第一話 【vs序列九位・心神】
魔人たちにバレないよう森の中に隠されたテントの中。
黒と白の石が置いてある少しだけ広い机を、私を含む四人が立ち囲んでいる。
今集まってもらっているのは、土井駿介くん、谷口梨乃さん、塚本夏希さんの三人。
各色の石をそれぞれ動かしながら、彼ら三人の役割を説明している私の言葉に、時折頷きながら真剣に耳を傾けてくれている。
「……じゃあ、俺たちは前回と同じ相手と戦えばいいわけですね?」
「そうなります。相手の手の内を知っていれば、必然的に戦いやすくなりますからね」
一通りの説明を終えたところで、土井くんが要点を簡潔に纏めてくれた。
今回の大戦における彼らの動き方やら全体の流れやらを説明したわけだけど、彼らが覚えておくべきことは机を挟んで対角にいる土井くんが言葉にしたそれだけなので頷き肯定する。
今回の大戦は前回の大戦を参考にし、その上で戦ってもらう相手を決めている。
彼らには前回の大戦と同じ、序列第九位と目される魔人と戦ってもらう。
「会長の作戦は理解しましたし、その理屈も納得できます。ですが一つ、懸念点があります」
「あなたたちが相手の手の内を知っているように、相手もあなたたちの手の内を把握していることと、そもそも前回の大戦で相手の手の内をあまり知れていないこと、ですか?」
「……二つ、ありましたね。俺が考えていたのは後者です。こう言っては何ですが、そこまでアドバンテージを取れない以上、戦うのが俺たちである必要もありません。こちら側に来ていないラティーフさんやアヌベラさんたちがいれば、もっと楽に勝てるのではないですか?」
土井くんがそう考えるのも無理はないわ。
実力的な面で言えば、精霊を従える召喚者はラティーフさんやアヌベラさんに負けずとも劣らない。
だが実践経験や勝負勘など、実力だけでは賄えないものがあるもの事実。
共和国で全人類の防衛に当たってもらっている彼らをこちらに呼べば、土井くんの言うように楽に勝てる可能性もあるでしょうね。
ですが――
「土井くんの意見は尤もです。ですが、それはできません」
「なぜか、理由を聞いても?」
「少なくとも、今回の戦いには他の誰よりもあなたたち三人が適任であること。これが一番大きな理由です」
「適任と言うと、どのようなことが?」
「各国の軍人を例に出しますが、彼らは一対一の戦闘よりも多対多を意識した訓練を行います。結果的に一対一の繰り返しになるのだとしても、根底にある意識の問題が関わってきます」
この世界の軍人が行ってきた訓練と召喚者が行ってきた訓練は似て非なるもの。
“実質同じ”はどこまで行ってもイコールにはなれない。
今回のような少人数での戦闘を行う前提であれば、そのために訓練をしてきた召喚者の方が適任だ。
同じような動きができると言うのであれば金で動く組合員がいますが、金で繋がった関係は信用に欠けますから。
「俺たちがしてきた訓練が、今回の戦いでは他の人たちよりも発揮しやすい、ということですか?」
「そうなります。葵から教わり、学んだ技術の多くを活かす上でも、やはりこちらの方が適していますからね」
「ではラティーフさんたちは? あの二人はペアだと人類最強とまで言われているのは、会長も知っているでしょう?」
「もちろん、存じていますよ」
土井くんの言う通り、ラティーフさんとアヌベラさんのペアであればその限りではないかもしれません。
ですが、彼らの役割は攻めることではなく守ること。
どれだけ二人が最強であろうとも、彼らの役割はそうではないのだから。
「ですが、あなたが名前を挙げた二人は向こう側にいなければなりません。この大戦に勝つことだけを考えるのならそれも手ではありましたが、終わった後のことまで考えるのならこの布陣が一番になります。あの二人は人類を守る盾ではなく、国王を守るための盾ですからね」
