【大戦に向けてできること】
「……」
王城にある図書室にて、私は司書さんのシナンさんに見繕ってもらった書物を熟読している。
紙面に穴の開くほど、脳に刻み込むようにして読み耽る。
気になったことは、この本の内容を暗唱できるまで読んだあとで調べるために、手元の白紙に書き込んでおく。
学院が休みの日はいつも、ライラちゃんやカナ先生と治癒のスクロールの作成に当たっていたが、あちらは既に色々な機関の支援を得て量産の目途は立てている。
だからこうして、次の大戦に向けて私ができることを積み重ねる時間を作れた。
「――ふぅ」
パタン、となるべく音をたてないように重たい裏表紙を閉じる。
同じ姿勢で本を読み続けていたから、凝り固まった体を伸ばして開いて解す。
「ん~……っと」
「凄い集中してましたね」
「ひゃあ!」
いきなり声を掛けられて、私の体は自分でもびっくりするくらいに跳ねた。
ドキドキバクバクと脈動する心臓を抑えながら、声のした方向へ視線を向ける。
「あ、葵様……いたのなら声を掛けてください」
「いや、あまりにも集中されていたので邪魔はしない方がいいかなと。そんなに熱中して何を読んでいたんですか?」
「あ、えっと、戦術書です」
「戦術書?」
裏表紙で置いてある本を手に取って、裏返して表紙を見せる。
「ええ。戦いの趨勢を見て、その場合における人の動かし方や基礎的な戦略などが書かれた本です」
「へぇ……なぜそんなものを?」
「次の大戦で、足手纏いにならないために、です」
私は、お父様やお母様、お姉さまのような何かに秀でた才能はない。
あの事件で覚醒した、親しい人へ声や思考を伝達できるという恩寵だけ。
魔術も体術も平均程度の実力しかない私は、戦闘においては確実に足手纏いになってしまう。
だったら、それ以外の面でサポートをしたい。
そこで私が選んだのは、戦闘を指揮する立場。
そこでなら、私の恩寵を活かすことができる。
「え、ソウファさん戦うんですか?」
「ええ」
「……マジすか」
「何か不都合でも?」
「いや、不都合はないですけど……この国の後継者が死ぬ可能性のある死地に赴くなんて普通じゃないよなぁと思って。ソウファさんのほかにいないわけですし」
葵様の言い分は尤もで、私と似たような立場にいる人が聞けば似たようなことを言うでしょう。
この国は王国。
各町を収める領主や一般市民の意見を多数取り入れる方式を採用しているとはいえ、国王の権限が最も強い国家体制が敷かれています。
クーデターなどが起きない限り王家は血の繋がりが続くものですし、この国も例外ではなく建国されてからずっと続いています。
それを自ら捨てに行こうという私の判断に驚くのも無理はありません。
ですが――
「私は、私の大切な人たちを守るために戦いたい。この国の人たちも、私の友人も。そして・……私が初めて恋をした人も――」
私の恋した人は私の助けなど必要としていないでしょうし、その心が私に向けられることはあっても、傾くことは絶対ありません。
それは、恋をした瞬間に理解していましたから。
それでも私は、助けになりたい。
私自身のプライドと、かつて私を救ってくれたことへのお礼。
「それに、“時期国王は、最後の人魔大戦で指揮を執り勇敢に戦った”なんて、いいプロパガンダになると思いませんか?」
「……なるほど。やっぱり、俺の知る女性はみんな強かですね」
自分の発言に気恥ずかしさを覚え、つい茶化すように建前を口にした。
肩を竦めて笑う葵様は、呆れながらも深い納得を示しているようにも見えます。
「それに、葵様の予想が正しければ後継ぎを気にする必要も少なくなりますからね」
「……国王様も王妃様も、四十超えてますよね?」
「ふふふ。冗談ですよ」
この前、結愛様に『葵様を揶揄うと面白い』という話を聞いていましたが、その意味をなんとなく分かった気がします。
これを言葉にしたら嫌な顔をされそうですが、揶揄った時の表情や仕草に可愛さというものがあります。
昔、葵様は結愛様に揶揄われて本当に苦労していると言われていましたが、葵様を揶揄いたくなる結愛様の気持ちはよく理解できますね。
「でもそうですか。ソウファさんが指揮を執ってくれるとなると、色々と楽になるかもしれません。ソウファさんは大戦で戦って、守る人たちの為になりたいんですよね?」
