第八話 【最後の一手】
「前は?」
「頼む」
「わかった。援護は任せるわ」
「了解。これ使って」
俺たちへ鋭い視線を向ける男から視線は逸らすことなく、『無銘』を結愛に手渡して手短に作戦会議を済ませる。
いつ、どうやって攻撃してくるかもわからないから油断は一切できない。
それでも、結愛が来てくれたから俺一人の時よりは確実に楽になるはずだ。
それが油断に繋がらないようにだけ気を付けて、俺は大きく息を吐き出す。
「板垣結愛……なるほど。対峙するとこうも厄介なのか」
「私のことを知っているの?」
「いや。貴様のことは知らん」
「そう……それにしてはとても寂しそうだけれど」
「貴様には関係のないことだ」
少し離れた位置で対峙している男と結愛の会話を傍から聞いているが、絶妙に会話が噛み合っていない気がする。
この違和感はなんなのだろうかと思考の沼に入りかけた己を、男が戦闘態勢を取り始めたから制止する。
「相手がお前でも容赦はしない」
吐き捨てるように言って、男は一足に距離を詰めてきた。
それを迎え撃つようにして結愛が立ちはだかる。
互いを間合いに入れた瞬間から、壮絶な打ち合いが始まった。
結愛が握る『無銘』と、男が握る漆黒の刀が火花を散らしている。
俺では先手を取り続けた上での先読みがあってギリギリだった戦いだ。
「ふぅー……」
その戦いに見惚れているわけにはいかない。
結愛が前に出て戦ってくれているように、俺には俺にできることをする。
そのために結愛に前に出て貰ったんだから。
「超高速戦闘に俺はついていけない。俺がやるべきは補助。魔術の妨害でいい」
これまでの戦いで、男はほとんど魔術を使用してこなかった。
男が魔術を使えない可能性も考えたが、それはおそらく低いと見ていい。
単純に、魔術を使うまでもない相手だから使ってこなかっただけだろう。
刀とリボルバーだけでどうとでもなると侮られていたわけだ。
言ってて悲しくなってくるがそれが事実。
殺すとまで言った相手に対し手抜きなんてするかとも考えたが、条件次第ではあり得なくはない。
例えば“魔術を使うたびに命を削らなければならない”とかだ。
気軽に使うには代償が重すぎるなどの条件があれば、対応に精一杯だった俺に対して使わないのも何らおかしくない。
もちろん、その条件があればという前提にはなっているが、ほぼ間違いなくそうだと言い切れる。
なぜならば、あの男は先を見据えていて、そのための最短を取ろうとする質だからだ。
未来を考えた上での最短を取るのであれば、“いのちだいじに”を念頭に置いた上で、場合によっては“ガンガンいこうぜ”になるなんてこともあり得る。
この場合、俺に対しては“いのちだいじに”で動いていたが、結愛が参戦したことで状況が変わった。
つまり、“ガンガンいこうぜ”に行動基準がシフトする可能性が高く、そしてその場合――
「――!」
「予想通りだ――!」
魔術の予兆を感じ取り、それを妨害することに成功した。
しかし、それだけで戦況が覆るようなことはなかった。
結愛と男の打ち合いは傍から見れば拮抗しているのだが、魔術を防ぐという一手では崩せなかった。
それだけで男の実力の高さは測れる。
だからと言って、俺たちが不利になるわけではない。
「シッ!」
「……」
火花の散る刀の打ち合いを繰り広げている結愛と男。
それを見守る形で男の魔術を発動前に妨害する。
動きが目で追えなくとも、反応が追いつくかどうかの瀬戸際でも、魔術の“起こり”さえ感じ取れれば問題ない。
俺にはできないことを結愛に任せ、それをサポートする俺。
本来の俺たちの形を理想のままに行えている。
それなのに押し切れない。
ここままでは、負けることはないだろうが勝つこともできない。
攻めに転じるべきか……でもそのせいで守りが弱くなれば本末転倒だし、そもそも俺にあの戦いに参入できるほどの反応があるかどうか――
「――なんて腑抜けたこと言ってちゃダメだよな」
結愛に助けられることを当たり前にしてはいけない。
それでもいいと結愛は言ってくれるだろうが、俺が目指したい場所は結愛の後ろじゃない。
烏滸がましくとも、結愛の隣に立って一緒に歩いていきたい。
だから、守りを薄くせず、その上で攻めにも転じる。
でもまずは――
「守りを固める――!」
集中に注ぐ集中を重ね、男の魔力の流れを全て汲み取る。
魔術を発動しようとしたときの流れも、身体機能として流れる魔力すらをも感じ取る。
男の全貌を魔力から丸裸にするように。
結愛が少しでも戦いやすくなるように。
「――厄介だな」
「葵くんの実力、少しは認めてくれたかしら?」
