第四話 【vs序列六位・風神、序列四位・雷神】
「同じ魔人と、戦わせてください」
開口一番、決意の宿った瞳と表情でお願いをしてきたのは、葵のクラスで最も人気のある男の子、二宮翔くんだ。
整った顔立ちが、この世界で得た経験やら覚悟やらで押し上げられ、イケメン耐性の低い子なら卒倒しそうなくらいの雰囲気を醸し出している。
「……それは日菜ちゃんとも話し合って決めたこと、でいいのよね?」
「そうです。私と翔で話し合ってこうしたいと思ったことです。ワガママだとはわかっていますが、それでも私たちにやらせてください」
こんなお願いに頭を下げるほど、日菜ちゃんたちにとって大事なことらしい。
元よりそのつもりだったけど、念のために意図を聞いておいた方が――
「――いや、その必要はないわね」
「結愛会長?」
「何でもないわ。それよりも一つだけ、聞かせて貰える?」
「何でしょうか?」
実力的な面で言えば、日菜ちゃんたちは召喚者の中でも上位。
連携も加味して評価すれば、二人の魔人相手であっても問題なく勝利を収められるでしょう。
故に、量るべきはその覚悟。
「自分たちから進言してきたということは、勝利の算段はついてると考えていいのよね?」
少しだけプレッシャーを与えて、それだけを確認する。
葵がやっていた、魔力を集めて擬似的に圧力を与える手法。
どこでも使える汎用性の高さと効力は、唾を飲み込んだ二人が証明してくれた。
「はい。一対一の能力は劣っていても、幼馴染の阿吽の呼吸で補って見せます」
「……幼馴染、ね」
そのワードは、今の私にはとてもよく刺さる。
蔑ろにしたかったわけではないし、今後は大切にしていくつもりだ。
でも蔑ろにしてきた事実が確かにあるわけだから……意図していなかったとはいえやはり心が痛む。
「結愛会長? 大丈夫ですか?」
「――大丈夫ですよ、日菜ちゃん。取り敢えずわかりました。ではまず、風を操る魔人の対策から確認していきましょうか」
この二人が戦う魔人が合計で二人。
風を操る魔人を倒すことで、雷を操る魔人と戦う権利が与えられる。
二人にだけ連戦を強いる形になってしまうのが心苦しいけれど、それを日菜ちゃんたちが望んでくれたので幾分かマシになった。
あとは、作戦やら戦い方やらの確認を行うだけ。
召喚者の中で最も実力のあるペアが勝利すると信じて。
* * * * * * * * * *
白い神殿の中に、さわさわと微風が靡いている。
これで春や秋のような暖かな太陽が出ていたら、きっと昼寝にはちょうどいい場所になっていた。
でも、ここに太陽なんてものはなく、そもそも戦場で昼寝ができるほど豪胆ではない。
特に今ここは、私たちが戦う魔人の射程圏内なのだから。
「久しぶりだね」
「そうですね」
「お久しぶりです」
風に乗り、スーッと横移動してきた少女の魔人は、開口一番そう言った。
比喩でも何でもなく、本当に不可視の風に乗っている彼女は、“魔力感知”がなければ浮いているようにしか見えない。
「二人とも、強くなったんだね」
「あなたとあなたのお兄さんに勝つために努力してきましたから」
「へぇ。俺たちのために努力なんて嬉しいじゃねぇか」
少女の来た方向から、ゆっくりとした動きで男子が現れる。
今私たちの前にいる少女を男性化させたような見た目の、瓜二つな男の子。
その気配はまるで――
「雷神……?」
「よくわかったな。正解だ」
私たちの想定では、まず最初にメリッサさんを倒し、その後に現れるだろうメリルさんを倒すと言う算段だった。
内側にもう一人が潜んでいることは知っているから、前回のような想定外からの奇襲を受けることがないから安心だと思っていたのに……これでは想定外どころか最悪な展開になってしまった。
「どうしてここに……? その子――メリッサさんの中にいるんじゃ……」
「体を用意してもらって、魂だけでメリッサの中にいた俺を移したんだ。他人の魂を別の場所へ移す技術は俺の想像以上に難しくてもう数年かかるって話だったんだがな。実例を見たとかで完成が早まったらしい」
おかげでお前たちとまた戦えるよ、と嬉しそうに話すメリルさん。
そう言えば前回の大戦の最後に、そんなことを言っていたような覚えがある。
と言うことはつまり――
「魂の移動……ってことはあなたのその体は幻影でもなければ幽霊とかの類でもなく――」
「そう。実体のある体さ。本当はもっと大人っぽい姿にもできたんだけど、大戦で戦うだけなら使い慣れた体に近い方が何かと便利だろ?」
自らの肉体を示しながら、メリルさんはシャドーボクシングなどをしてみせる。
その動きに淀みはなく、目論見通り動きやすさという点においては問題がないらしい。
「まぁ細かいことはいいんじゃない?」
「そうだな。互いに決着は早い方がいいか」
容姿の似通った二人。
双子であることを証明するかのような揃った動き。
そして、異なる魔術。
「まだ見せきれてない私たち兄妹の実力――」
片方は風を纏い、もう片方は雷を纏い。
圧倒的な威圧感と強者の風格を漂わせ――
