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姉の為に。  作者: たかだひろき
第十一章 【大戦準備】編
171/202

第四話 【未来を変える】




「お、お帰――」

「結愛!? どうしたの!? 怪我!?」


 ダンジョンから帰ってきた俺たちを迎えてくれたのは、全身に包帯を巻き、要所要所を氷嚢で冷やしている、見るからに怪我をしていますという風貌の結愛だった。

 即座に駆け寄り、指輪(アルトメナ)から取り出した治癒のスクロールを使う。

 治癒特有の光が結愛を包んで、包帯の下に隠れているだろう傷を癒してくれる。

 全身の包帯に気を取られて気づかなかったが、いつも着ている服は全体的に焼け焦げていてボロボロだ。

 全身に巻かれた包帯と氷嚢、そして焼け焦げた服から察するに、結愛は火や爆発関連で怪我を負ったのだろう。


「いやー、あはは……ごめんね? 少しヘマしちゃって」

「いやいい。命があったならそれだけで……」


 抜けそうになる腰にしゃがみ込むことでどうにか抗い、大きく吸い込んだ息を吐きだす。

 結愛の怪我ーーと言っても包帯だらけのミイラ姿だがーーを見た時は本当に血の気が引いた。

 顔も動かせたし応答もできたけど、包帯を全身に巻いたミイラのような見た目だっただけに不安は襲ってきた。

 見るからに普通じゃない怪我を負っているというのに、治癒の光に包まれている結愛はとても落ち着いている。


「負担をかける形になってしまってすまない、葵くん。俺たちも手は尽くしたんだが、結愛の傷を癒しきれなくて……」

「大丈夫です大地さん。むしろ的確な治療のおかげで、たぶん傷跡を残さずに治癒できます」


 火傷の処置にはとにかく冷却が必要だ。

 痛みも和らぐし、その後の治療もスムーズに行いやすくなる。

 完全な治癒ができなくとも、最大限の治療を行うという大地さんの判断はとても素晴らしく、そしてありがたい。


「師匠。何があったんですか?」


 結愛が死ななかったことに安堵している間に、フレッドが部屋の片隅で腕を組み目を瞑っているアカへと問いかける。

 全身に氷嚢を纏い、珍しく弱気になり気落ちしている結愛とは違い、アカは傷一つなくいつも通りだ。


「……すまない」


 珍しく。

 本当に珍しく、アカが素直に謝った。

 別に普段から謝らないというわけではない。

 アカが間違いを犯すことなんて今までなかったし、そう言う意味では謝罪をする必要がなかったから珍しいも何もない。

 けどそうではなく、アカがこちらに気弱な面を見せていることそのものが限りなく珍しい。

 ぱっと見ではまるで変わっていないと思っていたけど、どうやら内面はそうでもないらしい。


「謝るのは後でいい。何があったのかを説明してくれ」


 もう一度だけ大きく深呼吸をしてから立ち上がり、アカを真正面に据えて問いかける。

 臆することなく視線を交錯させてきたアカは、少し間を置いてから話し始めた。


 転移でダンジョンを出た後、金融機関の事務所まで行ったこと。

 そこで話し合いを行い、しかし交渉は決裂したこと。

 その後で葵たちが撮影の邪魔をしたことがバラされて戦いになったこと。

 戦いの途中で魔術が異常な挙動を取り、ミライちゃんたち――あの親子を守るために結愛が身を挺して庇ったこと。


「以上だ」

「そいつらは強かったのか?」

「板垣結愛一人でも相手取れるほどの実力しかない。敵の親玉は実力を誇示していたみたいだがな」

「正確には銅以上銀以下くらいの実力ね。銀等級でもピンの方ではなかったけど」

「ピンはどっちだっけ?」

「ピンが上でキリが下」

「めちゃくちゃ強かったってわけじゃないのか」


 治癒を終えた結愛がアカの話を補足してくれた。

 それを聞く限りでは、結愛がこれだけの大火傷を負う理由がわからない。

 やはり、アカの話の中で唯一の不自然な部分――


「んじゃあ、異常な挙動を取った魔術ってのはなんだ?」

「……わからん」

「わからんって、アカが見たことない魔術だったのか?」

「違う。誰でも使える火球だ」

「じゃあ“魔力操作”で発動後に軌道を逸らしたとか?」

「そうであれば俺が見逃すはずがない」

「見逃しくらい誰にでもあるだろってのは置いといて……そいつの“恩寵”とか――」

「違うわよ、葵くん」


 “異常な挙動”についての考察をしていると、隣の部屋から扉を開けて真衣さんが部屋に入ってきた。

 後ろにはミライちゃん親子の姿も見える。

 それはそれとして――


「何か知っているんですか?」

「今さっき聞いたんだけどね? ミライちゃん、想像したことを現実にしちゃうことがあるらしいのよ」

「……はぁ? えっと……それはどういう……?」


 真衣さんの言っていることが理解できず、間抜けだと自分でもわかる声で聞き返す。

 「説明が悪かったわね」と謝罪から入って、真衣さんは改めて説明をしてくれた。

 ミライちゃんの恩寵である予知夢は、文字通り夢で見たことが現実でも起こるもの。

 ここまでは俺たちが聞いていた通りの話なので問題はない。

 しかしミライちゃんの“恩寵”にはもう一つ効果があり、それがこそ真衣さんの言った“想像したことを現実に起こす”能力だという。

 もっとわかりやすく言うのなら――


「さっきの話で例えると、火球が曲がると考えたから実際に曲がって、それがたまたま結愛に当たってしまった、という感じね」

「……その話が本当ならとんでもないですね」


 想像したことを現実にする。

 つまりは『ぼくのかんがえたさいきょうの~』を実際に具現化させることができる、ということになる。

 もちろん、大人の感性や子供よりは理性的な思考が介入すれば思い通りにはならない可能性も高いだろうけど。


「その……正しくは違うんです」


 真衣さんの説明を聞いていたミライちゃんが、おずおずとそう言葉にした。

 怯えているのか、肩は少し震えていて、ミライちゃんのお母さんの背中に半分隠れている。

 それでも言葉を出したのは、どうしても伝えなきゃいけないことがあったからだろうか。

 とにかく、勇気を出して一歩目に出てくれたのだから、俺はそれに応えたい。


「違うって言うと、どの辺が違うのかな?」

「えっと、その……火の球が曲がるって考えたんじゃなくて……お姉ちゃんたちが負けちゃうんじゃないかって考えちゃって……」

「……」


 ミライちゃんの頭を、真衣さんが優しく撫でた。

 それから察するに、ミライちゃんが今語った話は真衣さんも聞いていて、その上で敢えて話さないことを選んだのだと思う。

 わざわざ言う必要のないことではあったわけだし。


「……そっか」


 それでも、ミライちゃんは本当のことを言ってくれた。

 必要の有無を考えてないだけかもしれないけれど、ミライちゃんは言ってくれた。

 怯え、隠れていたのは、ミライちゃんの所為で結愛が傷ついたという自覚を持っていたからか。

 本当のことを言えば怒られるかも、嫌われるかも。

 そんなことを考えていたのかもしれない。


「怒ったりとかはしないから大丈夫。ちゃんと言ってくれてありがとう、ミライちゃん」


 ミライちゃんの近くまで歩き、しゃがんでから目を見て言う。

 なるべく威圧感を出さず、可能な限り笑顔で。

 言葉でも態度でも雰囲気でも、怒ってないんだぞということを伝えられるように。


「葵」

「うん?」

「俺たちは失敗した。その子の所為ではなく、俺たち――俺の実力不足によって」

「……ああそっか、そうだったな」


 結愛たちが悪徳金融の元に向かったのは、ミライちゃんたちの問題を解決する為だったな。

 結愛が怪我をしてたから、そっちに意識が全振りされてすっかり忘れていた。


「……ミライちゃん、一つ聞いてもいい?」

「な、なんですか?」

「ミライちゃんは想像したことを現実にするんだよね?」

「た、たまに、ですけど」

「その想像してる時って、そのことだけ考えてる?」

「えっと……想像している時はその、イメージ? が頭の中に浮かんで、そこで起きたことが現実でも、って感じで……」

「なるほどね」


 現実と遜色ないイメージがあってようやく具現化できると言うことか。

 それならやりようはあるかもしれない。


「ありがとう」

「あ、はい」

「何か考えついたのか?」

「ああ。一つだけだけど、たぶん成功させられる作戦がね。アカと結愛にも聞いておきたいことがあるんだけど――」


 そうして考えた作戦を煮詰めている間に、夜はどんどんと更けていく。






 * * * * * * * * * *






 翌日の昼前。

 相手が確実にいるだろう時間を狙って、俺、ミライちゃん、ミウさん、そしてアンジェの四人は金融機関の事務所を訪れていた。

 意外とこぢんまりとしている事務所だが、外から感知できる範囲での人員は聞いていたよりも多い。

 人員の増強だけでなく補強もされているのか、強そうな気配もちらほら感知できる。


「マスター、眠たい?」

「んや? そんなことないけど。そう見える?」

「なんとなく。昨日は夜遅くまで起きていたんだよね?」

「結愛から聞いたの? まぁでも、戦闘になったら眠気なんて吹き飛ぶから大丈夫。それより気付いてる?」

「一人凄い強そうな相手がいること?」

「そ。やることが変わるわけじゃないけど油断はしないようにね」


 アンジェも“魔力感知”で気付いたのだろう。

 でもだからと言ってそれがどうしたのか。

 相手が強かろうと俺たちのやるべきことは変わらない。


「あの、葵さん。本当に私たちもついてきてよかったのでしょうか?」

「いいんですよ。むしろ、来てくれなきゃ俺の考えた作戦が台無しですから」


 案内役としての役割と、それ以外にもう一つ。

 ミライちゃんの今後の為にも必要なことだ。

 二人を危険に晒してしまうことになるが、そこは俺とアンジェでカバーするしかない。

 今日は結愛に万が一がないようにと護衛にシルフを置いてきているので、もしもの時に頼ることができないことも念頭に置いておかなきゃいけない。


「お。入り口のやつらに気付かれたな」


 まぁ堂々と事務所が見える位置に陣取っているから見つかるのも無理はない。

 見つけて貰えればむしろ勝手に準備してくれるから楽だしな。

 準備の時間を与えるとともに、俺たちも最後の準備をしておこう。


「じゃあ今日の工程の最終確認だ。まず事務所に真正面から突入して、俺は襲ってくる奴らを殺さずに無力化して進むから、アンジェは建物内に入ったら常に二人を守るように結界を張って、昨日言った合図を出したら俺ごと守ってね」

