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姉の為に。  作者: たかだひろき
第九章 【エルフの郷】編
149/202

第十一話 【板垣結愛の戦い】




「あ、葵くん……?」


 殺気とは違う異様な気配を周囲に撒き散らし、体幹が安定していないのかゆらゆらと揺れている。

 にも拘らず、私の方へ踏み出してくる足取りは確かなものだ。

 異様な気配――殺意とは違う、されどそれに近しい負に満ちた感情。

 なのに、嫌な感じはしない。

 嫌な感じはしないけれど――


「葵くん……だよね?」


 嫌な感じはしない。

 だけど、その確証がない。

 だから私は問いかける。

 問いかけるが、返事はない。

 反応も何もない。

 まるで夜空に話しかけているかのような虚無。


「ヒヒヒッ。いいなぁいいなぁ! 闇を孕んだその気配。宰相様が言っていた破滅を齎す人間ッ……やはりお前だったか!」


 不安な気持ちが募るばかりの私とは違い、先程まで戦っていた魔人は酷く興奮している。

 その理由は微塵もわからない。

 先程から言葉にしている内容も、意味はわかるが理解はできない。

 そもそも私に理解させる気もないだろうけれど。


「……」


 興奮して叫ぶ魔人へ、葵くんの視線が向く。

 光のない虚ろな瞳は、見据えた人間を射殺しそうなくらいの恐ろしさを孕んでいる。

 直接向けられたわけではない私がそう感じる。


「さぁ……戦おうぜッ!」


 その声とともに、魔人が加速する。

 爆発を利用し、急加速で葵くんへと迫る。

 十メートルは開いていた距離を一瞬で詰め、虚ろな瞳がついている頭へ殴打を見舞う。

 ヒットした瞬間に魔人の拳は爆発し、轟音とともに爆煙が二人を中心に巻き上がる。


「あ、葵くん……!」


 爆煙が立ち込めるそこへ、私は一歩踏み出して叫ぶ。

 しかし、踏み出した私の前へシルフちゃんが飛んできて両手を広げる。

 ここから先にはいかせないと通せんぼしているようで――


「結愛。アレには近づいちゃダメ」

「アレが――葵くんの体を使ってるアレが何か知ってるの?」


 私の問いに、シルフちゃんは首を横に振る。

 顔だけ振り向かせ、シルフちゃんは爆煙を――未だ爆音の轟く爆煙の中にいるであろう葵くんを見ながら零す。

 何かが、警笛を鳴らすように甲高い音を鳴らす。

 ピーッピーッと、一定のリズムで、か細く。

 けれど、そんなものが気にならなくなるくらい、今の葵くんの状態が気になる。


「アレが何かはわからない。だけど、ロクでもないモノなのは間違いない」

「ろくでもないモノ……?」

「ここら一帯の生物は逃げ出しているし、微精霊や――魔力でさえもアレから逃れようとしている」

「魔力が逃げる……って、一体どういう?」

「この世界の全てがアレの存在を望んでいないと言うこと。魔人が言っていた“この世に終わりを齎す人間”。それがアレだと思う」


 『確証はないけど、そうとしか思えない』とシルフちゃんは小さく呟いた。

 そんなシルフちゃんを見て、私は再び爆煙の方を見る。

 立ち込めていた煙は大気の流れに乗って散っていき、ようやくその中で起こっている出来事が明るみに出る。


「全く……効いて、いない……?」

「……」


 魔人が私と戦っていた時より、何段も速く重い連撃を繰り出している。

 そのどれもに火炎や爆破など、殺傷能力の高い魔術が付与されている。

 拳を防げても、連鎖的に襲い掛かる魔術を全て防ぐのは難しいだろう。

 そう思わせる魔人の攻撃を、葵くんは何をすることもなく防いでいる。

 ただ突っ立っているだけで、魔人が齎す破壊の全てを無力化している。


「これも効かないか……じゃあ――ッ!」


 一度大きく後退し、魔人は両手を真上に振り上げる。

 振り上げたそれらに力を込めて、空気を掴むようにして握ったのちに振り下ろす。

 一拍の間をおいて、葵くんの頭上にあった()()()()()()

