第十四話 【vs序列一位・魔王 前編】
前回の大戦で魔王に勝利できたのは、魔王に勝つつもりがなく、且つラティーフさんとアヌベラさん、そして日菜ちゃんと二宮くんの援護があったからだと葵は言っていた。
流石に過大評価だと思っていたけれど、こうして対峙して見てわかった。
私よりも若いだろうから当然だけれど、他の魔人と比較しても小柄な体躯に幼い顔立ち。
子供と言っても差し支えない外見に反した圧倒的な存在感と莫大な魔力量。
そして、それに伴う卓越した“魔力操作”技術に放出量。
戦闘開始からたったの一分で、魔王という存在の強大さを測れた。
まるで底が見えないという絶望的な事実と共に。
「ふー……」
大きく距離を取り、深呼吸を挟む。
葵から借りた『無銘』と言う名の刀。
正眼に構え、切っ先の向こうでこちらを見据える魔王を捉える。
顔には微笑。
期待と歓喜が見て取れる。
魔人は全員戦闘狂とは、葵の言だったっけ。
背後には、後光のように展開された環状の魔術群。
基本属性の全てが合計で百以上が魔王の命令を待っている。
私を殺せという、単純明快な命令を。
幸いと言うべきか、魔術の分野において全てで劣っていてもまだ対抗できている。
『無銘』がとても扱いやすく、斬れば魔術を霧散させられるからこそかもしれないけれど。
これでまだ本気を出していないだけ、なんて言われたら絶望だ。
「強いね。流石は葵が寄越した人間だ。結愛って呼んでもいいかな?」
「葵? 葵なら竜人との戦いで死んだわ。知らないの?」
「葵が竜人と戦ったくらいで死ぬわけがないだろう? そんなこともわからないのか?」
時間稼ぎがてらの休憩。
ついでに軽く煽ってみたけれど、思いの外鋭い煽りで返された。
だが煽り返されたことよりも――
「葵のことなら私よりも知っている、とでも言いたげね」
「事実じゃないか? だって板垣結愛。君は葵のことを忘れてしまったのだろう?」
「それとこれとは話が違うし、私が葵のことを忘れている間の葵のことは全て継承しているわ。私の方が、あなたよりも葵のことを知っている」
葵から受け取った記憶のおかげで葵を思い出した、共和国でのあの日。
過去の私がこの世界で生きた私の記憶を塗りつぶすのではなく、生きた記憶をそのまま過去の記憶に連なる形で受け継がれた。
多重人格がテーマの作品だとどちらが本当の自分なのかと悩むことが多いけれど、大切な人の記憶の有無以外に大した差もなく過ごせていたため、頭を悩ませる必要はなかった。
たった一度の戦闘で会話すらまともにできていないのに葵のことをよく知っていると豪語する魔王の言葉に、一切怯むことなく反論できる。
それに――
「それに、葵はあなたが思っているよりもずっと嫉妬深いわ。あなたが私のことを名前で呼んでいたら、まず間違いなく戦いよりも先にその言及から入るでしょうね」
「……なるほど。葵の理解度では君が何歩か先を行っているわけか」
「面白い冗談ね。天と地ほどの差があるわよ」
私に負けていることを認めたかと思えば、まだ自分を過大評価しているらしい。
あるいは私を過小評価しているとも考えられるけれど、それはそれとして譲れない。
はっきりと、私と魔王の間には差があるのだと明言しておく。
「君も相当に負けず嫌いらしい。……いや、単にそこに関しては譲れないだけか。益々君に興味が湧いてきたよ、結愛」
「いいの? 私のことを名前で呼んで」
「葵の新たな一面を見れるいい機会だと考えることにするよ」
冗談半分に脅しをかけてみたけど、大した効果は得られなかった。
それどころか、とてもポジティブな思考で話を進めてくる。
私もポジティブな自信はあったのだけど、魔王の思考はそれ以上のようね。
「尤も、結愛が葵の到着まで持たせられるかは別だけどね」
「……気づいたのね」
「この隔離された城をよく観察すればわかるさ。葵の受け持つ担当は些か多いんじゃないか?」
本当によく見ている。
いや、この場合は感知していると言った方が正しいかな。
私たちがいる大神殿は魔王が“隔離”と言ったように、全ての部屋は大神殿の壁で隔てられている。
魔力によって構築された物理にも魔術にも強い強固な壁のおかげで、それぞれが自分たちが相手する魔人だけと集中して戦えるようにと考えられてこうなった。
