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姉の為に。  作者: たかだひろき
第十一章 【大戦準備】編
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第十話 【決意。そして】




「結愛? 皆で待ってるからね?」


 扉越しに、ママが私を気遣う声でそう言ってくれる。

 でも、私はそれに返事をできない。

 声帯が潰されているとか、口を塞がれているとか、そういうわけではない。

 今は誰とも、話をしたくないだけだから。


「……」


 真っ暗な部屋の端で、こうして膝を抱えて(うずくま)っているのはいつ以来だろうか。

 この世界に来てからはこうなった覚えはないけれど……記憶の片隅には存在している。

 ああ、そうだ。

 昔、ママとパパが行方不明になった時――十年以上も前になるのね。

 その時の私は、どうやって立ち直ったのかしら。

 誰かの言葉で掬われたような気がするのだけれど……はっきりとは思い出せない。

 靄がかかったように、あやふやになってしまう。


「……私って、こんなに弱かったのね」


 こんな状況に追い込まれて、初めて自覚する自分の弱さ。

 精神面ではどんなに不利な状況に陥っても屈することはなかった。

 でも今、私は追い込まれたか弱い子供のように、膝を抱えて蹲っている。

 心が折れたわけではないけれど、悲しくて、やりきれなくて、自分の心と折り合いをつけるのに手間取っているだけ。

 ()()()()()()()()()()()という、その事実から立ち直るために。


「葵くんに……寄りかかってたのかな」


 一人になれたから――皆が一人にしてくれたから、こうして自分を見つめ直す時間ができた。

 自分が精神的にそこまで強くなかったことも、自分でも知らないうちに、葵くんを心の拠り所としていたことも、一人になって見つめ直せたからわかったこと。


「……可笑しいわね。初対面の印象は最悪だったはずなのに」


 初対面の印象は最悪だった。

 周囲の人たちへの被害を(かえり)みずに、自分の目的のためだけに暴れた葵くんのことを、関わりたくない人、関わったとしても、敵対以外の関係が持てない人だと思っていた。

