第十三話 【vs序列二位・技神】
生まれてから今日ここに至るまでの間。
私は私と同じ分野において、良い戦いと言うものを二回しか経験できずにいた。
一つは、前回の大戦で見込みがあると判断し勧誘したドミニク。
私が勧誘するより前に魔王軍との繋がりがあったとかないとか聞かされたが、ともかくドミニクは良かった。
私と比肩しても劣らないどころかむしろ勝る身体能力に、戦闘時の頭の回転の速さ。
培われた武骨な戦闘スタイルは、武術とは違う素朴さでありながら実用的だった。
こちらに来てから何度か手合わせしたが、あれはいい鍛錬になった。
でも、彼は仲間になってしまった。
だから全力で――それこそ、命を奪い合うような戦いは出来なくなってしまったのが悲しい。
そしてもう一つ。
それは、かつて大森林に戦力補強のための二重の囮として出向いた時に相対した、幼い見た目の少女――ソウファだ。
外見からはおよそ強さなど感じられないソウファは、私の戦いに辛うじてでもついてきた。
元が“銀狼”という魔物だと聞いたときは素直に納得できたものだ。
戦闘経験の少なさを補う武術に、元からの身体能力の高さとそれを飛躍的に向上させる“身体強化”に“獣化の秘術”。
それらを組み合わせたソウファは、停滞気味だった私に新たな昂ぶりを感じさせてくれた。
ドミニクとは、もう全力では戦えない。
けどソウファは違う。
魔人の強者と戦いたいと言う本能を満たせずにいた飢えた私の渇望。
それを今度こそ満たしてくれると思って、あの時は見逃した。
そして今。
私の前に現れてくれたソウファは、あの時の予想通り――いや、それ以上の成長を遂げて私の前に現れてくれた。
それは一目見ただけでわかる。
自信に満ちた瞳と態度。
強くなったという自負がなければ、それは表に出てこない。
今までも見込みありと思って発破をかけた人たちは何人かいた。
でもその全員がのし上がっては来れず、私を一人孤独へと導いていた。
それも今日、今この瞬間に終わりを迎える。
こんな幸せを得られたのなら死んだってかまわないと、本気でそう思う。
だからソウファ。
楽しませてくれ。
私の生涯の飢えを。
望み続けた欲望を。
私が抱くその全てを。
満たしてくれると信じているよ。
* * * * * * * * * *
開戦の合図はなかった。
お互いがタイミングを見計らい、そして同時に殴り合うことで始まった。
昼間でも薄暗い魔人さんたちが暮らす大陸でも目立つ黒づくめの長袖の服を着たユリエルさん。
袖の先から見える浅黒い肌を奔る赫い線――“獣化の秘術”。
肉体強度が人間よりも圧倒的に高い獣人さんのみが使える“身体強化”の一つ。
獣人さんではないのにその技術を扱えるユリエルさんは、魔人さんの中でも一つ――そして私よりもずっと格上の存在なんだと思う。
主様も、「人間より高い強度の肉体を持つ魔人なら使えてもおかしくはないけど、他に使ってる人がいない辺り頭一つ抜けている」と言っていたし、こうして拳を打ち合って確信できた。
「いい拳だ。自身に返る反動を“銀狼”の毛皮で軽減しているわけか」
「そうだけど、それだけじゃないよ!」
同じく、赫く線の奔る私の拳。
全身に張り巡らせたそれを行使し、主様から習った水平蹴りを見舞う。
それは腕で止められ、反撃に足を掴まれ空中へと放り投げられる。
広場の周りを囲う木々。
それらを倍の、更に倍にしたくらいの高さ。
空中をぐるぐると回転して舞う私の耳に、トラウマじみた記憶を想起させる爆音と接近する魔力を捉える。
ユリエルさんが空気を蹴って上昇してきている音だ。
