第一話 【進展】
吸血鬼の国での一件からひと月が経過した。
五千年前から存在する国や場所をコージの協力を得て徹底的に洗い出し、『勇者の系譜へ』を新たに三冊発見できた。
まず最初に王国。
ソフィアさんとシナンさんの協力を得てあっさりと発見できた。
書かれていたのは天の塔の存在とそれが見つけられない理由。
そして、ダンジョンの最奥に何があるかの二つ。
次に神聖国だが、こちらは天の塔に関することと精霊との契約について書かれていた。
マルセラさんが教皇として代々継いできたものだったのでこちらもあっさり発見できたが、内容はどちらも既に知っていることもあり徒労感に襲われた。
そして最後は共和国。
国立図書館の最奥に大切にしまわれていたので王国と神聖国に比べて探し出すのに時間はかかったが、それでもやはり吸血鬼の国との労力と比べれば楽だった。
書かれている内容はこれまで見つけてきたものよりも遥かに多く、まだフレッドの翻訳待ちなので内容まではわからないが、全五ページに渡って文字が書かれているらしい。
そもそも、今まではepに加えて数字が書かれていたのに、この一冊だけにはその表記がなかった。
もしこれが全部の裏表紙纏め、みたいな感じだったら、神聖国に時とは比にならないくらいの徒労感に襲われることになるだろうな。
あいや、もし纏め本だったらまだ見つけてないep4と、紛失してまだ読めてない獣人の国のep5の内容がわかればプラスになるか。
ともあれ、そんな仮定の話でしかない愚痴は脇に置いておくとして、今は最後に見つけた共和国の『勇者の系譜へ』の転写待ちだ。
その間にやれることをやっておこうと言うことで色々な場所へと赴いたが、想像していたよりも時間がかかってしまった。
半日――どれだけかかっても一日程度で終わる裏表紙の転写に対して、俺が使ったのは一週間。
遅刻なんて騒ぎじゃないくらい時間をかけてしまった。
「……」
戻ったら結愛にどやされるのは間違いないので、その心の準備だけはしておこう。
「随分と遅かったわね」
「すみませんでした。思いのほか時間かかっちゃって」
一週間ぶりに戻ってきた部屋で、俺は正座をしながら案の定結愛に詰められている。
そうされても文句を言えないだけのことをしたのだから、この状況は受け入れざるを得ない。
いや、何もしなかったから、という方が正しいか?
「葵くんが時間を忘れてるくらいだから大事なことだったのでしょうけれど、せめて連絡くらいは欲しかったわ」
「はい……」
「みんな心配してたんだからね?」
「はい、ごめんなさい」
「わかればよろしい。報連相は大事にね」
「……はい」
怒髪冠を衝く程ではないが、それでもしっかりと叱られた。
結愛の言い分は何一つ間違っていないので、きちんと反省する。
「それで葵くん。首尾の方はどうだったんだい?」
「えっと、まぁ無難にと言いますか、やるべきことはしっかりかっちりやってきましたよ」
ラティーフやアヌベラを精霊の森や天の塔へ送迎し、召喚者たちの様子を確認して、帝国の状況や今後について話したり。
その他諸々、来たる大戦へ向けて必要だと思ったことの多くをこなしてきた。
そう言う意味では、遅刻に見合う十分な成果を得られた――と、こういう前向きのようで実は何も考えていない思考はよくないな。
さっきの反省するとは何だったのか。
「どうしたんだい? 頭を振って」
「……いえ、何でも」
「そうかい? まぁ葵くんが無事だったならいいんだよ。僕たちも心配していたからね」
「ご迷惑をおかけしました」
「いいんだよ。結愛が言ったように、次に活かせる程度の失敗ならどんどんしていくといい。もし失敗しても、僕たちがフォローをしてあげるさ」
