第十一話 【彼女たちへ】
「綾乃くんが……死んだ?」
特別に設けられた部屋の一角から、困惑と動揺の入り混ざった疑問が投げかけられた。
それは、この対策室に集められた人たちの中でも、特に秀でた実力を持っている召喚者の女の子――小野日菜子ちゃん。
地球にいた頃は生徒会書記を務め、日菜ちゃんと呼んでいた彼女とは久しぶりの対面になるけれど、随分と成長したように見える。
「うん。アカさん――竜人と戦って、死にました」
「……本当、なんですか? 質の悪い冗談とかじゃ――」
「好きな人が死んだなんて虚言を言い触らすことはしないわ」
この場にいる誰もが、私の「葵が死んだ」発言に困惑している。
その中でも早く私にその確認を取ってきたのは日菜ちゃんが冷静だからか、あるいは事実と知っても信じられないことだからか。
今の発言的にはおそらく後者でしょうね。
「よう。結愛って呼んでもいいか?」
「構いませんよ、ラティーフ騎士団長」
「じゃあ結愛。一つ聞くが、葵はなんで竜人と敵対した? あいつからは、嫌われてはいても敵対することはないって聞いていたんだが?」
当然の質問ね。
けれど、この質問に対する完全回答は、生憎と持ち合わせていない。
葵は自分が責められることを恐れたのか、アカさんと敵対するに至った“作戦”とやらを継承してくれなかったから。
「事の全ては、私にも分かり兼ねます。ですがわかっていることをお伝えするのであれば、葵が立案した作戦に対しアカさんが反対し、それでも葵がその作戦を強行しようとしたためにアカさんが敵対したと」
「その作戦の概要は知らないというわけだな?」
「私も含め、葵とアカさん以外の誰も知らないものだと思います」
今私と問答をしているラティーフ騎士団長。
この世界で培った私の記憶と、葵から受け継いだ記憶を合わせると、彼が相当な実力者であるとわかる。
この場で例え飛び掛かったとしても、瞬殺はできないでしょうね。
今は彼が、怒りの感情を抱いているからでもあるでしょうけれど。
「葵がどうしてその作戦とやらを秘密にしていたのかもわからないか?」
「……推測でよければ」
「聞かせてくれ」
葵がどうして作戦を誰にも話さなかったのか。
あれほど口酸っぱくして言ってきた報連相をせずに、アカさんと敵対するまで一人で進んでしまったのか。
「この状況こそが、葵の作戦の内という可能性です」
「……やはりそうなるか」
ラティーフさんも同じ考えに至っていたようで、深いため息をつきながら頭を抱えた。
隣のアヌベラさんも、ラティーフさんほどではないものの小さく溜息をついているので、大方予想はしていたのでしょうね。
しかし、わかっていない顔をしている面々も見受けられる。
この場に呼んだ十三名の召喚者たちが、主に何を言っているんだ? と疑問を顔で示している。
「葵が死ぬことでようやく始まる作戦である可能性がある、ということよ」
「あ、綾乃が死ぬことで始まる作戦? 生徒会長、それって一体どういう……?」
「その内容自体は私にもわからないわ。それでも、死の間際に私へ記憶を継がせようとしたあの葵が何も考えずにただ死ぬなんて考えられない」
「葵の記憶を継いだのか?」
「一部……それも葵の裁量で残されたものですけれど」
「ならより一層、葵の作戦である可能性が高まったわけだ」
葵が死ぬことが作戦の範囲外であれば、その証拠を残さないメリットがない。
けれど、葵は記憶を受け継がせた私にすら作戦を開示しなかった。
つまり、初めから葵が死ぬことが前提の作戦で、今もそれが継続している可能性が高い。
もしそうならば、葵が私たちに話さなかったのも頷ける。
葵が死ぬ作戦なんて、誰も縦に頷きはしなかったでしょうから。
「生徒会長の言っていることが正しかったとして、じゃあ綾乃くんがいなくなっても問題ない作戦ってなんだろうね?」
「それがわかってるなら生徒会長も伝えてくれるでしょ。馬鹿は黙ってなさい」
