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姉の為に。  作者: たかだひろき
第九章 【エルフの郷】編
147/202

第九話 【フレデリック・エイトの戦い】




 転移で帝都へと移動したオレを出迎えたのは、阿鼻叫喚と化した帝都民だった。

 何が起こっているのか。

 それは事前に葵から聞いていたのと、逃げ惑う帝都の民が口々に叫んでいたから苦労せずに理解できた。


「魔獣の大軍……葵の言っていた通りだ」


 ドミニクが魔王軍側につくなんていう混乱の真っただ中に叩き落され、それが収まるより早くに訪れた魔獣の大軍。

 初めに言った通り、まさに阿鼻叫喚の図に落とし込まれた帝都の民たち。

 そんな彼ら彼女らを一瞥して、オレは一目散にドミニクの城へと向かった。

 勇者として、本来なら攻めてきた魔獣を倒さねばならないのだろう。

 けれど、今のオレにはそれ以上に大切なことがある。

 それにだ。

 この魔獣の大軍は、葵が手配する人員によって対処されるだろう。

 だから今オレが為すべきは、魔獣の対処ではなく地下にあるオレの探し人を()()()()ことだけ。


「待ってろよ――シャル!」


 十年。

 オレの半生を賭けて探し求めてきた人の元へ向けて、ただひたすらに走った。






 * * * * * * * * * *






「こんな地下空間があったのか……」


 全力で城を駆け巡り、地下へ続く隠し扉を見つけ出して踏み込んだ先は、物凄い広い空間だった。

 空間に出るまでの通路は人がすれ違える程度の幅しかなく、灯りもそんなにない、まさに秘密の通路とでも言うべきものだった。

 それに対し、オレの眼前に広がる空間には煌々と明かりが灯り、広大な空間を隙間なく照らしている。

 壁際には何かの機会が管を通して繋がっており、何かの実験をしていたのが窺える。

 そんな空間のど真ん中。

 そこに、大きな正方形の箱がある。

 水槽だったのか、水滴が透明な壁に張り付いている。

 直近に水を抜いたのだろうか。

 その答えは、水槽の傍に立ち、オレの方へ振り返ってきた男が知っている。


「――遅かったな」

「……ドミニク」

「一国の王様に対して呼び捨てたぁ随分と大きく出たなぁ?」

「魔人側についたあんたを一国の王様だと思ってる奴はもういないよ」

「ちげぇねぇ」


 悪びれたように肩を竦めてそう言うが、心の内は微塵も悪いとは思っていないだろう。

 肩を竦めたのも演技だとわかる。


「で、ここに来たってことはコイツを取り戻しに来たのか?」

「――ッ! シャル!」


 ドミニクが手に握る鎖を手繰り寄せる、その後ろから一人の女性が引っ張られる形で出てきた。

 赤みの強いピンクの長い巻き髪を後ろに流し、黒いゆったりとしたワンピースに身を包む、虚ろな薄紫の瞳をした女性。

 オレが十年余り、勇者の責務と引き換えにしてまで探し続けてきた、一つ年上の幼馴染――シャルロッテ・セブンだ。

 探し人を目の前にして、オレは思わず一歩を踏み出す。


「おいおい近づくなよ? これが見えてないのか?」


 手に持った鎖を引き上げて、それが繋がっている首輪を指して言う。

 オレの反応を見て楽しむようなニヤケ顔で、シャルの首につけた首輪を撫でる。


「――シャルは……シャルはてめぇの物じゃねぇんだぞ」

「お前のモノでもないだろうがよ」


 嘲るようにして返してきたドミニクを、オレは睨みつけることしかできない。

 シャルが人質のような形でドミニクの手中にある以上、オレの打てる手は減らされている。

 オレが地下への入り口をもっとスムーズに見つけられていれば、ドミニクより早く――いや、タラレバなんて考えても意味はない。

 今考えるべきは、どうやってシャルを取り戻すか。

 それだけだ。


「さてと。俺はコイツを連れて魔王の元に戻るわけだが……見逃すつもりは――」

「ない。今すぐ開放するのなら、てめぇを殺しはしない」

「殺すとか物騒だなぁ? 俺はコイツを殺すつもりなんてないんだぜ?」

「生かすつもりもないだろうが」


 今のシャルの様子を見ればわかる。

 ドミニクはシャルを殺しはしなくとも、人間としての生を謳歌させるつもりはない。

 生かしたまま殺す。

 そんな状態でシャルを利用し続けるだろう。


「はぁ……やれやれ。全く面倒なことになったもんだ」

「誰の所為だと思ってんだ――!」

「俺の所為か? お前がコイツに執着しなけりゃこんなことにはならなかっただろ?」

「そもそもてめぇがシャルを誘拐しなきゃオレが執着することもなかったんだよ」


 オレの言葉を聞いて、ドミニクは肩を竦める。

 十年前。

 まだ勇者の権能を受け継ぐよりも前の話。

 オレの幼馴染のシャルは、村に襲撃を仕掛けてきた集団によって誘拐された。

 シャルを含む若い女はほとんどが誘拐され、それ以外は殺され、略奪された。