当然これらは分厚く、ただの“魔力感知”で見通せるほど薄くはない。
まして、万が一に破られた場合を想定し、大神殿は広大な広さを誇る。
直径にして一キロはくだらない広さの全てを見通し理解する――なるほど。
もう何度目かはわからないけど、魔王に対する意識をより引き締める。
「葵には因縁が多く残ってるんだから仕方ないわ。これでも減らした方よ。それに――」
大神殿の把握をこの一瞬で行ったのだとしたら、単純に恐ろしいほどの技術。
もし私との一分程度の戦いの間で片手間に察知していたとしても、それは同じ。
今更、油断の「ゆ」の字もくれてやるつもりはない。
それはそれとして――
「――葵なら何も問題はないわ。必ず全て片付けて、この大戦を望んだとおりに終わらせるもの」
「随分と葵を信頼――って、当然か」
「ええ」
私の煽りにも満たない素っ気ない返しに、魔王は「だよな」とでも言いたげに肩を竦める。
ついさっき行った葵に関するマウント合戦。
その時には何となくわかっていたけれど、魔王もどうやら葵のことを相当高く評価しているらしい。
嬉しいようで何とも複雑ね。
「さて。お喋りついでの休息はこんなものでいいか?」
「わざわざ付き合ってくれてありがとう」
「構わないさ。強者との語らいはどんな話題であれ楽しいものだ」
「なら、もう少し付き合ってくれてもいいんじゃない?」
「それも楽しそうだが遠慮しておくよ。結愛とは会話よりも戦いを優先したいからね。それに、時間稼ぎとしては十分な時間を与えたと思うけど?」
「……本当、魔王様が優しくて涙が出そうよ」
こっちの思惑が全てバレている。
まるで心を覗かれているような――いやまさか。
葵じゃあるまいし。
……でも、頭の片隅には置いておくべきね。
魔王がただひたすらに魔術を極めただけの存在だとは思えないもの。
「今度はボクから行くぞ」
宣言と同時、後光のように展開していた魔術が一斉に射出される。
真っ直ぐ最高速で貫こうとしてくるものも、弧を描くように回り込んで狙うものも、直角に曲がる蛇のように動くものも。
望んでいた命令を受けた五種の魔術がまるで生きているかのように迫りくる。
真っ直ぐ飛ばすのは魔術の基本として、曲線を描いたり直線の途中で曲げたり。
どれか一つならできる人を見たことはあるし、それなら私もやろうと思えばできる。
けど何十――下手すれば何百に届こうかと言う数を並行して操るなんて、その技術の高さはやはりずば抜けている。
感心も程々に、即座に意識を切り替える。
『無銘』に魔力を通し魔力喰を発揮。
数を、威力を、方向を。
厭らしく私を攻め立てる魔術たちを真っ向から斬り捨てる。
炎を裂き、水を割り、雷を避け、岩を砕き、風に乗る。
会話の前の戦闘――その一分ほどで得た理解を最大限活用し立ち回る。
生み出された端から順次――なんなら同時に放たれる魔術。
動体視力と反応速度は素の状態でもかなり高く、“恩寵”と“身体強化”によって引き上げられているにも関わらず対処はギリギリ。
一瞬でも気を緩めてしまえば、私の体は容赦なくハチの巣状態になるでしょう。
けど、それは同時に気を緩めさえしなければ対等に戦えるということ。
要するにこの戦いは、私の体力と集中力か魔王の魔力と集中力のどちらがより長く続くかと言う勝負。
葵に託されたもの。
それらを確実に果たすために、根比べで負けてなんていられない。
無駄が削がれていき、なのに五感は鋭く。
その変化を確かに感じ取りながら、私は『無銘』を振るい続ける。
私が異世界に来る前に会得していた刀術と体術。
どうしてあの地球でこんな実践的な武術を身に付けたのか、と常々疑問に思っていたけど、今だけはその疑問を抱かせてくれた師範に感謝しかない。
おかげで、こんな魔王と渡り合えている。
ニィと、魔王の笑みが深まった気がした。
魔王からの攻勢が始まってから一分か、もしくはもう少し。
それくらい経ってから見せたその笑みは私の直感を刺激する。
悪い方の直感を。
その正しさを証明するように魔術の密度が増した。
底が見えないとは思っていた。
魔王が強いことなんてわかりきっていた。
これが本気でないなんて、思いたくなかった。
「――ッ!」
弱気も弱音も今は必要ない。
相手がギアを上げてきたのなら対応するしかない。
今でギリギリだったのにそんなことができるのか?
