第六話 【吸血鬼の少女】
私は、この世界があまり好きではなかった。
自由も、嬉しいも、楽しいも。
それらを捨てなければ自分を保てないくらいには、この世界は残酷だ。
自分で選んだ道だけど、それでも私は、この世界が嫌いだ。
でも、私が犠牲になることで、多くの人間が助かることになる。
私の命を使うことで、その他大勢を救うことができるかもしれない。
なら、私は多大な苦痛を支払ってでもそれをする。
それが私に与えられた役目で、そうすると自分で決めたのだから。
後悔はしない。
後悔してしまえば、私は私でいられなくなるから。
だから、考えないようにする。
考えなければ、私は私のままでいられるから。
『本当に、それでいいの?』
ワタシが問いかけてくる。
私にはできない生の楽しみを代わりに体験してきてくれたワタシが。
「うん、いいの」
『本当に? あの人たちが帰っちゃった今、きっと今日が――』
「わかってる。最後でしょ」
今日で終わるだなんて、わかりきっていたことだ。
あの人は、彼らをかなり警戒していた。
いや、警戒とは少し違うかな。
でも意識していたのは間違いない。
そんな彼らは、予定通りなら今日に帰ったばかりだ。
なら、何か余計なことをされる前に済ませてしまおうと考えているのは簡単に予想できる。
彼らはそこそこ高い地位にいるようだし、国に帰って何かをすることもできるだろうから。
『私はまだ、したいことも、行ってみたいとこも、見てみたいものも、沢山あったよ』
「ごめんね。全部、叶えてもらいたかったけど……」
ワタシが言ったことを全部してもらうには、時間が足りなかった。
彼らの所為で減ったわけじゃない。
むしろ、彼らが来てくれたことで、ほんの数日ばかり期限が伸びた。
彼らにバレないように、あの人たちが慎重になったから。
それでも、やはり時間が足りなかったわけだけど。
「そうだ。これが最後になるだろうし、あなたに一つだけ言っておきたいことがあるの」
『……何?』
素っ気ない反応のワタシへ、私は心からの言葉を送る。
「今まで、私の代わりに色々としてくれて、ありがとう」
私の我が儘で生み出して、生み出した目的を果たさせることはついに一度もなかった。
最初から最後まで、私の我が儘に振り回されたワタシが何を考えているのか、私にはわからない。
けれど、私はずっと、ワタシに感謝していた。
私にできないことをずっと肩代わりしてくれていたワタシは、無くてはならない存在だったから。
「……」
返事は、ない。
わかりきっていたことだ。
本当に、最後まで我が儘を突き通した私だ。
良く思われていないことも知っていた。
こうやって、最後に自己満足の為の言葉も言えた。
それで十分。
私の意識が、スーッと遠くなっていくのを感じる。
夢のようなこの世界から現実へ、意識が浮上しているのだろう。
もう二度と、言葉を交わすこともできなくなる。
だから最後に、一言だけ――
「――さようなら」
* * * * * * * * * *
「時間です」
一人の女性が部屋に入ってきて、着物を差し出し滔々と告げてくる。
感情の一切を排した無表情は、薄暗い月明かりも相まって怖さすら感じる。
けれど、彼女は怖い存在ではない。
傍から見れば、そうとは思えないかもしれないけれど。
そんなことを考えながら女性に渡された着物に着替える。
今まで来ていた服と同じ白の着物。
デザインを凝らすこともなく、ただ見た目の清潔感のみを追求したかのような純白の着物。
「何か、持っていきたいものはありますか?」
珍しく、そんなことを聞いてきた。
いつもは私が着替えたのを確認して『行きますよ』と一言言うだけなのに。
やはり、今日が――
「ありません」
「……そうですか。行きましょう」
「はい」
この部屋に、思い出の品などない。
思い出を作る時間が、そもそも存在しなかったから。
未練となる思い出を作ろうとしなかった、が正しいかもしれないけれど。
何の気なく空を見上げる。
薄く張った結界の上。
まん丸になりかけた白亜の月が、天高く昇っている最中だ。
おそらく、この月を見るのもこれが最後だろう。
「……」
最後だとわかっているのに、何の感慨も湧いてこない。
私は正しく、感覚を麻痺させられているらしい。
それを実感して、私は女性の後ろを歩く。
屋敷の裏手から北へ。
森へと入り、しばらく歩くと何度も訪れたことのある儀式場へと辿り着く。
地面が土ではなく石材で作られ、至る場所に溝が彫られている。
それらが魔力路となり、この場を丸ごと魔術陣として形成することを、私は知っている。
もう何度も、その光景を見てきた。
「ここで待機を。月が昇り次第、始めます」
女性の言葉に頷いて、私は儀式場の中央にある祭壇の真ん中へ座る。
儀式場やその周りでは、多くの吸血鬼が慌ただしく動いている。
月が天高く昇るまでのあと一時間ほどで、儀式の準備を終わらせるために。
その間、ここでジッとしているのが私の役目。
ここに座っていれば、私の持つ莫大な魔力を吸い出して路へと流してくれる。
そして、それが終わり次第、私の本来の役目が果たされる。
私の体を生贄に、神の力をお借りして魔王軍の動向を知る。
五千年もの間続けてきた、“神憑き”の役目――役割だ。
「……」
薄く目を開け、天を仰ぐ。
さわさわと草木を揺らす夜風が心地よく、青白い月明かりも私を包み込むように地上を照らしている。
月明かり以外には儀式で使う背の高い篝火しかないが、読み書きができるくらいには明るい。
私の旅立ちを歓迎してくれているかのようだ。
既に私の魔力の一割ほどが吸収され、石材で作られた魔術陣は私の魔力を受けて薄ぼんやりと光を帯び始めている。
月明かりに似た青っぽい色の魔力が、魔術陣の路を通りどんどんと広がっている。
これなら儀式までには余裕で間に合うと、ぼんやりとした思考で思う。
それ以外の感情はない。
自分が死ぬというのに、それを前にしても何も思わないのは、何かしらの感情が欠落しているのだろうか。
……なんて、今更考えたところで意味はないかな。
どうせ、今日で全てが終わる。
だったら、もうこれ以上考える必要はない。
「いいや。君には生きてもらうよ」
少し早いが儀式の始まりに備えようとしていた私の背後から、唐突にそう声がかけられた。
気配を――魔力をまるで感じられなかった。
声を掛けられるまで、存在に気付きすらしなかった。
けれど、その声に聞き覚えはあった。
夢の中で、ワタシが話していた彼。
この国から出ていったはずの、彼の声だ。
「俺は我が儘を押し通すことにした。だから今から、君を誘拐する」
「……!」
「悪いけど拒否権はない。大人しく誘拐されてもらうよ」
小柄な私を、彼はひょいと軽々しく抱える。
彼の言葉にも驚いたがそれ以上に、どうやってバレずにこの場に来たのかもわからない。
この場には吸血鬼が沢山いるのだ。
その“魔力感知”を掻い潜って堂々と彼は歩いてきた。
一体、どうやって――
「――おい吸血鬼ども!」
バレていないという最大のアドバンテージを自ら捨て、彼は声高々に宣言する。
種族名でいきなり呼ばれ、多くの吸血鬼は驚き手を止めこちらを見る。
彼の思惑通り、今の言葉が聞こえた吸血鬼の大半が彼を見て、そして驚きの表情で唖然とする。
彼に抱えられた私を見て、そして、明らかに悪役然とした笑みを浮かべる彼を見て。
そして――
「鬼ごっこしようぜ。朝が来るまで耐えられたら俺の勝ちだ」
彼はそう、宣言した。