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姉の為に。  作者: たかだひろき
第十章 【吸血鬼の国】編
156/202

第三話 【少女の正体】




 ワイワイガヤガヤと、パーティーの会場はとても賑わっている。

 急遽開かれたにしてはかなり盛況だ。

 今代の勇者であるフレッドやその仲間を一目見て、あまつさえ会話ができる機会ともなれば、吸血鬼としては是が非でも参加したいものなのだろう。

 そもそも人間という種族の中でさえ、勇者との対談なんて滅多にできることじゃない。

 少なくとも、一般人には限りなくできないといって差し支えがないくらいに。

 同じ種族ですらそうなのだから、他種族のーーそれも国の外に出ることが滅多にない種族である吸血鬼からしてみれば、勇者との対談という貴重な機会を逃したくはないのかもしれない。


 実際、フレッドがスピーチをし、乾杯の音頭を取ってから人の流れが止むことがない。

 全員が順番待ちをしてでも俺たち――主にフレッドへ話しかけようと並んでいる。

 食事を楽しむのすら一苦労だろう。

 その予想を裏付ける証拠として、フレッドは乾杯をしてから一度も食事に手を付けられていない。


 吸血鬼に囲まれ、一時のハーレム――もちろん、女性だけでなく男もいるが――を築いているフレッドを横目に、俺は半透明の白っぽい液体の入ったグラスを煽る。

 もちろん中身はただのジュースだ。

 味は……りんごだろうか?


 なぜ俺が他人事みたいにフレッドを見ていられるか、だって?

 難しい話はない。

 可能な限り魔力と気配を消して、会場の隅っこにいるからだ。

 知らない人に絡まれるなんて面倒極まりないので、こうして陰キャしている。

 じゃあなんでパーティーになんて参加してんだ、と言われればそれもまた答えは単純で、好きな人のドレス姿を合法的に見られるとなれば、多少の面倒を承知してでも見たいものだからだ。