「――存分に味わってくれ」
宣言と同時。
二人の姿が掻き消えた。
臨戦態勢は取っていた。
それでも認識がギリギリになるほどの速さ。
メリルさんは背後へ、メリッサさんは限界まで下げた体勢で正面へ。
挟み込む形で陣取られ、ほんの一瞬でピンチに陥る。
「風破」
「――炎熱」
私が風を放ち、そこに合わせて翔が炎を撒き散らす。
風に乗った炎は私たちを中心に外へと放出され、皮膚を斬り裂く風と焼けそうな熱となって魔人二人を襲う。
このまま突っ込んでくるのであればダメージを与えられ、退くのであれば態勢を整えられる。
どちらの転んでも美味しい展開に持ち込めた。
「やるね」
「状況判断能力が前よりも上がってるな」
「ふー……」
熱で呼吸が大変になるのは想定しておくべきだったと若干の後悔をしつつ、距離を取った二人に向き直る。
さっきの口上の後、あの兄妹はアイコンタクトをしたような素振りもなければ、何かを話し合った様子もなかった。
つまりさっきの奇襲は、事前に話し合っていたものか、あるいは咄嗟に行った連携か。
前者なら如何様にも対処はできるけど、後者の場合は厳しい戦いになる。
ただでさえ前提が不利なのに、もしそうだったら――
「日菜、落ち着いて」
「……ごめん、翔」
「いいよ。それよりも、相手は強敵だ。ここで手を拱いていても始まらない」
あの兄妹が強敵だと言うことは十分承知している。
前回の大戦ではこちらに中村くんもいて、その上で三対一で戦った。
それですらギリギリで勝てたくらいのものだったのに、今こちらに中村くんはおらず、相手は二人。
それもノールックでの意思疎通を図れる可能性があるとなれば、強敵なんて言葉ですら生温いかもしれない。
でも――
「翔」
「なに?」
「魔術は全部、私が引き受ける。だから翔は、詰めてきた時の対処をお願い」
「相手二人だけど……できる?」
「できる」
「わかった」
翔は腰に提げた剣を抜き、目を瞑って深呼吸を行う。
敵前で目を瞑るなんて自殺行為だと思われるかもしれないが、これが翔の集中するルーティンだ。
敵前という状況だからこそ、短い時間で集中しなければ死ぬ。
そういう、背水の陣的な集中の仕方らしい。
この明らかな隙を敵が突いてくるのだとしても、私がカバーするから問題はない。
「いい集中だ。相手にとって不足なしってな」
「短期決戦って言ったけど難しそうかもね」
「だな。だが温存はしない。最初から全力で行くぞ、メリッサ」
「勿論だよ」
私たちがようやく準備を整えたところで、魔人たちも構えた。
さっきの攻防が様子見のそれなら、これからが本番。
私たちとあの兄妹の本気の戦いになる。
「……」
互いに動きを止めたことで訪れた静寂。
魔人が生み出す風だけの音だけが、耳によく残る。
開始の合図――誰かが一瞬でも動けば戦いが始まる。
互いにその機を伺い集中力を高めていく。
「シャアッ!」
先手を取ったのはメリルさん。
バチッと雷を纏いながら突っ込んでくるその姿は雷神の名に相応しい。
でも、近接戦闘なら翔も一級のそれを持っている。
「させないよ!」
「いい反応だな!」
突き出したメリルさんの拳を、翔は剣の腹で受け止める。
放出される雷が刀身を撫でているが、鍔に仕込んでいる絶縁体のおかげで翔には届いていない。
雷をただ放出するだけでは意味がないと理解したのか、メリルさんは突き出していない左側の拳を引き絞り、そのまま連打で押し切る方向へとシフトする。
「オラオラオラァ!」
「――ッ」
雷を纏う拳は、下手に受ければ体に痺れを齎すことになる。
防御するにも精密な動きが求められるわけで、同時に拳の威力を正しく受け止める、もしくは受け流さなければならない。
二つの高度な要求に対し、翔は持ち前のセンスと努力で身に着けた技術で対処している。
余裕はなさそうだけど、対処そのものは可能のようだ。
「いいね! じゃあこういう変化はどうかな!?」
声高に叫ぶメリルさんは、一度大きく後方に跳んだ。
メリッサさんの元にまで下がると、今度は雷の上に風を纏った。
翔たちの攻防の最中、リッサさんが何もアクションを起こさなかったのはこの準備をしていたからだったのか。
まんまと作戦に乗っかってしまったらしいと理解し、即座に対応を考える。
「雷と風の二重の攻撃。さて、お前は対応できるかな?」
「やってみせるさ」
剣を正眼に構え、翔は全身に魔力を巡らせる。
指の一本から爪の先まで、意識して隙間なく全身に。
所謂、“身体強化”と呼ばれる技術。
全身に張り巡らせることで魔力の消費が多くなってしまうが、翔の膨大な魔力量なら問題はない。
むしろ、各部位ごとに意識をわけるよりも効率がいい。
「行くぜ?」
同時、風の刃が頭上に生成され、メリルさんの突進に合わせて射出された。
それらは全て、私の前に立る翔を目指している。
風の刃よりも早く翔と打ち合い出したメリルさんは放っておいて、私は炎を生み出し風の刃を下側から撫でるように放出する。
炎の熱によって空気が膨張し、風の刃が霧散していく。