 親の手によって隠されたオレは、見知った村の人々の悲鳴を聞きながら襲撃が終わるまで隠れ続けた。

 襲撃が終わり、隠れ場所からでたオレを出迎えたのは、見るも無残な惨状と成り果てた村だった。

 オレの平和な暮らしを脅かした集団を――何より、その時に誘拐されたシャルを探し続けてきたこの十年間探し続けた。

 その首謀者の一人が目の前にいる男だと理解して、オレ血の気が引くほど怒りが高まっていくのを感じる。

 冷静でいなければならないのはわかっている。

 だがその冷静な思考ごと、怒りが全てを飲み込んでいく。


「取り返す」

「やれるならな」


 その一言を切っ掛けに、オレとドミニクとの戦闘が開始する。

 “身体強化”を掛けブーストした身体能力で最短距離を吶喊する。

 オレの突進に、ドミニクは難なく対応してくる。

 握りしめ、振り下ろした剣の腹に手を添えていなし、流れたオレの体に打撃を加えてくる。

 内臓が破裂するかのような衝撃とともに吹き飛ばされ、オレは元の位置に戻される。


「ガハッ――ッぃ」

「落ち着いて、フレッド」

「――ッ」


 オレはドミニクを睨みつけ、刀を地面に突き刺し、四肢に力を込めて再度跳躍する。

 先程よりも速く、もっと速く。

 火と風の魔術で速度にブーストをかけ激突する勢いで駆け抜ける。

 先程よりも数段速い、音すら置き去りにするほどの速度。

 だと言うのに――


「――ガッ」


 オレの速度についてくるどころか、オレの反応の上から張り手を繰り出してくる。

 速度が速度だけに避けきれず、速度が速度だけにただの張り手の威力は異様に高い。

 再び吹き飛ばされて、元の位置に戻らされる。

 まだ足りない。

 もっと速く。

 限界を超えた速度を出さなければ、ドミニクを出し抜けない。


「落ち着いてフレッド」

「退いてくれノーム」


 攻めてくるつもりがないのか、余裕な素振りでオレの挙動を見守るドミニクを睨みつけ、再度距離を詰めようと試みる。

 しかしそれを行動に移す前に、眼前にノームが現れ止められる。

 オレと契約してくれている土の大精霊だ。


「フレッドが落ち着くまで退かないよ」

「邪魔をしないでくれ。今すぐシャルを助けなきゃ――」

「その為に落ち着けと言ってるの」


 そう言って、ノームはオレの頬を叩く。

 パチンと子気味良い音を鳴らして、オレの頬はじんわりと熱を持つ。

 小さな手のひらから放たれたとは思えないほどの痛みを感じる。

 その痛みでオレの思考は一度停止し、呆然とノームを見つめる。


「私じゃなくて、ウィンディを見て」

「ウィン、ディ……?」


 ノームの視線に逆らわず、右へ視線をずらす。

 そこにはノームと変わらない、手のひらに乗るサイズの精霊――ウィンディがいた。

 辛そうで、申し訳なさそうで、心配しているような顔。

 その顔を見て、オレは少しだけ冷静さを取り戻す。


「……ごめん」

「ううん、大丈夫」

「ノームも、ありがとう」

「ウィンディを悲しませないで」

「……ああ」


 二柱(ふたり)の声を聞いて、オレは完全に冷静さを取り戻した。

 取り戻した冷静さで深呼吸をしてから考える。

 ドミニクは身体能力に特化した戦闘スタイル。

 つい先ほど戦った十魔神序列二位の魔人と同じスタイルだ。

 つまり、オレだけでは逆立ちしても勝てない。

 今の二度の吶喊で、それはもう十二分に理解させられた。

 そもそも二度も一直線に突進していくなんて、考えなしにもほどがある。

 相当に冷静さを欠いていたらしい。


「……反省は後。今は――」


 ――ドミニクに勝つ方法を考える。

 オレだけでは勝てない。

 それは間違いない。

 だからこそ、二柱(ふたり)の力を借りる。

 葵に言われた通りだ。

 もう一度大きく息を吸い、肺に――全身に酸素を巡らせて、心と体を落ち着ける。


「――ふぅううう」

「落ち着いた?」

「ああ。オレがメイン。ウィンディとノームはオレの支援とあいつの邪魔を」

「わかった!」

「んっ」


 ノームとウィンディの返事を聞いて、オレは大きく深呼吸をする。

 剣の切っ先をドミニクに向け、腰を低くする。

 “身体強化”を全身に回し、オレの中に存在する意識全てを集中させて、神経そのものを研ぎ澄ます。

 視野が広がるような感覚。

 余計な情報が遮断され、(ドミニク)だけに意識が注がれる。


 先手を取ったのはドミニク。

 シャルを繋いでいた鎖から手を離し、楽しそうな笑みを浮かべて一足跳びでオレの眼前に迫る。

 右の拳を引き絞り、今にも放たれんと震えている。

 その差異までをも確実に認識し、オレはその拳にあてがうように手のひらを出す。

 バヂンッと強い衝撃が手のひらから腕、体へと伝わってくる。

 威力を少しでも抑えるために肘を曲げ、体全体で衝撃を受けていなければ、確実に腕が使い物にならなくなっていた。

 そう確信させられるほどの圧倒的な破壊力。


 もちろん、オレもただ受けたわけじゃない。

