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姉の為に。  作者: たかだひろき
第十一章 幕間
179/202

【私たちは】




「以上が、次の大戦での俺たちの動きだ。何か質問のある人は手、挙げて」


 もはや私たちの間で恒例となった、食堂での会議の終わりに、翔がクラスメイトへ向けてそう訊ねた。

 それに対する答えはなく、全員が納得し、理解していることを把握する。


「じゃあ、これで今日の会議は終了する」


 お疲れ様、の一言が付け加えられ、会議は終了した。

 会議の前に食事をとった人は席を立って食堂を出て行き、まだ食事をとっていなかった人は今日の夕飯を取りに向かっている。

 と言っても、まだ食事を済ませていないのは会議に出ていた私たちくらいのもので、食事のお盆を受け取り戻ってきた頃には既に大半のクラスメイトはいなくなっていた。


「お疲れ、日菜」

「翔も、司会お疲れ様」


 隣に座ってきた翔と言葉を交わしてから、きちんと食事の前の挨拶をして食べ始める。

 そんな私とは違い、翔は食事に手を付ける前に話しかけてきた。


「もう迷いはなくなった?」

「そう、だね。全部消えたわけじゃないけど……うん。大分と消えたよ」

「そっか」


 私の答えを聞くや否や、「いただきます」と挨拶をして食事を摂り始めた。

 私が悩んでいたことが何だったのかとか、どうやって解消したのかとかは聞いてこない。

 いや、あの会議に出ていたのなら予想はついているのかな。

 それでもその答え合わせをしてこないのは、翔なりの気遣いなんだと思う。


「さて、じゃあ本題に入りたいんだけど……平気?」

「うん。平気だよ」


 さっきよりも小声で、しかし周りには悟られない程度の音量で話し始める。


「今の話し合いで聞き耳を立ててた人は?」

「いなかったよ。動きが怪しい人もね」

「なるほど……少なくとも今はこの城の中に魔人の息が掛かった奴はいないか――」

「私が気付けていないかのどちらかだね」


 会長が魔人のスパイを考慮して少数の信頼できる人にしか話さなかった情報を食堂という(こんな)隠す気もない場所で知らないクラスメイトに共有したのは、あの会議の後で魔人を釣ろうと画策したからだ。

 もちろん重要な部分――例えば、会長の後ろには魔人がいることなどは話していない。

 話したのは、大戦に関する現状決まっている大まかな動きやそれぞれに与えられた役割――そして、綾乃くんが死んだことなどだ。


「日菜が気付けないレベルなら俺たちだとお手上げだからね。後者については考えても仕方ない」

「そうだね。割りきるのも大事」


 なんて言ってはいるけれど、当然そんなことは思っていない。

 私が看破できないレベルの実力者は当たり前にいると考えた上で、もう何個かの策を張り巡らせている。

 この会話すらもが聞かれていることも考慮して、私たちがあまり物を考えていない愚者だと思い込ませる。

 いつどこで聞かれてもいいように、言葉には気を付ける。

 態度や目線など、常に行動を監視されていると思った上で行動する。

 今までそんなことを意識したことのなかった私たちがいきなりできるはずもないけれど、こういった技術はソフィアちゃんに聞けば教えてくれるはず。

 ラティーフさんに戦闘時における目線の配り方や相手を騙す方法を聞いておけば、その延長線として捉えてくれるかもしれないし。


 私たちが考えた策がどこまで通じるかはわからないけれど、できるだけのことはやっておきたい。

 綾乃くんが、自分の命を賭けてまでそうしたように。


「あと()()()、か」

「時間はあるようで無い。綾乃が立ててくれてた訓練メニューだけじゃ間に合わないかもしれないな」

「……いや、たぶん今のままで問題ないと思う」

「その心は?」

「綾乃くんの死が計画されてたものだって、会長は言ってたでしょ? つまり綾乃くんは、自分が訓練を見れなくなることまで想定してメニューを考えてくれてたんじゃないかなって」