そんな当たり前の疑問を抱く私を黙らせて、より頭を、体を酷使する。
密度が――数が多くなっただけではない。
一つ一つの魔術の精度や速度も僅かにだけど向上している。
対応しようにも私のキャパを越えている。
全力を――体の、心の奥底から実力の全てを引き出しているのにまだ足りない。
一瞬で瓦解しないのは単純に運がいいからで。
じわじわと追い詰められているのがわかる。
わかっているのだけれどどうしようもない。
まだ手はある。
あるのだけど――
『プライドを優先して大事な人を悲しませることが、あなたの本望なの?』
虚空に響くような声。
頭に直接語り掛けると言った方が分かりやすいかな。
そんな声が、私の思考を読んだかのように諭してくる。
全く以ってその通り。
自分のプライドなんて、大事な人が悲しむことに比べたらチャチなこと。
だったら、私が行うべき選択は一つだけ。
「お願い、シルフちゃん」
「任せて」
頼もしい声と共に吹き荒れる突風。
私の元に迫っていた魔術は嵐のような風に当てられて散り散りになっていく。
それを成した存在は私の眼前でふよふよと宙に浮いている。
新緑を真っ先に想像するそれは、私に背を向け魔王を確かに見つめている。
「精霊か……なるほど。厄介だな?」
そういう割に魔王の表情は変わらない。
口角の上がったとても楽しそうな笑みだけを浮かべている。
シルフちゃんと言う、魔術で戦うには無謀が過ぎる相手が出てきてもなお変わらないその笑み。
それは余裕から来るものか、もしくは魔人に多い戦闘狂の血がそうさせているのか。
「魔王はいつの時代でも変わらないのね」
「過去の魔王を知っているのか?」
「ええ。あなたと似たような戦いに飢えた人だったよ。あなたと違って、あれは戦いを手段に恨みを晴らそうとしているだけだったようだけど」
「なるほど。戦いそのものが目的の俺とは違うわけか」
シルフちゃんはその昔、初代勇者と契約をしていたらしい。
その時代のことをあまり詳しく話したがらないので、その過去話は私も初めて聞く。
「じゃあ、その時代の魔王よりも楽しませてみせよう」
「そ。期待してるよ」
言葉と声音がまるで真逆。
期待の欠片もない、まるで興味のないようなそれ。
そんな素っ気ない態度を取られても、魔王の笑みは崩れない。
「行くぞ」
静かに、けど存在感を放って言うと同時、踏み込み吶喊してくる。
いつの間にか生成していた岩の剣を右手に、背後に数十の魔術を広げながら。
魔術だけの存在ではないと直感し、想像以上の速度で迫る魔王と意味通り鎬を削る。
小さな体躯からは想像もできないほどの力が『無銘』を通して伝わってくる。
速度が乗っているだけでは説明できないパワー。
流石に速度の乗った力に剣は耐えきれず、たったの一撃でひびが入った。
その隙を突こうとした私へ迫る魔術の応酬。
私一人では相当厳しくなっていた盤面。
けれど、今の私には頼れる仲間がいる。
剣を私が、魔術をシルフちゃんが。
適材適所で対処する。
私が一人で捌いていた時よりも数が減った魔術を、シルフちゃんは自身と同じ風だけを操り得手不得手などないかのように一切合切を打ち払う。
魔王と鍔迫り合いをしているから直接その雄姿を見れないけれど、そのおかげで私が無傷でいられている。
シルフちゃんに感謝しつつ、目の前の魔王へと向き直る。
私よりも頭半分ほど低い位置にある頭。
こちらを見上げるその顔は幼く、しかし表情は子供っぽさのない獰猛な笑み。
この戦いを心の底から楽しんでいるのがわかる。
私一人を相手にしていた時とはまるで違う戦い方。
だと言うのに、まるで想定していたかのような違和感のなさ。
魔人の王を名乗るのだから、魔術だけでなく体術などの近接も得手であることくらい想像に難くない。
