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姉の為に。  作者: たかだひろき
最終章 【決戦】編
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第十一話 【vs序列五位・火神】




 人生の半分以上を過ごした、魔人でありながら魔王軍に与しない勢力として周知されていた集落。

 百人程度の人数しかおらず、町との交流も上記が理由でほぼなくて。

 自給自足で暮らしていたあの集落は、私にとって大きく分けて二つの思い出がある。


 一つは、幸せな日々としての思い出。

 前者は当たり前に湧いた感情で、エルフと魔人のハーフという歴史でも類を見ない異端とも言える私を偏見なく温かに受け入れてくれた。

 私がエルフだと素性を明かして受け入れてくれたのは……いや、全員が受け入れてくれたっけ。

 そもそも私があまり素性を明かしてこなかっただけの話だけど。


 そしてもう一つは、私を縛る呪い。

 あの集落で過ごした時間に、呪い足りうる何かがあるわけではない。

 単に、あの集落での最後の思い出が、私にとって“復讐”という呪いになってしまっただけの話。

 集落で過ごした時間の半分。

 人生単位で三分の一にも満たないそれは、やはり私には重すぎる時間だった。


 でも、葵に言ったように。

 それがなければ、今の私はここにいない。

 ナイルのしてきたことは許せないし許すつもりはない。

 これで良かったなんて死んでも言うつもりもないけど、最悪の中の最高にはいられたと思う。

 例えその果てに、私が死んでしまっているのだとしても、私はそうだと言い切れる。


 それを誰かに証明する必要はない。

 私の人生は人並みではなかったし、恐らく人よりも多く苦労してきた。

 それでも、幸せだったと言える人生だったのだと、死の果てに会えた両親にそれを示したい。

 だから私は、この残された短い時間でそれを証明する。

 ナイルという諸悪(のろい)の根源を打ち倒し、そして笑顔で逝くために。











 業火。

 そう形容して差し支えない炎が、白い神殿の通路を埋め尽くす。

 そこにいる生命の生存など一ミリも考えない――自分の命すら惜しまないようなその火力の中で、私は洗練された火を眺める。

 昔、まだ私が魔術を扱えなかったほど小さかった時に見せてくれた、指先に灯る蝋燭のような火。

 同じ人間――いや、魔人が放ったものとは思えない威力の同系統の魔術。

 私が成長したように、ナイルも成長しているのだとはっきりとわかった。


「どうした!? この程度かよ!?」


 炎に隠れて見えないが、轟轟たる火炎の向こうからそんな声が聞こえる。

 この炎で私たちを殺せるとは思っていないみたいだけど、その割にはこちらを舐めているような気がする。

 自分が裏切りほぼ壊滅させた集落の生き残りと、自分が殺した相手が目の前にいるのだから舐めてかかるのは間違っていないとは思うけれど。

 面倒なので、円形に展開した空間断絶の結界を弄り、ゲートとしてナイルの頭上へ展開。

 自らの炎を頭から被りかけ、ナイルは慌てた様子でその場を跳び退いた。


「……お前、転移は出来てもゲートは使えないはずじゃ……!」

「持ち主の経験や知識は継承されるみたいよ」


 私の持っていた身体に因らない能力――その一例である空間魔術は、葵に魂として譲渡していた。

 そこで培われた経験や知識、技術などは、葵が返上してくれた魂にもきちんと蓄積され、私の力として行使ができるようになっていた。

 結果として、生前の私が使えなかったゲートは今の私でも使える、というわけだ。

 尤も、その説明をあの短さで言葉にしたところで伝わるはずもなく。


「……? 何を言ってる?」

「あなたには教えないって言ったの」

「てめぇ……!」


 怪訝そうな面持ちで私を見たナイルへ小さく笑って煽って見せる。

