第十二話 【それぞれの成長】
ランタンの灯りの中でさわさわと、私とほとんど変わらない黒い髪を梳きながら、その髪の持ち主の寝顔を眺めている。
少し開けた広場には、もうすぐ日付が変わることも相まってか私と私の膝枕の上で気持ちよさそうに眠っている葵くんしかいない。
時間帯が時間帯なので人気がないのは当たり前だろうが、今に限って言えば別の理由がある。
この広場があるエルフの郷は、つい半日前に魔人からの襲撃を受けたからだ。
魔人を撃退し、郷の平和を取り戻したエルフの皆さんは、即座に破壊の限りを尽くされた集落の修復にあたっていた。
日が昇っていた頃ならエルフの子供たちもこの広場に遊びに来ていたが、お母さんらしきエルフに首根っこを掴まれ引っ張られていた。
集落の修繕には、猫の手――もとい、子供の手も借りたいのだろう。
ともあれ人手が足りず、魔術と言う元の世界と比べて非常に便利な力があってもなお、間に合わなかった。
それほどまでに、あの魔人に破壊の限りを尽くされた。
その破壊の一端に関わっている私――というか当事者の一人である私もお手伝いを申し出たが、葵くんが眠っているからそちらを見ていて欲しいという理由でやんわりとお断りされた。
とは言ったものの、断られた理由は他にある。
それは、私がこの郷――ひいては集落を襲撃した魔人と、同じ気配があるからだ。
どうして私が、人間でありながら魔人の気配を持っているのか。
その理由を説明したところで理解してもらえるとは思えないし、細かな説明をしているほど、エルフの皆さんに余裕はない。
そう言う理由もあって、エルフの皆さんが集落を直している中、葵くんが起きるまで人目に付きやすいこの広場にいた。
その名残から、こうして日が落ち、日付が変わりそうなくらいに月が昇っている今も、広場に居続けている。
「寝顔は可愛いのにね」
前髪を梳きながら掻き分けて、私は誰に聞かせるでもなく呟いた。
頭の中に思い浮かべるのは少し前、葵くんの体を借りて顕現したあの存在。
冷酷無情と言う四字熟語がピッタリだった、偽葵くんとでも呼ぶべき存在。
おそらく、偽葵くんは本質的には葵くんなので、“偽”は当てはまらないとは思うけれど。
ともあれ、あんな偽葵くんを内に抱える葵くんの寝顔は、そんな気配を微塵も感じないほどに可愛らしい。
それこそ年不相応なくらいに幼いと言うべきか。
スヤスヤと、気持ちよさそうに寝息を立てている。
膝を抱えるようにして眠っているから、余計に幼さが強調されているのかもしれない。
「――んむぅ」
変わらず、頭を撫でながら葵くんが起きるのを待っていると、膝枕で眠る葵くんが小さい呻き声を上げて体をもぞもぞと動かした。
横向きに丸まって寝ていたが、器用に頭の位置を固定したまま仰向けになるようにして寝返りを打ち、ゆっくりと瞼を開けた。
パチパチと何度か瞬きをして、視線を動かして状況把握を計っている。
「おはよう。よく眠れた?」
「あぁ、うん。えっと……お陰様で、快眠だったよ」
「それなら良かったわ」
枕を貸しておいて悪夢を見ていたなんて言われたら、少しだけ傷ついていたところだ。
そんな仮定の話は置いておき、どうやらよく眠れた様子だ。
寝覚めも良さそうだし、私の膝を枕として貸し出した意義は十分にあった。
「……どのくらい寝てた?」
「そうね……十時間くらい?」
「そんな長い時間……脚、痺れてない?」
「大丈夫。時折、体勢を変えていたから」
「そっか。長い間拘束してごめん。それと、ありがとう」
「どういたしまして」
膝枕に頭を乗せたまま、葵くんは下げられない頭の代わりに目を伏せ感謝を示す。
それに答えて、夜が更け始めている状況でも復興作業に当たっているエルフの皆さんの方を見る。
「それで、いつまで寝ているの?」
「え? ぁあ、いやぁ……あまりにも心地いいんで、もう少しこのままでもいいかなぁって」
