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姉の為に。  作者: たかだひろき
最終章 【決戦】編
189/202

第九話 【vs中村隼人&序列十位・偽神】




 ずっと、悪いことをしたと思っていた。

 幼い頃のほんのちょっとした悪戯で、一人の人生を台無しにしてしまったことは、到底許されるべき行為ではない。

 劣等感や敗北感。

 そういったアイツを自分よりも上だと認めたくないという幼稚なプライドだけで行動した俺がどれだけ愚かだったのか。

 今ならはっきりとわかる。


 事件後、先生や親に叱られたくなかった友人には俺にやれと言われたと自白した。

 「自分たちは悪くない」、「全部俺がやったことだと」そう証言したらしい。

 友人たちも乗り気でアイツを虐めてたのに、だ。

 でも、俺が主犯格であることに違いはない。

 全てが事実ではないものの、それを否定できる要素を持ち合わせていなかった。

 結果、当たり前だが両親と先生に怒られ、自分のしたことの愚かさを反省した。


 でも、反省した頃。

 アイツは家に引きこもってしまった。

 直接謝罪をすることもできず、俺がアイツの近くにいると悪影響になるからと、アイツの両親への謝罪のみで遠い学校へと転校させられた。

 親経由で知ったのだが、二年ほど引きこもった末にアイツは復学できたらしい。

 それを聞いて「良かった」と思う反面、そんな偽善的な感情を抱く自分に嫌悪した。

 アイツの人生を台無しにしかけた上に、まだ謝れてすらいない俺が抱いていい感情ではないと。


 だから、俺はどこかでアイツに再会したら、ちゃんと謝ろうと思っていたんだ。

 俺からアイツに会いに行くことは両親から止められていたから、偶然に頼るしかなかったけど。

 それでも地元でも偏差値の高い高校に上がり、もしかしたら再会できるかもと思っていたアイツと再会できた。

 その上、クラスも同じになれた。

 普段は神なんて信奉していないけど、その時だけは神に感謝した。

 これは過去のことについて謝れと、そう言われているのだと。


 でも、できなかった。

 アイツに何かがあったわけでも、言えないような事情ができたわけでもない。

 謝罪をすることが嫌だったわけでも、その件が周囲にバレることを嫌ったわけでもない。

 でもなぜか、俺の足はアイツに謝りに行こうとすると固まってしまった。


 今になって、あの時の気持ちがなんとなくわかった。

 俺はまだ、あの時に抱いていた幼稚なプライドを持っていたんだ。

 ずっと前に捨てたと思っていたそれは、心の奥底に仕舞っていただけだった。

 変われたと思っていた。

 変わったと思い込んでいた。

 過去は消せない。

 けれど、あの事件を経て俺は人並みになれたのだと、思い込んでいただけだった。


 罪悪感や後悔、そういった感情に苛まれながら、謝罪をしたいという気持ちと、それをさせない自分の体。

 その矛盾を抱えたまま一年が過ぎ、そして二年の始業式。

 俺たちは異世界へと召喚された。


 召喚された日のことはしっかりと憶えている。

 アイツが召喚主らしき女子に話しかけ、そして殴り掛かろうとした。

 護衛に止められ、今度は護衛に殴り掛かりもした。

 大事にはならなかったけど、あくまでそれは結果論。

 アイツ一人ではなく、俺たちクラスメイトの運命を左右しかねない判断を個人でしたことに腹を立て、アイツに当たるような言葉を発してしまった。


 俺の主張が正しくないとは今でも思っていない。

 でもアイツの発言だから否定したいという気持ちがなかったとは言い切れない。

 召喚に驚きただただ固まっていた俺とは違い、正しいかはどうであれ行動を起こしたアイツに対して劣等感のようなものを感じていたも事実。

 謝りたいはずなのに、謝らなければいけないはずなのに、俺はアイツに突っかかった。