腕を振るって体の向きを整え、下から追撃を仕掛けに来たユリエルさんを迎撃する構えを取る。
かつては運だけで回避できた。
でも、次も同じことができるとは限らないから、空中での戦い方を学んだ。
ユリエルさんや主様のような、空中でも地上と変わらず戦える術を身に付けられれば良かったんだけど……。
それができなかった私にできるのは、せめて一方的に殴られないような戦い方を身に着けること。
たったそれだけで、戦況は大きく変えられる。
回転の勢いを殺した反動で上昇の勢いも失速し落下へと移る。
同時、ユリエルさんが追いつき、容赦のない攻撃を繰り出してきた。
落下していることと、踏ん張りが利かないこと以外は地上にいる時と変わらない。
腕を、拳を、脚を。
生まれながらに授かった身体能力と、それらを向上させる“身体強化”に“獣化の秘術”。
私に使える全てを最大に使って、空中を地上のように動き回るユリエルさんに食らいつく。
「いい判断だ。“身体強化”や“獣化の秘術”にも磨きがかかっている。やはりソウファ、君は素晴らしい」
何十、何百と、短い時間で拳を叩き込んでくるユリエルさん。
褒めてくれた言葉に反応したいけど、それをしている暇がない。
空中での姿勢制御と容赦なく繰り出される拳を受け流すのに精一杯。
殴り合いのおかげで落下の速度は横や上へ動く力によって高まりきらず、着地の衝撃は想像よりも少なく済んだ。
けど、着地してもユリエルさんの猛攻は止まらない。
それどころか、もっと速く、鋭く、強くなった。
地上で動きやすくなるのは私だけじゃない。
拳を避け、追撃の蹴りを受け流し、反撃に出ようと踏み込んだ足を抑えられ掴まれて、回避不能の拳を受ける。
人の肌より打撃に強い“銀狼”化を行った手のひらで受け止めて衝撃を抑えても、ジンジンと響くような痛みが残る。
そこへ容赦なく迫る追撃にまたも回避と受け流しを強要され、思うように行動をさせてもらえない。
常に後手に回らされている。
実力で劣っているから先手を取りたいのに、その隙も与えてくれない。
圧倒的強者。
わかっていたし、その上で対等に戦えるだけの鍛錬を積んできたつもりだった。
でも、まだ足りない。
それを事実として理解する。
理解した上でどうするか。
それが、今の私が考えるべきこと。
幸い、ユリエルさんの攻撃を捌きながらでも考えるだけの余裕は出来始めた。
ユリエルさんの一挙手一投足を見逃さないよう凝視し、些細な動きから相手の動きを悟る結愛お姉ちゃんから教わった技術に。
相手の動きの規則性や癖を見抜く主様の技法と、アカさんから学んだ部分的に元の体に戻る術。
その他、私がこれまでの十年足らずの人生で得てきた全てを総動員してきたおかげで、前よりもずっと楽に戦える。
けど、それはつまり勝てるということではない。
まだ負けないができるだけ。
ここから一つか二つか、それ以上の何かを加えなければ勝つことはできない。
「――勝ちたい」
私の本心。
それをするためにどうするか。
頭を使うのは、ずっと主様たちに任せていた。
私は考えるのが苦手で、それよりも体を動かしている方が好きで得意だったから。
でも、それだけではダメだと、ユリエルさんに教わった。
ただ体を動かすだけ、ただ必死に腕を脚を振り回すのではダメだと、敗北し学んだ。
あれから、少しは考えるようにした。
だからと言って、すぐに主様と同じようにできるわけではないけど、それでも過去の私よりはできるようになったのは間違いない。
だから考えよう。
ユリエルさんに勝つために私がやるべきことを、この猛攻を凌ぎながら――!
