打を与えられる。

 それは間違いない。

 でも、この世の理ならばほぼ全てを解析できる俺が何もわからないような攻撃が、何のリスクもなしに繰り出せるとは思えない。

 魔術なら魔力という燃料が必要なように、あの攻撃も何らかの代償を払っていると考えるべきだ。

 もしそうなら魔力以上の――得体の知れないエネルギーを用いている可能性も考えられる。

 それが魔力から変換できるのならば、奴が多くの生物を殺して魔力を回収しようとするのも理解できる。


「わかっているなら話は早いな。そういうわけだから、その前哨戦として綾乃葵を殺す。どの道、俺の攻撃を凌ぎきらなきゃ次はねぇんだ」


 仮定に仮定を重ねた、もはやほとんど妄想の類の思考。

 でもそれらを加味して考えるのならば、奴はわざわざ面倒な工程を踏んで、その上で条件まで付けて俺を殺そうとしている。

 その意図は?

 なんで奴は、そんな面倒なことをしようとしている?

 その面倒な手順を踏んで得られるものは何だ?

 わざわざ俺に対策してくださいとでも言わんばかりに多くの手順を踏むのは、俺を殺そうとしている奴の行動に反する――


「次って言うのは? この世界をやり直すって――」

「――そういうことか?」


 結愛の言葉を遮ってしまったが、振り向いた結愛は少しだけ嬉しそうな顔をして横にずれてくれた。

 俺と奴が話をする場を作ってくれたこと、そして話を遮ってしまったことに目線で感謝と謝罪をしてから奴に話しかける。


「お前、もしかして俺を成長させようとしてるのか?」

「……だとしたら?」

「いや、別に。ただ今のでぜーんぶ合点がいった」


 ここまでの奴の言葉や、そこから感じ取れたものを挙げていこう。

 俺と同じで奴は結愛が一番大事で。

 奴は、ここまでこれたのは俺が最初だと言って。

 そして、結愛はこの世界で死に囚われているとも言っていた。

 何度も世界をやり直してきたかのような発言をしていたし、その上で多くの生物を殺してきたとも。

 つまり奴は、結愛が死ぬ度に多くの生物を殺して魔力を補填し、結愛の死という未来を回避する為に過去へと渡り、何度も世界をやり直してきたのではないか?

 奴はどうやらやり直してきた世界の記憶を保持しているようだし、やり直してきた過程で宰相の使った攻撃を理解していたのだとしたら?