これで翔はメリルさんだけに集中できる。
「お前の相棒も中々やるな!」
「頼りになる幼馴染なんでね!」
楽しそうな笑みと楽しそうな声音で話すメリルさんに対抗するように、翔も声を張り上げ応戦する。
そんな軽口とは裏腹に、拳と剣による応酬が繰り広げられている。
さっきまでは雷だけだったメリルさんの拳に、今は皮膚を斬り裂く風が追加されている。
直接受ければ当然、若干の範囲技でもあるそれらは、やはり剣で受けるには難しい。
それでも、翔は剣で受けることを選んでいる。
「――次」
翔たちの戦いの詳細を見ている間に、メリッサさんが次の魔術を発動していた。
さっきと同じ風の刃と、それを包むように作られた風の弾丸。
炎での妨害を周りの弾丸で散らし、本命を届かせる算段か。
「なら――」
今度は火ではなく、土の球体を作り出す。
メリッサさんの魔術の数に合わせ十個の球を、それぞれの刃に届かせられるように放つ。
それなりの速度で放たれたそれに、メリッサさんは刃の周辺にある風で弾き粉々にする。
瞬間、私が球体の中に隠していた火の玉が熱を放ち、さっきと同じように風の刃を散らしていった。
「……面倒だね」
「おいメリッサ! 何躊躇してんだ? お前の本領はチマチマとした魔術じゃなくて周辺纏めて薙ぎ払う殲滅攻撃だろ?」
「でも、そんなことしたらお兄ちゃんに――」
「連携を見せるんだろ? 手加減して勝てる相手じゃねーんだからさ」
「……そうだね、わかった!」
翔と激しい打ち合いをしているのに、メリルさんは危なげなく会話を行っている。
実力差と言ってしまえばそれまでの差が、今の会話から滲み出ていた。
いや、翔のことを考えている場合ではない。
メリルさんのアドバイスを聞いてメリッサさんが味方ごと薙ぎ払う魔術を行使してきた場合、私では動き回る翔を保護することができない。
翔のいる空間ごと守るのであればできなくもないだろうが、その場合はメリルさんも守ることになってしまう。
どうせなら翔だけを守りたいが、選り好みなんてしている場合ではなさそうだ。
「――いや」
本当に、それでいいのだろうか。
翔を守ることは最優先事項で、それだけは外せない。
その手段として、放たれるだろう風の広範囲攻撃から守れる魔術を使う。
これ自体に間違いはない。
でももし、これ以上の手があるのなら?
敵であるメリルさんも守ってしまうという欠点を無くせる手段が――
「――ある、ね。問題は私にやれるかどうかってところだけど……」
手は閃いたから考えられた。
でもこれが私にできるかどうかは別問題で、前提として私は一度もこんな立ち回りをしたことがない。
経験がなければ出来ないとは言わないが、それでも万全ではないものをぶっつけ本番で使うなんて、ういくら何でもリスキーすぎる。
やっぱり、少し相手に有利でも、翔を保護する方向で――
「……こんなに消極的だったら、綾乃くんに怒られちゃうかな」
ずっと自分の信念を曲げず、ひたすらに努力を積み重ね、その過程で誰かから悪意を向けられることも厭わなかった綾乃くん。
彼のようになりたいとは思わなかったけど、それでもその直向きさには憧れていた。
そんな彼が、こうして足踏みしている私を見たら、なんて言うだろうか。
きっと、綾乃くんなら――
「勿体ない――なんて言わせない!」
“身体強化”で足を強化し、メリッサさんとの距離を詰める。
魔術による防御と援護だけを行っていた私が飛び込んできたことに驚いた様子のメリッサさんは、それでも対応してきた。
「ッ――! そんな手札を隠し持ってたなんて……!」
驚いた表情のままのメリッサさんだが、生憎とこれは隠していた手札などではない。
ただ単に、後方にしかいなかった私が前に出てきたら相手の虚を突けるんじゃないかと思っただけ。
その目論見は見事に成功した。
あとは、武術の心得も訓練もしてきたことのない私にどれだけのことができるかだ。
小さい頃の事故で運動全般に制限がかかって以来、まともに動かしたことのなかったこの手足は、この世界に来てから随分と動くようになった。
私のイメージ通りに動く手足と、これまで近くで見てきた近接戦の戦い方。
この世界に来てからの全てを総動員して、拳を、足を繰り出す。
「くッ――これじゃ魔術が……!」
風を防具のように纏っているメリッサさんに、生半可な物理攻撃は通じない。
それは前回、個人技では召喚者の中でも一番だった隼人くんの攻撃が通じなかった時点でわかりきっている。
だから私も、それを真似して風を纏う。
“身体強化”して底上げした身体能力に、風を纏った拳と足で攻め立てる。
体に染みつかせた技術なんてないし、見てきた技術を実際に動かすのも初めて。
それでも、私の拙い見様見真似でメリッサさんの妨害ができている。
「このッ――あっち、行ってよ――!」
私が想像以上に動けているというのもあるけど、それ以上にメリッサさんの近接戦闘能力が欠如しているように感じる。
風を纏った防御は超一流。
さっきも思った通り、生半可な攻撃は一切合切弾かれる。
