第十五話 【vs序列一位・魔王 後編】
「悪い結愛。待たせた」
頭上から聞こえた声。
いつの間にか膝をついていた私は、顔を上げてその声を主を見る。
もう何度も見た少しだけ口角の上がった表情。
記憶にいくつもある、私を助けてくれる時の、葵の顔だ。
「その傷、治療できる?」
「うん。できるわ」
「良かった。じゃあ傷を癒してから援護頼む。シルフはまだ戦えるよね?」
「余裕よ」
私の無事を確認した葵は、即座に魔王へと向き直る。
壁に衝突し、地面へとずり落ちた魔王。
魔術での反撃はなく、葵に吹きとばされたまま動かない。
葵の登場に、それを望んでいた魔王ならこの状況でももっと喜ぶかと思ったのだけど……。
違和感を覚えつつも、動かない魔王をよく観察しながら頬の治癒を行う。
「……?」
魔王が立ち上がり、そしてほぼ同時に葵が首を傾げた。
その違和感は、多分私が思っていることと同じ。
あれほど饒舌に喋っていた魔王が、立ち上がっても何も言わない。
それどころか、魔術の一つも向けてこない。
明らかな違和感。
一体、何が――
「なんで魔王、洗脳なんて受けてんだよ」
「洗脳……? それってどういう……」
「そのまんまの意味だよ。今の魔王は洗脳を受けてる。アンジェの時とほぼおんなじやつ」
アンジェちゃん。
今は宰相との一騎打ちをしてくれている、私たち葵チームの中で最も魔術系統に優れた女の子で。
吸血鬼の島で仲間に引き入れる前、何者からか洗脳を受け暴走状態にさせられていた女の子。
そんなアンジェちゃんと同じ状態――つまりは、暴走していると言うことね。
あの時は、葵が決死の覚悟で綱渡りをしてくれたから止められたけれど、もしそれができなければ島ごと放棄しなければいけなくなるほどの被害が出ていた。
その当人が持つ潜在能力の全てを強引に引き出し、精神や肉体が崩壊することすら躊躇わないあの暴走。
アンジェちゃんの時は私ですら見るからに異常だと理解できたが、今の魔王からそんな異常さは微塵も感じない。
いえ、饒舌さが消えたという点では明らかな異常なのだけどそうではなく。
暴走と言うには随分と静かで落ち着いている。
そんなことを考えていると、葵がスッと右腕を持ち上げた。
指先を少し曲げ、親指と中指の腹を合わせている。
視線と指先と魔王を一直線に並べると同時、合わせていた指の腹を勢いよく弾く。
パチンと大きな音が鳴り、魔王がピクンと一瞬跳ねた。
何度か瞬きを繰り返し、状況判断をするためか周りをキョロキョロと見回す。
「何をしたの?」
「洗脳を解除したんだよ。魔王に掛けられてたのはアンジェの時とほぼおんなじって言ったでしょ? 脳内を直に弄られてるわけじゃなくて外付けの――無線みたいなもので操られてたからさ。その電波をぶった切ったんだよ」
「なるほどね」
わかりやすい説明に頷く。
というか、遠隔で誰かを――特に、魔術に対しての耐性が高い魔王を洗脳するなんて、余程の技術と魔力量がなければできないはず。
アンジェちゃんの時のように何世代もかけてじわじわと時間をかけて侵食するように洗脳するのならまだ理解できる。
でも、私たちに気付かれないほど精巧に、そして素早く、更には魔王に気付かれずに外部から直接洗脳するなんて、どれだけの強者が後ろに控えていると言うのか。
その強者は十中八九、葵の言っていた宰相だろうけれど、その底知れない実力に身震いする。
「ボクは一体何を……?」
「お前、操られてたぞ」
「操られてた? ボクが? って言うか葵じゃないか。いつここに?」
「お前が操られている間にな」
「……なるほど。どうやら本当に操られていたようだね。でも、結果的に葵に会えたのだから問題ないな」
自身の認識の齟齬。
それを理解し、状況を正しく理解したらしい。