でも、ここまでとは思っていなかった。
ゲームのようなステータスで表すのなら、魔術が十でカンスト。
近接が七~八くらいだと考えていた。
ただ現状、一分足らずの打ち合いで最低でも九はあると理解させられた。
そう、これは最低値の話。
もしここから調整してくるのなら……想像もしたくない。
「っ――いくら壊してもなくならないのはっ、腹立つわね」
魔王の剣は魔術で生み出したもの。
そこらの剣よりは頑丈なのだろうけれど、『無銘』という一級品と打ち合えば差は歴然。
現に、岩の剣は二度も砕いている。
けれど、砕いても砕いても次の瞬間にはまた同じものが手に握られている。
魔王の魔力が尽きない限り、岩の剣は永遠に生み出されることになる。
それでも、魔術の対処をシルフちゃんに任せているおかげで魔王と一騎打ちができている。
魔王の実力の高さには驚いたけれど、分担したおかげでまだ余裕をもって戦える。
経験の差、積み重ねてきた年月の力。
継続は力なりを体現し、魔王の剣を見切っては砕いて虎視眈々と本体を狙う。
壊しても永久的に生み出される剣に執着することは、小さな目で見れば大した影響はない。
けれど、魔力と言う絶対値がある以上は無限ではない。
それはいかに膨大な魔力を持つ魔王でさえも例外ではなく、使い続ければいずれ尽きる。
シルフちゃんが防ぐ魔術と合わせれば、例え小さな消費でも時間をかければ大きくなっていく。
短期決戦が一番望ましいけれど、それができなかった場合の保険として考えれば十分お釣りがくる。
「長引かせて魔力切れを狙うのは、常套手段だよね」
ボソっと小さく呟く魔王。
私の――私たちの作戦を見破っていると精神攻撃を仕掛けにきたわけではなさそうな呟き。
まるで、自らの術中に嵌った得物を見下ろす捕食者側のセリフのような――いえ、考えすぎね。
こちらの動揺を誘うブラフであると判断し『無銘』を振るう。
岩の剣を砕き、一振りごとに動きを最適化。
魔王の動きに合わせた戦い方へと変えていき、じわじわと切っ先が魔王を捉え始める。
最初は岩の剣、そして黒一色の衣服、そしてその下の魔人特有の浅黒い素肌。
極限の集中力を以って、魔王を徐々に追い詰めていく。
生成された直後の剣を弾き、返す刀で上段から斬り伏せる。
サイドステップで躱され、けど即座に距離を詰めて斬り上げる。
服の端を捉え、下にある素肌がほんの僅かに晒された。
反撃に転じた魔王が生成と同時に剣を振るうけれど、それを『無銘』の腹で受け流して追撃。
盾のように展開した岩を破壊するに留まったけれど、一瞬生まれた隙を突いて魔王の背後へ回り込む。
移動の速度を乗せた『無銘』を真横に薙ぐ。
「ハハッ! 良い動きだな、結愛!」
私の行動がわかっていたのか、それとも人間離れした反応速度で躱したのか。
上へと跳びあがった魔王へ更なる追撃。
踏み込み跳躍し、直線ではなく壁と天井を使って三次元的に迫る。
再度、速度を乗せた一撃を叩き込む。
確かに魔王を捉えたと思った刃は、ぬるんとよく知る感触と共に受け流された。
想像内だが想定外。
力を全て乗せた攻撃が受け流されたことで体勢を崩しそうになったが、経験でどうにか持ち直す。
持ち直し着地後、自分の手を開閉し何かを確認するような魔王を見据える。
「結愛、気付いた?」
「ごめんなさい、シルフちゃん。魔王に私と同じ受け流しの技術を使われて、それどころじゃないの」
「……そう、結愛もなのね」
いつの間にか近くに来ていたシルフちゃんにそう尋ねられたけれど、何のことかわからない。
それよりも、今の魔王が行った受け流しが衝撃的過ぎて、それが頭から抜けてくれない。
だから素直に謝ったのだけれど――
「私も?」