「あら。大人とか言いつつ守られてるだけのあなたが、葵くんの失敗を肩代わりできるとは思えないのだけど?」
「ちょっ、せっかくかっこつけたのに台無しにしないでよ!」
先程までの真面目な雰囲気が、大地さんと真衣さんのやり取りで一気に和む。
一週間の大半をほぼ一人で過ごしていただけに、こういう和気藹々とした場にいると戻ってきたんだなと言う時間が湧く。
それと同時に、普段はあまり口を出さず、俺たちのしたいようにやらせてくれる大地さんにまでこう言わせてしまうとは、やはり相当心配をかけてしまったようだという自覚も芽生えた。
確かに、逆の立場になってみればその心配は当然と言える。
結愛が出かけて一週間も連絡が取れなくなったら、帰ってきたときに色々と言いたくなる。
それほどのことをしでかしたのだと、先程自覚した反省が大きくなっていくのを感じる。
「葵が戻ってきたって――葵? 大丈夫か?」
「え? あ、すまん。大丈夫だよ」
「そうか? 一人旅で疲れたならこれ後でも――」
「大丈夫だって。ちょっと考え事してただけだから」
顔を覗いて心配してくれるフレッドの心遣いはとてもありがたいが、本当に考え事をしていただけなので心配はない。
それを証明するべく、俺は右手のひらを差し出す。
「それ、ありがと。今すぐ読んじゃうから」
「そう? 本当に無理はするなよ? 葵は要なんだからな?」
「要って程でもないだろーよ」
フレッドから手紙を奪うように預かって、備え付けの椅子に腰かけて紙面に目を落とす。
「ぁ、マスターだぁ。帰ってきてたんだねぇ」
「ついさっきね……マスターってなんだ?」
今しがた起床しました、という雰囲気をガンガンに漂わせるアンジェが、聞き慣れない単語を口にして隣の部屋から出てきた。
寝起きのソウファを彷彿とさせる欠伸をして、自身の寝起きの状況は微塵も知らないであろう元気溌剌なソウファと挨拶を交わしている。
普通の人なら昼夜逆転と言われる夕方起床でも、吸血鬼のアンジェからすればむしろ今が朝だ。
アンジェには太陽光の影響を軽減する結界があるが、それでも可能な限り夜に活動した方がいい理由があるし、夕方起床を責めるわけにもいかない。
と、今はそんな当たり前の整理よりも――
「みんなと同じ呼び方だとなんだかなぁと思いまして……」
「それでマスターか。まぁ主様呼びがいるからもうその辺の特殊呼称には慣れたけど……今のセリフはどこかで聞いたの?」
「……?」
「いや、心当たりがないならいいんだ」
大昔の某ラブコメのヒロインの口癖に、アンジェが発した言葉と同じものがあった。
アンジェがそのアニメを知るわけがないのだから、今の問いは本当に無意味なものだったな。
マスター呼びはまぁどうせ変えられないだろうから認めるとして、今はいつもより書かれている文章の多い紙面へと視線を戻す。
最初の方は既知の情報――これまでに読んだことのあるep1~3までの情報が書かれている。
俺の悪い妄想通り、吸血鬼の国、王国、神聖国での本探しが無駄だったと言うことの証明だ。
思わず漏れそうになった溜息を押し殺し、次から書かれているであろうまだ見たことのない新規情報に期待することにする。
「……なるほどね」
「何が書かれてたんだ?」
「半分は今まで見つけて翻訳してきた裏表紙の内容だったよ。で、もう半分はまだ見つけてないep4と獣人の国のep5だった」
「つまり、葵が想像してた通りだったってことか」
フレッドの言葉に肩を竦めて肯定する。
紙をペラペラと靡かせて、新たな記述のあった残り二つの説明をする。
「新情報だったのは二つで、一つは獣人の国の秘密……と言っても、これは既にソウファが獲得してる“身体強化”の話だね」