「……いい瞳だ。まるで勝利を諦めない不屈の瞳」
嬉しそうで楽しそうで。
でもどこか寂しそうに呟いたユリエルさん。
その意図はわからないけど、一つギアが上がったのは感じ取れた。
私の頭上から降り注ぐ形で襲ってくる拳。
振りやすい軌道で穿てば脇腹を直撃する蹴り。
ただでさえ、上から下という力の乗せやすい――私からすれば力の乗せにくい、埋められない体格差。
力、技術、身長、体重、経験。
全てで上回られている私が、ユリエルさんに勝つためにできること――
「――がッう」
受け流しきれなかった拳が、私の腹部を捉えた。
寸前に手のひら一枚のガードを挟めたけど、毛皮による防御までは間に合わず吹っ飛ばされた。
木の幹に衝突して止まるけど、尋常ではない衝撃が背中から全身を襲う。
呼吸が苦しくなり、背中がジンジンと痛い。
追撃は――ない。
でも、ゆっくり構えてはいられない。
痛みはあるけど立ち上がり、息を整えて前を見る。
広場の中央。
拳を突き出した形のままのユリエルさんが、ゆっくりと構えを解く姿が見えた。
「惜しいな、ソウファ。君ならもう少し私に近づけると思っていたのだが」
残念だ、とユリエルさんは悲しそうに呟いて、私の方に歩いて近づいてくる。
その言葉の意図はわからないけど、一つだけ思ったのは悔しいということだった。
ユリエルさんにそんなことを言わせてしまって悔しい。
みんなが私の為に色々としてくれたのに、それがまるで発揮できなくて悔しい。
諦めるわけにはいかない。
まだ私は何もできてない。
だから、諦めちゃ――
『どうして、そう思ったの?』
主様の声が聞こえた。
いや、これは幻聴――私の記憶の、主様の言葉。
『ソウファが無理だと思ったのはどうして? 教わったことを教わった通りにできないから?』
主様やアカさんから習ったことを上手く実践できず、弱音を吐いた時の主様の言葉。
「私には無理なのかな」と、私の意思に反して口をついて出てしまった言葉への返答。
『確かに、初めてやろうと思ったことが上手くできなくて、それでもういいやーってなるのはよくあることだよね。俺も昔は良くなってたし、今でも割とよくあることだよ』
主様は何でもできると思っていたけど、実はそうでもないらしい。
それを聞いた時は、周りの人に上手くバレないように隠してるんだよって言われたっけ。
『誰だって、初めてやることが全部上手く行くわけじゃない。全部上手く行ったよーなんて言う人がいたら、嘘つきか才能の塊かのどっちかだ』
肩を竦めて冗談めかして言う主様は、どこか悲しい顔をしていた。
だけど、それもすぐに消えて、主様は私を見つめてくる。
『まぁだから、今上手くやれないからって諦める必要はないよ。地道に努力を重ねていけば、誰よりも上手くなれるかもしれないしさ』
私の頭をポンポンと優しく撫でてくれる主様の手は、とても温かかったような覚えがある。
心の底から安心できるような、心配事なんて全部吹き飛ぶような、優しい手。
『取り敢えず続けてみよう。それで何かが変わるかもしれないよ?』
そう言って、主様は私の訓練に付き合ってくれた。
主様ができない時は他の人に頼んで、私が困らないようにアドバイスも残してくれたりした。
そのおかげで、こうして実践で使えるまでのものに仕上げられたんだ。
でも、それはユリエルさんには通じなかった。
全てが無駄になったわけじゃないけど、私が有利に立ち回れるほどの何かを得られるほどには極められなかった――だから何だ。
極められなかったから諦める。
その必要はないと、主様は言っていた。
なら、今の私が諦める必要なんてない。
私なら勝てると信じて送り出してくれた主様に応えるために、私は――
『あそうだ。ここでこれを言ってもさっきと言ってることが違う! って思われるかもしれないけど一つ、覚えておいてほしいことがあるんだ』
それは、私が諦めようとしていた時の。
励ましの言葉をかけてくれた時の、終わりの言葉。
『何かを諦めるのは決して悪いことじゃない。ソウファが無理だと思ったら、俺やアカから教わったことは忘れてもいい。一番大事なのは“ソウファがどうしたいのか”だからね』
そう言ってくれた主様の顔は、私を諭すような……それでいて試すような、そんな顔だったと思う。
『もちろん、強欲に全部を望んでもいい。俺たちから教わったものも、ソウファが元から持っていたものも、全部を使いこなすんだー! ってのでもいいと思うし』
主様らしいなと、思った気がする。
結愛お姉ちゃんを助けるために全部を自分のものにしようとしていた主様らしい言葉と考えだと。