 そうとしか形容できない現象が目の前で発生する。

 不可視のはずの空気が圧縮されたからか、(おぼろ)げに揺れる陽炎(かげろう)のように視認でき、それが葵くんを上から押し潰さんと迫っている。

 だが――


「――これも効かないか」


 初見の面白いものを見るような、あるいは焦りを含むような笑みを浮かべて呟く。

 その呟きの通り、葵くんを地面にせんと迫っている空気の層は、葵くんの頭上で止まっている。

 正確には、葵くんの頭上にある空気の層だけが下へと向かえず、周りの層だけが葵くんを包み込むような形で地面へと降下している。

 布団を頭から被せたような、そんな感じだ。


「そうか……」


 葵くんへの攻撃を止め、魔人は大きく深呼吸をする。

 火力があの魔人の脅威だ。

 技術力だけで言えば私の方が高いが、それを補って余りある火力とそれに付随する速度。

 それがあの魔人の強さ。

 小手先の技術力など、圧倒的な力の前では無意味なのだと理解させられた力。

 それが今の葵くんに通じず、攻めあぐねている。

 この一時の間も、それを理解し整理するための時間だろうか。


「超高密度のバリアか……あるいは周囲からの干渉そのものを無効化する能力。なんにせよ、お前まで攻撃が届かないとなると倒すのは難しそうだな?」


 「解き放ったのは失敗だったか?」と今更のように後悔の念を見せる。

 そもそも葵くん自身が「やめろ」と言っていたのを無視しての強行だ。

 自己中心的で短絡的な考えにもほどがある。


「……逃げるか」

「ッ――!」


 最悪の状況にしておいた張本人が逃げる。

 無責任にもほどがあると心の中で声を大にして叫ぶ。

 強大な敵を倒すために敵勢力の敵勢力の力を借りる。

 そんな展開はよくあることだ。

 “敵の敵は味方”は有名だろう。

 だが私たちに対してそれをする必要もなく、更に言えば初めからそれを目的としてこの魔人はアレを解き放ったわけではない。

 好奇心のみでアレを解き放ち、手が負えなくなったから責任の一切を放棄する。

 本当に無責任極まりない。

 力などなくとも、そのことに文句の一つでも言ってやる、と私は魔人へと視線を向ける。


「――!」


 視線の先。

 魔人と視線が交錯する。

 私が見た時には既に私の方を見ていた。

 何か言い知れぬ嫌な予感に苛まれる。


「――確か、アレはお前を大切に思ってたな?」

「――! 結愛、離れて!」


 魔人が呟き、私へ向けて一歩を踏み出した。

 それを確認し、シルフちゃんが私の眼前に立って叫ぶ。

 今度は魔人へと両手を広げ、これ以上は行かせないと怒り混じりの声音で吠えている。

 あの魔人に、精霊の特性はあまり有効ではない。

 魔術特化ではなく、近接においてもかなりの実力者であるあの魔人に、シルフちゃん一人で対抗するのは難しい。

 私が前衛を張り、シルフちゃんに援護してもらう。

 それが最適解なのは言うまでもない。


 だが、今の魔人の目的は私。

 目標である私が前衛を張り捕まれば負け。

 そんな状況で私が前に出るのは良いことではない。

 子供でも分かること。

 でも――


「シルフちゃん。私の肩に」

「……本気? あの魔人は――」

「私を狙ってる、でしょ? わかってる。わかってるし、そう簡単に捕まるつもりもないわ。だから、力を貸して、シルフちゃん」

「……わかった」


 私の肩の上――ではなく、頭の上に乗ったシルフちゃん。

 それを確認して、私はもう何度目かの、刀を正眼に構える。

 速度は魔人に劣る。

 だから、こんな真っ直ぐな構えなど意味を為さないだろう。

 でも、私だってまだ全てを出し切っていたわけじゃない。

 あの魔人が久しぶりの戦闘で戦いながら様子見をしていたように。

 私も魔人の力量を計るため、死なない程度に様子見をしていた。

 だがこうなった以上、もう様子見をしている理由もない。

 全力で相対する。


「……待っててね、葵くん」


 すっかり動かなくなった葵くんへ視線を向けてから、聞こえていないだろうけれどそう告げる。

 あの魔人を全力で倒し、その後であの状態になった葵くんを元に戻す。

 できるかできないかなんて今は考えない。

 やるべきことだけを、ただひたむきにやり続ける。


「防御は全部任せるわ。死なない傷は無視していいから――」

「――わかった」


 あの魔人の猛攻を、シルフちゃんが全て防げるとは思えない。

 爆破の余韻など、本来魔人が想定している以上の攻撃範囲を持つものが多数あるから。

 だから、私が傷つくたびに何かを思わないよう、予め釘をさしておく。

 私が傷つく程度、どうってことはない。

 たとえ傷跡が残ったところで、死ななければ未来はある。

 それをこの世界で、嫌と言う程知らされた。

 命を粗末にするわけではない。

 命大事に、されど大胆に。

 それが私のやり方だから。


「魔紋解放――“鬼闘法”、“身体強化”」


 心臓が跳ねる。

 脈動する魔力に呼応するように、心臓が己の肉体へ血を回す。

 高鳴る心臓の音に比例するように、周囲の情報が入ってくる。

 環境の音、人口の音。

 体の動きや視線の向き、指先の微細な動きや呼吸の間さえも。

 外見に然したる変化はない。

 けれど、己が肉体が強化され、あらゆる神経が研ぎ澄まされる。

 かつてない高揚感と全能感。

 それに溺れず驕らず、ただ私の目的を達成するために――


「あなたを倒します――!!」

「――ハッ。最高じゃねぇか……!」


 牙を剥き、心底楽しそうに魔人は笑う。

 それに対し、皆底のような冷静さで相対する。

 葵くんは止まっている。

 それがいつまで、どこまでその状態でいてくれるかわからない。

 アレが動き出せば、私も魔人もこんなことをしていられなくなる。

 その前に、何としてでも――!