「了解、マスター」

「次にミウさんは、ミライちゃんを抱えてあげてください。命はアンジェが保障します」

「わかりました」

「最後に、ミライちゃんは俺が「目を開けて」って言うまで目を閉じてて。できる?」

「う、うん。できます」

「よし。じゃあ行こうか」


 それぞれから返事を貰って、俺を先頭に事務所へと真っ直ぐ進んでいく。

 俺たちに気付いていた入り口前の護衛二人が戦闘態勢を取り、あからさまに警戒を示す。

 だがお構いなしに俺は歩みを進め、会話ができる距離まで近づく。


「貴様ら、昨日の仲間だな?」

「ああ。一応話し合いに来たんだが……その様子だと話し合いは難しそうだな?」

「よく言う……貴様も戦闘するつもりだっただろう」

「まぁな。ボスとやらは中にいるのか?」

「答える義理はない」

「そらそうだ。じゃあちょっと面倒だけど強引に引き出すよ」


 縮地の要領で距離を詰め、右側の護衛にフックを叩き込む。

 腹部に叩き込んだフックで体が浮き、動きの幅を狭めたところで顎に平手を叩き込む。

 クリティカルを手のひらに感じ取り、護衛が気を失っているのを端目で確認してから、今度は左側の護衛を同じように気絶させた。

 時短のために速攻を意識したが、想像以上に上手くいった。

 もうちょっと強い相手を想像していたが……買い被りだったか。


「よし。入るぞ」


 後ろについてきている三人へ声を掛けてから中へ。

 スモークガラスの両扉の先はエントランスになっていて、入ってきた見知らぬ男たち――俺たちを見て怪訝そうな顔をする七人かと対面する。


「昨日の件でボスとやらと話し合いに来たんだけど――」


 言い切るよりも早く魔術が放たれる。

 全て魔力を纏った拳で弾き飛ばし、次弾を“魔力操作”で乗っ取って射出前に暴発させた。

 それだけで魔術を使っていた四人は気絶して、残る三人は近接を挑んできたので入り口の護衛二人と同じように気絶させておいた。


「増援か。早いな」


 左の方にあった扉のない入り口からゾロゾロと足音が聞こえたと思えば、そこから十人以上の男どもが雪崩れ込んできた。

 音の聞こえ方からあっちが上に繋がる階段なんだなと次の向かう先を定め、増援としてやってきた男どもを一蹴する。

 銅等級以上の実力者であっても、大戦や天の塔を経験してきた俺には叶わない。

 素行が悪かったりで銅にすら上がれていない、なんて話を聞いていたから少しは警戒していたが、拍子抜けもいいところだ。


 そして同時に、この程度の相手に結愛とアカが負けるなんて考えられないという確信も得られた。

 例え床にバナナの皮が落ちていて、それに足を取られてスッ転んでも勝てると断言できるほどに隔絶した実力差がある。

 やはりミライちゃんの“予知夢”が相当厄介な方に傾いてしまったのだと身を以って理解できた。

 なればこそ、俺の考えた作戦がいい方向に働いてくれる可能性が高い。


「進むぞー」


 被害が出ていないことを確認してから、改めて声を掛けて進む。

 相変わらず散漫にやってくる男どもを逐一気絶させながら、階段を上って二階へ進む。

 ミウさんに確認を取ってから応接室の扉を勢い良く開けると、待ち構えていた魔術師が一斉に魔術を放ってきた。

 入り口全体を埋め尽くすように放たれたのは無色透明な暴風。

 十人程が一斉に放ったのか威力は相当に高く、喰らっていれば壁に叩きつけられ怪我は免れなかった。

 当たっていればの話だが。


「ナイス。いいねアンジェ助かった」


 俺がそれに対応するより早く、アンジェが風を放って相殺した。

 十人で息を合わせて放った一撃がたった一人の少女によって無力化された事実に驚き固まっている彼らへと即座に近づいて、片っ端から顎を手のひらで撃ち抜き気絶させる。

 通り過ぎながらで気絶させられる顎パンは首トンよりも楽だな、なんてことを考えながら、魔術師らしき男どもは全員()した。


「さて……昨日はうちのモンが世話になったな?」

「その言い回しは私どものものだと思うのですが」

「発言の自由は許さないと?」

「そんな揚げ足を取らないでくださいよ。改めましてようこそ、召喚者の綾乃葵様」


 味方の大多数がやられているのに余裕の表情と態度を崩さないのはボス自身の器の大きさか、あるいは周りに控える三人が凄い実力者だからか。

 ガタイの良い巨漢二名に、アンジェの指しただろう凄い強い人とやらが一名。

 見た目と魔力量から前者二人が近接で後者一人が魔術師と考えるべきだな。

 大柄の近接二人は結愛とアカからも聞いているし。


「下に送った仲間はどうしていますか?」

「全員気絶させたよ。三十分くらいは寝たままだろうな」

「そうですか。しかしここまでうちで働く人員を気絶させられたのであれば、営業妨害で訴えられますかね?」

「できるならどーぞ」


 訴えられるのならすればいい。

 そうなった場合は彼らの行っている事業が白昼の元に晒されることとなるし、もし仮に自爆覚悟の訴訟を起こされた場合は最悪――本当に最後の一手だが、召喚者特権で今回の一件を無実にしてもらえばいい。