でも、動き自体が素人のそれと大差ない。
だからこそ、見様見真似が驚くくらい刺さっている。
「メリッサ――クソっ、しつっこいなお前!」
「日菜の邪魔はさせないよ!」
遠くで苛立っているメリルさんの声が聞こえる。
その会話から察するに、翔が私の意図を汲んで妨害してくれている様子。
翔が作ってくれたこの隙で私がメリルさんを戦闘不能にできれば、この戦いでの勝利が近づく――
「メリル! 俺の風を解け!」
「でも、そうしたら連携が――」
「相手の方が上手だった! それを認めて次に進むぞ!」
「――わかった」
承諾の言葉がメリッサさんから発せられた。
刹那、異様な気配を感じ取る。
それを感知した瞬間に私はその場から大きく跳び退いて、メリッサさんの尋常じゃない気配の元を探る。
「避けられるんだ、今の」
「……」
異様と形容したが、それは正しくなかった。
私が感じたのは、メリッサさんの魔力の高まり。
魔術を発動する時に感じるそれが今までのメリッサさんのそれとは異なりすぎていて、異様だと感じ取ってしまったんだ。
「大丈夫か?」
「ごめん。倒しきれなかった」
「それはいい。怪我はないか? どこか痛むか?」
「怪我は大丈夫。でも、魔術を認識できなかった」
メリルさんとの戦闘を切り上げた翔が、傍に駆け寄り私の身を過剰なまでに案じてくれる。
それが翔なりの過去の清算なんだろうけど、今はそれよりも建設的な話をしたい。
でなければ、次のメリッサさんの攻撃は回避しきれない。
「翔は見えた? メリッサさんの魔術」
「いや、そっちを見る余裕がなかったから……」
「そっか、そうだよね。もうさっきの奇襲はもう通じそうにないし……」
一度きりの切り札。
それが通じなかった以上、二度目をやっても意味がない。
かといって、今の全力を出せる状態になったメリッサさんに対抗する術も思いつかない。
あの兄妹は現在進行形で何かを話し合っているし、戦闘が再開されたら今までよりも厳しい戦いになるのは間違いないはず。
いやそもそも、まずはメリッサさんの魔術が見えなければ話は――
「――え」
今の私の能力ではどうにもならないんじゃないかと現実逃避気味に逸らした視線の先。
ふよふよと浮かぶ光が目に入った。
それは緑のような淡い色を放っており、私を励ますように∞の形を描くようにして目の前を跳んでいる。
「あれ、その子……日菜の精霊?」
「うん。久しぶりだね。元気にしてた?」
契約して以来、たまにしか姿を見せてくれない私の精霊は、本当に久しぶりに姿を見せてくれた。
前に姿を見たのは、確か綾乃くんが訓練に来てくれていた時だから……三ヵ月以上も前かな。
『風の精霊はほとんどの個体が自由気ままな性格をしている』とは綾乃くんの精霊の言だけど、風の精霊の最上位に位置する彼女の言葉は私の精霊の行動もあって十分に納得できるものだった。
でもどうして、このタイミングで現れてくれたのだろう。
もしかして私のピンチを知って助けに来てくれたとか――
「――なんて、そんなわけないか」
「……」
自在に空中を飛び回っていた精霊は、私の呟きを聞いてピタリと動きを止める。
私の目の前――本当に真正面で動きを止めた精霊は、まるで私の言葉を否定しているかのようだった。
精霊との意思疎通は、通常だとできない。
私からの一方的なものならできるけど、精霊が行動以外で答えてくれることはない。
精霊と話す才能があるか、あるいは大精霊レベルにならないと喋ることはできないそうだから、これは当然の話。
でも今、私の精霊は何かを訴えてくれているように思う。
「……私のこと、助けてくれる?」
何の気なしに聞いた。
精霊が何を考えているのか、私に何を訴えているのか。
それらを考えている途中で口をついて出た私の願望。
精霊は、それに応えてくれた。
意思疎通ができたと喜んでいるのか、さっきよりも早く大きく動く精霊は、一頻り燥いで満足したのか、スッと私のおでこ辺りに近づいてきた。
「あっ、え?」
「な、何?」
「あいや、精霊が眉間に吸い込まれていったから……」
驚きの声を上げた翔の言葉を聞いて、思わず眉間を何度か触った。
特にこれといった変化はなく、今までと変わりない――
「――あ」
「ど、どうした?」
「何か、視界が変わった……? ぼんやりと全体が輝いて見えるっていうか……」
「――日菜、目が魔眼みたいになってる」
「え?」
翔にそう言われ、私は慌てて手鏡を取り出して自分を映す。
鏡には確かに、魔眼のように瞳に淡い緑の光の宿した私の黒目があった。
ただ虹彩を囲うようにして円がある魔眼に対し、私のそれは虹彩や瞳孔そのものがぼんやりと光を纏っている。
要するに、俗に黒目と呼ばれる部分全体が淡く光っている感じかな。
ただ、私の視界はその光っている部分が反映されているわけではなく――
「――翔!」
「! 避けられた」
「こっちに意識は向けていなかったはずだけど……魔力の流れでバレたか?」
全体的に漂う感じにあった視界に映る光に流れが生まれ、直後に魔力の高まりを感じ取れた。
