【五千年の布石】
「こうしてみると壮観だな」
「そうですね、お父様」
巨大な地下空間に浮かぶ巨大な箱を眺めて、お父様が呟いた。
似たような感想を抱いていた私は、それに頷き肯定する。
私の身長の倍はある縦に長い長方形の箱の中は何かの液体が詰まっており、その中央には人がいる。
液体の中にいて溺れないのかとも思ったけど、どうやらその心配はない様子。
葵様なら、どういう原理か詳しく聞いて回っていただろうか。
「アンナはこれを見て何とも思わないのか?」
「……これをした張本人であるお父様から言われるとは思いませんでした」
真っ先に抱いた感想を、そのまま言葉にする。
お父様はこう言ったやり取りですら嬉しそうにしてくれるから、葵様と旅をしていた時とあまり変わらずにいられているので助かっている。
それはそれとして、質問に答えよう。
「何も思わないわけではありませんが……」
お父様へとずらした視線を箱へと戻しながら、少しだけ考えて素直な感想を述べる。
「これで死ぬわけではありませんし、全てが片付いたらもとに戻るのですよね?」
「ああ」
「なら、このままでも我慢くらいできます」
「……そうか」
柔らかなようで申し訳なさそうな表情を浮かべ、お父様は頷いた。
そして再び、箱へと視線を戻す。
その瞳に宿る感情は、一体なんなのだろう。
こんなことをしてしまって申し訳ないと言う気持ちだろうか。
それとも、積み重ねてきたものが形を結んで嬉しいと言う気持ちだろうか。
「――ん」
箱が置かれている地下空間に繋がる扉の外に気配を捉え、私は振り向いた。
私の反応にお父様が「どうした?」と訊ねてくるが、それに答えるよりも早く扉が開く。
「アンナ様。アフィ様の調整が終了いたしました」
扉をゆっくりと開けて入ってきたのは、魔王の側近――と言うよりは書記に近い立場にいる女性、エリュジョンさんだ。
黒く長い髪を真っ直ぐ腰まで伸ばし、顔は狐のような黒っぽい仮面で覆っている。
来ている衣服も黒っぽく、忍者のような格好にも見える。
「ありがとうございます」
「感謝の言葉は私ではなく、処置を施された魔王様とアルバード様に」
自分の手柄ではない、とエリュジョンさんは首を横に振った。
私の感謝にはそれを伝えてくれたエリュジョンさんへ向けてのものでもあったのだけど、ここでそれを言ってもあまり意味はないと思う。
だから「そうします」と肯定だけして、お父様へと向き直る。
「お父様。私はアフィの元へ向かいます」
「ああ。俺はもう少しここにいる」
「わかりました。では、また」
お父様へ頭を下げてから、エリュジョンさんの後ろをついていく。
部屋を出てすぐにT字路が私を出迎えた。
今私がいた部屋はあの箱を置くために新しく掘ってもらった部屋。
本来の通路は今私がいるこの元一本道の通路。
それを左に曲がり、魔人化するためのカプセルがある部屋へと入った。
「――あっちですか」
「ええ。まだ終わったばかりで、目覚めているかは――いえ、起きていますね」
私が来た時と変わらない部屋のさらに奥。
そこにアフィの気配を感知した。
少し変質しているが、アフィのもので間違いない。
「……なんだか、こうして話すのも久しぶりな気がする」
近づいてきた私の顔を見ながら、アフィは小さく呟いた。
「二か月ぶりだから、その感覚も間違いじゃないかもね」
「そっか……そんなに経ってたのか」
カプセルの傍に置かれた小さな台から立ち上がり、自分の手を握っては開いてを繰り返す。
「感覚はどうでしょうか? 何か不都合があれば、すぐに調整をお願いいたしますが」
「……今のところ、問題はなさそうです」
屈伸をしたり飛び跳ねたり逆立ちしたり。
あまり派手に動かない程度に全身を動かして、アフィはエリュジョンさんにそう告げる。
「左様でございますか。何かあればすぐに申し付けください」
「ありがとうございます」
エリュジョンさんは頭を下げてから来た道を引き返す。
暗い部屋にある少ない灯りが、エリュジョンさんの黒髪に反射して光沢を生み出している。
その後ろ姿が、何度かお見かけした結愛様に似ているような気がした。