「――シッ!」


 大地を踏みしめ、魔人へ迫る。

 これまでの数倍――爆破を利用し加速した魔人と同等かそれ以上の速度で魔人へ急接近し、握る刀を振るう。

 鋭い風を纏い振るわれたそれは、大気を振動させ魔人の後ろにあった家屋を半ばから両断する。

 しかし、私の速度に反応した魔人には当たらない。

 低い姿勢となって躱されて、反撃の拳が迫る。

 それを敢えて頬に受け、その威力を受け流す過程で体を時計回りに回転。

 二段階目の爆破を余波だけで済まし、その余波はシルフちゃんに防いでもらう。

 拳と爆破の余波。

 二つの威力を乗せて回転し、左の脚撃を見舞う。


「グッ――!」


 拳を放ち伸びあがった魔人の脇腹へクリーンヒットしたそれは、容赦なく魔人を弾き飛ばす。

 地面をバウンドし家屋へ衝突。

 距離の開いた魔人へ、私は再度跳躍し詰める。

 爆破で周囲の瓦礫を引き剥がし壊れた家屋から出てきた魔人へ、私は躊躇なく刃を振り下ろす。

 地面を引き裂き、地割れのような裂け目を生み出した斬撃に体の一部を裂かれた魔人から鮮血が舞う。

 苦しみに顔が歪むが、それすらをも笑みへと変換し、魔人は両手に魔力を集める。


「させないよ――!」


 シルフちゃんの声と同時。

 風が魔人の手の周りを覆う。

 爆破にしろ他の魔術にしろ、この世に事象として発生した時点で風の妨害を受けることとなる。

 魔術の起動は妨害できない。

 それは精霊のシルフちゃんでも変わらない。

 けれど、発動する魔術を知り、発動された魔術の妨害をすることはできる。

 相殺の一歩先――一手先の対策。


 一瞬生じた魔人の隙へ、今度は私が攻め立てる。

 魔人は私の攻撃速度に反応する。

 ならば、その先を読めばいい。

 私に反応する魔人の反応を。

 魔人の行動、対処のために行う動作。

 思考パターンは読めなくとも、私には圧倒的な動体視力と反応速度、そして研ぎ澄まされた神経がある。

 より深い世界へ――この戦い以外の全てを排した私だけの世界を押し付けて――


「ッ――!」


 刀を振り上げれば刀へ視線が集中する。

 疎かになった足元へ弱めの――しかし態勢に隙を作る程度の打撃を見舞う。

 足元へ意識が集中し、がら空きになった上体へ刃を振るえば、それに反応して上体への防御を回す。

 ならばと刀を囮にし、敢えて当てずに魔人のすぐ脇を空ぶらせ、それに驚く合間に今度こそがら空きの上体へ拳を捻じ込む。

 地面に叩きつけられる形でバウンドした魔人は無防備で、そこへ更なる追撃を見舞う。

 腰を捻り、威力を引き上げた脚で真上へと蹴り上げる。

 何かが砕ける音と感触を耳と脚で理解しつつ、それを追うべく真上へ跳躍する。


「――」


 手に魔力が集まり、シルフちゃんが妨害するよりも早く形となったそれは、爆破となって魔人の体を浮かび上がらせる。

 加速し移動し、ジェットエンジンの如く空を自由に移動するそれは、私が想定していたものよりも数段速い。

 そして、魔人が向かう先には、逃げていったエルフたちがいる。

 故意か無意識か。

 なんにせよ、エルフたちの元へ近づけるわけにはいかない。


「シルフちゃん!」

「わかってる――!」


 刀の切っ先を魔人へ狙い定め、地面と水平になるように体を傾ける。

 シルフちゃんへお願いし、足元へ空気の足場を作り出してもらう。

 それを踏みしめ、爆撃機のような爆破、破裂音を鳴らして真横に跳躍する。

 空気抵抗をシルフちゃんに削ってもらい、爆破を推進力とする魔人へ追い縋る。

 地面に引き寄せる重力よりもなお早く真横へと。

 視界の端はもはやまともな景色を保ってはいない。

 モザイクを何重にもかけたような、解像度の悪い景色。

 だがそれが、私の集中力を底上げする。

 理解できないものを理解する必要はない。

 脳が勝手にそう処理して、余ったリソースの全てを戦いに導入してくれる。


「早い――ならッ」


 爆破による加速を止めぬまま、魔人は振り向き口をあんぐりと開ける。

 その挙動に不信を抱きつつ、私は接近を止めない。

 それが魔人の思い通りだったのか、口を開けているのにニヤケるのがわかった。

 嫌な予感をヒシヒシと感じると同時、魔人の口に光が収束する。

 脳裏に『はかいこうせん』の七文字と情景が(よぎ)る。

 刹那、圧縮された光が解き放たれ、極太の線となって私を貫いた。

 それは減衰することなく、甲高い音を立てながら直進を続けた。

 遠い()()()()し、破壊の音を撒き散らしてようやく薄れて消えていく。

 あと一瞬、ほんの僅かに回避が遅れていれば巻き込まれていた。


「熱波避けてくれてありがとう、シルフちゃん」

「そんなことより早く追わなきゃ――!」

「ッ――しまった!」


 光の上へと逃れ足を止めてしまっていた私は、光を吐きながらも遠ざかっていく魔人を見つけて声を漏らす。