それが何を意味するのかを理解すると同時に、私は反射的に翔を突き飛ばした。
私と翔との間にできた空間を、雷を纏った風がとんでもない速さで通過していった。
あのまま動かなければ、確実に雷に体をやられて痺れていた。
「助かった」
「これ、魔力が見えるんだと思う」
「……マジか」
「多分ね。しかも恐ろしく精度が高い」
私の“魔力感知”以上の精度で魔力の認識ができる。
視界に捉えている範囲内という条件が付いてしまうが、それでも十分お釣りがくる。
「じゃあ俺も、本気を出すとするか」
「何その『まだ本気出してなかったんだぜ』的な厨二発言」
「別にこれは厨二じゃないでしょ! それに全力じゃなかったのは本当だし!」
「へぇ……聞き捨てならねぇな? まだ全力じゃなかったって?」
翔の言葉に、メリルさんが怒り――とは少し違う何とも言えない表情で翔を見据えている。
思わずぞわっとしそうな鋭い視線を真正面から受け止めた翔が「ちょっと訂正」と堂々とした立ち振る舞いで答える。
「俺自体は本気で戦ってたよ。油断していたわけでも、余力を残していたわけでもない。ただ俺は、メリルさんの攻撃を理解しようと様子見……は違うか。観察してたんだ」
「観察、ね。それで? 俺の攻撃は理解できたのか?」
「雷を精密操作して体内で運用――筋肉なんかに作用させて疑似的な強化を施してる。神経を通じて送られる電気信号とバッティングすれば体をまともに動かせなくなる危険な技で、でも卓越した“魔力操作”技術と経験によって難なく扱ってる。合ってる?」
「……観察っつったのは伊達じゃあなかったらしい」
言外に翔の推理が正解だと認めるメリルさん。
憎たらしい表情はどこか嬉しそうにも見える。
「じゃあ互いに、全身全霊の一撃が放てるってことだな」
楽しそうに首をコキコキと鳴らすメリルさん。
隣では一言も喋らずに集中力を高めているメリッサさん。
さっき兄妹で話してた会話がどんな結果を齎すのか。
それに、私たちが対抗できるのか。
あと五分も経たずに決着が着くのだと、何となく察する。
その時に私たちが立っていられるように最善を尽くすまで。
「スゥー……フゥー……」
大きく深呼吸をして、全身に酸素を巡らせる。
視界をクリアに、思考を潤滑に。
今の私の持てる最大限で兄妹に勝つために。
「――行くよ」
先手を取ったのはメリッサさん。
静かに高めていた魔力を解き放ち、通路全体を飲み込む風の波動をぶっ放してきた。
上下左右どこにも逃げ場のない、真正面から打ち破る以外に回避する術のない魔術。
「力を借りるよ!」
隣に立つ翔が虚空へ向けて言い放ち、ほぼ同時に翔の持つ剣の刀身が淡い緑の光を放つ。
風の精霊の力を宿した剣を上段に構え、迫りくる風の波動へ振り下ろす。
神殿が軋むのではないかと思うくらいの暴風が吹き荒れて、波動は消滅する。
しかし、それは私たちに攻撃するための魔術ではなく、メリルさんが安全に近づくための移動手段。
風に乗り距離を詰めていたメリルさんが、持ち前の速度とその小さな体からは想像もできない力を秘めた拳を翔に向けて連打する。
「まだ行くよ」
翔とメリルさんの攻防に意識を向けた瞬間、メリッサさんの声によって強引に意識が持っていかれる。
私の目に映るのは、三つの巨大な風の球。
直径三メートルはあろうかという巨大な球は、中身が様々な方向へ渦巻いている。
意図的に作り出した乱気流のおかげで、大きさ以上の威力を内包していると見ていい。
しかも恐ろしいことに、その風は常に外側へと吹き荒れている。
炎の熱で空気を膨張させる前に、熱があらぬ方向へと散らされるのがオチだ。
「行けるよね。今の私なら」
精霊の目が、渦巻く風をしっかりと捉えてくれている。
それら一つ一つを対処するのは難しいけれど、一つの流れにしてしまうのはそう難しい話じゃない。
今の私には“精霊の目”と、そして培ってきた“魔力操作”の技術があるのだから。
要は魔術封じを応用すればいいだけの話。
「させないよ」
風の球へ対抗しようとした矢先、メリッサさんが早い風の槍を撃ってきた。
空気抵抗を減らし、速度に特化させたそれは、弾丸に迫る速度で弾丸以上の貫通力を持っている。
けど、それは想定の範囲内。
下から突き上げるような突風を起こして、槍の軌道を上へ。
槍が天井に突き刺さるまでの一秒で巨大な風の球の流れを制御し、ただの空気の塊にする。
そうなれば、熱で散らすのも容易い。
大きさがあるだけに時間はかかったが、それでも数秒程度で済んだ。
「オラオラオラオラオラオラァ!」
一回目の攻防を終えた私の耳に、メリルさんの大きな声が届いた。
声を上げて殴り続けるその様は、溜まった鬱憤をサンドバックに向けて放っているかのようで、とても楽しそうで気持ちよさそうだ。
尤も、翔はサンドバックではないから気持ちいいだけで終わらせない。
流れに任せた単調な連打に気付き、隙間を狙って攻撃を通す。
「かかったな」
「――!」
背筋が凍るような笑みと声。
