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姉の為に。  作者: たかだひろき
最終章 【決戦】編
185/202

第五話 【vs人類領地侵攻軍・前編】



 ここは数日前まで共和国の首都があった場所。

 直径百キロを超える世界最大の都市があったこの場所は、円周部分の外壁とそれを底辺に半球状になっている結界を除き、全てが更地となっている。

 国交の関係で何度か訪れた際に見た、全面ガラス張りの数十階もある大きな建物群は消えてなくなってしまっている。


「改めて見ても、やっぱり違和感は拭えませんね」


 見渡す限りの平地に点々と建つテント。

 地面は土や草などではなく人工的なアスファルトのようなものになっているから尚更そう感じます。

 約ひと月前からこの状態への移行作業が始まっていて、一週間前に終わった変化を一から十まで見てきたわけですが……今でも信じられない気持ちの方が大きいです。


()()()()()()()()()()()()なんて、初代勇者の遺した技術は流石というか何というか……」」


 独り言のように呟いたそれを隣を歩くアヤさんが拾い、似たような感想を口にした。

 共和国の壮観とも言える街並みを見たことのある人間なら、誰しもが抱く感想なのでしょう。


「その上で、全人類が一時的な暮らしを行える設備が整っているとのことですからね」

「ええ。度肝を抜かれっぱなしです」


 これらの話は誇張でも何でもなくただの事実。

 しかもこれが五千年前から設計され、この五千年間でほとんど弄られていないというのだから驚きだ。

 初代勇者様は姉様のような未来を視る力でも持っていたのではないかと疑いたくなるほどに、今の私たちに必要なものが揃っていて驚きしかありません。


(わたる)様もきちんと自分の仕事を果たしてくれているのです。私たちも役目を果たしましょう」

「こちらを任せてくれたフレッドや結愛さんの為にも、全力を尽くします」

「斥候との情報共有はお願いしますね」

「はい。ではまた後で」


 そうこうしているうちに、約五千の人員が集まっている広場が近づいてきた。

 多くの人間が集まった時特有の、あの喧騒が私の耳に届く。

 現在、各国に軍として所属している約三千名と、最後の大戦の為にと志願してくれた組合員約二千名。

 そして魔王軍に奇襲を仕掛けるために割かれた人員を除いた召喚者十八名。

 彼らが、全人類を守る防衛に当たってくれる人たちの総数。

 そんな彼らの前で、私はこれから演説をする。


「……」


 いや、実際は演説なんて大したものではなく、私が指揮官になったのだと全員へ知らしめるためのプロパガンダに過ぎない。

 既に現場で指揮を執るラティーフたちのような団長クラスの方々には周知させている――というか、実際に話をして理解を得ているから、これは本当ならなくても困らない。

 でも「指揮を執る、言わば全体のリーダーとも言える私の役割に立つ人間なら、開戦前に挨拶でもして士気を上げたらどうだ?」というラティーフの提案で、この場が設けられた。