「ば、馬鹿!? 馬鹿って言った!? ねぇ幸聖! 摩耶が――」
誰に聞くでもなく、純粋に独り言のように小声でつぶやいた相田愛佳さんの言葉を、一席飛ばしに座っている千吉良摩耶さんにばっさりと一刀両断された。
その返しに何おう! と怒りを露にして、告げ口する小学生のように間に座る工藤幸聖くんに話しかけたが、会議にとても集中して臨んでいた幸聖くんは両隣に座る彼女たちに叱るような口調で告げる。
「会議中だ。いつもの調子はまた後でにした方がいい」
「――確かに。ごめんなさい」
「すみません」
「いいのよ。きっと葵でも、今の二人のやり取りは見逃していたでしょうから」
ああやって複数人でワイワイ楽しむのは、一人好きの葵も好きだった。
それに、二人の会話は進行の妨げになるほどのことでもない。
「愛佳ちゃん、でいいわよね?」
「え、あ、はい!」
「さっきの疑問だけど、葵の立てた作戦は私にもわからないわ」
「そ、そうなんですね……ありがとうございます」
会議を邪魔してしまったという認識を、議題として取り上げることで少しでも軽減する。
これで、彼女たちもより一層この会議に集中してくれるでしょう。
「話を戻すが……どうする? 葵の作戦がわからない以上、俺たちが別で策を練り実行するのはいいことなのか?」
「構わないと思います。葵ならきっと、それすら加味した策を講じていると思いますから」
「……随分と、葵のことを信頼しているんだな」
「ええ」
葵のことを過大評価していると言われても否定はできない。
けれど、葵が遺してくれたものに対してできることはこれしかない。
その上で今後どうしていくか。
大切なのはそこだから。
「今後どうしていくか。その議論に移る前に一つ、私たちが考えた策を聞いていただけますか?」
「もう考えたのか? 葵が死んでからまだ三日も経っていないだろう?」
「葵が死んだとしてもまるで影響のない、優秀なブレーンがいますので」
ここに関しては嘘。
優秀なブレーンことアヤがいることは事実だけれど、これから提示する策にアヤは関わっていない。
話すべき人を絞り、確実に策を遂行できるようにしなければ――
「策を話します。どうか最後まで、ご静聴願います――」
* * * * * * * * * *
「――では皆さん。よろしくお願いします」
会長の言葉で、長い長い会議が終わった。
けれど、私はその会議の内容をほとんど覚えていない。
――いいえ。
覚えていないわけではなく、それ以上に衝撃的な事実が思考の先端に陣取っていて、その内容を思い出せなくなっているだけだと思う。
「日菜。大丈夫か?」
「……うん」
いつでもどこでも優しく、私を常に思ってくれている幼馴染の言葉も、今は上の空でしか返事を返せない。
それほどまでに、私はどうかしちゃっている。
本当に想定外だった。
綾乃くんという、ただのクラスメイトよりもほんの少しだけ関わりの深い人物の死が、ここまで重たい影響を及ぼすなんて――
「……日菜?」
「え――あ、何?」
心配する幼馴染の声で、私は我に返る。
慌てて顔を上げてみれば、すぐ近くに会長の姿があった。
「え、あ。会長……?」
「大丈夫? 体調悪いなら先に部屋に戻ったほうがいいんじゃない?」
「いえ、大丈夫です。少し考え事をしていただけですから」
「……そっか。じゃあ改めて説明するね?」
話を聞いていなかった私を責めることなく、会長は翔にもしたらしい説明を始めてくれた。
「二人に、前回の大戦で前線を張った召喚者と、あと葵が気にかけていた召喚者を、さっきの会議室に集めて欲しいってお願いをしようとしてたんだけど……大丈夫そう?」
「はい。大丈夫です」
「無理はしなくても――」
「本当に大丈夫です。今は動いていた方が都合がいいので」
そうだ。
余計なことを考えてしまいそうになるなら、そんなことを考える余裕をなくしてしまえばいい。