 奴は俺で……つまり、奴に理解できた攻撃なら、俺でも理解できる可能性もあるはずだ。

 もし奴が俺の考え通りの行動を起こそうとしているのなら、三度もチャンスをくれるのも納得できる。

 一番の不思議だった点は、どうして既に対処が可能な奴自身が結愛を救わず、俺に託そうとしているのかだけど――


「――お前、結愛のことが大好きなんだな」

「右腕」


 答えたくないのか何なのか。

 その一言と共に俺の残っていた二の腕が付け根から消し飛んだ。

 骨も筋肉も血管も。

 全てが目に見えるものなど残さずに消えた。

 代わりと言わんばかりに血がドバドバと流れ出る。


 この数分でかなりの量の出血をしたせいで意識が僅かに朦朧としてきた。

 けど、そんなことには構っていられない。

 俺の持ちうる全ての知識、能力を使い、傷口の解析を行う。

 やはり、魔術やこの世界の理に即したものではないことだけはわかるけど、それ以外はさっぱりだ。


「その攻撃は魔術の延長線上にあるれっきとした法則のあるものです! 具体的にどうと説明するのが難しいのですが……」

「それだけわかれば――」

「左腕」


 初代勇者からのありがたいヒント。

 欠片もわかっていなかったから、その曖昧なものでもかなり助かる。

 それに感謝しようとして、奴は俺の左腕を消し飛ばした。

 やはり一瞬で、欠片一つも残さずに綺麗に左腕が消え去った。

 でも俺にとっては、貴重な解析対象が増えたという認識でしかない。

 一つよりも二つ。

 こっちの方がより解析の効率も上がると言うもの。

 それに、初代勇者がくれたヒントも掛け合わせ、より精度を上げて解析を行う。


 時間はもうない。

 その上で何一つとしてわかってない。

 でもやれる。

 今の俺なら絶対に。

 だって、結愛が信頼の目で俺を見てくれている。

 何も問題ない。

 結愛が信じてくれているなら、俺は何だってできる。


「――次は上手くやれよ」


 奴の言葉が聞こえた瞬間、俺の視界は暗転した。






 * * * * * * * * * *






「――次は上手くやれよ」


 その言葉と同時に、葵の姿が消えた。

 さっきまで確かにそこにいたのに。

 私と目が合って、嬉しそうで不敵な笑みを浮かべていたのに。

 あっさりと、別れの挨拶すらする間もなく。


「……葵?」


 思わず呼び掛けた。

 まだそこに意識があるんじゃないかと。

 眼でも、“魔力感知”でも何も捉えられないけれど。

 それでもそこに、いるんじゃないかと思って。


「……ごめんな、結愛」


 葵と同じ顔をした、けど光のない瞳の彼が言う。

 とても申し訳なさそうで、とても悔しそうな彼。

 その心はわからないけれど、一つだけ確かなこともある。

 それは、彼の言葉に嘘はないこと。

 謝罪の意思はあって、そして表情の通りに悔しい気持ちも持っている。

 どうしてそんな気持ちを抱いているのかは、推測しかできない。

 けれど彼は、本当にそう思っている。


 世界で一番大事で大切な人が殺されたのなら、激情に駆られるのでしょう。

 それが普通だと思っているし、間違ってなどいないとも思います。

 けど、そうする気は全く起きなかった。

 彼を恨むとか、葵の死を悲しむとか。

 そもそもそんな気にすらなれなかった。

 どうしてと言われてもわからない。

 不思議と……本当に訳がわからないのだけれど、何の感情も湧いてこなかった。


「…………これで終わりだ。今回もダメだった」


 本当に残念そうに、彼は呟いた。

 その瞳には、心の奥底からの後悔や絶望が映っているように見えた。

 俯きがちに呟いた彼はしばらくその体勢でいたけれど、何かを振り切るように首を横に振った。


「結愛。今度こそ救ってみせる」

「……誓ってくれる?」

「うん、()()よ」

「――そう」


 葵と彼。

 どこまでが一緒でどこからが違っているのか。

 それは私にはわからない。

 けれど、これだけは言える。

 彼は葵じゃないし、葵も彼じゃない。

 私にとっての葵は彼によって消し飛ばされた葵だけで、決して彼では私の葵にはなれない。


「――そっか。だからあなたは……」


 私が何を言いたいのかを察したのか、彼がとても柔らかく微笑んだ。

 それ以上は言えない。

 彼の前で、それ以上を言葉にしてはいけない。

 そう理解したから、私は口を閉じた。

 もう彼は、()へ向かうことを決めたらしい。

 彼を救えなかった私に、それを止める権利なんてない。


「じゃあね、結愛」


 そう言って、彼は目を閉じた。

 けれど、何も起こらない。

 「じゃあね」と言ったのだから、てっきり転移でどこかへ跳ぶのかと思っていたのだけど。


「――じゃあねなんて、寂しいこと言うなよ」


 虚空から聞えた声。

 それに彼は――彼だけじゃない。

 この場にいた全員が驚愕した。

 だってその声は、ついさっきこの世界から消えたはずの葵の声で。

 その声の方向を向いてみれば、白い光が地面から生えるように形を成している最中だった。

 それはどんどんと人の形と成っていき、やがて全身を作り終えるとその光を外へと解き放った。

