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姉の為に。  作者: たかだひろき
最終章 【決戦】編
190/202

第十話 【vs師匠】




 朧げな意識の中、私はどこともわからない場所を歩いている。

 先導するのは見知っているけど思い出せない顔の、私より長身で体格も大きい男。

 微睡んでいる時のようなフワフワとした感覚の中で、私は懐かしいと思う気配を捉える。

 どうして懐かしいと思うのか、それ以上になぜこんなにも気持ちが昂るのか。

 それらは今の緩い頭では考えられないけれど、とても楽しみなのは自分でもわかった。

 その楽しみに早く触れたいと思い、けれど自分の意志では体を動かすことはできない。

 ならばと先導するたった一人の男に声を掛け、歩む速度を上げてもらおうとして、声も出せないことに気付く。


 なるほど。

 どうやら私は、命令に従事するだけの機械のようなものに成り下がったらしい。

 それもそうだ。

 私は少し前に、十年近くの怨敵と数か月の間柄の仲間を天秤にかけ、そして死んだ哀れなエルフ。

 既に体を失い、その魂さえをも弟子に譲渡した私が、こうして少しでも思考し自分の意志でないにせよ体を動かしている事実。

 操られているのだと察するにはあまりある要素が沢山だ。


 時間が経つにつれてはっきりとしていく意識だが、やはり体の主導権は私にはないらしい。

 手や首と言った細かい動きは制限されていないけど、この仇に追従するという憎たらしい命令の遂行を邪魔する動きは出来なくなっているようだ。

 なら、抵抗する必要もない。

 どうせ、大人しく流れに身を任せていれば弟子に会える。

 面倒で、執念深くて、頑固で、それでいて優秀な弟子が何とかしてくれる。

 前回、私が死んだ時と同じ。

 知り合い同士を戦わせるという外道じみた戦い方をさせてくるだろうけど、私の弟子なら大丈夫。


 どうせ私は、命令されるままに動くだけの道具。

 時間経過で意識は戻れど、言葉や肉体の支配権が戻るかはわからない。

 弟子がどれほど成長したのかを見るいい機会でもあるわけで。

 そして、ならばせめて、意識の最奥(ここ)で願っていこう。


 仇を捨てさせられ、愚かにも敵対者に与する道具となった私を、弟子が救ってくれることを。






 * * * * * * * * * *






「久しぶり、師匠」


 答えはない。

 ただ無言で、生気のない顔で、残された金色の隻眼に俺を映すだけ。

 どうやら、声も自由意思も剥奪されている様子。


「よう、久しぶりだな。覚えてるか?」

「覚えてるよ。師匠たちを裏切った挙句、大した実力者にもなれずに、人質まで取った癖に師匠に負けた哀れで矮小な魔人でしょ」

「――口の効きかたには気を付けろよ人間。人質は今回も取ってるんだ」

「言ってて悲しくなんねぇのかよ」


 人質なんてものは、その大半が弱い奴が取る手法だ。

 戦いを優位に進めたり、戦うまでもない相手を一手で黙らせたりと、その限りではないにしろ。

 目の前のナイルとか言う名の魔人は、ほぼ間違いなく前者。

 十魔神の序列五位にまで登りつめるだけの実力はあっても、その言動から小物感が拭えない。

 だからと言って油断しては元も子もないが、果たしてどうなるか。


「よし。じゃあ始めようか」

「いいぜ。まずは小手調べだ。これと戦ってみろよ」


 隣に立つ師匠の背を押し前に立たせる。

 師匠はやはり無気力にどこかを呆然と見つめていて、少なくとも正気がここに在るとは思えない。


「いいの? せっかくの数的有利を手放して」

「構わないさ」

「……そっか。滅ぼす気がないのは知ってたけど、勝つ気すらないんじゃないかって思い始めたよ」


 五千年に渡る大戦は人類を滅ぼすためのものではないと、これまでに得た情報から知っていた。

 滅ぼすつもりはない、でも勝つために動いている。

 目的自体は未だ不鮮明だけど、それだけは変わらない事実だったはず。

 だけど、こうもアホな行動をされるとそれすら疑わしくなってくる。


「ま、でも、その方が楽でいいか」


 左腕を持ち上げ、手のひらを魔人へ。

 目線と左手、魔人の三点を一直線上に並べ、左手を握る。


「くっ! ――なんだこれは!」


 ああなるほど。

 どうやら師匠を我が物として扱う魔人は、序列五位でありながら空間干渉に対抗する手段を持ち合わせていないらしい。