 人並みの成長なんて烏滸(おこ)がましい。

 幼稚な心のまま、成長の「せ」の字すら俺にはなかったんだ。


 それに気づかせてくれたのがノラだ。

 幼稚な俺を認め、一緒に成長してくれた。

 家族以外で初めて、大切だと思えた。

 例え始まりが与えらえた役割であったとしても。

 この気持ちは大事にしたいと思った。


 でも、今のままではダメだ。

 過去の清算すら済ませられていない俺にその資格はない。

 だから、俺を発端とした全てをきちんと終わらせる。

 その為に、俺は魔王軍へと与した。

 「自分の為だけに動く」と言った俺を認めてくれたのは本当にありがたい。

 俺を認めてくれた魔王軍に報いる為にも、俺はきちんと過去を清算する。

 俺が前に進むために。

 これ以上、俺の所為で誰かを無為に傷つけることがないように。


「隼人」

「……来たか」


 懐かしい白い神殿。

 多分、まだ沢山あるだろう広い通路の一つで、壁に背を預け目を瞑っていた俺を呼ぶ声が届いた。

 それが何を意味しているのかは言われずともわかる。


「久しぶりだな」

「元気そうだな」

「おかげさまで」


 警戒なんてまるでしていないかのように堂々と歩いて姿を見せたのは、俺の苦手で嫌いな相手であると同時に清算するべき相手でもある相手。

 平均的な身長に日本人らしい黒目黒髪を持った、青年と少年の狭間に位置する男――綾乃葵。


「待ってたよ。お前ならここに来てくれると思ってた」


 死んだと聞かされた時はどうしようかと思った。

 でも、この世界で綾乃のことを一番よく知る側付きの彼女が死を疑った。

 だから俺も、それを信じることにした。

 結果として綾乃は生きていたのだから、俺の判断は間違っていなかったようだ。


「予想が当たって何よりだ。で? お前ら二人と戦うでいいんだよな?」

「いいや。話し合うためにここで待ってた」

「……ふーん。戦うつもりはないと?」


 綾乃の言葉を頷いて肯定する。

 元々、俺が召喚者を害する素振りを見せてまで魔王軍側についたのは、誰にも邪魔されずに綾乃と対面する場を設けるためだ。

 召喚者(みうち)からの敵対者が出れば、実質的にリーダー格として押し上げられやすい実力者たる綾乃が出てくるだろうという予想は出来たからな。


「ずっと、綾乃に言いたいことがあったんだ。いや、言わなきゃいけないことっていう方が正しいかな」

「ふーん? でもそれ、聞いてやる義理はないよな?」

「……その通りだけど、できれば聞いて欲しい」


 綾乃が俺と話をしたくないのもわかる。

 俺がしてきたことを考えれば、今この時点で斬りかかってこないだけ温情と言うべきだ。

 でも、ここで話を聞いて貰えなければ、俺が魔王軍についた意味がなくなる。


「綾乃。俺はずっと――」

「聞いてやる義理はないと、そう言ったはずだぞ」


 そう吐き捨てて、綾乃は一段深く集中した。

 俺たちに理解させるために敢えて、その集中をあからさまにしてきた。

 ノラが反射的に構えるが、それを手で制して対話を断行する。


「待ってくれ! 俺は――」

「聞いて欲しけりゃ勝てばいい。魔人なんだ。実力で言い聞かせてみろよ」


 俺が魔人化していることは知っているらしい。

 誰かから聞いたのか、感覚的に理解しているのか。

 どちらにせよ、今の綾乃には戦う以外の選択肢はない。

 そう判断し、やむなしと腰に提げた鞘から刀を抜く。


「ハンデだ。二対一でいい。全力で来いよ」

「……勝ったら、話を聞いてもらうぞ」

「負けたら俺に従え」


 負けるつもりはない。

 全力で戦い勝ちに行く。

 俺とノラの二人で、強者たる綾乃を倒しに。


「――ッ!」


 俺たちが戦う体勢を整えた直後、その瞬間を狙ったかのように綾乃の刀が眼前に迫った。