 あまりの眩しさに目を細め、顔を覆った私が再びその光の方を見る。


「帰ってきてやったぞ。女々しい女々しい未来の俺」


 物凄いドヤ顔で未来の自分を煽る葵が、五体満足でそこに立っていた。

 完全に存在を消されたはずなのにどうして戻ってこれたのか。

 さっきは止血すら出来なかった傷口をどうやって再生したのか。

 色々と聞きたいことはある。

 だから口を開いて尋ねた。


「――お帰り」

「ただいま、結愛」


 聞きたいことは沢山あって、でも真っ先の私の口から飛び出したのはそれだった。

 考えていた質問とはまるで違う言葉。

 場面にはあっているかもしれないけれど、状況にはまるでそぐわない言葉。

 でも葵は、満面の笑みで返事をしてくれた。

 それだけで心が軽くなったのを感じた。


「……成功したようだな」

「お前のおかげでってのが凄く癪だがな。それにまだ完璧に操れるわけじゃないし、これも偶然に近いもんがある」

「その程度かよ――と煽ってやりたいが、その短い時間でそこまでできりゃ十分だ」


 悪態をつきながら、それでもどこか嬉しそうな彼。

 自らの表情の変化に気付いたのか慌ててそれを手で覆い隠すと、さっきまでの無表情で得体の知れない顔に戻ってしまったけれど。

 やっぱり彼は、葵が力を得ることを望んでいたらしい。

 そう考えるのが妥当ではあったのだけれど、これまでの彼の言動――特にエルフの郷で見せたアレが忘れられず、断言はできなかった。

 けれど、今の彼の雰囲気と声音を感じ取れば、アレもある種の虚勢だったのではないかと思う。

 他者へ非常になりきれない葵が、他者に対して容赦を無くすための――折れそうな自分を叩き直すための、虚勢。

 それが果たされて、もう彼は自分の役割を終えた。

 だからこそ、さっきの嬉しそうな顔を見せてしまったのだと思う。

 きっとあれが、彼の心の奥底――本心なのでしょうね。


「じゃ、今度こそさようならだ。結愛のこと、ちゃんと守れよ」


 そう言って彼は、再び目を閉じた。

 役目を終えた彼は、今度こそどこかへ行くのでしょう。

 それがどこかはわからないけれど、彼が本来いるべきはずだった場所へと。


「待てよ」


 それに待ったをかけたのは、未だに勝ち誇った顔が拭いきれない葵。

 彼や宰相が使っていた葵の腕を消し飛ばした力をある程度は使えるようになったからか、どことなく態度が不遜になっているような気も……いえ、これはいつも通りね。

 調子づいているだけのようだし、行き過ぎたら止めればいいかとだけ考えて葵たちの会話に耳を傾ける。


「なんだ?」

「お前は――いや、ここは敢えて“俺”と言わせてもらうが、俺はこれまで多くの失敗をして(結愛を救えず)、その度に世界を壊すなり命を奪うなりしてやり直してきた。間違いないか?」

「そうだ。そんな俺はもうこの世界に必要ない。今のお前なら何が来ても対処できるからな」

「無責任だろ」


 まさか葵の口からそんな言葉が出てくるとは思いもしなかったのか、彼はキョトンとした顔で止まる。

 それも本当に僅かな時間で、理解した直後には眉を(ひそ)めて訳が分からないという顔になった。


「無責任? 俺が?」

「だってそうだろ? これまで何度も自分の都合で世界を壊した。それは今俺たちがいる世界からしたら関係ない話かもしれないけど、少なくともお前がやっちゃいけないことを沢山してきたのは変わりない」

「……まぁ、そうだな」

「それに対しての責任はどうとるんだ? これからどこに行こうとしてたのかは知らんけど、そのまま「ハイさよなら」あまりにも無責任だろ」

「そうだな。だが今更俺にどうしろと? この場で死んで、天国に送った全ての人間に謝れとでも?」


 葵の言っていることは間違いではない。

 要するに、彼がしてきたこと――有り体に言ってしまえば犯罪になるのかな?

 これまで行ってきたそれらの行動に対してどう責任を、彼はまだ果たしていない。

 地球にいた頃やこの世界でも、犯罪をすれば罰という形で責任は負うことになる。

 そこを、葵は言及しているのね。


 けれど、彼の言う通り、それは少しばかり無茶な気もする。

 世界的な規模での犯罪を繰り返ししてきた。

 それを証明する物証は彼自身しかおらず、その他に証明できる人間もいない。

 彼の行いを見た人も聞いた人も生きてはおらず、そもそもこの世界にすらいないのだから。


「もっといい解決方法があるじゃねぇか」

「……なんだ?」

「俺の中に戻れ。んで、俺の一生をそこで見続けろ」

「……は?」

「ちょっと待って葵。それが罰になるの?」


 純粋に訳が分からず、二人の会話に割って入ってしまった。

 けれど、本当にそれが罰になるとは思えない。

 現世に干渉できず、ただ見続けることしかできないのは罰と言えば罰になるのかもしれない。

 正直、その程度で済まされる問題でもないような気がするのだけれど……。


「なるよ。こいつは自分が自分を捨ててでも救おうと思っていた結愛(にんげん)と、同一個体の別人が一生ラブラブするのを永遠に傍で見せつけられるんだ。こいつに対してだけ使える最っ高に重たい罰だろ?」