「……そうですね。余計なことを言ってすみません」
「土井くんの意見は尤もですから、謝る必要はないですよ」
その説明で納得してくれたのか、土井くんはそれ以上のことを聞いてこなかった。
話をスムーズに進められるのでありがたい限りだ。
「谷口さんと塚本さんも、何か聞きたいことがあれば遠慮なく聞いてください。そのための時間でもありますから」
挨拶の後から作戦を聞いている間もずっと黙りこくっていた二人にも質問を促す。
準備があと数時間もすれば終わる予定なので、こうして作戦についてみっちり話す機会はなくなってしまう。
なので、その前に可能な限りの疑問やら何やらを解消しておきたい。
「私は大丈夫です。けど……」
顔を明るくしながら言った塚本さんは、不安を言葉と顔に出して谷口さんの方を見た。
その視線に、私と二人の間にいる土井くんも釣られて谷口さんの方へと視線をやった。
三人からの視線を受け取った谷口さんはしばらく黙りこくっていたが、やがて恐る恐ると言った様子で口を開き始めた。
「……私、怖いです」
目線は下に。
声は小さく、僅かに震えていた。
猫背のまま、少しだけ顔を上げて私を見つめてくる。
「前回の大戦で私たちが戦った相手……あの人、最後に「絶対に殺す」って言い残していったんです」
「……聞いているわ」
「最初は、死に際の捨て台詞のようなものだと思ってました。認めたくない現実を、受け入れたくない結果を否定するための言葉だと」
谷口さんの言葉からは、相手の魔人に対する恐怖は感じ取れる。
他人の感情を鋭敏に感じ取れる私でなくともわかるくらいには明らかに。
普通に人生を歩んでいたら、他人から殺意を向けられることなんて滅多にない。
谷口さんもその例外ではなく、だからこそ、初めて向けられた本物の殺意に怯え、恐怖している。
初めは気にしていなかった――いいえ、気にしないようにしていたのでしょうね。
どうせもう会うことはないからと、考えないようにして心の安寧を保っていた。
けれど、それが違うとわかってしまった。
会うことはないと思っていた相手と再び相対することになってしまった。
考えないようにしていたからこそ、考えた時に恐怖の象徴として谷口さんの心に刻み込まれてしまった。
「戦わなければいけないと言うのは、頭ではわかっているんです。でも……ほら見てください。あの魔人と戦うことを考えると怖くて」
引き攣った笑みを浮かべながら、両手を差し出してきた。
言葉通り、手先から腕までがカタカタと震えている。
今の谷口さんは、手の震えで書きなれているはずの自分の名前すらまともに書けないでしょう。
これほどの恐怖を取り除くのは、そう簡単なことではない。
ある種のトラウマのようなものだから、ゆっくり地道に対処していく他ない。
だけど残念なことに、悠長なことをしている時間もない。
ここで時間をかけてしまえば、共和国の方が危うくなってしまうかもしれないから。
「谷口さん」
差し出された手に優しく触れながら、谷口さんへと語り掛ける。
とても冷たい、恐怖で冷え切ってしまった手を包み込むようにして温める。
「今感じている恐怖を少しの間だけ我慢できる、という条件付きですが、最も手っ取り早い解決方法があります」
「そ、それはなんですか?」
「あなたが魔人を倒すことです」
恐怖に塗れていた瞳が一瞬だけ期待に満ちて元に戻る。
上げて落とすつもりはなかったのだけど、結果としてそうなってしまった。
本末転倒であることは誰が聞いても明らかだけど、これが時間のない状況で取れる一番の解決方法であることは間違いない。
恐怖の象徴を自らの手で壊してしまえば――口を悪くするのなら、取るに足らない存在だと認識出来れば恐怖は自然と薄れていく。
問題は、私の言葉一つにあれほどの期待を寄せるほどに弱っている今の谷口さんにそれができるかどうか――