「そうか……確かに、そう考える方が妥当か」


 思い返せば、最後に会った時の綾乃くんはどこか性急さを滲みだしていたように思う。

 次の大戦がいつ勃発するかがわからなくて気掛かりなんだろうと思っていたけど、もしかするとこれがあったからなのかもしれない。


「じゃあ綾乃のメニューをこなしながら、オーバーワークに気を付けつつもっと訓練してく感じがいいか」

「そうだね。ラティーフさんたちに改善点を聞くのもいいかもしれない」


 綾乃くんは色々と先を見据え、その後を予想して動いていた。

 それは、現状与えられたものから推察できる。

 でも綾乃くんは人間でミスはする。

 決して完全完璧な存在なんかじゃない。

 だから、綾乃くんが用意してくれたものだからと思考停止でそれに乗っかってはいけない。

 それは常々、綾乃くん自身が言ってくれていたんだから。


「午後からの訓練は――まだ三十分あるね。じゃあご飯(これ)食べた後で聞きに行くか」


 翔の言葉に頷いて、しっかりと楽しみながら食事を摂った。






 * * * * * * * * * *






「――ハッ!」

「っぶね」

「油断!」

「して――ないッ!」


 召喚者で集まって行う訓練の前に、腹ごなしの運動兼鍛錬を愛佳と摩耶の二人と行っている。

 愛佳の近接攻撃と摩耶の魔術攻撃。

 その二つを同時に捌く鍛錬だ。

 俺の方からは攻撃に転じず、ただひたすらに攻撃をいなし、躱すだけの鍛錬。


「動きが鈍いよぉ!」

「腹ん中にまだ昼飯(ひるめし)溜まってっからなぁ!」


 同じメニューの昼食を食べたはずなのに、どうして愛佳はこんなにも機敏な動きができるのか。

 消化のスピードが俺より早いのか、俺と同じ条件でも動けるような何かがあるのか。

 それは後で聞くとして、今は目の前の攻撃を捌くことだけ考えよう。


「――!」


 魔術の起こり――魔力が練り上げられ、魔術が構築されるのを察知して、即座に摩耶と俺との直線上に愛佳を置くよう立ち回る。

 ほんの一秒足らずの駆け引きだが、これで摩耶は魔術を放てない。

 基本的に弾丸の如く一直線に進む魔術の性質上、愛佳が摩耶と俺との間にいる限り愛佳が魔術を喰らうことになるからだ。

 無論、魔術を喰らったところで訓練場の結界があれば致命傷の一撃でも掠り傷程度で済むが、痛いことに変わりはない。

 摩耶と愛佳は何かと言い合いをするけど、互いに痛めつけ合うような性癖は持ち合わせていないから問題はない。

 そんな俺の考えを見透かしように、摩耶が魔術を放ってきた。


「……まさか」


 思わず言葉になった危惧(それ)を正しいと証明するように、愛佳がニヤリと口角を吊り上げる。

 摩耶が放てるはずのないタイミングで魔術を放ったこと、愛佳が笑ったこと。

 この二つから察するに俺の動きは想定されたもので、これは二人が仕掛けた罠であると即断する。


「油断、大敵っ!」

「しま――」


 愛佳の楽しそうな声と共に、下段から突き上げられた蹴りが俺の右手を直撃。

 握っていた木製の短刀が天井高くへと弾かれた。

 そして、短刀を蹴り上げた愛佳はIの字――いや、トの字と言った方が適切か。

 柔らかい体を利用したその脚撃によって摩耶と俺との間に魔術の通り道が生まれ、その道を縫うようにして魔術が迫りくる。

 見事な作戦負け。

 俺の動き、思考を読んだ上でその先を行く判断。

 回避する方法は一つだけ思いついているが――


「――クッソ」