「そう。恐らくだけど、魔王は私たちから技術なんかを吸収してる。この戦いの中で、“魔力操作”の練度がどんどんと向上していったの。それも私の――精霊の“魔力操作”に寄った形で」
「技術の模倣……だとすれば、時間をかければかけるほど不利になるのは私たちってことになるわね」
さっきまでは、魔力と言う絶対を枯らすために遅滞戦闘は有効だと思っていた。
けれど、魔王が時間経過とともに私たちでも追いつけない速度で成長すれば、それは悪手に他ならない。
やはり短期決戦が最適解だったってことね。
思えば、魔王の服の端を斬り、その下の皮膚を浅くとはいえ一度斬ってからと言うもの、それ以降は衣服を斬るのが限界になっていた。
その時点で技術の模倣は行われ、自らの肉体と思考へと反映させていたのでしょうね。
「お婆ちゃん……宰相がさ、ボクに与えた最大の才能は“学習”だって言ってたんだ。実際ボクが魔王として選ばれた時は、ユリエルもカスバードもメリルもボクより強かった」
既に手の開閉を止め、戦場のど真ん中で大きく伸びをする魔王は、懐かしむように自らの過去を話してくれる。
それのどこまでが真実なのか――いえ、きっと全て真実なのでしょうね。
ここで嘘を吐くメリットはないし、私たちの会話が聞こえていたのなら答え合わせとして敢えて話してくれている可能性が高い。
私たちを舐めているのではなく、より強者と戦うために自らの手の内を開示する――そう考えれば、この行動にも納得がいく。
「でも一年くらいすればボクは彼らよりも強くなれた。他の魔人よりも、ボクはずっと実力の伸びが大きかったんだ。だからボクみたいな子供でも、みんな魔王として認めてくれたんだ」
学習と言う才能は、努力する才能と同じくらいの重要度を誇ると私は思っている。
与えられた才能と言っていたのが引っ掛かるけれど、魔王よりも年上だろう魔人たちを一年程度で追い抜ける才能ともなれば破格。
少なくとも、小手先でどうこうなるものじゃない。
「できればこの状態でラティーフやアヌベラ、葵とも戦いたかったんだけど……ま、仕方ないよね。結愛、あとシルフだよね? 二人でも相手に不足はないし――楽しませてね?」
刹那。
魔王の姿は消え、“魔力感知”が眼下――足元に現れた魔力を捉える。
それが何なのかなんて考えずともわかる。
思考よりも早く体が動き、突き上げられた拳を交わした。
空を切る拳。
それを耳で捉え、大きく素早く跳び退く。
「避けるんだ、凄いね。躱すなら剣でも良かったかな」
煽るわけでもなく純粋に感心したようなセリフ。
言うなり岩の剣を生成した。
さっきまでのものとは明らかに違う剣。
見た目そのものに大きな変化はないのに、質が違うとわかる見た目をしている。
本気を出してきた――いいえ、違うわね。
“学習”に区切りをつけ、実践に移そうとしている。
どこにどれだけのリソースを割くかの違いでしかなく、“学習”に割いていたそれを戦闘へと還元しているだけの話。
グッと沈み込み、魔王の姿が再び消える。
同じ手は食わないと魔王が取ってくるだろう行動を予測し『無銘』を振るう。
予測通りの位置へ現れた魔王は『無銘』を剣の腹で受け止めた。
今までなら壊れるか、ひびが入るなどしていた岩の剣。
しかし今はびくともせず、『無銘』と鎬を削るだけの耐久力を獲得している。
更にそこへ、もう何度も見た後光のように展開された魔術群。
この状況下で魔術まで放つ余裕があるらしい魔王は、楽しそうな笑みを変えずにそれらを容赦なく打ち放つ。
私一人ではとても対処できない攻撃。
でも今の私にはシルフちゃんがいる。
私の動きに合わせてくれていたシルフちゃんが背中側から飛び出して肩へ。
迫りくる五種の魔術を全て対処してくれた。
けれど即座に二射目が来る。