珍しい夜に溶けるような漆黒の髪を腰まで流しているからそう見えるのかもしれない。
「……なんか、ラディナの雰囲気変わったね」
「そう?」
「上手く言えないけど変わったと思う。俺が寝ている間に何か変わったことでもあった?」
「特に言わなきゃいけないことは何もないよ。お父さんって存在がよくわからないってくらい」
私は物心ついてからはずっと、片親だった。
物心つく前も、そんなにお父さんと一緒にいたことはないらしい。
だからか、お父さんと言う存在がよくわからない。
いつも私と一緒にいようとするし、一緒にいればいるでずっと可愛がられている。
最初は嬉しかったけど、次第にその気持ちも薄れていった。
拒絶するほどではないけど、こう……言葉を選ばないのなら厄介だと思ってしまう。
「無下にされて嬉しく思うお父さんはあんまりいないと思うから、そこだけはわかってあげてね」
「それはわかってる、つもりだよ。とりあえず、ご飯でもどう?」
起き上がりにご飯を誘ったのは失敗かと思ったが、どうやらそうでもない様子。
小さく声を上げたアフィのお腹がそれを示していた。
「そうだね。じゃ、歩きながら色々と聞かせて」
そう言って、この二か月の間に起こった他愛ない出来事を話しながら、私たちは食堂へと向かった。
* * * * * * * * * *
「また瞑想?」
「うん。最近、あんまり寝つきがよくなくてね」
魔王城とでも呼称すべきこの城の一角にある広いバルコニーで、座禅を組んで月明かりを受けていると、部屋の方から声がかけられた。
振り向く間でもなく、声と魔力からその存在を認知して、座禅を解きながら答える。
「ここに来たばかりからずっとじゃない。大丈夫なの?」
「まぁ長時間寝れないだけでちょくちょく昼寝とかはしてるから平気だとは思う」
「そう? あんまり無茶はしないでね」
「ありがと、ノラ」
何の気さそうに隣に座り、俺の肩を枕代わりにしてきたノラの頭を撫でてから月を見据える。
日付が変わる頃か、あるいは既に変わっているか。
もう頂点に近い位置まで昇った月は、いつもと変わらない月白色で俺たちを照らしてくれている。
「魔人化の影響が辛いなら、魔王様に進言して軽減して頂いたら?」
「んーや、根拠はないんだけど魔人化の影響じゃないと思うんだよね」
「でも、隼人は才能あるって魔王様に言われたのにまだ開眼できてないじゃない?」
「厳しいとこ突いてくるね……」
「あ、えっと、違くてね? その、そう言う意味じゃなくって、その――」
中々に鋭い指摘を愛する人から貰い、心にダメージを負う。
即座に自分の失言を理解したのか、慌てふためいて今のが言葉の綾だと説明をしてくれた。
「大丈夫、わかってるから。演技だよ、演技」
「え、演技? そ、そっか。よかった……」
そう素直になられると、俺が悪いことをしたような気持ちになる。
それはそれとして、ノラの言ったことは正しい。
俺は魔王から魔人化の際に『才能あり』と断定された。
正確には、魔王の使いであり側近? らしき黒髪の忍者装束の女性伝手にだが。
十魔神が行ったらしい魔王因子の覚醒とは違い、人間を魔人化――魔王因子を植え付ける儀式は根本から違うらしく、俺やドミニク、綾乃の側付きが受けた魔人化の儀式は、そう簡単に終わるものでもないと、事前に説明を受けていた。
事実、ドミニクと綾乃の側付きは、儀式の終了までにひと月ほどかかっていた。
これ自体が魔王が想定していた期間よりも早いものだったらしいが……。
それはそれとして、俺が儀式の終了までにかかった期間は僅か一週間。
事前に魔王が『才能あり』と断定していたとはいえ、想像を絶するほどの早い終わりに、失敗を疑われたほどだ。
そこでもひと悶着あったが、その結果失敗ではなく成功という判定になった。
確かに、人間だったときは体の感覚やらなにやらは違っている気がしたし。
ともあれ、『才能あり』の片鱗を見せつけた俺は、魔王たちからも期待されていた。
にも拘らず、俺は未だに魔眼の覚醒は愚か、開眼すらさせられていない。
ドミニクも綾乃の側付きも既に開眼させ――何ならドミニクは覚醒にすら至っていると言うのに。