 けれど、神聖国で再会して、ママやパパから葵くんの話を聞いて、そこから接していくうちに、葵くんのことをたくさん知れた。

 葵くんと過ごしてきた時間はなんだか楽しかったとさえ思えた。

 不思議と、ありのままの自分でいられたような気がする。

 葵くんから聞いた、私の知らない『板垣結愛』と葵くんとの関わり方は、今の私にもしっくりきた。

 その体感からなんとなく理解できた。

 葵くんの言っていた『板垣結愛』は間違いなく記憶を失う前の私で、記憶を失っている私でもその関係は居心地がよかった。

 そう、居心地がよかったからこそ、葵くんがいなくなってしまったのがこうも辛く、苦しいんだ。


「……こんなところで蹲ってても、意味なんてないのにね」


 自虐気味に笑ってみるけれど、気持ちは落ち込んだまま。

 蹲ったまま、思考を後悔で埋めていても前に進めるわけなんてない。

 蹲って後悔している(こんな)私を葵くんは望んでいないとわかっているのに、ここから動く気力が起きない。


「――ほんッと、バカみたい」


 自分がどれだけ馬鹿なことをしているのか。

 その自覚があってなお動けない。

 つくづく、私は私自身の弱さに辟易する。


「入るぞ」


 (あか)りが一つも点いておらず真っ暗だった部屋に、一筋の光が差し込む。

 外と繋がる扉が開かれ、隣室の光が漏れるようにして入ってきている。

 でも、今の私にはその光すら鬱陶しいと感じる。

 光が入ってくるということは、それをした誰かも一緒に入ってくるということだから。


「……一人にして欲しいと、お願いしましたよね?」

「そう聞いた」


 部屋に堂々と侵入してきたのは、私が今一番会いたくなかったアカさん。

 メンタルが最底辺にまで落ち込んだ原因を作った彼に、会いたいと思えるわけがない。


「なら出て行ってくれませんか。今の私は、あなたと会いたくはないんです」

「葵に頼まれていなければ、わざわざ今の貴様の前に現れることもなかった」


 俯き、抱えた膝の隙間から顔も見ずに吐き捨てるように言った私に対し、アカさんは呆れ混じりの声で呟くように言った。

 その内容を咀嚼して、理解して、私は顔をあげる。

 部屋の入り口でこちらを見据えるアカさんの瞳には一切の迷いがなく、竜人特有の瞳が情けない姿の私を映していた。


「葵くんに、頼まれていなければ、って?」

「数時間前に貴様らに話した葵の最期は俺のブレスだが、実は違う」

「違う?」

「葵は転移で避けらないと悟り、ブレスを耐える方向へと意識を切り替えていた。流石は老師が認めた人間だと言うべきか、ブレスを受けてなお、葵は辛うじて息があった」


 アカさんの言葉に、葵くんは凄いなという尊敬のような感情を抱くと同時に、私には真似できないやという悲嘆に暮れる。

 「尤も、放っておけば死ぬことに変わりはないがな」と付け加えられ、私は落ち込み陰に隠れていた怒りが再燃するのを感じ取った。

 力が入らなかった脚に不思議と力が宿り、蹲っていた私を立たせてくれた。


「そこで、辛うじて息があった葵は、俺に面倒な願い事を託してきた」

「……願い事?」

「旅をしてきた仲間全員への遺言と……葵が譲渡できる力の全てだ」

「力の全て……?」


 詳しくは知らないらしいアカさんの説明によると、その力は概念的に袋のようなもので閉じられているらしく、その袋は私にしか開けられないとのことだった。

 ただ、それを持ってきたというアカさんに対して、疑問は何個か残る。


「アカさんは葵くんのことを嫌っていたのに、どうして遺言を聞いて、その上こんなことまでしてくれるんですか?」

「……葵のことを嫌っていたのは、あくまで考え方が合わず、葵の立案した策では俺の願いは叶えられなかったからに過ぎん。俺自身が抱くその感情と、最期の言葉を伝えることとは矛盾しない」

「それはわかりました。ではなぜ、葵くんの力が封じ込めらたとされる袋を、私の元へ持ってきたのですか? その中身に、アカさんが不利になる要素が含まれているとは考えなかったのですか?」


 葵くんの性格なら、中身に自分の遺志を残して、それを託そうとしていた私へと継がせることだって視野に入れていたはずだ。

 負けると、死ぬと理解した時点で何かを残すという方向へとシフトしたのなら、それくらいすると考えるのは何もおかしなことではないはず。

 そんなことに気付かないほど、アカさんは馬鹿でも、愚かでもない。


「無論、その可能性はあるだろう。しかし、それに何の問題がある?」


 堂々としているアカさんの風格は、竜人の王であることを納得させられるだけのものがあった。

 こちらを無闇に威圧するようなプレッシャーではなく、ただ単純に威厳に満ちている。


「力を託された者が葵と同じ方向へと進むのであれば、貴様も殺せばいいだけの話だ」

「……竜人というのは、世界を守る守護者のはずでは?」

「その役割を担っているからこそ、葵の目指す未来は看過できなかった」

「……なるほど」


 葵くんの目指した未来は、きっと世界の守護者たる竜人を敵に回す可能性があった、ということね。

 ならどうして、葵くんはそんな大事なことを私たちに相談してくれなかったの?

 葵くんに口を酸っぱくして言っていた報連相は、葵くんには伝わっていなかったのかな?

 どうして私を眠らせてまで、一人で突っ走ってしまったの……?