同時、剣に込められた力が増し、踏ん張っているのに押し込まれる。
拮抗していた力が崩れそうになったのを確認し、私は力を抜いて半身に。
手押し相撲で押した側が引かれて前に倒れるように、魔王の力の強さを利用する。
「それは受け流しの応用だろう?」
「ッ――!」
私がそうするとわかっていたかのように、魔王は体勢を崩すことなく流れるように追撃してくる。
持ち前の反応速度で何とか躱し、反撃に蹴りを打ち込む。
腹部へヒットし、僅かに距離が開く。
猛攻を仕掛けてきた魔王に対し、まだ完全には追いつけていない私たち。
一瞬でもいいから一息つくには持ってこいなタイミング。
それを理解しているかのように、魔王は強引に空いた距離を詰めてくる。
一息付けず、しかしだからと言って易々とやられてやるつもりもない。
振り下ろされる剣を受け流し、斬り上げる剣を躱し、突いてくる切っ先を弾く。
その合間に『無銘』を、蹴りを、拳を繰り出すも、先の一撃が正しく効いているのか当たらない。
中途半端なダメージで耐性をつけさせてしまったのは愚策だったと理解しつつ、常時更新される目の前の状況に必死に追い縋る。
私の肩に乗るシルフちゃんは、私が魔王との剣戟を繰り返している間もずっと魔術の対処をしてくれている。
私とは違い、技術をトレースされてなお不利にはなっていない。
放たれる魔術の全てを『無銘』の間合いの外で対処しきっている。
――いや、違う。
シルフちゃんも確実に技術を盗まれた影響が出ている。
さっきまでは対処の合間に反撃の風を撃っていたのに、今はそれを撃てていない。
確実に、魔王の“学習”が私たちを追い詰めている。
「ぐっ――!」
シルフちゃんの状況を確認したその一瞬。
油断したつもりも、隙を晒したつもりもなかったのに、魔王はそこを突いてきた。
『無銘』を大きく弾き飛ばされ、素手になったところに上下左右からの剣戟。
素手でも剣の対処くらいならできる。
ただしそれは、私と相手が同等以下のレベルだった場合の話。
格上の魔王相手には十秒と持たず、私の体――頬の当たりから鮮血が舞う。
その瞬間を突いて、私は魔王へ反撃の拳を見舞う。
攻撃を喰らった瞬間と言う反撃に適した、けれどこの戦いでまだ見せていない――つまり私からは“学習”されていない隙。
発勁の要領で、穿った拳の威力を内側で炸裂させる技。
“心為流”で“爆拳”と呼ばれる拳。
それは確かに魔王にも効いたようで動きが止まった。
その間に距離を取り、改めて一息挟む。
ジクジクと痛む頬の傷は、初級の治癒で治せるだろう。
大丈夫、まだ立て直せる。
まだ――
「ッ――なんでッ」
ちゃんとクリティカルヒットさせた拳。
それも相当な威力を持つそれを喰らってなお、魔王は跳び出し迫ってきた。
思わず口をついて出た「なんで」に返事はない。
もう魔王の意識は戦いの高揚のその先へと行っている。
私とシルフちゃんを捉える目は、私たちを見ているようでここではないどこかを見ている。
私たちを倒した先にいるだろう葵か、もしくはもっと別の何かか。
どちらにせよ、戦闘狂と呼ばれるに値するだけの狂気を感じる。
『無銘』を弾かれ素手のまま、やはり剣による猛攻を凌がざるを得ない。
剣を受け止めることができなくなり、躱すだけでは限度があるし、受け流すにも生まれたリーチ差やミスれば切断されると言う恐怖が心を縛り付ける。
だったらもう仕方ない。
私が身につける白を基調とした衣服の防御力を最大限に活用し、耐えてくれることを祈る一か八かの守りに移る。
『無銘』で行っていた剣を受け止めると言う行為を衣服に託し、以って『無銘』の代用とする。
位置も把握できている『無銘』を取りに行くには時間も隙も無いし、こうせざるを得ない。