「――魔眼が開眼する時ってどんな感じだった?」
「私は生まれた時から開眼してたからわからないの」
「……そっか」
「――あでも、覚醒した時ならわかるよ!」
俺が落ち込んだのを即座に理解したのか、ノラはとりわけ明るく言った。
「えっとね、確か何かに無性に嫌な気持ちを抱いて、それに抗ってやるー! って強い気持ちを持った時に覚醒したかな!」
「強い気持ち、ね」
覚醒が開眼と同じ条件化は不明だが、もしそうなら開眼しない理由も納得だ。
俺には死んでも叶えたい目的はあっても、それに対して死に物狂いになるつもりはない。
と言うかむしろ、このまま――つまり現状維持を望んでいる。
成長するための心――野心とでも言えばいいのだろうか。
それがまるで存在しない。
周りにポーズとして鍛錬やら何やらはやっているが、結局はフリであって本気ではない。
ただの憶測でしかないが、それが開眼に影響しているのだろう、きっと。
「は、隼人?」
「ん? ううん、なんでもない。たぶん、精神的なものだよ」
「精神的……なら、私の催眠でそこだけちょちょっと弄ればどうにかなるんじゃない?」
人差し指から怪しげな光を出して、ノラはそう言ってくれる。
瞳に円環すらをも浮かべて、全力で俺を気遣ってくれているのがわかる。
俺に向けられた言葉と声音と瞳が、それを教えてくれている。
けど――
「いや、これは俺が持ち続けなきゃいけないものだから」
「そうなの?」
「そうなの。だから辛すぎて明日も生きていけないってくらいになるまで、それは保留ってことで頼むよ」
「うん……わかったけど、あんまり無理はしないでね?」
「ありがと」
ノラの優しさに当てられて、思わず抱きしめたくなる衝動に駆られる。
それをすんでのところで抑え込み、額にキスで留めておく。
「ちょっと体を動かしてくる。もう夜も遅いだろうから、ノラは寝てて」
キスをした恥ずかしさを隠すために立ち上がり、そう告げる。
しかし、ノラは首を横に振って立ち上がった。
「私も行くよ。次の大戦だと一緒に戦うんだし」
「……そうだね。一緒に行こうか」
どうせ止めても聞かないだろう。
それに、一緒にいたいと言ってもらえるのはとても嬉しい。
ノラの言葉に甘えて、俺は離れにある闘技場へと足を進めた。
* * * * * * * * * *
「よくやってくれた、ユリエル」
「感謝されるようなことは何も。私は与えられた仕事を全うしただけにすぎません」
「そう謙遜するな。お前の活躍のおかげでドミニクが難なく目的を果たせた。想定外の収穫もあったしな」
「……ありがたきお言葉」
片膝をつき、もう片方の膝を立て、ユリエルは恭しく頭を下げる。
ただ、いつもの事務的な所作ではなく、何かこう、そわそわ感とでも言うのかな?
そんなものを、ユリエルから感じる。
「随分とご機嫌なようだけど、何か嬉しいことでもあった?」
「――実は、先の任務でドミニクに代わる好敵手をみつけまして」
「ほう……お前がそう言うってことは相当強いのか」
「はい。搦め手に対してはあまり強くなさそうでしたが、こと肉弾戦においては私に匹敵するほどの」
「それは……素晴らしいな」
ユリエルは自己や他人の評価を過少も過大もしない。
故に、その言葉には信頼が置ける。
そんなユリエルがそれほどまでに絶賛すると言うことは、即ち相当な実力者と言うことだろう。
「その者の名は?」
「ソウファと」
「ソウファ……? 前回の大戦でカスバードが連れ帰ってきた小さな娘と同じ名だな」
ボクの言葉で、ユリエルはハッとした表情になる。
言われるまで気づいていなかったのだろう。
ボクの言葉と自分の認識を合わせるように、頭の中で一つ一つ確認をしているような素振りを見せる。
「確かに、言われてみれば同じ者かもしれません……」
「そうか。確かに、潜在能力は高かったからな。まさかお前に匹敵するほどとは思っていなかったが」
カスバードが前回の大戦の前に連れ帰った三人。
あれらの秘めている実力は素晴らしかった。
それこそ、十魔神に勝るとも劣らないほどに。
それを目覚めさせ、使いこなしでもしたらなるほど、ユリエルの好敵手足り得る存在か。