体を動かしてみれば、意外とどうにかなるかもしれない。
今の私は、どれだけ体を動かしても問題なくなったんだから。
「そう? じゃあよろしくね」
「わかりました」
「……はい」
会長はいつも通り、溌剌で頼もしい。
ソフィアちゃんに呼び止められて背を向けた会長の動きには一切の迷いがない。
地球にいた頃、私たち生徒会のメンバーを引っ張って動く時の会長のままだ。
……どうして会長は、いつも通りでいられるのだろう。
会長だって、葵くんが死んで辛いはずなのに――
「日菜? 日菜?」
「あ、ごめん。何?」
「俺は男子を集めてくるから、日菜は女子をお願い」
「わかった」
「日菜!」
早速体を動かそうと、椅子から立ち上がり、部屋で待機しているだろう召喚者を呼びに歩き出した私に、翔が声を掛けてくる。
振り向き、私を呼び止めた幼馴染に視線を向けてみれば、心配そうな顔で私を見ていた。
「辛いことがあったら言えよ。俺はいつでも相談に乗るからな」
「……うん。ありがとう」
でもごめん、と心の中で謝る。
この気持ちをどう説明すればいいかわからないから、すぐには相談なんてできない。
落ち着いて、この感情に整理をつけたら必ず相談するから、と幼馴染に心中で謝ってから、私は会長に託されたお願いを果たすべく歩き出した。
「このメンツを集めた理由は?」
ここに集まったメンバーは、会長を含めて十八名。
王様、ソフィアちゃん、ラティーフさん、アヌベラさんたち、王国の主要人物に。
大戦を前線で戦った召喚者からは私と翔、梨乃ちゃんに夏希ちゃんに佳奈美ちゃんに彩ちゃん、あとは龍先生に土井くんに萩原くんに木村くん。
そして、綾乃くんが気にかけていた人物として、先ほどの会議にも出席していた摩耶ちゃんに愛佳ちゃんに工藤くんだ。
「先の会議でお話ししなかった真実についてお話ししようと思いまして」
「真実?」
「はい。先ほどお話しした策の、本当の提案者についての話です」
「なるほど。だがそれは、このメンツを集めた本当の理由か?」
「鋭いですね。ラティーフさんの言う通り、私がこのメンバーを集めた本当の理由は別にあります」
心理戦のようなものを繰り広げているけど、私には何のことだかさっぱりわからない。
体を動かしたことで少しは思考がスッキリしたおかげで話に置いて行かれることはないのだけが救いだ。
「勿体ぶるな。時間が惜しいと締めくくったのはお前だろう? 結愛」
「その通りです。では本当の理由をお話ししますと、“魔王軍側と関わりがない”と私が信じられるメンバーを集めました」
「……随分と警戒しているんだな」
「葵から聞いていませんか? 共和国で一戦交えた組織の裏――と言っても雇われでしたが、そこに魔人がいたことを」
「聞いていないな」
私も初耳だ。
会長が言うには時期的に私たちとも会っているはずだが、どうして綾乃くんはそれを伝えてくれなかったのだろう。
「だが葵が話さなかったのも納得できる。その時点で魔人が俺たちの裏にも隠れている可能性を考えたんだろうな。そんで、余計な警戒を抱かせる前に対処しようとした」
「葵がどう思っていたのかは不明ですが、私も同じように考え、こうして少数の方々にのみ情報を後悔することにしました」
私の想像以上に、綾乃くんは大戦のことを考えている。
いや、大戦では私たちの命がかかっているのだから、当然なのかもしれない。
でも綾乃くんは……綾乃くんだけは、常に私たち含めて全てのことを考えているように思う。
「話の腰を折って悪かったな。続けてくれ」
「はい。これから話すのは、漏れれば混乱と嫌疑を招くものになります。ですので絶対に他人へ離さないようにお願いします」
慎重に、それでいて切実に、会長は頭を下げてお願いした。
それがどれだけ重要なことなのか。
会長の一挙手一投足で、この場にいる全員が理解できた。
