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姉の為に。  作者: たかだひろき
最終章 【決戦】編
196/202

第十六話 【vs魔王軍宰相】




 想像を絶する威圧感。

 目の前の女性の前に立ちまず感じたのは、死を覚悟するほどのそれ。

 ただそこにいるだけなのに。

 殺気を放っているわけでも、私を睨みつけてくるわけでもない。

 あくまで自然体で佇み、大結界に飲み込まれた魔王城への侵入者を観察するように睥睨しているだけ。

 あれが――


「魔王軍の宰相……」

「アンジェリカね。久しい――と言っても、あなたは私のことを知らないでしょうけれど」

「知っていますよ。私や歴代の“神憑き”を――その根底となる制度を作った張本人でしょう?」


 こちらを全て見透かすような、あるいは全てを呑み込むかのような漆黒の瞳。

 丁寧に手入れされているらしい黒髪は結愛さんのものと遜色ないくらいに綺麗で。

 身長も高く、闇夜のような瞳や髪と同じ黒の衣装も、大神殿の白とは反対の色でより強大に映る。

 それに何より――


「さて。君が私の元まで来たと言うことは、これまでの復讐にでも来たと思った方がいいのかな?」

「復讐なんてするつもりはないですよ。私の役割はあくまであなたを倒すことなので」


 ――宰相の顔。

 結愛さんのそれとまるで変わらない、整った顔立ち。

 切れ長で、でも優しい目元。

 スッと通った鼻筋は誰もが憧れるような美しさで。

 凶悪なまでのプレッシャーがなく、固く結んだ口に微笑みと優しい声さえあれば、いつもの結愛さんと勘違いしそうだ。


「強いて言うのなら、あなたの目的を阻止することが復讐ですね」


 見た目以外の部分で明確に違うとわかるから。

 葵さん(マスター)と弥さんから聞いていたから平然としていられるけど、もしそうでなかったら動揺くらいはしていた。

 そしてやはり、この宰相は――


「幼いのに随分と広い目を持っているのね」


 結愛さんのクローンと言われても納得するくらいに似ている宰相の口か、余裕を感じさせる褒め言葉。

 私のことを手放しで褒めてくるのは余裕の表れなのでしょうね。

 何にせよ、私の目的が宰相の足止め――時間稼ぎだと言うことは隠せたはず。

 このまま緊張感のある会話を続けるのでもいいのだけど、どうせなら何か情報を得たい。

 そうなると拾うべき話題は……。


「私からも質問、いいですか?」

「どうぞ?」

「あなたは何を目的として“神憑き”なんて作ったんですか?」

「……そうね。話せば長くなるのだけど……簡単に言うのなら、思考や感情と言ったものを操る実験が一つ。後は面倒だから、かしら」

「面倒だから……?」

「ええ。吸血鬼は生まれながらにとても高い魔術適性を持っている。数こそ少ないけれど、時折生まれる強力な個は覚醒した魔王にすら匹敵すると考えているわ。アンジェリカのような強い吸血鬼と戦うのは、やはり面倒なのよ」