「葵さんは、あの場から上手く逃げられたようですね」


 隅っこ暮らしをしている俺の元へ、アンジェリーナさんが近づいてきた。

 こちらを責めようとか、そんな意図はなさそうにみえるが……。


「まぁ……あまり騒がしいのが好きではないので」

「責めるつもりはございませんよ。ただ、楽しんでいただけていないのかと思いまして」

「そこに関してなら問題はありません。結愛のドレス姿を見られただけで満足ですので」

「……それはもはやパーティーと関係がないのでは?」


 少し困惑したような表情を見せて、アンジェリーナさんは呟いた。

 このパーティーがなければ結愛のドレス姿を見ることもなかったが、アンジェリーナさんの言いたいこともわからなくはない。

 ともあれ、どうやらアンジェリーナさんは独りぼっちの俺を気遣ってくれたらしい。


「ありがとうございます、アンジェリーナさん。これでも一人でこのパーティーを楽しんでいるんで大丈夫ですよ」

「左様でございますか。わかりました」


 一人は寂しいものだと決めつけて色々とお節介を焼いてくれる人ではないらしく、俺の言葉を信じて一人にさせてくれた。

 もちろん、そのお節介が必要な場面があることは知っているし、相手方の気遣いを無下にしたいわけではないのだが、人間一人になりたい時というのはあるものだ。

 ……フォローになっている気がしないでもないけど、それは置いておくとして。

 特に今は、先の少女のことを考えるので手一杯で、申し訳ないがそれ以外に気を割いている余裕などはない。

 そういう意味でも、今は本当に一人になりたいのだ。


 しかし、パーティーに割とウキウキで参加した手前、途中で抜けるなんてことはできない。

 抜けるのなら相応の理由が要るだろうが、それを提示するのは……難しいだろう。

 一昨昨日(さきおととい)の夜に訪れたあの離れは、まるで見せたくないものを隔離するようにあそこにあった。

 そしてそこには、なぜか魔人の気配を持つ少女がいた。

 その二つを考えれば、吸血鬼が何かを隠していると勘繰ってしまってもおかしくはない。


「やっぱり――」


 考え込み、下に向けていた視線を上へ。

 会場でひと際大きな人だかりのできているフレッドの周りで、吸血鬼を宥めたり順番の整理をしたりしているアンジェリーナさんへ視線を向ける。


 あの人(アンジェリーナさん)が何かを隠しているという可能性はあるのだろうか。

 とても個人的な、根拠のない直感になるのだが、アンジェリーナさんが俺たちに対して何かを隠しているとはとても思えない。

 俺自身の直感など微塵も当てにはならないし、そもそも人を見る眼という点で言えば俺は論外ですらある。

 なにせ小学校の時に好きな女性に嵌められるほど――と、思考が逸れた。

 とにかく、俺の予感だの直感だのは当たらないから、何かあると仮定した上で行動していくのがいいだろう。

 『勇者の系譜へ』は、今の整頓ペースだとあと一週間もあれば見つかるはずだ。

 その間に、何も起こらなければいいのだが……。


「……とりあえず、今日の夜だな」


 このパーティーの開始直前に直接接触してきたあの少女と話をする。

 アンジェリーナさんが何かを隠しているのか否か。

 その判断を下すのは、少女と話してからでも遅くないはずだ。

 なので今はとりあえず、結愛のドレス姿を目に焼き付けておくとしよう。






 * * * * * * * * * *






 満月に程近い、少し欠けた月が地上を照らす涼しい夜。

 魔力と気配を消して、俺は約束通り離れを訪れていた。

 離れにあるのは、一昨昨日と変わらず魔人の気配を持つ少女だけ。


「改めてみると、不気味極まりないな」


 最低限の手入れはされているのだろうが、よく見ればボロボロな部分が目立つこの離れは、夜の訪れるのは少しばかり気味が悪い。

 夏の夜の肝試しにもってこいな場所だ。

 その不気味さ、気味の悪さが、俺に一つの嫌な予感を齎す。


「……罠じゃあるまいな」


 もしこれが罠の類で、俺と同じように魔力と気配を消して潜伏でもされていたら、かなり面倒なことになる。

 そもそも、俺の“魔力感知”を掻い潜って潜伏できる相手と戦うとなれば、まずもって勝ち目はないと言っていいだろう。

 なら、そんなことは考えるだけ無駄だ。

 そう割り切って、離れへと足を踏み入れる。

 あの日の夜と同じ道順で、階段を上り、廊下を歩き、少女が待っているであろう部屋の前へと辿り着く。

 中には、あの夜と変わらない少女の気配がある。

 俺に告げた通り、一人で待っていたのだろう。


「入らないんですか?」


 部屋と廊下を隔てる(ふすま)の向こうから、あの日の夜に聞いたものと同じ――しかし雰囲気がまるで違う女の子の声が聞こえた。


「……気づいてるんですか」

「これでも吸血鬼随一の才能を持っていますので」


 襖を開けながら驚きを隠さずに本音を言うと、嫌味さを全く感じない声音で言われた。

 子供の持つ純粋さとでもいうのだろうか。

 そういった、事実を事実として伝えても嫌味と感じられないものが少女の声にはあった。