「――問題なさそうね」
誰に聞かせるつもりもなく、口の中でそう呟く。
真正面にいる土井くんと、谷口さんの対角にいる塚本さんの表情を見れば、それはすぐにわかった。
なら、私がこれ以上、直接的なフォローをする必要はないわね。
「谷口さん。大戦が始まるまで――いいえ。あなたたちが倒す魔人と再会するまででいい。周りをよく見て、耳を傾けて、声を出しなさい。そうすれば、何も問題はないわ」
「……わかり、ました」
力なく頭を下げた谷口さんが、やはり弱々しい足取りでテントを去っていく。
この選択が正しかったかどうかは、土井くんと塚本さんに懸かっている。
けれど、そう心配はしていない。
あの二人なら問題ないと、確信している。
谷口さんが立ち直りさえすれば、負けることのない戦いなのだから。
* * * * * * * * * *
純白の神殿をゆっくりと進んで行く。
視覚と聴覚、そして“魔力感知”による三種の索敵を行いながら、石橋を叩くように慎重に歩みを進める。
俺たちが戦うべき魔人から一番近く、それでいて転移直後に強襲を受けない程度の位置に転移させてもらっているので、まずは魔人を探すところからこの戦いが始まっている。
「大丈夫?」
「うん……」
先頭で索敵をしている俺の後ろで、夏希が梨乃へと話しかけている。
ここへ来てから――いや、会長との作戦会議を終えてからずっと、夏希は梨乃に寄り添い、心配の声と他愛ない会話を繰り返している。
梨乃が感じている不安や恐怖を少しでも取り払うために。
だけど、今のところはあまり効果を発揮できていない。
梨乃が心の内を会長へと吐露したときは俺と夏希のフォローで問題なく梨乃を恐怖から救い出せると思っていたが、それは驕り――勘違いだったのだろうか。
「――! 止まって」
限界まで広げていた“魔力感知”に、一つの気配を捉える。
膨大な魔力量を一切包み隠さず神殿の通路を闊歩しているらしいその気配には、とてもよく憶えがある。
前回の大戦からもう半年以上経っているのにこうしてはっきりと憶えているのは、やはり俺にとってとても印象に残る経験だったからだろうか。
「久しぶりだな。会いたかったよ」
曲がり角から姿を現した魔人は、悍ましさを感じる笑みを浮かべて話しかけてきた。
漆黒の服に、右手には抜き身の剣。
白い神殿の中ではとても浮いている恰好なのに不自然さはこれっぽっちも感じない。
「……俺たちはもう二度と会いたくなかったよ」
「ツレナイこと言うなよ。俺はお前たちとまた戦いたくて……こんなにも楽しみにしていたんだからさぁ!」
言うや否や、魔人は一足で踏み込んできた。
瞳を囲うような淡く光る円環を宿し、ギラリと
瞬く間に俺たちとの距離を詰めた魔人へ、用意していたトラップを作動させる。
「――ハッ」
地面から串刺しにする形で射出した槍は、上へと跳ぶことで回避された。
しかし、逃げた場所は空中。
回避の幅が狭まる空中にのみに逃げ場を用意したからこそ生まれた攻撃のチャンスに、俺は一番得意な土の魔術を連射し攻めたてる。
空中だと言うのに器用に体を動かした魔人は、土の弾丸を剣で裂き足で弾いて、着地までの数秒を掠り傷すら負わずに凌ぎ切った。
だが、俺たちの攻撃はそこで終わらない。
「シッ!」
着地場所を先読みしていた夏希が低い体勢からの掌底突きを繰り出した。
限界まで気配を隠していたこともあって、魔人は一瞬だけ反応が遅れた。
それでも夏希の攻撃をまともに食らわなかったのは流石というべきだろう。
素手での戦闘を一番得意とする夏希では、剣を持った魔人のリーチには敵わない。
夏希の身長が女子にしては高く、魔人の身長がいくら低いとは言っても、その差は埋められない。
強襲に失敗した夏希は即座に魔人と距離を置く。