「……」


 ……なんて酷い話だろう。

 自分の敵になりうる存在を予め排除する。

 それが戦いの中でなら当然の行動で、責める道理はない。

 例え倫理がなってなくとも、勝つためにするべきことをするのは当然だもの。

 でも、それでも。

 何世代にも渡って。

 何十、何百という吸血鬼の命を奪い取って。

 彼ら彼女らと繋がりのあるもっと多くの吸血鬼を不幸にして。

 挙句の果てに言い訳が「面倒だから」。


 気が付けば、血が滲むほどに強く拳を握り締めていた。

 これほどの怒りを抱いたのは初めてだ。

 結愛さんと同じ顔をしていても、似たような背格好や口調であっても。

 そんなことなど忘れるほどの怒り。

 今にも飛び掛かり、不得手な肉弾戦を仕掛けてしまいそうな激情。

 それを抑えられたのは、戦術の一つとして煽りがあると教わったから。

 ここで誘いに乗ってしまえば、隠した時間稼ぎという目的を果たせない。

 そもそも、怒りに任せて力を振るったところで宰相には勝てない。

 歯を食いしばり、自分自身を抑え込む。


「……あなたに、人の心はないの?」

「何を言っているの? 心があるから面倒を嫌がり、避けようとしたのでしょう?」


 ああ。

 違う、違ったんだ。

 煽りとか、暴発を誘うとか。

 そんな意図は、宰相にはない。

 宰相はただ、自分の考えを包み隠さず言っただけ。

 “相手をするのが本当に面倒だった”。

 ただそれだけが、“神憑き”という仕組みを生み出した理由。

 宰相に、人の心なんてものは、ない。


「あなたのような残酷な人と会ったのは、初めてです」

「……そう」


 残酷な人、というワードに心当たりのないような顔をする。

 それが演技などではなく素であるとわかってしまうから、言い返す気にならない。


「それで、どうするの?」

「どうする、とは?」

()()()()もいいけれど、私としてはさっさと済ませてしまいたいのよね」

「――っ!」


 思惑がバレた。

 いつ気付かれた?

 私の表情?

 それとも声色?