 自分のそう言った性質に気付いているのか、少女は柔らかく微笑んでいる。


「こんばんは。よく来てくださいました」


 月明かりを背に満面の笑みを浮かべ、少女は()()()()俺を見据えて言う。

 服装は白の薄手の着物で変わらないが、袖から出ているのは生身の両腕。


「そんなところで立ち尽くしていないで、ここに座ったらどうですか?」

「……ああ」


 自分の目がおかしくなったのかと疑いたくなるような状況を目の当たりにして若干のフリーズをしていた俺に、少女は困ったような顔で言った。

 それで我を取り戻し、俺は言われたとおりに中へと入る。

 襖を閉め、部屋に二人っきりの状況を作る。

 離れの外も含め、周りには誰もいないことを改めて確認する。


「それで、ここに呼んだ理由を話してもらってもいいか?」

「回りくどく聞くのではなく、聞きたいことを素直に聞いて貰って結構ですよ?」

「……わかった。順番に全部聞いていくから、順番に全部答えてくれ」

「わかりました」


 ふふふ、と上品に笑い、少女は頷いた。

 見た目よりも随分と大人びた応対が、視覚との齟齬を誘発する。

 そもそもの話、あの日に相まみえた少女とは雰囲気からして違うのだ。

 違和感に違和感が重なって、一周回って元に戻るどころか余計にややこしくなっている。


「まずここにお呼びした理由ですが、あなた様は私との対話を望んでいると思いましたので」

「その根拠は?」

「あの時この場で出会ったことこそが、何よりの根拠かと」


 確かに、根拠としてはそれで十分だ。

 ただこうして会話をしていると、何か見透かされている気がしてならない。

 心を読まれているかのような、しかし不快感とは違う何か。


「じゃあ次に、あの時ここで会った少女と君は、同一人物ってことでいいのか?」

「はい。その認識で間違いありません。ただし、それを知るのはあなた様だけですが」

「俺だけ? 長のアンジェリーナさんとか他の吸血鬼の方は?」

「知らないはずですよ。気づいている可能性がないとは言い切れませんが」

「……」


 どうしてそんなことになっているのか。

 もし見た目通りの年齢だと仮定しても、この少女は十歳前後。

 仮に十歳だとして、十年もの間誰にも二面性があることを知られずに過ごすなんてことが可能なのだろうか?

 いや、そもそも――


「今の君のあの時の君が違うのは、多重人格とかそういう類のものだと考えていいのか?」

「その認識で正しいですよ。あの子が自分望みを叶える為に生み出したのが私です」

「望みを叶える為……」


 昔、ドキュメンタリー番組か何かで見た覚えがある。

 辛い思いをしている人物が自分の心を守るための別の人格を生み出した、みたいな話。

 詳しくは覚えていないが、そんな感じだった気がする。


「自己防衛のための人格生成……」

「その通りです。この子は自分を守るために私を生み出しました」


 少女は俺の呟きを肯定する。

 少女の持つ二面性。

 その絡繰りは、少女の心に因るものだった。

 そして、その心を蝕んでいるのは、きっと――


「あの日見た片目と片腕が、関わってるのか?」

「はい。どうしてあの状態でこの部屋にいたのか。それを話すにはまず、この子が背負っている逃れようのない運命を説明する必要があります」

「運命?」


 少女は一切の感情を見せず、ただあった事実を淡々と告げるような口ぶりだ。

 まるで他人事のような――いや、この場合は他人ごとになるのか?


「この子は、この島で最も戦闘能力を持つ、いわゆる神童と言われる存在です」

「……」


 神童。

 その単語に、あまりいい覚えはない。

 それはかつて、師匠の――ナディアの母親がエルフの郷で呼ばれていた称号。

 そして師匠の母親は、魔人の策略により、娘を逃がす為に命を落とした。

 いい印象は、ない。


「誤解される前に説明しておきますが、この国での神童とは単に魔術の才能がある吸血鬼を指すのではなく、“神憑き”と呼ばれる特殊能力を持った吸血鬼のことを指すのです」

「かみつき?」


 初めて聞く単語に、俺は素直に疑問をぶつける。

 この世界での魔術における蔵書はたくさん読んできたが、神憑きなる言葉は聞いたことも見たこともない。


「神憑きとは、神が宿った吸血鬼のことです。実際に神が宿っているわけではなく、神の如き力を内包している、というのが正しいですが」

「神の如き力……神が憑くってことか」

「そうです」


 それなら覚えがないわけではない。

 パッと頭の中に思い浮かんだ神の如き力は天恵だ。

 天恵は使いやすさの差異はあれど、どれもが強力な力を有している。

 例えば、俺にとって一番恩恵のデカかったのは節制の天恵。

 これには何個かの権能があるが、その内の一つが余剰な魔力を一時的に保管するというもの。

 言ってしまえば、そう魔力量の増加だ。

 世界でもトップクラスに入るだろう“魔力操作”の練度を持ちながら、魔力総量はそこらの子供と同等――魔紋を解放してようやく人並みといった俺にとっては、まさに最高の相性だといえる。