誰が操ったのか、どうして操られたのか。
その辺りを考えないのは、魔王からするとわかりきっているからなのかな。
「ボクの元に来たんだ。ちゃんと、戦う覚悟はしてきてるんだろうな?」
「この大戦が最後なんだ。全力で突っ走る覚悟はとうの昔にしてきてるよ」
「……そうか、そうだな。最後だもんな」
葵の言葉を受けて、魔王は小さく寂しげに呟いた。
強者と戦う機会の損失を嘆く言葉で表情。
前回の大戦とこれまで戦い、あるいは会話をしてきた魔人たちからわかっていたけど、魔王であっても戦闘狂である事実は変わらない。
強い相手との戦いを望み、勝っても負けても満足できる質。
この世界で強者として認められた葵との戦いがこれっきりになってしまう。
その事実を今更ながらに理解した、悲しさに溢れた呟き。
「安心しろよ。この世界には俺以外にも強い奴は沢山いる。俺が望んだ通りにこの大戦を終わらせればそいつらと戦う機会も作れるよ」
「そうなのか?」
「ああ」
私を蚊帳の外にして繰り広げられる会話。
それ自体は別に構わない。
今の魔王は葵との再会を喜んでいるのだから、それを邪魔する必要もない。
そもそも私だって、葵が援護に来てくれることを望んでいた。
魔王の相手は私一人には手に余ると思っていたから、シルフちゃんの力を借りていたのだし。
でも。
ほんの少しだけ。
蚊帳の外にいる私自身に、忌避感に近いものを覚えた。
「それに、お前との戦いで俺は――俺たちは一切出し惜しまない。正々堂々、全力でお前を叩き潰す」
「――随分と嬉しい宣言だね。でも良いのかい? ボクは葵の大事な結愛を傷つけた。そんなボクを“殺す”のではなく“叩き潰す”なんて表現で――」
「おいお前、なんで結愛のこと名前で呼んでんだ?」
どうしてそんな感情を抱いたのか。
そんなことはどうでもいいはず。
私は戦闘狂じゃないし、強者とのタイマンを望むような欲は持ち合わせていない。
ゲームでならまだしも現実で、それも命を懸けた戦いにそんなものを持ち込めるほど、私の肝は座っていない。
でも、どうしてだろう。
葵と魔王が戦うのを、嫌だと思ったのは。
「おい結愛! あいつ結愛のこと名前で――」
「ねぇ葵」
よくわからない。
自分の抱いた感情はどこから来たのか。
どうしてそんなことを思ったのか。
わからない。
わからないけれど。
魔王と葵の戦いを見届けたくはなかった。
「魔王との決着、私に任せてくれない?」
「……本気?」
「うん。本気」
怪訝そうな顔で私を見つめる葵。
いえ、怪訝というよりは心配が勝っているかな。
私はさっきまで、魔王相手に苦戦を強いられていた。
葵が駆けつけてくれなければ、きっと魔王の刃は私の命を奪っていた。
そんな状況を目の当たりにし、葵の内心は穏やかではないはず。
少なくとも、私一人に魔王の相手を任せようとは思わないでしょう。
「葵がいた方が楽に勝てるのはわかってるよ。シルフちゃんの援護があっても、葵から借りた『無銘』があっても優位にすら立ててなかった私がこんなことを言っても、ダメだって一蹴されることくらいわかってる」
全て事実。
どう言い訳しても、そこは変わらない。
でも嫌なの。
言葉で説明はできない。
考えですら纏まってない。
凄く感情的で、言った通り一蹴されても仕方ないこと。
それでも――
「でもお願い。私に任せて」
「……倒せる算段はあるの?」
「ないわ。これから考える」
「魔王は強いよ。前回の大戦なんかとは比べ物にならないくらいに」
「知ってるわ。さっきまでコテンパンにやられてたんだもの」
「……それでも」
「やらせて。お願い」
真剣な眼差しで質問を列挙する葵。
その瞳に移る私は、同じ眼差しで葵を見据えている。
説明も十分ではなく、理由さえ話せない。