 空間干渉は魔人の間でも希少だと知っているし、俺の知る限りでは序列三位ですら扱えない。

 だからと言って、対策がないわけではないだろうと思うのだが……魔人(こいつ)はそれすら怠っているらしい。

 怠慢にもほどがあるし、拍子抜けもいいとこだけど、都合がいいから気にしない。


「あんたは邪魔だから、少しの間だけ別の場所に行っててもらうよ。終わった頃にまた来てね」

「っざっけんな! おいナディア! そいつを倒――」


 最後まで言わせずに、俺は空間に張り付けた魔人を転移で飛ばす。

 神殿が俺の発注した通りの形になっているのなら、きっとここに戻ってくるまでに十分はかかるだろう。

 それだけの時間があれば、予定外とはいえ師匠の体に掛かった魔術を解き、元に戻せるはずだ。

 いつどのタイミングで師匠の死体を持ち出し操り人形にしたのかはわからないが、全く悪趣味にもほどがある。


 なんて考えていたら、突然、師匠が突進してきた。

 突進、と言っても、そこまで速くはない。

 その上、精彩を欠いたおよそ戦闘に用いるべきではない程度の人形の動き。

 これならまだ、召喚されたばかりの召喚者の方がマシな動きをする。

 転移させる直前の“俺を倒せ”という命令に従い動いているのだろうが、これでは戦いにすらならない。


 でも同時に、これは好機でもある。

 この程度の動きなら、例え妨害されたとしても解析は行える。

 師匠の体に掛けられた魔術を解析し命令系統だけをぶっ壊すことができれば、俺の中にある師匠の魂を戻して元通りにすることができるかもしれない。

 死者を、死体を弄ぶなと言われれば謝らざるを得ないが、俺の意思ではなく師匠の意思で死体を動かすのなら問題はないはずだ。

 死者蘇生という生命に対する冒涜であっても、自らの願いを叶える方法があるとわかれば手を出したくなるのが人間だ。


「……わかってますよ、師匠。師匠はそれを望んではいないんでしょ?」


 心の内で、師匠が苦言を呈してきた。

 わかっている。

 師匠はあの時、満足していた。

 何も成せなかった人生だけど、それでもよかったとそう言っていた。

 そんな人を蘇らせたとして、それは本当にその人の為だと言えるのか。


「だから、俺がするのは最後の願いを叶えること。師匠が生前ずっと願い、そして終ぞ果たせなかったことを果たすための時間を稼ぐこと。だから師匠。あなたの体、少しだけ弄らせてもらいます」


 死者蘇生はできるかもしれないけどしない。

 でも、師匠の願いである復讐という名の清算は果たさせる。

 その為に、師匠の抜け殻である目の前の人形(それ)と戦う。

 本人(ほんにん)に許可は取った。

 何一つとして問題はない。


 師匠が素手の間合いに入る。

 瞬間、機敏な動きで俺を捉えるべく両手を伸ばしてきた。

 さっきまでの運動センスの欠片もない人形とはまるで違う、そこらの人間なら反応すら出来ないほどの緩急のついた動き。

 意図的にやったのか、もしくはそうプログラムされていたのか。

 どちらにせよ、油断せずにいたのが功を奏し、俺の反応速度でも回避に成功した。


「肉体スペックは師匠と同じかそれ以上か」


 まずは解析。

 掛かっている魔術から生前の師匠とどれほどの互換性があるのか。

 その辺りを知らない限り、常に危険な綱渡りを強いられることになる。

 やれと言われたらやれるだろうが、やりたいとは思わない。

 十分という時間制限の中で可能な限りの解析を行い、そして完全勝利を収める。

 そのための行動を頭の中に思い浮かべながら、俺は意識を凝らす。


 初撃を躱した俺を脅威と認識したのか、師匠は飛び掛かってきてから動かずに俺を見つめている。

 身体能力以外の面。

 例えば魔術や魔眼の有無なども考慮しなければならない。

 何かを考えているか、もしくは魔術であったりの準備中か。

 止まっている師匠を好機と判断し、俺は空間魔術で師匠の体を固定する。

 ナイルという魔人にやったのと同じ、固定される前に避けるか俺以上の“魔力操作”の練度か、あるいは転移などでしか回避できない最強の檻。

 捕らえられたことを悟り、しかしただの身体能力でそこから脱することはできない。


「……」


 転移で逃れる可能性を考慮し少しだけ間を開けてみたが一向に動かない。

 俺が師匠を解放しようとし、その為に近づくだろうことを読んで敢えて動いていない可能性も考えたが、そんな独立した思考ができるとは思えない。

 いや、あるいは生気のない表情や動きも、俺にそう考えさせるための策略であるということも……?