 私の目は魔人の先――崖に作られた道を上り入り口らしき洞窟へ次々と入っているエルフたちの姿を捉えている。

 あそこに着く前に魔人を止めて引き摺り戻す算段はほぼ破綻した。

 あとは被害を出す前に――


「止める――!」


 再び水平に跳躍し、魔人を追いかける。

 体へかかる空気抵抗(ふたん)はシルフちゃんが補ってくれる。

 それをいいことに、自身の体を限界まで酷使して驀進する。

 エルフたちが私たちの――魔人の接近に気付く。

 接近する魔人に気が付き、慌てふためくエルフたち。


 ある程度の距離まで近づいたところで口を開き、再び光を収束させる。

 先の光の線を見ていたのか、あるいはただ直感で何かが来ると悟ったのか。

 焦って慌てて恐れるエルフたちは、一瞬で狂乱の最中に落とされた。

 そんなことは知ったことではないと言わんばかりに圧縮された光は、甲高い音を立てて放たれた。

 光速で迫る、先程のものよりも数段威力の高い極光はエルフたちを飲み込み――


「熱風の対処を!」

「任せて!」


 純粋に後ろを追いかけているだけでは魔人の攻撃に追いつけないと判断し、奥の手の転移でエルフと極光の間に割って入る。

 シルフちゃんに私に対処できないものをお願いし、迫りくる光へゲートを展開する。

 衝撃はない。

 先程よりも明るい光と熱だけが、私たちの五感に伝えられる。


「――! 結愛さん!」

「早く退避を!!」


 戦闘の音や衝撃を聞きつけやってきたアナベルさんへ声を張り上げる。

 余裕のない声音を感じ取ってくれたのか、アナベルさんは頷いてエルフたちの誘導を再開してくれた。

 同時、極光が(しぼ)んでいき細くなって消えていく。

 今頃、極光の転移先に指定した大森林のどこかでは、光による熱や諸々で色々な被害がでているだろう。

 だがそれに思いを馳せ、罪悪感に浸っている暇はない。

 極光の消失と同時、魔人の前へ転移して体に触れ元の戦いの場へと転移する。


 壊れた家屋と戦闘痕によって酷い惨状になった集落。

 そこへ舞い戻る。

 幸か不幸か、葵くんは私たちがこの場を離れた時からほとんど動いていない。

 先の攻撃で何かがあって動かないのかはたまた別の要因か。

 ともあれ私に好都合なのは間違いない。


「転移……転移か。それをここまで温存していたのは切り札としての役割かあるいは――」


 魔人はこちらを見透かすような視線を送ってくる。

 転移を使わなかった理由。

 それはひとえに、消費魔力の多さ。

 “身体強化”は魔力の総量に比例して倍率が上がる。

 少ない魔力でそれ以上を発揮できる葵くんのような例外は置いておく。

 ともあれ、普通は魔力総量イコール“身体強化”の倍率だ。


 そして転移は、魔力の消費が絶大。

 魔紋の魔素吸引――魔力の補填があっても、私の技術ではそう易々とは補いきれないだけの魔力を転移で消費してしまう。

 だから、転移を使うと言うことは私自身の弱体化を意味する。

 特に、“身体強化”に頼らざるを得ない現状、魔力の有無はかなり大きな差となる。

 故にこそ奥の手として、切り札として、使ってこなかった。

 その代償に気付かれたかどうかはわからない――いや、十中八九気づかれている。

 ならば、それを補う立ち回りに移らねばならない。


「ふー……っ」


 息を吐き、大きく息を吸う。

 深呼吸。

 高鳴る心臓を宥めるためではない。

 思考をリセットさせ、落ち着けるための呼吸。

 己がやるべきこと。

 それを再度認識し、魔人へ全ての意識を注ぎ込む。


 脚に力を溜め、前傾姿勢に。

 刀を正眼に、もう何度目かの吶喊を敢行する。

 速度は最高潮の少し下。

 けれど十分な速さが出ている。

 私の突進を魔人は真正面から受け止めようとしているのか、両手を爆発させながら手を――腕を広げる。


「防御お願い!」

「うん!」


 刀の私と素手の魔人。

 リーチは圧倒的に私の方が上。

 それを活かし、刀の威力が最大に引き出せる距離の近接戦を挑む。


 上段から振り下ろし、半身になって躱した魔人へ斬り返しの刃を見舞う。

 爆破で宙に浮き躱され、その上へ跳んで再度上段を振るう。

 刀の腹に手を添わされていなされるが、それを利用し脚撃を叩き込む。

 首筋に非っとしたそれは多少のダメージを与えつつもいなされ、反撃に爆破込みの拳を腹部へ受ける。

 だがそれは、シルフちゃんが防いでくれる。

 風の膜――空気を圧縮し生み出された膜で拳を。

 逆向きの風で爆破の威力を激減――無力化してくれた。


 足りない部分を補う。

 私の足りなくなった速度と火力は、防御に回していた意識を割譲することで補填する。

 そして足りなくなった防御の全てをシルフちゃんに。

 防衛本能を抑え付け、反射的に守りたくなる衝動を無視し、ただひたすらに攻撃に転じる。

 多少の傷は構わない。

 死ななきゃ次はある。

 思い出せ。

 命大事に、されど大胆に――!