 手のひらで受け止めたことでオレの手の中にドミニクの拳がある。

 オレは手のひらを閉じ、全霊の握力でドミニクの拳を握ってそのまま引っ張る。

 逆らう間すら与えずに、オレは右の拳を握りしめる。

 引っ張られることで、ほんの僅かでもドミニクが宙に浮き、一瞬の隙が生じる。

 その間隙を縫うように、オレは握りしめ引き絞った拳をがら空きの胴体へ捩じ込む。


「やるな」

「ッ――」


 だが、渾身の攻撃は軽快な身のこなしで躱される。

 躱されるというよりは“いなされる”が正しいか。

 拳の上から押さえつけるように手のひらを宛てがわれ、それに体重を乗せるような形で放った拳の上に逃げられた。

 これまでの戦闘経験の差が、如実に現れている。

 剣を使わず最速の一撃を優先したのが裏目に出た。

 威力よりも早さを優先すれば上回れると思っていたのは、どう考えても甘い考えだった。


 それを見せつけるかのように、ドミニクは上へ回避した反動で打ち上げた脚を振り下ろしてくる。

 体の縦回転を乗せた脚撃は、ドミニクの絶大な身体能力によって引き上げられ、頭に直撃すれば軽く脳汁が飛び散るだろう。

 だが――いや、だからこそ、オレは反撃のために脚に力を溜める。

 防御しなければ死が待ち受けており、防御したところで確実にダメージを負う。

 ノーダメージで対処する方法をオレは持ち合わせていない。

 オレには、どう足掻いてもできないのだ。

 ならば――


「精霊か――」


 水による緩衝と土による防御。

 振り下ろされた脚と打ち合う形で水が噴出し、激減した一撃を土の壁で凌ぐ。

 ドミニクの反撃はオレへ届くことなく、二柱(ふたり)の精霊の手によって完全に防がれた。

 それを即座に認識したドミニクは、ニヤリと楽しそうな笑みを浮かべる。

 余裕のある笑みを浮かべているドミニクへ、オレは反撃を叩き込む。


 腰に提げた剣を逆手で引き抜いて、そのままドミニクへと斬りつける。

 斬り上げる形で放ったそれを、ドミニクの瞳は確実に捉えている。

 オレの攻撃が見切られているのだとわかる。

 やはりオレでは勝てないのだと、言外にそう教えられているようだ。


「――ッ」


 オレの剣を、またもや空中での異様な身のこなしで躱そうとしたドミニクの妨害をするように、岩の弾丸が飛来する。

 ノームによる援護。

 同時にドミニクへと直撃する二つの攻撃。

 どちらかを避ければどちらかに当たる。

 そしてそのどちらも、殺しまでは出来なくとも大きなダメージを与えるだけの威力は持っている。

 更には、ウィンディの水による視界の妨害。

 躱すことすら難しく、例え躱せてもダメージは負う。

 即興にしてはかなり上手くいった連携だ。


「――いいね」


 小さい呟きが聞こえた。

 楽しみにしていたものを手にした子供のような、純粋に楽しいと言う気持ちが伝わってくる呟き。

 それを証明するかのように、ドミニクはオレの左手から自身の手を引き抜く。

 引き剥がした反動で宙へと完全に浮き、飛来する土の弾丸へ手を伸ばす。

 そのまま土の弾丸を手の甲に沿わせ、何十と放たれた土の弾丸全てをいなし。

 同時、体と首を捻じ曲げて、オレの剣の刃から逃れる。

 そして()()()()、後ろへ大きく後退する。


「ッ……ごめん、避けられた」

「仕方ないよ、今のは相手が上手い。次を考えよう」

「……うん」


 謝るノームに、オレはそうフォローする。

 あまりこんなことは言いたくないが、今のは本当にドミニクが上手い。

 戦闘経験の差か、あるいは純粋な才能の差か。

 一筋縄ではいかないことなど分かりきっていたが、これほどまでに隔絶した差を見せつけられるとは思っていなかった。


「精霊と戦ったのは初めてだが、存外やりづらい」

「やりづらそうにしては楽しそうだな」

「精霊と戦うなんて、ここ数十年では聞いたことがないくらいに珍しい事例だからな。気分も上がるってもんだろ」


 どこまでも戦闘狂な考え方。

 実力至上主義の帝国に生まれ育てられた、生粋の――いや、生粋なんて言葉では収まりきらない

 帝国の誰よりも――それこそ、前皇帝よりも、戦うことに喜びを見出した男。

 これこそが、ドミニク・シュトイットカフタと言う人間だ。


「それに、新たな技術を使って戦えるのは、いつになっても楽しいもんだ」

「……?」


 何を指しての言葉なのかがわからず、オレは疑問を抱く。

 それが表情にでていたのか、ドミニクは「わからないか?」とご丁寧に説明を始めてくれた。


「召喚者の綾乃葵と話す機会があってな。そん時やつは、“魔力感知”で魔術の発動を悟り、放たれた魔術の軌道を読み、その上で躱すだのなんだのをするらしい」

「……? それがどうした?」

「初めて聞いた時、なんだそりゃって思った。だが同時に、できたら強くなれるなとも思った。んで実践してみたんだができなかった。オレにそんなことができる才覚はなかったみたいでな」