 尤も、このボスはそんなリスクを冒しはしないだろうが。


「にしても召喚者、か。一日でよく調べたな」

「あなたは有名ですよ。大戦を終わらせた立役者として顔と名前は広まっておりますから」

「そんな嘘で誤魔化せるわけねーだろうよ。大方後ろに権力者とかがいるんだろ? 悪党の闇に片脚突っ込んだ商売にはそーいうのがいるってのはお決まりだからな」

「嘘などではないのですが……いいでしょう。ともかく、こうしてお喋りをしていても始まりませんね」

「そうだな。全員で来ていいぞ。後ろの()()も含めてさ」


 後ろに控えている魔術師はピクリと眉を動かした。

 焼けた肌に青みがかった白い髪。

 フードの奥に覗く瞳は橙色に輝いていて、ジッと俺を見据えている。

 体格はゆったりとしたロングコートによって分かり辛くなっているが、俺と同じか一回り大きいくらいかな。

 見覚えはない。

 けれど魔力から魔人だと確信を持って断言できる。


「……? 何のことでしょうか?」

「ハッタリ……じゃねぇな? 気づいてない――いや、知らないのか?」


 ボスと思しき優男はキョトンとした顔で問いを返してきた。

 それを聞いてブラフを疑ったが、一瞬だけ覗いた脳内は嘘などついているようには見えなかった。

 つまり、ローブの男が魔人だと言うことを知らない、ということだ。


「ほーん……? 洗脳って様子じゃないしな……情報取集が目的か?」

「……何のことでしょうか?」

「とぼけるよな。ま、実際お前がどんな存在でも問題はないんだわ」


 後ろの魔術師がどんな目的で動いていようと関係ない。

 俺がここに来た目的はたった一つだけ――


「今すぐミウさんとの契約を破棄するんならここで引き返す。もちろん口頭じゃなくて書面でな」

「昨日もお伝えした通り、それは出来かねます。私どもにも――」

「じゃあいいや。こんなことせずに明日から真っ当な仕事を探すんだな」


 手首を振り、肩と首を回し、腕を伸ばして屈伸と伸脚を行う。

 最後に大きく伸びをしてから、不意打ち対策に“魔力感知”全開で振り向いて、目を瞑るミライちゃんへと合図を送る。


「よく我慢してくれたね、ミライちゃん。目、開けて大丈夫だよ」


 俺の声はきちんとと届いたようで、ミライちゃんはミウさんの胸元に埋めていた頭を上げて恐る恐るその目を開く。

 その黒い瞳を真っ直ぐ見据えて、一番重要なことを伝える。


「ちゃんと見ててね。俺が戦うところ」

「は、はい」


 ミライちゃんの戸惑い混じりの返事を聞けたので、俺は最後に深呼吸を挟む。

 それを戦闘のスイッチとしてギアを入れ替え、ボスへ向けて一直線に突撃する。

 ボスは結愛たちが戦った時も干渉はしてこなかった。

 けれど、優男の整った顔は見ているだけでイラっとするので真っ先に処理を――


「……!」

「っとなればまずそうくるよな!」


 進行方向に影が差し、それが俺の胴体くらいある腕を振り下ろしてくる。

 急制動し振るわれた腕を支えに跳び箱のように上へ避ける。

 空振った腕はそのまま勢いを止められずに床へと叩きつけられ、鈍い轟音と思わず目を閉じそうになる風圧を引き起こす。

 床が抜けてもおかしくないほどの威力だが、当たらなければどうということはない。


「っとと」


 腕を支点に巨漢の上を取ったのでそのまま攻撃を仕掛けようとして、飛来した風の刃によって阻まれた。

 上下反転した世界で放たれた魔術を魔力を込めた脚技で霧散させたときには、支えにしている巨漢が既に反撃の体勢に移っていた。

 真下から放たれた手のひらで支えるには大きすぎる拳を上――天井に張り付くようにして避け、重力をプラスした拳を肌が晒された脳天へ叩き込む。


「――へぇ」


 頭蓋を叩き直接脳を揺らすつもりで放った一撃は、一瞬で距離を詰めてきたもう一人の巨漢によって止められた。

 ガタイの割に動きが素早く、聞いていた以上の速度を持っているように見える――なんて、暢気にそんなことを考えている場合ではない。

 止められた拳を一回りも二回りも大きい手に捕らえられ、巨漢を中心に独楽(コマ)のように回されている。

 もう一人の巨漢はしゃがみ込み、その回転に当たらないようにしているのが背中越しに見えた。

 何とも連携の取れた動きだろうかと感心しつつ、靴に付与されている魔術を行使する。


「――!」


 パシュッと子気味良い音を立てて靴底から人体を浮かすの風が射出され、俺の体が上へと弾かれた。

 巨漢の腕は俺の体ごと上へと跳ね上げられるが、一度始めた回転を容易には止められない。

 慣性そのままに体幹、腹、足と空中で動員できる全ての筋力を集中させて、オーバーヘッドの要領で今度こそ巨漢の一人の脳天に脚撃を叩き込んだ。

 脳にそこそこ重たい一撃を喰らわせたことで握力が弱くなり、その一瞬で俺は拘束から脱する。


「わぁっとと――あっぶねぇなぁ慣性」


 ぶん回されていた時の慣性は巨漢を熨したところで消えるはずもなく、あともう少しで壁に衝突して情けない姿を晒すところだった。

 ……いや?

 ミライちゃんの能力を考慮するならダサい姿を晒していた方が効率は良かったかかもしれない。

 まぁだからと言って今から壁に当たって「ぐふっ」なんてやっても意味はないな。


「ともあれまずは、これで一人」


 最初に攻撃を仕掛けてきた巨漢が俺の方を睨んでいる。

 蛍光灯の光を受けてピカピカ輝く頭頂部に、強面の顔、更には俺の三倍はあるガタイの持ち主に睨まれると流石に委縮してしまいそうだ。


「魔人……だよな、アレ」


 独り言の対象は、戦いが始まってから一歩も動いていない魔術師。

 魔力や気配は紛れもなく魔人のそれなのだが、魔術の精度やら威力が魔人のそれとは比較にならないほどに弱い。

 銀等級だと言われれば納得できるだけの技量ではあるのだろうが、魔人に匹敵するかと言われると……頷けはしない。

 変装や潜伏に長けた魔人である可能性も考えたが、その場合はレベルが引く過ぎる。

 魔人の魔力や気配を知らなかったり、あるいは感知できなかったりするのが普通らしいからこのレベルでも通用するのかもしれないが、主要都市に潜伏するレベルとは到底思えない。