「――全部、その袋を開ければわかるのかな」


 葵くんに対する愚痴も疑問も、いずれ解決できる。

 その解決に近づくかもしれない要素が、今私の目の前にある。

 落ち込んでいた気持ちを持ち直せたわけではない。

 まだどん底にいるし、すぐにここから浮上もできない。

 でも、まずは目の前の一歩を踏み出してみよう。

 気力もやる気も精神力も、全部行動の後からついてくるんだから。


「アカさん。その袋、私に頂戴」


 ツカツカとアカさんに歩み寄り、礼儀も何もなく手を突き出す。

 無礼だと思われても、生意気だと思われてもいい。

 アカさんからどう思われるかよりも、それを受け取る方が大切だから。


「……元よりそのつもりだ。だが忘れるな。貴様が葵と同じ道を行くというのなら――」

「――あなたが敵対する、でしょう? わかっているわ。そうなった時は、葵くんと同じように遺言だけは伝えてね」

「……当然だ」


 不服そうに呟いてアカさんが渡してきたのは、一枚のコインだった。

 どこにでもある、人間の国で流通している硬貨。

 所謂、金貨と呼ばれるものだった。


「『一人になった時に割って。そうすれば結愛に力を渡せるから』と言っていた」

「一人に……」

「安心しろ。俺はもう出て行く」


 そう言う意図があって呟いたわけではないのだが、アカさんはさっさと背を向けて扉を潜った。

 しかし、扉を閉める前に、何かを思い出したかのように扉を閉める手を止めた。


「今のは金貨(それ)を渡されたときに聞いた言葉で、貴様への遺言は別にある」

「聞かせて」

「『また会えたら、その時は結愛の一番にしてね? 約束だよ?』」

「…………」


 アカさんから聞いたはずのなのに、葵くんの声で聞こえた。

 葵くんが言いそうなセリフではないのに、不思議とそう聞えた。

 私が落ち込んでるだろうから~みたいなことを言われると思っていたから、不意を突かれた。

 不意を突かれて、でも心にちゃんと刻まれた。


「――ありがとう。ちゃんと、伝えてくれて」

「感謝されることではない」

「そうね。アカさんが葵くんを殺した事実は変わらない。でも、それとこれとは別だって言ったのはアカさんよ?」

「……調子を、取り戻したようだな」

「どうかしら。まだ落ち込んでいる自覚はあるのだけど……でも、立ち止まっても進めないのはわかっていたことだから」


 進むために、立ち上がるためのきっかけを探していただけ。

 時間経過という、立ち直るのに一番時間がかかるけれど確実な手を選んでいただけ。

 でも、そのきっかけはもう私が握っている。

 アカさんが届けてくれた葵くんの遺志が、私を立ち上がらせてくれた。

 なら後はもう、どれだけ悔やんでも苦しんでも、前に進むだけでいい。

 それを、葵くんが望んでいるのだから。


「俺は行く」

「ええ」


 パタンと、外と繋がる唯一の扉が閉じられる。

 アカさんが来る前と何も変わらない、私一人だけの部屋。

 でも、さっきと同じとは思えない。

 気持ちの向きが変わっただけで、同じ光景でも見方は変わる。


「――よし」


 アカさんから受け取ったコインを握り締め、暗かった部屋を照明を付けて照らす。

 ベッドに腰かけ、改めて握ったコインを見てみる。

 やはり何の変哲もないただの金貨で、物理的にこれと言った細工は見当たらない。

 パッシブマジックの類でないとするのなら、このコインでどうやって私に力を譲渡するというのだろう。


「……このくらい、私ならできるよねって前提よね」


 私にしか開けないと葵くんが言ったのなら、そこには確かな理由がある。

 謎解きの類なら私以外にも適任入るだろうし、その場合、受け継がせたい力が私以外に譲渡されてしまう可能性だってある。