信じてもらえる要素は一つもなく、故に快諾はしてもらえないでしょう。
でも、私は魔王と戦いたい。
葵に、戦わせたくない。
そう思ったことだけは確か。
だから――
「いいよ」
「……いいの? 本当に?」
「結愛が本気だってのはわかったから。だからいいよ」
思ってもみなかった快諾に驚いて言葉が出ない。
そんな私を揶揄うように、葵はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
人の反応を見て笑うなんて――とも思ったけれど、よく考えずとも私が普段からやっていることなので何も言えない。
なるほど、揶揄われる葵はこんな気持ちだったのね。
それはそれとして。
「結愛のそんな顔が見られて嬉しいよ」
「私は全く嬉しくないけどね」
私が煽られ慣れていないというのもあるだろうけれど、悪態の一つでも付きたくなる気分だ。
嫌悪とまでは行かない、けれどモヤっとする程度の感情。
葵の楽しそうな笑顔がそれを助長させてくる。
「冗談はこれまでにして……結愛に任せるにあたり一つ条件があるよ」
「なに?」
「勝つこと」
さっきまで浮かべていた笑みはどこかへ。
脅迫じみたプレッシャーさえ感じるほどの真剣さで見据えて言う。
だから私はこう答える。
「勿論」
「それが聞けたならよかった」
私の返事に満足したようで、振り向き魔王へと向き直る。
私たちの会話を邪魔することなく終始聞くだけに留めていた魔王は、微笑みを湛えていた。
「ってわけで悪いな。お前との戦いはお預けだ」
「構わないさ。葵と戦えないのは残念だけど……結愛のその表情を見る限り、葵に負けないいい戦いができそうだ」
どうやら私は、魔王のお眼鏡に適ったらしい。
これできちんと決着をつけられる。
「葵。『無銘』はどうする?」
「結愛が持ってて。多分、次の戦いだと俺は使えないから」
「……ああ、そうね。わかった」
武器なんて、普通は持っている方が有利になるものだけれど、葵の場合は不殺が前提にある以上、容易に相手を傷つけられる武器はない方がいい。
それに、葵は素手でも十分強い。
地球での実戦含めた六年の経験があるから、刀を持っていなくとも十分に戦えるでしょうね。
それこそ、『無銘』を持っている時に引けは取らないくらいには。
それに、葵がアンジェちゃんの援護に向かうのなら、刀という傷を生み出す得物はない方がいい。
葵の言葉の意図を理解して、『無銘』は私が使うことにする。
「じゃ、気を付けてね、結愛」
「葵もね」
「わかってる。シルフ。悪いけど、結愛のことよろしく頼む」
「わかった」
アンジェちゃんの元に向かう前に、私たちを案じるように言葉をかけてきた。
心配は要らないと、葵の顔を見てきちんと答える。
魔王の横を通り過ぎる形で走っていき、通過する辺りで魔王へ何かを呟いた。
遠くて聞こえなかったけれど、魔王は頷いていた。
「あ、あと! 結愛のことを名前で呼んだの! 二人にちゃんと説明してもらうからね」
魔王を追い越し角を曲がって神殿の通路へと消えて行った直後、戻ってきた葵は声を張り上げた。
私たちが答える間もなく行ってしまったが、あまりに私の予想道理だったので魔王と二人して笑う。
「流石だな。葵のことについては結愛の方がよく理解しているらしい」
「ありがとう」
魔王の称賛の言葉は素直に受け取っておく。
わかりきっていた事実ではあるので喜びそのものはないのだけれど、嫌な気はしない。
「さて。互いに時間は惜しいだろう? そろそろ始めようか」
「そうしましょう」
ダンスでも誘うように右手を差し出してくる魔王。
対し私は、『無銘』を腰に提げた鞘へと納め、腰を落として構える。
シルフちゃんは私の肩に。
「結愛。後のことは考えなくていいから、全力で眼を使って」