 魔人バレを恐れ、違和感のない程度に技術を落として戦っている、と考えるのが妥当だろうか。


「倒すと靄になって消えそうだしな……捕えて固めて尋問でもするか」


 あの靄が空間を越えて発動できる類のものなら固定の意味はなくなるが、まぁ実験だ。

 どうせ逃げられたとしても、大戦のときに魔人を包んだ靄の正体には近づける。

 気を取り直し、再度ボスへ向けて突撃する。


 先に動いたのは巨漢ではなく魔術師。

 風の刃が無数に飛来し、速度のままに突っ込めば軽く腕一本程度なら持っていかれそうな威力と化している。

 一度に多数発動し一斉に射出するのではなく、一発ずつ発動し射出、射出後即座に発動し射出と繰り返している。

 銀等級レベルの偽装としてはなるほどと納得できるが、慣れていないのかやはり偽装は拙いと言うべきか。

 先の予感を確信に移しつつ、全ての刃を避けながらボスへと近寄る。


「させん」


 刃の軌道の外から存在感を示すようにしてやってきた巨漢が、両手を合わせて真上に振りかぶる。

 動作自体は非常にのろく、“身体強化”なしの俺でさえ対処できそうだ。

 しかしそれは、あくまで巨漢単体での場合。

 今は風の刃が真正面から絶え間なく打ち続けられていて、しかもそれは俺を傷つけることから逃がさないことを目的としたものへと変わっている。

 前後左右に逃げ場なく、上下も当然、魔術に当たる。

 絶体絶命。


 そんな状況で俺は、アンジェの結界で守られているミライちゃんへ視線を送る。

 目と目が合い、好きだと気づくよりも早く、ミライちゃんが嫌なものから目を逸らすように目を閉じた。

 ミライちゃんが律義であること、約束を守ってくれること。

 その二点を信じた結果が今。

 心の中で「ありがとう」と感謝を述べて、ついでに「俺みたいな奴に騙されないようにね」と願う。


「ヌゥンッ!」


 剛腕が振るわれ、俺へと当たることなく床へと叩きつけられた。

 前後左右、それに上下を塞がれた程度で攻撃を喰らう程、今の俺の手札は貧弱じゃない。

 召喚者について調べたのなら、俺が空間に干渉できることも知っていておかしくなかったが……どうやら対応策はなかった――


「――マジかよッ」


 ミライちゃんの近くに転移した俺は、背後で起こった事態に小さく悪態をつく。

 俺を囲むようにして放たれていた魔術が直進の軌道から外れ、俺を追尾するようにして直角に曲がったのだ。

 これがアカの言っていた『異常な挙動』だと確信を得てから、それでもやるべきことは変わらないとアンジェへ合図を送る。

 右手の親指と小指を立て、手首を捻ってそれを百八十度回転させる。

 電話を示す手遊びの一種に動作を加えたもの。

 元の電話からは意味がかけ離れているが、今回限りの即興なので問題なし。

 二人の傍に着地した俺は驚くミウさんに心の中で謝罪しつつミライちゃんの額に触れる。


「どうにかするから。大丈夫」


 昨日、結愛やアカから話を聞いて、ずっと考えていた。

 予知夢――いわゆる未来視の類に、どうすれば対抗できるのか、と。

 漫画やラノベの主人公なら、きっとこんなものは努力でどうにでもしただろう。

 でも俺にそれができるとは限らない。

 今のように何度も何度も異常な挙動を取られれば、いずれ普段割くことのない思考によって動きが鈍り、目的を果たせなくなる可能性もある。

 ならばどうするか。

 それを考えた結果、一つの答えに辿り着いた。

 確定した未来を変えることが漫画の主人公にできて俺にはできないのならば、俺にできることで代用すればいい。

 発想の転換――確定した未来を現在の努力でどうこうできないのなら、確定した未来そのものを変えてしまえばいい。

 例えばそう、初代勇者の能力を使(こうや)って――


「翻訳」


 発動のトリガーとなる名を呟いて、俺はミライちゃんの予知夢へと潜り込む。






 そこは、さっきまで俺がいた場所と遜色ない一室だった。

 机や椅子などの家具の位置や俺の手によって気絶させられ床に突っ伏している人たちなど、細かいところをとっても違和感が全く感じられない。

 アハ体験で出されてもおかしくないレベルに酷似した世界が、ミライちゃんの見る予知夢の世界――いや、この場合は予知夢というより“想像”の世界と行った方が適切か。

 ただ、この世界をアハ体験として活用するのは無理そうだ。

 なにせ――


「放送コードに引っ掛かりそうなくらいグロい肉片になっちゃってるよ、俺」


 ミライちゃんは想像したのだろう。

 あのまま風の刃の包囲網から抜け出せず、振り下ろされた腕に押し潰された俺を。

 結果がこれか。

 床に大量の血で染みを作り、頭から体が全体的に潰されて、腕と足が千切れている。

 腕と足はこれ、体だけが潰されたから原型を留めてるのか。

 そこまで正確に想像できてしまうとは、やはりミライちゃんの想像力は常人のそれとは比較にならないほどに正確無比なんだな。

 これなら母親が死ぬ予知夢を見たからという理由だけで、学校よりも優先してダンジョンに潜入しようとするのも頷ける。

 あのまま俺が転移で避けなかったら、こうなっていたのはほぼ間違いないからな。


「……誰、ですか?」

「わからない?」


 いるだろうとは思っていた。

 ここはミライちゃんの想像の世界。

 本来はあり得なかった未来の世界。

 だから、それを想像したミライちゃんの意識が存在するのは、至極当然の結論だ。


「顔がモヤモヤしていてわかりません。声もとても聞き取りづらいです」

「……強引に入るとそうなるのかな」


 想像()の世界のことはよくわからない。

 詳しく調べてみたい気持ちになるが、今の目的はそうじゃないので一旦諦める。


「お――僕が何者かは気にする必要はない。ただ今日は、君の間違いを指摘しに来た」

「間違い……?」

「そうだ。間違いだ」


 俺、と言いかけて一人称を変える。

 ミライちゃんに俺の正体がバレていないのならそれでいい。

 何ならそっちの方が都合がいいかもしれない。

 こっちに来る前に俺自身が「どうにかする」と言ってしまったが、まぁいいのだ。


「君は自分の予知夢で未来を決定してしまうから、その力を忌避――嫌だと思っている。そうだな?」

「……うん。私はあのお姉ちゃんのことを傷つけちゃったし、似たようなことがいっぱいあったの。だからそうならないようになればいいなってずっと思ってた」


 なまじ精度が高い故に、ミライちゃんは考えてきたのだろう。

 自分の所為で誰かを傷つけたという経験をこの年でしたと考えれば、むしろ自棄になったりしていないことを褒めるべきだ。

 でもそれは、今の俺の役割じゃない。


「一つだけ訂正しておく。君のその力は決して絶対なんかじゃない」

「……今まで夢で見たことは絶対に起こったんです。だから――」

「絶対だと? じゃあ一つ思い出してみるといい。君が今一緒にいる人たちに何と言ったのかを」

「今いる人たち……お母さんが――」


 そこまで言いかけたところで、ミライちゃんはハッとした表情になった。

 そう、ミライちゃんが俺たちと接触したときに説明したこと。

 「お母さんが死んじゃう」はまだ現実になっていない。


「その場所はどこだった? この部屋だったか?」

「ち、違う……ダンジョンだった」

「ほら見ろ。絶対じゃないだろ?」

「で、でも――」

「じゃあもう一つ、絶対じゃないことを証明しよう」


 振り向き――といっても今の俺は顔無しらしいのでどこを向いているかはわからないかもしれないが、まぁいい。

 俺の視界はきちんと、攻撃される直前の俺を映している。

 巨漢が両手を組んで振り下ろし、俺の周りを風の刃が取り囲む様を。


「ここは君の想像の世界。君が今ある現実から想像した世界。じゃあなんで、君が見たこともないはずの僕がここにいるんだろうね?」

「……あれ」


 ミライちゃんの予知夢――想像が確定した未来を視る能力ならば、外からの干渉は不可能。

 これまではそうだったらしいし、この想定は間違っていないはず。

 なら、俺がここにいるという事実そのものが、ミライちゃんの意識に大きな変化を齎すことになる。

 いるはずのない人間がいる。

 見聞きしたことのない人間が、得体の知れない何かが想像の世界に割り込んできた。

 その事実が、ミライちゃんの意識にあった“絶対”を打ち破る鍵となる。


 本当は、ミライちゃんの意識がある中でこの世界を俺が改変し、改変した結果を想像の結果――訪れる未来として確定させるつもりでいた。

 でも今なら、それをするよりももっと効果的に事態を好転させられそうだ。


「俺が証明する! 君の予知夢――想像は絶対なんかじゃない! あっちの世界に戻ったら目を開けてみるといいさ! それだけで俺の言っていることは全てわかる!」


 全てを言い終えた後で一人称が戻ってしまっていることに気が付いたがもう遅い。

 俺の意識はスーッと薄れていき、現実へと引き戻されるのを感じる。

 最近は滅多に訪れることのない、あの白い空間から目覚める時と似たような感覚だ。

 今の俺は不自然に曲がった風の刃に負われているはずだから、戻ったら即座に意識を切り替えなきゃいけないな。

 そこだけ注意して――






 自分の体が重たく感じる。

 重力の影響を受け、筋肉量の多めな俺の体が、足が、自重を支えているのを感じる。

 想像の世界では気付かなかったが、どうやら感覚というものは違っていたらしい。

 なんて、そんなことを考えている場合じゃないな。

 あっちの世界でミライちゃんの意識に啖呵を切った以上、きっちり役目は果たさなきゃいけない。

 同じタイミングで想像の世界から戻ってきたらしいミライちゃんが、恐る恐る目を開けた。


「大丈夫。何とかするよ」


 想像の世界で見るも無残な姿で命を失っていた俺が、目の前で笑顔で「大丈夫」と言った。

 その意識の食い違いに混乱しているミライちゃんを尻目に、迫る風の刃を“魔力感知”できちんと捉える。

 数は四十九。

 それ以降は曲がりかけているヤツや直進しているヤツで実害ないので無視でいい。

 不吉を連想させる数に怖さを覚えながら、俺は腰に提げたままの『無銘』に手を添えて――


「――あ」

「……え?」


 バシュウッ! と空気を圧縮し射出する音が聞こえたと思えば、一直線に向かってきていた風の刃は物凄い風圧により、そのほとんどが原型を留められずに霧散していった。

 霧散しなかった刃も風に押し流され、あらぬ方向へと飛散していった。

 俺が『無銘』を抜き放ち全てをぶった切るまでもなく。

 とてもあっさり。

 それはもう呆気なく。

 ここはギャグマンガの世界か? と疑問を呈(げんじつとうひ)してしまうくらい簡単に未来が変わった。


「……「合図したら俺ごと守って」とは、こういうことではなかったのですか、マスター?」

「あー……うん。想像以上だナイス活躍」


 未来(そうぞう)を変えたという結果さえ得られたのなら、そこに至るまでの過程なぞどうでもいい。

 今回に限って言えば、俺が格好つけられなかった程度の変化しかないんだから、無駄に傷ついたり精神擦り減らしたりしなかった分……うん、いいじゃないか。

 そう思うことにしよう。


「……さて。当てが外れたな? ボスとやら」

「ッ――!」

「お前が終始余裕な態度を崩さなかったのも、護衛の強さを信じていたんじゃなく、ミライちゃんの能力と経験からくるネガティブ寄りな思考を利用していただけなのはわかってんだ」


 仲間の大半がやられてもなお余裕そうだったのはそう言う絡繰りがあった。

 思考を読まずとも、アカの時と今この時のボスを見ればわかる。

 焦り――いや驚きか。

 絶対の自信があった策が打ち破られて面を食らっているような表情。

 他人の表情や気持ちを悟ることに関してはずぶの素人である俺ですらわかるほどの動揺。

 確信を得るには十分すぎる。


「さぁどうする? こちとらまだまだ余裕があるが、大してそっちは残り二人。そっちの魔術師はアンジェが相殺できるし、ワンオンワンなら俺はそこの巨漢とも戦える。考えを改めるなら聞いてやるが――」

「ふ、ふざけるな! まだ負けてない! 戦いはこれからだ!」


 初めて見る激情。

 優男の風貌は既になく、ヒステリックと化したボスは見るに耐えない。

 挑発を込め、肩を竦めて両手を上げ、やれやれとばかりに首を振る。

 怒りのボルテージがどんどんと上がっていくのが真っ赤になる顔からも見て取れる。

 そこに対して非常に面白い、なんて考えてしまうあたり、自分の性格の悪さを自覚できてしまうので嫌だ。


「秘策があると言うから乗ったが、それも打ち破られた様子。私一人でどうともならないと判断したから、私は帰らせてもらう」

「なッ――ま、待て! 貴様ッ、仕事を放棄する気か!」

「仕事は大切だ。だがそれは命あっての物種。無為に捨てるほどの恩義は、貴様にはない。契約を違えてしまった違約金は置いていく」


 懐から手のひらに乗るサイズの袋を取り出して、散乱した机の上にそっと置いた。

 ジャラと音が鳴る辺り、相当な量の貨幣が入っていると予想できる。

 怒りが留まることを知らないボスを尻目に、俺はこの場から逃げようとする魔術師へと話しかける。


「よう、魔人。逃げるのか?」

「勝てない勝負はしない。今はまだ、貴様に勝てる時ではないからな」

「まるで時間をかければ勝てるかのような口ぶりだな」

「時が来ればわかる」

「そうか。それはそれとして、俺が逃がすとでも思ってんのか?」

「捕縛する気なら好きにしろ。ただし私から情報を抜き出せるとは思わないことだ」


 フードの奥に覗く表情は絶対の自信があるように見える。

 ……いや?

 本当に自信があるのか?