 万が一にもあり得ないだろうが、仮にアカさんが誰かに負け、その人にこのコインを奪われたりしたときは一大事になってしまうから。


「私にしかできないこと……私だけが、持っているもの……」


 才能でも技術でも、あるいは物品でも。

 私がトリガーになるのなら、他の誰にもなくて、私だけが持っている何かが必須。

 それを理解できれば、このコインを開けることができる――


「――あ」


 そこまで思考を巡らせて、一つ気付いたことがある。

 自分の首元を(まさぐ)りチェーンを掴み、それを引っ張って胸元に垂らしていたペンダントを取り出す。

 盾に剣が刻まれた、お世辞にも高級そうなデザインでも見た目でもないペンダント。

 私がこの世界に来てから失くし、そして葵くんが持ってきてくれたもの。

 才能や技術よりもまず、他人になくて私だけが持っているものの候補として挙がるのはこれね。

 因果関係はまるで無いように思うけれど、それでも試してみる価値はある。


「……近づければいいのかな?」


 コインを挿入できるような窪みがペンダントにあるわけでもなく、コインとペンダントのどこかがフィットするような形状でもない。

 ならばと、その二つを近づけてみることにする。


「ん――反発してる……?」


 磁石の同じ極同士が反発するように、拳一つ分の間隔でコインとペンダントが反発しあった。

 こうするのが正解だと確信を得て、そこそこ強い反発力を強引に力でねじ伏せる。

 弾かれないように二つをしっかりと握りしめ、徐々に徐々にと近づけていき――


「ぁ――」


 反発力を越えて二つを重ねた瞬間、バヂンッと異様な音が鳴った。

 同時、合わせたコインとペンダントから(まばゆ)い光が放たれ、それを直視してしまった私は途端に眠気に襲われる。

 葵くんが私を置いていくために使った魔術? のような急激な睡魔を覚え、辛うじて残った意識でベッドに横たわるようにして体勢を整えて――私の意識は深い眠りへと落ちていった。






 * * * * * * * * * *






 眠気に襲われ、ベッドの上で横たわっているはずの私は、どういうわけか真っ白な空間で目を覚ました。

 見覚えは全くないけれど、それでも知識としては知っている。

 ここはおそらく、葵くんが話してくれたことのある初代勇者や他の魂とやらと会話をする場所。

 前後不覚になりそうなくらい、自分以外が真っ白な空間だと言っていたから間違いないでしょうね。


「ここが葵くんの言っていた場所ね……ほんとに真っ白」


 意識が落ちる寸前、もしかしてコインを渡してきたアカさんの罠かとも勘繰ったけれど、どうやらそうではない様子。

 何せ、ここには私を害するものが一切なく、そして目の前には――


「……怒られる覚悟はしてるんでしょうね?」

「勿論。まぁ怒られたいとは思ってないけどね」


 申し訳なさそうに眉を八の字にした葵くんが立っていた。

 格好はいつも通りの黒のロングコートで、私が最後に見た葵くんのまま。


「じゃ、目を瞑って。頬っぺた()つから」

「……目ぇ開けたままじゃダメ?」

「それだと気張れちゃうじゃない。罰なんだから、せめて夢の中でくらい受け入れなさい」

「……まぁ、だよね」


 反論できないのか、する気がないのか、葵くんは素直に目を瞑った。

 なので、私も遠慮せずに頬を引っ叩くことにする。

 敢えて靴音を出しながら距離を詰め、歩きながら溜まった勢いを乗せて頬を叩く。

 パチンっと小気味好(こぎみよ)い音を立てて、私の手のひらがジンと熱くなる。

 同時、葵くんの頬もじんわりと赤くなっていき、叩いた形の跡がはっきりと見えるようになってきた。

 どうせなら綺麗な紅葉になるように叩いたら良かったかも?