 “身体強化”を使う俺の動体視力、反応速度でギリギリ対応できる速度。

 前よりも強くなっているのはわかっていたつもりだが、ここまでとは思っていなかった。

 でも、この世界に来た時のような、対応できないレベルじゃない。

 防いだ刀を弾き、追撃を仕掛ける。

 それだけで通用するはずもなく、追撃の刀は容易に躱された。


「ノラ、反応できた?」

「問題なく」

「なら、いつも通りでいこう。多分、綾乃にだって通用するはずだ」


 こちら側についてから始め、そして続けてきた戦術。

 戦術と言っても小難しいことはなく、単に俺が前衛でノラに援護を任せるというありきたりな形。

 でも、俺たちはこの世界に来てからの一年弱もの年月を共にした間柄。

 そこに数か月という練度も合わさって、並大抵の技術と力では太刀打ちできない自負がある。

 その自信があるから、綾乃相手に怯まず戦える。


「……」


 反撃の刀を躱してから、こちらの出方を窺うようにピタリと動かない。

 静かに、けれど視線は油断なく俺たちを捉えている。

 嫌な目だ。

 全てを見透かされているような、そんな視線。

 対峙しているから、どうしてもそれに意識が向いてしまう。


「ノラ、こっちから仕掛ける」


 隣にいるノラにだけ聞こえるような小声で話す。

 返事はない。

 でも、これでいい。

 言葉を話す、アイコンタクトを取る。

 そう言った挙動は相手に情報を与えることになる。

 意図的に漏らす情報などがない限りは、与える情報は少なければ少ないほどいい。


 脚に力を籠め、俺の全力を持って綾乃へ一足で突進する。

 風と音を置き去りにした速度で、下段に構えた刀を振り上げる。

 神殿に斬撃痕を残すほどの威力を内包した刀は、半身になって躱された。

 やはり、動体視力と反応速度が上がっている。


 半身になった体勢から、綾乃は流れるように反撃を試みる。

 俺の持ち上げた腕。

 その下から滑り込ませるようにして、左手を伸ばしてくる。

 手のひらをこちら側に向けているそれは、まるで銃口を突きつけてくるような錯覚を抱かせる。


「――っと」


 綾乃は反撃をするより前に、大きく後ろへ後退した直後、俺の眼前――つまり、綾乃がいた位置を風の刃が薙ぎ払う。

 一瞬でも回避のタイミングが遅れていれば、綾乃の体を斬り裂いていただろうそれは言わずもがな、ノラの放ったもの。

 完璧なタイミングでの援護に心の内で感謝して、距離を取った綾乃に対し刀を正眼に構える。

 綾乃がどんな動きで来ても対応できるよう、一瞬たりとも集中は切らさずに。

 ついでに、じわじわと魔力を神殿の通路に広げていく。

 “魔力感知”に優れている綾乃にはバレているかもしれないが、それでも万が一を考えれば隠しておいて損はないはずだ。


「……」


 やはり、綾乃は俺たちを見透かしたように無言で見つめてくる。

 剣で打ち合ってから意味のある言葉を発していないから、それも加えて余計に恐ろしさのようなものを感じる。

 魔王のような圧倒的な存在感があるわけでも、宰相のような言い知れぬ不気味さがあるわけでもないのに。


 俺の思考が横に逸れた瞬間、綾乃の姿が眼前に迫る。

 二度目の奇襲。

 正眼に構えていたおかげで防御を間に合わせられたが、速度の乗った威力に押し負け体が後ろへ倒れ込む。

 硬めの神殿に床に倒れ込めば、まず間違いなく綾乃の猛攻を凌ぎきれない。

 それは、ノラの援護があっても変わらない。

 なら、俺の取るべき行動は――


「――転移……“恩寵”か」


 魔力を一気に放出し、空間目一杯に充填させて“恩寵”による回避を行う。

 自身の魔力を広げた空間内を自由自在に動き回れる“領域”と名付けられた“恩寵”。

 薄く魔力を広げていたのはこの“恩寵”の発動条件である自身の魔力がある空間を作り出すため。