「その通りです」
「なら、お願いしたいことがあるんですが――」
ニヤリと何か思いついたような顔を見せる葵様の“お願い”を聞きます。
話自体はそこまで難しくはなく、むしろ私がこの戦術書を網羅して、その上で確実に運用できるのなら簡単な話です。
一つだけ疑問点を挙げるとすれば――
「葵様。私を戦いから遠ざけようとはしていませんか?」
「……まぁ、バレますよね。でもソウファさんの能力や立場を考えると妥当なラインだと思ってるんですよ、俺は」
葵様が提示してくれた作戦なら確かに、今学んでいる戦術も含めて私の能力を全て活かせる。
けれど同時に、魔王軍の出方次第では意味のないものになるかもしれない作戦でもある。
必要になったら重宝するが、そもそも不必要になる可能性も捨てきれない。
「確かに、不必要になった場合はソウファさんの言う通り戦わないことになるでしょうし、そうなったら今までの努力が水の泡になる。それを避けたい気持ちはわかります。それでも、必要になったら確実に機能する役割でも――」
「――ふふふ」
「……なんで笑うんですか」
「いえ、あまりにも必死になって説得しようとしてくるので面白くなってしまって」
葵様を揶揄うのがつい面白くなってしまって、少しだけ調子に乗ってしまった。
自分でもわざとらいと思う咳払いをして、話を戻す。
「葵様の作戦に反対するつもりはありませんよ。私はただ、少しでも大戦で戦う葵様たちの役に立ちたくて学んでるだけですから」
「……そうですか」
葵様のように戦いたいという気持ちが本当にないのかと聞かれると、素直には頷けません。
けれど私には、お父様やお母様、お姉さまのような才能はなく、生涯を捧げて鍛錬を積み重ねたとしても組合員の等級で言うところの銅が関の山でしょう。
私には実力が、才能がないからと、諦めるのは簡単です。
朝起きて、身支度を整え、学院へ行き、授業を受ける。
放課後は魔術陣をライラちゃんやカナ先生と学んで、帰宅して眠る。
大戦に関しては全てを国王であるお父様に任せ、私は今まで通りの生活を送るだけでいい。
でも。
私は才能がない程度で諦めたくはない。
色々なことに打ちのめされて、普通を装い諦めていた私を救ってくれた葵様を、今度は私が助けたい。
それが、今の私のしたいことですから。
「ですので、葵様は今まで通り、私に頼めることはどんどんと頼んでください。私にできることならば、全身全霊でその役割を果たしてみせましょう」
「それは頼もしいですね。では今後とも、よろしく頼みます、ソフィアさん」
葵様から向けられる信頼の眼差しと言葉。
それだけで、私は頑張れます。
さて。
真面目な話はこれまでにして――
「前々から言っていましたが、ソフィアと呼び捨てで構いませんよ?」
「好きな人が入る手前、他の女性を軽々しく名前呼びにはできません」
「ラディナは特別、ということですか?」
「ラディナは元からラディナと呼んでいただけなのでノーカンです。それに、ここで呼び方を変えたら変な誤解を招きかねない」
「私は構いませんよ? むしろ、世界を救った英雄が国王になってくれたなら、この国も盤石だと思うのですが……」
少し上目遣いに、普段出さない色気なんかを意識してみる。
私の変化を目聡く悟った葵様は、少しだけ肩を跳ねさせてから慌てて目を逸らす。
「なっ、何しれっととんでもないこと言ってんですか。他の女のことが好きなやつが国王になっていいわけないでしょ」
「いえいえ、そうとも限りませんよ? 少なくとも私は、私に一ミリでも愛を注いでくださるのであれば側室でも構いませんから」
「王位継承権第一位の人の発言とは思えない! 立場上とんでもないこと言ってる自覚あります?」
「常識に囚われるだけでは、国の上に立つ者の資格はありませんよ。尤も、私は国に寄り添う王妃になりたいですけれど」
やはり、葵様と話をするのは楽しいです。
ずっとこんな時間が続けばいいのにと思うくらいには魅力的だと思います。
せめて、葵様が去ってしまうその時まで、この充実した時間を目一杯楽しむとしましょう。
「それで葵様。次はどこへ行かれるのですか?」