 勿論、こんな絶大な権能を持つ天恵はタダでは手に入れられない。

 天恵という褒美を受け取るために相応の試練があったが、少女の言う神の力はおそらく天の塔を攻略するという手順を踏んでいない。

 そう考えれば、少女の神の如き力は天恵よりも、ハチャメチャに強い“恩寵”と考える方が近いのかもしれない。


「そうですね……一例を挙げるとすれば……例えば、この魔術は人間だとどのくらいで扱えますか?」


 色々と考えを巡らせていた俺を『理解できていない』と勘違いしたのか、わかりやすい例えとして魔術を展開する。

 単純な水の球を、天井に向けた手のひらの上に作っている。

 ありふれた初級魔術。

 子供でも使える、簡単な魔術の一つだ。

 ただ……


「……それは、その水の球を作ることに関して、ってことで間違いないか?」

「? はい。それ以外に何かありますか?」

「や、君がそれを作る時に、一切外へ魔力を漏洩させなかっただろ? それができる人間は、俺が知ってる限りで数人しかいない」


 魔術を発動する時、大体の人間は――いや、人間に限らず、あらゆる生物、生命、果ては条件起動式の魔術(むきぶつ)であっても、絶対に魔力を介する。

 そしてその際に、必ずと言っていいほど魔力を使った痕跡は残る。

 個人の“魔力操作”の練度によって増減するにしろ、魔術に使おうとした魔力の何パーセントかは魔術にならずに消費される。

 そして少女の行った魔術の構築において、そのロスはない。

 ゼロといっても過言ではないくらいに、魔力のロス――漏洩がなかった。

 俺と同等か、最低でもアヌベラと同じくらいの“魔力操作”の練度があるという証明。


「なるほど。ではそれを含めずに、この水球のみに焦点を当ててお願いします」

「わかった。といっても答えは、頑張れば子供でもできる、だ。王国の魔術師団長なら、それを千個くらい作れるし、俺と同じ召喚者の一人はそれを並列して数十個作れる」


 もっと言うなら、魔人は上級魔術を百個くらい同時に生成してぶっ放してきたが。

 ともあれ、少女の扱う魔術はどれも平凡。

 ()()()()ならば、神童と呼ばれるには些か足りないように思える。


「では、これを一秒ごとに千個。かつ一分ほど続けてとなればどうですか?」

「なるほど。神童だな」


 初級魔術の並列構築は、難易度こそ高いがとんでもなく難しいものではない。

 魔術師が百人いれば一人はできるだろうくらいの難易度だ。

 ただし、秒単位で千個、それを一分も続けるなど、例え初級魔術でもできる人間は限られる。

 アヌベラでも難色を示すだろう。

 消費魔力だけで考えると、上級魔術を六百発撃つのと同じくらいだろうか。


「ちなみに、千個生成する時も今と同じで魔力の漏れはないか?」

「……すみません、実際に試したことはないので、今の話は過去の前例と今のこの子のスペックを考えての想像になってしまいます。ですから、確実に『はい』と頷けるわけではありません」

「そうなのか」

「はい。ただ仮定に仮定を重ねるので良ければ、先程の質問は肯定させていただきます」

「もしそれが本当なら凄まじいとしか言えないな」


 少女の言うことが正しければ、神童と呼ばれるのは納得できる。

 天恵や恩寵のような、何か特別な能力があってそう呼ばれるのではなく、純粋な力量のみでそう呼ばれているということも。

 まず間違いなく、人間に真似できる領域にいない。

 魔人でようやく対等かそれ以下というレベル。

 もちろん、魔人の強さは魔術だけでなく高い身体能力という高水準な平均値なので、総合的な強さの判断はしかねるが。


「すみません。前置きが長くなってしまって」

「ん? ああ、これそうか。前置きだったな」

「はい。これからが本題になります。この子が抱える運命と、それがつい先日の惨状とどう繋がるのか。まず大前提として、神の如き力の一端に、常軌を逸した再生能力があります」