 憎まれ口のような悪態のような。

 取り敢えず悔しいという気持ちを全て乗せた言葉を吐き捨てて、俺の額に石の弾丸が吸い込まれた。

 ヒット時の反動で体が軽く浮き、訓練場の床に吹き飛ばされるようにして倒れる。

 さほど衝撃はなかったが、そこそこの痛さはあるわけで。

 床に大の字に寝っ転がりながら、真っ先に考えた言葉を口に出す。


「……いってぇ」

「ふふんっ。私たちの勝ちだね」


 俺の心配よりも先に、愛佳は勝ち誇った笑顔で俺を見下ろすように近づいてきた。

 その笑顔はとても爽やかで、長年の付き合いがなければ日頃の恨みを晴らせて満足している顔か、あるいは腹黒が煽りに来ているかのどちらかとしか受け取れなさそうだ。


「ハンデ戦なんだから簡単に調子乗らない。すーぐ付け上がるんだから」

「いいでしょー今くらい。どうせ大戦が始まったらこんなこと言ってる余裕はなくなるんだしさ」


 相変わらずやいのやいの言い合う二人に和まされながら、俺は少しだけ痛む額を(さす)る。

 少しだけぷっくりと膨らんでいる気がする額は、位置的に第三の眼が開眼しそうだ。

 ……なんて馬鹿げたことを考えながら、俺は大の字で寝っ転がっていた上体を起き上がらせる。


「最後の、摩耶の作戦?」

「そう。綾乃くんの言ってた先を読む戦い方を実践してみたの」

「まんまと引っ掛かった。流石だな」


 人から聞いたことを実践し、ものの数か月で実践レベルまで引き上げる。

 それがどれほど難しいことなのかは、この世界に来てからよく理解している。

 だからこそ出た素直な感想だったのだが、摩耶的にはあまり嬉しくなかったらしい。

 首を横に振って、少しだけ物足りなさそうな顔で呟く。


「読み切れたのは最後の一つだけ。しかも幸聖は魔術を使わないって縛りがあった。魔術有りだったら、避けるか相殺するかできてたでしょ?」

「……できるな」

「でしょ? はぁ……」


 ここで嘘をついても仕方がないし、できないことをできると思い込んだまま大戦(ほんばん)に望んでしまうのは良くない。

 だからこそ本音を伝えたのだが、摩耶にはそこそこの精神的ダメージを負わせてしまったようだ。

 深いため息と、仕草から伝わってくる落胆が雄弁に物語っている。


「何落ち込んでるのー? そんな暇ないよー!」

「……落ち込んでるときに能天気な愛佳のその顔見てると腹立つ――!」

「なぁんだ元気そ――ちょ、危ない! 何するの!」

「うるさい! ちょっとあんたも痛い目見なさい! これで平等よ!」

「そ、そんなことしなくていいよ! 危な! ぼ、暴力反対!」


 ほんの一分前までかなりハードな運動をしていたというのに、愛佳は摩耶と鬼ごっこを始め出した。

 あいや、この場合始めたのは摩耶だけど、鬼ごっこ(それ)に興じている時点で同じだ。

 他にも訓練している人がいたら止めるが、幸い今は昼食の時間が終わってすぐの時間。

 俺たち以外に人はいないから、額のたんこぶが収まり見せるまで好きなだけ暴れさせておこう。

 ポケットから取り出したハンカチに魔術で生み出した水を染み込ませ、それを額に宛がいながら、ギャーギャー言い合う二人をボーッと眺めることにした。






 二人の鬼ごっこは、あれから五分ほど続いた後に愛佳の体力切れで決着がついた。

 パチンッと気持ちのいい音を鳴らしたデコピンが愛佳の額に叩き込まれ、それに悶絶する愛佳に背を向けて摩耶が壁際まで移動していた俺の元へ向かってくる。