「先ほどの策。本当の提案者は私の仲間ではなく――魔人になります」
「……魔人だと?」
「はい。私たちが戦うべき相手。その種族である、魔人です」
「――なるほどな。さっきの策で疑問だった部分に合点がいった。そういう理屈か」
ラティーフさんは何やら納得している様子だけど、私にはよくわからない。
いや、会長が前の会議で話してくれ、全員が同意に至った策は、実は魔人が考えたものでした、と言うことは理解できる。
ただラティーフさんが何に、どういう思考回路で納得したのかがわからない。
「結愛様は敵対するはずの魔人と手を組んだ、と言うことですか?」
「半分正しく、半分が違います」
「ご説明をお願いできますか?」
「勿論です」
そこから会長が話してくれたのは、俄かには信じ難い話だった。
件の魔人は現魔王軍に反発している、いわゆる反乱軍的な立ち位置に属する人物であり、だからこそ魔王軍と敵対する人間に強力を持ちかけたこと。
反乱軍は百一名の魔人が在籍しており、その誰もが銀等級以上の実力者であること。
全員と対話が可能で、会長は実際に一人一人と話し合い、人間側に潜り込んできたスパイで可能性は低いと判断したことなどを話してくれた。
正直なところ、魔人を仲間に引き入れるのは危険だと思うのだけど、会長はそうは思っていないらしい。
会長は昔から人を見る目があると私も知っているけれど、今回ばかりはその会長の言葉でも素直には信じられそうもなかった。
「状況は理解した。確かに、それだけの実力者がいればさっきの会議で話した策とやらも通用しそうだな」
「あの場で話を合わせてくれたことには感謝しています」
「感謝はいい。問題は、今のお前が魔人側に呑まれていないと証明できるかどうかだ」
ラティーフさんは、私たちにも見せたことのないような鋭い目つきで会長を睨みつける。
異様な圧迫感も感じ取れ、それが意図的に発揮しているものだと理解してなお、体が無意識のうちに小刻みに震えだす。
本能的にも、理性的にも、ラティーフさんの放つ圧力に恐れをなしているんだ。
「葵のことを信じてもらえるのであれば、それが証明になります」
「なぜそこで葵の名が出る?」
「彼女たちと最初に話をしたのは、他ならない葵だからです」
「ったく……もっと信じて話せってんだ」
頭を掻きむしって、ラティーフさんは悪態をつく。
だがその後悔じみた行為も一瞬だけ。
即座に気を取り直し、ラティーフさんは会長へと視線を向ける。
「葵の名前を出せば全て解決するなんて思ってるんじゃねぇだろうな」
「そういうわけではありません。ですが、“葵が死ぬことで始まる作戦”の補強くらいにはなったのでは?」
「それすらもが魔人の手の内って考え方もできるがな。その場合は結愛――お前ももう呑み込まれてると考えるべきだろうな」
「そうなりますね。その時の判断はお任せします」
至って冷静に、会長はいつもの調子でラティーフさんの言葉を躱す。
あまりに堂々とした振る舞いは、会長の言葉を信じさせるだけの何かがあるように見える。
「私は、結愛様の言葉を信じてもいいと思います」
「ふむ。どうしてそう思うのですか?」
ソフィアちゃんの言葉に、ラティーフさんが疑問を投げかける。
隣に座るラティーフさんへと体ごと向いて、ソフィアちゃんは真っ直ぐ答える。
「葵様はいつだって、私たちの想像の上を行っていました。それが例え我々の常識からは外れ、異端に映るものであっても、最終的には良い方向へと進めていましたから」
「だから今回も何とかなる、と?」
「私は葵様を信じていますから。葵様が信じ、託した結愛様を信じます」
「それは結局、葵のことを信じてるって話だな」
「そうなりますね」
笑顔ではにかむソフィアちゃんは、なんだかとても可愛く見えた。
恋する乙女のような、純粋な可愛らしさ。
話の脈絡とは関係のないこの感情は、どうして湧いて出てきたのだろう。
集中できていないのだろうか?