「実力はとうの昔に認めている。それを俺のものにしたいだけだ」
「随分と我が儘なのね」
「それが俺の目的を達成するための最短手段だからな」
二人の会話が聞こえてくる。
激しい剣戟の合間によくもまぁそんな会話を挟めるものだという関心はさておき、男の余裕は全くと言っていいほど減らない。
魔術を妨害し、結愛との打ち合いを行ってなお、男の動きに翳りは見えない。
体力が尋常じゃなく多く、精神力も並外れている。
一手間違えれば死が待っているというのに、悠長に会話をしているのがその証拠だ。
初代勇者の仲間というだけのことはある、と言うべきなのだろうか。
「その目的って、私たちが協力する形ではダメなのかしら?」
「他人を信頼しろとでも?」
「さっきあなたは実力を認めていると言っていた。なら信頼とまではいかなくとも、信用くらいしてくれてもいいんじゃない?」
「それとこれとは話が別だ。実力と人となりは関係ない」
「……ごめん、葵くん。それは擁護できないや」
「うーん否定できない!」
コントじみた会話をしているが、その最中も手は一切緩めていない。
隣には常に死の可能性が存在しているのに、どうしてそんなに軽い会話ができるのか。
そんな疑問を抱いていたところで、結愛が大きく跳び退いてきた。
俺の隣に着地した結愛は、男のことを睨みつけるように見据えている。
「どうしたの?」
「ちょっと気になることがあって……ねぇあなた」
「……なんだ」
「どうして手なんか抜いてるの? 私のこと馬鹿にしてる?」
「……」
その質問に答えたくないのか、男は顔を逸らしてそっぽを向いた。
それにイラっと来たのだろう。
結愛は明らかに不機嫌そうに詰め寄らんばかりの勢いで捲し立てる。
「本気で戦わない理由は何? まさか葵くんは殺してでも欲しいけど私に殺す価値はないとでも言いたいわけ?」
「――結愛、何に怒ってんの?」
「私もわからなくなってきた!」
「……」
いつもだったら俺が向けられるはずのジト目を、今だけは結愛へと送る。
それに気づいていないのか、気づいた上でスルーしているのか、ともかく結愛の視線は男から外れない。
答えるまで追求するぞと、態度と瞳が物語っている。
「……お前の姿が、真希と被る」
「真希って――」
「初代勇者の名前だね。羽塚真希」
「羽塚真希……どっかで聞いたことあるような?」
「俺がいつだかに言ったのを聞いてたんじゃ――ってのはいいとして、つまり好きな人と似た見た目してるから本気出せないってことか」
「……そういうものなの?」
「そりゃまぁ。俺だって結愛と同じ姿の奴が敵として出てきたら……いや結愛じゃないって確信持てたら問題ないかも?」
本気でわからないと、キョトンとした表情で聞いてきた。
一応好きな人がいる人間として答えを持ち合わせていたので答えてみたのだが、結愛の表情がキョトンからポカンへと変わった。
「葵くんって……もしかしてドS?」
「どうだろ――いや何の話だよ」
「あの人が私に本気を出せない理由でしょ」
やれやれ葵くんは……みたいな表情と声音で言われたけど、本題から逸れるような質問してきたのはそっちだよね? という愚痴は心の内に秘めておく。
これを言葉に出せばまた面倒な方向へと話しが逸れていくのは火を見るよりも明らかだったからな。
俺は大人だと自分自身に言い聞かせて、手振りして結愛に会話の主導権を渡す。
「あなたは私があなたの想い人に似ているから本気で戦えない、ってことでいいのよね?」
「……それでいい」
「でもあなたは葵くんを殺したい」
「そうだ」
「じゃあどうするの? あなたの目的を達成するためには私を相手にしなきゃいけないけれど」
「――いや、その心配はない」
結愛が言葉の真意を確かめるよりも早く、男の姿が掻き消えた。
魔術を使う気配はなかった。
超高速移動なら、視認は出来なくとも残滓くらいなら見えるはず。
なのに、何もわからないまま、男の姿が消えたという事実だけを認識できた。
「――!? どこに――ァグッ」
「葵くん!」
「動けばどうなるか、わかるよな?」
「ッ」
男の姿を捉えようと“魔力感知”の精度を上げた瞬間、男は眼前に現れ、俺が反応するよりも早く首を引っ掴んできた。
片腕で軽々と持ち上げられ、俺は首を絞められた状態で空中へと浮かせられた。
息苦しさと浮遊感、そして軋む頸椎。
それから逃れようと暴れてみるも、全て男の魔術によって無力化された。
「暴れるなよ鬱陶しい。ここまで接近されて首根っこ掴まれた時点で詰みなこと、まさか気づいていないはずがないよな?」
「――あァ? 積み、なら――なんで俺、はまだ生きてんだよ」
「お前に触れてようやく確信した。このまま殺せば今より厄介になる」