「あの時よりもずっと洗練されてるな。いいねいいじゃんか。力をつけて、自信もついて……そんなお前たちを完膚なきまでに叩き潰せたらさぞスッキリするんだろうなぁ?」
俺たちに背を向け、魔人を挟み込む形で離れた夏希の方を向いて、魔人はフラフラと揺れながら言葉を発した。
刹那、魔人の姿が掻き消える。
その移動が、目視で捉えられなかった。
でも――
「へぇ……お前、魔術だけじゃなかったのか」
靴底を擦り減らしながら後退し勢いを殺す魔人は、姿を消す前と近い場所まで戻っていた。
腕を交差させ、何かから守るような態勢を取っている魔人は、腕の隙間から俺を見据え、不快とも好奇心とも取れる発言する。
魔人に睨まれるようにして見られている俺の右手には、土を固めた棒――所謂バットと同じ形状をしたものが握られている。
前回の大戦では見せていなかった――というか、見せることすら思いついていなかった手札だから、奇襲で一撃くらいならと思っていたけど、そう甘くはなかった。
魔人の姿が掻き消えた時、俺の目では追いきれなかった。
補欠とはいえ、長年してきた野球部の動体視力ですら追えなかった魔人の剣は、戦闘を始めてから一歩も動けていない梨乃へと迫っていた。
視覚でなく“魔力感知”でそれを認識していた俺は、反射的に土を固めてバットを作り、それを迫る魔人へと振るっていた。
他者へとバットを振るうなんて、地球にいた頃はやろうと考えたことすらなかった。
そんな行動が真っ先に出てきたのは、この一手が唯一、綾乃との訓練でいい手だなと褒められたからかもしれない。
“魔力感知”で認識できず、転移で障害物など関係なく移動できる綾乃に比べれば、超高速であろうと“移動”の枠に留まり、魔力をしっかりと感知できる魔人など怖くない。
「梨乃」
魔人が殺意剥き出しで自身へ迫ってきたのをしっかりと認識してしまっていた梨乃は、戦闘開始前よりも恐怖で委縮してしまっている。
そんな梨乃へ、俺は作ったバットを霧散させながら話しかける。
「怖いのはわかる。ビビってしまうのも、それで動けなくなってしまうのも、わかる」
これは嘘などではなく本当のことだ。
誰だって殺意を向けられたら怖いだろうし、俺だってそれは違わない。
ただ、俺がこうしてあの魔人に立ち向かっていけるのは、梨乃や夏希がいるから。
男として、女の前では格好つけたいと言う浅はかで邪まな理由。
もう一つに、ほとんどずっと野球で補欠にしかなれなかった俺が、ちゃんと活躍できていると言う喜びもあるが、前者に比べれば存外大したことはないかもしれないな。
「それでも、あいつを倒すには梨乃の力が必要なんだ。俺たちだけじゃ、あいつはきっと倒せない」
「無理……無理だよ。怖くて手も足も震えてる。こんなんじゃ剣だって振るえない」
「梨乃ならできるよ。ほら、立って」
「無理だよ……私には、もう……」
「大丈夫。だって――」
再度接近してくる魔人。
無防備な背中を晒しながら梨乃と話しているのだから当然だ。
当然だけど――
「ほら。大丈夫」
迫る魔人へ、俺が契約した風の精霊が風破を放つ。
体を直接狙うのではなく、迫る魔人の体を浮かせるように調節してもらった風。
目論見通り体が浮き、距離を詰め切れずに刀の間合いの外にいる魔人へ、振り向きざまに作り直したバットを振るう。
ゴウッと風を鳴らして振るわれたバットは魔人の体を捉え、大きく後方へと吹き飛ばした。
フォームもバッティングをする時のそれではないし、またしても腕で防御されたから大したダメージは期待できないが、魔人には油断できないと認識させられたはず。
「梨乃」
「……」
遠くに飛ばした魔人から今度は目を逸らさずに、後ろにいる梨乃へと話しかける。
この言葉が梨乃の心の支えになれると信じて――
「梨乃のことは、絶対に俺が守る。夏希と――俺を信じて戦って」
吹き飛ばされた魔人と激しい近接戦を繰り広げる夏希を援護するように魔術を飛ばす。