 どの道、魔人が共和国の領土に入ってきたことは伝えなければならなかったので、全体に纏めてそれを発信できるこの場は理想と言えるのですが……。


「今の私のどこに度胸があるのでしょうか」


 つい十分ほど前のラティーフの言葉を思い出す。

 あの時はそう言われて少しは気が楽になったのに、今こうして度胸が必要な場面になると後退りしたくなるほどに後ろ向きになってしまう。

 これまでも誰かの前で演説をする、と言うことは何度かあった。

 でもそれは、精々数百人程度の人数の前。

 その何倍もの規模となれば否が応でも緊張はしてしまう。

 五千人を一望できる演説台に登り、そこで話をする自分を想像すると――


「――あ」


 演説台の上。

 暖かな太陽の光が柔らかに照らすそこに人影を見る。

 太陽を背景にしているから影の輪郭しか見えないそれは、まるで私に向けて手を伸ばしているように見える。

 演説台の前で立ち止まり足踏みする私を励ますように。

 あと一歩を踏み出せない私を引っ張るように。

 それはまるで、縛られ洞窟にいた私を救い出してくれた――


「――こうも都合の良いタイミングで現れてくれるなんて……やっぱりあなたは私のヒーローですね、葵様」


 彼のことを考えるだけでどうしてこうも気持ちが楽になるのだろう。

 決めたはずの覚悟を揺らがすほどの緊張は、もう見えなくなった人影のおかげで綺麗さっぱりなくなってしまった。

 本当に、ピンチになったら必ず助けてくれるヒーローのような存在ですね。


「行ってきます」


 演説台の上にいたのだから、それを言うのは少し違うかもしれない。

 でも、今だけはこの言葉が相応しいと思った。

 だから一人、誰に聞かせることもなく呟いた。

 私の覚悟を表に出し、そして今度こそ確固たるものとするために。


 カツンカツンと金属の音を鳴らしながら、演説台に続く階段を登る。

 敢えて音を鳴らし、私が来ていることを知らしめる。

 ガヤガヤと騒がしい五千人の集団であっても、演説台近くの一人がこの音に気が付けばそれは自然と伝播し静まり返っていく。

 予想通り、私が演説台に登り切った頃には五千人の集団は静まり、全員の視線が私一人に注がれた。


「すぅ……はぁ――」


 目を閉じ、一度大きく深呼吸を行う。

 多くの人間の視線に晒されたことで昂る心臓を落ち着けるための深呼吸。

 でも不思議と、深呼吸をする前から緊張はなかった。

 葵様が隣で見守ってくれているかのような安心感。

 それを胸に、私は閉じていた目を開け、改めて全体を睥睨する。


「よく集まってくれました。私はソフィア・W・アルペナムと申します」


 名乗ったことで、全体が俄かにざわつき始めた。

 国名を家名に入れることで私がどういう存在なのかを認識したからでしょう。

 前情報なく一国の王女がこの壇上に立てば、その反応は何らおかしくありません。

 尤も、王女を名乗ることは現状正しくはないのですが、それは新たな混乱を生みかねないので訂正しなくともよいでしょう。

 ざわついていては話が進まないので、右手を上げて全体を静める。


「今回の大戦で、私は全体の指揮を執ることになりました。正直に言うと、私には荷が重いと、指揮官なんて経験もなければ知識もない私に務まるはずがないと、断るつもりでした」


 私がここで話すべきこと。

 それはラティーフの言っていた通り、開戦前に全体の士気を上げること。

 それは言い換えれば、この戦いに臨む全ての戦士たちに最後まで戦ってもらえるだけの覚悟を作ること。


「ですが私は、今こうしてこの場に立っています。それは強制されたわけでもなく、後に引けない状況になったわけでもありません」


 まともな戦いの経験もなく、常に命を危険に晒すような職業についていたわけでもない。

 どちらかといえば、危険とは程遠い安全圏で過ごしてきた、傍から見れば箱入り娘そのものな私。

 そんな私が、命を懸け戦ってきた――あるいは、命を懸けるために訓練してきた彼らに何を言えばいいのか。


「まずは……そうですね。ここに立つ経緯から説明しましょうか。私には憧れている人がいました。天寿を全うするその時までその人とは会えませんが、それでもその人への憧れは確かに残っています」


 胸の辺りに手をやって、瞳を閉じてそう話す。

 突然の独白に、先程とは違う意味でざわつきが起こった。

 いきなり何の話だと怒る人が出てきてもおかしくないと思っていただけに、ざわつきだけで収まってくれたのはありがたい。


「私の憧れた人は世界平和を望んでいました。自分を犠牲にしてでもこの世界を――人類が魔人との大戦を終わらせ、真の意味で平和になる世界をです。初めて聞いたときはなんて無謀なことを言う人だろうと思いました。大戦が始まってから一度たりとも近づけたことのなかった世界平和なんて、到底辿り着けるわけもないと思っていましたから」


 葵様が実際に世界平和を目指していると公言したことなんてありません。

 今話した言葉の半分近くは、ここにいる人の多くの心を揺り動かすために葵様との会話を誇張し脚色した妄想の話。


「私が夢物語としか思っていなかったそれを、彼は本気で目指していました。在り得るはずのない未来を目指し、やるべきことを着実に積み重ねていきました」


 大戦の勝利という結末を迎えられたのなら、世界平和が実現する可能性は極めて高くなります。

 結愛様から聞いた話が本当ならば、この大戦の完全勝利こそが世界平和の第一歩になることでしょう。

 そのためには人の心すら――


「ひたすらに邁進し突き進んでいた彼は……最後には竜と対立し、果てに平和の礎となりました」


 今の話で、勘のいい人は気づいたことでしょう。

 彼の存在が嘘偽りなどではなく、実在していた人物で、それも異世界からきた召喚者の一人であると言うことに。

 葵様が目指したもの、そしてその死の事実を拡散させるという葵様の策略が、別の方面で活きている。


「やはり無謀だったのだと思いました。ですが同時に、こうも思いました。彼が目指した未来が実現したら、どんな景色が見えるのだろう、と」


 興味から憧れへ。

 その意識のシフトはおかしなものではありません。

 聞き手は受け入れやすく、理解しやすい。


「調べていくうちに、それが実現可能なことであることがわかりました。もちろん、簡単な道ではありません。生半可な努力では到底及びもしないでしょう。ですが、可能であるとわかってしまった以上、その景色を見ないという選択肢は私の中から消えていました」