何か別のことに気を取られているのだろうか?
「御父様はどう思われますか?」
「……元を辿れば、我々が彼女らをこちらの世界の事情に巻き込んだ。故に、その彼女らによって滅ぼされるというのなら、それは我々の責任と言うことになるだろうな」
「俺たちはそれでも理解できますし納得もできます。ですがそれでは世間一般は納得できないでしょう」
「ラティーフの言う通りだろうな。だがどうせ、納得の有無に関わらず滅ぼされるのだから変わらないだろう」
「……国王陛下。それは一国の主の発言として如何なものでしょうか?」
「ふっ……元より賢王などという性に合わん肩書とは、別れたかったところだからな」
あまり王様らしくない発言に、ラティーフさんが呆れたように呟いた。
でも、それだけ。
こういうものなのだろうか? と疑問を抱く私を他所に、話は進んで行く。
「私は国王としても、個人としても葵殿を――結愛殿を信じよう」
「ありがとうございます」
「陛下と王女様が信じるというのなら、私たちもそうするべきでしょうね」
「反対しようとも責めはせんぞ」
「陛下ならそう仰っていただけるとは思っていました。ですが近くで監視し、有事の際は陛下や王女様の盾になることのできる立ち位置にいるべきだと思いましたので」
「……そうか」
会議中のほとんどを黙って聞き入っていたアヌベラさんと王様の会話が終わり、王国に関わる人物は全員が会長のことを信じると決めた。
それを受け、会長は召喚者である私たちへと視線を巡らせてきた。
「日菜ちゃんたちはどう?」
何がどう? なのだろうか。
会長に従えるか? という話なら縦に頷ける。
では会長を信じられるか? と聞かれたなら……すぐには頷けない。
「俺は会長が嘘を吐くメリットがないと思っています。だから、会長を信じて従います」
「……私も」
「俺もだ」
私が悩んでいる間にも、何人かが頷いていく。
別にそれを責めるつもりはないし、きっと色々と考えた上でその結論に至ったのだろう。
それでも、私は――
「私も会長を信じるよ」
「私も――」
「ああ」
うだうだと私が悩んでいる間も、どんどんと会長を支持する人が増えていく。
ものの十秒程度でその流れは召喚者全体へと広がり、隣に座る翔や、龍先生すらもが縦に頷いた。
まだ返事をしていないのは、この会議室で私だけになってしまった。
「……」
「日菜?」
一向に返事をしない私を心配するように、翔が顔を覗き込むようにしてきた。
それでも、まだ私は答えを出せていない。
会長のことは、信じられると思う。
今までだって嘘をついたことはないし、いつだって私たちの目線に立って、私たちと一緒に歩んでくれた。
それは地球での話で、こっちの世界では全く関係のないものだとしても、今までの実績や変わらない今の様子を見て……信じられると思う。
でも、どうしてか、私は頷けない。
何が私を邪魔しているのか、どうして頷くという簡単な行動が、信じますという一言が出ないのだろう。
「日菜ちゃん」
時間だけを浪費する私に痺れを切らしたのか、会長が自ら話しかけてきた。
その言葉に苛立ちや責めるといった感情は窺えなかった。
窺えなかったけれど……いや、まずは顔を上げて、会長を向き合わなければいけない。
ゆっくりと顔を上げ、会長の方へと視線を向ける。
そして、会長の漆黒の瞳と、私の瞳とがぶつかる。
「何か、私に言いたいことがあるんだよね?」
「……え」
「あれ、違ったかな?」
外しちゃったかな、と恥ずかしそうに頬を掻く会長。
どうして会長は、急にそんなことを言い出したのだろうか。
会長に言いたいことがある?
今私は会長の言葉を、その内容を信じられるかどうかを吟味している最中だ。
なのにどうして、そんな言葉が――
「この部屋に集まって会議を始めてからずっとそうだと思ってたんだけれど……どうかな?」
「……」
この部屋に集まって会議を始めてから。
それはつまり、各国の長も交えている時の会議のことだろうか。
それを始めてからずっと、会長に言いたいことがある?