 綾乃は俺の“恩寵”のことを身を以って知っているから、隠しておく必要もなかったかもしれない。

 でも、俺に興味がなく、“恩寵”のことを忘れでもしていたらラッキー程度に考えていたが、まさか真正面からのゴリ押しで使わされるとは思っていなかった。

 俺の油断が招いた一瞬の隙をまんまと利用された形だ。

 一瞬の隙も油断も許してはいけない相手だと肝に銘じておかなきゃダメだ。


「ふー……」


 一度だけ、大きく深呼吸をする。

 この隙を狙われる可能性も考慮していたが、綾乃はピクリとも動かない。

 でも、油断はしない。

 予備動作がなくとも、綾乃は高速移動で距離を詰めてこれる。

 “領域”による転移で躱せはするが、繰り返せば綾乃に転移先を勘付かれ対処されかねない。

 パレードの後に行った綾乃への試練と同じように。


「そうだな」


 綾乃がポツリとつぶやいた。

 誰かの言葉に納得するような言葉のようにも、独り言のようにも聞こえた。


「――は?」


 だけど、驚いたのはそこじゃない。

 綾乃は構えを解くと、刀を持つ腕を脱力させてスタスタと歩いてくる。

 一瞬で距離を詰めるでもなく、傍から見れば無防備な格好で歩いている。


 何を考えているのかと、綾乃の思考を汲み取ろうとして止める。

 綾乃の考えていることなんて当然、俺たちに勝利することだけ。

 その過程を汲み取ろうとしても、俺と綾乃の頭の出来は違う。

 つまり、考えるだけ無駄だ。

 油断も隙も晒さないと決めたなら、徹頭徹尾行動するまで。


 表情を変えず、真剣な眼差しで俺とノラを見据える綾乃。

 自然体のまま早歩きの速度で距離を詰められ、もう数歩で間合いに入る。

 刀の長さは綾乃の方が上。

 そこから再び、攻防が始まる。


「――ぐッ!」


 間合いの一歩外側。

 そこに踏み込んだ瞬間、綾乃の姿が消えた。

 背後に回った綾乃に反応し、異様に重たい刀を防ぐ。

 返す刀での迎撃は防がれたが、ノラの援護が綾乃を襲う。

 今度は風ではなく岩。

 その上、魔力をほとんど纏わせない純粋な物理のみの弾丸だ。


「――!」


 綾乃が“魔力感知”を常に広げているのは知っていた。

 だからさっき、ノラに不可視の風の刃で確認をしてもらった。

 今でもそれが変わっていないのかどうかを調べるために。

 結果、変わらないどころかむしろ成長させていた。

 知った時ですら遥か高みにある技術だと憎たらしい気持ちにさせたそれを、より高次元のものへと昇華させていた。


 流石だよ綾乃。

 素直に感心した。

 でも、だからこそ。

 お前にこの戦術は通るだろう?


「対お前対策にずっと考えていた戦術だ!」


 魔力に頼らない物理は、目視以外での把握は限りなく難しいものとなる。

 “魔力感知”を広げていれば拾えていた視覚外の攻撃は、全て目を向けなければ把握できなくなった。

 綾乃は第六感や“気”と呼ばれる直感のような技術は扱えない。

 使えないからこそ“魔力感知”を磨き、足りない部分の代替としているとも。


「――ッ」


 この策は確実に効いている。

 単純な物理攻撃――例えば、拳や剣などは、それを扱う誰かがいる。

 そしてその誰かは魔力を持っていて、一度間合いを把握してしまえば人間の体の動きだけで得物の軌道は計れる。

 でも、ノラの放つ岩の弾丸は魔力を持たない物理オンリー。

 生み出されてから放つ直前までは魔力を纏っているが、放たれてからは完全に魔力が絶たれる。

 即死とまでは行かずとも致命傷になりかねない俺の刀を捌きながら、遠くにいるノラの動きと生成する魔術全てに意識を向けるのは、流石に綾乃でも難しいはずだ。

 欲を言えば、岩の弾丸を風のものへと変えられれば視覚ですら感知できない完全不可視の攻撃にできたのだが、ノラのイメージの都合上、風よりも岩の方が魔力を完全に絶つのが容易だったらしいので仕方ない。