「“身体強化”? 主様、それは普通のと違うの?」
「違うっぽい。ソウファがなんて教わったのかは知らないけど、ここには“獣神化”って書かれてる。肉体強度が獣人並みの個体にしか使えない奥義のようなもので、魔力を意図して高速循環させる“身体強化”に対して、血液を意図的に高速で循環させることで肉体の強化を図るらしい」
完結した大人気漫画の主人公が使ったものと同じ原理じゃんと、言葉にはせずに内心でツッコミを入れる。
なんとなく、これは言葉にしない方がいい気がした。
「ふぅん……ワン〇ースのル――」
「わーわーわー!」
せっかく俺が考えるだけで言葉にはしなかったのに、大地さんが思ったことをそのまま言おうとしたので慌てて妨害した。
それに驚いて大地さんが口を閉じた。
「それで、もう一つは?」
俺の意図を察してくれたのか、あるいは普通に続きが気になったのか。
おそらくは前者だろうが、結愛が話の続きを促してくれた。
それに内心で感謝しつつ、再び紙面へと視線を降ろす。
「えっとセイレーンに関することかな。なんでもセイレーンには、歌声で他の生物を魅了する効果があるらしいけど……」
「けど?」
「水を介してのみ発動するものらしくて、地上では役に立たないだろうってさ」
「そう……海でなら役に立ちそうだけど、大戦で海上戦は起こらないでしょうからね」
大戦に役に立つものだったのなら、ここから西の海にあるとされるセイレーンの海中都市まで赴いただろう。
今のところは協力を願う必要性を感じないので、もしセイレーンの都市へ行くことになるとしたら大戦が終わった後の観光程度だろうな。
海中を移動する術を身に着けなければならないし、そもそも観光をする時間や余裕があるかどうかは別として。
「まぁそんな感じで、特段重要そうな情報は書かれてなかったな」
「ふーん……」
「なにさ、そんな胡乱げな目で見てきて」
「いやぁ? 吸血鬼の国でも葵くんは情報を隠してたよなぁって」
「うっ」
とても痛いところを突かれ、思わずそんな声が漏れた。
確かにあの時は吸血鬼の――アンジェの“神憑き”のことを黙って一人で行動したが、まさかそこを突かれるとは。
これもこれで先の遅刻と同様言い逃れのできない事実であるが故に、反論などできず言葉に詰まる。
それでも、今回は隠し事などなくこれで本当に終わりなので、それを信じてもらうために照明をせねばならない。
「い、いやまあでもさ、隠し事くらい誰にでもあるでしょ?」
「声、震えてるわよ」
「くぅ……! なんだよ! 結愛には隠し事ないってのかよ!」
「隠し事くらいあるわよ」
「じゃあ結愛も俺のこと責められないじゃん」
「論点をずらすのは良くないわ。私が言っているのはあくまで過去の例から葵くんが何かを隠して無茶をするんじゃないかってこと。隠し事のあるなしをとやかく言おうとしているんじゃない」
「……」
ド正論パンチで殴られてしまえば反論の余地などない。
ただその言葉に頷くことしかできなくなる。
「でも今回は本当なんだよ。これで全部。お終い」
「ふーん……? ま、もし無茶をしそうならまた相談はしてくれるんでしょ?」
「え? あ、うん。報連相はなるべくするつもり」
「つもり?」
「いえ! 報連相します! ほうれん草大好き!」
「二個目は違う方を思い浮かべて言ったでしょ。ま、いいわ。今回は認めてあげる」
どうにか結愛の許しを得て、俺はホッと一息つく。
一連の様子を眺めていたフレッドが俺の肩に手を置いて、慰めるように頷いた。
お前もわかるのか、と思ったが、フレッドは今結愛の婚約者だ。
俺と旅を共にする前は一緒にいたのだから、この苦労がわからないはずもあるまい。
そう考えると途端に湧き出る憎しみでフレッドを睨みつけそうになる。