それはつまり、会議が始まった時に言いたいことができたと言うことで――
「……あります」
「何かな」
思い当たる節はあった。
でもそれは、最初は衝撃が大きすぎて呑み込めなかった。
最初の会議での話を即座に思い返せないほどに、私に驚愕を齎した。
それでも持ち直し、一旦は保留にして忘れようとして、それでもできなかったこと。
「会長は、どうして綾乃くんを死なせたんですか?」
「お、おい、日菜――!」
私の口を衝いて出た言葉に、隣の翔がいち早く反応する。
しかし会長は手で制した。
「綾乃くんはずっと、会長を探してた。会長を想ってた。この世界に来てからも、来る前からずっとです」
「……そうね」
こんなことを言いたかったのか。
それはもうわからない。
それでも一度始めてしまった言葉は、今更止められない。
「ずっと、ずっとずっとずっと――綾乃くんには会長しかいなかったんです。それなのにどうして、会長はそんな平気な顔をしてるんですか。悲しくないんですか。辛くないんですか。……綾乃くんの独りよがりだって……勝手に好きになられてただけだって、思うんですか……?」
止められない言葉は、次第に何を言いたいのかがわからなくなっていった。
脈絡なんてなくなったと自分でも思うくらい、滅茶苦茶なことを言っている自信がある。
最初は会長の瞳を見据えて言っていたはずなのに、私の目はいつの間にか下を向いてしまっている。
靄がかかったようにぼやけた視界は、とても熱くなっている。
ポタポタと落ちる雫を認識してようやく、私は綾乃くんの死を悲しんでいるんだと理解できた。
恋愛的に好きという感情を抱いていたのかと聞かれても、違うかなと言えるだけの関係。
それでも、私にとって綾乃くんは特別な人だった。
幼稚園の時に、話したこともない私を助けてくれたあの日からずっと――
「――辛くないわけ、ないじゃない」
会議を中断して訳の分からないことを言った私に返ってきた言葉は、会議の中で一度も聞いたことのないような弱々しい会長の声だった。
目頭から、目尻から断続的に零れる水を垂れ流しにして、顔を上げる。
相変わらずぼやけている視界は、それでもきちんと視覚としての機能を残していた。
会長が私と同じで涙を零している様を捉えられるくらいには。
「葵のことを思い出した私が――いいえ。葵のことを忘れていた時だって、葵の死を悲しまないことなんてない。何もできなかった自分が悔しくて、でもそれ以上に葵がいなくなって辛いし悲しい――悲しいに決まってるじゃない」
時折すんすんと鼻を鳴らしながら、それでも会長は言葉を紡いでいく。
涙を流しているからこれが本心だとか、情に訴えかけるような熱い言葉だから本心だとか、そんなことは思わない。
それでも、会長の言葉が、その涙が本当だと言うことは、何となくわかった。
大切な人が亡くなって、辛くないわけがない。
「……でも、悲しんでいる場合じゃないの」
目元を乱雑に拭い、会長は少し赤くなった目元を晒しながら、それでも真っ直ぐ私を見据えて答える。
「葵の望みは、この大戦を真の意味で終わらせて、この世界を救って……その上で私を――私たちを無事に地球へと帰らせること」
黒の瞳にはとても強い意志が宿っている。
絶対に言葉にしたことを果たすんだという強い意志。
「悲しみに暮れるのも、後悔で自責するのも、全部終わった後でいくらでもすればいい」
その言葉は私に対する答えのようで。
それでいて、自分に対しての戒めのようでもあって。
「だから、利用できるものは何でも利用する。それが例え、憎い相手が用意した敵対者であっても」
会長は、強い人だと思ってた。
情がないわけじゃなくて、芯が強くて、どんなことにも耐えられる人だと。
でも、違った。
綾乃くんのことでクヨクヨ悩んでいた私とはまるで違う。
人並みに脆くて、弱くて、それでも強くいようとしている人だった。