 反転攻勢へと意気込んで、これまで培ってきた技術の全てを動員し綾乃に迫る。

 刀を扱う技術、足の運び方、意識を向ける場所、魔術の起こり、“恩寵”。

 綾乃に成長した俺を見せつける。

 過去の俺とは違うのだと、戦いの中で会話する。


「……」


 真剣さの中に別の感情が見え始める。

 それが何なのか正しくはわからない。

 でも、負のものであるのは確か。

 辛いか、苦しいか、面倒か。

 どうであれ、この優勢を譲るつもりなど欠片もない。


 『弥刀』の銘を持つ刀を、“身体強化”によって引き上げられた力と技術で振るう。

 刀は本来、剣のように刀身で打ち合うものではないと、どこかで聞いたことがある。

 そんなものは知ったことではないと言わんばかりに、俺たちは刀身で打ち合う。

 衝突するたびに火花が散り、刃毀れ待ったなしの剣戟を成す。

 斬り結ぶ速度はどんどんと加速していくが、それと比例して俺の集中力も増していく。

 綾乃の一挙手一投足を見逃さず、その全てに反応できる。

 “恩寵”もなく、ノラの援護もなしに、俺は綾乃と渡り合えている。


「――」


 “恩寵”は使える状態のまま使わない。

 いつでもどこにでも使える俺の“恩寵”は、綾乃からすれば使える状態が維持されているだけで効果を発揮する。

 “魔力感知”で俺の動きは捉えられるが、一瞬でも意識を別のことへ逸らせるという点において、この“恩寵”はいいプレッシャーになっているはずだ。

 このままいけば綾乃を倒せる――と思いたいが、そう上手くは行かない。

 なにせ相手は、いつだって諦めず自身の望みを獲得し続けてきた綾乃だ。

 俺の調子が上がってきたからと言って、容易に勝てるわけがない。


 綾乃を過大評価するでもなく、自らを過小評価するでもなく。

 この数分の戦いで得た感覚とこれまでの経験や知識から導き出した単なる事実。

 それを念頭に、綾乃と刀を打ち合い続ける。


 次第に、俺たちの動きに慣れてきたノラから魔術の援護が入る。

 数こそ少ないが、的確に綾乃の手を妨害し、俺の動きをサポートしてくれる。

 俺の調子が良かろうと、綾乃に勝てるわけじゃない。

 なら、調子のいい俺に、欲しいタイミングで欲しい援護をくれるノラがいたら。

 勝利できる可能性は限りなく高まるだろう。


 そんな戦いを、どのくらい続けただろうか。

 会話もなく、互いに楽しいなどの感情もない。

 一歩間違えれば死が待ち受ける刃物を互いに振りかざしながらの戦いは、綾乃が大きく跳び退くことで一時の休息を迎える。


「……面倒だな」

「そう思ってくれたなら何よりだ」


 素直な感想が、綾乃の口から漏れ出る。

 格上の存在からそう言わしめたという事実が、俺の心を昂らせてくれた。

 それが油断に繋がると自覚しているから、受け止めてから心に仕舞う。

 隣に来たノラは、この合間で集中を切らさないように深呼吸をしながら、綾乃の一挙手一投足に意識を向けている。


「この後に備えて温存しておきたいと思っていたんだが……どうやらそんなことも言ってられないらしい」


 俺たちを認めるかのような発言――否、確かに、綾乃は俺たちを認めた。

 これまで俺を完膚なきまでに叩き潰してきた綾乃が認めてくれた。

 報われる、とはまさにこのことを言うのだろう。

 人生で感じたことのないような達成感で心が満ちる。


「中村。お前にとってそっちの魔人は大切か?」

「当然だろ。急になんだ」

「即答か。まぁそれなら()()()()()。次で決着だ。構えろ」


 綾乃の物言いから不穏を肌身で感じる。

 言い知れぬ恐怖、形のない絶望。

 五感の全てが、この一瞬に全霊を懸けろと言っている。

 その直感と綾乃の言葉に従い、俺は刀を構える。

 刹那、綾乃の拳が眼前にあった。


 移動速度が速すぎた、動きが見えなかった、予備動作すら見逃した、刀は何処に行った。

 目の前――あと十センチもない距離に迫る握り拳をスローの世界で認識しながら、俺の頭は様々な思考を巡らせる。

 それらが余計な思考だと気づき、生存本能とでも言うべきものがあと五センチに迫った拳を回避する方法を選択する。


「ぶな――」


 “恩寵”による転移。

 綾乃から一番距離を離せる位置へ跳び、遅れて本音が漏れた。

 でもそれは、ほとんどノータイムで再度眼前に迫った拳によって遮られる。


「ッ――!」


 “恩寵”による転移に追いつく速度。

 綾乃はそんな速さで動けないと断定し、それが“移動した”と錯覚させるほど巧妙に仕組まれた転移であると推定。

 道の技術ならお手上げで、そうでないならまだ勝機はある。

 転移は魔力の消費量が絶大だ。

 故に、回数を重ねれば重ねるほど、魔力量の差で俺が勝てる。

 転移直後に直接殴りに来なかったのは、精度がギリギリ追いついていないから。

 “恩寵”による転移の回避で間に合わせられるなら何も問題はない。


 傍から見れば、ただ瞬間移動を繰り返すだけの時間。

 姿が見えたと思えば消え、消えたと思えば見える。

 出来の悪いパラパラ漫画のような、一定の空間内を見え隠れするだけの俺たちに、当然ノラはついてこれない。

 十を超え、二十に迫り、それでも綾乃はついてくる。