 葵はオレたちと同じ技術を使うにしても、オレたちとは違った使い方をする。

 今ドミニクが口にした“魔力感知”の使い方だって、そういう使い方ができるとわかっても、実戦で扱えるやつはそうそういない。

 現に、戦闘センスの塊であるドミニクができなかったのがいい証明になる。

 そこには異世界から来たという出自も関係あるのかもしれない。


「ただどうしても諦めきれなくて、色々と考えてみた。結果が今さっきのコレだ」

「……ノームの土の弾丸を躱した時のか」

「正解だ。俺に綾乃葵のような“魔力感知”の使い方はできない。だがそれに迫る感覚の鋭さは持っているつもりでな。視界を塞がれようとも問題ないって寸法さ」


 ついさっきの攻防の一幕。

 オレたちは全員が一撃でも加えられると思っていたのにそれが出来なかった絡繰は、今のドミニクの言葉に全て集約されていた。

 それを開示した理由は――自己顕示欲だろうか。

 戦闘センスの塊であるということを、今の会話からでも十分に見せつけられる。


「にしてもお前、思ってたより強いな」

「急に褒めて、なんだ。気持ち悪いな」

「酷いな。だが率直な感想だぜ? 精霊に選ばれるってのはかなり素質がいる。ましてや会話ができる精霊となりゃ、相当高位なはずだ。勇者に選ばれるだけはあるってことか」

「……」


 手放しに褒めてくるドミニクに、オレは警戒しか抱けない。

 こんな話をしてくることそのものが、何かの策略な気がする。

 もし仮にこれが、本心からくる称賛だとしても、嬉しいなんて感情は微塵も沸いてこない。

 結局、ドミニクがオレの幼馴染を誘拐したことに関わっていて、オレたちの人生を歪めたと言う事実は変わらないのだから。


「ただ……勇者としてみるのなら、だいぶ失望だな」

「……」

「精霊に認められても、精霊の力を十分に引き出せてもいない。ただ契約しているだけだ。才能の無駄遣いだな」


 賞賛の笑顔から一転。

 呆れるような瞳でオレのことを見てくる。

 ドミニクに呆れられようと一向に構わない。

 構わないのだが、その視線は嫌な予感しかしない。

 形容し難い不思議な圧が、向けられる視線に内包されている。


「ま、才能があるとわかっただけいいか。今後に期待ということで……納得しておこう」

「今後……? この場からロッテを連れて逃げれるとでも言いたげな発言だな」

「逃げれるとも。こいつを囮にすりゃ余裕でな」

「――ッ」


 未だ虚な瞳で虚空を見据えるシャルの頬に手を添えて、ドミニクは妖しげに笑う。

 今すぐにでもロッテを助けたい衝動に駆られるが、ここで我を忘れて飛び込んでも返り討ちにあうだけなのは、最初の一撃で身をもって知っている。

 だからこそ、その場でドミニクを睨みつけるしかできない。


「安心しろ。そんなつまんねぇことはしない。ただ時間に余裕があるわけでもないんでな。手早く済ませるとしよう」


 その真意を理解する前に、ドミニクから発せられる圧力(プレッシャー)が増した。

 直後、空気が破裂したような爆発と同時に、ドミニクの姿が掻き消えた。

 驚く間もなく、オレは真横から奔った衝撃に吹き飛ばされ、硬い金属の壁に打ち付けられる。


「ァがッ」


 体中から骨の軋む悲鳴が聞こえ、体を動かすことも、呼吸にすら痛みが伴う。

 何が起きたのか。

 それを理解しようとして、しかし痛みが思考を邪魔してくる。