 いや、そんなことを考えている暇はない。

 どう返しどう対処するか。

 ここでミスすれば取り返しがつかなくなる。


「時間稼ぎ? さっきの今でそんなことを考えると?」

「君はどうしてか怒っているようだけど、それとこれとは話が別よ。さっきだって、怒りに身を負かせそうになっていた自分を必死に抑え込んでいたじゃない」


 心や思考が読まれている。

 ……いいえ、驚くべきことではないか。

 さっき宰相自身が言っていた。

 “思考や感情を操る実験”と。

 その成果の一つとして思考を読むことができていても、何らおかしくない。

 むしろ。

 五千年もの間“神憑き”を実験に使ってきたのだから、それくらいの成果はある方が自然だ。


「……時間稼ぎ。乗ってくれるつもりはないと?」

「ええ。この大戦は私にとっても岐路になるの。五千年の努力を水の泡にする趣味はないのよ」

「そうだよね。それが当然だよね」


 五千年という長い月日は、私にとってはまだ未知の世界。

 古のエルフのような不老長寿ほどではないにしろ、吸血鬼の寿命は長い。

 それこそ長生きしようと思えば宰相くらい長く生きられはするはず。

 でも、その何十、何百分の一も生きていない私には、その苦労がどれだけのものなのかはわからない。

 推し量ることさえ難しい。

 ただわかるのは、それほどの労力をかけてきたものの趨勢が決まるという場面なのに、落ち着いているように見えると言うことくらい。

 これがただの虚勢か、本当に落ち着いているのか。

 表情や態度からは読み取れない。


「なら……戦いましょうか」

「戦うの? 言っておくけど、君では私に勝てないわ」

「あなたもわかっているでしょう? 私の目的は時間稼ぎ。戦うことでしかそれができないのなら、そうするまでです」

「……そう」


 面倒になったと、さっきはまるでわからなかった表情が物語っている。

 決して手を抜いてくることはない。

 最初から全力で、死力を尽くして戦う他ない。

 マスターや結愛さん、ソウちゃんが援護に来てくれるまで――


「行きます」


 覚悟を決め、声に出す。

 同時、小手調べの風を穿つ。

 体に風穴を開ける程度の威力を持つ弾丸は、宰相の手前で急旋回。

 術者である私に向かってブーメランのように返ってきた。

 素早く反応して魔術を霧散させることで事なきを得る。


 魔術の反射ではない。

 マスターと同じ、他人の魔術を自らの意のままに操っているんだ。

 宰相のそれは魔術の軌道を変えるだけだったから何とかなったけど、マスターのように魔術を自由自在に操られていたら間違いなくダメージを負っていた。

 不用意な魔術は相手に優位を与えるだけになる。

 そう判断し、ならばと魔術の数を増やす。

 五属性を二十に増やし一斉に投射。

 マスターも、五属性の魔術の操作権を奪うのは難しいと言っていた。

 それができるかどうか。

 宰相の実力を測る基準としても使える。


 迫る五属性の魔術。

 その一つ、無色の風が膨らみ周囲にあった魔術を揺らがせる。

 軌道が著しく変わるほどの風圧はない。

 けど、一瞬で風に煽られた他の魔術に影響が出ないわけではない。

 特に火が軒並み威力を散らされた。

 結果として、宰相の体を捉えられた魔術は一つもない。


 想定外だ。

 二つ三つ――多くても五つほどの操作を想定していたのだけど……。

 そのどれでもなく、その上で想定していたよりも被害が大きい。

 いや、これは私のミス。

 五種全てを一斉にやるまでは良かった。

 全ての間隔が近かったことが問題。

 距離を開けていれば、今みたいに一手で封じられることもなくなる。

 基準を作れはしなかったけど、次はそこも変えていけばいい。


「じゃあ、反撃ね」


 敢えて言葉に出して、宰相は魔術を展開する。

 火の魔術――火球。

 手のひらよりも少し大きいサイズのそれは、赤から橙、黄色、白、そして――


「青い炎……」


 距離が離れていても伝わってくる熱量。

 魔力による薄い皮膜がなければこの時点で火傷していそうなほどの熱さ。

 冷や汗かどうかもわからない汗が背中を伝うけど……。

 あの炎を対処しなければ、骨すら残らず消えると直感が告げている。


 脚に力を込め、魔力と一緒に解放。

 大きく距離を取り、今度は腕に魔力を込める。

 火に強いのは水。

 しかしあれほどの熱量を誇る火球に少量の水では意味がない。

 だから敢えての――


 私が準備を完了させる直前。

 宰相が溜めていた火球が物凄い速度で撃ち放たれた。

 あと五秒もせずに私に着弾する。

 その前に――


「風よ――!」


 詠唱は必要ない。

 そもそも詠唱と呼べるような高尚なものでもない。

 でも、私が私自身に使う属性を意識させ、より高い効果を発揮させるための気休めにはなる。

 両腕に溜めた魔力を魔術へ。

 大神殿を壊すくらいの威力を込めて、大旋風を穿つ。


 火球と衝突。

 炎と風が通路の真ん中で荒れ狂い、熱風を辺りに撒き散らす。

 これが自然の中ならば、そこらの草木はもれなく灰になっていただろう熱風。

 熱さで全身から汗が噴き出る。

 関係ない。

 あの火球をどうにかできなければ、汗すら残さず私が消える。

 恐怖は熱で溶け消え、見据えた現実に風で立ち向かう。


「ぐぅ……!」


 風を放ち続けている腕が痺れてきた。

 魔力も体感できるほどに減り続けている。

 四割は残っているのに、消費速度が速すぎて視野が狭窄してきた。

 でも、ここで負けるわけにはいかない。

 この役割を任せてくれたマスターに。

 他の場所で自分の役割をきちんと果たしている皆に。

 私を信頼してくれる全員に応えるために!