『ま、色々一気に言われても忘れちゃうだろうから最後に一つだけ。もしどうするべきかわからなくなって立ち止まりそうになったら、自分の原点を思い出すと良いよ』
原点。
主様が言っていた、心が望むもの。
主様の場合は結愛お姉ちゃんが原点だと言っていた。
少し違うけど、目標のようなものだと。
私の原点って何だろうと、その時にふと考えて。
でも目先の訓練があるからと、よく考えなかった。
私の、原点。
『俺を乗せても速度を落とさずに走れるなんて、ソウファは凄いな』
主様に助けられ、その結果として主様が一時的に弱くなってしまって。
だからと恩返しの意味も含めて主様を背に乗せ走っていた時の、主様の言葉。
あの言葉で、私は凄いんだと実感できた。
あの言葉があって、それが得意分野だったから、私はもっと強くなるぞと頑張れた。
そう、そうだった。
私の原点はそこにあったんだ。
“主様に褒めてもらいたい”が一つ。
そしてもう一つが――
「――アハハ」
体が痛む。
でも、笑ってしまう。
単純なことだった。
ユリエルさんに勝つために、多くを学ぼうとした。
私にはないことを、私にはできないことを学んで、ユリエルさんとの差を埋めようとした。
それで差を埋めることはできたし、実際に前よりも戦えている。
でも、それでは勝てない。
それは今、こうしてボロボロになっていることからわかる。
ならどうすればいいのか。
その答えは、ユリエルさんが言ってくれていた。
「ユリエルさん」
「なんだ?」
「――ありがとう。それと――」
遠くで戦っている、私にない力を教えてくれたみんなに謝る。
今から私は、みんなが私の為にしてくれたことを裏切るから。
だから――主様、アカさん、結愛お姉ちゃん。
こんな私に色々と教えてくれて、ありがとう。
それと――ごめんなさい。
「ほう……!」
ユリエルさんが驚いたように呟いた。
その瞳に私が映っているのがわかる。
私には、何も特別なものはない。
生まれてから主様と旅をして、私にあるとわかったのは人よりもずば抜けた身体能力と、それを補強する才能だけ。
その才能も、ユリエルさんに負けてから他の何かで補おうとして、色々な人に教えてと頼んだ。
でも、その必要はなかったんだ。
主様や、結愛お姉ちゃんのように、色々なことができる必要はない。
色々なことをする必要はない。
私がするべきことは、目の前のユリエルさんを倒すことだけ。
そのためにするべきことは、一つだけで良かったんだ。
ユリエルさんは静かに、獰猛に笑う。
それをしっかりと認識しながら、私は足に力を溜める。
グッと地面を踏み締めて、太ももとふくらはぎに力を入れて。
最大まで溜めたそれから更に加える。
限界なんて知らない。
関係ない。
コップに注いだ水が飲むところを超えても溢れないように。
私は、今の私の限界を超えるんだ――!
これまでとは一線を画す速度。
主様たちの中で一番の反応速度を持つ私でどうにか追いつけるくらいの速さで叩きつけた拳は、ユリエルさんのお腹を捉えた。
鈍い音と硬い肉を殴る感触。
音を置き去りにする速度に、強化した腕力。
いくらユリエルさんでもただでは済まなかったようで、それは吹っ飛び木々を薙ぎ倒してようやく止まった事実でわかった。
「ッ――!」
追撃をかけようと一歩踏み出したところで、ガクンと崩れ落ちる。
太ももとふくらはぎに鋭い痛みが走った。
歩けないほどの痛みではなく、痛みに驚いてしまっただけ。
限界を超えるは簡単じゃないみたい。
でも、この程度で済むのなら大丈夫。
これくらいの痛みなら、ユリエルさんに勝つまでは耐えられる。
大きく深呼吸。
土煙を巻き上げて木々をへし折った先にいるユリエルさんは既に立ち上がっている。
大したダメージにはなっていないのは、変わらない楽しそうで嬉しそうな笑みからわかる。
それを見ていると、不思議と私も楽しくなってくる。
脚の痛みも次の瞬間には忘れ、また踏み込んで突進する。
主様のように頭を使って戦うことや、アカさんのようにダメージを減らして確実に勝つための方法。
私には全てが足りず、だからこそ身につけて追い縋ろうとしたそれらを、諦めた。
ユリエルさんに負けてからの大半を投げ捨てる行為。
聞く人が聞けば、きっと嫌悪される行為。
いい気分ではない。
でも、不思議と体は軽くなった。
主様のように上手く、アカさんのように賢く。
それがきっと、私の意思で多くの人の時間を割いて学んだのだから、それを使って勝たなければという強迫観念じみた思考が消えたから。
誰が悪いかと聞かれれば、私。
少ない時間で教えてくれた人たちには、ごめんなさいと思っている。
後で、ちゃんと謝ろう。
ユリエルさんに勝利し、笑顔で――!