 綾乃の魔力量は子供以下。

 初級魔術を数発撃つだけでガス欠になる綾乃は、魔紋による魔力量増加があってなお魔術師団員並みしか魔力を持っていない。

 普通なら、数度の転移ですら魔力切れを起こす魔力量のはず。

 秘密にしている何かがあるのか――と考えを巡らせたところで、ついに追ってこなくなった。

 だが油断はできない。

 即座に“魔力感知”で綾乃の魔力を捉えようとして――


「大事なら一瞬足りとも目を離すなよ」

「……なんで、ノラを拘束してるんだ?」


 意味が分からない。

 なぜノラの首を鷲掴みにし、宙に釣り上げているのか。

 息が思うようにできず、苦しそうな表情のノラ。


「動くなよ。こいつは人質だぞ」

「っ」


 助けなければと反射的に動いた体は、無機質な声音によって止められた。

 親猫が子猫の首根っこを掴むような感覚でノラを掴む綾乃は、その細腕からは考えられないほど余裕をもってノラを振り回す。

 締め落とさない程度に掴んでいるのか、ノラは苦しむだけで一向に意識がなくならない。

 それすらもが、綾乃の手のひらの上だというのか。

 もしそうならなぜ――


「なぜか、に対する答えなら当然決まってる。報復――いや、復讐だよ」

「復讐……?」


 何に対する、なんて馬鹿なことは、冷静さを欠いた今でも言わない。

 小学生時代の、俺が清算しようとしていた過去に対する復讐。

 でも、もし綾乃の目的が復讐なら、その対象はノラではなく俺であるべきだ。


「さっき確認したよな。こいつは中村(おまえ)にとって大事かどうか」

「……まさか」

「そのまさかだよ。大事なものが自分の過去の行いで永遠に失われる。これ以上ない復讐だろ」


 嘲笑でも、扇情でも、自責でも。

 そのどれでもない、あるいは感情さえ捨てているかのような冷徹さで以って吐き捨てる。

 ただの作業のように。

 呼吸をするように、綾乃は復讐を行おうとしている。

 綾乃の復讐を止める権利は、俺にはない。

 それはわかっている。

 でも、ノラはダメだ。

 俺はどんなことでもする。

 だから、ノラだけは――


「……なんだ、それは」

「頼む。俺はどうなったっていい。今から一生、お前に仕えるでも、お前の奴隷になるでも良い。だからどうか、ノラだけは助けて欲しい」


 気が付けば、額を白い地面に擦り付けていた。

 膝を曲げ、脛で地面に座り――土下座。


「必要ない。こいつを消せば全てが済む話だ」

「こんなタイミングで言われても都合がいいと思うかもしれない。ずっと謝りたかったんだ。こんなことで過去が消えるわけでも、綾乃に与えた傷が癒えるわけでもない。それはわかってる。でも言わせてくれ。今まで、本当にごめん」


 ノラを人質にとられ、冷静な判断はできない。

 それでも、伝えたかったこと、伝えなければならないことを言葉にできた。

 本当に、俺がどうなろうと構わない。

 じゃあ死ねと言われたなら喜んで逝こう。

 それだけの覚悟を持って、俺はこの場にいる。


「綾乃の怒りは尤もだ。俺のしてきたことのツケがこれだと言われても否定できない。綾乃にこんなことを頼む義理がないことくらいわかってる。でも頼む。どうかノラは――ノラだけは……!」


 話し合いをして、きちんと謝って、ちゃんと清算するつもりだった。

 こんな形になって、言いたいことの半分も言えずに、ただ懇願するだけ。

 考えていたことのほとんど全てが上手くいかない。

 でも、誠心誠意、自分の意志は伝えたつもりだ。


「中村」


 俺の名を呼ぶ。

 名字だけを呼び、その後は沈黙。

 ゆっくりと顔を上げ、綾乃を見上げる。


「最愛の人の死を、きちんと目に焼き付けろ」

「――ァ」


 俺の言葉は、感情は、謝罪は――届かなかった。

 冷徹で、冷酷で、残忍で、至極当然な復讐の感情。

 ノラを掴む右手とは逆。

 左手を後方へ引き絞り、指先をピンと揃える。

 手刀の形。


 その光景を、不思議と冷静に見つめられた。

 それはきっと、掴まれたノラと目が合ったからだ。

 苦しみ、口から唾液が漏れているノラは、未だ続いているだろう苦しみの中で俺に笑顔を向けた。

 笑顔を向けて――


「――ごめんね。今までありがとう」


 既に抵抗を止め、だらんと垂れ下がる手足ごと、宙に放りだされる。

 ノラの心臓に狙いを定めた手刀が動き始める。

 綾乃がノラを殺す一部始終を、俺の眼は焼き付ける。


「……いやだ」


 子供じみた否定が零れた。

 完全な無意識。

 思考も何もない、俺の本心。


 死なせたくない、殺させたくない、生きていてほしい。

 走馬灯のように駆け抜けたたった一年ほどのノラとの思い出に縋るように、俺は手を伸ばす。

 届くはずのないノラへ。

 宙で動く気力すら奪われたノラへ、手を。


 届かない。

 俺の手が届く前に、綾乃の手がノラの心臓を貫く。

 骨を貫通し、血と肉を撒き散らし、たった一撃で。


 いやだ。

 いやだいやだいやだいやだいやだ。

 例え無抵抗で受け入れるべき復讐でも!

 俺に与えられるべき罰だとしても!

 これだけは絶対にいやだ!


 ――ノラは絶対に殺させない!