「他の場所が心配じゃないの?」
「んー……全員問題ないと思って託してるし、心配はしてないかな。これでも自分と相手の実力差を把握するのは得意――だと思ってるし、うん」
眼を逸らして、葵くんは自信なさげに呟いた。
自信はあったが無くなった、と受け取れる言い方。
深く詮索するつもりはないからそれは脇に置いておき、話を本題に戻す。
「――大丈夫だった?」
「……何が?」
私が本題を出す前に、葵くんが話を切り出した。
主語のないその言葉に、私は思わず聞き返す。
バツの悪そうな顔をして、葵くんは言葉を詰まらせながらも答えてくれた。
「結愛に、要らない心労を溜めさせたこと。あいつの戦いを――間近で見たんでしょ?」
「……そうね」
関わりのない人が聞けばわからないだろう内容の会話。
それでも、関わりのある私には理解できた。
葵くんが言わんとするところも。
「でも、大丈夫よ。確かに衝撃的ではあった。私の人生で片手に数えられるくらいにはね」
言葉で助けを乞うことも、迫る死から逃れることもできず、目だけが必死に私を捉えていた。
それを助けることも、手を差し伸べることもできず、人の死を、一から十まで見続けた。
今までも、この先も、あれほどの衝撃を受けることはないだろうと思えるほどに。
素直で率直な感想。
気遣いもない、飾りもしない、純粋にあの時――今も思っていることを告げ、葵くんはしょんぼりとした顔になる。
私にそれを押し付けてしまった責任を感じているのは、誰の目にも明らかだ。
だからこそ、私は微笑んで言う。
「けれど、あの程度で私が折れたり、壊れたりすると思ってるの?」
「……結愛は強いよ? 強いけど、それでも一人の女の子に変わりはない。だから、その……」
「気遣ってくれてるんだよね。うん、その気持ちはとっても嬉しいわ。でも――」
未だ私の膝枕に寝そべる葵くんの両頬をむぎゅっと挟み込む。
想像以上に柔らかな頬を揉んで潰して捏ね繰り回す。
「ゆ、結愛?」
「葵くんが私を気遣って苦しむ姿を、私が見たいと思ってる?」
「……思わない」
「でしょ? なら、そんなことは考えなくていいのよ」
「……でも」
「でももへったくれもなし! うじうじしててもどうにもならないでしょう?」
「……わかった」
目を伏せ、葵くんは頷いた。
まだ心の中に蟠りとして残って入るだろうけれど、時間とともに薄れていく。
完全に消えるまでには時間がかかるだろうけれど、その前に、きっと葵くんなら経験として昇華できる。
「それで、いつになったら起き上がるの?」
「……あと十――いや五分だけ」
「そんな寝起きの常套句みたいな」
膝枕をしているのは苦ではないから、私としてはこのままでも問題はない。
けれど、パティやフレッド、パパとママやソウファちゃんが心配な気持ちもある。
だからこうして意味もなく留まっているのは気が引けると言うか……。
「――なんてね」
そう言って反動をつけて起き上がり、ゆっくり大きく伸びをする。
振り向いて、座ったままの私に手を差し伸べてくれた。
「みんなのところに戻ろっか」
どうやら、葵くんは私の心の内がわかっていたらしい。
その上で、私がついやってしまうからかいの仕返しを試みたらしい。
存外、やられたらムッとなる。
「……意地が悪いのね」
「いつものお返しってことでまからない?」
「まからない。お詫びはきっちり要求するわ」
「へーい」
やれやれとでも言いたげに肩を竦める葵くんに少しだけ、ほんの少しだけイラッとしつつも、私は差し伸べられた葵くんの手を取って立ち上がる。
ただ、からかわれたのがほんの少しだけ癪だったので、何か言い返せるものはないかと記憶を探る。
探った結果、別になんでもない記憶が想起された。
特段、言ったところで何かが起こるわけでもないが、私の子供の部分がとりあえず何か言っておかないと気が済まないので、思い出したそれを口にする。