 心の奥底からの雄叫び。

 自分でもこんな声がでるのかと思ったくらいの大きな声。

 眩暈で倒れそうになった自分を叱咤するためのそれのおかげか、タイミングよく火球を吹き飛ばせた。

 熱さが失われたわけじゃない。

 この閉じられた空間は、風の逃げ道などほとんどない。

 心なしか、呼吸をするのも辛くなっている気がする。

 どこで息をしても熱を肺に取り込むからというのもあるだろうけど、それ以上に酸欠なんだ。

 こんな閉鎖空間で酸素の全てを消費するような炎を使うなんて、自殺行為そのものとしか言いようがない。


 揺らめく空気の向こう。

 私をやはり睥睨する宰相の顔は、この燃える空気の戦場には似つかわしくないほどに涼しげで。

 陽炎そのものになった空気と酸素の薄くなった空気の影響を受けていないかのような立ち振る舞い。


「……そう言うことね」


 影響を受けていないかのような、ではない。

 実際に、宰相は影響をほとんど受けていないんだ。

 火傷するような空気は自分の周りを熱に侵されていない空気で覆うことで熱を軽減し、同時にその空気で酸素を得ている。

 あの火球が与える影響を理解した上で、自分だけはその影響を受けないように準備をしていた。

 そこに思い至れなかった私のミス。


 作り出した冷水で口の周りを覆い呼吸をするが、気休めにしかならない。

 火傷するような空気が焼けるような空気に変わっただけの話。

 それでも、ないよりはマシ。

 これがなければそもそも呼吸すらままならないのだし。


「やはり魔王に匹敵する実力の持ち主ね」


 宰相の言葉も、もはや煽りにしか聞こえない。

 心に余裕がないと聞こえる言葉全てが憎いと言っていたマスターの気持ちを理解できた気がする。

 理解できたからと言って現状を打破できるわけでもないし、この気持ちを静める術を持っているわけでもないのだけど。


「ふーっ」


 静められはしなくとも、軽減することはできる。

 大きく息を吸い、それを吐き出す。

 どんな時でもできて、それでいてしっかりと効果のある深呼吸。

 その効果を実感しながら宰相に抗うための思考を行う。


「まだ諦めないのね」

「当然です」


 諦めるなんて選択肢は、宰相と戦うと決めた時点で捨てている。

 どれだけ心を折られようと、どれだけ無理だと思おうと。

 その決断は揺るがない。


「でも、その余裕はもうすぐにでもなるなるわ」

「……? 一体何を――」


 初めから余裕なんてないとツッコみを入れるよりも前に、小さい地響きが遠くから聞えてきた。

 ここは大神殿。

 それぞれの部屋は壁で遮断され、大結界を発動、維持している神聖国の教皇様以外にその壁は動かせない。

 なら、この地響きはなんだ?

 僅かにだが地面も揺れ、次第に音が近づいてくる。

 まるで、何か大勢が一挙に押し寄せるような、そんな音。

 まさか私が気付けなかっただけで、既に私を倒すだけの一手を打っていたと言うの?