首を掴まれているせいで発音がだいぶ怪しくなっているが、俺の言いたいことは伝わったらしい。
よくわからない――いや。
十中八九俺の心の内――魂に宿っている未来の俺のことを指しているのだろう。
だからと言って、今の俺がどうこうできる問題じゃないのは確か。
「結愛。俺ごといい。やってくれ」
「で、でも――」
「殺す気でいい――! 俺なら、守れる――」
「――了解」
「おいおいマジか」
結愛が魔力を高め、威力の高い――それこそ、人体を滅するには十分な魔術を構築し始めたのを認識して、男が少し焦ったように零した。
その一瞬こそが、俺の目的――
「しまっ――」
「――喰らえッ」
男の頭に触れ、翻訳で魂ごと思念を乗せる。
男の意識に一番作用できそうな思念――つまり、初代勇者の魂。
それを俺を介して男へと流し込む。
もちろん、原本は俺の中に保持したまま、コピーしたものを渡しただけではあるが、それでも効果は十分だったらしい。
俺の首を掴んでいた手は次第に力を緩めていき、俺が抜け出すには十分なくらいに弱まった。
大きく跳び退いて窮地から脱し、酸素を取り込めていなかった肺へと大慌てで空気を送る。
結愛が近づいて何かを言ってくれているが、酸素不足で意識が飛びそうなのか何を言っているかはいまいちわからない。
ただ心配してくれているのは表情からでも十分に伝わった。
床に突っ伏しそうになるのを左手と腕で抑え、右手でオッケーサインを出して無事をアピールする。
酸素が不足するとどうやら“魔力感知”が切れるらしく、状況がわからない。
いや、“魔力感知”が切れたのは純粋に集中力をそっちに回せないだけかもしれないが、とにかく状況が知りたい。
そんな俺の思考を読み取ってくれたのか、結愛が指差しで方向を示してくれた。
視線を向けてみれば、頭を押さえて苦しむようにザリザリと後退している男の姿が見えた。
過去の記憶を刺激され、衝撃を受けているのだろう。
あの様子なら、即座に反撃はない。
そう判断して、俺はゆっくり確実に呼吸を整える――
「――ッは」
俺は今まで何をしていた――ああそうだ。
ダンジョンの最下層と思しきボスを攻略した後、突然現れた男と戦闘になって、それで――
「あ、おはよう。起きたのね」
「結愛! 無事だったのか!」
「無事だったのか! はこっちのセリフ。あの後すぐに気絶しちゃったから凄く慌てたわ」
「すぐに……そっか」
結愛曰く、男に首を掴まれ脱した後に、俺は気を失ったらしい。
それなら記憶が途絶えているのも納得できる。
戦闘の真っ只中――というには互いに満身創痍だったが、それでも命を賭けた戦いで気を失うとは情けない話だ。
男の苦しそうな様子を見て少しは安心できるとでも思ったのだとしたら油断が過ぎる。
どんなに苦しくても安心なんてしてはいけないという教訓を得られたのは大きいから、それで今回は罪を見逃してやろう。
ありがたく思えよ、俺。
「無事に起きたなら何よりよ。それより、そっちの人とは話をしなくていいの?」
「そっち? ――なんでいる!?」
「気づいてなかったのね」
「気づいてなかったのか」
どうして敵のはずの男がここにいるのか。
どうして俺の寝込みを襲わなかったのか。
どうして結愛とセリフが被るのか。
聞きたいことは色々とあるが、それよりもと即座に戦闘態勢を取る。
『無銘』――はないが、元は肉弾戦特化の戦闘術。
刀はなくともなんとかなる――はずだ。
「そう気張るな。もう俺は、お前を殺そうだなんて思っちゃいない」
「……どういう心境の変化だ?」
「葵くんが思念か何かを送ったんでしょ? それで、「こいつは殺すよりも活かして利用した方がいい」って結論に至ったんだって」
「……いやだって、あんた俺は御すには向かないみたいなこと言ってただろ?」
本当にどういう心境の変化なのか。
過去を見せられただけで、殺したい相手が目の前で無防備に寝ていても何もしないなんてことができるのだろうか。
そんな鋼の精神を持ち合わせていたのなら初めっから攻撃なんてしてこないと思うのだが……。
「そうは言っていないが……まぁ似たようなものか。確かに俺は、お前の人となりを見て信用するに値しない人間だと思ってたし、実際そうだった」
「おい。グサッと直接ナイフで刺すの止めろ」
「でも、お前が送ってきた思念を見て心変わりした。お前、俺に送ったのは真希の魂だけだと思ってるだろ?」
「……違うのか」
「違う。余裕がなかったんだろうが、お前の過去とか諸々見ちゃったよ」
「……マジで?」
「マジで」
俺の過去って言うと……どの辺だろうか。
小学生時代のいじめ期の話か?