「……さっきの魔力的な要素の実力が力じゃないのか?」


 正直に言えば、あの力だけで神の如き力と表現されても何らおかしくない。

 “魔力操作”や魔力の総量、魔術の構築に要する時間など、一つ一つを見れば同じレベルの人間はいるだろう。

 “魔力操作”で言えば、俺はこの子と同等か、何なら上だろうし。

 ただ、その全てを高水準で、トップレベルと対等に張り合えるのは、やはり凄まじいとしか言えない。

 吸血鬼は魔力的な要素においては、種族的に人間よりも高い水準を誇っているのは知っている。

 しかし、種族()の差では説明がつかないほどに、ずば抜けた実力があった。

 それだけでも十分驚くに値する情報だったのだが――


「先程の説明は力の一端に過ぎません。どちらかといえば、こちらが本命になります」

「……マジか。……うん、まぁわかった。すまん。続けてくれ」


 ここで話の腰を折り続けても意味はない。

 今は一旦そういうものだと受け入れて、続きを聞いてから改めて考えることにする。


「では、続けさせてもらいます。常軌を逸した再生能力とは、有り体に言えばこの子に関わる死という事象以外の全てを治すというものです」

「だからたった数日で目も腕も元通りになってるのか」


 俺の言葉を肯定するように、目の前の少女は頷いた。

 欠損部位の治癒は、人間の技術でもできないことはない。

 ただしそのどれもが超高度な技術を必要とし、少なくとも魔術においてそのレベルの治癒を扱える人間はほとんどいない。

 というか、現状はゼロと言っていい。

 俺が知っている部位欠損の治癒は、ソフィアさんにお願いしている治癒のスクロールのみで、あれも初代勇者の時代に編み出された手法を解析し流用しているだけ。

 今でこそかなりの量を作ってもらっているが、大戦に参加する全員に配れるほどの量はない。

 もし仮に、人間の軍の全員が即死以外の全てから復活するとなった場合、魔王軍からすれば脅威以外の何ものでもないだろう。

 そんな恐るべき能力を、少女はその身に宿している。


「だけど、やっぱりわからないな。そんな権能じみた能力があるのと、君が目と腕を喪っていた理由がさっぱり理解できない」

「ええ。それこそが、この子が――“神憑き”を継いだ子らが抱える、逃れようのない運命になります」

「最初に言っていたやつだな」

「はい。あなたは、吸血鬼が代々受け継いできた使命をご存じですか?」

「使命? ……ああ、魔王軍のことか」

「そうです。魔王軍の戦力を分析、把握し、大まかな動向を察知する。それこそが、初代勇者と五千年前に結び、今に至るまで続けてきた使命になります」


 それについては、この世界に来た時の歴史書で読んだ。

 吸血鬼がこの島に移り住んだ際、そこを住み易い土地にすることを条件に、人間と敵対せず、共闘関係を結んだとか。

 この結界こそがその住み易い土地の条件の一つであり、他には最初の街を作ったとかだったか。


「じゃあ、君が巫女さんとかそう言う類の人なのか?」

「違いますよ。儀式に関わりこそしていますが、巫女は私ではなく代々長となった者です」

「アンジェリーナさんですか」

「はい」


 アンジェリーナさんの顔を思い浮かべ、なるほどと頷く。

 正直、あのクールビューティーな雰囲気を漂わせるアンジェリーナさんが巫女服を着ている姿など想像できない。

 嘘を吐くにしては信憑性が薄いし、嘘を吐くメリットもないだろう。

 俺を騙してこの島、この国の悪印象を植え付け、あわよくば崩壊を目論んでいるとかなら話は変わってくるが……それこそ考えすぎだろう。

 ただ、怪しいと思ったら迷わず“恩寵”に頼ることを決めて、少女の話に耳を傾ける。


「儀式といっても、やることは簡単です。わかりやすく端的に説明をすると、神へと祈りを捧げ、魔王軍に関する情報を提供してもらう、といった形です。そうして知った情報を、人間の皆様へとお伝えする。それが私たち吸血鬼の使命になります」