「言ったでしょう? 五千年の努力を無駄にするつもりはないと。梃子摺(てこず)りはしたけれど支障はないわ」

「……」


 マズい。

 音の正体が何にしろ、宰相一人を相手に手一杯で――何なら追い込まれていたのに、増援なんて来たらいよいよ時間稼ぎができなくなる。

 命の危険があるわけじゃないのに絶体絶命。

 どう打破するべきか悩ませる頭も、焦りでまともに機能――


 パァンッと、肌を叩く音が神殿に伝う。

 想像以上に大きな音となって通路を駆け抜けていったそれは、私の頬から発せられた。

 纏まらない思考、焦りで落ち着きのなくなった心。

 それらを強引にリセットするための、痛み。

 ジンジンと痛む頬は、私を容赦なく現実へと引き戻してくれる。


 私が今やるべきことは、焦ることではない。

 宰相を足止めし、マスターや他の人たちが余計なことを考えずに決めた相手とちゃんと戦える場を作ること。

 邪魔はさせない。

 そのために私はここにいる。

 相手が増えても、例え絶望的な状況に陥っても。

 そこだけは揺るがない。


 できるできないは知らない。

 やるかやらないかだと、マスターや結愛さんだって言っていた。

 当然のようで、でも行動に移すには難しいその考え方は今こそ実行すべきなのだから。


 例えこの身を焦がすようなことになっても。

 生きてさえいればいい。

 体に痣ができようとも、肺を片方潰そうとも、死にそうな思いをしようとも。

 毛の一本までに神経を張り巡らせて、魂を燃やして全霊を尽くす。

 決めた覚悟をもう一段階深く沈め、永遠に変わらぬ指標とする。


「……その精神力は魔王以上ね」


 呟かれた宰相の言葉。

 素直に受け取れるくらいには、心に余裕ができたらしい。


 もう音が近づいている。

 あと十秒も経てば、音源は姿を見せる。

 “魔力感知”が捉えた感じでは、百を優に超える人の群衆。

 宰相と同じ魔力で全身を覆っているのが不気味。

 でも、関係ない。

 襲い来るだろう群衆を相手取りながら宰相を抑え込む。

 その覚悟は、今さっき固めたばかりだ。

 死力を尽くし。

 全身全霊を以って。

 最難関になるだろうこれからを迎え撃つ。


 ドドドドドッと地響きの元となった大勢の足音が――その発生源が、通路の角から姿を現した。

 生気のない、青白い肌をした人たちで構成された群衆――いや、軍勢というに相応しい数。

 それらは一直線に私目掛けて走ってくる。

 速度は大したことない。

 でも、魔力で覆われているから防御力は高く、数そのものが脅威となる。

 一人で相手するには些か厳しい――なんて、少し前の私なら言っていた。

 両手に溜めていた魔力。

 それを群衆に向けて――


「悪い。寝てた――暑いなここ」


 群衆を追い越して、私と群衆の間に割って入ってきた背の高い男性。

 白――いや、銀の頭髪で鋭い目つきをしている。

 服は結構ボロボロで、見える肌にも所々血が付着している。

 満身創痍という程ではないにしろ、そこそこやられている側の人だろうか。

 私と迫りくる群衆の間に割って入ってきたからきっと敵ではないとは思うのだけど……。

 背を向けているから今は見えなくなってしまったけど、その顔にも見覚えはなかったように思う。


「――え、っと?」

「あの群衆は俺が受け持つから、君は葵に任せられた宰相の愛てを」

「――! わかった! 任せます!」


 事情は分からない。

 彼が誰なのかも、未だ不明だ。

 けどわかったのは、彼が敵ではなく味方で。

 そして、マスターのことを名前で呼ぶほどの間柄と言うのもわかった。

 誰かなんて、今は関係ない。

 群衆という新たな脅威を引き受けてくれると言うのだから、その恩恵にだけあやかろう。


「……倒せていなかったのね」

「想定外ですか?」

「想定外だけど支障はないわ。どの道、あなたでは私に勝てない」


 宰相が放つプレッシャーに、思わず息を呑む。

 決めた覚悟を揺らがすくらいの圧倒的な存在感。

 これが魔王軍の宰相。

 ……知っている。

 この十数分で、それはよく理解できた。

 だから私は、それでも変わらることのない覚悟を決めたんだ。


「――行きます」


 言うや、私は飛び出し距離を詰める。

 “身体強化”は得意じゃない。

 けど、“魔力操作”は得意だからある程度なら形になる。

 駆け出したまま、右腕には風、左腕には水を纏う。


 対して宰相。

 先の一撃が有効だったと判断してか、再び青い炎を繰り出してきた。

 水をぶつければ爆発が起こる。

 詳しい原理はわからないけれど、消火できない場合はそうなることがあると知っている。

 だから、この左腕の水は守りには使わない。

 水を纏った手を顔を覆うように持ち上げ、手から顔へ水を移動させる。