その時期を抜けて、再起に奮闘する辺りの話か?
あるいは結愛の両親が行方不明になって道場に入る辺り……いや中学のネットゲームドハマり時代かも――
「……マジか」
「お前の苦労を知って、その上で真希と似たそいつ含めて戦うのは無理だと思っちまってな。だったら利用するしかねえなと話を持ち掛けた」
「……なるほど。で、俺を安静にするための場所を提供して俺が起きるのを待ってたってわけか」
「そういうことだ」
それにしては、変わり身が早い気もする。
確かに、俺の過去は中々イベントの絶えないものではあるし、他人から同情や憐れみを向けられないとも言い切れない人生を送っているという客観的視点は持っている。
でも、言ってしまえばその程度。
「じゃあこいつら利用しよう!」となるには些か説得力に欠けるように思う。
それこそ、後ろからグサリと刺そうとか……って、それなら寝てる俺を殺せば済む話か。
「大丈夫だと思うわよ」
「うん?」
「そんなに心配しなくても、その人は私たちの仲間――とまではいかなくとも、力は貸してくれるわ」
「そうなの?」
「ええ。嘘はついてないし、騙そうとしてもいない。アカさんみたいなポジションになると思うわよ」
「そうなのか……まぁ結愛が言うなら大丈夫なんだろうけど」
「……俺が言うのかって話になるんだが、それでいいのか、お前」
結愛が間違えないとか思っているわけではないけれど、少なくとも結愛の他人を見る目が確かなのは間違いない。
そんな結愛が大丈夫と言っているのだから、きっと大丈夫なのだ。
それでもし大丈夫じゃなかったとしても、俺がカバーすればいいだけの話だし……って、結愛に守られている俺が言えたことじゃないか。
「それでいいのかで思い出したがお前、あの作戦は良くないと思うぞ」
「あの作戦?」
「ああ。お前が大戦に用いようとしている作戦だ。あれだとあの竜人の反感を――」
「あーあーあれね。いや大丈夫。上手く丸め込むから」
男が何を言おうとしているのかを理解して、慌ててそれを止めさせる。
結愛がいる場ではあまり話したくない内容だからというのもあるが、仲間内であってもなるべく情報は遮断しておきたい。
共和国に魔人が潜入していた件も含めて、どこに魔人の諜報員、ないし情報網があるかがわからないからだ。
「そうか? 俺はお前が死ぬ分にはどうでもいいんだが、俺の目的が達成されないことには意味がないんだよ。作戦立案なら一応は得意分野だし――」
「大丈夫だよ大丈夫。しれっと漏れた本音に吃驚してるけど、ほんと、心配ご無用だから」
「そうか。何かあったらすぐに言ってくれ。お前たちの力を借りると決めた以上、俺もお前たちに力は貸す。その証拠にというか、この空間にあるものは好きに使ってくれていい。昔の――俺たちが過ごしてきた時代の資料とかもあるからな。お前には重要だろ?」
俺のこれ以上話をしたくないオーラが伝わったのか、男は話を切り上げる方向へと進めてくれた。
それに便乗する形で、俺も終了の方向へと歩みを進める。
「おっいいのか? 助かるわー。早速そこに――」
「葵くん」
「――なんでしょう」
とっとと話を切り上げたところで、やはり結愛からの追及は逃れられない。
だって部屋にある唯一の扉の前には結愛がいるしな。
追及無しにこの部屋から出るにはそれこそ転移でもするしかないわけで。
でもそんなことをしたら結愛からの追及がもっと苛烈になるのは間違いないからな。
「もし困ったら、ちゃんと相談してくれる?」
しかし追及らしい追及はなく、少しの不安と多くの心配の込められた声音で、そう問いかけられた。
真っ直ぐ俺を見据える瞳は、本当に俺のことを考えてくれているのがわかる。
結愛らしく、俺を――他人を心配し寄り添う。
どこにいても、立場が変わっても、記憶を失っても、結愛は結愛のまま。
俺が好きになった結愛は、今もここにいる。
そうだ、そうだよ。
俺が力を求めたのは――最初の最初に、それを望んだのは――
「ちゃんと、相談する」
「……ん。わかった。病み上がりなんだから、あまり無茶はしないように。あと、その資料を見に行く前にみんなに無事を伝えてあげてね。特にソウファちゃんとアンジェちゃんが心配してたから」