「試してみるのが手っ取り早いか」


 独り言ちり、警戒を強めながら歩いて近づく。

 魔人を飛ばした時には既に『精霊刀』を仕舞っているので、今の俺は素手。

 間合いは獲物を持たない師匠と大して変わらない。

 身長差の分だけ俺の方が少し長いくらいだ。

 その程度の差しかないから、一切の油断も許されない。


 固定されて尚、無言でジッと俺のことを見つめる師匠。

 これと言った感情を覗かせない能面。

 エルフの整った顔立ちが際立つ師匠へ歩み寄り、俺は師匠の体に触れる。


「っ――!」


 瞬間、触れた手が固定された。

 俺が師匠の体全体に施したそれを、師匠は触れた手と、そして両の足に発動してきた。

 左の手だけは動く。

 でも、当たり前に動いていた自分の体が思い通りに動かなくなるという、予想していたのに回避できなかったという事実が、驚きによる思考の停止を生んだ。


 そうして生まれた隙に、師匠は魔術の雨を見舞ってくる。

 でも、“魔力操作”の練度だけなら、師匠にだって負けはしない。

 発動した矢先から魔術の操作権を奪い取り、その全てを無力化して防御とする。

 合計百を超える魔術を無力化して、ようやく師匠は魔術による攻撃を止めた。


 ただし、その程度で終わるほど師匠は優しくはなかった。

 魔術を奪い取ることに集中しすぎた結果、師匠が空間固定を打ち破っている事実に気付くのが遅れた。

 いつの間にか手に握る刀を鞘に納めた居合の体勢で構えている。

 マズいと直感し、俺は転移で神殿の天井近くまで転移で跳ぶ。

 刹那。

 真下に見えた師匠が、俺が一瞬前までいた地点を高速で斬り裂いたのが見えた。

 間違いなく、師匠が俺に教えてくれた刀の居合術、“紫電一閃”だ。


 魂がその体になくとも、どうやら生前の技術や才覚は失われないらしい。

 もしくは、体に残った僅かな魂からそれらを復元した可能性もあるかもしれない。

 どちらにせよ、隻眼の師匠のスペックは生前のそれと変わらないらしい。

 開始数分で解析した結果そう判断する。


「にしても厄介だな……」


 生前と同じスペックなだけなら、多少の疲労と引き換えに心や思考を読むことで対等に戦える。

 でも、今の師匠は俺に読めない思考をするから対処が難しい。

 その上、師匠と弟子というその関係の通り、俺がやらないこと、やれるけどやろうとしないことを平然とやってきたりするのも面倒だ。


 さっきの、空間魔術で体を固定するあれ。

 でも俺は、手や足の一部だけでなく体全体を固定した。

 手足を全て固定すればそこから動けなくなるのは同じでも、固定する場所を最低四つに分けるよりは体全体を一つとして固定する方がイメージしやすい。


 まともに動けなくするだけでいいなら、確かに手や足と言った一部分を固定するだけで動けなくなるというのはわかっていた。

 手を千切って動くなんて真似は普通できないから、最低二点、三点でも固定すれば十分だと。

 それを難なくやった上に、俺が先に仕掛けた固定まで解除して見せたのだから、「こうやってやるんだよ」と言われているようだ。


 天井から降り、刀を鞘へと仕舞っている師匠と向き直る。

 恐らく、銘のある刀ではないのだろう。

 量産品か、少し出来の良い程度の刀。

 刀の目利きができるほど刀を見てきたわけじゃないが、何となくそう思う。


「刀を抜けってか」


 居合の構えを解かないまま、師匠は動かない。

 その奥底から覗く心意に応え、指輪(アルトメナ)に仕舞った『精霊刀』を取り出し腰に提げる。

 まぁでも、これでいいのかもしれない。

 無意識であったとしても、弟子である俺に稽古をつけてくれると言うのなら。

 師匠と別れてからの半年近くで俺がどれだけ成長したのかを見せつけるいい機会だ。


「行きますよ師匠。俺の成長っぷり、存分に体験していってください」


 返事は期待していない。

 ただ宣言することで、師匠の気持ちに応えたと伝えたかっただけ。

 でも、師匠が笑った気がした。


 紫の線が奔る。

 師匠の“紫電一閃”。

 『精霊刀』で受け流し、返す刀で反撃する。

 後隙なんてものは無く、反撃の刃は虚しく空を斬る。


「楽しんでくれてるんですね、師匠!」