というか睨んだ。
「それで葵。今後はどう動く?」
「ん……んー。取り敢えず、王国と神聖国の裏表紙にあったダンジョンの最奥を目指すのが良いかなって思ってる。日記に書かれてた歴史の真実だけじゃ、どうしてもわからないことがあるんだろ?」
「ああ」
「なら、その確認に行こう。ダンジョンは地下だからアンジェも存分に動けるだろうし、俺たちのいい鍛錬にもなるだろ」
「そうだな」
次の目標はこの国の中心にあるダンジョンの最奥。
今だ底の見えないダンジョンだが、初代勇者はこんな書物を残している。
まるで、ここに来ることは大前提とでも言わんばかりに。
問題は初代勇者が想定した場所まで辿り着けるかというところだが、それに関しては問題ない。
つい先日――と言っても一週間くらい前だが、小野さんと二宮が到達階層を更新したし、それ以上の戦力がある今の俺たちならば、踏破くらいならできる。
アカも引っ張って来れればもっと楽になるんだが……。
「そういやアカは?」
「師匠は他の竜人のところへ報告に戻るって。もうすぐ帰ってくると思う」
「そうか。まぁ帰ってきたところでダンジョンに潜ってはくれないだろうな」
「葵の監視目的で来てくれるんじゃないか?」
「ダンジョンで俺ができることなんて限られるだろうし、今までの一週間についてこなかったアカがそこまでするかね?」
「さあ? でもまだ師匠は葵のことを警戒してるっぽいし……」
俺に対するアカの心象は、イマイチわからない。
初対面からずっと、俺の内側にいるこの世界を滅ぼしかねないオレを警戒しているのは変わっていないだろうが……
「――ダンジョンの最奥か」
「あ、お帰り、師匠」
「……未だ何が存在するかわからないダンジョンの最奥に興味はある」
「つまり、ついてきてくれるってこと?」
「ああ。今回は私的な感情で同行するから助力もしよう」
「……すっげぇ助かる」
アカの参加は想定外だったが、より効率的に攻略が進められるのならこれ以上はない。
召喚者二人に勇者、銀等級の組合員が三人に加えて銀狼に吸血鬼に竜人に精霊と、これで攻略できないダンジョンなら攻略なんて無理ゲーだと言っても過言でないほどの戦力が揃った。
「なあ、葵くん」
「なんでしょう、大地さん」
ダンジョンを攻略してその最奥にあるものを見て。
そのあとはどうしようかと捕らぬ狸の皮算用をしていたら、大地さんから声を掛けられた。
いつもよりも自信なさげと言うか、申し訳なさそうに頬を掻いている。
「そのダンジョンなんだが、僕と真衣は行かなくてもいいかな?」
「え? あーまぁそれは構いませんが……何か行きたくない理由でも?」
「いや、トラウマがあるとかそう言うわけではないんだがね? 純粋に、僕たちじゃ足手纏いになると思ったんだよ」
「そんなことはないと思いますけど……お二人とも銀等級なわけですし」
組合員が指定する等級は、その本人に実力や人柄を正しく評価している。
銀等級という位は組合員に与えられる等級の中で実質的なナンバーワン。
人柄がよく、実力も兼ね備えた人として認められているからこそ、その等級が与えられている。
そんな二人がダンジョン攻略に際して足手纏いになるとは思えない。
潜ろうとしている共和国のダンジョンはとにかく広大であるがゆえに未だ完全制覇ができていないだけで、その適正は銅等級――いやその下の鉄等級ですら潜ることは認められているのだから。
「ダンジョンに潜る実力の有る無しじゃないんだ。単純に、葵くんたちの実力に追いついていない、という話だよ」
「……なるほど、そう言う話でしたか」