 表情から心理を悟るのは不得意とする分野だが、先のボスから得た直感に似た何かが、魔人と思しき魔術師のそれを勘繰る。

 だから、少しの頭痛と引き換えに、その心――言葉の裏を理解することにした。


「拷問に対する耐性……じゃねぇな? ……なるほど。情報吐きそうになったら自爆させられんのか」

「ッ!?」

「ハッ。ハッタリなのに上手くハマったなぁ? お前諜報員にゃ向いてねーぞ。中村の側付きと変わったらどうだ?」


 俺の力だと言うことを悟らせないように、ハッタリ――ブラフだと嘘を吐く。

 まんまと口車に乗り、情報を与えてしまった愚かな奴だというレッテルを貼りつけて、魔人の動揺を誘えた。

 まさに一石二鳥。

 話術が上手くなったと勘違いしそうなくらいに上手く事が運んでいる。


「――チッ。てめぇはいつか殺す」


 それに答えるよりも早く、魔人は転移で姿を消した。

 俺が魔術の起動を悟れないほどの精密な“魔力操作”――じゃないな。

 僅かに残った残滓から、今の魔人の魔術じゃないことはわかった。

 これはおそらく――


「――とにかく、あいつが魔人なのは確定だな。……この様子だと他の国でも潜伏してそうだなぁ」


 中村が去り、魔王軍最大の情報源だった側付きがいなくなってからは吸血鬼を通して情報を得ていた。

 そう結論付けていたが、魔王側はそこが潰されることも読んで予め魔人を潜伏させていたのか。

 あるいは、吸血鬼の情報網が潰されたから慌てて魔人を派遣したか……今の魔人の素質を見ると後者に思える。

 ただ確定はしない。

 もし潜伏させている魔人の数が多かった場合、これで対処したと考えるのは愚行も愚行。

 このことは人間側で周知させていった方がいいだろうな。


「さて、と――そういやまだ終わってなかったんだっけ」


 怒りが有頂天になっているのだろうな。

 握りしめられた拳は今にも血が噴き出そうなくらい強く握られていて、体全体が小さく震えている。

 俯き、その表情はわからないが、歯を食いしばっているのだろう、お帰――」

「結愛!? どうしたの!? 怪我!?」


 ダンジョンから帰ってきた俺たちを迎えてくれたのは、全身に包帯を巻き、要所要所を氷嚢で冷やしている、見るからに怪我をしていますという風貌の結愛だった。

 即座に駆け寄り、指輪(アルトメナ)から取り出した治癒のスクロールを使う。

 治癒特有の光が結愛を包んで、包帯の下に隠れているだろう傷を癒してくれる。

 全身の包帯に気を取られて気づかなかったが、いつも着ている服は全体的に焼け焦げていてボロボロだ。

 全身に巻かれた包帯と氷嚢、そして焼け焦げた服から察するに、結愛は火や爆発関連で怪我を負ったのだろう。


「いやー、あはは……ごめんね? 少しヘマしちゃって」

「いやいい。命があったならそれだけで……」


 抜けそうになる腰にしゃがみ込むことでどうにか抗い、大きく吸い込んだ息を吐きだす。

 結愛の怪我ーーと言っても包帯だらけのミイラ姿だがーーを見た時は本当に血の気が引いた。

 顔も動かせたし応答もできたけど、包帯を全身に巻いたミイラのような見た目だっただけに不安は襲ってきた。

 見るからに普通じゃない怪我を負っているというのに、治癒の光に包まれている結愛はとても落ち着いている。


「負担をかける形になってしまってすまない、葵くん。俺たちも手は尽くしたんだが、結愛の傷を癒しきれなくて……」

「大丈夫です大地さん。むしろ的確な治療のおかげで、たぶん傷跡を残さずに治癒できます」


 火傷の処置にはとにかく冷却が必要だ。

 痛みも和らぐし、その後の治療もスムーズに行いやすくなる。

 完全な治癒ができなくとも、最大限の治療を行うという大地さんの判断はとても素晴らしく、そしてありがたい。


「師匠。何があったんですか?」


 結愛が死ななかったことに安堵している間に、フレッドが部屋の片隅で腕を組み目を瞑っているアカへと問いかける。

 全身に氷嚢を纏い、珍しく弱気になり気落ちしている結愛とは違い、アカは傷一つなくいつも通りだ。


「……すまない」


 珍しく。

 本当に珍しく、アカが素直に謝った。

 別に普段から謝らないというわけではない。

 アカが間違いを犯すことなんて今までなかったし、そう言う意味では謝罪をする必要がなかったから珍しいも何もない。

 けどそうではなく、アカがこちらに気弱な面を見せていることそのものが限りなく珍しい。

 ぱっと見ではまるで変わっていないと思っていたけど、どうやら内面はそうでもないらしい。


「謝るのは後でいい。何があったのかを説明してくれ」


 もう一度だけ大きく深呼吸をしてから立ち上がり、アカを真正面に据えて問いかける。

 臆することなく視線を交錯させてきたアカは、少し間を置いてから話し始めた。


 転移でダンジョンを出た後、金融機関の事務所まで行ったこと。

 そこで話し合いを行い、しかし交渉は決裂したこと。

 その後で葵たちが撮影の邪魔をしたことがバラされて戦いになったこと。

 戦いの途中で魔術が異常な挙動を取り、ミライちゃんたち――あの親子を守るために結愛が身を挺して庇ったこと。


「以上だ」

「そいつらは強かったのか?」

「板垣結愛一人でも相手取れるほどの実力しかない。敵の親玉は実力を誇示していたみたいだがな」

「正確には銅以上銀以下くらいの実力ね。銀等級でもピンの方ではなかったけど」

「ピンはどっちだっけ?」

「ピンが上でキリが下」

「めちゃくちゃ強かったってわけじゃないのか」


 治癒を終えた結愛がアカの話を補足してくれた。

 それを聞く限りでは、結愛がこれだけの大火傷を負う理由がわからない。

 やはり、アカの話の中で唯一の不自然な部分――


「んじゃあ、異常な挙動を取った魔術ってのはなんだ?」

「……わからん」

「わからんって、アカが見たことない魔術だったのか?」

「違う。誰でも使える火球だ」

「じゃあ“魔力操作”で発動後に軌道を逸らしたとか?」

「そうであれば俺が見逃すはずがない」

「見逃しくらい誰にでもあるだろってのは置いといて……そいつの“恩寵”とか――」

「違うわよ、葵くん」


 “異常な挙動”についての考察をしていると、隣の部屋から扉を開けて真衣さんが部屋に入ってきた。

 後ろにはミライちゃん親子の姿も見える。

 それはそれとして――


「何か知っているんですか?」

「今さっき聞いたんだけどね? ミライちゃん、想像したことを現実にしちゃうことがあるらしいのよ」

「……はぁ? えっと……それはどういう……?」


 真衣さんの言っていることが理解できず、間抜けだと自分でもわかる声で聞き返す。

 「説明が悪かったわね」と謝罪から入って、真衣さんは改めて説明をしてくれた。

 ミライちゃんの恩寵である予知夢は、文字通り夢で見たことが現実でも起こるもの。

 ここまでは俺たちが聞いていた通りの話なので問題はない。

 しかしミライちゃんの“恩寵”にはもう一つ効果があり、それがこそ真衣さんの言った“想像したことを現実に起こす”能力だという。

 もっとわかりやすく言うのなら――


「さっきの話で例えると、火球が曲がると考えたから実際に曲がって、それがたまたま結愛に当たってしまった、という感じね」

「……その話が本当ならとんでもないですね」


 想像したことを現実にする。

 つまりは『ぼくのかんがえたさいきょうの~』を実際に具現化させることができる、ということになる。

 もちろん、大人の感性や子供よりは理性的な思考が介入すれば思い通りにはならない可能性も高いだろうけど。


「その……正しくは違うんです」


 真衣さんの説明を聞いていたミライちゃんが、おずおずとそう言葉にした。

 怯えているのか、肩は少し震えていて、ミライちゃんのお母さんの背中に半分隠れている。

 それでも言葉を出したのは、どうしても伝えなきゃいけないことがあったからだろうか。

 とにかく、勇気を出して一歩目に出てくれたのだから、俺はそれに応えたい。


「違うって言うと、どの辺が違うのかな?」

「えっと、その……火の球が曲がるって考えたんじゃなくて……お姉ちゃんたちが負けちゃうんじゃないかって考えちゃって……」

「……」


 ミライちゃんの頭を、真衣さんが優しく撫でた。

 それから察するに、ミライちゃんが今語った話は真衣さんも聞いていて、その上で敢えて話さないことを選んだのだと思う。

 わざわざ言う必要のないことではあったわけだし。


「……そっか」


 それでも、ミライちゃんは本当のことを言ってくれた。

 必要の有無を考えてないだけかもしれないけれど、ミライちゃんは言ってくれた。

 怯え、隠れていたのは、ミライちゃんの所為で結愛が傷ついたという自覚を持っていたからか。

 本当のことを言えば怒られるかも、嫌われるかも。

 そんなことを考えていたのかもしれない。


「怒ったりとかはしないから大丈夫。ちゃんと言ってくれてありがとう、ミライちゃん」


 ミライちゃんの近くまで歩き、しゃがんでから目を見て言う。

 なるべく威圧感を出さず、可能な限り笑顔で。

 言葉でも態度でも雰囲気でも、怒ってないんだぞということを伝えられるように。


「葵」

「うん?」

「俺たちは失敗した。その子の所為ではなく、俺たち――俺の実力不足によって」

「……ああそっか、そうだったな」


 結愛たちが悪徳金融の元に向かったのは、ミライちゃんたちの問題を解決する為だったな。

 結愛が怪我をしてたから、そっちに意識が全振りされてすっかり忘れていた。


「……ミライちゃん、一つ聞いてもいい?」

「な、なんですか?」

「ミライちゃんは想像したことを現実にするんだよね?」

「た、たまに、ですけど」

「その想像してる時って、そのことだけ考えてる?」

「えっと……想像している時はその、イメージ? が頭の中に浮かんで、そこで起きたことが現実でも、って感じで……」

「なるほどね」


 現実と遜色ないイメージがあってようやく具現化できると言うことか。

 それならやりようはあるかもしれない。


「ありがとう」

「あ、はい」

「何か考えついたのか?」

「ああ。一つだけだけど、たぶん成功させられる作戦がね。アカと結愛にも聞いておきたいことがあるんだけど――」


 そうして考えた作戦を煮詰めている間に、夜はどんどんと更けていく。






 * * * * * * * * * *






 翌日の昼前。

 相手が確実にいるだろう時間を狙って、俺、ミライちゃん、ミウさん、そしてアンジェの四人は金融機関の事務所を訪れていた。

 意外とこぢんまりとしている事務所だが、外から感知できる範囲での人員は聞いていたよりも多い。

 人員の増強だけでなく補強もされているのか、強そうな気配もちらほら感知できる。


「マスター、眠たい?」

「んや? そんなことないけど。そう見える?」

「なんとなく。昨日は夜遅くまで起きていたんだよね?」

「結愛から聞いたの? まぁでも、戦闘になったら眠気なんて吹き飛ぶから大丈夫。それより気付いてる?」

「一人凄い強そうな相手がいること?」

「そ。やることが変わるわけじゃないけど油断はしないようにね」


 アンジェも“魔力感知”で気付いたのだろう。

 でもだからと言ってそれがどうしたのか。

 相手が強かろうと俺たちのやるべきことは変わらない。


「あの、葵さん。本当に私たちもついてきてよかったのでしょうか?」

「いいんですよ。むしろ、来てくれなきゃ俺の考えた作戦が台無しですから」


 案内役としての役割と、それ以外にもう一つ。

 ミライちゃんの今後の為にも必要なことだ。

 二人を危険に晒してしまうことになるが、そこは俺とアンジェでカバーするしかない。

 今日は結愛に万が一がないようにと護衛にシルフを置いてきているので、もしもの時に頼ることができないことも念頭に置いておかなきゃいけない。


「お。入り口のやつらに気付かれたな」


 まぁ堂々と事務所が見える位置に陣取っているから見つかるのも無理はない。

 見つけて貰えればむしろ勝手に準備してくれるから楽だしな。

 準備の時間を与えるとともに、俺たちも最後の準備をしておこう。


「じゃあ今日の工程の最終確認だ。まず事務所に真正面から突入して、俺は襲ってくる奴らを殺さずに無力化して進むから、アンジェは建物内に入ったら常に二人を守るように結界を張って、昨日言った合図を出したら俺ごと守ってね」