銃弾に迫る勢いで射出した土の弾丸が魔人の服を掠め、僅かな亀裂を入れる。
見事に躱されてしまったが、俺の魔術に気を取られれば夏希の攻撃が迫りくる。
後衛の俺と前衛の夏希とでいい塩梅に攻め立てられている。
この調子で行けるのであればいいのだが、生憎とそうはいかないだろう。
それを証明するように、一瞬でも気が逸れたはずの魔人は、夏希の攻撃を全て躱しきっている。
「何かわかったことはある?」
「前回の大戦でのことがあるから、そう思い込んでる可能性もあるんだけど……」
一度、魔人と距離を置くついでに俺たちの方へと戻ってきた夏希へ問いかける。
前回の大戦でも、魔人と直接戦った夏希や梨乃が似たような感覚を覚えていた。
その先入観があるから、今回感じたそれが前回と同じものだという確証は得られない。
それでも、その情報は今の俺たちにはとても貴重なものだ。
得物を持った敵と戦う前提で、綾乃の指示のもと訓練を続けてきた肉体強度を上げるための“身体強化”。
生来の素質である長い手足、それを十全に扱うための努力が実を結んでいるのは、綾乃も認めていた。
綾乃が認めていらから絶対だとは思いもしないが、それでも綾乃の他者の実力を測る目は侮れない。
だからこそ、夏希の攻撃が全て躱されたことに違和感を覚えたわけだが――
「やっぱり、私が動くよりも前に防御態勢を取られていたような気がする」
「会長との話し合いの通りってことか」
「そうなるね。さっきの駿介の援護があってこれだから……厳しいかもしれない」
珍しく弱音を吐いた夏希の表情には焦りが見て取れた。
一歩間違えれば激痛が走り、死んでしまう可能性だってある最前線で戦っているのだから、その焦りは理解できる。
長引けば長引くほど、死と隣り合わせになっている時間が延びるのは当然なのだから。
あと一手、何かがあればこの状況を変えられるかもしれないが……指示待ち人間寄りな俺にはこの状況を打破するだけの何かを思いつけない。
司令塔なんて役割は、やはり俺には向いていない。
「……あ、精霊は?」
「防御に回ってもらってる。私が防御に一切意識を割かない状態でこれだし……」
「そっか……そうなると――」
「――ねぇ、二人とも」
いつ動き出すかわからない魔人に向けていた意識は、背後から掛けられた言葉に持っていかれる。
振り向けば、手足の震えが収まり、しかし顔は俯けたままの梨乃がいた。
そこで魔人に注意を向けていないことに気付いて、慌てて梨乃に全て持っていかれた意識の大半を戻す。
魔人がこの隙を見逃してくれた――いや、夏希が梨乃の声に反応した俺を見て、魔人に意識を向け続けてくれたのか。
心の中で夏希へ感謝の言葉を送り、梨乃の声に耳を傾ける。
「――二人の命、私に預けてもらえないかな?」
あまりに唐突な梨乃の言葉。
もう梨乃の方へ視線を向けていないから真偽は不明だが、きっと俯いたままで言っただろう発言。
でも、その言葉に対する俺と夏希の答えなんて、一つに決まってる。
「当然!」
「任せるね、梨乃ちゃん!」
言うや否や、夏希が勢いよく飛び出した。
魔人の動向に意識を向けながらでは、きちんと話を聞くことも難しい。
だからこそ、時間稼ぎのために魔人の気を引いてくれているのだろう。
夏希の意図を理解し俺が振り向くと、天を仰ぎ、大きく深呼吸をしている梨乃がいた。
戦場だとは思えないほど、リラックスした状態での深呼吸。
梨乃の心の内に巣食っていた恐怖が和らいでいるのがわかった。
「作戦は?」
「前回の大戦と同じで行くよ。私と夏希が前衛で戦って、駿くんが援護。それで――」
少し屈んで、耳打ちで作戦の要を聞く。
重要な役割で、いつそのチャンスが訪れるかもわからない。
それでも、このスリーマンセルの司令塔の指示だから、全うしてやるのみ――
「――え、それ本気で言ってる?」