「わかった。ありがとう」
やんちゃする息子を呆れた目で見る母親のような、慈愛に満ちた瞳を一瞬だけ感じ取った。
それがすぐに閉じられた扉で見えなくなってしまったが。
「今のでよかったのか?」
「……それは、結愛の質問に対しての答えですか? それとも――」
「どっちもだ」
「……よくよく考えたら、どっちの答えも良かったが正解でした」
「ならいい。ただ、俺と真希の最期を見たお前ならもうわかっているだろう。後悔は残すなよ」
ポンと肩を叩かれて、男は俺に背を見せる。
宥めるように、あるいは自分自身に語り掛けるように。
男の言葉は酷く心に染み渡る。
でも――
「未来のそのために、今は後悔でもなんでもしなきゃいけないんですよ」
男に聞かせるわけでもなく、誰かに聞いて欲しいわけでもない。
これから自分が行おうとしている行動を。
正しくないと理解している行動を正当化するように、自分に言い聞かせる為だけの独り言。
その一言で、結愛の瞳と男の言葉に揺れかけた心を、正常に戻した。
* * * * * * * * * *
葵くんたちと共和国のダンジョンを完全制覇してから、早二か月が経過した。
あれ以来、私たちは拠点を宿屋からダンジョン最下層の中小路さんの家へと変えた。
元は初代勇者たちの拠点だったらしいこの家は相当に広く、機能面も十分で住み心地はとてもよかった。
地球の自室には及ばないものの、リラックスできる空間も多く、大戦のことがなければもっと過ごしてもいいくらいだとは思える。
さて、この二か月の間に何をしていたかという話だけれど、概ねいつもと変わらない日常を送っていた。
ダンジョンの完全制覇の報告をパパとママに行って、おめでとうと同時にその後の戦いで心配される葵くんと一緒に事情を説明したり。
中小路さんと鍛錬を積み実力に更なる磨きを掛けたりがメインだろうか。
あとはこの世界の真実に関する書物も読んだりしたけれど、やはり簡単には信じられなかった。
誰が読むかもわからないこんな場所にそんなものを置いておく必要がないだけに、その内容の真実味が増したけれど……やはり信じ難いことに変わりはないわ。
私としてはこんな日常だけれど、やっぱり葵くんは誰よりも働きもので、私たちと同じような日常に加えて人間の国全体で大戦に関する話し合いを行ったり、日菜ちゃんたち召喚者の確認に行ったりと、色々と奔走していた。
葵くん曰く「この世界に来てからショートスリーパーとして通用するようになったから割と平気」とのことだったが、無茶はどんなところで足を引っ張るかわからないから休息は十分に取って欲しいところね。
「……それにしても、濃密な生活だったわね、異世界」
ダンジョンの最下層――つまり地下になぜか存在する森林を、窓際から眺めながら呟いた。
まだ大戦が終わったわけじゃない。
けれど、今日この日。
ようやく準備が整って動き始めると、一週間前に葵くんから聞かされていた。
だからか、こんな終わったみたいな言葉を呟いてしまったのかもしれない。
きっと、話し相手が入たら「私、この戦いが終わったら結婚するんだ」なんて言っていたかもしれない。
「――馬鹿みたい。結婚する相手もいないって言うのにね」
自虐するように呟いてから、私は準備をする。
寝間着からいつもの服へ。
半年近くも着ていたら愛着というかしっくり感というか、これが標準というくらいに安心感がある。
鏡を見ながら身なりを整え、歯磨きをしてから部屋を出る。
中小路さんの拠点では一人一人に拠点が宛がわれているから、朝食を全員でというのは久しぶりな気もする。
大戦のことで緊迫しながらの食事になるのか、それとも和気藹々とした食事になるのか――
「ちょ、ちょっと師匠! 少し落ち着いてください!」
食事場へと向かっていると、そこから何か争うような声が聞こえた。
はっきりと聞こえたフレッドの師匠――アカさんを制止する声を聞いて、私は早足にその場へと向かう。
みんな早起きだったのか私以外が全員勢ぞろいしている。