 圧倒的な熱量を誇る火球から目と口――肺を守るための水だ。


 視界はぼやけ、水の膜ではないから息をするのも大変になったけど、できないよりはマシと切り捨てて足を動かし続ける。

 近くなる火球との距離。

 冷水を熱水へと変えるほどの熱を浴びながら、左手に追加で纏った風。

 前進の勢いを乗せたまま大きく前方上空へと跳躍。

 腰を捻り、右腕と左腕の風を合成。

 捻った腰の勢いと駆けた速度を合わせて火球へと撃ち放つ。


「チッ」


 宰相の舌打ちと同じタイミングで、轟ッと唸りを上げる風が超高温の火球を捉えた。

 手のひらよりも少し大きい程度の火球を呑み込む風は、熱風を宰相側へだけに押しやって火の勢いを削いでいく。

 しかし、全ては削りきれない。

 火の色が赤や橙くらいにまで変わっているけれど、火球は健在。

 そうなることはわかっていたから、私は魔術で圧縮した空気を踏みつけ重力と一緒に宰相へと突進する。


 一直線に向かう私を見て、宰相は腕を引く。

 明らかに殴るぞと言わんばかりの構え。

 このまま突撃すれば、間違いなく返り討ちに遭う。

 肉弾戦は本分じゃない。

 それでも、マスターとの模擬戦や皆のそれを見ていたから、形だけなら真似できる。

 だから――


「――!」


 宰相の拳が私を穿つほんの僅か前。

 動き始めた腕を捉えた瞬間、風を腕から解き放ち方向転換。

 宰相の頭上を飛び越える形で上空旋回を行い、頭の天辺から爆風を叩き込む。

 体が僅かに跳ね、その一撃が確かに効いたことを確認。

 心を読まれてもいいようにと反射での行動だったがゆえに、体勢が優れず追撃は出来なかったけ。

 けど、一発入れられただけでも十分。


 “思考と行動をずらす”は成功したらしい。

 マスターほどの読心術があればこの思惑すら見抜いていたはずだから、きっと宰相のそれは心や思考の表層を見抜く程度のもの。

 断定して間違えていたら一大事だけど、基準ができたのは大きい。


「……」


 立ち竦む宰相。

 その瞳は忌々しいと雄弁に語り、私を見据えている。

 宰相からすれば、今の私ほど鬱陶しいものもないはず。

 ヘイトは稼げている。

 きちんと、足止めという役割を果たせている。

 あと五分か十分か……。

 魔力は三割を切った。

 それでも、可能な限り戦闘を長引かせ、更なる足止めを――


「――貴様の実力はわかった。もう十分だ」


 左腕を伸ばし、親指と中指の腹を合わせている宰相。

 それは強力な魔術の予感として、私の警笛を鳴らした。

 何が来てもいいように構えると同時、合わせられた指の腹がスライドしパチンと音を大きな鳴らした。

 瞬間、視界を染めていた白の神殿が消え去った。

 籠っていた熱気が外へ放出され、寒いと感じるほどの風が全身を突き刺す。

 同時、魔人の大陸の昏い空が私たちを出迎えた。

 白から一転し黒。

 真反対と言っていい色の変化は、私たちの思考をほんの僅かにでも鈍らせる。

 でも、私にとっては視界よりも――


「――づッ」


 即座に簡易結界を展開。

 薄暗いが今は昼間。

 吸血鬼にとっての天敵である、太陽の光を遮る結界だ。

 神殿内部で戦うことを想定していたから移動式の結界は持ってこなかった。

 要らないものを持っていけるほど余裕がなかったと言うのが一番だけど、それ以上に大神殿があれば十分だと高を括っていた。


「もう終わりか?」

「っ――!」


 一瞬でも太陽の元に身を晒したことで焼けた肌の痛みに悶えた一瞬で、距離を詰めていた宰相が容赦のない蹴りを見舞ってきた。

 直撃を避けるために間に腕を挟んだけど、その腕の骨が持っていかれて大地を転げまわる。

 簡易結界の維持にリソースを割かれ反撃ができない。

 せめて追撃はされてなるものかと、“魔力感知”で捉えた宰相へ誘導式の火を穿つ。


 しかしそれはあっさりと霧散させられ、反撃の火球を連射される。

 青ではなく橙。

 それでも無防備な人が焼け死ぬには十分な熱量を持つそれは、真面に食らえばダメージは免れない。

 地面を転げ回っているのを利用し、手のひらで大地を捉える。

 ほんの一瞬の間に風を放ち、回転力を抑えて上空へ。

 一歩間違えれば回転を助長させるだけだし、成功しても逃げ場はなるなる。

 それでも、回り続ける視界よりはずっといい。

 下から追尾してくる火球を風で散らし、宰相を見下(みお)ろすよう観察する。

 少しでも動きを見なければ。

 結界に意識を割かなければいけない分、得られる情報をより多く――


()見下(みくだ)すな!」


 宰相の言葉が聞こえた瞬間、気付けば地面に叩きつけられていた。

 痛みを感じる間もなく、本当に一瞬で。

 遅れてやってきた痛みは全身から発せられている。

 何が起きたのか。

