第十話 【結愛とシルフの戦い】
葵くんから貰った座標を元に、アナベルさんとシルフちゃんを連れて訪れたエルフの郷は混沌と化していた。
人々の悲鳴が怒号のように轟いて、あちこちで煙が昇っている。
私が跳んだ場所は丁度避難しているエルフの方々の道中だったようで、いきなり虚空から現れた私に驚いているエルフも何人か見受けられる。
「まっ、魔人!?」
「いや、違います! 私は――」
逃げ惑うエルフの一人が私の気配を感じ取り勘違いをしたのだろう。
慌てたように呟いて一歩後ろに下がったのを見て、そう理解した。
即座に訂正しようと口を開こうとして、アナベルさんが私の眼前に腕を伸ばし、制止してくる。
その顔が、私に任せて欲しいと言っている。
確かに、ここで疑いをかけられている当人が何を言っても意味はない。
だからこそ、ここはアナベルさんに任せる。
「落ち着いてください! 今から魔人の足止めを行います! 皆さんは慌てずに、滝裏の出入り口から逃げてください!」
私に懐疑の視線を向けるエルフにも、一目散に逃げるエルフにも聞こえるように、声を張って情報を伝える。
声が聞こえていないエルフの為に、身振り手振りも加えての指示。
的確なそれに、思わず私は感心する。
自分たちだけで対処しきれない事態を目の前にして、疑問も焦りもあるはずなのに、自分が為すべきことを確実に為している。
「あなたは魔人の足止めを。誘導が完了次第、私も合流します」
「――いえ、アナベルさんは誘導後、獣人の国までの護衛をお願いします」
獣人の国に現れた魔人とこの郷で暴れている魔人。
更には、ここから北に位置するシュトイットカフタ帝国に現れた魔獣の大軍。
葵くんの予想通りにその全てが繋がっているのなら、ここで魔人の足止めに誰かが残るのも読まれている可能性がある。
そうなった場合、避難民の誘導兼護衛がいないと、エルフという種そのものが壊滅する恐れがある。
そう考えての発言を、アナベルさんも理解してくれたのだろう。
ただ納得はできないのか、悩むように眉を顰める。
「大丈夫。ここは私たちで食い止める」
「――大精霊様がそう仰るのであれば……わかりました。では結愛さん。大変身勝手ながら、この郷をよろしくお願いします」
「任せてください!」
アナベルさんは自分が都合のいいことを言っているのを理解しているのだろう。
本来エルフの皆さんが嫌っているはずの魔人の気配を持つ私を、アナベルさんも例外なく嫌っていたはずだ。
関わることがなければ、会話すらしたくないと思っていたかもしれない。
でも、こうして頼らざるを得ない状況に陥って、こうしてまんまと頼ってしまっている。
その判断の良し悪しはともかく、嫌であったに違いない。
そう思うのも、よく理解できる。
だからと言って、助けない理由にはなり得ない。
「よしっ。シルフちゃん、よろしくね」
「ええ」
一時の相棒となってくれたシルフちゃんへ改めて助力を願い、私は魔人の元へ向かうべく一歩を踏み出した。
その時――
「ねぇ、お姉ちゃん」
「ん?」
後ろから声を掛けられた。
逃げているエルフの一部となっていた、珍しいエルフの子供だ。
三人が固まって、私の方を見上げている。
「どうしたの? 逃げるならあっちだよ?」
「ううん、そうじゃなくて、お姉ちゃん、葵のお兄ちゃんのお友達?」
「そうだよ。それがどうしたの? 何かあったの?」
エルフの郷で子供たちと仲良くなったと言う話は、少しだけ耳にしていた。
色々な場所を旅した話を聞かせてとせがまれていると。
エルフと魔人の確執さえなければ結愛にも話してもらいたいなーとボヤいていた――と、それは今はいい。
葵のお兄ちゃんと言ったから、この子たちが葵くんの言っていたの子供たちだろう。
不安げな表情で私を見上げる子供たちの不安を取り除いてあげられるのなら、ぜひそうしてあげたい。
だからこそ、私は子供たちと同じ目線になって、なるべく優しく語りかける。
「葵のお兄ちゃんは無事?」
「大丈夫、無事だよ」
「本当ですか……? またお話を聞かせてくれるって約束、守ってくれますか?」