「了解、マスター」

「次にミウさんは、ミライちゃんを抱えてあげてください。命はアンジェが保障します」

「わかりました」

「最後に、ミライちゃんは俺が「目を開けて」って言うまで目を閉じてて。できる?」

「う、うん。できます」

「よし。じゃあ行こうか」


 それぞれから返事を貰って、俺を先頭に事務所へと真っ直ぐ進んでいく。

 俺たちに気付いていた入り口前の護衛二人が戦闘態勢を取り、あからさまに警戒を示す。

 だがお構いなしに俺は歩みを進め、会話ができる距離まで近づく。


「貴様ら、昨日の仲間だな?」

「ああ。一応話し合いに来たんだが……その様子だと話し合いは難しそうだな?」

「よく言う……貴様も戦闘するつもりだっただろう」

「まぁな。ボスとやらは中にいるのか?」

「答える義理はない」

「そらそうだ。じゃあちょっと面倒だけど強引に引き出すよ」


 縮地の要領で距離を詰め、右側の護衛にフックを叩き込む。

 腹部に叩き込んだフックで体が浮き、動きの幅を狭めたところで顎に平手を叩き込む。

 クリティカルを手のひらに感じ取り、護衛が気を失っているのを端目で確認してから、今度は左側の護衛を同じように気絶させた。

 時短のために速攻を意識したが、想像以上に上手くいった。

 もうちょっと強い相手を想像していたが……買い被りだったか。


「よし。入るぞ」


 後ろについてきている三人へ声を掛けてから中へ。

 スモークガラスの両扉の先はエントランスになっていて、入ってきた見知らぬ男たち――俺たちを見て怪訝そうな顔をする七人かと対面する。


「昨日の件でボスとやらと話し合いに来たんだけど――」


 言い切るよりも早く魔術が放たれる。

 全て魔力を纏った拳で弾き飛ばし、次弾を“魔力操作”で乗っ取って射出前に暴発させた。

 それだけで魔術を使っていた四人は気絶して、残る三人は近接を挑んできたので入り口の護衛二人と同じように気絶させておいた。


「増援か。早いな」


 左の方にあった扉のない入り口からゾロゾロと足音が聞こえたと思えば、そこから十人以上の男どもが雪崩れ込んできた。

 音の聞こえ方からあっちが上に繋がる階段なんだなと次の向かう先を定め、増援としてやってきた男どもを一蹴する。

 銅等級以上の実力者であっても、大戦や天の塔を経験してきた俺には叶わない。

 素行が悪かったりで銅にすら上がれていない、なんて話を聞いていたから少しは警戒していたが、拍子抜けもいいところだ。


 そして同時に、この程度の相手に結愛とアカが負けるなんて考えられないという確信も得られた。

 例え床にバナナの皮が落ちていて、それに足を取られてスッ転んでも勝てると断言できるほどに隔絶した実力差がある。

 やはりミライちゃんの“予知夢”が相当厄介な方に傾いてしまったのだと身を以って理解できた。

 なればこそ、俺の考えた作戦がいい方向に働いてくれる可能性が高い。


「進むぞー」


 被害が出ていないことを確認してから、改めて声を掛けて進む。

 相変わらず散漫にやってくる男どもを逐一気絶させながら、階段を上って二階へ進む。

 ミウさんに確認を取ってから応接室の扉を勢い良く開けると、待ち構えていた魔術師が一斉に魔術を放ってきた。

 入り口全体を埋め尽くすように放たれたのは無色透明な暴風。

 十人程が一斉に放ったのか威力は相当に高く、喰らっていれば壁に叩きつけられ怪我は免れなかった。

 当たっていればの話だが。


「ナイス。いいねアンジェ助かった」


 俺がそれに対応するより早く、アンジェが風を放って相殺した。

 十人で息を合わせて放った一撃がたった一人の少女によって無力化された事実に驚き固まっている彼らへと即座に近づいて、片っ端から顎を手のひらで撃ち抜き気絶させる。

 通り過ぎながらで気絶させられる顎パンは首トンよりも楽だな、なんてことを考えながら、魔術師らしき男どもは全員()した。


「さて……昨日はうちのモンが世話になったな?」

「その言い回しは私どものものだと思うのですが」

「発言の自由は許さないと?」

「そんな揚げ足を取らないでくださいよ。改めましてようこそ、召喚者の綾乃葵様」


 味方の大多数がやられているのに余裕の表情と態度を崩さないのはボス自身の器の大きさか、あるいは周りに控える三人が凄い実力者だからか。

 ガタイの良い巨漢二名に、アンジェの指しただろう凄い強い人とやらが一名。

 見た目と魔力量から前者二人が近接で後者一人が魔術師と考えるべきだな。

 大柄の近接二人は結愛とアカからも聞いているし。


「下に送った仲間はどうしていますか?」

「全員気絶させたよ。三十分くらいは寝たままだろうな」

「そうですか。しかしここまでうちで働く人員を気絶させられたのであれば、営業妨害で訴えられますかね?」

「できるならどーぞ」


 訴えられるのならすればいい。

 そうなった場合は彼らの行っている事業が白昼の元に晒されることとなるし、もし仮に自爆覚悟の訴訟を起こされた場合は最悪――本当に最後の一手だが、召喚者特権で今回の一件を無実にしてもらえばいい。