「そう。そう言う話だ。僕たちは可能な限り葵くんたちの手伝いをしたいと考えているが、それにも限度というものはある。次の大戦で葵くんたちと一緒に戦うことができないようにね」
大地さんは肩を竦めて、微笑を携えて言った。
諦めているわけではなく、単なる事実を述べているだけ。
俺たちが言い辛いであろうことを、率先して言ってくれているんだ。
「それに、吸血鬼の国で一週間以上も定期連絡ができなかったから、アヤちゃんたちに心配をかけただろう? もしもの時に連絡取れるよう、ここに誰かが残っていた方がいいと思うんだ」
「た、確かに……アヤさんにはこっぴどく叱られました」
その時のことを思い出しているのか、パトリシアさんはコクコクと何度も頷いた。
大地さんの言い分は正しい。
しかしここに二人を残して何かあった場合はどうする。
結愛が悲しむのは間違いない。
もう、両親を失って悲しむ結愛は見たくない。
近くにいてくれさえいれば、俺が身を盾にしてでも守れる。
だからこそ、置いて行きたくはない。
「葵くん。私の為に――とか考えてる?」
「……エスパーかな? それとも、俺みたいに心を読める術でも持ってる?」
「顔を見ればわかるわ。何か月の付き合いだと思ってるの?」
「そいつぁ嬉しいね」
結愛は昔から人の思考を読むのが上手かった。
それが今も遺憾なく発揮され、俺の思考がピッタリ当てられた。
「お父さんとお母さんはこの世界で八年近くも生きてきたのよ? それに、銀等級の組合員としての実力は、葵くんも知ってるでしょ? それこそ、魔人が攻めてこない限り負けることはないわ」
「フラグにしか聞こえないよ、それ」
「それに、もし心配ならパティに上げたあのコインを渡しておけば、何かあったらわかるでしょ?」
「確かに」
とても簡単な解決方法があった。
いやまぁ一瞬でも二人が危険に晒されるのは変わらないが、二人の危機に何もできないなんてことはなくなるか。
指輪から二枚コインを取り出して、それぞれ大地さんと真衣さんに渡す。
「もし何かあったらそれに魔力を込めてください。すぐに跳んでいきます」
「わかった。頼りにしてるよ?」
二ッと笑って、大地さんが冗談めかして言ってきた。
それに「任せてください」と頷いてから、目的のダンジョンへ潜るための準備を行う。
ダンジョンに潜るための準備といっても、大半は既に準備が完了している。
元々いつどこにでも移動できるように指輪の中には色々なものが入っている。
そこには当然のように治癒ポーションやスクロールなど、戦闘に備えたものも多数常備されているから準備という準備は心構えだけで十分だ。
各々が武装の手入れや確認をして、三十分と経たずに準備を終わらせる。
「では、行ってきます」
「いってらっしゃい」
「みんな気を付けてね」
大地さんと真衣さんに見送られて、俺たちは部屋を出る。
廊下を渡り、宿屋から出て、徒歩でダンジョンまで歩く。
アンジェのために作った移動結界は問題なく機能しているようで、昼間でも問題なく活動できている。
十分足らずで到着したダンジョンは前に来た時と同じで入り口の前に衛兵が立っている。
資格のない人間――組合員などの戦う力のない人間が間違って入ってしまわないように立っている人たちだ。
二人の衛兵に挨拶をして、俺たちはダンジョンへと足を踏み入れる。
「俺が“魔力感知”で敵の位置把握をして可能な限り戦闘を避けて進むから、敵が出てきたらアンジェに頼む」
「任せて!」
壁や天井が発光する人工的で不思議な空間。
自然が生み出し、魔力やそこに住み着いた生物などの様々な要因で変質したダンジョンとは違う。
初代勇者が作り出したとされるダンジョン。
巷で流れているこの話はあくまで噂でも、俺はこれが間違いのない事実だと思っている。
俺だけじゃないか。