「ええ。もう少ししたらここに来て、あっちで暴れてる魔人を倒してくれるから。だからほら、遅れないようにみんなについていきなさい?」
「うん! ありがとう! お姉ちゃん!」
元気よく手を振って、エルフの子供たちは避難しているエルフたちへ合流していった。
親らしきエルフに手を引かれ、小さい歩幅でとっとこ走っていくのを尻目に、私はふと零す。
「葵くん、子供たちにあんなに信頼されてるんだね」
「葵は意外と悪い奴ではないよ。意外と」
「とても“意外と”を強調するね……」
一番近くで葵くんを見ているシルフちゃんが、私の呟きに答える。
私が抱いている印象は、初対面の負の印象から常にプラスへ推移している。
時折みせる私への異様な執着は少しだけ怖いところがあるが、行き過ぎることはなく、それも好きと言う感情からくるものなので嫌ではない。
「よし。葵くんの印象を悪くしないためにも、私たちのやるべきことをやりましょう」
子供たちの方とは反対の方へ向き直り、被害の多い魔人の元へと向かう。
まばらに住宅がある転移場所から町の中央へ。
走って一分足らずで、私の目的である魔人がいた。
正確には、魔人がいるであろう建物の前に辿り着いた。
建物はパッと見ほぼ全壊で、破壊されたときに出たであろう破片が辺りに飛び散っているため、ここに魔人がいるのは間違いないだろう。
それに――
「いるよ、気を付けて」
「ええ」
シルフちゃんの呼びかけに頷く。
私も感じている、魔人の気配。
人のそれとは大きく違う気配だ。
葵くんは魔力で識別できると言っていたけれど、私には気配での識別の方が得意のようだ。
「どうする?」
「……とりあえず、広域魔術で様子を見るわ。反撃が来た時のカバーをお願い」
「わかった」
シルフちゃんと短く作戦を話し、私は目を瞑って魔術を構築する。
周囲への被害も考えて、威力の火よりも風で。
今なお崩壊の只中にある建物の頭上。
見えずとも、この惑星に余りある空気を渦巻かせ、凝縮させて――
「――ふッ!」
固めた空気を、そのまま下へと叩きつける。
空気の破裂する音と、木でできた建物が破壊される音。
それらが重なり、重厚な音となって私の耳に届く。
爆発でもしたかのような風圧と、破壊され粉々になった木片が飛んでくる。
「……まだだね」
「そうみたいだね……」
建物は破壊した。
そこにいた人ごと、間違いなく。
けれど、崩れた建物――立ち込める煙の中には、悠然とした気配を感じる。
木っ端微塵とはいかなくとも、大怪我の一つや二つは負うだけの火力はあったはず。
周辺へ与える被害も考えた上でと言う前提があったとはいえ、それなりに威力は高かった。
だけど、どうやら微塵も効いていないらしい。
油断をしていたわけではないが、より一層、気を引き締めてかからないといけない。
「ったく……人が探し物してるときになんだぁ?」
緊張感の欠片もない声音を伴って、煙の中から人が現れる。
パッと見はただの人。
けれど、纏う気配が人のそれとは大きく違う。
私がずっと感じ取っていた、魔人の気配だ。
「……あ? 魔人……じゃあないな? なんだお前?」
夜の空のような、あるいは深海のような暗い青の髪に、鋭い切れ長の黄色の瞳。
細身な体格だからか怖さや恐ろしさはないが、異様な威圧感はヒシヒシと感じる。
魔人と出会ったのはこれで二度目だが、この威圧感は初めて受ける。
「私のことよりも、あなたの方が重要だわ。どうしてこの郷を襲うの?」
「ん? なんだ、俺のことが気になるのか? ん~、まぁよくわからん気配の持ち主だが、可愛い顔してるし悪くないかもな」
私の質問に答える気はないのか、ヘラヘラとした態度で魔人は笑う。
ただし、言葉とは裏腹に、視線も体の運びも呼吸も。
声と言葉以外の全ては油断とは遠いところにあるのがわかる。
この話を隙と捉え突っ込めば、手痛い反撃を貰うのは間違いない。
そう確信させられるほどの気配。
「――ん? そっちのは精霊か? ってことはお前、精霊術師か。へぇ精霊術師。なるほどなるほどなるほどね。随分と珍しいじゃねーの。だから俺の前にも堂々と出てこれたってことか」
青髪の魔人は納得したように頷いて、ニヤニヤとした笑みをより深める。