「これ以上は、止めてね……?」

「今はしないわよ」

「今は、ね」


 私の心を読んだのか、先手を打って釘を刺してきた葵くんへ呆れ混じりに返す。

 私個人の復讐はこれで終わり。

 本音を言うともっと色々と文句を言ってやりたいところだけれど、それをしていても話は一向に進まない。

 時間が惜しいのは、葵くんがいなくなっても変わらないのだから。


「それで、力の譲渡って具体的にはどうするの?」

「アカはきちんと説明してくれたみたいだね」

「ええ。でもこれからは頼む人を考えることね。アカさん、きっととても気まずかったと思うわよ?」

「……そうだね。うん、()()()()は気を付けるよ……」

「……失言だったわ」

「いやいいよ。俺がミスったのはその通りだしさ。それより本題に入ろうぜ」

「話を逸らしたのは葵くんだったと思うけれどね」

「……細かいことは置いといて」


 身振りで脇に“細かいこと”置く素振りをして、葵くんは私の眼を見て本題を話し始めた。


「力を譲渡できるって説明したと思うんだけど、俺が譲渡するためにアカに託したのは力じゃないんだ」

「そうなの?」

「うん。死ぬまでに時間があったらもっと細かく、力そのものも全部あげられたかもなんだけど……ごめん」

「いいわ。こうやって何かを残そうとしてくれただけでありがたいもの」

「……そう言ってくれると助かる」


 いつになく弱気な葵くんは、少し前までの私を見ているようね。

 私がいなかったら蹲っていてもおかしくないとさえ思える。

 不思議ね。

 葵くんのそんな姿、一度も見たことないはずなのに。


「じゃ、手ぇ出して」

「手?」

「そう、手。ほら、握手する感じでいいからさ」


 そう言って、葵くんは右手を差し出してきた。

 手を握ることで力の譲渡をするのかな、なんて思いつつ、葵くんの右手を握る。


「結愛の手、やっぱり温かいね」

「葵くんの手は冷たい」

「冷え性だからさ。足も冷たいよぉ?」

「また話が逸れちゃうよ?」

「っと、そうだね。じゃあ早速だけど、俺が遺せたものを渡すよ。譲渡したら、目を覚ます間に何を渡されたか理解できると思うから」

「説明はしてくれないの?」

「したいのは山々なんだけど……ほら」


 開いた左手で指したのは葵くんの足元で、視線を向けてみれば薄っすらと透け始めていた。

 時間がもうないのだと、瞬間的に理解させられる。


「俺から流れてくる情報に集中して」

「わかった」


 右手を伝い流れてくるもの。

 具体的にどうと言えないけれど、それでも確かに、流れてきている。

 握る右手が微かな光を放っていて、じんわりと温かくなっていく。

 その温かさが、葵くんが確かにここにいるのだと理解させてくれる。


「……」


 葵くんの表情は真剣そのもので、纏う雰囲気もいつものおちゃらけたものはない。

 戦っている時や、あるいは何か重要なことをしている時の――仕事モードの葵くんだ。

 そんな葵くんを見ていると、寂しい気持ちが溢れてくる。

 いや、ここで意識をそっちに持っていかれてはいけない。

 葵くんが集中してといったのだから、集中するべきね。


「……終わったよ」


 余計なものを視界に入れまいと目を瞑り、一分くらい経った頃。

 葵くんが遺してくれたものの譲渡が終わった。

 右手を離し、先程まで掴んでいた葵くんの手を思い出すように握ってみる。

 けれど、掴めるのは空気だけ。

 でも確かに、葵くんから譲渡されたものは感じ取れる。


「時間内に渡せてよかった」

「……そうね」