「そうしたら葵やアンジェちゃんの援護に行けなくなっちゃうけど……」
「考えがあるの。私に任せてくれない?」
「……わかった。任せるわ」
珍しいシルフちゃんの申し出。
私自身の考えがまだ纏まっていないので、どうなるかはわからないけれど乗ってみようと思う。
正直、全力全開で眼を開いたらどうなるかがわかっていないのが怖いけれど……負けるよりはずっといい。
葵に勝つことを条件として提示されたのだから、そこだけは守ろう。
あと、魔王も含めて私たち全員がこの大戦を生き延びることも。
「じゃあ――」
「私から行くよ」
不意を突くことなんてできないとわかっているから、真正面から魔王へ吶喊する。
居合の姿勢から“身体強化”全乗せの移動。
シルフちゃんの風も合わせた私たちの出せる最速で以って近づいて抜刀。
最速の刃、最高の一刀。
しかしそれは、魔王の前髪を少し斬るだけに留まった。
圧倒的な反応速度で、まだ見せていなかった抜刀を見抜き躱された。
反撃に展開した魔術群。
魔眼と精霊眼を以って認識した五色の魔術たち。
それらの対処をしようとして止めた。
魔術は全てシルフちゃんが何とかしてくれる。
一瞥だけくれてやり、防御に向きかけた意識を攻撃へと転じて『無銘』を握る右手に力を強める。
動きの機微を認識してくれる魔王は、私の右手に一瞬だけ意識を向ける。
その隙を突くように、腰と肩甲骨の僅かな捻りから左の拳を繰り出す。
やはり素晴らしいと言わざるを得ない反応速度で手のひら一枚を挟まれたけれど、それも囮。
本命は最初に囮にした『無銘』。
重力を乗せた全力の一刀を、真上から両断する形で魔王へ振り下ろす。
完璧なタイミング。
必中、回避不能。
勝った。
そう思った瞬間、天地が反転していた。
「――ぇ」
魔王の姿は眼前になく、“魔力感知”によれば頭上――いや、下にいるとわかる。
何が起こったのか、それを理解する前に二陣目の魔術が迫りくる。
シルフちゃんなら対応できるだろうけれど、状況整理のためにも時間が欲しい。
そう判断し、魔王の背後に位置取る形で転移する。
「今の……」
「そうさ結愛。君と同じ転移さ」
「使えたのね……いや、魔王なんだから使えてもおかしくはないのだけれど」
「昔から基本属性以外は苦手でね。魔力の消費が大きすぎるから多用は控えているんだ。ああ、決して結愛たちを舐めていたわけではないよ? 慣れない転移よりも慣れた五属性の方が強いと判断しただけだからね」
どんなに強力な力でも、上手く扱えなければ意味がない。
上手く扱えるまで練習するなりすればいい話なのだけど、才能の割合が大きい魔術の世界はそう簡単な話でもない。
実際、魔王の魔力量は転移一回で一割ほどを消費している。
さっきまでの戦闘も合わせて、魔王の残り魔力量は四割を切ったところ。
転移を連発させられれば勝機はもうすぐそこなのだけど、“学習”する魔王はもう転移を使うような無様はしないでしょうね。
そうなると、やはり地道に削っていくのが一番ね。
「構わないわ。私も覚悟が足りていなかったのだし、お互い様よ」
「ああ。でも、結愛はきちんとボクに向き合ってくれただろう? 嬉しかったよ。葵と一緒に戦ってボクに完全勝利することよりも、ボクとの決着を望んでくれたんだから」
「私が、決着を……?」
「そうだろう? 葵がやってきて全てを片付けてくれる。そこに不満を抱いたんじゃないのか?」
魔王に言われ、少し考える。
あの時、確かに抱いたのは、魔王と葵を戦わせたくはないという感情だった。
根拠も理由も話せない、けど嫌だった。
なら仮に。
もし魔王の言った通り、私が魔王との決着を望んでいたのだとしたら?
私がシルフちゃんと二人だけで魔王を倒したいと思っていたのなら?