「次は共和国を拠点にして『勇者の系譜へ』探しをしようかなと。初代勇者関連のことは、まだ謎が多いですからね」
「あ、その書物を探すためにこの図書館に来られたのですか?」
「他にも両師団長と直に会って話をしたり、エアハルトの様子を確認したりとがありますが、まぁそれがメインですね」
「ご迷惑でなければ、私も一緒に探しましょうか?」
「それは嬉しいんですが……いいんですか? それの勉強途中だったのでは?」
「勉強はいつでもできますから構いません。確か、全面赤色の厚手の表紙でしたよね?」
少しでも葵様と一緒にいられるようにという本心を隠して、私は葵様と一緒に赤い本の捜索を始めるのでした。
* * * * * * * * * *
結論から言うと、『勇者の系譜へ』は探すまでもなく見つかった。
共和国経由で吸血鬼の国に向かう前。
ついでにとこの国に立ち寄った際に、シナンさんにこんな本を探しているんですよ、という話を何の気なくしていた。
そのおかげでというか、シナンさんが仕事の合間を縫って『勇者の系譜へ』を探し出してくれていた。
吸血鬼の国では一週間もかけていたというのにこうもあっさり見つかるものかと、嬉しいはずなのになぜかため息が出たが、目的は速攻で達成できたのでヨシだ。
シナンさんの「お役に立ててよかった」という笑顔とは真逆で、ソフィアさんの悲しげな表情が記憶に残っているが、緊急性はなさそうだったので問題はないだろう。
何はともあれ、共和国で同じく『勇者の系譜へ』を探しているフレッドへそれを渡し、少し気になっていたことを済ますために王城の一室の扉をノックする。
「ようエアハルト。元気してたか?」
「ああ、あんたか。お陰様で頗る快調だよ。王城から出られないのが窮屈だがな」
訪れたのは、大戦以前にソフィアさんを攫い、戦いの果てに魔人に操られていたことが判明した共和国出身のエアハルトの部屋。
旧友に会った時のような俺の軽い挨拶に、肩を竦めて冗談を言えるくらいには元気のようだ。
「そんな冗談が言えるなら問題なさそうだな。ディアさんもこんにちは」
「こんにちは。お忙しいと聞いていますが、大丈夫ですか?」
「その忙しいあんたがここに来たってことは何かあるんだろ?」
俺が答えるよりも早くエアハルトが口を挟み、ぺしっとディアさんに頭を小突かれている。
悪戯をした子供を叱る母親だな、という感想は心の中に留めておいて話を戻す。
「ええ。優秀な仲間と友人に恵まれているので、そこまで大変ではないですよ。ですが、時間が有り余っているわけでもないので早速本題に入らせてもらいます。エアハルト。ここ最近、何か異変はなかったか?」
「それ、ラティーフにも聞かれたな。一か月前も今も特に変わらない。いつも通りだ」
「まぁ、だろうな」
吸血鬼の国でアンジェが魔人に操られた際、真っ先にエアハルトのことが思い浮かんだ。
かつて魔人に操られ、人間の身でありながら魔眼まで開いたエアハルト。
魔人との接続を切断し、一時は意識不明にまでなったエアハルトが、この機に乗じて再び操られない保証はない。
だから俺は、目覚めてすぐに王国と連絡を取り、エアハルトの様子を確認させた。
幸いその時は異常なしとの返答がきたし、王城がいつも通りだから本当に異常はなかったのだろう。
でもやはり、自分の眼で確かめるのは大切だな。
「ちょっといいか」
「うん? ああ、額か」
俺が左手を突き出すと、その意図を即座に理解したエアハルトは長い前髪を持ち上げておでこを晒す。
晒されたおでこに手のひらをピタリとくっつけて確信する。
「ちょっと戻ってるな」
「戻ってる? もう俺は操られてるってことか?」
気を抜けば見逃してしまうくらい、本当に絶妙なバランスの下地。
例えるならそうだな……料理における下味のようなものだろうか。
「まだ操られてはいない。その土台が組まれてるってとこだな」
「術を掛けられて本人が気づかないなんて、どんだけレベルの高い術者なんだよ」
「それで行ったらお前、ソフィアさんを攫った時も自覚なかっただろ」
「あれはまぁ……そうだな、なんも違わないか」
あの時はエアハルトの心の弱みを利用して、意識をすり替えていた。
あれは正しく洗脳の類であり、今回のこれとは似て非なるものだ。
エアハルトの意思を無視して体を動かす、いわば操り人形にする術が今回のもの。