「……!」
最高速を越えた殴り合い。
息をするのも忘れ、目を凝らし、手と足を動かして。
全力のユリエルさんと渡り合う。
手足が軋み、破裂しそうな痛みが奔る。
でも関係ない。
気付かない間に張り付いていた笑みをそのままに、私はユリエルさんに遠慮なしの拳を叩き込み続ける。
ユリエルさんから繰り出される拳を躱し、時に受け止め受け流し。
反撃を恐れ躊躇った隙でも容赦なく攻撃を仕掛ける。
主様の思考なら踏みとどまるような時でも関係なく。
アカさんなら最小限で抑えようとしたダメージも全て受け。
読みも何もない。
目の前の事象を認識してから対応するだけ。
腕も脚も、もう悲鳴は上げていない。
超えた限界に慣れてくれたんだと思う。
なら、もうちょっと付き合ってね――!
「いいねソウファ……! そうだ、もっとだ! 俺の速度についてこい!」
「言われなくても!」
言葉の直後、ユリエルさんが加速する。
目に見えるほどではない、些細な変化。
それでも速くなったとわかる、加速。
関係ない。
もっと出力を上げればついていける。
私の体なら耐えられる。
ユリエルさんに追いつき追い越すために。
もう一段階、ギアを上げる!
全身を刺す、痺れるような痛み。
それが何だと無視して拳を繰り出す。
受け止め、受け流されていた拳も、時間が経つにつれて捉える数が増えていく。
ここで全てを出し切るつもりでいる私は、一切の出し惜しみがない。
限界を超え、最後の一絞りの更に先まで絞りだそうとしている私が、ユリエルさんの本気に追いつき始めている。
それは、ユリエルさんも気づいているだろう。
でも、楽しそうな笑顔は消えない。
それは私も同じ。
出力を上げる度――いや、もう常に感じる体が内側から破裂しそうなほどの痛み。
心臓は爆発しそうなくらいうるさいし、“獣化の秘術”で体の表面に浮かぶ赫い線はより濃くなっている。
それでも、さっき自覚した笑みは消えることはない。
振るった拳に風圧が、踏み込む大地に衝撃が。
私の一挙手一投足が、私のものとは思えないほどに強力になっていく。
それでも、ユリエルさんは倒せない。
追いつき始めても、そう簡単には追いつかせてくれない。
もっと、まだ上げられる――!
「ぐっ――!?」
懐に潜り込み、ユリエルさんを真上へ打ち上げる。
初めて聞けたユリエルさんの苦しそうな声。
私の力が確かに届き始めている証拠。
この戦いが始まってからすぐは、私が空中に打ち上げられていた。
でも、今は違う。
私が地上にいて、ユリエルさんが空中。
そしてこの後、ユリエルさんは――
主様は言っていた。
できるできないともかく、イメージすることは大事だと。
想像できないことを意図してできるほど人は万能ではない、と。
だから想像する。
脚に力を籠め、空気を踏みつける想像を。
「素晴らしい成長速度だソウファ!」
上空から嬉しそうな声が聞こえる。
それを確かに見据えながら、爆音を鳴らして上昇する。
一足に跳ぶのではなく、空気を足場に加速する。
ものの数秒で打ち上げたユリエルさんに追いつき、空中での殴り合いを始める。
空中での戦闘技術を学んだお陰で、地上よりも戦いやすくなった。
相変わらず、踏ん張りは効かない。
けど、自由自在に空を動き回れるのはかなり大きな変化だ。
ユリエルさんと同じ土俵で、ついに横並びになって戦えている。
「……!」
言葉らしい言葉はなくなっていた。
拳が肉や骨を打ち据える音と荒い息遣いだけ。
それだけが、空中で鳴り響く。
雑念はない。
ただ今は、目の前の強敵を打ち倒すことだけに集中している。
繰り出された右の拳を手の甲で流し、手首を捻って右の手首を掴み取り引く。
逃げられないよう拘束し、空いている私の右の拳を腹部へと。
腕を挟まれ防がれたけど、骨にヒビが入る音が聞こえた。
追い打ちをかけるために反動で浮いた拳を即座に同じ個所へと穿つ。