 こういう些細な場面で煽りたくなるのは返上された魂(あおい)の影響か、それとも自分を見下してきたナイルを下に見れている心の余裕か。

 どちらにせよ、ナイルの怒りを誘発することには成功したらしい。


「もう広範囲の炎は使ってこない。だからお父さんもお母さんも、存分に戦って大丈夫だよ」


 今の一手で、ただ火力を求めただけの広範囲の炎は無意味だとナイルは理解しただろう。

 実際、面倒ではあるけど対処そのものは簡単なあの魔術(ほのお)なら、魔力量の多いこちら側が圧倒的に有利に立ち回れる。

 例え怒りに思考を支配されていようと、それを理解できないほどナイルは馬鹿ではない。


「じゃ、さっき話した通りに」

「わかった」

「うん!」


 お父さんが言うなり飛び出す。

 ナイルの元へ瞬く間に駆け寄ると、“身体強化”によって底上げした身体能力でナイルへ殴り掛かる。

 葵の戦闘時に見ていた経験と歴史によって積み重ねられた洗練された技術は見受けられない。

 でも、長年の戦闘から得たであろう無数の経験からくる合理を感じる動きは、確かに見て取れる。

 その昔、お父さんの狩りを見学していたときに見たそれをより突き詰めたような動き。


 そこへ、お母さんの魔術によるサポートが入る。

 ナイルが苦い顔をしながら近接のお父さんを捌き、何とかこじ開けた隙やその隙を生むために放とうとした魔術を的確に相殺している。

 全ての属性の魔術を常時展開し、魔術の起こりからその威力や属性を特定。

 その情報を基に展開していた魔術から相殺できるものをぶつけるという、“言うは易く行うは難し”を地で行く技術。

 理論上の話としてお母さんから聞かされていたそれを実行しているのを見て、自然と鳥肌が立っていた。


「……凄い」


 私の出番がまるでない。

 ヘイトを稼ぎついでにダメージも稼ぐお父さんと、それを援護しサポートするお母さん。

 ナイルを相手するだけなら、この二人だけで完結している。

 思わず二人の戦闘に見入ってしまうくらいには、その完成度は高かった。


「――グッ」


 その二人の猛攻に、どんどんと苦しくなっていくのはナイル。

 魔術だけを磨いていたらしいナイルは、初手に近づかれた時点で後手に回っていた。

 格闘術などの近接戦闘にはまるで手を出していなかったのが、お父さんの攻撃を凌ぐ動きから見て取れた。

 集落で暮らしていた時も、魔術に重きを置いていたような記憶があるし、事実その通りなのだろう。

 何とかお父さんの攻撃を弾き、お母さんの援護も振り切ったナイルが距離を取って怒号を放った。


「二対一で、卑怯だとは思わないのか!」


 何を言うかと思えば今更過ぎる。

 その上、お前が言うなとツッコミを入れたくなる発言だ。

 集落を攻めに来た時にナイルは魔王軍の約一万を引き連れて来ていた。

 多く見積もっても二百人もおらず、仮に二百人いたとしてもその戦力差は五百倍。

 そんな数の暴力を平気で実行してきたナイルが言えたセリフではないだろう。


「いやお前が言えたセリフじゃないだろ、それ」


 私の考えと全く同じセリフを、お父さんが言葉にした。

 それが聞こえたらしいお母さんは、私の隣でうんうんと小さく頷いている。

 やはり誰もが同じことを思ったらしい。

 でも、ナイルだけはそうじゃないようで。


「あれはお前たちを評価しての戦力だ! 実際に集落は壊滅させたが全員を捕らえることはできなかったじゃないか!」

「ただの結果論だろう。それに、その言い訳が通用するのなら僕たちだって同じことを言うさ。“ナイル(おまえ)を評価しているからこの戦力差で挑んでる”と」

「くッ――!」


 いとも簡単にお父さんに論破され、ナイルは苦虫を噛み潰したような表情で歯を食いしばる。

 そんなに口論が弱いのなら初めから仕掛けなければいいのに、とも思うけど……。

 いや、逆に苦手な分野でもなりふり構わずにそうしなければならない何かがある?