それがメリルさんから放たれた直後、翔の体勢が大きく崩れた。
雷を喰らえば体が痺れてしまうため、メリルさんの攻撃は一発も貰ってはいけない。
だからこそ体を大きく逸らして回避する必要があった。
でもそのせいで、翔は次のメリルさんの攻撃を凌げない。
「援護はさせないよ!」
「――ッと」
私だけを狙った波動が、一歩後ろに下がった私の前を縦に薙いでいく。
そのまま器用に横へ振ってきたので回避を余儀なくされ、翔の援護には行けなくなってしまった。
でも、そんな心配は杞憂だったとすぐに理解した。
圧倒的不利なこの状況で笑みを浮かべた翔は、両足の裏から炎を噴射し上へ回避すると同時にメリルさんへの牽制。
更にはジャンプで追いついてこないように水で覆った岩の壁を生成する。
さっきのメリッサさんの波動を操作したのも器用だと思ったが、翔のこれは更に器用に魔術を扱っている。
全属性の魔術を扱え、恩寵が魔術の解析に特化している翔だからこそできる芸当。
雷という一属性を極めたメリルさんに対し、全ての属性を人並み以上に使いこなして互角に渡り合う。
「……心配なさそうだね」
これまでの訓練で培ってきた連携は、今のところほとんど取れていない。
でも、互いが互いの戦う相手だけを見ていられる環境を作るという点では、これ以上ないくらいに上手くハマっている。
作戦通りなどではないけれど、最善に近い動きができていると思う。
けれど同時に――
「埒が明かない」
メリッサさんが放ってくる魔術を消滅、霧散させながら小さくボヤく。
現状、一対一での交戦を行っているおかげで、対等に渡り合えている。
逆を言えば、対等に渡り合えているだけに過ぎない。
こちらが有利に立つことも、その逆も起こっていない。
この拮抗を打ち破る何かがなければ、無為に時間を浪費するだけの消耗戦になってしまう。
精霊のおかげで得たこの目がいつまで続くのかわからないし、何よりメリッサさんの魔術が時間経過でどんどんと精度が増していっている。
ただでさえ相殺するのに集中力を要しているのに、更により技術的な面を要求されると厳しくなっていく。
「何か……一手でいいから何かがあれば……!」
もう何度目かわからない波動を相殺しながら、意識をメリッサさんから完全に逸らさない程度に思考を巡らせる。
私にできることは全て出し切っている現状で、新たな一手は生み出せない。
翔も恐らく同様で、既に契約している全精霊をフル活用した戦いをしているから隠し玉も切り札もない。
つまり新しい一手は、知恵や発想の部分から生み出さなければならない。
「――ぐッ」
「油断してると私が潰しちゃうよ?」
「……そうね。そうなんだけど……!」
思考にリソースを割きすぎて、危うく波動を受けてしまうところだった。
どうにか相殺が間に合ったけど、もう思考に費やす余裕もなくなってきている。
私の集中力以上にメリッサさんの成長速度が尋常じゃないから、非常に不味い事態に陥りかけている。
もう陥っていると言ってもいい。
私にはもう、解決策を思いつくだけの思考も余裕もなくなってしまった。
だから一度だけ視線を翔にやって、後はメリッサさんに集中する。
「ようやく私だけを見てくれたんだね」
「随分と饒舌だね。魔人ってみんなそうなの?」
「どうだろう。でも強い人とは話してると楽しいよ。あなたは違うの?」
「そう感じたことはないかな。強いとか弱いとか、そんな話をする人もいなかったし」
「そっか。でも私は楽しいよ」
至近距離まで詰めてきたメリッサさんの瞳は爛々と輝いていて、今この時を思う存分に楽しんでいるのがわかる。
新しいゲームをプレイする子供のように、全身から楽しいが溢れ出ている。
見た目の幼さも相まって微笑ましくはあるけど、それが油断すれば死にかねない攻撃に転じてくるから素直に微笑んではいられない。
「こうして対等な目線で戦ってくれる人はいなかったから――!」
そんな会話をしながら、かつ距離を開けるように立ち回りながらでも、メリッサさんの攻撃の手は緩まない。
本当に驚くべき速度で成長しているのを、打ち合っている私は肌身で感じ取っている。
このペースで成長し続けられたら、もうあと十分も経たないうちに私は敗北する。
そう理解させられるほどの成長速度。
「はぁ――スゥ……」
攻撃の合間に行う呼吸も、どんどんと猶予が短くなっている。
私にゆっくりと呼吸をさせないという意図があるわけではなく、ただ純粋に可能な限りの速度と威力で魔術を放っているだけ。
ただそれだけなのに――いや、余分な思考がないからこそ、ただそれだけのことでこちらが追い込まれていく。
本当にこのままでは不味い。
早く、この状況を変える一手を――
「――終わりだな」
「クッソ……!」
メリルさんの声が聞こえ、直後に翔の悔しそうな声が聞こえた。
チラリとそちらに視線をやってみれば、完全に勢を崩している翔と、拳を引き絞るメリルさんの姿があった。
どう足掻いても避けられない間合い。