精霊が魔人に強い理由は、偏に魔術にある。
人間だろうと魔人だろうと、この世界に暮らす生物が魔術を扱うとき、体内体外を問わず魔力や魔素を扱う。
精霊はその魔力や魔素と言ったものとほぼイコールで結ぶことのできる存在であり、簡単に言えば魔術の発動イコール自身の体に触れられると言うこと。
どこに、どれほど触れられているのかを――言い換えれば、どんな種類の魔術をどんな規模で発動するのか。
それらを寸分違わず認識できるからこそ、精霊は魔術に対して絶対的なアドバンテージを保持することができる。
だからこそ、精霊は魔人に強いと言われている。
本質的には魔人だけではなく、魔術を扱う生命全てに対しての絶対的な優位だ。
無論、魔術を封じたところで魔人は人間以上の身体能力がある。
あくまで対面において優位に立てるだけで、必勝となるわけではない。
「よし、いいよ」
「……何がですか?」
「さっき俺のこと気になってたろ? 敵意剥き出しだけど、精霊術師なんて珍しいし、一緒に連れてってやるよ」
「……何を言っているのですか?」
目の前の魔人はナルシスト気質なのか、自信満々に左手で自らの髪をかき上げて私に右手を伸ばす。
顎が少しだけ上に向いているため、隙だらけのように見える。
そう錯覚させるための演技か、本当に私を勧誘しているのか。
私の直感は後者だと囁いている。
そうなれば乗るべきか否かで話は変わってくるけれど……。
「――既に私を必要としてくれている場所はある。だからあなたの提案には乗れないわ」
「そうか。そいつは残念だな」
差し出してきた右手を降ろし、肩を落として魔人は言う。
時間稼ぎのために乗ってもよかったが、乗った後のことを考えると色々と面倒なことになりそうだし何より、私は嘘を吐くのが苦手だ。
乗ったところで魔人にそれが嘘だ飛ばれる可能性も考慮すれば、最初から乗らずに戦闘で時間稼ぎをした方がいい。
「私が前を張る。シルフちゃんは援護をお願い」
「わかった」
小声で手早く作戦とも言えない戦い方を指示し、私は腰の刀を抜く。
鈍色に輝く刀。
銘はないが、切れ味と耐久力に優れた名刀。
それを正眼に構え呼吸を整える。
「……鈍りを解消するのに不足はない、か」
私が戦闘態勢に入ったのをみた魔人は、相対するように伸びをして首を回す。
準備運動のように手首足首も回して、油断だらけの伸びをする。
それが見え見えの罠のようで、攻めるに攻められない。
「さてそんじゃま――楽しませてくれよ?」
ニヤリと笑って、魔人は吶喊してくる。
それに驚き、反応が僅かに遅れる。
しかしそれでも、持ち前の反射神経と身体能力で組み手を仕掛けてきた魔人をいなし、反撃の一刀を斬り込む。
相手の無力化を狙い、まずは脚を目掛けての一閃。
魔人は軽く跳躍することで躱し、反動で追撃を仕掛けてくる。
私がそれに反応するよりも早く、シルフちゃんからの援護が飛来する。
風の弾丸が追撃を仕掛けた魔人の脚を打ち貫き、その体ごと大きく弾き飛ばす。
「結愛、殺さないよう手加減してる?」
「……ダメかな?」
「止めておいた方がいい。殺さないように手加減して勝てるほど、あの魔人は甘くない」
厳しい現実をシルフちゃんから叩きつけられる。
それが事実なのかどうかの判断は今すぐにはできないが、魔人に一度敗北したことのある私にそれを嘘だと断ずることはできない。
刀の柄を握り直し、再度正眼に構える。
「わかった。殺す気でやるよ」
「援護は任せて」
「お願い」
先程のような援護があるのなら、私も恐れず戦える。
援護に凭れ掛かるほど頼りにするわけではない。
私一人でも勝利するくらいに全力で、ただその一点だけを目指して戦う。
「――いい目だな」
魔人は私を見て、深い笑みを浮かべて呟いた。
今までのチャラけたような言葉ではなく、心の底から漏れた本音のような呟き。
より一段、魔人の意識が戦闘へシフトしたのだと理解させられる。
「行くぞ」
呟いて、魔人は両手を広げる。
瞬間、その背後に後光の如き多数の魔術を展開する。
百を優に超える魔術。
そのどれもが上級魔術で、属性も基本の四属性の全て。