「そう言えば、さっきの魔人との戦いでアラームみたいなの鳴ってたけど、何かあったの?」
私の何気ない一言を聞いて、私の手を掴み引き上げてくれた葵くんは目を点にする。
そして次には焦ったような、そんな表情になる。
慌てたようにポケットを弄って、一つのコインのようなものを取り出す。
真ん中に嵌められたLEDのようなものが、ピカピカと赤く点滅している。
「それがアラームの発生源――」
「いつ鳴ってた!? どのくらい前――いやそうじゃない落ち着け」
私に尋問でもするかのように詰め寄ってきたかと思えば、今度は自己暗示のようにブツブツと呟く。
その様子に、ただ事ではない何かを感じ、私は気を引き締める。
「何があったの?」
「えっと――いや、説明してる場合じゃ――」
「落ち着いて。慌ててもどうにもならないよ。まずは落ち着いて、それから二人で考えよう?」
見るからに慌てふためいている葵くんを窘める。
慌て焦っていては、まともな思考などできるはずもない。
ついでに、私にも説明が欲しい。
だから一旦、落ち着けさせる。
「深呼吸して。ゆっくりでいいから」
「――――はぁああああああ」
大きく空気を吸い込んで、それを大きく吐き出した。
身振り手振りも加えた、大袈裟なくらいに大きな深呼吸。
葵くんは、ゆっくりと目を開いた。
「これはパトリシアさんに渡したコインと連動してて、向こうのコインが壊れるとこれが光る仕組みなんだよ」
「……つまり、パティの身に何かあったと?」
「その可能性がある。パトリシアさんは大地さんと真衣さん、あと獣人の国の非戦闘員と一緒にいたはずだから――」
「わかった、ありがとう」
葵くんが大慌てになった理由が十分に理解できた。
理解すると同時、私は即座に行動に移る。
「葵くん。パティの位置を――」
言いかけて、葵くんから魔力が放たれる。
薄い魔力が波にように広がって、エルフの郷を飲み込んでいく。
そのまま大地へ、空へと浸透し、どんどんと広がっていった魔力は、私の感知できる範囲を超えてしまった。
目を閉じ、何かに集中する素振りを見せる葵くんは、十秒程経ってから目を開け、私の手を掴む。
「見つけた。お願い」
「――わかった」
脳内に情報が送り込まれてくる。
摩訶不思議でなんとも形容し難い感覚だが、それに構っている暇はない。
自分にそう言い聞かせ、私は送られてきた情報を元にパティの元へと跳んだ。
* * * * * * * * * *
結愛に掴まり転移した先で見たのは、死屍累々と積み重なった死体の山――
「パティ!」
――などではなく、団子のように丸まって暖を取る大勢の姿だ。
子供の手を摩り、子供の不安を紛らわせている大人の獣人や、心配そうな顔で両手を組み握りしめている獣人など。
あの国にいたうちの三分の一程度の獣人が、何個かに分けられた焚き火で暖を取っている。
時期的に冬ではないが、夜は冷えるので焚き火はかなり重要だ。
その焚き火を囲む集団の一つに見知った顔を見つけるや否や、結愛は名前を読んで宙を踏み込み飛び出していった。
「――! 奥様! と……」
「悪い、遅れた。状況は?」
若干のバツの悪さを感じながらも、これ以上悪化しないように状況把握に努める。
やはりと言うべきか、あまり歓迎されない顔をしながらも、結愛の手前かパトリシアさんは話してくれる。
「魔獣の襲撃を受け、一部が魔獣の足止めのために残りました。奥様のお父様やお母様もそちらに――」
「俺が見てくる。結愛はここで警戒を」
「……わかったわ」
俺がここに残るより、パトリシアさんとコミュニケーションの取れる結愛が残った方がいい。
そういう判断だったが、結愛はきちんと理解してくれたらしい。
自分の親の安否を一番確認したいだろう気持ちを抑え、俺に託してくれた。
それに応えたい。