 そう言って笑う葵くんの体は、もう半分くらいが透けている。

 真っ白なこの空間に溶け消えるように。

 葵くんという存在がいなくなってしまうことを、消えて行く体が証明している。

 その事実に、胸が締め付けられるように苦しくなる。


「もう一分とないだろうけど、最期に何かある?」

「……最期」

「そう、最期。つっても、渡せたものがちゃんと機能すればそうならないかもだけど」

「……最期、ね」


 葵くんが言葉を発するごとに、どんどんと胸が苦しくなっていく。

 でも、それを表に出すわけにはいかない。

 葵くんとの最期を、心配されたままで終わりたくない。


「じゃあ葵くん。もう一度で悪いんだけど、目を瞑ってくれない?」

「え、また? もしかしてまだ――」

「さっきの一発で怒りが完全に収まるとでも?」

「……思わないです、はい」


 私の強がりを葵くんは曲解して、怯えるように頷いた。

 でも、そう受け取ってくれたのならありがたいわ。


「行くわよ

「……ぁあい」


 目を瞑り歯を食い縛って、私からのビンタを待ち構える葵くんへ一歩歩み寄る。

 元々手を握っていた距離だから、僅かに距離を詰めるだけでビンタするには十分な距離。

 でも、私はそこからさらに一歩近づいて、葵くんから見て左側に陣取る。

 そして――


「――ぇ?」


 私のしたことをなんとなく察したのか、葵くんは細い驚きの声を漏らす。

 消えゆく左手で自分の左の頬に触れ、信じられないといった顔で私を見てくる。

 できれば、そんなに見ないで欲しい。

 恥ずかしくて消え入りたくなるからやめて。


「……」

「ぁ、い、今の、って……」

「……想像通りよ」


 頬が、耳が、体が。

 火照っていくのがはっきりとわかる。

 同時に、羞恥心も自覚できるほどに高まっていく。

 葵くんの顔を直視できなくて、でも背を向けたくないから、恥ずかしい気持ちも火照る体も必死に抑えて、葵くんを見る。


「じゃ、じゃあ、い、いい、今の、キ、キキキ、キス、だよね?」

「……凄い気持ち悪いわね」

「い、いやいやいやだって……ねぇ? 好きな人からサプライズでキスなんてされたらそりゃ、こんな気持ち悪い反応にもなっちゃうでしょ?」

「……私はなってないわ」

「でも耳まで赤いよ、結愛」


 葵くんの指摘に対し、自覚があるだけに何も言い返せない。

 いつもならここでちょっと意地悪なことでも言っていたかもしれないけれど、それを言う余裕すらない。


「でも……そっか。それならうん。嬉しいや」


 ちょっと悪めの目つきは鳴りを潜め、葵くんは幼さを感じる破顔(えがお)を見せた。

 それにつられて、私も思わず吹き出してしまった。

 はしたないとは思いつつも、色々な感情がごちゃ混ぜになって笑いが止まらない。


「もう、結愛、笑いすぎ、だってば――ハハハ」

「あ、葵くんだって、同じくらい笑って、るじゃない――フフフ」


 しょうもない言い合いをしながら一頻(ひとしき)り笑い合った。

 別れの場だというのに、こんなにも明るい雰囲気でいられたのはありがたいな。

 さよならに涙は似合わないから、これでよかったんだ。

 後はこのまま、笑顔で“さよなら”をするだけでいい。


「――あれ?」


 このまま笑顔で“さよなら”をするのが一番だというのは理解している。

 理解しているのに、どうして涙が溢れてくるんだろう。

 顔は笑ってるし声だって笑ってた。

 なのになんで、涙が溢れて止まらないんだろう。