 誰か他の人が来る前に決着がついたのはいいことだけど、愛佳はもちろんこっちに来る摩耶もかなり体力を消費しているように見える。

 肩で息をする――という程ではないが、心臓を落ち着けるように短い呼吸を繰り返しているしな。


「お疲れ」

「本当にね……何なのあの体力馬鹿は。どこに転げ回る体力が残ってんのよ」


 結界の中でデコピンの痛みに悶えている愛佳は、小さいながらも確かに声を上げながら転げ回っている。

 床をゴロゴロと転がるだけでも体力は消費するのに、一体その体力はどこから来てるのか。

 摩耶の疑問に答えることはできない。

 というか、床を転がるなんてみっともないから止めさせたい。


「……ねぇ」

「うん?」


 隣に座り、息を少しだけ整えた摩耶は、転がる愛佳を眺めながら語り掛けてきた。

 その横顔を見つめながらそれに答えると、少しだけ躊躇うように視線を逸らしてから、俺の顔を見て訊ねてくる。


「……綾乃くんが死んだって、本当だと思う?」


 触れてはいけない、と会長からお達しを受けたわけではないが、それでも敢えて避けてきた話題。

 避けてきたと言っても、それはものの数時間程度。

 あの会議から、まだ半日も経っていない。

 しかし、触れてこようとしなかったのは――敢えて避けてきたのは、事実がどうあれ触れたくなかったから。

 召喚者の目的が“全員で地球に戻ること”である以上、いつか避けて通れなくなるのは間違いない。

 子供の頃に抱いて、そして成長するにつれて(げんじつをみることで)諦めた夢の片鱗を、俺は綾乃に重ねていた。

 だからこそ摩耶は、敢えてこのタイミングで聞いてきたんだろう。

 早々に現実との折り合いをつけて、あるいは吹っ切れておかなければ、次の大戦に支障が出るんじゃないかって。


「会長が、綾乃が死んだなんて嘘を吐く理由がある?」

「……ないとは言い切れないじゃない。綾乃くんが死んだってことを、冗談ではそんなことをしなさそうな会長が触れ回るっていう綾乃くんの作戦とかさ。会長の発案はないかもだけど、綾乃くんならあり得なくはないと思うんだよね」

「確かに、可能性はゼロじゃない。でも、それはないよ」


 確信を持って、摩耶の言葉に反論する。

 俺が持っている確信に心当たりがない摩耶は当然、不思議そうな顔になる。


「綾乃が生徒会長に、そんなこと頼むと思う?」

「頼まないの?」

「絶対に頼まない。綾乃は会長のことが好きで、そんな会長は嘘でも誰かを殺したりなんかしない。それは共通認識でいいよね?」

「うん」


 前提を確認しながら話す。

 と言っても、そんな難しいことを話そうってわけじゃない。

 確信に足るものは、この前提を知ってさえいれば誰でも導き出せるものだからだ。


「会長は綾乃が死んだなんて嘘では言わない。綾乃が好きになった会長はそんな会長で、そんな会長の信念や今まで積み重ねてきたプライドって言うのかな。それらを捨てさせてまで自分を殺したことにして欲しいなんて、頼むわけないでしょ?」


 綾乃が立ててきた作戦は、そのどれもが勝利へと進むためのものだった。

 遠回りでも、最終的な目標は常にそこだったし、それは俺たちが出た会議で話されたものも一緒――って、あれは会長の裏にいる魔人の作戦だったか。

 ともあれ――


「綾乃が勝利に対し貪欲なのは間違いない。その為ならどんな自己犠牲でも払って迷わずに突き進む。でも、その時に犠牲にするのはいつだって綾乃一人だけで、周りの人間――特に大切な人たちは、その犠牲には絶対に巻き込まない」