 例えば、一手逆転の隠し玉があるとか。

 それを発動する隙を窺っていて、その為の作戦として意識を逸らすための口論に転じたとか。


「……魔眼」


 私のほぼ独り言のような小さな呟きを耳聡く聞き取ったらしいナイルは、僅かに目を泳がせた。

 日常ではもちろん、相手の一挙手一投足を逃さないようにしている戦闘中ならなおさら、その些細な変化は見逃さない。

 やはりそうなのかと、ナイルのおかしな挙動に納得する。

 私を殺した“触れたものを消失させる魔眼”であれば、確かにこの状況を打開できる可能性を秘めている。

 触れることが条件である以上、口論だろうとなんだろうと隙を窺うのは当然と言えば当然か。


「魔眼って言うと、ナージャを殺したあれだね?」

「そう。伝えるのが遅れてごめんなさい」

「構わないよ。葵くんからナージャの話を聞いていた時に教えてもらっていたからね」


 どうしてこんな大事なことを忘れてしまっていたのか。

 お父さんが葵から聞いていなければ、最悪の場合は死なせてしまっていたかもしれない。

 自身を死へ追いやった原因だから防衛本能が忘れさせていたと言えば都合がいいが、それでは済まない話。

 今すぐに改めて、もっとずっと思考を凝らさなければ。


「流石にバレるか……そうだ。魔眼さえあれば、お前たちなんて脅威でも何でもない」

「もしそうなら最初から使えばいいじゃない」


 お父さんが近接戦闘を挑んだ時にでも、触れるタイミングは多数あったはずだ。

 いや、お父さんは反撃を貰わないように立ち回っていたし、そもそもずっと攻め立てていたので触れるタイミングすらなかった可能性もある。

 そもそもの話――


「まだ常時発動できない、とか」

「……お前は知らないだろうが、魔眼は魔力を消費して発動するものが大半だ」

「暗に認めてるじゃない、それ」


 ナイルが魔眼を開眼してからどのくらい経ったのかは不明だけど、その長年を経てなお戦闘中にずっとは使えないほどに消費量が激しいらしい。

 考えてみれば、私と戦った時もあの一点でのみ使ってきたし、詳しくはわからないけれど葵の時も同じだろう。

 改めて聞けば当たり前の話だけど、私が晩年に開眼した魔眼は“見えないものを視る”という魔力消費がほとんどない魔眼だったので、その発想は候補から抜けていた。

 ともあれ、触られることが死に直結するわけではないとなれば、多少は立ち回りやすくなるか。

 触れてから発動するなら、一瞬でラグは発生するわけだし。


「でもな。決して常に使えないわけじゃあないんだよ」


 俯きがちに、ナイルは低く暗い声で呟く。

 まるで、してやったとでも言いたげな声。

 その程度で不安を煽られるほど弱いメンタルはしていないけど、不気味さはヒシヒシと感じる。


「温存を考えなければ……この後を全て他の奴に任せる前提なら、いつどこでだって使えるのさ」

「じゃあやってみれば? その上で全てを捻じ伏せて私たちが勝つだけだから」

「目の前で両親が殺されるのを見てから同じことを言ってみろよ」


 安い挑発のセリフ。

 葵が持っていたものよりも少しだけ薄く、されど確かに黒い瞳。

 そこに月夜のない夜よりも暗い、深淵を覗くかのような黒に光る円環を携えてこちらを凝視したナイルが一瞬で距離を詰めてきた。

 お父さんの反応よりも早く、お父さんから少し離れた後方にいた私の眼前へ。

 獰猛に笑うナイルの腕が、私の首を捕らえようと伸びてくる。

 それを確かに認識しながら、私は握る刀を構えずに上へと振り上げる。

 伸びてきた腕の軌道上。

 そのまま突っ込んでくるのであれば、容赦なく腕を斬り落とすつもりで振るったそれは、残念ながら空を斬る。

 ほぼ予備動作なく振り上げたそれを、ナイルはしっかりとわかった上で腕を引っ込め回避した。

 反応速度――いや、動体視力か。

 魔眼の効果か、これが本来のナイルの実力か。

 追いついたお父さんから逃れるようにして、私たちからも離れるナイルは、やはり口元に笑みを浮かべている。


「ナージャ! 大丈夫か!?」

「大丈夫」

「油断していたつもりはないんだけど……」


 それはわかっている。

 さっきまで、お父さんの攻撃に防戦一方だったナイルは、今の一時だけでもお父さんの動きを上回ってきた。

 お父さんの言葉通りなら、身構えていた上で見逃してしまったと言うことになる。

 やはり、実力を隠していたと考えるのが妥当だろう。

 他にも何か隠していてもおかしくないし、それは念頭に置いておかなきゃいけないな。


「くっくっく……必死だな。そのまま無様に踊ってくれよ!」


 笑みは絶やさずこちらの命を絶とうと、ナイルは攻勢に転じた。

 速度、力ともに、さっきまでのナイルとは別人と言っていいほどに苛烈で獰猛になっている。

 さっきまでのは様子見で、あの小物っぽい言動は全て私たちを油断させるための演技だったのかもしれない。


「……」


 己の肉体で相手の命を取り合う二人は無言。

 呼吸と打撃、摩擦の音しか生み出さない。

 お父さんと互角の近接戦を繰り広げるナイルはさっきまでとは別人のようだ。

 魔人の中でトップ五の実力者であることを認めざるを得ないほどに。

 だからこそ、先の言動が演技だったという確信がより深まった。

 私たちを油断させるための一手として、自ら道化を――小物を演じた。

 まんまと騙されるところだった。

 中々、厄介なことをしてくれる。