 人は可能性に弱い。

 例え無理だと否定していたものであっても、できるかもしれないとわかればそっちに寄ってしまうことだってある。


「その結果が今です! 彼の遺志を継ぐために、私は自らの意志でこの壇上に立っています!」


 訴えかける語りの口調から、声を張り上げる。

 静から動へ。

 急激な変化を齎し、その落差で聞き手に都合の良い錯覚を与える。


「頼りないと思う人もいるでしょう。一国の王女程度に何ができる、と。ですがそれで構いません」


 何も間違いではない。

 ここにいる聞き手と真正面から戦って勝てるかと言われても、半分近くの人には勝てない。

 だから何だと言うのでしょう。

 ハッタリもブラフも、腹の探り合いだって、王位継承の勉強でしてきたこと。

 それを発揮する場だと思えばなんてことはない。


「私は指揮官ではありますが、皆様と変わらない! 大戦の勝利という同じ目的を目指し、そして突き進む同志です! そこに優劣などありはしない!」


 喉が枯れるのではないかというくらいに声を張り上げる。

 空にいる葵様に届かせる勢いで。

 私の本心を言葉に乗せて話す。


「私がこの場に立つ理由はたった一つ。彼が目指した未来を見たい、ただそれだけです。では皆様は? 皆様はどうして武器を持ち、この場に立っているのですか?」


 声のトーンを落とし、そう問いかける。

 もちろん答えはない。

 そもそもこの質問に、回答は求めていない。

 この問いは、自問自答させるためのものなのですから。


「皆様も同じなのではないですか? 私が彼の目指した未来を見たかった――言い換えれば彼の努力を守りたかったのと同じで、皆様も何かを、誰かを守る為に、この場にいるのではないですか?」


 家族、恋人、友人や、家や財産、名誉など。

 個人によって大切なものは違うでしょうけれど、対象が違うだけでそこに抱く気持ちは変わらない。


「もうわかるはずです。私がこの場に相応しくないとわかった上で立つ理由。そして目指す場所を」


 全員の表情が変わったのがわかる。

 為すべきこと、その理由をしっかりと認識した彼らの表情は、私の話を聞く前のそれとは雲泥の差。

 だからここで、それをより強固なものへと変える。


「全員、武器を構えなさい!」


 私は広場に集まった総勢五千を超える人類の総戦力に向けて声を張り上げる。

 集まった顔ぶれは見知った者から見知らぬ者まで種々雑多。

 信頼の有無など色々と考えなければならないことはあります。


「これより、大戦を終わらせるための戦いを始めます!」


 それでも確かなことは、ここにいる全ての人間が人類の最終防衛ラインで、そして彼ら一人一人が人類の存続を掛けた戦いに臨む英雄であるということ。


「歴史を変える英雄となるために! そして何より、皆様が守るべきものの為に! その力を存分に振るいなさい!」


 野太い歓声が、地響きのように広場に響いた。






 見渡す限りの平地にポツンと建つテント。

 中央には地図の置かれた大きなテーブルがあり、テントの壁に向かう形で設置された長テーブルが三つ。

 一つは魔人の動向を探る、フレデリック様から預かったアヤさんが座る席。

 もう一つは、アヤさんから得た情報を即座に全員へ伝えるための無線機が置かれた机。

 最後は、無線機が何らかの形で使えなくなった場合に備えた、伝書鳩ならぬ伝書人が待機する席。

 女子比率百パーセントの計五人がいるこのテントの中で、私は地図と睨めっこしながら事前に割り当てた部隊に見立てた駒を動かしては戻し、持ち上げては戻しを繰り返している。

 そこに意味なんてなく、ただ何となく手を動かしているに過ぎない。


「さっきの演説は見事なものだったな」

「……持ち場はどうされたのですか?」

「まだ魔人は共和国の領土に足を踏み入れていないだろう? なら少し離れたところで問題はない」


 ここからも近いしな、と楽観の様子を見せるラティーフに、私は呆れたようにため息をつく。

 実際にラティーフの持ち場はここから近いし、本気を出せばものの数秒で戻れるでしょうけど……まぁ、これは私の立てた作戦に納得していないラティーフなりの反抗と思い受け入れるしかないのでしょうね。

 魔人の侵攻具合を把握するために神経を尖らせているアヤさんの邪魔にならなければいいのですが――と、どうやらその心配はなさそうですね。


「……わざわざ茶化すために指令室(ここ)へ来たのですか?」

「まさか。本当に見事だと思ったんだ。先代の王妃を思い出す素晴らしいものだった」

「それが本当なら最高の誉め言葉ですね」


 お父様の陰で多くの法案を出し、王国をより良い方向へと進めたお母様。

 先代を賢王足らしめた立役者と同じだと言われるのは素直に嬉しい。

 記憶にもほとんどないお母様に似ていると言われているようでもありますから。


「慣れないことをして疲れたんじゃないか? ちゃんと休んでいるか?」

「これでも十分休ませてもらってますから大丈夫ですよ」


 私の返答に「そういうことじゃないんだがな」とでも言いたげなため息をついて肩を竦めるラティーフ。

 これ以上言っても私は頑として動かないとわかっているから、何も言ってこないのでしょうね。

 たとえ言われたところでその予想通り私は動かないでしょうから、その判断は長年の付き合いがあるからこそとも言えますね。


「駒やら地図と睨めっこして何してるんだ? 部隊ごとの配置はもう決めてあるだろう?」

「ええ。お陰様で万全に近い体勢を整えられました」

「俺はまだ、この配置に納得は出来ていないがな」

「ラティーフとアヌベラにとって私を守ることこそが仕事であることは十分に承知していますが、あなたたち二人には好きに暴れてもらう方が力の正しい使い方だと思っているのも変わりませんよ」