「……なるほど」


 今のところは俺の知っている情報の再確認のような状態だ。

 知らないこともあったが、なるほどなと納得できるような要素。

 神へ供物などを捧げてお願いをし叶えてもらう。

 細かい部分は違えど、本質的には俺のいた世界の祈りと変わりはないだろう。

 俺ら日本人だって、初詣にお賽銭を捧げて神へ祈ったりするわけだし――


「――待て、待ってくれ。神へ祈ると言ったか?」

「はい」

「君はかみつき――神が憑くと書いて“神憑き”だとも言ったな?」

「そうですね」


 まさか、とは思う。

 俺の考えすぎ、ネガティブシンキングが行き過ぎただけだ、とも。

 でも――いやだからこそ、聞かなければならない。


「……神に捧げる供物はなんだ?」


 神様もきっと、ただの慈善行為で助けてくれているわけではないだろう。

 お願いをするには何かしらの代償を伴う。

 相当のお人好しや長年の信頼関係などがない限り、相手によってその違いはあれどそれは変わらないはずだ。

 そしてそれは、神様であっても例外ではないはず。

 だとしたら、吸血鬼が崇拝する神様へ捧げる供物はなんだ?

 もし、それが今までの会話で出て来ていたら――いや、これまでの会話が、ここへ至るための事前準備(せつめい)だとしたら、その供物とはつまり――


「神へ捧げる供物は、神を宿すこの子の体です」


 眉の一つも動かさず、目の前の少女は告げた。

 淡々と告げた少女の顔は、今までと何も変わらない。

 それを己が運命として受け入れ、既に過去のものとした人のそれと変わらない。

 逃れようのないものから逃げようとするなんて無意味なことだと、そう自覚し諦めた人のそれだ。

 まるで、それが当たり前かのような――


「――五千年前からそうなのか?」


 過去に初代勇者が関わって、結果として人生を変えられた――言葉を選ばずに言うのなら、狂わされた人を知っている。

 いや、ソウファは人ではなく狼だが、それでも確かに、彼女の生き方は変えられた。

 あれは魔王軍が大前提にあるとはいえ、初代勇者が関わっていなかったといえば嘘になる。

 だから、聞かねばならない。

 いずれ初代勇者と会った時に、例え霊体であっても一発ぶん殴るために。


「いつからこうなったのかはわかりません。ですが少なくとも、初代勇者がご存命の時はこうではなかったと思いますよ。彼女は優しい方だと聞かされていますから」

「……そうですか」


 俺の心配というか疑念は、どうやら杞憂だったようだ。

 けれど、だからといって安心できる要素は何一つない。

 そもそも、本来の話は何一つとして解決していない。


「君は……それを受け入れているのか?」

「対外的にはそうですね。ですが、心の底では納得できていないからこそ、私のような人格が生み出されたのです」

「自己防衛のための人格生成……」


 ここでそこに繋がってくるのか。

 生贄――供物として、文字通り身を削る。

 それに耐えられず、少女は自分を守るために今俺と対峙している少女を生み出した。

 まだ幼いだろう少女がそんな状況下に置かれれば、精神が狂ってもおかしくない。

 ……いや、精神を――心を守るために、今目の前にいる少女の人格を生み出したのなら、もう既に狂いが始まっている可能性だってある。


「再生能力があるから、供物として体の一部を捧げてるってことか?」

「はい。魔力さえあれば、一日程度で治りますから」

「……どのくらい続けているんだ?」

「それは“神憑き”の歴史ではなく、この子が、という意味ですよね?」

「そうです」


 俺の質問に、少女はうーんと悩む素振りを見せる。

 頭の中で数えているのか、時折首が上下する。


「二年ほど前からです。前回の大戦に関わる魔王軍の動向は全て、この子の犠牲によって得られた情報ですから」


 ほぼ半年前に行われた第十次人魔大戦。

 それが勃発する一年前には既に、魔王軍の動向は人間たちの間で周知されていたはずだ。

 それより以前から細かに魔王軍の動向を監視していたのなら、その二年という単位は本当に最低値だ。

 時と場合によっては、もっと前からという可能性も――


「最低でも一年はそんな状況にあったと……?」

「この子の記憶は過去に行くにつれて曖昧なので、確実にそうだと肯定はできませんが」


 期間の差異はわからないが、儀式とやらがあるたびに体の一部を抉られて、処置も適当に一人で部屋に放置される。

 体に刻まれた傷は治るのかもしれない。