 さっきまではほとんどわからなかった師匠の心。

 頑張ればキスできそうなくらいの至近距離にいるからか、能力を貫通して伝わってくる。

 師匠が喜んでくれてるのなら嬉しい。

 嬉しいが、それだけに(かま)けていられるほどの余裕はない。


 互いに致死の刃の応酬だった。

 上段、中段、下段。

 それらを巧みに使いこなす師匠。

 教わってきた師匠の技術とそれらを組み込んだ体術で応戦する俺。


 息が詰まりそうな接戦で、でも嫌なものは何一つない。

 一瞬でも気を抜けば師匠の刀が俺の体を斬り裂き、あるいは貫くだろう。

 囮さながら忘れた頃に生成される魔術も、やはり操作権を奪取しなければ俺が不利になる。

 師事していた時は考えたこともなかった師匠との対決。

 なるほど、実際にやってみて中々厳しいという事実を叩きつけられた。


 でも、隔絶した実力差があるわけじゃない。

 表層の思考はまるで読めなくとも、深層にはきちんと師匠の心が残っているのは確認できている。

 時折、零れ落ちた感情が伝わってくるから間違いない。

 だからと言って、この戦闘を優位に運べる何かが得られるわけじゃないが、戦いの後に師匠の体を一時的にでも自由にできるだろうことはわかった。

 見切り発車に目処がついただけでも上々。

 後は負けず、この戦いを終わらせるだけ。


「それができたら苦労しないんだけどね!」


 悪態を、感情のままに呟いてみる。

 それで師匠の動きが鈍るのなら初めからそうしていたわけで、予想通り無表情が揺らぐことはない。

 深層の意識は師匠の体に影響を与えるわけではないとわかっているから、本当に今の呟きは悪足掻きでしかないわけだが。


 そんなのはお構いなしに、師匠の剣戟はどんどんと苛烈になっていく。

 動きが洗練されていくというのはこのことだろうと、そう考えさせられるほどには無駄がなくなっていく。

 師匠の動きに対する俺の動きを加味した上で無駄が省かれていくそれは、RTA走者が組むチャートのような美しさがある。

 無駄がないと思われた動きを見る度に「これ以上はないな」と感嘆させられ、しばらくすればそのタイムを上回る走者が現れる。

 無駄を省き、行動を最適化し、それを繰り返すことで生まれる隙の無い動き。

 全く、見ていて感心させられる剣技だ。

 だからこそ――


「――!」


 振り下ろされた刀。

 それを俺は、受け流すか躱すかしていた。

 それができる体勢で、今までならそうしていた。

 だからこそ俺は、躱さずに刀を体で受け止めた。


 今の師匠とRTA走者の違うところは、現実か否かではない。

 それは、相手の動きに対する依存度の違いだ。

 運と呼ばれるプレイヤー側では操り難いものとは違い、師匠の想像する俺の動きは俺が決められる。

 一部、乱数を操作する術を見に着けた人類もいるわけだが、それは今は置いておき。

 つまり、師匠のチャートと丸っきり異なる動きをすれば、今まで組んできたチャートそのものを根幹から覆せる。


 ザックリと肩口を斬り裂いたそれは、刀身の分だけ肩に刺さり止まった。

 魔力で肉体を強化しても、元はただの柔い皮膚。

 むしろ鎖骨で止められたのに驚いた。

 でもこれで、師匠に一瞬の隙が生まれた。


 ありがとう、師匠。

 心の内で呟いて、俺は師匠に抱きつく。

 膝から先を動かせないよう足を絡ませ、師匠の両腕を背中に回して腕を胴体に巻き付けることで腕も使えなくする。

 師匠が背中から倒れ、俺の腕が当たり前だが挟まれて。

 衝撃を確かに腕だけで味わいつつ、師匠の体に掛けられた魔術の解析を行う。

 もちろん、転移の兆しを感じ取った瞬間に妨害しているから、その分だけ解析に時間がかかってしまうけど、この絶好の機会を逃すよりはマシだ。


「……!」


 ガシガシと、拘束から動けないなりに抜け出そうと暴れる師匠は魔術の一切を使わない。

 これまでの流れなら確実に使ってきた魔術だが、魔力が切れたわけでもない。

 ああ、そうか。

 意識の奥底にいる師匠が体の動作を少しでも邪魔をしているのか。


 憶えがある。

 初めて魔人と対峙した、王城の庭でのこと。

 あの時と同じ、内側にある意識が体を動かす意識の邪魔をするアレ。