決して、パトリシアさんとの約束を破ってしまったことに対してバツの悪さを感じ、居心地が悪いとかそんなのではない。
「――って、その必要もないみたい」
「……? どういうことかしら?」
「ほらあっち。もう十分くらいで合流するっぽいよ」
転移の前に大地さん達の場所を見つけようと“魔力探知”を起動しようとした寸前、俺の“魔力感知”が大地さんの気配を捉えた。
だいたいここから一キロほどの位置で、真衣さんや大勢の獣人と一緒に移動してきている。
弱々しい魔力反応もちらほら見受けられるが、命に別状がありそうな人は見当たらない。
魔獣の迎撃には成功したとみてよさそうだ。
「――ああ、なるほどね」
「何かあったの?」
「んや、アカが一緒にいるから『なるほどね』って」
「アカさんが守ってくれたと言うことかしら?」
結愛が首を傾げながらそんなことを言う。
アカが進んで俺たちの手助けをするとは思えない。
もし助けたのなら、何らかの理由はあるだろう。
尤も、それが何かはわからないが。
「大地さんたちは大丈夫そうだし、俺は帝国に送った奴らの回収に行ってくるから」
「わかったわ」
結愛に一言断りを入れてから、俺は帝国へと転移した。
* * * * * * * * * *
帝国へと転移した俺は、首都の惨状を見て驚く。
俺が帝国へ召喚者を放り込んだ――もとい送り届けた時は首都の半分を覆う程に魔獣が侵攻してきていたが、それ以降の被害が絶無だ。
半分ほどは魔獣の侵攻に飲み込まれ瓦礫が山となって放置されているがそれだけ。
召喚者を送った後からは、魔獣の侵攻を許さなかったと言うことだろうか。
撃退は余裕だとは思っていたが、まさかここまでとは思っていなかったと言うのが正直なところだ。
「想像以上か……次の大戦は期待できるな」
なに目線か自分でもわからなくなる発言を漏らしつつ、俺は“魔力感知”で召喚者の位置を探し出して跳ぶ。
魔紋から魔力を回収する手慣れた作業をこなしながら、召喚者との合流を果たす。
「小野さん」
「あ! 綾乃くん!」
俺の存在に気が付いた小野さんが駆け寄ってくる。
パッと見怪我はなく、魔力の反応もそれなりに元気そうなので一安心だ。
後ろにいる二宮くんも似たような状態なので、俺の予想は正しかったらしい。
そっちも一安心だ。
「ごめん。来るの遅れちゃって」
「ううん、大丈夫だよ。意外と、私たちだけでどうにかなったから。それよりも、綾乃くんの方こそ大変だったんじゃない?」
「んーまぁ……俺はそこまで大変じゃなかったんだけどね……」
小野さんの質問に、歯切れの悪い返事をしてしまう。
実際、先の魔人との戦闘で俺が大変だったことはない。
大変だったのは、魔人とあいつの相手をさせられた結愛だ。
「そんなことよりも、無事に終われたみたいだね。被害とかなかった?」
死以外の傷ならソフィアが作成してくれた回復のスクロールでどうにかなる。
そう思っての質問だったのだが、俺の予想に反して小野さんの表情が硬くなる。
「……何かあったの?」
「あ、いや、私たちクラスメイトに被害はなかったよ? あっても私たちが使えるレベルの治癒の魔術でどうにかなる傷だったし、首都を守ってた組合員の人たちの死者数もゼロって聞いてるし」
「そっか、それならよかった――んだけど、じゃあその深刻そうな顔は?」
まさか結愛のような揶揄いではあるまいな、と要らぬ心配を巡らせる俺に、小野さんはどう説明するのがいいのか悩むような表情のまま話してくれた。
「実は……あの、金等級の組合員の人いるじゃない? 赤い髪の男性」
「フレッドか。――まさかフレッドに何かあったのか?」
「怪我をしたとか、不治の病を患ったとかそんなのじゃなくてね? その、魔人の本命の阻止に失敗したって……」
「……フレッドがどこにいるかわかる?」
「あそこのテントにいるよ」