確かに骨の折れる音を捉え、ユリエルさんの歪んだ顔が一瞬見えた。
掴んだままの右手首を起点に、体を捻り右足で側頭部を蹴り上げる。
最大の質量を持つ脳が穿たれ反動で首が最大限に伸び、しかし可動域の影響でガクンと元の場所に戻る。
それだけで十分にダメージになるだろうが更に追撃。
体を捻った際についてきた右腕を振るい、顎に裏拳を叩き込む。
当たり所が悪く、手の甲が顎の骨を撃ち抜いた影響で動きが鈍くなったが無視。
ここまでの一方的な猛攻を仕掛けてなお、ユリエルさんは意識を失うどころか目に闘志を宿したままだったから気にしている余裕はない。
自らの骨を折る勢いで拘束していた右手首を救出し、戦場を更に上空へ。
体に鞭を撃って追い縋る。
どんどんと寒く、呼吸も難しく、空は暗く、地上は青白くなっていく。
吐く息が白くなるほどに高く、落ちればいかに“身体強化”をしていようと命のないような高さに来て、ようやくユリエルさんが止まる。
「ここまで着いてこれたのは、ソウファが初めてだよ」
「そうなんだ。ありがとう」
褒めてくれたユリエルさんに、きちんとお礼が言えた。
この戦いが始まってすぐの頃は、褒められても対処に追われてそんなことはできなかったから。
「楽しい時間はすぐ終わるというが、俺は十分楽しめた。ソウファはどうだ?」
「私も、とっても楽しかったよ。またやりたいな」
「そうだな。そろそろ決着をつけよう。正直に話すと、もうそろそろ体力が尽きそうなんだ」
「わかった」
もう空中を蹴ることは難しくなくなった。
でも、普段やらないことなだけに大変だ。
ユリエルさんの提案はとてもありがたい。
「ここから地上に落ちるまでの間、互いに殴り合う。そして最後、地上で立っていられた奴が勝ちだ」
「……わかった」
ここから地上に落ちればただでは済まないことは、ユリエルさんもわかっているはず。
つまり……そう言うことなんだろう。
“また”は、きっと来ない。
ならせめて、私の全てをユリエルさんにぶつける。
それがきっと、ユリエルさんの望みだろうから。
「行くぞ」
「うん」
宙を蹴り、間合いを詰める。
互いの手の届くような至近距離まで詰めて、落下が始まる。
体が浮くような感覚が一瞬。
直後に、そんなことを気にしていられないほどの連撃が繰り出される。
それらを捌き、反撃もこなし、互いの間合いの距離でのみ戦う。
距離を取る、三次元的な動きをする。
そんな選択肢が“地上に落ちるまでの間”という制限によって大袈裟に取れなくなり、戦術が一気に絞られた。
それでも戦えるのは、私の体を頭に蓄積された戦闘の経験のおかげ。
繰り出される拳を受け流し、受け止め、さっきのように掴んで動きを制御する。
当然、一度仕掛けた攻撃が二度通じるほど甘くはない。
掴んでも即座に抜け出され、手痛い反撃を貰う。
高速が通じないのはわかっていたから、その反撃にも何とか対応し逆に反撃。
視界の端で空の色が変わっていくのを何となく認識しながら、ユリエルさんとひたすら殴り合う。
穿った拳の反動で距離が開いても即座に詰め、あるいは詰められ、狭い領域の中だけで戦っている。
リーチの長さを活かしたいユリエルさんの間合いを、より短いの間合いで戦いたい私が詰める。
上下左右の概念なく、移動を落下に身を任せ、近づく地上への恐怖なんて知らんぷり。
ただ目の前のユリエルさんを倒すことだけ考える。
繰り出される長い腕。
紙一重で躱して潜り込んで殴る。
左腕が骨折によりまともに使えないユリエルさんは、もう私の攻撃についてこれないと思っていた。
でもユリエルさんは、私の動きについてきている。
腕という人なら大半が足よりは器用に扱える部位を片方失っても、ユリエルさんの強さは変わらない。
そんな凄い人との、最後の戦い――
地上が迫る。
関係ない。
拳の速度を上げる。