 俺が諦めた夢を体現するような奴――俺が昔に抱いた夢と重なる奴だから、多少の願望が入っていることは否めない。

 それでも、地球での僅かな印象とこの世界に来てからの姿を見てきた俺が、綾乃葵という人物を説明するならこれ以外にない。

 あ、いや、不器用で多くの人には理解されず孤立するタイプも付け加えておくか。


「……確かに。言われてみればそうかも」

「だから、会長が言った「綾乃が死んだ」ってのは間違いないと思う」

「……大丈夫?」

「俺の心が擦り減ったかもって心配?」

「うん……少なくとも幸聖は、綾乃くんに対して憧れとか尊敬とか、そんな気持ちを持ってたから……」

「よく見てるな、摩耶は」


 その話題を振られたときに考えた、摩耶がこの話題を振ってきた理由は、大方当たっていたらしいな。

 こんなに他人を心配してくれる幼馴染を持って、俺は幸せ者だなと再認識する。

 その上で、俺は摩耶の心配にこう答える。


「俺は全然問題ないよ」

「……」

「いや、空元気とかそんなんじゃないぞ」


 明らかに信じていない目で俺を見てくる摩耶に、弁明するようにして答える。

 んんっと小さく咳払いを挟んでから、摩耶に耳を近づけるよう手振りする。

 信じていない目のまま近づいてきた耳元で、周りには誰もいないことを再確認してから、囁き声で話す。


「俺は、綾乃が死んでないと思ってるからね」

「……どういうこと? 会長は嘘を吐かないってさっき言ったよね?」


 摩耶がそう疑問視するのも頷ける。

 俺が話した内容から今の答えに辿り着くには、少しばかり飛躍が過ぎるからな。

 でも決して、感情的に出した答えというわけではない。

 正しく論理的で、説明も可能な答えだ。


「会長は嘘を吐いてない。それは変わらないよ。ただ俺は、綾乃が会長すらをも騙して死を偽装したって可能性を考えてるだけだ」

「うーん……それじゃあやっぱり、さっきの話に矛盾が生まれるんじゃない? 綾乃くんは会長に嘘なんて吐かせないって」

「あれは会長が自らの意志で嘘を吐くか吐かないかの話だよ。そもそも今の俺の説が正しいんだとしたら、会長は綾乃が死んだって思い込んでるわけだから嘘を吐いたことにはならない」

「……それってありなの? なんか卑怯じゃない? こう、なんて言うの? 詭弁っぽいっていうか……」

「綾乃ならやりかねない。でしょ?」

「まあ……それは確かに?」


 妙な納得感のある「綾乃ならやりかねない」に対し、摩耶は頷かざるを得なかった。

 賢い奴なら俺の理論に対して反論もできるだろうが、俺はこれこそが真実だと思っている。

 何せ、この世界に来てからずっと渇望し、そのために尽力した上でようやく掴み取った会長と一緒に過ごすという幸せを、綾乃が簡単に手放すとは思えないからだ。

 もちろん、必要に迫られたときにはそうすることもあるだろうけど……いや、今回がその時だった可能性もあるのか。


「ちょっとー。二人で何内緒話してるのー?」

「……馬鹿にはわからない難しい話よ」

「なっ! 幸聖聞いた!? 摩耶が今、私のこと馬鹿って言ったよ!」

「事実を言って何が悪いの?」


 またやいのやいの言い始めた二人を他所に、少し浮かんだ考えを深掘りする。

 もし綾乃が、せっかく掴んだ幸せを手放さなければならないほどに追い込まれた状況であった可能性。

 色々な思考を巡らせて、自分のことだけじゃなく俺たち召喚者(クラスメイト)のことまで考えてきた綾乃が、自らの幸せを放棄しなければならないほどになる状況。

 そんな状況はそう簡単には想像できない。

 でも、もしそうだとしたら……。


「このままじゃ足りないかもしれないか」


 色んなことを想定し動いてきた綾乃が、きっと今は後手に回っている。

 綾乃自身が死ななければならないと考えた時に真っ先に思い付いたのはこれだった。

 ……いや、もしこの考えが正しいものだとしても、きっと会長はそれすら踏まえた作戦を立ててくれたはず――

 って、作戦を考えたのは会長の後ろにいる魔人だったか。

 じゃあ魔人が会長を騙していて、綾乃が後手に回っている可能性を考えずに作戦を立てた可能性もなくはない、のか?