けれど、その雰囲気は私が想像していた緊迫でも、和気藹々でもなかった。
剣呑、という言葉はこの時のために作られたといっても過言じゃないほどの、嫌な雰囲気。
その中心にいるのは、先程フレッドに制止されていたアカさんと、対峙する葵くんの二人。
パパはどうするべきかわからずに少し慌てていて、ママは座って冷静を装っているがハラハラしているように見える。
フレッドは言った通りアカさんを葵くんから話そうと間に割って入っていて、ソウファちゃんとアンジェちゃんは葵くんを守れる位置に陣取っている。
パティはアカさんの放つ威圧感に気圧されて委縮してしまっていて、この屋敷の持ち主である中小路さんは腕を組んで壁に凭れ掛かり、事の成り行きを見守ろうとしている。
シルフちゃんたち精霊の姿は見えないけれど、姿が見えないということは中小路さんと同じで見守うとしているのでしょう。
「落ち着いてください師匠! 話せば! 話せばわかり合えますって!」
「もう何度も話し合った。その上で無理だと判断した」
「それは二人の間でだけでしょう!? オレたちも居たらまた変わるかも――」
「ない。これ以上の話し合いは無駄だ」
取り付く島もない様子のアカさんは、フレッドの制止に逆らわずに反転し、出入り口のある私の方へとずんずんと進んできた。
私が避ける形で入り口から退くと、潜ってから立ち止まる。
そして部屋に背を向けたまま、しかしはっきりと聞こえる声で言葉を発した。
「この国の北東。灰の森で待つ」
「行かなかったら?」
「この国が灰燼に帰すと思え」
「守るべき奴らを人質にすると?」
「貴様の作戦が断行されるよりは遥かにマシだ」
猶予は一日だと伝えると、アカさんは振り返りもせずに行ってしまった。
本当に、北東にある灰の森へと向かい、葵くんを待つのでしょう。
私は――まずは事情を聞かないことには始まらない。
そう思い立ち、まずは今しかチャンスのないアカさんへ。
「アカさん!」
「……どうした、板垣結愛」
「あの、どうしてあんなことを? あれじゃまるで、果たし状みたいじゃないですか」
「そのつもりで言っている。間違いはない」
「ど、どうして、そんな……」
「詳しい話はあいつに――綾乃葵に聞け。ついでに「俺を殺してくれ」はすぐに叶えてやると伝えておけ」
「そ、それはどういう――」
私が疑問を呈するよりも早くに、アカさんは止めてくれた足を再び前に出してしまった。
明確な会話の拒絶。
もう必要なことは話したと言わんばかりに一方的な言葉。
この不器用さと葵くんの突っ走る性質はそりが合うはずないじゃないと、今更ながらに二人に対する理解度が低かったことを悔やむ。
とはいえ、そんな時間はない。
アカさんがこれ以上話してくれないのなら、葵くんに聞くしかない。
「だから、話し合いをだな――!」
「それが無理だったから、アカもこうやって強硬手段に出たんだ。とはいえ俺の所為だしな。すまん」
「謝罪はいい。それよりも、どうやって話をするべきかを――」
「アカは話をするつもりなんてないよ。だから、実力で捻じ伏せて言うこと聞かす」
「どうして二人とも脳筋思考で固まってるんだ……! 普段はもうちょっと頭柔らかいだろう……?」
フレッドが必死になって葵くんを引き留めているが、アカさんと同じで葵くんも止まろうとしていない。
これしか方法がないと半ば諦めたような状態で、アカさんの元へと向かおうとしている。
「葵くん。行く前に状況だけ説明してくれない?」
「結愛は最初から見てたわけじゃないもんね……と言っても見たまんまだよ。俺が提示した作戦をアカが気に入らなくて、それで行くなら俺を殺してでも止める、ってさ」
「ならその作戦について話し合いましょう。アカさんは私が連れ戻すから――」
「大丈夫だよ結愛。俺がアカと戦って勝てばいいだけの話だから」
珍しく、感情的になっている。
それが自覚できているけれど、でも違う。
そうじゃないわ。
全然全く、そうじゃないのよ。
「弥さんとのトレーニングで対人戦闘の訓練は積んでるし、二か月前の俺よりももっと強くなれてるから心配はいらないしさ」
なんで……どうして一人で行こうとするの?