ユリエルさんが追いつけないほどに。
もっと速く、もっと鋭く。
攻撃の隙を与えない連撃を――
「――ありがとう、ソウファ」
それが聞こえた瞬間、私はユリエルさんの胴体を思いっきり蹴り飛ばす。
渾身の蹴りを無防備な状態で受けたユリエルさんは、真下へから真横へ。
どうなったかを見届ける前に、私は眼前に迫った地面へ全力の殴打を打ち込む。
殴っただけとは思えない破裂音を鳴らし、反動で落下の勢いがほとんど相殺された。
物凄い重さを全身に受けた直後、浮いた一メートルの距離から落ちて体を強打してしまった。
「っぅ――!」
声にならない悶絶をし、のたうち回れないほどの痛みに喘ぐ私。
そこへ、蹴り飛ばしたユリエルさんが森の奥からボロボロの状態で現れた。
私の予想では、木をクッションにしながら森の奥へとぶっ飛ばしていたはずなんだけど……戻ってくるのが想像以上に早い。
そんな私の考えなんて知らないようなユリエルさんは、私を見つけるなり口を開く。
「どうして助けた?」
「……やっぱり、死ぬ気だったんだね」
「私はソウファと戦えて満足した。だが私は、自由にさせてもらっているとはいえ魔王軍の一員。敵対するソウファを見逃しておいて平然と生きていていいわけがない」
忠誠心、というものだろうか。
その気持ちは、何となくだけど分かるような気がする。
自ら死を選ぶとまでは行かなくても、ユリエルさんがそう考えるのは理解できた。
でも――
「私は主様から、誰も死なせずにこの大戦を終わらせると聞かされた。だからユリエルさんにも死んでほしくなかった。それだけだよ」
いつまでも仰向けのままでは良くないと起き上がろうとして、体に力が入らないことに気が付いた。
今更気付いたけど、もう体が動かない。
心なしか、全身が徐々に痛み始めている気がする。
限界を超え、その上で無茶をしても動き続けてくれたのだからそりゃそうか。
「私の考えは知らない、と」
「うん知らない。ダメなことしちゃったとしても、一回ちゃんと謝ってからでも遅くないでしょ? 勝手に行けないことをした、だから死にますなんて、私でも気が早いってわかるよ」
困ったような顔をするユリエルさん。
でも、私は間違ったことを言っていないと思うから、意見は曲げない。
「しかし――」
「あーもう! 勝ったのは私! だからユリエルさんは私の言うことを聞くの! いい!?」
「……だが」
「いーい!?」
「…………わかった」
悲しそうで、でも安心そうな顔。
そんな顔をして、ユリエルさんは近くにあった木の幹に体を預け、ずるりと崩れ落ちる。
疲れたんだろう、そのまま静かに寝息を立て始めた。
私が折っちゃった左腕は――うん、悪化しないような位置にあるし大丈夫そうだ。
すぐに治療でもできればいいんだけど……今はユリエルさんの傍に行ける気がしない。
体を動かせるようになるまで待ってから、ユリエルさんの治療に移ろう。
主様から治癒のスクロール? を二枚貰っているから二人とも治療できるし。
取り敢えず今は疲れた。
「主様、ごめんなさい。しばらく休みます」
もしかしたらどこかで聞いているかもしれない。
そんなことを思いながら、主様へ向けた言葉を漏らす。
漏らしてから、目を閉じて回復に意識を注いだ。
* * * * * * * * * *
前回の大戦。
あれはいいものだった。
経験が浅く、それでも魔人の中で最強と言われたボク。
同じく経験が少なく、召喚者と呼ばれる枠組みの中で一番強かった綾乃葵。
あの戦いは、一生忘れられるものじゃない。
この大戦でもそれができると思い、でもボクの前に現れたのは違う人間。
残念だと思っていたけど、どうやらこの人間は綾乃葵と同格らしい。
それはこの一分程度で十分に分かった。
綾乃葵と戦えないのは悲しいけど、でも十分に楽しめる相手。
相手にとって不足はない。
板垣結愛。
お前はボクがきちんと倒すよ。