 原理も原因も不明だが、確かにそうなるアレだ。


 物言わぬ師匠の援護だと理解し、即座に魔術を解析。

 見知らぬ、俺の知識にない魔術。

 でも魔術である以上、どこかに通っている部分は存在する。

 死体を操る魔術の奥に厳重に掛けられた術者の命令に従わせる魔術。

 それを見つけ、解除を行う。


 解除を行い始めてから師匠の動きは苛烈になったが、それも一瞬。

 解除されたくない防衛機能が作動したのだろうが、進むにつれて奥底の師匠が動きやすくなり抵抗は収まった。

 一分足らず。

 学院で魔術に関する知識を可能な限り詰め込んでいたおかげで、短い時間で完了できた。


「……」


 解除した瞬間、ぐったりと項垂れるように脱力した師匠は、数秒で体を起こし瞼を重たそうに開けた。

 片目だけになった黄金の瞳が確かに俺を見据え、そして柔らかく微笑む。


「おはよう、葵」

「おはようございます。師匠」


 寝起き、という表現が正しいのだろうか。

 体を伸ばし、骨を鳴らし、ジャンプしたり屈伸したりと体を軽く動かす師匠。

 一通り己の体を見回して、師匠は俺に視線を向ける。


「この体はどのくらい()つの?」

「三十分くらいですね」

「意外と長いな」

「すみません。本当は死体操作の魔術も解析したかったんですが……」

「これで十分だ。死した果てに葵の力になれるならこれ以上のことはない」


 時間があれば、師匠の体に掛けられた魔術の全てを解析し、拙くとも扱えるようになりたかった。

 そうすれば、師匠を疑似的にでも蘇らせることができるから。

 でも、師匠はそれを望んでいなかったし、望まれていないものを固持するほど俺の頭は固くない。


「頑張ったんだな、葵」

「……わかり、ますか」

「先の戦いを意識の最奥で朧げにでも見ていたからな。刀と体術の組み合わせ、様になっていた」


 地球にいた頃、師範に教わり磨き続けてきた体術。

 こちらに来て、師匠に習い高め続けてきた刀術。

 それらを掛け合わせ、自らの戦い方として確立しようとし続けてきたそれが、師匠の言葉によって報われた気がした。

 誰かに褒めてもらいたくて、認めてもらいたくてこの技術を磨いていたわけじゃない。

 でも不思議と、たった一言褒められるだけで、それが目的ではなかったとしても嬉しくなる。


「さて。長話をしている時間もないな」

「……ですね」


 まだ視界の範囲外。

 それでも、“魔力感知”がこちらに接近してくる魔力を捉える。

 師匠との戦いが始まる前に飛ばした魔人――師匠の故郷を奪い取った、利己に満ちた魔人。


「葵です。すみません。余裕があればお二人、こちらに来ませんか?」


 何枚も持ち合わせている通信のスクロールを取り出し、本部にいる二人に呼びかける。

 少しばかりの迷いがあったようだが、最終的にはこちらに来てくれることになった。


「……? 葵、どうした?」

「師匠。師匠があと三十分でやらなきゃいけないこと、まだありますよね」

「ある。でもそれと今の葵の通信のようなものと何の関係が?」

「まぁまぁ落ち着いて」


 近づいてくる魔力の気配。

 それをしっかりと認識しながら、マルセラさんへの時間稼ぎのお願いをしつつゲートを作製する。

 神殿自体が内外を分断する役割を持っているから、このゲートもかなり魔力を食う。

 通信もこの神殿を挟むと意外とコストが高いんだが、それは置いといて。

 生み出したゲートから、二人の男女が姿を見せる。


「……え」


 その二人の姿を見て、師匠は目を見開いた。

 驚いてくれているのがよくわかる。


「え……なん、で――」

「久しぶり、ナディア」

「元気にしていた?」


 師匠に驚きを与え、それに応えたのは男女のペア。

 初老に迫ろうかといういい体躯にきちっとした服装を纏う男性は、魔人に多い浅黒い肌を持ち瞳は月の浮かぶ闇夜のような黒。

 紫紺の髪は首の後ろで小さく結われ、爽やかさのある顔は今はとても柔らかく感極まったものになっている。

 元魔王軍所属の穏健派の魔人――シリル・ミラー。


 隣に立つのは、華奢で清楚な立ち振る舞いの小柄な女性。

 金色の瞳に大森林を思わせる新緑の艶やかな長髪。