「騎士団長として守らなければならない人に突き放されるとは――って、それはここにいる時点でって話だな」


 自嘲するように笑うラティーフは、なんだかんだ文句を言いながらでも付き従ってくれる。

 私の立場からものを言われれば断れないというのもあるでしょうけど、それ以上に私の言い分に理解ができてしまうから従っていると考える方が妥当でしょうね。

 もし私が頓珍漢なことを言って自己犠牲に走ろうとしているのなら、例え今の立場を剥奪されることになってもラティーフなら止めてくれる。

 ラティーフだけでなく、アヌベラもきっとそうしてくれるでしょう。

 だからこそ、私は彼らに安心して仕事を任せられる。


「それで?」

「それで……? あ、今何をしてるのか、でしたね。何をしているのかと聞かれると困るところなのですが……()いて言えば大戦が終わった後、私がきちんと役目を果たせるかどうかを考えていました」

「――不安か?」

「不安がないと言えば嘘になりますが……お父様やお母様が積み上げてきたもの、為してきた以上のことができるのかどうかという点で悩んでいますね」


 与えられた役割を全うする準備はしてきたつもりですし、心構えもできている。

 それでも不安というものはどうしても付きまとってくる。

 絶対の自信を持てるほど、まだ私は私を信じ切れていない。

 今の私が前を向いていられるのは、かつて私を救ってくれたあの人の背中を追っているから。

 ただそれだけの、純粋とは程遠い気持ちを燃料にしているからでしかありません。


「今それを考えられている時点で、先代にも勝る度胸がある」

「そうでしょうか?」

「間違いなくな」


 そう言われても即座に自信がつくわけではないけれど、信頼している人からそう言われると悪い気はしない。

 自信の糧になればいいなと、その言葉を心の内に仕舞っておく。

 そんな私の様子を見てか、ラティーフが小さく笑った。


「先を見据えるのも悪いことじゃないですけどね。まずは目の前のことを頼みますよ、()()()()

「それはもちろんです……と、何か用があったのでは?」

「もう済みましたから、私は持ち場に帰りますよ。新たな主君のご命令ですからね」


 砕けた言葉遣いから敬語になったラティーフは、冗談めかした捨て台詞を吐いた。

 冗談っぽく話しているが、本心が半分くらいは混じっているように思う。

 ここに来てからずっと不満を出していたので、一貫していると言えばそうなのですが……いい歳の大人が大人げないとも思ってしまいます。

 私の心の内でも読んだのか、ラティーフはテントの入り口でピタリと動きを止めました。


「念のために釘を刺しておきますが、くれぐれも一人で戦おうなどと思わないでくださいね。ここは後方で安全とは言え、何が起こるかわからないのが大戦ですから」


 私のいつでも戦えます! とでも言いたげな格好を見ながら、ラティーフはきつめの敬語で念を押してきた。

 言われてから、何度も確認した自分の姿を改めて見てみる。


 まず目に入るのは、白を基調とした王が羽織る外套。

 式典などで着用する豪華絢爛なものではなく、普段使いするための装飾が抑えられたもの。

 特にこれは万が一を考えた装備でもあるので、見た目以上に防御力があります。


 次に外套の下に着用している魔導学院の制服。

 これ自体にもある程度の防御力がありますが、普段から着用することの多い服で且つ動きやすさを重視した結果が制服、というだけの話。

 王城で来ているようなドレスは、万が一にはあまり向きませんからね。


 あとは、魔術師として必須とも言える魔石を嵌めたガントレット。

 物理的な防御力を補強する意味も込めて両腕に装着おり、使い慣れたこれも私の魔術を頼もしく支えてくれることでしょう。

 そして自衛のための“とっておき”として用意した、三枚のスクロールを保持、行使できるバックパック。

 制服と外套の間に背負ったそれは緊急時に発動できるように、魔獣の素材から作った魔力の通りをよくする繊維で作られており、これだけで金貨数十枚が飛ぶほどの高価な代物です。

 指の動きでどれを発動するかを決められる仕組みを使っているため、多少動きやすさに制限がかかってしまいますが、緊急時に安定した“魔力操作”の練度を発揮できる自信はないのでこれが最善でしょう。


 確かに、今の私は戦いが起きた時に対処できるようにと固めた装備ではありますが、わざわざ戦いに首を突っ込むほど愚かでもありません。

 私が後方に置かれ、全体指揮を執る役割を与えられた理由くらいはわかっていますから。


「大丈夫ですよ。これらは全て自分の命を守るためと、そして助けを求める時間を稼ぐためのもの。自分が人並みよりは才能を持っているとしても、最前線で戦う彼らに匹敵すると驕れるほどの実力は持っていませんよ」