小野さんが指差しで教えてくれたテントは、言われてみれば人の出入りが乱立するほかのテントに比べて極端に少ない。
フレッドを気遣っての行動か、単に誰にも手が負えなくて放置されているのか。
もし後者なら、俺がどうにかできる問題でもない気がするので、強引に結愛たちの元へ連れて帰るしかないか。
「ありがとう。――と、その前にみんな送るよ。天の塔でいい?」
「え? あ、うん。じゃあえっと、みんな呼んでくるね?」
「ああ、大丈夫。ちょっと試したいことあるから」
「試したいこと?」
小野さんの言葉に頷いて、俺は片膝をつき地面に手を置く。
深呼吸をして、魔紋を開いたまま、“翻訳”の波を地面伝いに広げる。
あいつに意識を乗っ取られている時に、ただ体を明け渡していたわけではない。
夢の中で、翻訳の前任者である初代勇者に色々な使い方を聞いてきた。
その一つがこれだ。
魔力に翻訳の能力を乗せるという技術。
応用の仕方はどこにでもあるものだが、普段とは違うコツが必要でわかってはいても使えない、使いづらいものだったのを、コツを教えて貰うことで多用できるようになった、と思う。
「よし、場所は把握できた。あとは――」
翻訳の能力で散らばった召喚者の位置の特定を完了させた。
次はその全員を転移で俺のいる場所へと転移させる。
一気に全員は流石にキャパオーバーなので、一人ずつ確実に転移させる。
繰り返すこと26回。
帝国に送った召喚者全員の強制招集に成功した。
急に転移させられなんだと驚いている人が多数。
念のため、重要なことをしていた人、あるいはやり残したことがある人は第二陣として送る旨を伝えたが、どうやら該当する召喚者はいなかったらしい。
「じゃあみんな。俺の我が儘に付き合ってくれてありがとうな」
「綾乃くんも、気を付けてね」
「ありがとう。小野さんもね」
手早く会話を済まして、召喚者を再度転移させる。
体の中から魔力がごっそりなくなる感覚。
それを確かに認識しつつ、魔紋で強引に補填する。
「さてと」
先に召喚者を転移させたのは、フレッドの問題を知られたくなかったから。
知られて何かがあるわけでもないが、フレッドのお悩み相談をやれば確実に野次馬は現れる。
フレッドがどう思うかはともかくとして、俺が嫌だったから、多少強引に天の塔へと戻した。
召喚者からの今の俺の評価は底辺なので、これ以上落ちる心配はないことを考えると、多少強引な手を打っても損は少ない。
もちろん、デメリットも存在するわけだが。
「フレッド、入るぞー?」
そんなことを考えつつ、小野さんが指差しで伝えてくれたテントの前で声を掛ける。
間もなく返事があり、俺は閉じられたテントの中へと入る。
「なんだ、元気そうじゃん」
テントの中に設けられた椅子に腰かけ、背凭れにだらーんとだらしなく凭れ掛かるフレッドの様子は、そんなに落ち込んでいるようには見えない。
俺の声に反応して振り向いた顔も、多少疲れは見えるものの絶望と言った表情は微塵も見当たらない。
まさしく元気そのものだ。
フレッドと対面する形で、机の上には二柱の精霊が小さなぬいぐるみのようにちょこんと可愛らしく座っている。
「そりゃあ、ウィンディとノームに半日以上、もう散々だってくらい慰められたからな」
「それは何より。俺が慰めなきゃってなってたら迷わず結愛のとこに飛ばしてた」
「……そっちのがきついな。あれでいて、結愛はうじうじしてる身内には厳しいから」
少し悩む素振りを見せて、フレッドはそう言った。
もしそうなったらの仮定を想像しての発言だろう。
言わんとするところは十分に理解できる。
「だけど、本気で悩んでりゃ真剣に聞いてくれるぞ。単に共感同調して欲しい人間に厳しいんだよ」
「違いない」
言って、フレッドは立ち上がる。
それに合わせて二柱の精霊がフレッドの肩へ乗った。
「召喚者の皆さんは?」
「先に帰らせたよ。すまんが感謝ならまた次の機会にでもしてくれ」