 尤も、このボスはそんなリスクを冒しはしないだろうが。


「にしても召喚者、か。一日でよく調べたな」

「あなたは有名ですよ。大戦を終わらせた立役者として顔と名前は広まっておりますから」

「そんな嘘で誤魔化せるわけねーだろうよ。大方後ろに権力者とかがいるんだろ? 悪党の闇に片脚突っ込んだ商売にはそーいうのがいるってのはお決まりだからな」

「嘘などではないのですが……いいでしょう。ともかく、こうしてお喋りをしていても始まりませんね」

「そうだな。全員で来ていいぞ。後ろの()()も含めてさ」


 後ろに控えている魔術師はピクリと眉を動かした。

 焼けた肌に青みがかった白い髪。

 フードの奥に覗く瞳は橙色に輝いていて、ジッと俺を見据えている。

 体格はゆったりとしたロングコートによって分かり辛くなっているが、俺と同じか一回り大きいくらいかな。

 見覚えはない。

 けれど魔力から魔人だと確信を持って断言できる。


「……? 何のことでしょうか?」

「ハッタリ……じゃねぇな? 気づいてない――いや、知らないのか?」


 ボスと思しき優男はキョトンとした顔で問いを返してきた。

 それを聞いてブラフを疑ったが、一瞬だけ覗いた脳内は嘘などついているようには見えなかった。

 つまり、ローブの男が魔人だと言うことを知らない、ということだ。


「ほーん……? 洗脳って様子じゃないしな……情報取集が目的か?」

「……何のことでしょうか?」

「とぼけるよな。ま、実際お前がどんな存在でも問題はないんだわ」


 後ろの魔術師がどんな目的で動いていようと関係ない。

 俺がここに来た目的はたった一つだけ――


「今すぐミウさんとの契約を破棄するんならここで引き返す。もちろん口頭じゃなくて書面でな」

「昨日もお伝えした通り、それは出来かねます。私どもにも――」

「じゃあいいや。こんなことせずに明日から真っ当な仕事を探すんだな」


 手首を振り、肩と首を回し、腕を伸ばして屈伸と伸脚を行う。

 最後に大きく伸びをしてから、不意打ち対策に“魔力感知”全開で振り向いて、目を瞑るミライちゃんへと合図を送る。


「よく我慢してくれたね、ミライちゃん。目、開けて大丈夫だよ」


 俺の声はきちんとと届いたようで、ミライちゃんはミウさんの胸元に埋めていた頭を上げて恐る恐るその目を開く。

 その黒い瞳を真っ直ぐ見据えて、一番重要なことを伝える。


「ちゃんと見ててね。俺が戦うところ」

「は、はい」


 ミライちゃんの戸惑い混じりの返事を聞けたので、俺は最後に深呼吸を挟む。

 それを戦闘のスイッチとしてギアを入れ替え、ボスへ向けて一直線に突撃する。

 ボスは結愛たちが戦った時も干渉はしてこなかった。

 けれど、優男の整った顔は見ているだけでイラっとするので真っ先に処理を――


「……!」

「っとなればまずそうくるよな!」


 進行方向に影が差し、それが俺の胴体くらいある腕を振り下ろしてくる。

 急制動し振るわれた腕を支えに跳び箱のように上へ避ける。

 空振った腕はそのまま勢いを止められずに床へと叩きつけられ、鈍い轟音と思わず目を閉じそうになる風圧を引き起こす。

 床が抜けてもおかしくないほどの威力だが、当たらなければどうということはない。


「っとと」


 腕を支点に巨漢の上を取ったのでそのまま攻撃を仕掛けようとして、飛来した風の刃によって阻まれた。

 上下反転した世界で放たれた魔術を魔力を込めた脚技で霧散させたときには、支えにしている巨漢が既に反撃の体勢に移っていた。

 真下から放たれた手のひらで支えるには大きすぎる拳を上――天井に張り付くようにして避け、重力をプラスした拳を肌が晒された脳天へ叩き込む。


「――へぇ」


 頭蓋を叩き直接脳を揺らすつもりで放った一撃は、一瞬で距離を詰めてきたもう一人の巨漢によって止められた。

 ガタイの割に動きが素早く、聞いていた以上の速度を持っているように見える――なんて、暢気にそんなことを考えている場合ではない。

 止められた拳を一回りも二回りも大きい手に捕らえられ、巨漢を中心に独楽(コマ)のように回されている。

 もう一人の巨漢はしゃがみ込み、その回転に当たらないようにしているのが背中越しに見えた。

 何とも連携の取れた動きだろうかと感心しつつ、靴に付与されている魔術を行使する。


「――!」


 パシュッと子気味良い音を立てて靴底から人体を浮かすの風が射出され、俺の体が上へと弾かれた。

 巨漢の腕は俺の体ごと上へと跳ね上げられるが、一度始めた回転を容易には止められない。

 慣性そのままに体幹、腹、足と空中で動員できる全ての筋力を集中させて、オーバーヘッドの要領で今度こそ巨漢の一人の脳天に脚撃を叩き込んだ。

 脳にそこそこ重たい一撃を喰らわせたことで握力が弱くなり、その一瞬で俺は拘束から脱する。


「わぁっとと――あっぶねぇなぁ慣性」


 ぶん回されていた時の慣性は巨漢を熨したところで消えるはずもなく、あともう少しで壁に衝突して情けない姿を晒すところだった。

 ……いや?

 ミライちゃんの能力を考慮するならダサい姿を晒していた方が効率は良かったかかもしれない。

 まぁだからと言って今から壁に当たって「ぐふっ」なんてやっても意味はないな。


「ともあれまずは、これで一人」


 最初に攻撃を仕掛けてきた巨漢が俺の方を睨んでいる。

 蛍光灯の光を受けてピカピカ輝く頭頂部に、強面の顔、更には俺の三倍はあるガタイの持ち主に睨まれると流石に委縮してしまいそうだ。


「魔人……だよな、アレ」


 独り言の対象は、戦いが始まってから一歩も動いていない魔術師。

 魔力や気配は紛れもなく魔人のそれなのだが、魔術の精度やら威力が魔人のそれとは比較にならないほどに弱い。

 銀等級だと言われれば納得できるだけの技量ではあるのだろうが、魔人に匹敵するかと言われると……頷けはしない。

 変装や潜伏に長けた魔人である可能性も考えたが、その場合はレベルが引く過ぎる。

 魔人の魔力や気配を知らなかったり、あるいは感知できなかったりするのが普通らしいからこのレベルでも通用するのかもしれないが、主要都市に潜伏するレベルとは到底思えない。