 魔人が左右の手で扱う魔術が変わる。

 右手が電気、左手が炎へと。

 爆破の無意味さを、これまでの短い戦闘で理解された。

 対応能力の高さ。

 防御はどうする。

 シルフちゃんは雷と炎を防げるの――


「――大丈夫!」


 私の心を読んだかのように、シルフちゃんが耳元で叫ぶ。

 とても信頼できる、優しい言葉。

 それを信じ、私は攻撃の手を緩めない。


 連撃を。

 必要以上に距離を取られることの無いように。

 周囲の建物への被害も、復興の大変さも、今は考えない。

 魔人を倒すために行動を先読みし、威力は低くてもいいから攻撃を当て続ける。

 思考を鈍らせ体の動きへと波及させ、勝利を掴み取るために。


「――」


 炎が髪を掠め、チリッと焦げた匂いが香る。

 だが構わない。

 私の体が動く限り、一瞬の休息すら与えない。

 目を凝らし、頭を回し、手足を動かす。

 魔人の一挙手一投足を。

 視線の向き、手足の向き、筋肉の動き。

 把握できるもの、利用できるもの全てを。

 この場にあるあらゆる総てを把握する。

 私にできる全力。

 それを、今ここで発揮する。


 刀を横に薙ぎ、躱した魔人へ追撃。

 反撃は基本無視し、致命傷になる攻撃だけをシルフちゃんに防いでもらう。

 多少の傷なら戦士の勲章だと割りきって攻め立てる。

 爆炎によって焦げた髪も、雷撃で焼けてミミズ腫れのようになった皮膚も、熱風に焼かれそうな眼球も。

 全てを無視して攻め立てる。

 何度も何度も繰り返し、対応されたら仕返して。

 私が勝つまで止まらない。

 何度でも、繰り返し、永遠に――


「ッ――」


 油断していたわけではない。

 脳死の特攻をしていたわけでも、思考を放棄すらしていない。

 全身全霊。

 私の持ちうる全てを総動員し、今までの最高潮を引き出していた。

 防御に一切の意識を向けていなかったとはいえ、魔人に攻めっ気を起こさせる暇すら与えず攻め立てていたはずだ。


 でも――攻撃を喰らった。

 シルフちゃんの防御を掻い潜り、頬に一筋の傷が走る。

 切り傷よろしく鋭い痛みが頬に現れ、私の攻撃の意思を鈍らせてくる。

 守りに入るか攻め続けるか。

 瞬間的な二択を迫られ、私は思考することなく後者を選ぶ。


「ハァアアアアアッッ!!!」


 ここで守れば今までの攻めが意味を失う。

 損得勘定が導き出した思考か合理的なものか。

 そこらの真偽はどうでもいい。

 攻めると決め行動したのなら、最後の最後まで貫き通す。

 それが私の決めた道。

 それが私の生き方だから。


「ハハァッ! いい気迫だかかってこいy――」


 魔人の言葉は終わりも終わりで失われた。

 私が何かアクションを起こしたわけではない。

 魔人が何かに気がついたように行動をーー言葉を止めた。

 私ではないどこかーー否。

 動きをほとんど見せてこなかった葵くんへと視線を向けている。


「――ッ!?」


 そこで遅れてようやく気づく。

 葵くんの気配が異質に、異様に膨れ上がったことに。

 あの葵くんになってから、初めに似たような気配はあった。

 身の毛もよだつような、心霊現象を感じそうな場所にいるときの悪寒のような、ともかくあまりいいとは思えない気配を纏い放っていた。

 だが、今感じるそれは、その時の比ではない。


 ――いや。

 そもそも気配が全く別のものへ変質している。押し潰されるような威圧感(プレッシャー)があるわけでも、恐れを抱くような嫌悪感もない。

 なのに、私の本能が――直感が、今すぐ逃げろと警笛を鳴らしている。

 この場に立っていることを不安を覚えさせ、自ら首を差し出しそうになるくらいの――こちらの意思を捻じ曲げてくるような気配。

 この世の、ありとあらゆる、あまねく全て。

 アレの前に存在することを許さないと、何よりも雄弁に、ただの気配が語っている。


「――な、なんだ――何なんだよお前――ッ!」


 それを解き放ったはずの魔人が、葵くんへ恐怖の表情を浮かべたまま吠える。

 その表情から、今の葵くんの状態が魔人にとって想定外なのは十分に伝わってきた。


「チッ――これはダメだな」


 短く深呼吸をして、魔人は小さく呟いた。

 葵くんに――そして私に背を向けて空を見上げる。

 ここから逃げるのだと、直感で理解する。


「逃がすと――」

「――逃がすと思うか?」


 底冷えする声音が、私の声の上から被せられた。

 あまりに異質――あまりに異端なそれに、空を見上げていた魔人すら振り向いている。

 その異端を向けられていると自覚したのか、魔人は冷や汗を噴き出して瞬間的に魔力を練り上げた。

 魔術の発動を私ですら察せるほどに慌てている。


 葵くんへの接触を図った時に使った転移系の魔術で逃げるのなら、私では追えない。

 転移で追うことはできるが、逃げた先がわからなければ無意味。

 だからこそ、私は転移する前に魔人を捉えなければならない。

 ――できるはずがない。

 慌てていても、魔術はもう起動の準備を終えた。

 瞬いている間には、魔人の姿は消えているだろう。

 そうなれば、もう私に魔人を見つける術はない。

 ……いや。

 シルフちゃんなら転移先を見出せるかもしれない。

 まだ終わりじゃない。

 葵くんが変貌してしまう前に。

 一刻も早く決着をつけないと――


「――ッ!? 何!? なぜ跳べない!?」


 そんな私の思考は、魔人の慌てた声によって掻き消える。

 転移で逃げているはずの魔人はなぜかまだ私たちの前にいて、開いた己が両手を交互に見比べながら何度も何度も魔力を練り上げる。

 だが、練り上げた魔力は形となることはなく、発動した瞬間に霧散する。

 端から魔術なんてなかったかのような、歪な現象。

 自分の意思で起動した魔術を取りやめた時でさえ、こんなことにはならないはずだ。


「――お前、お前か……! お前が――ッ!!!」


 私が思考に耽っていると、ザッと土を踏みつける音とともに私の前に影が落ちた。

 気配をまるで感じなかった。

 だからこそ驚き、ゆっくりと顔をあげ、接近してきた人物を見る。


「――葵、くん?」

「……」


 先程までの気配が消えている。

 いや、薄れていると言った方が正しいか。

 何というか、気配はあるが、それが私に向けられていないと言うか。

 ともあれ、離れていた時よりも、葵くんを取り巻く異質な気配は薄れている。