しかも純粋な身体能力――肉弾戦に特化していると来た。
これは次の大戦がさぞ楽しみになっただろう――なんて、言うまでもなく、か。
「今は休め。十分に力を蓄えろ。来るべき時に発揮してもらう」
「御意」
「よし。じゃあ下がれ」
ボクの命にやはりいつもよりは嬉しそうに頭を垂れて、ユリエルは玉座の間を出ていく。
それを最後で眺め、ボクは玉座に深く座り直し、ふぅと小さく息を吐いて天井を見上げる。
「ユリエル、楽しそうだったなぁ」
「前回の大戦を目前にしたあなたくらい楽しそうだったわね」
「……そんなに楽しそうだった?」
あの時のボクは確かにハイテンションになっていた。
けれど、今のユリエルがその時のボクと同じとは到底思えない。
テンションが上がっていたのは間違いないだろうけど。
「表には出ていないけど、所作の端々に嬉しさが滲み出ていたもの」
「そっかぁ……ま、楽しみな理由もわからなくはないね」
楽しみな理由は本当によく理解できる。
ボクたちの遺伝子に刻まれているのか、魔人は総じて戦闘狂が多い。
だからか、ユリエルのような強者は自分と対等以上の実力を持つ相手と戦える機会を常に望んでいる。
ボクやカスバードが相手できるが、何度も戦ってきたから飽きが来るのも当然で、そもそも味方だから本気の戦いはできない。
そんな条件を掻い潜って見つけたドミニクも、俺たちの味方になってしまった。
そう意気消沈していたところに現れた好敵手ともなれば、それほどに喜びたくなるのも頷ける。
「ま、それはいいとしてこれ。ほんとに回収する必要あったの?」
ユリエルが最初の戦いを始めた段階でしれっと回収しておいた、色褪せた赤い本。
それを弄びながら、虚空へと問いかける。
「ええ。それは私たちが不利になりかねない要因の一つだもの。あらかじめ排除しておく必要はあるわ。これで足りるかどうかはわからないけれどね」
「ふーん? でもあいつらが強くなる分には何も問題ないだろ? むしろそっちの方が都合いいじゃんか」
「強くなりすぎた力は御すのが大変なのよ」
ため息でもついてそうな声音で、虚空は返事をしてきた。
それに「ふーん」とだけ返して背表紙を見る。
そこには『勇者の系譜へ』というタイトルが書かれている。
「『勇者の系譜』か……前回のはともかく、今回のはそんな強くないよね」
ノラが人間の国で諜報活動をしていたときに、『私利私欲のためにしか力を使わない腰抜け』や『勇者としての責務を果たせない無能』など、散々な噂しか聞かないとボロクソに言われていたと言う報告しかなかった勇者。
今はあの綾乃葵と一緒に行動しているらしいが、先の大戦ですら姿を見せなかったし、ユリエルやドミニクと戦ったと言う話を聞いても大した脅威とは思えない。
そんな期待外れでしかない勇者を思い浮かべて、ボクは落胆混じりのため息をついた。
「そんなことはないわよ」
しかし、虚空はボクとは違う考えだったようで、ほんの少しだけ声を弾ませて言った。
「今代の勇者は確かに、素の能力ではゴミよ。間違いなく歴代最弱ね」
「それでも違うと?」
「精霊を――大精霊を二柱も従えてる。これは歴代の勇者では誰も――それこそ、初代勇者ですらできなかった偉業だわ」
「――へぇ」
初代勇者ですらできなかったことができる勇者。
たったそれだけのワードで、ボクの勇者への印象はガラリと変わる。
心の奥底には対抗心や興味の火が産声を上げ、徐々に大きくなっていく。
おばあちゃんと対等以上に戦った初代勇者以上の資質は、何よりも信用に値する。
「今はまだその力を使いこなせていない。でも、それを使いこなしたら……」
「――いいね。戦ってみたい」
「難しいでしょうね」
「わかってる。ま、征服したらいつでもできるし、その時を楽しみにしてるよ」
赤いぼろっちい本を放り投げ、ボクの体格には全くあっていない玉座から飛び降りる。
大きく伸びをして、次の大戦を見据え、言葉を紡ぐ。
「何にせよ次で決着だ。綾乃葵。お前の成長を楽しみにしているぞ」
聞こえるはずもない遠くにいる敵――ユリエル風に言うのなら好敵手に向けて、ボクはそう宣言した。