 それに小手先の部分だけではなく、単純な実力としても私たちに引けを取らない。

 互いに手の届く位置で殴り合いの応酬を繰り広げながら、お父さんの援護に放った私の風も、お母さんの色とりどりな属性の魔術も、その全てをきちんと対処されている。

 “ほとんど”ではなく“全て”だ。

 一々どれが躱せてどれが躱せないだとかの判断をしている暇がないという考えからか、迫る魔術の全てを魔術で相殺している。

 しかも、こちらが手を変え品を変え様々な属性の魔術を放っているのに対し、ナイルは終始、火属性の一つしか使っていない。

 たった一つの炎のみ。

 通路を埋め尽くした時のそれと同等の威力を持つ圧倒的な火力で以って、火と風と雷を真っ向から撃ち返し、水と岩を焼き尽くしている。

 小細工など通用しないと、ドヤ顔をされているような気分で腹立たしい。


「お母さん。一発でいいから、あの火力に押し勝てる魔術をお願い」

「わかったわ。ナージャは?」

「お父さんと一緒にそれを通す隙を作ってくる」


 気を付けてと、お母さんの言葉を受け取って、私は無銘の刀を手にお父さんとナイルの戦闘へと乱入する。

 突然の乱入者に二人とも驚いたのは一瞬だけ。

 ナイルにとっては予期せぬ歓迎できない私だろうけど、口元に称える笑みを深めただけでやはり何かを言うことはない。

 言っている暇がないのは、お父さんの尋常ではないほどの速度と練度を以って繰り出される拳の応酬を見るだけで分かった。

 さっきまでのナイルが様子見だったのと同じように、お父さんも不利にならない程度に抑えていたのではないかと思うくらいの、圧倒的なまでの武術。

 それを無傷で凌ぎ続けるナイルも、やはりお父さんと同格と言うことになる。

 なら、その均衡を私という存在で崩して見せる。


 さっきまで遠くで見ていたお父さんの動きとナイルの動き。

 それらから邪魔にならないように思考し、編み出したいくつかのパターン。

 それを脳裏に浮かべながら、でもそれに頼りきりにはならないように情報を更新しつつ刀を振るう。

 『精霊刀』を彷彿とさせるほどに形も重さも似た刀。

 生前の経験を活かすために敢えてで行っただろう処置がありがたい。


 お父さんの攻撃に生まれた間へ、ナイルが攻撃を仕掛けてきたその出鼻を挫くように。

 お父さんの望んだタイミングと、ナイルが望まないタイミングを慎重に見定めて大胆に動く。

 手数で言えばお父さんの半分にも満たないけど、要所で細かくタイミングを崩すだけでナイルは動きづらくなり、逆にお父さんが動きやすくなる。

 ケンジさんが誰かと関わる機会をくれなければ、きっとこうも誰かのことを考えて動くことはできなかっただろう。

 私がこれまで出会ってきた全ての人との繋がりが、今こうしてお父さんを支える力となっている。


 徐々に、私たち優位へと進んで行く。

 ほんの僅かな援護に応じた些細な変化。

 それでも確かに、ナイルを防戦一方へと追いやっている。

 刀を振るい、ナイルの攻撃を弾き、隙を生み出しお父さんが追撃する。

 いい流れだ。

 このままお母さんの魔術による援護が来れば――


「……!」


 ナイルの笑みが、凶悪なものへと変貌した気がした。

 嫌な予感が全身を巡り総毛立つ。

 確固たる理由はない。

 でも咄嗟に、前面の空間断絶を行う。

 通路全体に壁でも突き立てるように。

 直後――いや、ほぼ同時。

 ナイルの消滅の魔眼が断絶した空間を消滅させた。


「……! 相殺されるのか。意外な結果だな?」


 お父さんを連れて慌てて距離を取り、高威力の魔術を準備してくれていたお母さんの元に戻る。

 さっきまで居た位置からほとんど動いていないナイルは、言葉通り意外そうな顔をしてこちらを見据えている。

 その目はまるで、自ら犯した失敗を気にする様子もなく、ただ純粋に目の前の結果のみを重視しているようで、何か不気味なものを感じた。


「ありがとう、ナージャ。助かった」

「……何があったかわかる?」

「ナイル、触らなくても魔眼の効果を発動できた。視界に入れているものを無条件で消滅させられるんだと思う」


 私の直感を信じ、ナイルを追撃しようとしていたお父さんをボディブロックしてまで止めたのは正解だった。

 あの消滅に巻き込まれていれば、間違いなくお父さんと、そして私も塵一つ残さずに消されていた。


「手で触れるという発動条件はブラフだったということか」

「恐らく」


 私だけ残して両親を殺すというあのセリフも、やはり嘘――ブラフだったわけね。

 つくづくナイルの手のひらの上で転がされているようで腹立たしい。


「話し合いは終わったか?」

「まだって言ったら待ってくれる?」

「まさか」


 意地の悪い質問だ。

 ここで切り上げなければ、ナイルは容赦なく襲い掛かってくるだろう。

 空間断絶で時間を稼ごうにも、ナイルの魔眼で打ち消されてしまうからあまり効果は望めない。

 ナイルの発言と事実としての結果から、空間断絶で魔眼を打ち消せるとわかったのは僥倖だったけど、魔力のコスパは圧倒的にこちらが不利。

 いくら私が常人離れした魔力を保持しているからと言って、何十回も繰り返せば確実にこちらが消耗しきってしまう。


「ナージャ。魔眼の発動タイミングはわかる?」

「確実じゃないけど、それだけに意識を向けられるのなら恐らく」

「じゃあお願い。あれを使われたら僕たちは為す術なく負けてしまうからね」