 魔人バレを恐れ、違和感のない程度に技術を落として戦っている、と考えるのが妥当だろうか。


「倒すと靄になって消えそうだしな……捕えて固めて尋問でもするか」


 あの靄が空間を越えて発動できる類のものなら固定の意味はなくなるが、まぁ実験だ。

 どうせ逃げられたとしても、大戦のときに魔人を包んだ靄の正体には近づける。

 気を取り直し、再度ボスへ向けて突撃する。


 先に動いたのは巨漢ではなく魔術師。

 風の刃が無数に飛来し、速度のままに突っ込めば軽く腕一本程度なら持っていかれそうな威力と化している。

 一度に多数発動し一斉に射出するのではなく、一発ずつ発動し射出、射出後即座に発動し射出と繰り返している。

 銀等級レベルの偽装としてはなるほどと納得できるが、慣れていないのかやはり偽装は拙いと言うべきか。

 先の予感を確信に移しつつ、全ての刃を避けながらボスへと近寄る。


「させん」


 刃の軌道の外から存在感を示すようにしてやってきた巨漢が、両手を合わせて真上に振りかぶる。

 動作自体は非常にのろく、“身体強化”なしの俺でさえ対処できそうだ。

 しかしそれは、あくまで巨漢単体での場合。

 今は風の刃が真正面から絶え間なく打ち続けられていて、しかもそれは俺を傷つけることから逃がさないことを目的としたものへと変わっている。

 前後左右に逃げ場なく、上下も当然、魔術に当たる。

 絶体絶命。


 そんな状況で俺は、アンジェの結界で守られているミライちゃんへ視線を送る。

 目と目が合い、好きだと気づくよりも早く、ミライちゃんが嫌なものから目を逸らすように目を閉じた。

 ミライちゃんが律義であること、約束を守ってくれること。

 その二点を信じた結果が今。

 心の中で「ありがとう」と感謝を述べて、ついでに「俺みたいな奴に騙されないようにね」と願う。


「ヌゥンッ!」


 剛腕が振るわれ、俺へと当たることなく床へと叩きつけられた。

 前後左右、それに上下を塞がれた程度で攻撃を喰らう程、今の俺の手札は貧弱じゃない。

 召喚者について調べたのなら、俺が空間に干渉できることも知っていておかしくなかったが……どうやら対応策はなかった――


「――マジかよッ」


 ミライちゃんの近くに転移した俺は、背後で起こった事態に小さく悪態をつく。

 俺を囲むようにして放たれていた魔術が直進の軌道から外れ、俺を追尾するようにして直角に曲がったのだ。

 これがアカの言っていた『異常な挙動』だと確信を得てから、それでもやるべきことは変わらないとアンジェへ合図を送る。

 右手の親指と小指を立て、手首を捻ってそれを百八十度回転させる。

 電話を示す手遊びの一種に動作を加えたもの。

 元の電話からは意味がかけ離れているが、今回限りの即興なので問題なし。

 二人の傍に着地した俺は驚くミウさんに心の中で謝罪しつつミライちゃんの額に触れる。


「どうにかするから。大丈夫」


 昨日、結愛やアカから話を聞いて、ずっと考えていた。

 予知夢――いわゆる未来視の類に、どうすれば対抗できるのか、と。

 漫画やラノベの主人公なら、きっとこんなものは努力でどうにでもしただろう。

 でも俺にそれができるとは限らない。

 今のように何度も何度も異常な挙動を取られれば、いずれ普段割くことのない思考によって動きが鈍り、目的を果たせなくなる可能性もある。

 ならばどうするか。

 それを考えた結果、一つの答えに辿り着いた。

 確定した未来を変えることが漫画の主人公にできて俺にはできないのならば、俺にできることで代用すればいい。

 発想の転換――確定した未来を現在の努力でどうこうできないのなら、確定した未来そのものを変えてしまえばいい。

 例えばそう、初代勇者の能力を使(こうや)って――


「翻訳」


 発動のトリガーとなる名を呟いて、俺はミライちゃんの予知夢へと潜り込む。






 そこは、さっきまで俺がいた場所と遜色ない一室だった。

 机や椅子などの家具の位置や俺の手によって気絶させられ床に突っ伏している人たちなど、細かいところをとっても違和感が全く感じられない。

 アハ体験で出されてもおかしくないレベルに酷似した世界が、ミライちゃんの見る予知夢の世界――いや、この場合は予知夢というより“想像”の世界と行った方が適切か。

 ただ、この世界をアハ体験として活用するのは無理そうだ。

 なにせ――


「放送コードに引っ掛かりそうなくらいグロい肉片になっちゃってるよ、俺」


 ミライちゃんは想像したのだろう。

 あのまま風の刃の包囲網から抜け出せず、振り下ろされた腕に押し潰された俺を。

 結果がこれか。

 床に大量の血で染みを作り、頭から体が全体的に潰されて、腕と足が千切れている。

 腕と足はこれ、体だけが潰されたから原型を留めてるのか。

 そこまで正確に想像できてしまうとは、やはりミライちゃんの想像力は常人のそれとは比較にならないほどに正確無比なんだな。

 これなら母親が死ぬ予知夢を見たからという理由だけで、学校よりも優先してダンジョンに潜入しようとするのも頷ける。

 あのまま俺が転移で避けなかったら、こうなっていたのはほぼ間違いないからな。


「……誰、ですか?」

「わからない?」


 いるだろうとは思っていた。

 ここはミライちゃんの想像の世界。

 本来はあり得なかった未来の世界。

 だから、それを想像したミライちゃんの意識が存在するのは、至極当然の結論だ。


「顔がモヤモヤしていてわかりません。声もとても聞き取りづらいです」

「……強引に入るとそうなるのかな」


 想像()の世界のことはよくわからない。

 詳しく調べてみたい気持ちになるが、今の目的はそうじゃないので一旦諦める。


「お――僕が何者かは気にする必要はない。ただ今日は、君の間違いを指摘しに来た」

「間違い……?」

「そうだ。間違いだ」


 俺、と言いかけて一人称を変える。

 ミライちゃんに俺の正体がバレていないのならそれでいい。

 何ならそっちの方が都合がいいかもしれない。

 こっちに来る前に俺自身が「どうにかする」と言ってしまったが、まぁいいのだ。


「君は自分の予知夢で未来を決定してしまうから、その力を忌避――嫌だと思っている。そうだな?」

「……うん。私はあのお姉ちゃんのことを傷つけちゃったし、似たようなことがいっぱいあったの。だからそうならないようになればいいなってずっと思ってた」


 なまじ精度が高い故に、ミライちゃんは考えてきたのだろう。

 自分の所為で誰かを傷つけたという経験をこの年でしたと考えれば、むしろ自棄になったりしていないことを褒めるべきだ。

 でもそれは、今の俺の役割じゃない。


「一つだけ訂正しておく。君のその力は決して絶対なんかじゃない」

「……今まで夢で見たことは絶対に起こったんです。だから――」

「絶対だと? じゃあ一つ思い出してみるといい。君が今一緒にいる人たちに何と言ったのかを」

「今いる人たち……お母さんが――」


 そこまで言いかけたところで、ミライちゃんはハッとした表情になった。

 そう、ミライちゃんが俺たちと接触したときに説明したこと。

 「お母さんが死んじゃう」はまだ現実になっていない。


「その場所はどこだった? この部屋だったか?」

「ち、違う……ダンジョンだった」

「ほら見ろ。絶対じゃないだろ?」

「で、でも――」

「じゃあもう一つ、絶対じゃないことを証明しよう」


 振り向き――といっても今の俺は顔無しらしいのでどこを向いているかはわからないかもしれないが、まぁいい。

 俺の視界はきちんと、攻撃される直前の俺を映している。

 巨漢が両手を組んで振り下ろし、俺の周りを風の刃が取り囲む様を。


「ここは君の想像の世界。君が今ある現実から想像した世界。じゃあなんで、君が見たこともないはずの僕がここにいるんだろうね?」

「……あれ」


 ミライちゃんの予知夢――想像が確定した未来を視る能力ならば、外からの干渉は不可能。

 これまではそうだったらしいし、この想定は間違っていないはず。

 なら、俺がここにいるという事実そのものが、ミライちゃんの意識に大きな変化を齎すことになる。

 いるはずのない人間がいる。

 見聞きしたことのない人間が、得体の知れない何かが想像の世界に割り込んできた。

 その事実が、ミライちゃんの意識にあった“絶対”を打ち破る鍵となる。


 本当は、ミライちゃんの意識がある中でこの世界を俺が改変し、改変した結果を想像の結果――訪れる未来として確定させるつもりでいた。

 でも今なら、それをするよりももっと効果的に事態を好転させられそうだ。


「俺が証明する! 君の予知夢――想像は絶対なんかじゃない! あっちの世界に戻ったら目を開けてみるといいさ! それだけで俺の言っていることは全てわかる!」


 全てを言い終えた後で一人称が戻ってしまっていることに気が付いたがもう遅い。

 俺の意識はスーッと薄れていき、現実へと引き戻されるのを感じる。

 最近は滅多に訪れることのない、あの白い空間から目覚める時と似たような感覚だ。

 今の俺は不自然に曲がった風の刃に負われているはずだから、戻ったら即座に意識を切り替えなきゃいけないな。

 そこだけ注意して――






 自分の体が重たく感じる。

 重力の影響を受け、筋肉量の多めな俺の体が、足が、自重を支えているのを感じる。

 想像の世界では気付かなかったが、どうやら感覚というものは違っていたらしい。

 なんて、そんなことを考えている場合じゃないな。

 あっちの世界でミライちゃんの意識に啖呵を切った以上、きっちり役目は果たさなきゃいけない。

 同じタイミングで想像の世界から戻ってきたらしいミライちゃんが、恐る恐る目を開けた。


「大丈夫。何とかするよ」


 想像の世界で見るも無残な姿で命を失っていた俺が、目の前で笑顔で「大丈夫」と言った。

 その意識の食い違いに混乱しているミライちゃんを尻目に、迫る風の刃を“魔力感知”できちんと捉える。

 数は四十九。

 それ以降は曲がりかけているヤツや直進しているヤツで実害ないので無視でいい。

 不吉を連想させる数に怖さを覚えながら、俺は腰に提げたままの『無銘』に手を添えて――


「――あ」

「……え?」


 バシュウッ! と空気を圧縮し射出する音が聞こえたと思えば、一直線に向かってきていた風の刃は物凄い風圧により、そのほとんどが原型を留められずに霧散していった。

 霧散しなかった刃も風に押し流され、あらぬ方向へと飛散していった。

 俺が『無銘』を抜き放ち全てをぶった切るまでもなく。

 とてもあっさり。

 それはもう呆気なく。

 ここはギャグマンガの世界か? と疑問を呈(げんじつとうひ)してしまうくらい簡単に未来が変わった。


「……「合図したら俺ごと守って」とは、こういうことではなかったのですか、マスター?」

「あー……うん。想像以上だナイス活躍」


 未来(そうぞう)を変えたという結果さえ得られたのなら、そこに至るまでの過程なぞどうでもいい。

 今回に限って言えば、俺が格好つけられなかった程度の変化しかないんだから、無駄に傷ついたり精神擦り減らしたりしなかった分……うん、いいじゃないか。

 そう思うことにしよう。


「……さて。当てが外れたな? ボスとやら」

「ッ――!」

「お前が終始余裕な態度を崩さなかったのも、護衛の強さを信じていたんじゃなく、ミライちゃんの能力と経験からくるネガティブ寄りな思考を利用していただけなのはわかってんだ」


 仲間の大半がやられてもなお余裕そうだったのはそう言う絡繰りがあった。

 思考を読まずとも、アカの時と今この時のボスを見ればわかる。

 焦り――いや驚きか。

 絶対の自信があった策が打ち破られて面を食らっているような表情。

 他人の表情や気持ちを悟ることに関してはずぶの素人である俺ですらわかるほどの動揺。

 確信を得るには十分すぎる。


「さぁどうする? こちとらまだまだ余裕があるが、大してそっちは残り二人。そっちの魔術師はアンジェが相殺できるし、ワンオンワンなら俺はそこの巨漢とも戦える。考えを改めるなら聞いてやるが――」

「ふ、ふざけるな! まだ負けてない! 戦いはこれからだ!」


 初めて見る激情。

 優男の風貌は既になく、ヒステリックと化したボスは見るに耐えない。

 挑発を込め、肩を竦めて両手を上げ、やれやれとばかりに首を振る。

 怒りのボルテージがどんどんと上がっていくのが真っ赤になる顔からも見て取れる。

 そこに対して非常に面白い、なんて考えてしまうあたり、自分の性格の悪さを自覚できてしまうので嫌だ。


「秘策があると言うから乗ったが、それも打ち破られた様子。私一人でどうともならないと判断したから、私は帰らせてもらう」

「なッ――ま、待て! 貴様ッ、仕事を放棄する気か!」

「仕事は大切だ。だがそれは命あっての物種。無為に捨てるほどの恩義は、貴様にはない。契約を違えてしまった違約金は置いていく」


 懐から手のひらに乗るサイズの袋を取り出して、散乱した机の上にそっと置いた。

 ジャラと音が鳴る辺り、相当な量の貨幣が入っていると予想できる。

 怒りが留まることを知らないボスを尻目に、俺はこの場から逃げようとする魔術師へと話しかける。


「よう、魔人。逃げるのか?」

「勝てない勝負はしない。今はまだ、貴様に勝てる時ではないからな」

「まるで時間をかければ勝てるかのような口ぶりだな」

「時が来ればわかる」

「そうか。それはそれとして、俺が逃がすとでも思ってんのか?」

「捕縛する気なら好きにしろ。ただし私から情報を抜き出せるとは思わないことだ」


 フードの奥に覗く表情は絶対の自信があるように見える。

 ……いや?

 本当に自信があるのか?

 表情から心理を悟るのは不得意とする分野だが、先のボスから得た直感に似た何かが、魔人と思しき魔術師のそれを勘繰る。

 だから、少しの頭痛と引き換えに、その心――言葉の裏を理解することにした。


「拷問に対する耐性……じゃねぇな? ……なるほど。情報吐きそうになったら自爆させられんのか」

「ッ!?」

「ハッ。ハッタリなのに上手くハマったなぁ? お前諜報員にゃ向いてねーぞ。中村の側付きと変わったらどうだ?」


 俺の力だと言うことを悟らせないように、ハッタリ――ブラフだと嘘を吐く。

 まんまと口車に乗り、情報を与えてしまった愚かな奴だというレッテルを貼りつけて、魔人の動揺を誘えた。

 まさに一石二鳥。

 話術が上手くなったと勘違いしそうなくらいに上手く事が運んでいる。


「――チッ。てめぇはいつか殺す」


 それに答えるよりも早く、魔人は転移で姿を消した。

 俺が魔術の起動を悟れないほどの精密な“魔力操作”――じゃないな。

 僅かに残った残滓から、今の魔人の魔術じゃないことはわかった。

 これはおそらく――


「――とにかく、あいつが魔人なのは確定だな。……この様子だと他の国でも潜伏してそうだなぁ」


 中村が去り、魔王軍最大の情報源だった側付きがいなくなってからは吸血鬼を通して情報を得ていた。

 そう結論付けていたが、魔王側はそこが潰されることも読んで予め魔人を潜伏させていたのか。

 あるいは、吸血鬼の情報網が潰されたから慌てて魔人を派遣したか……今の魔人の素質を見ると後者に思える。

 ただ確定はしない。

 もし潜伏させている魔人の数が多かった場合、これで対処したと考えるのは愚行も愚行。

 このことは人間側で周知させていった方がいいだろうな。


「さて、と――そういやまだ終わってなかったんだっけ」


 怒りが有頂天になっているのだろうな。

 握りしめられた拳は今にも血が噴き出そうなくらい強く握られていて、体全体が小さく震えている。

 俯いているから表情はわからないが、歯を食いしばっているのだろう。

 ギリッやガリッと言った音の合間に怒りを汲み取れる吐息が聞こえる。

 一方で、ミライちゃんの想像の世界で俺を殺した巨漢は全てを察したかのように呆然と立ち尽くしていた。




 そんな彼らを拘束し、召喚者特権を濫用して警察に出張ってもらうのには、そう苦労はしなかった。







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