「相手が私たちの予想の通りこっちの心を読んでくるタイプの何かを隠し持っていた場合は、これ以外に思い付く方法がないからね」
「それはそうかもだけど……」
梨乃から聞いた作戦は、作戦というにはあまりにもお粗末というか、指示待ち人間には厳しい内容だった。
これ以外に何か代案を出せないので従う他ないわけだが……。
「……わかった。やってみる」
「任せるね。なっちゃん! このまま私と戦って!」
叫びながら吶喊した梨乃の言葉に、夏希からの返事はない。
それが、返事をしたくてもできないからだと言うのは、梨乃もわかっているだろう。
心の内を読んでくるだろう相手と一対一なんて、相当神経を擦り減らしているのは間違いない。
それでも、夏希がその危険を顧みずに戦ってくれたから、梨乃からの作戦は俺へ伝えられた。
後は、俺がその作戦を完璧なタイミングで実行するだけ。
問題は――
「――いや、弱音なんて吐いてる場合じゃないだろ……!」
弱音を振り払い、頭をフルで回転させながら、二人の援護に魔術を放つ。
作戦を託された俺にできるのは、これしかないんだから。
「いいねいいね。前回の大戦の再現だ」
全力の二人に俺の魔術。
その全てと真っ向から打ち合ってなお、魔人は笑みを絶やさない。
前回のような余裕からくる笑みではなく、純粋に楽しんでいるような笑み。
魔人は戦闘狂のきらいがあると言っていたのは、綾乃だったはずだが、その言葉の意味を正しく理解できた。
「ほらほらどうした!? 魔術もその程度かよ?」
「くッ」
援護のためにと連射した魔術は、魔人が放った魔術によって打ち消された。
二人の相手をしながら、その上で俺を煽る余裕まであるらしい。
「出し惜しむなよ? 全力のお前たちを上から捻じ伏せて、絶望に満ちた顔のまま殺してやるんだからさぁ!」
獰猛に牙を剥き、殺意を振りまきながら魔人の動きが更に速くなる。
ここまでがウォーミングアップだとでも言うように、見るからに二人の攻撃回数が減っている。
俺が放った魔術も、そのどれもが魔人に届く前に相殺される。
援護が意味を為さず、二人もどんどんと後退を余儀なくされている。
どうして前回の大戦で勝利を収められたのかがわからなくなるくらいの実力差。
「さぁさぁさぁ! もっと楽しませてくれよ!」
人数不利を意に介さず、圧倒的な実力で言葉通り上から捻じ伏せてくる魔人。
それに対し、自分の身を守るだけで手一杯にさせられている夏希と梨乃に、置物と化している俺。
この戦いの趨勢など、誰が見ても明らかで――
「今!」
声を張り上げると同時、不用意に魔人の間合いに入らないよう取っていた距離を敢えて詰める。
唐突な行動に眉を顰める魔人の足元に、光る魔術陣が展開される。
二人が押されていると言う事実を利用した、味方ごと相手を騙すトラップ。
魔力の扱いを、綾乃が死ぬまでの間に嫌という程叩き込まれてきたからこそできた、今の俺で考えられる最善。
「ッ――!」
悟らせないために魔力を抑えているから、威力は人を殺せるほどではない。
それでも、明らかなダメージとなるのは確かだ。
それを即座に理解した魔人は、跳び退こうと足に力を込めた。
だが魔人の動きよりも速く、梨乃が背後を、夏希が頭上を取った。
俺が何かをすると信じてくれた二人の反射が、魔人のそれを上回った結果だ。
体勢から後ろか上へしか逃げれなくなっていた魔人は、その時点で誰かの攻撃を喰らわなければならない状態にされる。
「お願い!」
「イワちゃん!」
夏希と梨乃がそれぞれ叫ぶ。
瞬間、今まで姿を隠していた風と土の精霊が可視化し、魔人を取り囲むように展開する。
ここで決めると、俺の隣に姿を現した風の精霊もが一丸となって魔人へと迫る。
手に握る、馴染んだグリップを握り締め、魔人の間合いへと――
「――」
魔人の顔が、ニヤリと歪む。