「……! ノラ? ――ノラ!」


 気が付けば、俺の腕の中にノラがいた。

 脱力したままの、酷く重たいノラが。

 体は冷たくない、脈は――ある。

 大丈夫、まだ生きてる。

 何度も何度も呼びかける。

 ノラが起きるまで、何度も――


「――はやと?」

「そう、隼人。わかる? 大丈夫?」

「……うん、大丈夫。無事、だよ」


 まだ意識が朦朧としているのだろう。

 覇気のない声に、けれど確かな意志は感じる。

 大丈夫、まだ生きている。

 でも、このまま放っておくわけにはいかない。


「なんで、攻撃してこないんだ。絶好のチャンスだろ」


 背後。

 おそらく、俺たちのやり取りを終始見届けるだけに努めた綾乃へ問いかける。


「ん? ああ、うん」


 話しかけられているとは思わなかったのか、一瞬の間を置いて返事が返ってきた。

 返事というには些か言葉に欠けていて、というか返事ですらないただの反応だ。

 さっきまでの冷徹さを微塵も感じないその返事に、あわや気を緩めそうになる。


「大丈夫だよ、隼人。あの人は私を本気で殺そうとはしてないから」

「……なんでノラが綾乃を庇うんだよ」


 抱きかかえられたノラが、苦笑いを浮かべながら綾乃に視線をやる。

 これ以降は綾乃から聞けと、そういうことだろう。

 確かに、ノラにこれ以上喋らさせるのは酷だ。

 何せ、さっきまで綾乃に首を絞められていたんだから。


「ああ。誤解を解いとくと、首はほとんど力入れずに締めたぞ。涎垂らしたのも手足の力を抜いて意識が飛びそうな雰囲気だしたのも、全部そいつの演技な」

「……はあ?」


 わけがわからない。

 綾乃の狂った妄言かとノラへ視線を戻してみるが、バツの悪そうな顔で目を逸らされた。

 どうやら、綾乃の言葉が完全な間違いというわけではないらしい。

 なるほど、本当にわけがわからない。


「隼人が“恩寵”で鬼ごっこしてるときあったじゃない? あの時にあの人が私の傍に来て、『隼人を育てるから合わせろ』って」

「……育てるってどういうことだよ」

「気づいてない? 隼人、魔眼開いてるよ」

「えっ」


 言われて、目元に手をやる。

 自分の瞳が見えるわけではないが、何となくいつもと世界の見え方が違う気がした。

 綾乃に手鏡を投げ渡され確認した自分の黒っぽい瞳には、確かに光る輪が映っている。


「ほんとだ……いやだとしても、ノラはよく綾乃の言葉を信じたな」

「あの高速戦闘についていけなかった時点で選択肢は残されていなかったよ。断っても負けるのがわかってたわけだしさ」

「……それもそうか」


 確かにあの時、ノラは置いてけぼりにされていた。

 諜報、偽装を得意としているとはいえ、十魔神という魔人の上から数えて十人に入る実力者ですら追いつけない領域での戦闘。

 信じたいというわけではなく、信じざるを得ない状況だっただけ。

 結果として良い方向に転がったからよかったものの、もし綾乃が本気で俺たちを潰すつもりだったなら――


「安心しなよ。俺の目的はあくまで“全員で地球に帰る”だ。例え寝返ろうが、首根っこ掴んで引き摺ってでもそうしてやるよ」

「……それはまた、何とも強引なやり方で」

「ま、お前は裏切り者の烙印を押されたまま今後一生を過ごしていくことになるわけだし、これが救いになるかどうかは別だけどな」


 確かに、と綾乃の言葉を首肯する。

 でも、俺のしてきたことを考えれば、その程度で済ませてくれるならマシとも言える。

 自分の目的のために、一瞬でも全員を売ろうとしていたわけだしな。

 実際にするつもりがなかった、結果として阻止されたなんてのは、言い訳にしかならない。

 クラスメイトからの罰はまた別で――


「待って。綾乃はなんで俺のことを許してくれたの?」

「いや許してないが? なんで許されたと思ってんの?」

「え。いやだって、俺を成長させるとか、結局まともに俺を攻撃してないとか……許してなきゃそんなことできないだろ」


 俺のことが憎いなら、盛大に一発ぶん殴るとかもできた。

 ノラを人質に取った上で、返してほしけりゃ一発殴らせろとでも言っていたら、俺は喜んで頬を差し出すだろうし。

 そもそも、嫌いな相手を成長させて何の得があるのか。

 綾乃の心と行動に矛盾があるように思う。


「矛盾なんてないよ。俺はお前を許しきれてない。でも、お前の力はこっち側に取り込んでおいて損はない。魔眼を覚醒させられていないのは魔力の流れからわかったし、なら魔眼を開かせたことで恩を売り、ついでに俺が勝ったことで従わせられるならメリットしかないって、ただそれだけの話だよ」