足から炎を出そうが、土と水で壁を作ろうが、風を纏って防御しようが、雷を纏った拳の速度と貫通力には太刀打ちできない間合い。
近接戦闘を得意としない私でも詰みだとわかる。
「行かせな――えっ」
翔のピンチを目視し、再び私が援護に行くだろうと先手を取ってきたメリッサさんは、意表を突かれたと言わんばかりに声を上げた。
何に対してなんて、言わずともわかる。
私が翔の方向へではなく、メリッサさんに向けて走り始めたからだ。
状況が上手く呑み込めていないのだろう。
戦場では命取りになる唖然を体現しているメリッサさんに全速力で吶喊する。
「意図は汲んだよ!」
翔がメリルさんの攻撃を喰らう直前、その瞳が私を捉えていた。
そこに言葉にせずともわかる意図を確かに感じ取った。
だから私は、肩口を拳で貫かれドバっと血を噴き出した翔から目を離し、躊躇なくメリッサさんに駆け出した。
さっき使って対処された手段だからこそ、もう使わないと思われている。
その虚を突いて、ついでに翔という仲間を使った囮。
二つの効果の重ね掛けで初めて作れる隙がこれ。
ここを逃せば勝機がなくなる。
だから絶対に外さない。
確固たる意思を持って、この攻撃を届かせる。
「ハァアアアアアア!!!」
「こっ、来ないで!」
さっきの一幕が若干でもトラウマになっているのか、過剰な反応でメリッサさんは私を遠ざけようと魔術を乱射してくる。
精度はさっきまでの連撃よりも劣っているけど、数が十や二十では足りないくらいに多い。
逃げようとするメリッサさんを守るように、攻撃プラス足止めの意図が多く含まれたそれらは今の目があれば躱せる。
「ハッ、ほッ、せいッ」
魔術を躱し、魔術で相殺し、拳で弾く。
思い通りに動く体は十分に機能し、逃げ惑うメリッサさんを徐々に追い詰めていく。
ひたすらに逃げに徹していたメリッサさんだったが、その直後に足を止めた。
観念したわけではなく、何か意図を感じる静止。
でも関係ない。
追いつけるのなら捕まえて拘束するだけ――
「可愛い俺の妹を追っかけ回すのは止めてくれないか?」
走る私の隣を、後ろから追いかけてきたメリルさんが並走する。
翔は右肩を貫かれ、剣を床に落としていた。
まだ動けても、戦力としてはガタ落ち。
ならメリッサさんを追う私を対処した方がいいと判断されたでしょう。
メリッサさんが立ち止まったのも、メリルさんが来ているのを理解したからだったのね。
なるほど、よくわかった。
「私だけを見てて、いいんですか?」
「なに?」
私の呟きに反応した瞬間、私はメリルさんに向けて拳を放つ。
攻撃対象が自分だったことに驚いたらしいメリルさんは、それでも反応し完全に避けてきた。
私の拙い技術では速いメリルさんには攻撃を当てられないらしい。
それはわかっていた。
わかった上でこうしたんだ。
だってこれが、翔の用意した現状打破の一手なんだから――
「ありがとう、日菜」
「ハァ!? なんで――」
私にお礼を述べる声。
それは、私とメリルさんを見ているメリッサさんの背後から聞こえた。
「――なんでお前がそこにいる!?」
今日一の驚きを見せるメリルさんへ、痺れるのもお構いなしに羽交い絞めにする。
全身に魔力を張り巡らせて麻痺対策とし、同時に“身体強化”も行う。
この一手で全てを終わらせるために、ここで全ての魔力を使い切るつもりで臨む。
「離せッ!」
「絶対に離さない!」
筋肉が悲鳴を上げているけど、それでも構わず力を籠め続ける。
翔がメリッサさんを捉えるまでの間でいい。
全力でメリルさんを止めるんだ。
それができれば翔が終わらせてくれる。
今ここで全てを出し切るんだ。
翔の答えに応えるために。
綾乃くんの遺志を果たすために――
「――な。日菜!」
気が付けば、目の前に翔の顔があった。
もう一歩踏み出したらキスができるくらいの距離感にいる翔は、バツの悪そうな顔をしている。
「あ、え?」
「終わったよ。俺たちの勝ちだ」
だから拘束解いてあげて、と私が羽交い絞めにしているメリルさんを指して言う。
言われてみれば、メリルさんはもう雷を纏っていなかった。
翔の奥ではメリッサさんがへたりと座り込んでいる。
どうやら、戦いが終わっているらしい。
「えと、あっ」
何がどうなったのかを聞こうとして、まずは羽交い絞めにしているメリルさんを解放しなければと力を抜いた。
まだ痺れが抜けきっていないようで、拘束を解くのに少しだけ時間がかかってしまった。
それでも無事に拘束は解け、メリルさんは即座にメリッサさんの元へと走っていった。
そこで緊張が解けたのか、私もメリッサさんのようにペタンと冷たい床に座り込む。
「私、どのくらい羽交い絞めにしてた?」
「三十秒くらいじゃないかな。日菜が拘束してすぐにメリッサさんに攻撃を当てられる状態になって、メリルさんが負けを認めたって流れだよ」
私がメリルさんを止めることに夢中になっていたことで把握していなかった状況を、翔が丁寧に説明してくれる。
私が最後に記憶している状況からすぐに、この場での戦いは終わっていたらしい。
ん?