 でも、私の言葉に――呼びかけに返事はない。

 葵くん自身の意思があるかどうかすらわからない。

 だから、どうしていいかがわからない。

 敵なのか味方なのか。

 それすら理解する術はないのだから。


「……」


 スッと、葵くんが両手を腕ごと差し出してくる。

 虚ろな瞳で、気怠そうに体を動かして。

 私に真っ直ぐ、差し出してくる。

 反射的に、本能的に、一歩引いてしまう。

 差し出してくれた手を、触ることなく払いのけてしまう。


「……」


 微かに。

 ほんの少しだけ、声のような音が漏れた。

 葵くんの表情は変わらない。

 変わっていないはずなのに、寂しそうな顔をしているように思う。

 それが正しいと証明するかのように、葵くんは差し出してくれた両手を引っ込める。


 私から魔人へ。

 視線を、体の向きごと移し、ゆっくりと歩いていく。 


「――ぁ」


 私に背を向ける形で歩き去っていく葵くんを見て、なぜか引き留めるかのように声が漏れそうになった。

 手を差し伸べて、去っていく葵くんの背を掴むように。

 行かないで欲しいと、私の傍にいて欲しいと。

 悪夢の中で、差し込む光に手を伸ばすように。

 だけど、それはシルフちゃんによって止められる。

 私の眼前で両手を広げて、真剣な表情で首を横に振る。


「――ハッ! いいぜいいよやってやるよ! てめぇが俺の邪魔をするってんなら、容赦はしねぇ! この郷ごと、全部破壊しつくして――」


 近づいてくる葵くんを見て。

 逃げられない現実を受け入れて。

 魔人は葵くんへと向き直り、牙を剥きだして吠える。

 けどそれは、弱気になる自分を奮い立たせるための言葉にしか聞こえなくて。


「ッ――!?」


 その威嚇のような発言は、葵くんの手によって遮られた。

 前触れなく。

 ゲームでノーモーション突進などと呼ばれるようなくらいの一瞬。

 その間に距離を詰めた葵くんが、魔人の口を覆うように頬の辺りを掴んで頭を持ち上げる。

 片手の拘束。

 それから逃れようと魔人は必死に足掻いているが、そのどれもが葵くんへの有効打にならない。

 爆破も電撃も、吸収でもされたかのように葵くんに触れる前に掻き消える。


「――ッ! ――、――!!!」


 態度だけではない。

 言葉でも抵抗の意思を強く見せているが、口を覆うように塞がれているので意味のある音にはならない。

 藻掻き苦しんでいる人、と言う印象をより色濃くするだけ。

 私を追い込んだ魔人に対しての仕打ちだとしても見るに耐えない。


「――消えろ」


 葵くんが呟いて、魔人が動きを止める。

 瞬間、魔人の体が端から消えていく。

 手足から、徐々に、しかし確実に。

 音もなく、血液の一滴も零さずに。

 陽炎が、蜃気楼が消えていくかのように。


「ん――ッ! ん――、――ッ!!!」


 消えていく体を自覚できているのか。

 体を捩り、顔を掴んでいる葵くんの手を、腕を引っ掻き、悲痛そうな叫び声を上げている。

 逃げたい一心であちこちに向けていた視線が、私を捉える。

 魔人の瞳が、私に助けてと訴えてくる。

 私よりも圧倒的に強かった魔人が、手も足も出せず私に助けを望んでいる。

 右手――切断面のない肘をこちらに向けて伸ばしてくる。


「ぁ――」


 反射的に、差し伸ばされた腕を掴もうと手を伸ばす。

 届くはずもないのに。

 その腕を掴もうと――


「……ぁ」


 その腕を掴むより前に、魔人の姿がなくなった。

 砂になるでも、灰になるでもなく。

 無音でただただ消えていった。

 初めから魔人なんていなかったかのように。

 存在そのものがなくり消えた。

 魔人に向けて差し伸ばした私の手と顔を掴んでいた葵くんの手だけが、魔人の存在を示している。


「……」


 腕をだらんと下ろし、葵くんは彼方を見つめる。

 魔人を消したことなど些末なことかのように、気にも留めていないのか遠くを――


「あっちって――」

「アナベルさんたちがいる方――!」


 シルフちゃんが葵くんの向いた方を見て、何かに気付いたかのように声を漏らす。

 それに釣られて同じ方向を見て、私はシルフちゃんの呟きが意味するところを理解する。

 今の葵くんがそちらへ視線を向け――歩みを始めた。

 雰囲気は一切変わっていない。

 だけど、私の直感が――いや、直感などなくとも、葵くんがアナベルさんたちを攻撃しようとしているのがわかる。


「待って葵くん!」


 気付けば、私は声を上げていた。

 目の前に立ち塞がっているシルフちゃんが驚いているけど、もう言葉を出してしまった私は止まれない。

 ゆっくりと振り向く葵くんを見て生唾を飲み、急いで思考を回す。


「何、結愛」

「――ぁ、ぇと……もう敵はいないから、その……大丈夫、だよ?」


 威圧(プレッシャー)も何もないただの視線に恐れを抱く。

 抱きながらも、私は必死に回した思考で導き出した言葉を紡ぐ。

 それを聞いた葵くんの表情は何も変わらない。

 喜怒哀楽の一切もなくただの無表情。


「結愛を傷つけた奴はまだいる」

「え、いや、その……魔人はもう倒したし、私を傷つけた人はもういないよ?」


 頬にできた真新しい切り傷も、腕に何本か奔ったミミズ腫れも、少し焦げた髪も。

 全て魔人から貰ったもので、その魔人は――既にいない。

 葵くんの言う“私を傷つけた奴”はもういないはず。

 なのに、葵くんは私の言葉を聞いて首を横に振る。


「あそこで逃げてるあいつら――」

「あの人たちは違う。私が――」

「違わない。結愛だけに戦わせたあいつらは結愛を傷つけたのと同じだ。だからあいつらも――」

「待って待って! それは違うってば!」


 葵くんの言い分に、私は抗議の声を張り上げる。

 私にだけ戦わせたのではなく、私が率先して戦うことを望んだ。

 その結果として私が傷ついただけで、エルフの人たちが私が傷つくことを望んでいたわけではない。

 だから、その言い分は間違っている。


「何も違わないよ。例え結愛が望んでこの場に来て、その結果傷ついただけだとしても、結愛を一人で戦わせたことに変わりはない」

「私は一人じゃないし、私がお願いして皆に来ないように言ったの。だから、みんなは違う――」

「結愛はこの世界の色々なところに貢献した。自分の知り合いでもない困った人たちを助けて救ってきた。なのに、世界は結愛を助けなかった。救いの手を差し伸べることもなく、結愛の死を見過ごした」