「……ふふふ」
なるほどね。
考えれば考えるほど、魔王の言っていることが正しく思えてくる。
それは答えを欲しがっていた私が自分を納得させるためだけの嘘かもしれないし、実は別のところに理由があったりするのかもしれない。
でも、少なくとも今の私には魔王の言葉以上の理由を見出せない。
それに――
「葵にだって負けたくなかったんだね、私」
空いている左手を見つめながら、自虐でもするように呟く。
一度気付いてしまえば、芋づる式に色々と合点がいく。
魔王との決着を望んでいた。
それは確かに間違いじゃないでしょう。
でもそれ以上に――
「葵が一度は勝てた相手に、私が似たような条件で負けるわけにはいかないものね」
どうやら私は、私が想像していたよりもずっと負けず嫌いらしい。
こんな本音にすら気づかず――いや、自分を騙して隠していたなんて。
自分自身に呆れてしまう。
「ありがとう、ダレン。あなたのおかげで、私の本心に気付けたわ」
「お礼を言われるほどではないさ」
別に、あの時に抱いた自分自身ですらわからない感情が枷になっていたわけではない。
現に先の戦いでは、特段パフォーマンスを落とすことなく戦えていたはず。
でも。
一度は蓋をして考えないようにしていた詰まりものがスッキリしただけで、どうしてこんなに晴れやかな気持ちになれるのか。
気持ちと言うのが単純なのか複雑なのか、よくわからないわね。
「シルフちゃん」
「うん?」
「今まで通り、防御だけお願いね」
「……わかった。結愛、信じるよ」
「ええ」
肩に乗るシルフちゃん。
その頼もしい返事は、軽くなった気持ちを力強く後押ししてくれる。
今ならアカさんにだって負けないとさえ思える。
「行くわよ、ダレン」
「ああ。最終決戦だ」
不思議とわかる。
この打ち合いで、魔王との戦いが最後になると。
魔王の言葉がそうさせているのか。
ただ単に雰囲気に酔っているだけか。
いえ、そんなことはどうだっていい。
今抱くべきは魔王に勝つための思考と折れない心。
そして、葵に負けてやるものかという負けず嫌いの精神だけでいい。
「――」
静寂。
神殿の静けさと、衣擦れ一つもない二人。
静止画のような微動だにしない集中で、一切動かない。
風も何も、合図の一つもない神殿で、互いに見えない何かを測る時間だけが過ぎていく。
居合の形で鞘に納めた『無銘』に手をかける私と。
両手を僅かに広げ、少し半身になったまま魔術を構える魔王。
永遠にも思えた静謐は、魔王の放った魔術で打ち破られた。
無数に迫る魔術。
やはり五種しかないそれは、今までよりもずっと鋭く、精密に操作されて迫りくる。
魔力が三割に迫り、もう集中力も切れかかっていたはずなのに、ここへきて最高のパフォーマンスを見せてくれる。
気持ちがあらゆる疲労を吹き飛ばしてくれているのね。
私と同じ――つまり、対等。
迫る魔術には何もせず、シルフちゃんに一つだけお願いをして魔術の到達を待つ。
火と水と雷と岩と風。
五色の魔術が織りなす軌道はとても鮮やかで、実地で見るオーロラはこんな景色なのかなと幻想する。
音速を越え飛来する魔術が着弾。
神殿には傷一つつけられず、しかし直撃したら中心にいた私に致命傷を与えるだけの威力はある。
一斉に、そして連続して着弾したことで爆発。
岩の破片を撒き散らしながら、爆炎が私を中心に巻き上がる。
視界は黒煙に塞がれ、それは風に乗って通路全体を包み込む。
広がった煙は薄く、けれど視認という重要なプロセスを妨害する。
“魔力感知”による把握は可能だから、手段を一つ扱い辛くしただけに過ぎない。
けれど、これで十分。
煙の中を駆け、一気に魔王へと――
「わかっているぞ結愛!」
赤い炎を手のひらに、容赦なく迫る私へ射出する。
炎に照らされ、煙の中を駆けていた私は、躱すことなくその炎に貫かれた。
ボシュッと空気の抜けるような音とともに。
「――!?」
驚く魔王。
その隙を見逃さない。
煙に紛れ、魔王の脇へと陣取っていた私は、『無銘』を逆袈裟で斬り上げる。
殺気か反射か。
ギリギリで躱した魔王は、けれど体勢を崩した。
魔術での反撃、そこから更に躱す可能性。
あらゆる可能性を一瞬で脳裏に浮かべ、追撃に一歩踏み込む。
魔王が取った行動は反撃。
右手に炎、左手に風を纏い、それを私と魔王の間で炸裂させる。
熱風が吹き荒れ、追撃の勢いを削いでくる。