ってことはつまり――
「私ってメリルさんが負け宣言してから結構な時間拘束し続けてたってこと?」
「だね」
「あー……それは悪いことしちゃった」
「気にするな。それだけ必死だったってことだろう」
私の言葉が聞こえていたのか、メリルさんが擁護するような声を出してくれた。
どうやらメリッサさん共に目立った外傷はないようで、若干メリッサさんが涙ぐんでいること以外は問題なさそうに見える。
「お前がメリッサの元に瞬時に行けたのは、俺の技術を使ったのか?」
「そうだよ。言ったでしょ? 観察してた、って」
「まさか使えるとは思わなかった。理解できるのと実行できるのは別問題だからな」
「結構無茶したよ。肩の傷を日菜の恩寵で治してもらってなかったらできてなかったかも」
「肩貫いたのにピンピンしてたのはそういう理屈か」
メリルさんの言う通り、翔が肩を貫かれた瞬間に、私は翔に向けて治癒を行った。
魔術の治癒に加えて私の恩寵でもある癒しの波動を乗せた治癒。
だから遠距離にいた翔の治療ができた。
魔術だけなら距離が遠すぎてまともな効果が期待できなかっただろうし、我ながらいい判断だと思う。
「お前もお前だ。俺の技術を盗んだだけじゃなく痺れ対策を取ってただろ?」
「勿論だ。雷の精霊にお願いして、こう……相殺できるように調整してもらったんだ」
「あの状況で器用なことをするもんだ」
メリルさんの表情には、呆れが強く出ているように見える。
負けて悔しいとか、人間に負けるなんてという憎悪とか。
そんな感情は一切なく、この決着に満足しているかのような、そんな表情だ。
「ほら、メリッサ。そんな泣くなって」
「だって……怖くなって逃げちゃって……それで負けちゃって……」
ぐすぐすと涙を零すメリッサさんの頭を、メリルさんが優しく撫でて宥めている。
兄妹であるという事実がよく伝わってくる。
その仲睦まじい光景を見て、ふと兄のことを――家族のことを思い出した。
みんな、元気にしてるだろうか。
もうこの世界に来てから一年近くが経ってしまった。
戻ることにはきっと、大きく変わっているだろう。
元通りになんてならないだろうけど、それでも変わらず接してくれるだろうか。
「……って、まだ大戦が終わったわけじゃないのに何考えてるんだろ」
「日菜? どうかした?」
「ううん、何でも。ただ結愛会長とか共和国に残ったみんなはどうしてるのかなって思って」
「会長もみんなも、問題ないと思うよ。向こうにはラティーフさんたちも残ってるんだしさ」
「それもそうだね」
共和国には頼りになるラティーフさんやアヌベラさんが残っているし、他のクラスメイトだって私たち特攻組に負けないくらいの力はつけてきた。
何も心配することはない。
だからそう、一先ず心配しなければいけないのは――
「――メリッサさん、泣き止ませるのが先決だよね」
「だね。日菜が凄い形相で追いかけまわすからトラウマになっちゃったんじゃないの?」
「失礼な。そんな怖い顔なんて……してても私には分からないけど」
取メリルさんの胸元でシクシクと泣き続けるメリッサさんに、一因を作っただろう私が謝るところから始めよう。
何とも閉まらない終わり方だけど、これが私たちクオリティな気もする。
こうして敵と和解して終われたのだから、満点と言っていい。
綾乃くんが望んだ結末も、きっとこんな風になっていたはずだ。
遠い未来、遠くに行ってしまった綾乃くんに土産話として持って行けるネタが一つ増えたと思いを馳せながら、メリッサさんの元へと向かうのだった。
* * * * * * * * * *
「全員、武器を構えなさい!」
私は広場に集まった総勢五千を超える人類の総戦力に向けて声を張り上げる。
集まった顔ぶれは見知った者から見知らぬ者まで種々雑多。
信頼の有無など色々と考えなければならないことはあります。
「これより、大戦を終わらせるための戦いを始めます!」
それでも確かなことは、ここにいる全ての人間が人類の最終防衛ラインで、そして彼ら一人一人が人類の存続を掛けた戦いに臨む英雄であるということ。
「歴史を変える英雄となるために! そして何より、皆様が守るべきものの為に! その力を存分に振るいなさい!」
野太い歓声が、地響きのように広場に響いた。