「……その言葉を信じます。何かあればすぐに無線を飛ばしてください」

「はい。ラティーフこそ、私に気を取られて死なないよう気を付けてくださいね?」

「……ふっ。忠告、痛み入ります」


 生意気を、と言いたげな鼻笑いを聞かせてからテントから去っていく。

 ラティーフがわざわざ配置から離れたこんな場所に来るなんて、それほどに私のことが心配だったのでしょうね。


「ありがとうございます。ラティーフさん」


 もうテントの外に出て、私の声は聞こえていないでしょうけれど、それでも私は見えなくなった大きい背中に礼を述べる。

 彼の期待に応えるためにも、私は私の役目をしっかりと果そう。

 そう決意を固めたタイミングで、集中していたアヤさんに動きがあった。

 机の上に置き、一心不乱に目を通していた本を食い入るように見つめ始める。


「ソフィア様。魔人が東の海に現れたようです」

「予想よりも早いですね……数と形態は?」

「数は……見えている範囲だと魔人が三名。あとは魔物の群れで、うち十一体ほどが並外れた力を内包しているそうで、一時間もしないうちに首都(ここ)へ辿り着く様子です」


 前回の大戦とほとんど変わらない体制で来た、というわけですね。

 問題視すべきは十一体の並外れた魔物ですが……いいえ、それの対処法は私が考えることではありませんね。

 餅は餅屋に、魔物は組合員に任せましょう。


「わかりました。レジーナさん、無線の用意は?」

「既に完了しています」

「ありがとう」


 一度深呼吸を挟んでから、レジーナさんから無線機を受け取る。

 五千人に迫る人数の前で演説を行い認められた私の言葉には、この大戦で扱える人類の戦力のほぼ全てが従うでしょう。

 私の言葉一つで、彼らが動く。

 少し前の私なら緊張し、委縮していたでしょうこの状況は、少なくとも今の私には欠片の緊張も齎さない。

 冷静沈着に、自分の為すべきことを為す。

 これは、そのための一歩に過ぎないのですから。


「皆様。魔人が東側の海より共和国の領土に侵入しました。あと一時間ほどでここウィルへと到達する予想です」


 各部隊の隊長クラスの人たちへ、無線機を通じて私の言葉が届いていることでしょう。

 与える情報をきちんと考慮し簡潔に、しかし正確に伝える。


「魔人と魔物の姿を確認しています。魔人の数は三、魔物の数は既に百を超え、まだ増加しています。また魔物の中に、変異個体と思われる魔物の存在を十数体確認しています。各自武装などの最終確認を行い持ち場へ向かってください。隣接する部隊との報連相を密に、死者の出ないよう戦ってください」


 こちらで獲得している情報は伝えた。

 後は魔人側がどう動いてくるのか。

 それを即座に反映し、全体へ伝えていく。

 私に与えられた役割は、情報をまとめ伝達すること。

 もし言葉で伝え辛いことがあっても、一部の人になら映像として情報を伝えられる“恩寵”があるから、()したる問題にはなりません。


「――! ソフィア様! 魔人の一人が転移で姿を――」


 アヤさんがそれを言い終える前に、私たちのいたテントが上から押し潰れたように崩れる。

 否、『押し潰れたように』ではなく、実際に『押し潰された』のだ。

 それを為したのは――


「やはり、指揮系統を壊すのが一番だな」

「……いきなりここを狙いますか。よく共和国の結界を破って来れましたね」


 幸い、アヤさんの報告を聞いた直後にテント上空に魔力を捉えたので、三人を守れるだけの結界は張れた。

 しかし機械類はそうも行かず、無線機の半分近くがテントの下敷きになってしまった。

 テントの素材自体は軽いものなので当たりどころが良ければまだ使えるでしょうけど……上にあるものを退ける時間を、魔人が許してくれるとは思えませんね。


「既にこの結界の解析は行っている。素通りするくらいなら訳ないな」

「左様ですか……ではどうして他の魔物や魔人の方を一緒に連れてこなかったのですか? そうすれば指揮系統を確実に潰した上で、守るべき場所を確実に占拠できるでしょう?」

「せっかく用意してくれた準備を無駄にするのも悪いと思ってな。俺だけが先行してきたんだが……他の町や村がもぬけの殻だったのに対して、ここは街ごと綺麗さっぱりなくなってるのはどういうことだ?」