後ろへと移しかけた重心が沈み、足にグッと力が入ったかと思えば、沈めた重心ごと前に傾けて一か八かの吶喊を仕掛けてきた。
回避を選択しなかったことでトラップとして発動した槍に皮膚を裂かれながら、そんなことは知らんとばかりにその瞳が俺を捉えている。
想定外の行動。
あまりに予想外なその動きは――もう何度も経験してる。
「――ッ!」
急制動を掛け、体の前に岩の弾丸を無数に展開。
握っていたグリップの先を円筒状から空気抵抗に正面から歯向かう板状へ。
単純にバットを振るうだけでは、心を読んで回避される可能性がある。
ならば――俺ですらどう動くか予想のできないものならば、心を読むもへったくれもない。
敢えて均一ではなく雑に作った板は、まさにその意図を反映させていると言っていい。
あとは、大きく目を見開いている魔人との反射神経勝負だ。
「いっけぇええええええ!!!」
素振りで鍛えてきたバッティングフォームから、慣れない抵抗を腕に感じつつそれを振るう。
“身体強化”込みの全力のスイングが弾丸を捉え、壁へ、床へ、天井へ、そして魔人へ。
音速に迫る速度で打たれた弾丸を前に、魔人が握る剣を振るう。
斬撃の軌道が綺麗だと思わせられるほどの達人じみた剣捌きで、魔人が全ての弾丸を切り払った。
だが、迎撃を選んだことで動きが止まる。
その一瞬を、俺たち全員が逃さない。
夏希が、梨乃が、俺が、全員の精霊が。
全方位から取り囲むようにして魔人に攻撃を仕掛け、そして――
「――負け、か……はぁーあ、っと」
数秒後。
風の精霊に足と手の腱を切られ、立ち上がることすらままならなくなった魔人が、膝をつきながら小さく呟いた。
そのまま大の字になり、前面からバタンと床に倒れ込む。
受け身を取らなかったから凄く痛そうだが、笑っているようなのでそうでもないらしい。
ただ、この戦いが始まる前までは俺たちのことを射殺さんばかりの殺意と意思を見せていただけに、笑みを浮かべられる魔人の心証がよくわからない。
「お前たちは勝ったんだぞ? なのになんでそんなしけたツラァしてんだよ?」
考えが顔に出ていたのだろう。
うつ伏せになり、顔を横に視線だけで俺の顔を見たらしい魔人が、呆れたような笑みで聞いてくる。
これが演技である可能性を一瞬だけ考慮し切り捨てて、普通に訊ねることにする。
「いや……あんた、俺たちを殺したいんじゃなかったのか?」
「……ああ、そういうことか」
何かに納得したように、魔人が頷いた。
腱を切られても動かせる箇所を器用に動かして、魔人が寝返りを打つ。
その一挙手一投足に警戒する俺たちへ、魔人がやはり笑いながら言う。
「もう俺に戦う気はない。そんな警戒しなくてもいい――なんて言っても、どうせ聞きゃしねえか」
「敵前で油断しろなんて訓練は受けてないんでね」
「魔術を使おうにも精霊に探知されて殺されるだろうしもう積みなんだが……なら、警戒したままでいいや」
俺たちが油断してもいい状況をわかりやすく説明してくれるが、それが罠である可能性も考慮して聞き流す。
それすら考えている――というか、心を読めばわかる魔人は、仰向けになった状態で滔々と語り始めた。
「確かに、前回の大戦が終わった直後は、お前たちを殺す気でいたよ。実質的な末席とはいえ、10魔神の名を授かっている俺が、召喚者とは言え人間如きに負けるなんてあり得ない、認めたくないって思ってたからな」
魔人が語る十魔神の価値は、俺にはよくわからない。
ただそれを“レギュラーメンバーに選ばれること”に置き換えたら、妙に納得がいった。
俺の場合はチームで勝敗が決まるものなので、完全に同じ感覚だとは言い辛い。
それでも魔人の言い分はなんとなく理解できた。
「ただ、前回の大戦で俺ら側は誰一人として勝利で収めることはできなかった。実力を抑えてたやつがいたとはいえな。だから納得できたんだよ」