 男性の半分ほどの、遠目では幼女と間違えそうなくらいの小さな体をドレスで包んでいる。

 “お人形さん”と呼称して差し支えない格好の女性もまた、エルフらしい美形に可愛さをプラスした顔が浮かぶ涙で少し歪んでいる。


 魔人とエルフという異色のペア。

 おおよその人がどんな関係かと勘繰り、知る人が見れば二人の関係を推し量れる。


「お父さん……、お母さん……!」


 見開かれた目には次第に涙が溜まり、ポロポロと零れ落ちていく。

 今すぐにでも声を張り上げて泣き叫びたいだろう衝動を抑え込み、それだけの反応に収めているのは流石と言うべきか。

 例え師匠がわんわんと声を上げて泣いていたって、あの魔人のこの再会を邪魔させる気は毛頭ないが。


「どうして……なんで、ここに」

「あなたの愛弟子であるそこの彼に呼ばれたからよ」

「そ、そうじゃなくって……! なんでここにお父さんお母さんがいるの!? ずっと前に死んじゃったはずじゃ……!」


 師匠の疑問はご尤も。

 俺だって、師匠の両親が生きていると知った時は同じような反応になった。

 でも、考えてみれば何もおかしなことはない。

 師匠の両親や、集落のみんなが死んだという情報は、師匠がこちらの大陸に転移で逃がしてもらうより前の情報からの推測でしかなかったのだから。


「ナージャを逃した後、失うものはないって奮起した集落のみんなで徹底的に抗戦したのよ。最終的に魔王軍の三割くらいを削った辺りでこちらを攻め落とす気はなくなったように思うわ」

「決死で頑張ったから、少なくともナージャを逃したあの時の状況に再度陥ることはなくなったしな」


 魔王軍がそれほどの犠牲を出すまで戦ったのは、それほどまでに師匠の過ごした集落を重要視していたからか。

 まぁ、初代勇者の仲間の末裔が暮らす集落ともなれば、才能に満ちた人材も豊富だろうし。

 リークがあったとはいえ即座に攻勢を仕掛ける辺り、ずっと機会を窺ってたんだろうな。


「……みんなは? みんなは無事なの?」

「ナージャも知っている通り、全員が無事というわけではないわ。でも、まだ生き残りはいる。それだけは確かよ」


 とても不安の残る言い方。

 だけど、一人でも多くの知り合いが生きているという情報は、師匠にとっては心を落ち着ける要素になった様子。

 あまり感情が態度に出ない師匠に、珍しく安堵の表情が見て取れた。


「ナージャを探しに行けなかったのはごめんなさい」

「戦闘が落ち着いたとはいえ、ずっと魔王軍の監視は続いていたから簡単に隙を晒すわけにもいかなかったんだ」


 攻勢を仕掛け、手痛い反撃を貰ったからと言って簡単に諦められるものでもなかったと考えれば、隙があれば再び獲りに行く体制を敷くのも頷ける。

 その頃はまだ前回の大戦が起こるどころか俺たちが召喚されてすらいない時代の話なので、戦力的に余裕もあったから、という理由もあるのだろうが。

 師匠をずっと一人ぼっちにしてしまった申し訳なさからか、凄く言い訳みたいになってしまっている。


「だからと言って、ナージャを一人にした罪が消えるわけじゃないけど……すまない」


 成人したとはいえたった一人の我が子をその子の意思とは裏腹に遠い地へと追いやり。

 迎えに行こうにも状況がそれを許さず。

 挙句の果てに、再会はその子の死後。

 死者を操るという、倫理に欠けた行為を行った敵のおかげでの邂逅。

 ただでさえ謝意と罪悪感に満ちていただろう二人の気持ちがどれほど膨らんでいるのかなど、察するに余りある。


 もっと別に、言いたいこともあるだろう。

 言わなければいけないことも、別れてからの十年近くでたくさん考えていたはずだ。

 でも、それらは実際に言える場面になると口から出ないもの。

 実際に今の二人は、何かを言おうとして、でも口を噤んでを繰り返している。


 傍から見れば我が子を――言ってみれば見殺しにしたことへの謝罪。

 当人を前に、赦しを得るための謝罪に見える。

 でも、それは違う。

 二人の心は、決してそうは言っていない。

 場合によっては、場違いだとわかっていても口を挟んで――


「大丈夫だよ、お母さん、お父さん。二人が繋いでくれた縁が私を一人にはしてくれなかったし、そのおかげで私は、悔いのない最期を()()()()()