あれだけ言ったのに、たくさん伝えたのに、それでもまだ、葵くんにとって私たちは頼れない存在なの?
「だから、そんな不安そうな顔しないで――」
「言ったよね! 私!」
突然張り上げた私の大声に、近くにいた葵くんはビクッと肩を跳ねさせた。
驚かせてしまったのは申し訳ないけれど、今は謝っている場合じゃない。
「二か月前! 中小路さんと葵くんが不安な会話をしている時に、ちゃんと相談するって言ったよね!? でも私! 今こうなるまで相談なんてされなかった!」
「それはほら、タイミングが合わなかったというか――」
「私はいつでも大丈夫って言ってたわよずっと! 大丈夫? って確認だって何回もしたじゃない!」
「……それはまぁ、そうだね」
「じゃあなんでその時に相談してくれなかったの!? 葵くんにとって、私はそんなに頼りなかった!?」
「いや、そういうわけじゃ……!」
「はっきり言ってよ! これじゃあ、私が我が儘言って葵くんを困らせてるみたいじゃない――!」
なんで、涙なんて出るんだろう。
これじゃ、泣き落しで引き留めてるようにしか見えないじゃない。
ううん、涙が出る理由なんてわかってる。
葵くんの助けになりたかったのに何一つとして助けになれなくて、その挙句こんなことになって。
自分の力の足りなさを、至らなさを悔やんでいるんだ。
これは、ただの悔し涙。
「ねぇ。どうしてこんなになるまで放っておいたの……? なんでもっと早く、誰かを頼らなかったの……?」
「……ごめん。でも、この作戦が決まれば次の大戦で勝てるんだ。そのために必要な工程なんだよ」
しゃがみ込んでしまった私と目線を合わせて、葵くんは私を説得するように語り掛けてくる。
顔をあげて視界に入ってきた葵くんのオッドアイはとても真っ直ぐで、私の説得ではどうにもできないくらい、固い意志がそこにはあった。
悔し涙も、泣き落としも、結果論として葵くんを止められるのなら何でもいいと思ってた。
でも、これじゃあ葵くんは止まらない、止まってくれない。
「それにさ、行かなきゃこの国が滅んじゃうしさ。まぁこの国なら最高級の防衛機構とかもあるし、そう易々と灰燼に帰すなんてことはないだろうけどね」
「ああ。俺たちが作り上げた最高傑作だからな。魔人の大軍が来ても問題なしだ」
「ってことだけど、フレッドの言う通り話し合いをするにしても、灰の森には行かなきゃいけないじゃん? だからさ、今だけは――」
「じゃあアカさんが言ってた、「俺を殺して」って発言は何!? どうして葵くんがアカさんにそんなことを頼むの!?」
アカさんを引き留めた時に聞かされた言葉。
意味が分からない。
葵くんがそれを言う理由も、それを頼むのがアカさんである理由も。
「それは一個前に考えてた作戦の要だったんだよ。アカとの話し合いの結果なくなった話なんだけど……なるほど、そこに繋げてくるとは」
「一個前の作戦って何よ……それも私、聞いてない……!」
「……ごめん」
「ごめんじゃなくて! ――ごめんじゃ、ないんだってば……」
もう、私じゃ葵くんは止められない。
葵くんを止める言葉を、もう持ち合わせていない。
どうやっても、葵くんを止められは――
「今だけでいいからさ。見逃してよ結愛。アカをボコボコにして連れ戻した後でさ、ちゃんとお説教受けるから」
そう、そうだ。
話し合うにしろ戦うにしろ、アカさんの元へ行かなければ進まない。
そして、さっきの会話からして、アカさんの元へ向かうのは葵くんでなければならないわけじゃない。
葵くんが何らかの理由で来れなくて、その代理を立てることは認められていないわけじゃない。
言葉で止められないなら、物理的に葵くんを止めれば――
「……結愛?」
「――私ね。実は、フレッドと婚約していないの」
まだ、止まってくれないと決まったわけじゃない。
私自身を人質にすれば、私のことを想ってくれている葵くんは止まってくれるかもしれない。
最低な人読み。
でも、大切な誰かを失うよりはうんとマシ。
もうあんな思いはしたくないから――