『勇者の系譜』の裏表紙に書かれてたダンジョンの最奥にあるもの。
それを知っている俺たちなら、全員がそう思っているだろう。
「魔獣いないね?」
「そうだね……避けてるってのもあるけど、それ以上に数が少ない」
「そうなの?」
「うん。前来た時よりも圧倒的に。まぁ、前来た時でさえ少なかったんだけど……」
聞いたことのあるこのダンジョン話では、階層のボス――ゴーレムと会うまでに最短ルートを通っても五、六回は戦闘をするらしい。
それなのに、俺が過去ここに来た時は二回の戦闘でゴーレムのところまで着いた。
戦闘経験はあくまでついでだから今はいいんだけどな。
ただ――
「――結愛、パトリシアさん。直感発動してたりしない?」
「今?」
「うん。ないならないでいいんだけど……」
「……私はないかな」
「私も、結愛様と同じく」
「そう……ならいいんだ」
“いつもと違う”は何かの前兆だと感じてしまうのは、アニメや漫画の見過ぎだろうか。
とにかく、結愛とパトリシアさんの直感の良い組二人が何もないと言った。
俺たちが危機になりうる状況が差し迫っているわけではない、と考えていいだろう。
ただ、何が起こるかわからない。
それだけは念頭に置いて、“魔力感知”で常に状況確認を怠らず――
「――うん?」
「どうした? 葵」
「いや……うん、気の所為じゃないな」
僅かに広げた“魔力感知”――“魔力探査”の波に、ある反応を捉えた。
人間――それも、小さな子供の反応だ。
「子供がいる。人間の子供だ」
「子供? ダンジョンにか?」
「そうなるよね」
ダンジョンの入り口には衛兵がいる。
そんな衛兵が子供の侵入を見過ごすはずもない。
ということは、“魔力探査”で捉えた子供はこのダンジョンに潜る資格のある子供。
気に掛ける必要もない、けど――
「……子供」
「気になるか?」
小さく呟いたアカに問いかける。
俺の方をチラリと見てから、一瞬迷うような素振りを見せてから頷いた。
「ああ」
「私も気になるわ。もし余計なお世話だったらすぐに攻略に戻ればいい」
「……それもそうか」
確立された最短ルートでの攻略はできなくなるが、俺たちの戦力なら大した差でもない。
ルートを変更し、捕捉した子供の魔力の元へと向かう。
五分程度の道筋だが少し駆け足で進む。
ここはダンジョン。
魔物の数が少ないとはいえ、いつ魔物に襲われるかもわからない。
そんな俺の予想が現実になったかのように、魔物が子供の傍に現れる。
「――アカ。子供が魔獣に襲われそうだ。飛ばすから――」
「わかった」
俺が全て言い切る前に、アカは俺に向けて手を突き出してきた。
今の発言から俺がどう行動するのかを理解したのだろう。
素っ気ない態度で俺たちについてきているが、やはり監視は怠っていないのだろうな。
素早く思考して、アカの手に触れ少女の元へ転移させる。
これで、少女の命の心配はない。
「あとどのくらい?」
「走って二分弱」
「だからアカさんを飛ばしたのね」
「そ」
アカがいる限り少女の命の安全は保障されたも同然。
天地がひっくり返ったところでそれは覆らない。
書き起こしたらとんでもないフラグが立っていそうだが、それでもアカならそのフラグごと圧し折っていきそうだし平気だろう。
「あ、魔物倒した。すっげぇパンチでワンパンだよ」
「小さな子の前でグロ?」
「んにゃ、ぶっ飛ばして壁にぶつけてワンパン。位置取りで女の子の視界に映らないようにしてるよ」
魔物の対処やその後の対応の鮮やかさは流石というべきだな。
あの老人の弟子なら近接戦も得意なわけか。
敵に回したくはないな。
「お? おー……礼儀正しいな。お礼言ってるのか? いや、あのくらいの子ならこれくらい当然なのかな?」