 きっとこの魔人は、共和国に何度か入ってきたことがあるのでしょうね。

 だからこそ抱けた疑問ですし、結界の解析を行ったとも言っていたので確定していいでしょう。

 そして今の会話から察するに――


「教えてほしければ力尽くでどうぞ。ご自身以外を転移させられない魔人さん」

「……なるべく殺すなと言われていたが、貴様だけは例外だ」


 予想通り、この魔人は自分以外を転移させられない。

 こんな安っぽい煽りに乗ってくるとは思っていなかったけれど、確定できたのは嬉しい誤算です。

 ついでに魔人の意識は私だけに集中し、アヤさんやレジーナさん含めた連絡役の三人も逃がすことができます。

 もしもこのような状況になった場合の動き方は事前に話し合っているので、全員迷わず逃げてくれるでしょう。


「全力で、抗わせていただきます」

「やってみろ人間」


 魔人の背後に、十の魔術が展開された。

 全属性を二つずつ出したのは、対処を容易では無くすためでしょう。

 一つの属性だけならば、卓越した技術でもない限り簡単に処理できてしまいますからね。

 どの属性の魔術から攻撃を仕掛けてくるのか、それを見てから対処を――


「――ッ!?」


 魔人の出方を窺おうとした私の隙をつくように、放った魔術は私を素通りする軌道を描いた。

 その先には逃がした四人がいると気付き、背負っていたスクロールホルダーの内の一つを発動させる。

 小指以外の全てを握ることで発動させたそれは、私の背後に巨大な氷の壁を生み出した。

 分厚く高い氷の壁は魔人から放たれた魔術をしっかりと受け止め、綺麗な破片となって砕かれた。


「――チッ。防いだか」

「……意外と冷静だったのですね」

「煽りに乗って逃げる奴らをわざわざ見逃すほど愚かではない」


 まんまと嵌められた、と言うことですか。

 煽りに乗ってきたのはこちらを騙すための演技でしかなく、最初からこれを狙っていたのだとすると相手の方が何枚か上手と考えるべきでしょうね。

 戦闘開始から一分と経たない間にとっておきの一つを使わされるとは思ってもいませんでした。


「だがまぁ、ここで逃げた奴らを追っても貴様が追ってくるのだろう? なら貴様を倒してから一人ずつ追い詰めるとしよう」

「ええ。そうしてくれるとありがたいですね」


 魔人の方が上手だと考えるのなら、この話もどこまでが本当かわかりません。

 なら、出し惜しむことなく対応できるようにするべきでしょうね。

 親指と人差し指を曲げ、二枚目の“とっておき”を発動させる。

 総魔力の一割ほどを燃料に発動したそれは、直径五十メートルほどの結界を作り出した。

 もちろん、ただの結界ではなく――


「空間ごと断絶する結界か。それも貴様を倒さなければ消えないタイプの」

「流石は魔人、と褒めるべきでしょうか」

「この程度なら誰でもできる。ただ貴様……俺の意図を汲み取ったな?」

「先程の私の煽りをブラフに使ったあなたなら、今の話もブラフにしてくる可能性を考慮したまでです」


 苛立ち……いえ、感心でしょうか。

 目を細める魔人は、楽しさ半分怒り半分の曖昧な表情で私を見据えてきます。

 その表情と、そして何より言葉が、私の思惑の的中を意味している。

 もちろんこれこそがブラフで、私の余力を削いでいく作戦ではないと言い切れはしませんが、それでもこれで、逃げた四人を追われると言うことはなくなります。


「まぁいい。どちらにせよ、貴様を倒せば全て解決する話だ」


 早々に思考と気持ちを切り替えて、魔人は今度こそ私を潰そうと魔術を展開してきた。

 その数は全属性が二つずつで十。

 先程と変わらない数ですが、それが最大数だとは思わず、常にこれ以上があると思って臨む。

 実力で劣る私が簡単に虚を突かれないように、そうしなければなりません。


「どうせなら楽しませてくれよ?」


 不敵に笑った魔人は、先程よりも速く十の魔術を放ってきた。

 使い慣れている風の魔術を器用に使い、逸らして相殺し霧散させる。

 しかし、喜んでいる暇はない。

 即座に次の魔術が展開され、襲い掛かってくる。

 数はまた十ですが、今度は火と水の比率が減り、岩の比率が増えている。

 私が風属性の魔術だけを使って対処したことを加味し、風では対処しづらい土の魔術で攻めてきているのでしょうね。


「スゥ――」


 短く息を吸い、放たれた魔術にまた風属性の魔術で対抗する。

 魔人の思惑通りに出力を上げ、岩の弾丸をあらぬ方向へと逸らす。

 私のと魔人の魔力量では、魔術の相性などあまり関係がなくなってしまう。

 現に、相性がいいはずの風で、岩に対し苦戦を強いられている。


「――ふぅ」


 ただそれでも、対処自体はできている。

 魔術の使い方は、学園でたくさん学んできた。

 アヌベラや葵様から実践的な使い方を教わった。

 その知識が、今ここで活かせている。


「ふむ……ならこれはどうかな?」


 試すような眼差しで作り出したのは、巨大な一つの大岩。

 “身体強化”した私でも持ち上げられなさそうなほどに大きい岩を、魔人は容赦なく放ってくる。

 動きはその大きさゆえに遅い。