どちらも齎す結果は同じようなものになるだろうが。
「ま、念には念を入れてで足を運んでよかったよ。俺でなきゃ気付けなかったし、対処も難しかっただろうな」
そう言って、俺はささっとその土台をぶち壊し、ついでに結界のようなものを張ってから手を離す。
俺がやったみたいに直で術を掛けられたら流石に防げないだろうが、遠隔からの術くらいなら防げる。
尤も、魔人とエアハルトを繋げてたパイプは既に全て斬ってあるし、この結界もどきがあればそう易々とエアハルトが操られることもないだろう。
「じゃ、無事もわかったことだし、俺はもう行くわ」
「え? いや、土台は? まさか、俺に何とかしろってか?」
「ああ、もう終わったよ」
「……は? 終わった? もう?」
「ああ。土台壊して、ついでにちょっとした補強もな」
二人は唖然としたまま、顔を見合わせる。
信じられないものを視たような表情でポカンと口を開けている二人は、一頻り向き合った後で俺へと向き直った。
「あんた、本当に凄いんだな」
「何だよ急に。今回に限っては俺の専門分野だったってだけだぞ」
解析と改変は、気付けば俺の得意分野になっていた。
“恩寵”による絶対的な解析と、魔術陣の知識と“魔力操作”による改変。
正直、戦闘よりもこっちを専門で磨いた方が、生きていく上なら役に立つだろう。
けれども、俺の目的はこの世界で生きていくことではなく地球へ帰ること。
そのためには魔王軍と戦い勝たなければならないので、戦闘能力を磨くのは必須だ。
片手間でこのくらいの芸当ができるのなら、別に今のままでもいいとは思うが。
「なんにせよ、今回もありがとな」
「元は俺が首を突っ込んで招いたことだしな。エアハルトが気にすることもない」
「だとしても、だ。あんたに助けられた事実は変わらない。だからせめて感謝くらいは言わせてくれ」
「……まぁ、そっちの気がそれで収まるならいいよ。感謝されて嫌な気がするわけじゃないし」
「では、私からも――」
そう言って、二人は態度と言葉で感謝をこれでもかと示してくれた。
なんだかこそばゆい気持ちになったが、言った通り嫌な気持ちにはならない。
二人が満足するまで感謝を受けて、今後は操られないよう自我を保つための方法の一つを伝授してから、俺は部屋を出る。
「――やっぱり、魔人の息がかかったヤツを抱えておくのはリスクが高いか……?」
歩きながら、ふと思ったことを口にする。
今回、俺がエアハルトの様子を見に来なければほぼ確実に操られていただろう。
そうなった場合、王城で働く人が殺されたり、あるいは人質にされたりしていた可能性がある。
そして、その中には当然、ソフィアさんや国王がいる。
召喚者が団長たちのケアなく動けるようになり、二人が常に王城にいられるから簡単にそんな展開になるとも思えないが、万が一は存在する。
前回の大戦で魔王から致命傷を受けずに足止めしていたという実績があるし、二人も鍛錬を積み重ねてあの時より随分と強くなっているが、油断はできない。
精霊の森や天の塔に行ってもらえればもっと盤石になると思うのだが――と思考が逸れたな。
「まぁ、何か起きた時の結界もどきでもあるしな」
保険はかけた。
だがそれでもだめだった場合は仕方あるまい。
抱え込むリスクは当然高いが、エアハルトたちを完全に信用し信頼できるとなった場合のリターンも大きい。
何せ魔人化は、常人なら肉体が耐えきれず死ぬのがオチだ。
例えエアハルトが正規の手順を踏まず、魔物や魔獣の肉を喰らう以外で魔人化したのだとしても、あの身体の力と肉体強度は魔人のそれと同程度。
それだけの潜在能力があるやつを遊ばせておくだけの余裕は、俺たちにはない。
どれだけ備えても、どれだけ強くなっても、まだ上はいる。
いくらやっても万全でないのなら、後でこれやっぱ要らなかったなと言える方が何倍もマシだ。
その為の二人、その為の布石として、今はリスクを抱え込む。
尤も、リスクを抱え込むのは俺ではなく、この王城にいる全ての人なわけだが。
「ほんっと、俺は死んだら地獄行きだろうなぁ」
利用できるなら利用すべき、なんて思考はろくでもないやつのそれなんだろうな、という認識を自覚しながら、自虐のように小さく呟いた。