最悪腕が斬られたとしても、葵が持っている王女様謹製スクロールがあればどうにかなる。
半ばヤケ気味の思考でそう判断し、痛みを覚悟で受け止めた剣。
「! いい素材を使ってるな、その服」
受け止めた剣は重く、斬られたのではなく殴られたかのような感覚が受け止めた腕に残る。
でも、切断はされなかった。
皮に沈み込むような形で鋭い剣をしっかりと受け止めてくれた。
魔王が思わず称賛するくらいには確かな防御。
想像以上の防御力と、これを用意してくれた葵に感謝しつつ対処を――
そう考えた私の思考を読んだかのように、魔王は剣の形状をレイピアへと変えた。
切断が無理なら刺突。
そう考えるのは当たり前だとわかるけど、その判断はあまりにも早い。
防がれてから五秒と経っていないのに最適解の結論を下したその頭脳は戦闘狂ゆえのものなのか。
どちらにせよ、斬るから突きへ変わったことで攻撃が線から点へと変化した。
攻撃を受ければ切断とは違いただでは済まないかもしれないが、躱すだけなら切断よりも容易になる。
そう判断した私は、即座にその考えを捨てることになった。
点だから避けやすいは、面積の話をすれば確かにその通りかもしれない。
けど、点が何処を狙うのか、どう動くのか。
それが線よりも圧倒的に読みづらい。
私の眼でどうにかというレベルだ。
いつ体に穴が開くかもわからない恐怖は、徐々に私の集中力を奪っていく。
これまでもずっと集中してきた。
もう時間も相当経っている。
まだ動く体、徐々に精彩を欠いていく思考、そして散漫になっていく意識。
手癖と意地で体を動かし、まだ機能する眼を酷使して喰らいつく。
葵に託されたこの役目を果たすために。
葵のことを忘れてしまった私を許してくれた葵の為に。
そして、右も左もわからない私を助けてくれた、フレッドやアヤたちの為に。
「ッぁ――」
頬を、鋭い剣先が裂いた。
さっき傷を受けた場所に程近い左の頬。
躱しきれずに受けたそれは表皮を裂いただけで、頬に穴が開くなどの大した傷にはならずに済んだ。
でもその痛みは、集中が切れかかっていた私にはあまりに大きすぎる一瞬となった。
いつの間にか引き絞っていた魔王の剣先が、私を捉えているのがわかる。
魔王軍は私たちを殺す気はないと葵は言っていたけれど、私は直感する。
私は、このまま殺されるのだと。
あの岩で作られたレイピアに心臓か頭蓋を貫かれ、命を落とすのだと。
なぜかそう理解できるほどの長い時間の中で、走馬灯のように思い出したのはこの世界に来て初めて魔物と戦った時のこと。
あの時は走馬灯のようなものが脳裏を過っていたのに、今はそれがない。
走馬灯は一度きりなのか、なんて戦場には似つかわしくない考えが浮かんだ。
もう死ぬから、そのことを考えないようにしているのかもしれない。
引き絞られた剣先が動き出す。
スローの世界でも確かにわかるくらいはっきりと動き出したそれは、きっと音速なんて軽く超えているはず。
最高潮の私なら躱せたかもしれないけれど、疲労も蓄積した今の私では躱せない。
どちらにせよ、私はもう死ぬ。
せめて。
私を忘れず、諦めないでいてくれた葵に感謝と、謝罪を――
――その必要はないわね。
気付けば、私は口元を緩めていた。
目聡くそれを見眇めた魔王。
でも、関係ない。
だって――
魔王の剣は斬り落とされ、そして次の瞬間には吹き飛んでいた。
小柄な体躯は見た目に反して重たいはずなのに、そんなことを微塵も感じさせないほどに簡単に。
それを成した人間は、吹き飛んだ魔王を確かに見届けてから向き直る。
人生で何度助けられたかわからない人間。
私の大事な家族で、そして昔から変わらないたった一人の最愛の人。
「悪い結愛。待たせた」
『無銘』を握り、謝意を含んだ笑みを浮かべた葵が、そこに立っていた。