熱さに肌が焼け、眼球や鼻腔が乾いていくのを感じる。
でも関係ない。
振り下ろせば『無銘』は届く。
悲鳴を上げる体に鞭打ち、斬り上げた『無銘』を今度は斬り下ろす。
「――!」
しかし、『無銘』は届かなった。
刃が当たる直前、魔王の姿か掻き消え、『無銘』は誰もいない空を斬った。
鋭い剣圧が煙を引き裂き、先の熱風も相まって視界をクリアにしていく。
その眼前――いや、視界の上に僅かに映るもの。
乾きを訴える眼球だけを動かし認識したそれは、上下が逆さになっている、楽しそうな笑みを浮かべた魔王。
今度は転移で自分自身を転移させてきたのだと理解。
同時に、一番対処の面倒な雷を両手に携えている。
バチバチと音を立てるそれは、放たれれば私の動きを十分の阻害するでしょう。
それこそ、数十秒の隙を晒すくらいには。
わかっている。
単純な移動では回避出来ない。
かと言って、『無銘』では防ぐこともできない。
シルフちゃんは作戦の一環で遠くにいて、やはり雷を防ぐことは難しいはず。
取れる手立てが限られている中、私が導き出した答え。
それは、切っ先が地面スレスレにある『無銘』を九十度回転。
地面に垂直だった刃を水平にし、そのまま体を捻って横に薙ぐ。
魔王は正面の、それも頭上。
地面スレスレの『無銘』を少し上げて横に振るったところで意味はない。
わかっている。
だからやっている。
体の捻りと共に魔王の姿が左端へと消えて行く。
雷のスパーク音は左耳から後方へ。
それをBGMに、全身全霊を以って『無銘』を振るう。
負けず嫌いな私が、“魔力操作”において葵に勝てず、でも何か一つは勝ちたいと思って磨いてきた技術。
応用も効くだろうし、反応速度に優れる私なら葵に勝てると思っていたもの。
それは――
対象に触れずに“転移”させること――!
魔王を私の背後へ転移させる。
この戦いで、私は一度も移動で転移を使わなかった。
空間魔術を使えることは知られていても、実際にそれを使うことはなかった。
だからこそ、虚をつくには十分すぎる一手。
煙の中を駆けたダミー。
それを囮に虚を突いた一撃を見舞った本体。
その更に先にある本命こそ、この一刀。
二重囮に加え、初めて見せる攻撃。
『無銘』が、魔王の背を斬り裂いた。
致命傷にはなり得ない。
それでも浅くはない傷からは鮮血が舞い、白い神殿に飛び散る。
そのまま倒れ込むかと思った魔王は、即座に振り向いて反撃に蓄えていた雷を撃ち放ってくる。
しかしそれは、圧倒的なまでの暴風によって明後日の方向へと飛ばされた。
雷があらぬ方向へと奔っていくのを見た魔王は、晴れやかな笑顔で膝をついた。
「私たちの勝ちね」
「そうだな。まんまとしてやられた。転移を忘れていたつもりはないんだけどな」
「その前でもずっと騙し続けていたから。あなたの興味をそっちに移して少しでも意識を逸らすためにね」
「なるほど、本当にまんまとやられたわけか」
煙の中を疾走した私は、シルフちゃんが私の魔力そっくりに作った風。
その風を私が走るかのように操ることだけに集中してもらっていたから、最後は離れた位置にいたわけね。
そもそもシルフちゃんなら五種の魔術を全て無力化できるのだけれど、敢えてそれをしないで貰った。
全ては、転移の一手に繋げるためのブラフとして利用するために。
「また、倒したい相手が増えちまったな」
「勘弁してほしいわ。こんな疲れる戦い、大戦以外でしたくないもの」
「ふっ。結愛も葵も、帰るまで粘着してやる」
魔王の発言に、心の底から嫌そうな顔をして抵抗する。
それでも、その位で済ませてもらえるのならまだマシなのかもしれない――なんて思うあたり、やはり私も戦闘狂の気があったりするのかな。
「じゃあ、私たちは行くわ」
「ああ。どうかお婆ちゃんをよろしくな」
「お婆ちゃん?」
「結愛たちには宰相って言った方が分かりやすいか。ボクを洗脳した張本人さ」
かなり重要な要素が魔王の口から飛び出した。
推測はしていたけれど、それがほぼ確定したのはかなり大きい。
まだ見ぬ伏兵がいる可能性が激減したのだから。
それなのに、当の本人はあっけらかんとしている。
「結愛。お婆ちゃんはずっと何かに囚われてる。だからお願い」
不思議と、魔王が年相応の子供に見えた。
おもちゃを強請る子供のようで、親を案じる優しい子供のようで――
「葵と一緒に、解き放ってあげて」
そう、お願いしてきた。