「――何の話?」


 全くわからない話に、私は疑問を抱く。

 困った人を助けたとか救ってきたとかに、覚えはある。

 でも世界に貢献したとか、世界が私を助けなかったとかは全く理解できない。

 まして、私の死を見過ごしたとか――


「――……もしかして、君、葵くんの――」

「……結愛は気にしなくていい。全部、俺が片付けるから」


 私の言わんとするところを察したのか、葵くんは私から顔を逸らし、エルフの皆さんが逃げている高台の方へ振り向き、一歩踏み出して言った。

 全部一人で片付ける。

 その言い分に、その考え方に、とてもよく身に覚えがあった。

 それは――それは、この世界に来た時の私の考え方と同じだったから。


 誰も知っている人がいなくて、頼れる人がいなくて。

 それでも自分は曲げたくなくて。

 気張って強がって、ただひたすらに自分の願いを叶えるために動き続けて。

 その結果、壊れかけた。

 最終的に壊れることはなかったけれど、それは私を助けてくれる存在がいてくれたから。


「葵くん……」


 今私たちの前にいる葵くんはきっと、壊れてしまったんだ。

 私が壊れずに済んだ場所を、壊れないでいられた地点を、そのまま通り過ぎてしまった。

 頼る人がいなくて、流れのままに壊れていった。

 自分の崩壊を止めてくれる人がいなくて、そのままズルズルと。


「――」


 頼れる人。

 今の――目の前にいる葵くんには、まだ()()()がいない。

 その人がいなくてもどうにかなっているから。

 ……。

 ……どうにか、なっているのだろうか?

 一人でどうにかできていたのなら、壊れるはずがない。

 壊れるはずがないのに、今の葵くんは壊れてしまっている。

 壊れているという現実から見るに、『その人がいなくてもどうにかなっている』と言う理論は破綻する。

 つまり、今の葵くんはその人がおらず、結果どうにもならず、壊れた。

 なら、どうして今の葵くんは動き続けていられるのか。


「……」


 一歩一歩。

 エルフたちが逃げている高台へ歩みを進める葵くんの背を見つめる。

 圧倒的で強大で、でも何故だか寂しそうな背中。


 そう、そうなんだ。

 きっと、今の葵くんは壊れて、壊れ続けてなお進み続けている。

 壊れたことに気付いていないわけではない。

 壊れたことを自覚して、それを直すこともなく進み続ける。

 それがどれほど辛いことか。

 壊れかけたあの先を想像すれば、その辛さはよく理解できる。

 どうしてそれほどの修羅の道を進み続けるのか。


「――私の、為……?」


 自惚れていると言われればそれまで。

 でも、今の葵くんも、今の葵くんが出る前の――私が知る葵くんの言動を考えてみれば、もしそうだったとしてもおかしくはない。

 初めて出会った時も、神聖国で再会した時も。

 葵くんは変わらず、ずっと私を好んでいてくれた。

 神聖国での時なんて、面と向かって好きだとさえ言われた。

 もし――もし仮に、葵くんが壊れた後でも進み続ける理由があるとして、それが私だとしたら――


「――葵くん!」


 根拠のない推論。

 邪推の域を出ないただの憶測。

 でももし、それが当たっていたら――

 シルフちゃんが不安そうな顔で見つめてくる。

 それに笑顔で、はっきりと答える。


「……結愛?」

「――私にしか、できないことだから」


 『だから大丈夫』とシルフちゃんを宥めて一歩前に出る。

 葵くんは足を止め、しかし振り向かずに答えてきた。


「なに?」

「――葵くんは、私の敵を倒してくれるんだよね?」

「ああ。俺が全部やるから」


 そう言って、再び歩みを始めようとする。

 しかしそれよりも前に、私は言葉を紡いで出しかけた足を止めさせる。


「待って、葵くん」

「敵は倒さなきゃいけない。長引けば面倒なことになる」

「違うよ。あいや、言ってることは何も間違ってないけど、そうじゃないの。葵くんが戦うべき敵はいない。もうここに、葵くんが戦わなきゃいけない敵はいないよ」

「結愛を傷つけた奴がいる。それを――」

「倒さなきゃ終われない――それは違う」


 葵くんの反論を、私は断固として認めない。

 生半可な感情論では聞いても貰えないだろう。

 だから、それなりの根拠を用意する。


「私の敵は魔人で、葵くんの敵は私を傷つける人。私を傷つける人がいる限り、葵くんは手を汚し続ける。合ってるよね?」

「……ああ」

「よかった。なら、私を傷つける人――そんな人はもういないわ」

「いる。現に、あそこで結愛に戦わせ、自分たちは尻尾巻いて逃げてるエルフたちが――」

「エルフの皆さんは私が守るべき人たちで、その結果傷ついたのは私の責任。エルフの方たちの責任じゃないわ」

「……結愛に全てを押し付け、その結果結愛が被った被害は知らぬ存ぜぬ。それに責任はないと?」

「ないわ。そもそも私は、そんな話をしたかったんじゃないの。根本的な――大前提の話をしたいから、引き留めさせてもらったの」

「根本的な話? なんだ、それ」


 ようやく振り向いて、葵くんは私に問いかけてくる。

 その瞳に光はない。

 だが、先程までの虚ろさは少しだけ――本当に少しだけ軽減されている気がする。


「凄く根本的な話……どうして葵くんは私を傷つける人を許さないの?」

「……結愛を守るのは俺の役目だ。だから――」

「でもそれって、私が傷つくより前にどうにかしなきゃいけないことじゃないの? 私が傷ついてから動くのは違うんじゃない?」

「……」

「ああ、違う、そうじゃなくてね。どうして葵くんは、私を守ってくれるの?」

「結愛を守る理由……?」


 葵くんの反復に頷いて肯定する。

 初めから答えを持っていなかったのか、もしくは持っていたものが揺らいで変わってしまったのか。

 考え込むように、顔を背けて黙り込む。


「私はね。私は、みんなが好きだから守りたい。私が好きな人たちが好きな人たちを守りたい。欲深で我儘(わがまま)で、自己中心的なのが私」

「……そう、だね」

「でも私は変わらないわ。それでいいと思ってるし、その考え方、行動の結果が悪いことになっても、それは自己責任で済ませられる。もちろん、葵くんように私を想ってくれている人が傷つくことも含めてね」