「……つまり、自分の心と利益を天秤にかけて利益を優先したってことか」

「そういうこと。あ、魔眼は次の戦闘までに使えるようにしておけよ。お前にはアフィと一緒に戦ってもらうから」


 まるで俺が綾乃の言う通りに動くのが決まっているかの言い方。

 いやまあ実際にその通りに動く予定だったわけだし、それ自体には何も問題はない。

 綾乃に負けたんだから、負けた時の約束は守る。

 ただ、初手の要求が異様に難易度の高いもので、少しでもいいから慈悲をくれとも思う。

 言ったところで改善されることはないので、諦め九割で少しだけ抵抗する。


「随分と無茶振りを……アフィってお前の側付きと一緒にこっち側に来た元梟だよな?」

「そう。今はすんげえ銀髪イケメンになってるな」

「わかった。あ、でもノラは――」

「隼人についていくと、そう魔王様にも伝えています。なので心配はいりません」

「……そっか」


 魔王軍と離れることに抵抗のない俺とは違い、ノラには難しいことをお願いしているかもしれない。

 そう思ったが、ノラは俺についてくると即答してくれた。

 ありがたいと同時に、とても嬉しい。


「けっ、惚気やがって」


 嫉妬と羨望を込めた言葉を吐き捨ててきた。

 あれは間違いなく素で言っている。

 俺たちを射殺さんばかりのギラギラと滾るオッドアイが怖い。


「恐らくお前の魔眼は“恩寵”をより強化したものか、それから派生するもんだ。さっきお前がそいつを取り戻した瞬間、俺は離した覚えがないのにそいつの首から手を放してたし」

「わかった。ありがとう綾乃」

「さっさと行け。お前たちが見たって言う軍勢の相手をしてるはずだから」


 綾乃にそう言われ、俺はひと月ほど前の地下空間を思い出す。

 一定の感覚を開けて配置された美しいまでの並びの軍勢。

 生気のないロボットのようでありながら、でも確かに生命だった。

 あれらと一人で対峙するなんて、無茶にもほどがある。


「この神殿は外と繋がってるか?」

「そっちを道なりに行けば出られる。近場かどうかはわからんが」

「わかった。あと綾乃、お前に一つ伝えておきたいことが――」

「大丈夫、わかってる。その軍勢の中でお前の目に留まったことだろ。都合よく神殿内に捕らえられてるから問題ない」

「……そうか。じゃあ俺は行くぞ。負けるなよ綾乃」

「誰に物言ってんだ。お前こそ足手纏いになるなよ、中村」


 俺たちの間柄らしい悪態混じりの発破。

 綾乃に背を向けて、示された方向をノラと一緒に直走る。


「隼人」

「なに?」

「後で私たちの今後について、ちゃんと話しましょうね」


 なぜかノラから感じる不穏な空気。

 薄く笑うノラはとても不気味で、悪いことをしたのに謝罪を貰っていない時の彼女のような、そんな感じだ。

 心当たりが全くない。

 いや、だからこそノラは怒っているのか。

 どうあれ俺に、断るという選択肢はない。


「……はい」


 この大戦が終わった後にでも訪れるだろうその時を怯えて待ちながら、アフィさんの元へと向かった。






 * * * * * * * * * *






「やっぱりいるんだね」


 俺以外に誰の姿もない静謐な白い神殿の通路。

 二度の戦闘を経てもなお、俺が戦うべき相手はいなくならない。

 この後にも最低一つは戦闘が控えているからできれば消耗はしたくないんだけど……相手が相手だしそうも行ってられない。

 魂を無くし、それでもなお動けるのは、俺の知らない魔術か“恩寵”か。

 魔眼という線もあるのか。

 何にせよ、敵対者として俺の前に現れることは間違いない。


「そう言えば、戦うのは初めてだっけ」


 思い返せば、訓練であっても終ぞ戦うことはなかった。

 教えてくれた技術の試し斬り程度なら付き合ってくれたくらい。

 まぁ、俺がそれ以上を望まなかったから、というのが大きいかもしれない。

 やったとしても、あの時の俺では勝つまで行かなかっただろうから。


 でも、今は違う。

 あの時よりも成長し、今となっては世界でも指折りの実力者になれた。

 俺一人の力ではないし、それで驕るつもりもないけれど。

 それでも、比肩するだけの力は身に着けられたと自負している。

 なら、この戦いは俺の成長を示す戦いでもあるわけか。


「ははっ」


 気が付けば、笑みが零れていた。

 戦うのが楽しみなんて魔人じゃあるまいしとも思ったけど、自分の成長を見てもらうのはどこか胸躍るものがある。

 精神年齢はついさっきまで清算しきれていなかった過去に囚われていたから肉体に追いつかず、まだ未熟だというのを自覚させられる。

 でも、それが今の俺なんだから仕方ない。

 大人になるまでに成長させればいいやと後回しにし、ようやく姿の見えた彼女へと挨拶する。


「久しぶり、師匠」




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