 俺がお節介を焼く必要もなく、師匠はこちらにチラリと意味深な視線を向けてきた。

 二人の気持ちは――その本意はしっかりと師匠に届いたらしい。

 それはそれとして、師匠のその含みを持った視線は――まさか俺に感謝でもしているのか。

 もう会えないと思っていた両親との再会に一役買ったのは確かなのでそう考えることもできるけど……。


「葵。あなたはまだやるべきことがあるんでしょう? 私との再会が嬉しいのはわかるけど、行ってあげた方がいいんじゃない?」

「……なんか、師匠キャラ変わりました?」

「そう? いつも通りだと思うけど」


 マリサさんとシリルさんも頷いて、師匠の言葉を肯定している。

 どうやら、この場合おかしいのは俺の方か。

 もしくは――


「じゃあそれが師匠の素なのかもしれませんね。初めからその感じならもっと仲良くなれそうでした」

「初対面でいきなり師匠と呼んでくる輩と仲良くなれると思う?」

「……それは確かに」


 このやり取りだけだと、なんだか地球にいた頃の結愛と会話をしているみたいだ。

 挑発的で、でも嫌な感じはしない。

 この調子なら本当に、師匠ともっと仲良くなれていたと思う。


「じゃあ俺はもう行きます。多分、すぐにでもあの魔人が戻ってくると思うので気を付けて」

「わかってる。ありがとう、葵」

「そうだ、師匠。これ、返します」


 そう言って、俺は腰に提げた『精霊刀』を鞘ごと師匠へ差し出す。

 エルフの郷に返そうとしたら「あなたが持っていて」とやんわり断れ、今まで師匠の形見として持ち続けていた『精霊刀』。

 これは本来、俺が持つべき刀ではなく、返せるのなら持ち主に返すべきだ。


「……いや、それは葵が持っていて」

「いいんですか? だって師匠はこれがなきゃ――」

「大丈夫だよ、葵」

「……わかりました。では、ありがたく使わせていただきます」


 『無銘』の代用として使っただけの得物。

 ずっと指輪の中で温めるだけだった『精霊刀』。

 消極的というか、不純な動機で使っていいような代物ではないと、どこかで罪悪感を感じていた。

 でも、元の持ち主が持ち続けろと言ってくれた。

 師匠にその意図はなくても、それだけで心が軽くなった気がする。


「じゃあそろそろ――あ、そうだ、師匠」

「まだ何かあるの?」


 一向に進まない俺へ向けた、呆れ顔と声。

 流れをぶった切って悪いけど、これが本当に最後だ。

 次の目的地へと向かおうと体の向きを変え、けれど忘れ物をしたので振り返る。

 顔や視線だけでなく、体の向きごと意識の全部を向けて。


「本当に、ありがとうございました」


 腰を曲げ、頭を下げて、全身で感謝を示す。

 師匠との別れの時は、慣れない魂の譲渡で曖昧な意識のまま、感謝の言葉すら伝えられなかった。

 あの時、師匠が俺を嫌々でも受け入れてくれたから今の俺がある。

 そのことをきちんと伝えたかった。


「師匠がいてくれたから俺は強くなれた。師匠のおかげで、守りたいものを守れました。だから、ありがとうございました」


 師匠がいなければ、俺は今ここにいなかった。

 生前に教わった技術、魂として受け継いだもの、人との縁など様々。

 一つでも欠けていたら、きっとこうして師匠との再会を果たすこともなかった。

 こうして感謝を伝える機会を与えてくれたことだけは、魔王軍に感謝してもいいかもしれない。


「葵のおかげで私も最後は楽しく過ごせたわ。お互い様ね」

「そう言ってくれると嬉しいです。じゃ、今度こそ行きます」

「後ろは私たちがちゃんと受け持つ。葵も気を付けてね」

「はい!」


 師匠からの激励。

 短く、素直じゃない師匠らしい言葉。

 それがどれだけ嬉しいか。

 少ないけど、話せてよかった。

 これで心置きなく自分の役目を遂行できる。


 話したいことは沢山あったけど、それは頭を振って他所へと追いやって。

 師匠に――マリサさんとシリルさんに背を向けて、俺は次の戦場へと駆ける。






 * * * * * * * * * *






「最後があれでよかったの?」


 葵の背中が見えなくなるまで見送っていた私の背中に、声を掛けられる。

 数分前から聞いている、けれど懐かしいと思う気持ちが消えない、優しい声。

 幼少期から聞きなれた母親の声だ。


「私と葵なら、あれで大丈夫」


 時間もないし、と付け加える。

 魔人の気配が近づいてから想っていたよりも長い時間が経って、その気配もあと一分もしないうちにここへ辿り着く。