 ……わからなくなってきた。


「幸聖?」

「どうしたの? まだおでこ痛い?」

「……」


 俯きがちに思考に没頭していた俺を、摩耶と愛佳が覗き込むようにして心配してくれた。

 取っ組み合いの最中だったのか、互いに頬を引っ張りながら俺を心配する様はちょっとばかり可笑しい。


「ふふっ……いや、なんでもない」

「ちょ、なんで今笑ったの?」

「愛佳が変な格好してるからでしょ」

「それを言ったら摩耶ちゃんだって似たようなものでしょ!」


 俺の失笑でまた二人はお馴染みのやり取りを始めてしまった。

 まぁでも、さっき愛佳が言っていたように、大戦が始まればこんなギャグみたいな日常は送れなくなる。

 だから大戦が始まる前に、満足するまでやっておいてもらった方がいい。


「よし」


 額に当てていた濡れハンカチを軽く水を切ってポケットに戻し、気合を入れて立ち上がる。

 綾乃の考えがどうだとか、綾乃が後手に回っているだとか、考えてもわからなかった。

 そもそも綾乃は俺たちの状況は逐一報告しろとか言う癖に、綾乃自身ことはほとんど話さなかったわけだしな。

 そんな状況で綾乃の方の状況を推察するなんて無理難題だ。

 まぁ、そうだとしても――


「摩耶、愛佳」

「うん?」

「な、何?」


 いきなり元気よく立ち上がった俺を見上げて、二人が応える。

 訓練場の天井を見上げ、その先――天国にいるかもしれない綾乃を見据えてから、二人に向き直る。

 向き直って――


「俺は絶対に、二人を守る。だから――」

「「私たちで幸聖を守る、でしょ?」」


 息ピッタリの、頼もしい返事が返ってきた。

 そうだ。

 俺たちのやることは変わらない。

 守り守られながらでいい。

 次の大戦を生き抜いて、全員で地球に帰る。

 それが――それだけが、俺たちの目指すべき未来なんだから。






 * * * * * * * * * *






 会長が主動した会議から約三ヵ月が経った。

 綾乃くんが遺してくれた各々の訓練メニューや、ラティーフさんたち経験と知識のある両師団の訓練、その他、やれるだけのことをやってきた私たちは今――()()()()()()()()()()()開戦の時を待っている。