 それでも、その質量で押し潰されればひとたまりもないのは確か。

 遅さゆえに回避は可能ですが、避ければ魔人が岩の陰に隠した魔術による追撃を喰らってしまう。

 “とっておき”では対処できない類の攻撃。

 全力で魔力を練り上げ、私の実力で真正面から対抗する。


風破(エアバースト)ッ!」


 暴風が吹き荒れて、大岩を真正面から打ち据える。

 巨大な質量体が突き出し風を放つ両腕に圧し掛かってくる。

 気を抜けば簡単に力の拮抗が崩れてしまうから、歯を食いしばり両足を踏ん張って耐える。


「ハァアアアアアア!!!」


 恥も外聞もなく、気迫と共に大きな声を上げて魔力を込める。

 その気概が届いたのか、私の風が大岩を打ち砕く。

 余波が結界の天井に当たり、私の操作から離れた風が結界内に暴風となって吹き(すさ)ぶ。

 あまりの暴風に腕で目元を覆いながら、限られた視界と“魔力感知”で魔人の出方を――


「ッ――!?」


 魔力を右隣に感知した私は、咄嗟に魔術を放ちながら左へ跳ぶ。

 結界内に風が渦巻いているため風の魔術ではあまり効果は期待できないですが、それでも時間稼ぎくらいにはなるはず。

 咄嗟の対応だったのと、風により体勢が安定しなかったこともあり着地が上手くいかず、地面をゴロゴロと転がってしまう。

 風の収まりを肌身で感じながら即座に立ち上がり、死角へ移動していた魔人を見据える。


「今のを避けるか……どうやら甘く見ていたようだ」

「ふー……」


 どうやら腕で私の魔術を防いだらしい魔人は腕の隙間から私を見据え、感心と理解を言葉で表す。

 褒め言葉に当たるそれは、状況が状況なだけに喜ぶ暇すらありません。

 今の攻撃を防げたのはほぼ偶然。

 次似たような攻撃をされた場合は、警戒が強まった今、回避はほぼ不可能と言って差し支えないでしょう。

 予断を許さない状況に、冷や汗が頬を伝う。


「素直に感心するよ。実力差を理解し時間稼ぎを徹底。見事にそれを成し遂げている。見事だ」

「……」


 豹変――という程ではないですね。

 上から物を言われるのは、この戦いが始まってからずっと変わりません。

 ですが、ここまで褒められるのは何か裏があるような気がします。

 先程の魔術だけで魔力の半分を使ってしまった私に、その“裏”を対処することが可能なのでしょうか。

 “とっておき”と残り三割あるかどうかの魔力、そしてまだ動くこの体と頭。

 それでどこまで抗えるのか……。


「貴様は実力者だと認めよう。その上で叩き潰す。抗って見せろ」

「――言われなくともそのつもりです」


 ハッタリじみた私の虚勢に、魔人は嬉しそうにニヤリと笑う。

 直後、その姿が掻き消えた。

 瞬きをしたわけでも、油断をしていたわけでもない。

 魔人の一挙手一投足を見逃さないよう全力で目視していたのに――


「くッ――!」


 左の死角に転移したと理解した直後に、私の体は宙を横移動していた。

 魔人の足と私の横腹に反射で入れた腕が、痛みという信号で蹴られたのだと教えてくれる。

 蹴りを入れた魔人の姿は既になく、今度は頭上に魔力を感知する。

 躱そうにも空中で地上のような動きができるはずもない。

 一か八か。

 まだ正常に動く右手から風を放出し、体を強引に動かすことで回避する。


「がフッ――」


 魔人の攻撃は回避できた。

 しかし、制御できない体勢のまま放った風の魔術で飛ばされた私は、結界の壁に背中から衝突し、受け身もまともに取れずに地面へ落ちてしまった。

 蹴られた勢いは止まり、体勢も落ち着けるようになりはした。

 それでも左腕は痛みでまともに動かせないし、背中は相当な勢いでぶつかった衝撃でズキズキと酷く痛む。

 骨が折れたりしているわけではないのが幸いと言わざるを得ないくらいに、今の一瞬で満身創痍。


「――ァぐ」


 蹲ったままではただの的だと痛む体に鞭打って立ち上がったところへ、魔人の踵落としが迫った。

 反射的に左へと回避できたのは偶然で、しかし次の蹴りは右腕の防御しかできずに再び蹴り飛ばされた。

 先程との違いは宙を舞うのではなく、すぐに地面を転げまわる形になったこと。

 宙を舞っていた時とは違い、地面は痛みとなって牙を剥く。

 再び結界に衝突することでどうにか止まったものの、もう痛みで体を動かすことすら難しくなってきた。

 ここで諦め意識を失ってしまえば、きっと楽なのでしょう。

 魔人が私を殺す気があるのなら、苦しむ間もなくあの世へ行ける。


「――ァ」


 ですが、ここで私が死ねば――気を失いでもすれば、結界は解かれ、魔人は四人を追ってしまう。

 それではダメだ。

 私がここまで戦ってきたことが水の泡になってしまう。

 何より、こんなところで気を失う程、私の覚悟は安くない。


「――ッ」


 何故か半分ほど赤くなっている視界に、岩の弾丸が映った。

 色が付き、しかもぼやける視界は距離感が掴みづらくなっているけれど、この場で魔術を放てるのは私と魔人だけ。

 それの狙いが私であると断定するには十分すぎる理由だからこそ、私は反射的に魔術を放ち岩を逸らした。


「まだ動けるとは……貴様には驚かされる」