 けれど、それでは心に負った傷を癒すことができない。

 ずっと傷つき、癒える間もなく新たな傷が刻まれる。

 もし同じ環境に身を置いたらと、そんな想像するだけで(こわ)くなる。


「話を戻しますね?」

「……ああ」

「この子は自分の置かれた状況を正しく理解し、それを“受け入れたくない本心”と“受け入れなきゃ誰かが困るという状況”の板挟みになり、最終的には後者を選びました」

「……それは、選んだってより選ばざるを得なかったが正しいんじゃないか?」

「そうですね。けど、それを選んだのはこの子自身ですから。誰も強制してはいませんでしたし」


 違う。

 それは断じて違う。

 誰も強制していないから選んだのは当人の意思だなんてのは、間違っていないのかもしれないが断じて正しくはない。

 周囲の反応や置かれた状況、そういった諸々を含めて人は――知性ある生物は判断する。

 だから、例え当人が望まないことであっても、反応や状況が無言の圧力となって判断を強いてくることがある。

 同調圧力という言葉が、その存在を何より証明している。


「ですがやはり、この子はそれを受け入れたくなかったのでしょう。ある程度は我慢するつもりで、しかし耐えきれずに私を生み出した」


 それにしても違和感だったのは、目の前の少女の辛辣さだ。

 言葉の端々にある少しだけ――ほんの少しだけ尖った言葉。

 この子の本来の体の持ち主に対しての、棘のある言葉。

 まるで、今この子の体を借りて話している少女は、体の持ち主の少女のことを嫌っているかのような……。


「……ん。ちょっと待って。そう言えばあの日、俺と対峙したのは君じゃなくて本体の少女だよね?」

「はい。それが何か?」


 あの日の夜に出会った少女は、今目の前にいる少女ではない。

 本来の体の持ち主――苦痛塗れの運命に飲み込まれた少女が、俺が初めて対峙した少女だ。

 これまでの話を聞く限り、あの子が今俺と話している少女を生み出したのは、その苦痛に耐えきれなかったから。

 なのに、あの苦痛を耐えた後のような状況で体の主導権を握っていたのは、本来の少女だ。

 これでは言っていることの辻褄が合わない。


「君の体の持ち主は、儀式で自分の身を削りたくなくて君を生み出したんだろう?」

「はい」

「じゃあなんであの日俺と会ったのは君の体の持ち主なんだ? おかしくないか?」


 体の持ち主である少女が、これ以上の苦痛を味わいたくないと、今目の前にいる少女の人格を生み出した。

 そして苦痛――儀式が行われるたびに、その人格へと入れ替わり、実質的に苦痛から逃れた。

 ならば、その治療中だっただろうあの日の夜に俺と対峙したのは、儀式に駆り出された目の前の女の子出ないとおかしい。

 明らかな矛盾。


「……その通りです。この子は、自分の身を守りたくて私を生み出しました。けれど、いざ儀式となった時、この子は私を傷つけたくないと自分のままで儀式に望みました」

「それじゃあ……それじゃあまるで意味がないじゃないか」

「その通りです。この子は結局、どこまで言っても自分を犠牲にして他人を救おうとしてしまうんです。例えそれが、自分自身で生み出した偽りの人格であっても……」


 目の前の少女は奥歯を噛み締め、両手をグッと握りしめている。

 それを見て、ようやく理解できた。

 目の前の少女が体の持ち主である少女――マリサに対してどうして辛辣な言葉を向けるのか。

 それは――


「……どうして君は、君の体の持ち主に怒りを抱いているんだ?」

「わかりませんか?」

「ごめん。怒らないで聞いて欲しいんだけど、俺は他人が自分の身代わりになって犠牲になるのを見ても、自分の身内じゃなくてよかったくらいにしか思えない」

「その他人に当たる人が大切だと思っている人だとしても?」

「……なるほど」


 返しの一言で全てを理解できた。

 目の前の少女は、体の持ち主を大切に思っていて、だからこそ自己犠牲を厭わない少女に怒りを抱いている。

 俺の場合は、結愛に置換するとわかりやすいだろう。

 結愛が自分を犠牲にしてまで自分を守ろうとする。

 確かに、気分が良くなるはずはない。

 尤も、結愛は俺が関わるより以前から自己犠牲の精神に溢れていたので、少女の言葉を正しく当てはめることはできないが。


「私は、この子の助けになりたい。でも今のように、この子に代わって普通の人生を謳歌するだけでは、一時(いっとき)の満足をこの子にあげられても根本的な解決には至らない」