 ずっと話には聞いていた。

 それでもこうして魔人たちが暮らす大陸に来たとなると、どうしても緊張はしてしまう。

 昼とは思えない昏い空が、私の不安を助長しているようにさえ感じる。

 手先に血が回っていないのか、手は少し震えているしとても冷たい。

 擦って少しでも温めようとしても、自分の手なのかと疑いたくなるくらいには思い通りに動いてくれない。

 こんな時に、率先して私の異変に気が付き、恥ずかしげもなく手を取って温めてくれそうな頼りになる幼馴染は、聞きたいことがあるとやらで会長とお話し中だ。


「どうかされましたか?」

「え? あ、いえ。大丈夫ですよ」


 そんな私の異変に気が付いたのは、会長が連れてきた魔人の協力者グループの一人。

 魔力をほとんど持っていないが身体能力は獣人並みと言うことで、物理的な情報の伝達を担っていると説明された、フーデッドローブを目深に被った男性だ。

 紹介された通り、彼からは魔力をほとんど感じ取れない。

 ただ、どことなく綾乃くんに似た雰囲気を感じる。

 声も口調も一人称も全てが違うから、どう似ているのか説明しろと言われたら難しいんだけど。

 そんな名前も知らない彼は、私の震える手を見て何かを察したようで、「ふむ」と一つ頷くと懐から一枚の紙を取り出して差し出してきた。


「これは……?」

「使い捨てのカイロのようなものです。私のような見ず知らずの者に手ずから温められるよりも、彼が戻るまでの代用としてそれを使う方がよいでしょう」

「……ありがとうございます」


 適度な距離を保ちながらも、こちらを気遣ってくれる彼の優しさに素直に感謝する。

 手渡されたこの紙はスクロールのようで、魔力を通してみるとじんわりと温かくなった。

 積もった雪に水を掛けた時の用に、冷たかった指先が温められていく。


「とても緊張されているご様子ですが……大丈夫ですか?」

「……そうですね。大丈夫と言葉にできるくらいには大丈夫です」

「なるほど。どうやら大丈夫ではなさそうだ」


 私の答えを聞いていないのか、聞いた上でそういう結論に至ったのか。

 どちらかはわからないけど、彼は私の状態をよくないと判断したようで、少し考えこむように俯いた。

 顎に手を添え、フードの奥に隠れて見えない視線をどこかへ向けているのか「ふむ」と頷いた。 


「そうですね……一度、自分の恰好を確認してみては?」

「自分の恰好、ですか?」


 復唱した私の言葉に頷いた彼の口元は、穏やかに微笑んでいるように見えた。

 一人でいてもこの緊張は和らぐはずもないので、取り敢えず言う通りにしてみようと片膝をついた状態で自分の身なりを見回してみる。

 敵地に乗り込んだ際、敵味方の区別を簡単につけられるようにとの提案で新調した、この大戦用にと作られた黒を基調とした服装。

 この服装を見ていると、デザインも似通った黒のロングコートを着用していた綾乃くんを思い出してしまう。


「綾乃くん……」


 既に温まった手を握り、私の人生に大きな影響を与えてくれた人の名を呟く。

 たったの三ヵ月程度で全てを払拭するのは難しかった。

 それでも、私はちゃんと前を向き、進み続けてきた。

 時には休みながら、時には助けられながらでも、ちゃんと前へ。

 もし綾乃くんが目の前に現れたとしても、自身を持って頑張ったと言える。


「勝って見せるからね」

「……どうやら、心配する間でもなかったご様子ですね」

「え? ――あ」


 「杞憂でしかなかったようだ」と呟く彼を見て、ようやく気が付いた。

 いつの間にか、私の心から緊張がなくなっている。

 大戦のことを考えなかったわけじゃないのに、不思議と綺麗さっぱりなくなっていた。


「あ、ありがとうございました」

「いいえ、私は何も。もう間もなく始まります。武器などの手入れもお忘れなきよう」

「はいっ」


 彼はそのまま、待機している少人数の団体の近くを歩き、何人かに話しかけている。

 きっと、私のように緊張している人や困っている人のサポートに回っているんだろう。

 その証拠に、私にくれたカイロのようなものを渡したり、あるいは一言二言声を掛けたりしては、また別の人へと巡回している。


「お待たせ。何か話してたみたいだけど、何かあった?」

「ううん。ただ単に、私の緊張を解してくれてたの」

「そうだったのか。ごめん、傍にいてあげられなくて」

「大丈夫だよ。私もずっと翔に(もた)れ掛かってるわけにはいかないからね」


 なんて言いつつも、そう簡単には切り離せないのはわかっている。

 だから、今すぐなんて必要はない。