 それを理解したのは、痛みを感じてすぐ後。


 立ち上がることすらできないほどの重力を感じ取り、重力操作を受けたのだと理解した。

 結愛さんが使っているのを体感したことがあったから理解できた。

 理解して、追撃対策に魔術を展開する。

 五属性の魔術を三十。

 二十を攻撃、十を防御に割り振って速射。

 しかし、どれも宰相に届く前に地面へと叩きつけられた。

 反撃した私が気に入らなかったのか、私を抑え付ける重力が強力になる。


「――」


 声にならない声が漏れる。

 立ち上がることは当然、圧死しないように必死で思考することすら難しくなった。

 宰相を倒さなければこの重力場からは解放されず、この重力場から解放されなければ宰相を倒せない。

 詰み、という言葉が脳裏を過る。


「そこで寝ていろ」


 私を睥睨しながら言い放ち、這いつくばる私の横を抜けようと歩いてくる。

 視界の外で彼が戦っているのがわかる。

 音から彼がまだ戦ってくれていることも、宰相がそちらの方向へと歩いていったことも。

 まだ、役割を果たせていない。

 宰相の足止めなんて、全然できていない。


「ぐっ――くぁッ!」


 役割を果たすんだ。

 まだ倒れるわけにはいかない。

 まだ、私にはやるべきことがある。


 腕から血が噴き出た。

 強力な重力に逆らうことで骨が軋み筋肉が痙攣(けいれん)する。

 頭は割れるように痛いし、食い縛った歯が欠けた。

 歯茎からは血も出てきているが関係ない。


 無駄な足掻きをしていると思っているのか、宰相の意識は既に私にない。

 これが最大のチャンス。

 今やらなければ、もう後がない。

 血が噴き出ようと、骨が折れようと、筋肉が断裂しようと。

 私を救い出してくれたマスターに応える為なら、これくらい――


「――っあ」


 一瞬、重力が弱まった気がした。

 それが事実かどうかはわからない。

 でも結果として、宰相に触れられた。

 これで――()()()()()()


「ぐぁあああああ!?」


 宰相の絶叫が、昏い昼の空に響き渡る。

 頭を押さえ、立ったまま背生を丸めて何かを抑え込むような態勢を取る。

 せめてもの抵抗か、私に掛けられた重力が更に強まって二度目の地面とキス。

 不味い土の味が口いっぱいに広がるけど、今はしてやったという気持ちの方が大きい。


「あぁ……あああ」


 残っていたほぼ全ての魔力を全て使い、宰相の内側にあったものを肉体から引っぺがした。

 マスターの“恩寵”から学んだ魂の知覚――その一端を模倣し魔力に乗せた、対宰相特効の攻撃。

 初めて宰相を見た時に直感した。

 マスターと弥さんからあわよくばと聞いていた、宰相に関する情報とその対処。

 それが役に立つと。


 足止めが目的だったのは間違いない。

 でも、そう。

 あわよくば。

 万が一、宰相が大したことなく、私でも御せるほどの実力しかもっていなかった時のための保険。

 そんな意味合いの強かったこの攻撃は、圧倒的格上だった宰相の油断によって通用した。


 これで、宰相は肉体から引き剥がせた。

 体に戻るには一瞬というわけにはいかないだろうし、重力場でどうせ身動きが取れない以上は最高の時間稼ぎになる。

 後は、魔力切れで朦朧とし始めた意識の中で、重力に押し潰されないように耐えるだけで――


『ぎ様゛……!」


 憎悪に満ちた声が聞こえた。

 顔は上げられないので視線だけ上げてみれば、視界の端に声と同じ憎悪に満ちた瞳で私を見据える宰相がいた。

 引き剥がしに成功しているのか、何やらどす黒い煙――オーラのようなものが体から溢れ出ていて禍々(まがまが)しい。


「ぎ様だげはっ――じぬ゛よりもぐるしい思いをざぜでやる――!』


 憎悪に満ちた悪態。

 けど、どうしてかそんなに怖くない。

 覇気がないのか何なのか。

 掲げられた青い炎の特大の火球を見ても、それは変わらなかった。

 死を悟り、諦めているのかもしれない。


 青い光が視界を埋め尽くす。

 繰り出された火球が、重力に縛られる私目掛けて迫りくる。

 回避はできない。

 でも怖くはなかった。


 爆音。

 熱風と一緒に耳を(つんざ)く音が轟き、大地を(めく)った。

 それを()()()()()()から眺め、私を抱える人を見上げる。


「よくやってくれた、アンジェ。後は任せろ」


 頼りになる声。

 宰相との戦闘中に、ずっと聞きたかった声。

 安堵、感謝、懺悔、謝罪。

 色々と伝えたいことはあった。

 でも、口から漏れたのはたった一言。


「お願いします」


 私を助けてくれたマスターは、任せろと笑顔で頷いた。




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