「そうだな。そうするよ。……ちょっと待っててくれ。ここの責任者の方に挨拶だけしてきたいから」
「わかった」
フレッドはテントから出て、責任者とやらの人の元へと挨拶をしに行った。
それを眺めてから、別にテントの中にいる必要もないじゃんと俺もテントの外へ出る。
人口の光がなく、精々が篝火や焚き火しかないこの場所は、空を見上げれば星がよく見える。
あのどれかに、俺たちが暮らしていた地球のある太陽系の太陽があるのだろうか。
「葵」
「うん? ああえっと、ウィンディさん?」
俺の名を呼んだ方を振り向けば、手のひらに乗るサイズの小人――もとい精霊がふわふわと浮いていた。
装飾品の色から水の精霊だと断定し、名前を思い出して問う。
俺の疑問符に頷いて肯定を示し、ウィンディさんは話し始めた。
「フレッドは元気なように見えて、まだ無理をしてる。暴走しそうになったら止めるけど、私たちではどうにもならない時もあるかもしれない」
大精霊にそこまで言わせるとなると、よほどウィンディさんはフレッドを過大評価しているように見える。
もしくは、先の戦いでフレッドを止められなかったのか。
ともあれ、真剣な表情でそう言われれば、俺も真剣に答えねばなるまい。
「暴走って言うけど、たぶんその心配はないよ」
「……どうして?」
「もう先を見据えてるから。自分が為すべきことを定めて、その為にひたすらに突き進む。その心が、もうフレッドには備わってるからだよ」
「その果てに暴走が待っているのよ」
「暴走ってのは無理を押し通した果てになるもんだろ? あいつは無理はしていないし、するつもりもないだろうさ。まぁ無茶はするだろうけど、結愛やパトリシアさん、神聖国に置いてきたアヤさんやケイティさん、それに――ウィンディさんやノームさん。今のフレッドにはたくさんの、自分を想ってくれる人がいる」
自分のことを考えてくれる人がいるだけで、意外と無理はしなくなる。
その人のことを想える心があれば――自分が傷つくことで悲しむ人がいると知っていれば、無茶も無謀も押し通しても、無理だけはできなくなる。
そのタガが外れてしまった末路が暴走――つまるところ、未来の俺のような状態だ。
「ウィンディさんが傍で、ずっとフレッドのことを見続けていれば、きっとそれだけであいつは止められる。もう散々説教した後なんだろ? 取り敢えずさ、また間違えるときまで見守っておいてあげてよ」
フレッドが俺と同じ考えかはわからない。
いや、十中八九違う考えを持っているだろう。
けれど、今俺が言ったことは真理の一つではあるはずだ。
少なくとも、俺はそう思っている。
「……葵の言葉を信じてみるよ」
「ありがとう」
「でももし暴走したらその時は、全部解決した後であなたのことを殴るからね」
「わ、わかった」
ノーとは言えない雰囲気で凄まれて、思わず頷いてしまう。
背丈は小さいはずなのに、どうしてこうも圧倒的な凄みを持っているのか。
純粋な年月が為せる技なのだろうか。
「……心配は要らないかな」
大切な人を失ったかもしれないと思う辛さ、悲しさは、痛いほどよく知っている。
そう言う意味でフレッドと俺はよく似ている――と言うか同じだ。
そこに至るまでの過程が違うだけ。
だからこそ、俺はフレッドが心配だった。
未来の俺と同じ結末になる可能性も考慮して、ほんの少しだけ気にかけていた。
けれどそれも、もう必要ないかもしれない。
「お待たせ」
「……なぁ、フレッド」
「なんだ?」
転移のための接触に手を差し出して、俺はフレッドに話しかける。
二柱の精霊がフレッドの肩に座っているのを確認して、座標計算、魔紋を解放して魔力の補充をして――
「無理だけはしないでね。俺、殴られたくないから」
「……は? なんだそr――」
念のための念押しをして、返事を最後まで聞く前に、結愛の待つ獣人の国へと転移した。