「……すっごい嫌なことを考えるのね」

「こいつにはずっと苦しめられてきた――じゃない。こいつが仕出かしたことを考えたらこれくらいは当然だろ」


 私情ががっつり見えたけれど、でも確かに、彼にとっては凄く重たい罰になる。

 葵の説明でそれが分かったから、私はその考えができる葵に恐れ(おのの)きながらも納得した。


「……結愛も言ったが、お前やっぱり外道だな」

「まぁ? お前のような人間になるくらいだし当然っちゃ当然かな?」

「褒めちゃいねぇ……って、言っても意味ないか。それに……あぁ。俺のしたことに対しての罰なら、それでも安いくらいか」


 彼は呆れたように笑いながらも、最後には真剣な表情でそれを受け入れた。

 そうして、手を伸ばして待つ葵の元へと歩き出した。

 その足取りは不謹慎かもしれないけれど軽く見えた。

 やっぱり、彼にとってこれまでの軌跡と言うのは重荷だったのでしょうね。


「結愛が悪いと思う必要はないよ」


 葵の元へと向かう途中。

 私の横を通り過ぎようとした彼が立ち止まってそう言った。

 私の心を読んだかのような発言――いえ、実際に読んでいるのでしょうけれど。

 その表情は柔らかく、もうそこに殺意は一つも見当たらない。


「全部、俺がしたくてしてきたこと。重荷だと思ったことはないし、辛いとも大変だとも思ったことはない」


 再び歩き出した彼は、もう私の方を見ていなかった。

 これまでの過去をきちんと受け入れ、清算するために前へと歩いている。

 贖罪する対象はもういない。

 けど彼は、きちんと自分の罪と向き合って、葵が死ぬまで意識の中だけで生きていくのでしょう。

 それが例え、どれだけの生き地獄になるかわからなかったとしても。


「ああ、でもそうだな」


 葵の元へと辿り着き、そして伸ばした手に触れたタイミングで、彼は思い出したかのように言葉を発した。

 顔を上げ、そして振り向いて私の方を見る。


「我が儘で悪いんだけどさ、結愛」


 穏やかな表情。

 殺意の欠片もない、慈愛に満ちていると言っても差し支えないほどに柔らかい表情で。


「絶対、幸せになれよ」


 笑って、彼はそう言った。

 そして次の瞬間に、彼はその肉体ごと葵の手のひらへと吸い込まれていった。

 彼が入った手のひらを一頻(ひとしき)り眺めてから握りしめた葵は、それを顔の前へと持ってくる。

 目を閉じ、握った拳を額へと当てた葵は、小さく独り言ちる。


「俺が約束してやるよ。結愛は俺が必ず――」


 最後まで言い切らず、秘めるようにして言葉を切った。

 その先なんて言わなくてもわかる。

 それだけで、私がどれだけ恵まれているのかを実感できるくらいには、よく、わかる。

 目を開けて「よし」と呟いた葵は、表情を明るいものへと切り替えてから辺りを見回した。


「これで大戦は終了だ。俺たちの勝利――と行きたかったんだけどな」


 笑顔から一転。

 変化の温度差にただならないと感じ取り、直後に(おぞ)ましいほどの憎悪を覚える。

 振り向いて頭上を見上げる。

 そこには、


「あいつに乗っ取られてたわけじゃなかったようだな」

「――殺す」


 彼とはまた違うベクトルの恐怖。

 生物の生存本能から来た恐怖と彼のものとするのなら、純粋な力量の差から感じ取れる恐怖とでも言うのかな。

 いや、結局どちらも似たようなものかもしれないし、あまり関係ないのかもしれない。


「殺す。殺す、殺す殺す殺す――!」

「会話は無理か」


 そこにいるのは、可視化できるほどに圧縮され渦巻いたどす黒い魔力の塊。

 恐らく、宰相と呼ばれ、私たちがラスボスとして認識していた存在が、そのどす黒い魔力の塊なのでしょう。

 恐ろしさは、ひしひしと伝わってくる。

 けれどどういうわけか、不思議と彼ほどの怖さを感じない。

 プレッシャーも重力が重くなったと感じるほどには存在している。

 なのにどうして、こうも落ち着いて冷静でいられるのか。


「俺を(さげ)んだ奴らを――! 俺を追い込んだ奴らを――! 俺を認めなかった全てを――!」


 譫言(うわごと)のように宰相が叫んでいる。

 どうしてそんなことを叫んでいるのかはわからない。

 でも私には、それが苦しんでいるようにしか見えなかった。

 孤独を抱えた少年が、自分を抱えきれずに暴走させてしまっているような……そんな風に見えた。


「……葵」

「わかってる。助けたいんでしょ?」

「うん」

「いいよ。元々そのつもりだったしさ」


 元々?

 そのことに言及しようとしたけれど、その前に宰相から魔力の波状攻撃が仕掛けられて聞きそびれた。

 でも、葵は()()してくれた。

 なら何にも問題はないわね。

 葵を信じて行動する。


「『さぁこれが最終決戦だ! 気ぃ引き締めていくぞ!』」


 葵の号令。

 その一言で、動ける全員が最後の戦いへと踏み出した。




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