「ご、ごめんね? 泣くつもりは全くなくてね? なんか勝手に溢れて来ちゃって……アハハ、ほんとなんで急に泣いちゃったんだろうね、私」


 言い訳にすらなってない言葉を連ねて、流れ続ける涙を止めようと目元を(こす)っても、一向に泊まる気配は見えない。

 温泉の源泉のようにとめどなく、自制ができない子供の我が儘のように。


「ほんと、すぐに止めるから。だからもうちょっとだけ――」


 待って欲しい。

 その言葉を、葵くんは言わせてくれなかった。

 私が背を向けるより早く、真正面から優しく抱きしめてくれた。

 手先の冷たさからは考えられないくらいに穏やかで、とても温かい体温で私を包んでくれる。

 その温かさに、涙腺が刺激される。


「なんで……なんで葵くんは死んじゃったの?」

「ごめん」

「葵くんのこと、これからもっと知りたいって……もっと一緒に、色んなこと体験したいって……」

「……ごめんね」


 記憶を無くす前の自分のことは、よくわからない。

 同じ顔、同じ才能、同じ思考をしていたのだとしても、どこか別人のように感じる。

 でも、パパやママ、葵くんの話を聞く限り、私はきっと、葵くんを好きになっていた。

 今の私と同じように――今の私が、過去の私と同じように、葵くんのことを――


「結愛」

「――グスッ」

「ねぇ、結愛」

「……なによ」


 申し訳なさそうに呟く葵くんの声が、頭上から聞える。

 私が俯いて、涙を抑えようとしているからその表情はわからないけれど、きっと声の通りに申し訳なさそうで、そして穏やかな顔をして私を見てくれているんだと思う。


「いつまで経っても、どれだけ離れていても……俺は結愛が大好きだよ」

「――今、更っ、そんなっこと、言われたって……」


 互いに好き同士だとわかっても、もうどうにもならない。

 それがわかっているから、これ以上何を言っても意味がない。

 別れに涙は要らない。

 喧嘩別れなんて以ての(ほか)だ。

 これが本当の本当に最期なのだとわかっている。

 わかっているから――


「――葵くん」

「うん」


 言いたかった文句も、伝えたかった言葉(こころ)も、まだ言えてない。

 でも、消えて行く葵くん(じかん)がそれを許してくれない。

 だから、最後の最期に――


 天真爛漫な笑顔で。

 全身全霊の言葉で。

 今ある私の全てで伝える。


 零れる涙を必死に抑え、歪んだ顔をどうにか戻し、震える声を調律し。

 涙の痕が消えていない顔のまま、自分を抱きかかえてくれる葵くんを見上げて――


「――またねっ」


 心のままに伝えた言葉に、白い空間に消えてしまった葵くんは笑顔で「あぁ」と答えてくれた気がした。






 * * * * * * * * * *






 目が覚める。

 睡眠不足が続き、その日も数時間しか寝れていないのに不思議と寝覚めの良い朝のような気分。

 真っ先に視界に映ってきた天井にある電球は、己の役割を全うしており煌々と輝いている。

 夢から覚めて真っ先に見たら目が潰れそうなほどに明るいその光も、今の私には夢の世界を思い出させるだけの要素にしかなり得ない。


「……なるほど、ね」


 ゆっくりと体を起こし、覚めていく頭で理解する。

 ()()()が私に遺してくれたもの。

 意地っ張りで、負けず嫌いで、突拍子もなく一人で突っ走って、無茶も無謀も無理もできるまでやり続けた()が、私に遺してくれたもの。


「なんで、こんなことになるのよ、本当に」


 ポロリと、涙が零れる。

 あまりに酷い仕打ちだ。

 本末転倒もいいところだ。

 だってそうでしょう?