魔人の言い分を俺なりに解釈すると、自分だけが負けたと思われる――というか、そうなった事実があるのが嫌だったと言うように聞こえる。
もしかしたら端折っているだけで、もっと複雑な何かがあるのかもしれないが――
「その考えで正しいよ。俺は俺だけが負けたと周知されるのが嫌だった。たぶん間違いなく、そうなんだろうな」
もう失うものがないからか、魔人は俺の心を読んで答えてくれる。
その様はとても清々しくて、俺たちが想像していた魔人だとは思えなかった。
少し大袈裟だが、もっと極悪非道で血に飢えた戦闘狂を想像していたわけだし、前回の大戦の終わりも相まってそれに類似するイメージばかりが先行していた。
あの時の俺たちに恐怖を与えた魔人も、今の全てを曝け出している魔人も、きっとどちらも彼の本性なんだ。
「それよりも最後の。あれはお前が考えたんだろう?」
「え? あ、ああ、トラップの奴か。そう。梨乃に言われて頑張って考えたんだ」
梨乃から伝えられた作戦は『最後の一手を駿介が考えて』というものだった。
魔人が作戦を伝えた梨乃の心を読んでしまう可能性があったから、梨乃がそもそも作戦を知らなければ魔人は事前の対策が打てない。
そして梨乃と夏希の二人は、俺を信じて反応してくれる。
だから、ない頭を使って考えたんだ。
「あれに驚くと同時に、よく考えたなって思った時点で、俺も他の魔人と同様に戦闘狂いの血が流れてるんだろうな」
「……わざと受けたわけじゃないよな?」
ふと、もしかしたらの可能性が首を擡げてきたので聞いてみる。
俺の問いに目を丸くした魔人は、次の瞬間にドッと笑い出した。
「そんなわけないだろ。知らないようだから教えてやるが、人の心を読むのはタダじゃないんだ。脳のリソースをかなり割くし、使えばそれだけ疲弊する。反応が鈍るのもそれで追い詰められたのも、全部お前たちが俺の想像以上に強かったからだよ」
あっけらかんとした様子の魔人に、飾り気は一つもない。
少なくとも、俺の目にはそう見えた。
本当に、純粋に、そう言っているように見える。
「駿介、お前は俺に勝ったんだ。誇っていいぞ」
「名前、どうして……」
「戦ってる最中に叫んでたろ。敵が複数いるなら、その識別は常識だろ?」
言われてみれば、確かにと頷かざるを得ない。
相手の名前がわかっていれば誰が誰に指示を出したのかがわかるから、少しは戦いやすくなるのかもしれない。
「――あ」
「どうした?」
「いや、あんたの名前、まだ聞いてなかったなって」
「……ふっ、今更だな」
魔人の言う通り、あまりにも今更な話。
それがツボにでもハマったのか、魔人が笑いを堪えるようにクツクツと笑っている。
一頻り笑ったところで、涙を指で拭いながら口を開いた。
「俺はヘレンだ」
「ヘレン……うん、覚えた」
友情とは違う。
それでも、俺とヘレンの間に何かが結ばれたような気がする。
命を懸けた戦いをした相手だから生まれたのか、元々の相性なのかすらもわからない。
この問答に、そもそも意味なんてないのかもしれない。
それでも、俺は一生、この名前を覚えておこう。
それが、礼儀のような気がしたから。
「他のところはどうなってるかな」
結果が楽しみだ、と呟く魔人に釣られて、俺も他のクラスメイトに思いを馳せる。
今頃は、熾烈な戦いを繰り広げているだろうか。
できれば、全員無事に帰れますようにと、俺は心の中で願った。
* * * * * * * * * *
「さぁ良也、佳奈美――今度こそ決着をつけよう」
小柄な魔人が、無数の岩の弾丸を展開しながら宣言する。
相対する俺と佳奈美は、互いに身に着けてきた全てで戦うために構える。
この世界に来てから一年近く。
既に様になっているその構えを見て、魔人は嬉しそうに頬を緩めた。
「いくぞ」
その言葉が、十魔神序列八位――ウィリアム・ステノとの開戦の狼煙になった。