 私たちがナイルの言葉を無視して話し合いを始めたことで、予想通り見え見えの強襲を仕掛けてきた。

 お父さんが矢面に立って侵攻を防ぎ、私たちから距離を離すように立ち回る。

 それをしっかりと眼と“魔力感知”で捉えながら、少しだけ思考する。


 ナイルの魔眼の発動条件が“触れる”ではなくただ視界に入れるだけである可能性が高い以上、それに対抗できる私が心血注いで対処するのは正しい。

 お父さんが言わなければ私から言っていた。

 でも私がそれだけに集中するとなれば、当然ナイルを攻める手が減ってしまう。

 魔眼の発動如何をナイルの裁量で決められる以上、こちらが後手に回るのは必然となってしまうのだけど。

 “魔力感知”の精度が葵ほどあればどれだけ楽に立ち回れたか。

 ないものねだりをしても仕方ないけど、そう思わずにはいられない。


「お母さんは――」

「自分の身くらい自分で守れるよ。それよりもナージャはお父さんをお願い」


 お父さんから意識と眼を一片たりとも離さずにお母さんへと問いかけようとして、遮るような返事がきた。

 エルフの神童を呼ばれたお母さんなら、私と同じように魔眼の発動を察知することはできてもおかしくない。

 けど、対処できるかどうかは別。

 空間断絶という明確で、しかし誰にでもできるわけではない対処法は、やはりお母さんは使えない。

 それはお母さんもわかっているはずなのに、その声には一切の迷いがない。


「……信じるよ、お母さん」

「ええ。信じて任せて頂戴」


 お母さんは昔から、可能不可能を誤魔化したことはなかった。

 できると言ったことは私がどれだけ無理だと思ったことでもやり遂げていた。

 お母さんが魔眼を対処できる確証なんてないけど、これまでのお母さんの信じて私はお父さんを襲う魔眼にだけ集中する。


 私よりも二回り以上大きな体躯を素早く動かし、重たく速い攻撃を繰り出すお父さん。

 魔眼のことがチラついて動きに支障が出てもおかしくないのに、その兆しが全く見られない。

 私への絶大な信頼がお父さんをその恐怖から解き放っているのだとわかる。

 一歩ミスれば大事な家族を失いことになりかねない重荷にすらなりうるその信頼は、今の私にはとても嬉しくてありがたい。

 効果があるかどうかはさておいて、私に残された右眼を開いてナイルをひたすらに直視する。

 時折、お父さんの隙を見て放たれる殺気や視線などは気にも留めず、魔眼発動の兆しを絶対に逃さないように。


 ただ見ているだけで、ナイルに対し何かをできているわけではない。

 でも、監視されているという事実を与えることはできる。

 それで怯むような(やわ)なメンタルはしていないだろうけど、ないよりはマシ。

 今の私にできる全てで以って、ナイルという強敵にプレッシャーをかけ続ける。


「――!」


 目元に僅かに魔力が集中する。

 魔眼発動の兆しを感知し、ナイルの眼前――目元のほんの数センチしか離れていない位置へ、空間断絶を行う。

 お父さんを消そうとした魔眼は目の前の見えない壁によって遮られ、その効果を正しく発揮できずに断絶した空間を消して終わる。

 目を僅かに見開いて、けど迫るお父さんの猛攻を凌ぐナイルは、確かに嫌そうな顔をした。

 自分のしたいことができないというのは、その大小はあれどわかっていても心を擦り減らすもの。

 今はほんの小さなものでも、積み重ねていけば大きな歪みとなってナイルを崩すだろう。

 後は、そこに至るまでに私の魔力を持たせるだけでいい。


 空気すら殴る勢いで攻め立てるお父さんからどうにか一撃も貰わずに立ち回るナイルは、様子見を止めて隙さえあればそこに魔眼を打ち込む立ち回りへと変えてきた。

 私の魔力を消費させるという目的もあるだろうけど、それ以上に一瞬でもこちらが崩れれば決着をつけられる方針へと変えたと考えていいだろう。

 消耗戦を挑めば魔眼を相殺する私が先に潰されるのは間違いないが、数の不利を取るナイルもそれ相応に削れる。

 最初の方のセリフがブラフであったことを加味すれば、「温存しなければ」当たりの発言も嘘である可能性だってある。

 それなら早々に決着をつけたがるのも頷ける。


 魔眼をよく発動するようになってから、魔力消費はどんどんと増えていく。

 立ち位置を変えて、常にナイルの眼を捉えられるようににしていたから当然だけど、対処を行う前が残り七割程度だったのに今はもう四割を切りそうだ。

 ナイルの眼前に広げる程度のものをたったの数分続けただけでこの消費。

 絶対に十分は()たない。

 ナイルの考えと同じだろう短期決戦が望ましいけど、それに気づけばナイルだってそれを意識してくるはず。

 いや、既にそう判断して動きを変えてきているかもしれない。

 もしそうなら――


「ぅぐ――ッ!?」


 拮抗が崩れるのは、思っていたよりもあっさりだった。

 お父さんの拳がナイルの脇腹を捉え、鈍い骨折音と肉を穿つ音。

 次いで神殿の強固な壁に衝突する音が鳴り、ナイルは口から空気を漏らす。


 私の魔力消費量が増していけば、ナイルはそれに少しでも意識を向ける。

 例え目の前に脅威となる存在が居たって、私が後どのくらいで崩れるかを確認するタイミングが生まれる。

 短期決戦を望むなら私が崩れた瞬間に魔眼を発動するのが最適解だし、そのタイミングを逃せば未だ動きを見せないお母さんの攻撃や対抗するお父さんの攻撃をより長い時間受けることに――言い換えれば、より大きな消耗をする羽目になる。