 葵が遺してくれた葵自身の記憶のおかげで、私から失われていた葵の記憶が戻るなんて。


「本当に、馬鹿じゃないの……っ」


 この世界に召喚されて、私を探すために躍起になって、周りすら顧みずに立ち回って。

 心身に傷を負いながら、それでも僅かな才能と努力で乗り切ってきた葵が報われない。

 一番私が戻ってくることを願い行動していた葵が、戻ってきた私を見れないなんて。


「……いえ、違うわよね」


 葵が報われないのは間違いないわ。

 でもそれは、副次的なもの。

 私が葵のことを思い出したのは――思い出せたのは、私に対する罰。

 世界で一番私を愛し、私の為に尽くしてくれた葵のことを忘れていた私に対する、罰。

 そう考えたら、なるほど。

 何もおかしくなんてない。


「これを狙って記憶を継承したのなら、葵は私よりもドSなんじゃなかしら?」


 零れる涙を拭って、自嘲気味に呟く。

 葵はそんなことを思いつきすらしないでしょうから。

 これは私の悪癖。

 弱っている時に卑屈になりやすい私の、ただの言い訳に過ぎないもの。


「……落ち込むのも、弱気になるのも、弱音を吐くのも、全部全部、地球に帰ってからでいい」


 葵がやろうとしていたこと、それがどういう道を辿り、どういう結末に至ったのかも。

 受け継いだ記憶から、全て理解できた。

 初めから私のものだったかのように馴染む記憶は、覚えたての勉強のようにはっきりと思い出せる。

 葵がきっと、そういう仕様にしてくれたのでしょうね。


「どこまで考えてるんだか」


 遺された記憶を大まかに見て、呆れたような声が漏れてしまった。

 けれど、概要は理解できた。

 私が託されたのは、この失敗した葵くんの記憶から成功を作り出すこと。

 これがこそが、葵が最期に託してくれたもの。


「……やろう」


 ベッドから腰を上げる。

 目を瞑り、一度だけ大きく深呼吸をしてから歩き出す。

 扉を開けて、部屋の明かりを消して――


「――行ってきます」






 * * * * * * * * * *






「結愛、もう大丈夫なのかい?」

「うん。心配かけてごめんなさい」


 部屋に入ってきた私に、パパが真っ先に心配する言葉を投げかけてくれた。

 辛い気持ちは同じはずなのに、私が落ちこんだせいで余計な心労を掛けてしまった。

 パパだけじゃない。

 この場にいる全員が大なり小なり私と同じ気持ちになっているのは間違いない。

 反省しよう。


「結愛お姉ちゃん、もう大丈夫なの?」

「大丈夫。完全に吹っ切れたわけじゃないけど、立ち止まってたら葵に怒られちゃうから」

「葵って……結愛、葵くんのことを――」

「思い出したわ」


 私が葵のことを思い出したことを伝えるついでに、アカさんから葵くんの記憶の一部を継いだことも伝える。


「力と言っていたが……違ったのか」

「時間が足りなかった、とは言っていたけれど、それが本当かどうかはわからないわ。最初は力を譲渡するつもりで、実はできなかった可能性もなくはないもの」


 葵の性格ならそれもあり得なくはない。

 最初はやるぞーと見切り発車で張り切って、途中でできないと悟って舵を切る。

 滅多にやらないことではあるけれど、可能性としては十分だ。


「それで結愛様。これから先はどうするのですか?」

「案を何個か考えてきたの。これを叩きにしてこの先、大戦をどう乗り越えるか決めましょう」


 葵が為そうとしていたことを、葵とは違う手段、過程で以って進む。

 アカさんと敵対するようなことはしない。

 葵を反面教師にして、葵と同じ目標のために突き進むんだ。


「――失礼します。こちらにラザフォードという人物がいると思うのですが」

「来たか」


 話を進めようとした途端、部屋の扉がノックされ、扉の向こうから女性の声が聞こえる。

 優しい声音のその女性の気配には、とても覚えがある。

 私たちが戦うべき相手――


「アカさん! その人は――」

「知っている。私の客人だ」

「きゃ、客人……?」


 私や私たちの困惑具合を顧みずに、アカさんが扉を開ける。

 不必要な足音を立てず、気配を可能な限り消した状態で入室してきたのは、黒いフーデッドローブに身を包んでいる女性だった。

 パッと見た限りだと細身の女性だけれど、内包する魔力は私並みかそれ以上。

 敵対したら苦戦は免れないでしょうね。


「初めに言っておきますが、私は――私たちは、あなた方と共闘し、魔王軍を打ち破るためにここへ参りました」

「私たち、ですか?」

「ええ。ここには来ておりませんが、我ら百と一名。全身全霊であなた方と戦わせていただきたいと思います」


 フードを脱ぎ素顔を晒した女性は、こちらの警戒心を解くような柔らかな笑みを浮かべて、そう宣言した。




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