私では全てに対処できないほどの数と威力。
でも今の私には――
「――私が防ぐよ」
「お願い」
シルフちゃんに防御の全てを任せ、私は脚に力を込めて魔人へ突っ込む。
低い姿勢で的を小さくし、被弾を少しでも減らす。
ついでに減った空気抵抗を全力で利用して、十メートルほどの距離で加速する。
突っ込む私へ、魔人は背後に展開していた魔術を放つ。
私の駆ける速度よりもなお早い速度で飛来するそれを無視して、私は腰だめに刀を構える。
寸分違わない魔術が私に飛来し、シルフちゃんの風によって逸らし掻き消される。
「シッ!」
シルフちゃんの援護もあり、魔人を刀の間合いに入れた私は、体重を乗せてそれを振るう。
横薙ぎに振るわれたそれは私の狙い通りの軌道を描いて魔人へ迫ったが、手を爆発させて宙へ跳んだ魔人には当たらない。
しかし空中に逃げたと言うことは足の踏み場がないと言うこと。
体を浮き上がらせるほどの爆発を起こせる魔人にはあまり関係ないかもしれないが。
そんなことを考えて、私はそれでも攻撃を選ぶ。
振った刀の刀身を上へ向け、そのまま逆袈裟のように斬り上げる。
しかし、私の想像通りと言うか、魔人は再度爆発を引き起こして更に上へ逃れる。
そのまま爆発を連鎖させ、空中を自由自在に動き回る。
私の間合いとシルフちゃんの間合い。
両方から逃れるように離れた位置へ着地して、胸を張るように伸びをする。
「久しぶりだったが、存外動けるもんだな」
楽しそうに小さな笑みを浮かべて、手のひらの上で小さな爆発を起こす。
葵くんに聞いていた話だと、この魔人はエルフに囚われていたらしい。
この久しぶりと言うのは、文字通り言葉通りの久しぶりなのだろう。
その久しぶりの戦いで私と互角となれば、本調子を取り戻せば追い込まれるのは私の方だ。
「よし……もう一段階――」
グッと脚に力を溜めたと思えば、駆け出し爆発で加速して驀進してくる。
一瞬で目の前まで迫ってきた魔人は、両手に雷を纏わせながら私に突き出してくる。
反射的に差し迫る腕を両断するべく、刀を振り上げた。
だが、それが魔人の両腕を切断することはなかった。
「――ッ!」
雷を纏った両腕に、私の刃は届かない。
刃と指数本分の間隔を開けて、腕だけが持ち上がる。
当たってもいないのに、刃が防がれている。
どうやって――
「――電気が生み出した磁力……ッ」
「正解だ」
もう何度も見た笑みを浮かべ、魔人は回し蹴りを放つ。
右脚から放たれたそれを左肘で弾く。
両手で握っていた刀から片手を話した影響で、刀が両腕を受けきれなくなる。
ググっと押し込まれるような感覚が、右手を伝い腕に圧しかかってくる。
このまま抑え込むのは無理だと判断し、敢えて力を緩め、いなすようにして刀から手を放す。
魔人の腕は押し合う力がなくなったことで宙を掻き、一瞬の隙を晒す。
それを見逃さず、左手で逆手に刀を握り、腕と雷の間を掻い潜って魔人の首へと刃を滑らせる。
更には、背後からシルフちゃんの援護魔術。
上空へ逃げるのを防ぐように展開された、濃密な風の弾幕だ。
私の行動に完璧なまでの援護を、一瞬の間すら開けずに応えてくれる。
「――まだ甘い」
呟き、魔人は私の刀を口で受け止める。
刀身を真剣白刃取りのように歯で噛み止め、相打ちと言わんばかりに刀身に電撃を流す。
チクチクともビリビリともとれる刺すような痛みが、腕を伝い全身に駆け巡る。
手を放したい電撃から逃れたいが、それをすれば私の優位である武器のリーチを失うことになる。
だから私は、相殺するように電撃を放つ。
「ッ、と――」
自分で放った電撃はそこまで問題なくとも、私から放たれる電撃は問題があるのだろう。
刀身から口を離し、大きく跳び退く。
そこへ、シルフちゃんの魔術が狙い撃つ。
撫でるような風で足を掬い、浮ついた上体へ威力の高い風の弾丸がヒットする。
空気が弾ける音と一緒に弾き飛ばされ、壊れかけていた家屋に衝突し、崩れる建物に押し潰される。
電撃のダメージで痺れている間に起きたそれを端目に捉えて、私は即座に回復に努める。
「結愛! 大丈夫か!?」
戦闘の合間にできたほんの一息つける合間に、別の場所に行っていた葵くんが合流した。