 それが横着だと、一瞬でも隙に繋がると頭ではわかっていても、消耗を抑えたがるナイルは無意識に私の魔力を確認してしまう。

 意識の大半を注いで拮抗できる相手に、その僅かな隙はあまりに十分。


 容赦なく追撃を仕掛けるお父さんを視認しナイルは這う這うの体で躱すも、脇腹に受けた一撃は重くその動きは鈍い。

 技術か運か、どうにか一撃と二撃目を受け流し、耐えてみせたけど、三撃目を喰らってまた大きく吹き飛んだ。

 白い床を点々と赤く染めながら転がり、それでも諦めずに立ち上がる。

 神殿の中なので土汚れなどが付着するわけではないのに、こうも汚れたという印象を受けるのは顔を一筋の血が伝っているからだろうか。


 魔眼による一か八かの反撃も、私がきちんと相殺し無へと帰す。

 更なる追撃をお父さんから受け、ナイルは地面に叩きつけられた。

 天を仰ぐようにして大の字に寝転ぶナイルに馬乗りになって、その意識を刈り取るべく顎に打撃を与えるお父さん。

 顎骨に当たる鈍い音が私の耳にも届く。

 痛ましいとは思うけど、ナイルのしてきたことに比べればなんてことないから同情なんてできない。


「……おう、どうしたよ。まだ俺は死んでないぜ?」


 マウントポジションを取られ、拳による反撃はもちろん、魔眼の発動も無意味と化した現状でなお、ナイルは余裕と言った態度を取り続ける。

 口の端から血を流し、顔には殴打による痣が少しずつ浮かび上がってきているのに、まだ逆転の手があるとでも言いたげな表情。

 眼前にはもう何度も繰り返した空間断絶を展開するから、魔眼は発動したとて意味はない。

 でも、その表情には何かがある。

 より一層ナイルの魔力に注目を――


「――あれは……?」


 ふと、お父さんの頭上、神殿の天井付近にある無数の水の球が目に入る。

 気付けば天井だけでなく、壁や床、あらゆる場所に点在しているのが見て取れた。

 手のひらサイズもないそれらは魔力を感知できないほどにゆっくりと、しかし決して遅くない速度で変形していき、やがて板状になる。

 意思を持っているようにゆらゆらと揺れているそれらは、座り心地の落ち着く場所を探す猫のように動いて静止する。

 その水面というには些か薄い水の板に映る私を見た瞬間、それが鏡であることに気が付いた。


 何故そんなものが、お父さんの頭上にあるのか。

 何故それが角度を変え、場所を変え、無数に存在しているのか。

 そんなものは決まっている。


「――ッ!?」


 想定外の攻撃。

 視界に捉える方法は何も直接だけじゃない。

 考えに至るべきだったのに至れなかった。

 魔眼に集まる魔力だけに注視していたから――白一色の神殿だったから、見つかりにくいよう際に浮く透明な水に気付くのを遅らせた。

 色々と言い訳は思い浮かぶけど、そんなことを考えている暇はない。

 ナイルの方が一枚上手だったと思い知らされ、でもそれに感情を抱く暇もない。


 ナイルの眼前に面で展開する空間断絶では、ほぼ全方位にある鏡のどこに視線を送るか絞り切れない。

 どこか一つに視線を送られれば、私たちの誰かが魔眼のターゲットになる。

 そうはさせないと、天井と壁、そして床に設置された水の板全てを覆うような空間断絶を展開する。

 咄嗟の判断で、でも確実な方法。

 鏡を見せなければ、ナイルの視界を妨害できる。

 予想通り、ナイルは四方向に設置した水の板のどれを見ても目的の人物は捉えられなかったようで、初めて見せる苦しげな表情を――


「ッ――!?」


 ニヤリと、そう声がした。

 ナイルの避けそうなくらいに歪んだ笑みから、声が。

 気付いたときには遅かった。

 ナイルとお父さん、二人の間に生成されていた水の板。

 総魔力の一割を費やして防いだ、四方全ての空間断絶の向こうに閉じ込めたものと同じものが。


 避けて! と叫ぶ間すら貰えず、ナイルの魔眼が水の鏡を通して効果を発揮する。

 一つは馬乗りになったままのお父さんへ。

 もう一つは、ナイルの動きに合わせて動いていたせいで離れてしまっていたお母さんへ。

 空間断絶は間に合わない。

 気付いたときには既に魔眼を発動させられていた。

 近くにいたお父さんは当然、お母さんも無事では済まない。


 私のミスだ。

 お母さんもお父さんも塵一つ残さず消えてしまった。

 ナイルに全ての予想で上回られ、その一つを対処しただけで満足して次の手を考えるのを一瞬でも止めてしまった、私の所為で――