「……会長、最後に一つだけ、聞いてもいいですか?」
「何かな?」
零れる涙を拭い取り、鼻を一度だけ啜ってから問いかける。
明確な意志と、胸から込み上げる感情を籠めて――
「綾乃くんに、誓えますか?」
何に、なんて言わなくても伝わる。
私を見つめる瞳だけを見据えて、はっきりと訊ねる。
答えなんて、聞く前からわかってる。
会長からのはっきりとした答えが欲しいだけだから。
「誓うのは、葵の禁句だからできないの」
「……そう、なんですか」
「ええ。だから約束するわ」
「それじゃダメ?」と聞いてくる会長は、不思議ととても可愛く見えた。
普段は凛々しいとか、格好いいと言った印象を真っ先に抱くから、とても新鮮で。
「ダメじゃないです。話を遮ってすみませんでした」
「ううん。日菜ちゃん、ありがとね」
「――はいっ」
そのやり取りで、脱線した話が会議に戻った。
会長がここにいる人だけに話しておきたいことを聞いている中で、ふと思った。
私にとって綾乃くんは、やっぱり大きな存在だったんだ。
彼の死を知り、それが心の奥につっかえて支障をきたすくらいには、大きな影響を齎してくれていたんだ。
それでも、私は生きていかなきゃいけない。
綾乃くんがそう望んでくれたように。
望まれていなくても、私がそうしたいから。
目一杯生きて、大往生した上で、きっと天国にいるだろう綾乃くんに伝えよう。
あなたのおかげで、幸せに生きられました、って――
* * * * * * * * * *
会議から、共和国で借りている宿の部屋に戻ってきた私を出迎えてくれたのは、パパとママだった。
「お帰り、結愛」
「会議、どうだったの?」
「問題なかったよ」
二人は策の都合上、前線で戦うことがないので、部屋に残って各所との通信や別で動く仲間たちとの連絡役を担ってくれている。
紙に書き出してくれた皆の動向を確認してみる。
「フレッドとソウファちゃんはアカさんと訓練……アンジェちゃんは対日光訓練でパティが付き添ってるのね」
言葉に出して、記憶に定着させる。
皆がどうしているのかを確認して、今後どうするべきかを考える。
葵が遺してくれた記憶を参照して、葵とは違う過程を経て葵が望む結末に至るために。
「お帰りになったようですね」
「あ、マリサさん」
私が考えているところへ、扉を開けて入ってきたのは協力者の魔人の一人のマリサさん。
卓越した魔力と技術を持ち、アンジェと比肩するレベルの実力者だ。
他の魔人の方たちよりも物腰が柔らかで、落ち着いた雰囲気を持っている。
そんな彼女の後ろには、協力者の面々が身に纏っているフーデッドローブを頭からしっかりと着用している男性がいた。
男性だとわかるのは、練度の上がってきた“魔力感知”で体格の把握ができるようになったからだ。
おかげで、外からでは分かり辛いゆったりとした服装の奥でもはっきりと認知できるようになった。
「――ふっ」
「……何か?」
「その程度のことで満足してるんじゃ先が思いやられるなって思っただけだよ、結愛」
急に小さく息を漏らした男性は、タイミングから私を笑ったように聞こえた。
それが間違いではないと、男性の反応が証明してくれた。
いつもであればその態度にカチンと来つつも、平静を装って対応したでしょう。
それでも、今回限りはそうはいかなかった。
だって、フードの奥から聞えた言葉――声に、とても聞き覚えがあったから。
「輪郭を把握できたんなら、その質まで感知できるようにならなきゃね」
数日ぶりでしかないはずなのに、随分と長い間、会っていなかったような感覚がある。
いや、そんなことはどうだっていい。
こうして、また会話ができただけでも十分。
「さ。最後の詰めの作業だ。張り切ってくよ、結愛」
「――勿論!」
零れそうになる涙を堪えて、葵の言葉にはっきりと頷いた。