 この大戦を生き抜いたら、徐々にでも進めていけばいい――って、これは死亡フラグっぽいかな。

 とにかく、時間がないからと焦る必要はないんだから。


「翔の方はどうだったの? 聞きたいこと聞けた?」

「聞くことはできたけど、俺の思い通りにはならなかったよ」

「中村くんのこと?」

「うん。やっぱり、隼人のことは会長たちのグループで対処するってさ」


 翔はこの三ヵ月の間、中村くんのことは同じ召喚者で対応すべきだとずっと直訴していた。

 でも、中村くんの実力は召喚者の中でも綾乃くんに次いで高かったこと。

 魔人の手が掛かった結果、それがより凶悪なものになっている可能性があることの二つを加味されて、翔の直訴はずっと却下されてきた。

 それは結局、この場に来ても変わらなかったらしい。


「――ただ」

「うん?」

「ただ、今日の会長の返事が少しフワッとしてたんだよな。こう、煮え切らないと言うか……」

「へぇ……? 珍しいね」


 会長が何かの意見を否定する時は、基本的にズバッと一刀両断する。

 もちろん、根拠のない感情的な拒絶ではなく、理路整然とした説明の上でだけど。

 そんな会長が「煮え切らない」なんて言われるとは……会長も私と同じで緊張しているのだろうか。


「もう耳にタコだと思うけど、私たちは私たちの相手に集中しよう。別のことに気を取られて勝てる相手じゃないよ」

「……そうだな。今でダメならもう変わらないし、切り替えよう」


 ようやく振り切れたのか、翔は頬を叩いて気合を入れなおした。

 もうすぐ、この世界の命運をかけた大戦が始まる。

 これで二回目。

 戦いとは無縁の世界に居た私たちは、何度やっても馴染むことはない。

 それでも、やらなきゃいけない。

 私たちが地球に帰るために。

 立ち塞がる敵を全員倒して、大戦に勝利するんだ。


「――ん」

「始まるね」


 会長の周りがバタバタと慌ただしく動き始めた。

 魔術的な通信を行っている一人が何かを傍受し、それが即座に会長や協力者の魔人へと伝えられる。

 それを聞いた会長は一度天を仰ぎ、大きく深呼吸をしてから、待機中の少数精鋭が集うこちらへと振り向いた。


「時が来ました」


 叫ぶような大声ではない。

 けれど芯があり、その一言で身が引き締まる。

 程よい緊張と、誰もが抱く覚悟。

 それらを確認するように私たちを見回してから、会長が口を開く。


「この大戦を終わらせる為の戦いを始めます」


 会長の言葉に、その場にいた全員が頷く。

 そして、会長は隣にいる神聖国の教皇、マルセラさんへと視線を送った。

 前回の大戦でも大活躍だった、教皇が代々継承する大規模結界。

 今回の作戦の要でもあるその大結界発動のために、魔力が放出された。


「……」


 綺麗だな、という感想は心の中に留めておく。

 マルセラさんを中心として、魔力の光が渦を巻く。

 天高く昇るような魔力の奔流は、静かに、けれど力強く脈動している。

 マルセラさんだけの魔力ではなく、協力者の魔人からの魔力供給も受けて発動する、過去に見たものよりを凌ぐだろう結界。

 魔力の吸収と譲渡を担う巨大なスクロールの上に座るマルセラさんの魔力が、徐々に徐々にと練り上げられていく。


「日菜」

「何?」

「緊張してる?」

「ううん。もう平気。ここまで来て、綾乃くんに格好悪い姿は見せられないもん」

「ふっ、そうだな」


 翔がこの世界に来てからの相棒である『弥刀』を握り、私は腕に着けたガントレットに手を添える。

 私が放つ魔術の威力を底上げし補助してくれる私の相棒。

 一年近くも身に着けていたら愛着は湧いてくる。

 名前は――恥ずかしくてつけられていないけど、それでも大切な相棒だ。

 小さく「よろしくね」と呟いてから、顔を上げる。


「翔も。頼りにしてるよ」

「こっちこそ。頼りにしてるよ、日菜」


 マルセラさんが結界を張ることで、魔王軍には気づかれるだろう。

 でも、それでいいらしい。

 この作戦の始まりは――開戦の狼煙こそが、この結界なのだから。


「“大神殿(カサ・カノン)”」


 渦巻き集約していた光が解き放たれ、視界に捉えていたおよそ十キロ先にある魔王の城を光の城が飲み込んだ。

 否、魔王城だけではない。

 魔王城のある城下町ごと、その光の結界(しろ)は全てを飲み込んだ。


「行きます! 作戦通りに!」


 会長の言葉に弾かれるようにして、私たちは駆けだした。

 この大戦を終わらせるために。




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