 そんな声が聞こえた。

 遠くにいるだろう魔人が言っているのだろうとは思うのですが、口が動いているかどうかすらわかりません。

 ただ一歩ずつ近づいてきているのは、何となくわかります。

 満身創痍の私を見て油断でもしてくれていれば楽なのですが、そうはなっていないでしょう。

 奇襲を仕掛けるにも、咄嗟に咄嗟を重ねた魔術行使の所為でもう三割ほどは余っていた魔力がもうほとんど尽きてしまった。

 緊急時ほど“魔力操作”には気を付けろと忠告を受けていたのに、まるで実践できませんでした。

 数分もすれば魔力も底を尽き、意識がなくなるより前に結界が消えてしまうでしょう。


「無名の人間。私の勝ちだ。結界を解け」


 私の近くまで――といっても、数メートルほどの距離を開けた位置で、魔人は私に命じてくる。

 やはり油断はしてくれないようで、どこまで行っても認められてしまったのだなと理解させられる。

 ここで断れば、容赦のない一撃で意識か、あるいは命を刈り取られる。

 もう短い時間しか発動しない結界を解除すれば、そのどちらもが助かる可能性が――なんて考えるのは、楽観的と言わざるを得ませんね。

 これは大戦で、相手も今回の大戦を最後にしようとしているらしいですから、治癒さえすれば動ける私をそのままで放っておく道理がありません。

 結界を解く解かないに関わらず、最低でも私の意識は奪っていくでしょう。


「言っておくが、貴様が素直に結界を解けば、私は貴様をこれ以上は害さない」

「……それは、ありがたいお言葉ですね」


 私の悩みを察したのか、諭すように告げてきた。

 そうなれば、魔人の申し出を断る理由も薄くなります。

 これだけの傷を受け、満身創痍に疲労困憊を重ねた今の私では、どう足掻いてもこれ以上足止めをすることはできないのですから。


「……わかりました」


 魔人の言葉に従わなければならないのは、私が弱いから。

 そのことに対して怒りは湧いてこない。

 精々が悔しいという気持ちくらい。

 ただ一つだけ。

 一つだけ怒りを向ける矛先があるとすれば、それは――


「あなたの言い分はわかりました。でもお断りさせていただきます」


 私を見下ろしているだろう魔人へ、動かせるだけの表情筋を使い満面の笑みでそう告げる。

 たった十分の足止めもできない自分に腹が立つ。

 己の弱さに、約束すら守れない私自身に苛立っている。

 だから、せめて最後まで抗ってやるんだ。

 苛立つ対象である私への、せめてもの抵抗として。

 そして――


「そうか。残念だ」


 魔人の魔術が一瞬で組み立てられた。

 私の意識を刈り取るそれがどんな形をしているのか。

 もうほとんどぼやけて使い物にならない視界では判別できない。

 ですが、私のやることは変わらない。

 最後の抵抗――醜い足掻きとして三つ目の“とっておき”を発動する。


「ッ――目潰しか!?」


 バックパックに入れたスクロールが、これでもかというほどの光を放つ。

 太陽の真下であるにも拘らず、バックパックを――外套を貫通して目を晦ませるほどのそれは、ぼやけた私の最後の視界をも奪う。

 真っ白に染まり、真の意味で使い物にならなくなった視界を捨てて、“魔力感知”で状況の把握を行う。

 結界は魔力を使い果たしたせいで消えてしまったけれど、魔人は私の思惑通りに目が眩んでいる様子で何歩かたじろいている。

 それでも待機させている魔術が一分も揺らいでいないのは流石というべきでしょうか。

 最後の最後でこれほどの時間稼ぎができたのなら上出来でしょう。

 これならば、誰に対しても誇れます。


「最後までしてやられたな。見事だよ、人間」

「お褒めに預かり光栄です」


 まだ目は見えていないはずですが、それでも魔人は私をしっかりと捉えてそう告げた。

 私と同じように“魔力感知”で視界の代用をしているのでしょう。

 対応の早さを恨みつつ、皮肉を込めて返事をする。

 ニヤリと口角の上がった魔人を最後に感知して、私の意識が刈り取られるのを待つ。




「……?」


 一向に衝撃が来ない。

 かと思えば、後ろの方で何かが地面に突き刺さる音が聞こえた。

 閉じていた“魔力感知”を開くと同時、声が聞こえた。


「ギリギリ間に合った!」

「その声……工藤様ですか?」

「目ぇ見えてないのか……ってそりゃそうか。あの光のど真ん中にいたんだもんな。そうだよ、召喚者の工藤幸聖」


 肩で息をしていることから察するに、全力疾走でここまで駆けつけてくれたのでしょう。

 色々と聞きたいことはあります。

 どうやって私のピンチを知ったのかや、持ち場から十分足らずでどうやってここまで駆けつけたのか。

 それでも、工藤様へ言うべきことは――


「相手は全属性を満遍なく、その上で体術も使います」

「わかりました。あとは任せて、休んでいてください」

「そうさせて頂きます。お願いしますね」

「任せてください!」


 工藤様の頼もしい返事を聞いて、ギリギリで保っていた意識が落ちた。




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