その表情を見るに、どうやら首尾よくことは進んだらしい。
蹲り回復している私を見て、慌てた様子で駆け寄ってくる。
返事をしたいが、舌がまだ痺れていて言葉を発せない。
「葵。結愛は今痺れてるだけ。命に別状はないし外傷もないよ」
「――そうか、よかった。ありがとうシルフ。ちゃんと守ってくれて」
葵くんの感謝に、シルフちゃんはふんと顔を逸らして答える。
照れ隠しなのは傍目にも丸わかりだ。
葵くんもわかっているようで、小さく笑みを浮かべている。
「んで、あっちに転げてるのが?」
「そう。気を付けて。魔術だけじゃなく、近接もかなりの腕前だから」
「そうか……わかった。じゃあシルフは結愛の肩の上とか首回りとか、側にいて援護を。そっちのが精密な援護がしやすいと思うし」
「――わかった。前衛後衛は?」
「分けない。ニコイチで動く。結愛の痺れが取れるまでは俺が引き付けるから、シルフはそれまで俺の援護を――」
そこまで言った葵くんの言葉は途切れた。
首が両断されたとか、あるいは口を防がれたとか、そういうわけではない。
魔人の気配が一瞬で――それこそ、転移でもしたかのようなくらいの時間で、葵くんの背後に回った。
それに驚き気を取られ、言葉の続きを発することができなくなっていただけ。
「ッ――!」
「お前……宰相様と同じ匂いがするな?」
一瞬だけ晒した隙。
それを見逃さなかった魔人は、振り向き警戒に刀を抜いた葵くんの首根っこを掴み、宙へと持ち上げる。
軽々と持ち上げられた葵くんは抵抗するが、そのどれもが魔人に通用する気配がない。
子供の児戯に付き合わされている大人のように、軽くあしらわれるだけだ。
「葵ッ!」
「精霊は――」
主たる葵くんを助けようと、シルフちゃんは早い反応で魔人に風の弾丸を飛ばす。
だがそれは容易く躱され、代わりにシルフちゃんが魔人の手によって弾かれた。
手のひらに乗るサイズのシルフちゃんは本当に軽々と叩かれ、遠くに転がり動かなくなった。
「――魔術にめっぽう強いが肉体はそこまで強くない。よくて人間程度。あの体の小ささも相まって、人間よりも打たれ弱い」
「テメェ――ッ!」
「……まぁそんなことより、お前の魂の奥だ……随分と面白そうだな?」
「――ッ! おいやめろ! それに触れたら――!」
葵くんの忠告も聞かず、魔人は首を掴んでいる手とは反対の右手で、葵くんの心臓の辺りに触れる。
魔力でも放ったのか、暴れていた葵くんは一度ビクンッと体を跳ねさせて、即座にぐったりと項垂れる。
そんな状態の葵くんを魔人は投げ飛ばす。
数度バウンドして地面へ転がった葵くんは、やはりそのまま動かない。
痺れがようやくなくなってきた私は、状況を整理した頭で即座に行動に移る。
「動かない方がいい。巻き込まれるぞ」
「何を言って――」
刹那。
爆発でもしたかのような暴風が、ここら一帯を薙いだ。
次いで、空気が冷え込むような――何か嫌なものが近づいてくるような寒気に襲われる。
風が異様な渦巻きかたで流れ始め、木々はざわめき葉は震える。
そこに在る全てのモノが不気味さを強調させていくような感覚。
この場から離れなければならないと本能が叫んでいる。
「ハハッ! すげぇ……! すげぇよ!」
魔人が吠える。
私に、ではない。
葵くんを投げ飛ばした方を向いて、声高らかに吠える。
両手を広げ、歓迎するように。
「……葵、くん?」
ゆらゆらと、獣人の国を襲撃した魔人のように――だがあれとは違う、異質で不気味な何か。
武術の構えなどではない。
寝ぼけた人がゆっくり立ち上がるかのような、そんな素振り。
グッと頭を持ち上げて、天を仰ぐように葵くんは立ち上がる。
いや、葵くんではない。
アレは――アレはそんな優しい存在などではない。
例えるならソレは――
「宰相様が予知したこの世の終わり! それを齎した人間! 一目見てわかった! お前がそうだと! さぁ楽しませてくれよ――ッ!」
眼を剥き、獰猛な笑みを浮かべて、魔人は吠える。
葵くんの皮を被ったソレへ――破滅の権化のような、正体不明の影へ向けて。
その声に反応するように、影は一歩、踏み出した――