「ナージャ。大丈夫って言ったの、聞いていたでしょ?」

「……ぇ」


 少し離れたところ。

 お母さんがさっきまで居た場所から、声が聞こえた。

 顔を上げた先には、五体満足で悠然と立ち、青く燃え盛る炎のように揺らぐ何かを左手の上に漂わせている。

 その表情はどこか自慢げで、ドッキリの成功に静かに喜んでいるかのような風にも感じる。


「水による屈折を利用した鏡を使ってくるなんてね。私と()()()()で少しびっくりしたわ」


 そう言い明後日の方向へ視線を向けたお母さんは、目を細めて何かを見据える。

 何かなんて言うまでもない。

 それは、私の所為で魔眼に直視されたお父さんを――


「ナージャ。ちゃんと現実を見なさい」


 窘めるようなお母さんの言葉。

 見たくないと心は言うけど、私に責任があるのだから直視しなければならない。

 例えそれが、お父さんとの永遠の別れであっても。


「――ぇ」


 眼を瞑り、覚悟を決めてから見据えたお父さんのいた方向。

 肩口を魔眼によって抉られたらしいお父さんが、服ごと消滅したその部分を抑えている姿があった。

 魔眼によって消されていない。

 その事実が、喜びと同時に私を混乱に陥らせる。


「さぁ、決着よ」


 言うと同時、お父さんが飛びずさり、それを確認するよりも前にお母さんはお母さんは左手に乗せていた青色の炎をナイルに向けて投射する。

 大砲のような速度で放たれたそれを、お父さんの拘束から逃れたナイルが視認する。

 瞬間、青色の炎が消え、内側から白色の炎が吹き荒れた。

 中身の詰まったシュークリームを潰した時のように、勢いよく飛び出た白い炎がナイルに襲い掛かる。

 通路を埋めるほどに広範囲に拡散したそれを見て、ナイルは魔眼による消滅ではなく炎を生み出した。

 赤や橙の抱えるほどの大きさがある炎を、白い炎にぶつけるようにして放つ。

 出会い頭に放ってきたものと同質の――それ以上の火力を持った劫火。


 白い炎と赤い炎の衝突。

 白と赤が入り乱れ、神殿が融解するのではないかと思うくらいの熱量が通路全体を埋め尽くす。

 お父さんが私ごと守るような結界を張ってくれているのに、その熱波が伝わってくる。

 魔術師がいくら耐性を持っているからと言っても耐えがたい熱に晒されている二人の表情は、炎の陰に隠れて見えない。

 永遠にも思えた炎のぶつかり合いも、時間をかけて収束していく。


「――! お母さん!」


 二色の炎が紡いだ演舞が終わり、その会場のど真ん中に立ちつくすお母さんの元へナイルの安否確認も忘れて駆け寄る。

 服は焼け焦げ穴が開いていて、お母さんの白い肌が晒されている。

 髪も僅かに焼けているのか、綺麗なストレートの金髪が所々チリ毛になっている。


「大丈夫。結構暑かったけどね」

「お母さん……!」

「何も言わずに撃ってくるからビックリしたよ」

「あなたならわかってくれると思ってね。ありがとう」

「どういたしまして。……それで、ナイルはどうなった?」


 お父さんが遠くにいるだろうナイルを確認しながら、お母さんに問う。

 釣られて私も見てみれば、遠くで倒れているナイルを視認できた。

 ここからでは生死がわからないから、倒した術者であるお母さんに聞いているんだろう。


「死んではいないわ。防御が固くてね」


 死んではいない。

 けど、すぐに動けるような傷でもない。

 ここから感じる薄い魔力の波動で、なんとなくわかった。

 それとほぼ同時に、意識が朦朧としてきた。

 この体の限界が近づいていて、ナイルとの戦いという一大目標を終えたからもう休もうとしているのかもしれない。


「……そうか」


 返事を聞くや否や、お父さんは徐に歩き出す。

 覚悟を決めた顔――いや、とうの昔に決めていただろう覚悟を、顔に出しただけだ。

 何をするのかなんてわかりきっている。

 だから、朦朧とし始めた意識の中で、歩き出したお父さんの腕を掴みその歩みを止める。


「ナージャ。止めないで」

「嫌だ」


 その言葉を真正面から両断する。

 薄れゆく意識の所為か子供じみた返事になってしまったけど、そんなものは関係ない。

 お父さんの腕を強く握り、絶対に話さないという意思を込める。


「ナイルは仇だけど、殺しちゃダメ」

「あれは殺しておかなければならない相手だ。生かしておいて得なことなどない」

「それは否定しないけど、でもお父さんが――私たちの誰かがナイルと同じになるのは見過ごせない」