「……」

「だからって話じゃないけれど……葵くんがこれ以上、壊れたままでいる必要はない」


 私の行動の結果、私が傷つき葵くんが手を汚す。

 壊れたまま、壊れたことを自覚させながら、壊れ続けていることを要求する。

 葵くんにその自覚がなくとも、私はそんな酷い奴になっている。

 それを直して欲しいとも、直す必要がないとも思っていない。

 そもそもそれは、今解決するべき問題ではないのだから。


「俺は……俺は、これ以上……何をしても壊れることはないから」

「これからの話じゃないわ。これまでの話よ。葵くんは私が原因で壊れて、ずっと壊れ続けてきた。けれど――いや、“だから”かな。これ以上、私が原因で動き続ける必要はないの」

「俺は……俺には、結愛しかいない。結愛がいなきゃ俺は生きていないし、結愛がいてくれなきゃ俺は何もできない」

「そう……なのかな。ごめんね。私はあなたのことを覚えていないから、それがあってるかどうかもわからないわ」


 葵くんの記憶を、私は持っていない。

 日本での生活も幼少期の記憶もあるのに、葵くんの記憶だけがすっぽりと抜け落ちている。

 だから、葵くんの言葉の真偽はわからない。

 でも、わかることはある。


「私に分かるのは、あなたがわざわざ出張ってきて、それで今ある問題を解決してくれる必要はない、と言うことよ」

「それは……俺が要らないってことか?」

「違うわ。あなたが必要になるときは必ず来る。今ではないと言うだけよ」

「……結愛の敵は――」

「それに――」


 葵くんの言葉を遮って、私は言葉を紡ぐ。

 顔を背け、目を背け、私から逃れようとする葵くんを真正面から捉えて。


「それに、私のことを想ってくれるのは、今の葵くんだけじゃないわ。フレッドもアヤもパティも――葵くんだっている。だから大丈夫」


 私のことを考えて色々としてくれる人は、ありがたいことに沢山いる。

 決して、今の葵くんだけじゃない。

 その度合いがどうあっても、想ってくれている人がいることに変わりはない。


「もし、今の葵くんを頼る必要があったら、その時はちゃんと相談して呼ぶから……だから、心配しなくても大丈夫だよ」


 私の言葉を聞いて、葵くんはやはり黙り込む。

 でも、さっきのような、悩むような無言ではない。


「……それは、あのエルフたちを庇うための口実?」

「ないわけじゃないわ。けれど、本心なのも本当。口実混じりは嫌?」

「――いいや。いつもの結愛らしくていい。――ほんと、懐かしい」


 光の宿った瞳で少しだけ涙を蓄えながら、言葉通り、懐かしむように言った。

 初めに感じていた気配もなくなって、外見以外の全てはもはや別人と言って差し支えないほどに変わっていた。

 声音も仕草も表情も。 

 今の葵くんのあらゆる全てがとても嬉しそうに見えて――


「でも、俺は当てにしない方がいいぞ。結愛を守れないヘタレだからな」

「自分にそんなこと言ってて悲しくならない?」

「……ま、忠告はしたからな。俺に耐えきれなくなったら何時でも言ってくれ。すぐ代わるから」

「わかった。じゃ、またね」

「――うん。また」


 子供のように破顔して、本当に――本当に、葵くんは嬉しそうに言った。

 そして、眠るように目を瞑った。

 立ったままで目を瞑って、そのまま体幹を維持できずに倒れそうになる。


「おっと……ほんと、寝顔は子供みたいで可愛いわね」

「葵、それ気にしてたよ。可愛いよりかっこいいって言われたいって」

「んー……なんとなく、こっちの方が性にあってる気がするわ」

「……程ほどにね」


 シルフちゃんに言われるが、今のままでも葵くんは許してくれる――と言うか、こっちの方が嬉しがってる……気がする。

 直感でしかないけれど。


「とりあえず、どうする? エルフの皆、呼び戻す?」

「まずは安全確認をしよう。ここだけじゃなくて獣人の国も」

「……そうだね。そうしよう。アナベルたちには私が伝えるから、結愛はとりあえず葵が起きるまで見てて上げて」

「いいの? 何かすること――」

「大丈夫。たまには休んで英気を養って」

「……わかった。お言葉に甘えて」


 そう言ってシルフちゃんの姿が空気に溶ける。

 精霊の特徴の一つだ。

 それを目の当たりにして、少しだけ感動する。


「……色々と悩まされる一件だったわ」


 魔人のことも、エルフのことも、あの葵くんのことも。

 たくさんの出来事が一度に押し寄せてきた。

 家電が連鎖的に壊れていくような、あんな感じに。


「ほんと、色々あったわ……」


 眠る葵くんを膝に乗せ、ボサボサの、私と同じ色の髪を梳きながらぼやく。

 特に印象に残っているのは、あの魔人の最期。

 私は一生、あの光景を忘れることはない。

 ふとした時に思い出したりするだろう。

 それを経験だと割りきって過ごしていくのは、まだできない。


 迷い悩み苦しんで。

 生きると言うのはつまり、そう言うこと。

 他人はともなく、少なくとも、私の人生はそれでいい。

 それでいいと思う。

 その先に、私が経験してきたものの答えがあると思うから。

 そう割りきってなきゃ、人生なんて生きていられない。


「起きたら色々と聞かなきゃね」


 八つ当たりするように、葵くんのおでこに軽くデコピンをして、私は小さく呟いた。




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