 あの辺りで切り上げるのが妥当だ。

 それに、葵には伝えたいことは伝えられたはずだ。


「昔から素直じゃないことが多かったけど、より拗らせてるんじゃないか?」

「そうかな」


 お父さんからの率直な感想に、本気で分からず疑問を抱く。

 もしそうだとしても、相手が葵ならやはり大丈夫だろう。

 あの子は時折、こっちの心を見透かしたような察する力があるし。


「それよりお母さんとお父さん。私の足、引っ張らないでよね」


 二人の顔を見て、私は発破をかける。

 私が二人よりも強くなったと自惚れるつもりはない。

 もし本当にそうなれていたなら、もっと違う形での再会を果たせていたはずだから。

 だからこの、私の思考とは別で口をついて出た言葉は、きっと私の成長を親に見せたいという幼子の自慢に似たものがあるんだと思う。


 私も随分と大人になったと思っていたし、一人で旅をしていた時はそう振舞っていた。

 ……いや、エルフの郷でお世話になっていた時からそうだったかな。

 なにせ成人だけはしていたし、そうあるべきだと自分でも思っていたから。

 ただどうやら、私は私の思っていた以上にまだまだ子供だったらしい。


「……言うね、ナージャ」

「親として、格好悪いところは見せられないね」


 一瞬だけ驚いたように固まった二人だけど、それもすぐに受け入れてやる気になった様子。

 元魔王軍の幹部であるお父さんと、エルフの神童であるお母さんと、その子である私。

 肩書と実績だけ見れば、類を見ない組み合わせ。

 それが、私たち家族。


「ナージャはどのくらい戦えるの?」

「刀と風と空間魔術。葵の体術も見様見真似なら」


 死の間際に譲渡した私の魂は、今は私のこの動く死体に入っている。

 きっと、葵が術を弄っている間に戻してくれたんだ。

 私が使ったスクロールなんてなくてもそんな芸当ができている辺り、やっぱり葵は私の想像を超えて成長している。

 全く、私が弟子にするには勿体ないくらいの男だ。


「なら、僕が前衛。ナージャは中衛で母さんを守りながら僕の援護。母さんは――」

「魔術でバックアップよね?」

「うん、お願いね」


 簡易的に役割が決まる。

 ものの十秒程度だけど、もう眼前まで敵が迫っている状況ではこれが最善の形。

 葵の去っていった方向とは逆。

 ずっと“魔力感知”の範囲に掛かっていた魔人は、揃った私たち三人を見て心底嫌そうな顔をした。


「驚いた。罪悪感とか感じるタイプだったんだね、()()()()()()()()

「気味の悪い呼び方は止めろ。俺はお前の兄などではない」

「そうだよね。こう呼ばれたら嫌でも昔を思い出しちゃうもんね? あなたが壊した集落のこと――」


 眼前に迫った火の魔術を風で逸らして対処する。

 それ以上、余計なことは言わせないと、火の奥でこちらに手を突き出すナイルの目が物語っている。


「ナージャ。性格悪くなったね」

「……これは葵の影響かも」

「なにっ。あとで葵くんに文句を言わなければ」


 咄嗟の言い訳を信じたらしいお父さんが、敵前だというのに何やらブツブツと言っている。

 葵に余計な苦労を掛けるかも……と思ったけど、お母さんは見透かしたように微笑んでいるからお父さんが突っ走る前に止めてくれそうだ。


「何笑ってんだ……ここは戦場だぞ」


 私たちの戦場に似合わない和やかな雰囲気が気に障ったのか、ナイルは苛立ちを隠しもせずに強い語気でぶつけてくる。

 いや、気に障ったのは戦場に似合わない雰囲気ではなく、やはり昔を想起させるやり取りだからか。

 魔王軍に入ったナイルがどんな生活を送ってきたのかは知らないし、興味がないから知るつもりもない。

 ただ一つだけ。

 私たちは、存在しているだけでナイルの特効薬となれる。


「もう話したくないみたいだし、お母さんお父さん。始めちゃっていいよね?」

「大丈夫だ。準備は出来てる」

「実践は久しぶりね」


 私が確認し、二人がそれぞれ頷いた。

 もっとナイルを揶揄ってみても面白そうだけど、それが油断に繋がっては元も子もない。

 なので、最初から全力で相対するために、敢えて開始を強調する。

 意識の切り替え、それをやりやすくするために。


ナイル(あなた)の行いを、私たちの手で断罪してあげる」

「やってみろよ。向上心もない死人ども」




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