 ナイルは殺しておくべき。

 その理屈はぼんやりとしてきた頭でもわかる。

 そうしたい気持ちはよくわかる。

 私たちの幸せな時間を奪い、友人や知り合いを奪った魔王軍。

 その発端を作り出した張本人であるナイルを許せない気持ちは――死で償わせたいと思う気持ちは、痛いほどよく理解できる。

 でも、それをしてしまえば、ナイルと同じところに堕ちてしまう。

 例えそこに、復讐という名の大義名分があったとしても。


「ナイルを殺したい気持ちはわかる。私だってずっとそう思ってた。でも、それをしていいことなんて、私たちの気持ちが一時的に楽になるだけ。ナイルを殺しても、元には戻らない」


 こんな正論が今のお父さんに届かないのはわかっている。

 昔の私がそうだったように、復讐に囚われている人は正論なんか必要としていない。


「ではどうしろと? ただ何もせずに我慢しろと?」

「違うよ。死で償わせるんじゃなくて、生きたまま償わせるの」

「……生きたまま?」

「そう」


 感情が昂り語気が強くなっていたお父さんが、怪訝な顔で問い直す。

 私は毅然とした態度を貫いて、そのまま私の本心を伝える。


「死で償わせた時、私たちの気持ちは一瞬だけ楽になるけど、同時にナイルは一瞬しか苦しまない」

「拷問でもすれば――」

「それじゃナイルが私たちにしたこととほとんど変わらない。そうじゃなくて、私たちに生かされたという事実を与えればいいんだよ」

「それが償い? そんなものが償いになるとでも?」

「なるよ。ナイルのプライドを折って、その上で折った一人はそのまま勝ち逃げする。これ以上ないでしょ?」


 自慢げに話す私に、しかしお父さんの顔は優れない。

 わかっている。

 理論も何もない、これこそが感情的な言論に過ぎない。

 でも、お父さんにナイルを殺させたくない。


「それに、葵はこの大戦は不殺で行くって言ってるでしょ? ここでナイルを殺しちゃったら、葵の目標が果たせなくなるよ?」

「……」


 苦し紛れに葵の名を出してみたけど、効果はあまり芳しくない。

 表情は苦いまま変わらず、掴んだ腕を離せば今にもナイルの元へ歩き出しそうだ。


「……葵の邪魔をするのは、気が引けるな」


 私が驚くよりも前に、お父さんは腕から力を抜いた。

 手を放しても、もうナイルの元へ歩いていくことはない。

 不本意を隠さず、けど納得はしてくれた。


「ありがとう」

「ナージャの数少ない頼み事でもあるし、まぁ……構わないさ」


 自分を押し殺してまで、私のお願いを聞いてくれた。

 本当に頭が上がらない。


「取り敢えず、拘束だけはしておきましょう」


 お母さんの一声でナイルを物理魔術どちらでも拘束した。

 この後で、お父さんがそれを抱えて行くらしい。

 このまま放置して誰かに解除でもされたら堪らないと、肩を竦めて笑いながら言っていたからもう大丈夫だろう。


 後はこの大戦を葵が終わらせるのを待っているだけ。

 できればその先も見たかったけど、もう難しいだろうな。

 もう体の細かい制御が利かなくなってきたし、意識は更に朦朧としてきている。

 何とか壁に背を預けて座れただけよくやった方だ。

 あと少し遅れていたら顔面から地面に倒れていたかもしれないから。


「ナージャ」

「ん、なに?」


 私がもうすぐ天に戻るのは、お父さんもお母さんもわかっているんだと思う。

 凄く優しく悲しげな顔で、壁を背に座る私と目線を合わせてくれているから。

 お父さんが左手を、お母さんが右手をそれぞれ握ってくれている。

 今の私には熱すぎるくらいに温かい手だ。


「お帰り、ナディア」

「戻ってきてくれて、ありがとう」


 かつて、集落から追い出されるようにして逃がされたあの日。

 お父さんとお母さんとの思い出は、「ごめん」という謝罪で終わっていた。

 それが心残りの一つでもあった。

 でも、それは今、解消された。

 だから笑顔で――渾身の笑みで応えるんだ。


「私も、楽しかったよ。ありがとう。お父さん、お母さん」


 瞳を閉じて、真っ暗な世界に足を進める。

 先の見えない、何なら一歩先に地面があるかどうかすらわからない場所。

 でも怖くはない。

 だって、私を縛るものはもう何もなくなったんだから。




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