 少女の体の持ち主を根底から救うとなれば、それは今までに聞いてきた少女に関わる儀式の全てから少女を解き放たなければならない。

 しかしそれは限りなく難しい。

 儀式から少女を解き放つとはつまり儀式の終わりを意味し、儀式が終われば魔王軍の動向を知る術がなくなるということでもある。

 もしそうなれば、吸血鬼は人間との契約を果たせないと同義であり、今後の人間との関係に何らかの影響を与える可能性だってある。

 たった一人の為に種族の未来を決定づけるなんてことは、絶対といってもいいくらいにあり得ない。


「――俺に、その手伝いをしろと?」

「……そうお願いしようと思っていましたが、でもやはりダメですね」


 少しだけ悲しそうな表情で、目の前の少女は呟いた。

 俯き両手を組んで強く握る。


「この子は、あなたを巻き込みたくないそうです。だから――」

「――今の話を聞かなかったことにしろって? それは……無理だろ」


 これがどうでもいい話ならそうできた。

 正直に言って、他人の不幸話を聞いたところでどうにもできないし、どうにかしようとも思わない。

 この世の大半の不幸話は、大抵当人が動いた結果のものであることが多いから。

 言い方に悪意はあれど、結局のところつまりは自業自得。

 だから、親しい間柄でもない限り、その話について真剣に考えることもない。


 しかし、今の話は違う。

 これは少女が生まれるより以前から定められたもの。

 少女が両親から継いだ才能が、少女を束縛し、苦しめている。

 両親からどの部分を受け継ぐかなんて、誰にも決められるものではない。

 今の話に、少女が行った自業自得なものなんて何一つとしてない。


「……そうですよね。なんとなく、あなたはいい人な気がしてました。だから私はこうして打算的に、場を整えたりなんかしちゃって……」


 少女が俺に声を掛けてきたのは、あの日の夜に出会った人と偶然会場で再会したからなどではない。

 どうすれば自分の望みをかなえられるのかを考え、その為に行動した結果だ。

 なら俺も最大限、この子たちの為に動きたい。

 こんな話を聞かされて、やっぱり忘れてくださいなんて、できるはずもないのだから。


「できる限りはやってみる。ただ、できなくても恨まないでくれ」

「――いいえ。やはりあなたは、今の話を聞かなかったことにしてください。巻き込んでしまったのは私の失敗です」

「それはできない。もうしっかり、俺の記憶に刻まれちゃった。だから――」

「――あなたにとって、私はただの他人でしょう?」

「……」


 先程の、俺の言葉を逆手に取られた。

 『他人がいくら犠牲になってもなんとも思わない』という言葉を。

 少女は小さく笑う。


「どうか、余計なことは考えずに、あなたはあなたの責務を全うしてください。私も――()()()も、ここでしっかり、あなた方の役に立つよう頑張りますから」


 少女は、俺の目を見て真っ直ぐ告げる。

 その瞳は、これ以上の対話を望んでいないとわかる。

 はっきりとした意志の宿る瞳だ。

 俺がここで何を言っても、少女()()には届かない。

 今は、引くしかない。


「――あ、最後に一つだけ」


 ぐるぐると巡る考えを纏めるべくとりあえず部屋から出ようと踵を返した俺へ、少女は声を掛けてくる。

 振り向き、布団に座る少女へ視線を向けてみれば、そこにはあの日の夜の少女がいた。

 外見に、パッと見の変化は何一つない。

 俯き、項垂れ、顔が見えなくなっただけ。

 でも確かに、あの日の夜の少女だと理解させられる。


「……何か?」


 一向に何も言わない少女へ、痺れを切らして俺は問いかける。

 俺の言葉を聞いてか、少女は徐に口を開く。

 そして光のない、虚ろな瞳で俺を射貫いて――


「――ありがとう」


 ほんの少し。

 近くにいなければわからないくらいに極僅かな表情の変化。

 小さく微笑んで、少女は俺と「さよなら」をした。




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