「フレッドは勇者で、実力があって、多くの女性に言い寄られてたけど、目的のためには女性関係なんて邪魔でしかなかった。私はこの世界である程度実力が認められてて、同じく言い寄ってくる人が多かった。互いに利害が一致して、婚約者という体を作ることでそのゴタゴタを回避してたの」
「……偽装結婚的な?」
「そう。だから、葵くんが前に言ってくれた言葉に、今答えようと思う」
偽装結婚は、正確には意味合いが違うけれど、今はどうだっていい。
ズルいと言われるかもしれない、愛がないと思う人もいるかもしれない。
でも、私は――
「私は――」
「結愛」
葵くんの顔が、もう目と鼻の先にある。
少し顔を前にやれば、キスができてしまいそうな距離。
そこで、葵くんは首を振る。
「知ってたよ。結愛とフレッドが婚約者じゃないこと」
「――え」
「正確には、そうなんじゃないかなぁってぐらいの感覚だったんだけどね」
気恥ずかしそうに笑う葵くんは、でもね、と付け加える。
「結愛の口からそれが聞けて、すっごい嬉しかった」
「……じゃあ」
「うん。これで心置きなく、アカのところへ行ける」
「――え? え、いやなん、で……?」
「なんでって、好きな人から告白同然のアプローチを受けたんだよ? だったらそれは帰ってきたときのお楽しみにしておいてさ。必ず帰らなきゃっていう気持ちが心の中にあれば、アカにだって負けないと思うんだよね」
そうなる理由がまるでわからない。
わからないし、それは死亡フラグにしかならない。
「だからさ、笑顔で見送ってよ。泣いてないでさ」
しゃがみ込む私に手を差し伸べて、葵くんは微笑む。
もし、記憶を無くす前の私が葵くんを好きだったとしたら、きっとこういう側面を好きになっていたんだろうなと、なんとなしに思えた。
普段は頼りなくて、子供っぽくて、そのくせ口は少し達者で、大人ぶった立ち回りをしてて――それで、凄く他人を思いやって。
葵くんは自己満足のためにやってるとか言うけれど、結果論で見れば多くの人の助けになっている。
もし、地球での葵くんもこうだったなら、きっと私は――
「結愛が待っててくれるって思ったら、ちゃんと帰ってこれるから」
「……絶対に?」
「ああ絶対に。約束するよ」
「……約束、なんだね? 誓うんじゃなくて」
「ああ。約束だ」
葵くんの心は、初めから決まっていた。
誰であろうと、結局はこうなっていた。
変わったのは、説得に掛けた時間だけ。
そういう運命だったんだ。
「…………わかった」
葵くんは止まらない。
だから、もう強硬手段に出るしかない。
「葵くん」
「うん?」
「もし葵くんが死んだらこれが最期になるでしょ? だからハグでもしてもらおうかなぁと思って」
「縁起でもないこと言わないで? 唐突にぶっこんでくるから吃驚しちゃったよ」
両手を広げて、葵くんの目を見て言う。
大丈夫。
私らしい物言いで、葵くんを誘導できた。
乗ってこないなら、強引にでも抱きつくしか――
「ま、せっかくだからね。帰ってきたらいくらでもこの温もりを味わえると体に覚えさせておくと思えば悪くない」
「その発想と言い回しはとっても気持ちが悪いよ」
「気持ちが悪いは最上の悪口じゃないか?」
なんて言葉では悪態をつきながらでも、葵くんは両手を広げて私の肩から腰に腕を回す形で抱きついてきた。
私は葵くんの脇の下を通す形で抱きつく。
このまま、葵くんを魔術で眠らせて、私が葵くんに代わってアカさんと話し合いをする。
そうすれば、アカさんだって強硬手段に出ないはず……。
アカさんにとって、人間の国の戦力を低下させることは、大戦を勝ち抜くことに不利になるとわかっているはずだから――
「――なあ、結愛」
「うん?」
「……ありがとな。俺を止めてくれて。俺の為に、嘘ついてくれて」
その言葉を聞いた途端、急激に意識が遠のき始めた。
視界が朧げになっていき、立っていられなくなる。
「おっと」
倒れかけた私を葵くんが受け止めて、そのまま意識がなくなっていく私に語り掛けてくる。
「結愛が繋いでくれたこの命、今度はちゃんと使うから」
その意味を理解するより前に、私の意識は落ちていった。