俺があの子くらいの身長の年頃に、助けてくれた人にあんなに礼儀正しくお礼を言えただろうか。
お礼くらいなら言えたかもしれないが、あのアカの鋭い目つき――強面を直視して一歩も引かないなんて真似は出来なかっただろうな。
少なくとも、それだけの胆力は持ち合わせているというわけか。
見た目通りの年齢でただ勇気のある少女か、あるいは長命種の見た目と実年齢がかけ離れた女性か。
“魔力感知”の圏内に入ったので、向こうの状況理解と伝達を同時に行いながら走る。
「そこの角を曲がったら着くよ」
「おっけーい」
運よく魔物に出会うことなく、最短距離でアカの元へと辿り着く。
予め“魔力感知”でアカと少女の動向は把握していたが、辿り着いたそこでは一人で行こうとする少女を言葉足らずでも引き留めるアカの図が展開されている。
少女に迫る大人の男性という構図に見えないこともなく、傍から見れば一発通報案件だ。
「ちょいちょい、そこの女の子。ちょっと話を聞かせてくれない?」
「ッ――」
なるべく優しく話しかけたつもりだが、怯えるように少女は肩を震わせた。
少女に悪意は一つもないだろうが、それをされた側の俺は悲しい気持ちになる。
いや、よくよく考えるまでもなくその反応は当然なのだけども。
見知らぬ人がいきなり現れて魔物をぶっ飛ばし、礼を言って去ろうとしたら引き留められ、そこにゾロゾロと知らない人が雪崩れ込んで来たらそりゃビビる。
自分に絶対の自信を持っているならその限りではないだろうけど。
「葵。私が話すから」
「……お願いします」
少し大袈裟に。
情けなさを前面に押し出して、俺は結愛に続きを託す。
「こんにちは」
「こ、こんにちは……」
ゆっくりと近づいた結愛は、自分の手がギリギリ届かない場所でしゃがみ込み、少女と目線を合わせて挨拶を交わす。
笑顔で緊張感を与えず、むしろ解すように柔らかな喋り方をする結愛の姿は、迷子の子に話しかける女性店員さんを彷彿とさせる。
「私はそこの目つきの鋭い人の仲間で、ダンジョンを一人ぼっちで歩いているあなたを助けに来た人なんだ。怖がらせちゃってごめんね?」
「う、ううん。――あ、じゃなくて、いえ。私の方こそ、お礼が遅れてすみません。助けていただき、ありがとうございました」
「助けになれたのならよかった」
身振り手振りを加えて状況を説明し、少女が不安を感じているであろう部分の謝罪を行う。
それに対し少女は、慣れていない様子で謝罪を受け入れ、それどころか感謝の言葉を述べてきた。
明らかに不審者集団である俺たちから視線を外して、頭を下げて礼を言う。
そこまでの警戒心がないだけかもしれないが、結愛がこの一瞬でその警戒心を解したとも言える。
どちらにせよ、この場から離れたがってた少女と話し合いができる状況に持って行けた。
「それでね? あなたよりも大人な身分としては、ダンジョンにあなたのような小さな子が一人きりでいる理由を聞いておきたいの。話してくれない?」
「えっと……」
結愛の問いかけに、少女は言い淀む。
話したくない、どこかに行って欲しい。
そういう拒絶の間ではなく、話すべきかどうかを迷っている間だ。
「話すまで待ってるよ。ゆっくりでいいからね?」
拒絶ではなく迷い。
少女が抱くその感情を持ち前の感覚でしっかりと感じ取っただろう結愛は、やはり優しく笑顔で語り掛ける。
しばらく口を噤んだままだった少女は、大きく深呼吸をしてからゆっくりと口を開く。
「あの、信じて貰えないかもしれないんですけど――」
自信なさげに、しかし深刻な表情でそう切り出した少女は――
「――今日お母さんが、ここで死んじゃうんです」
――前置き通り、突拍子もないことを口にした。