 辛うじて機能している視覚によれば、こちらへウィンディとノームが寄ってきており、ドミニクはさっきまでオレがいた場所に悠然と立っているのがわかった。


「フレッドっ」

「フレッドくん! 大丈夫?」

「――ぁあ、だい、っじょう、ぶ」

「大丈夫じゃないでしょ。ウィンディ、すぐ治療を――」

「させると思うか?」


 一瞬で距離を詰めてきたドミニクの姿は、先程までとは違っていた。

 ツノが生えたとか腕が増えたとか、そういう変化ではない。

 軽装ゆえに見える腕や、首や顔などに、うっすらと赤い線が奔っている。

 それがなんなのかを理解する前に、ウィンディとノームが暴威に飲まれる。

 互いに防御の姿勢を取れたのは見えたが、手のひらサイズの二柱(ふたり)は呆気なく吹き飛ばされる。


 痛みに喘ぎ、体を動かせずに見ていただけのオレは、無造作に伸ばしてきたドミニクの手から逃れられず、首を掴まれる。

 そのまま片腕で軽々と持ち上げられ、痛む体を宙へと浮かされる。


「ッ――」

「お前の才能に努力もわかっていたつもりだが、どうやらまだ過大評価だったらしい」


 寂しげに呟いたそれは、ドミニクの本心なのだろう。

 強者と戦いたい。

 互いに研鑽できるような強い相手と戦いたい。

 帝国民らしいその考えは、帝国出身のオレにもある。

 だからこそ、ドミニクの言葉が紛れもない本心だとわかる。


「オレが撤収するよりも早くここに――それも精霊を従えて来たときにゃあ期待したもんだが……これじゃ、神聖国で退()いたのも失敗だったとしか思えんな」


 「はぁ」と小さくため息をつく。

 片腕でオレの首を掴んだまま、軽々と持ち上げた上で雑談に花を咲かせている。

 オレを見縊(みくび)っているわけではない。

 正しく彼我の実力差を理解し、正しく対処しているだけ。

 そこには侮蔑も何もない。

 ドミニクの言葉と態度の通り、ただ純粋に、悲しみに暮れているだけ。


 事実、痛む体に鞭打って、この状況の打破に動いてみても、微塵もどうにかなる気がしない。

 首を掴む腕や手を引き剥がそうとしても微動だにせず、踏ん張れない状況下での足蹴など子供の児戯に等しい。

 宙にいようが踏ん張りが効かなかろうが威力の変わらない魔術でさえ、発動させた瞬間には回避行動に移られる。

 視界を塞いでもおらず、精霊のように息をするように魔術が放てるわけでもないオレに、魔術でドミニクへ攻撃を加えることは無理。

 つまるところ、打つ手がない――詰みだ。


「ま、これで終いだな。直ぐには会えねえだろうが、そう遠くないうちにあいつも送ってやる。心配せずに逝け」

「くッ――」


 オレの首を掴む右手の反対ーー左手を、弓に矢を番えるかのようにグッと引く。

 手刀の形を取るそれは、オレの心臓を貫こうとしているのだろうか。

 それがわかったところで、オレに防げるとも思えない。

 ならばどうするか。

 考えて考えて考えて考えて考えて。

 考えた先に――




 “諦める”




 そんな単語が、脳裏を()ぎる。

 人によっては非難されるけれど、それでも当人の救いにはなる言葉。

 全てを投げ出して、心と体の安寧を図る言葉。

 オレの場合、これまで積み重ねて来た努力も思考も、全てを無に帰し楽になるための、言葉。


「もう……いいかな」


 言葉に出したのか、心の中で思っただけなのか。

 そう考えた刹那、ドミニクの左でがブレる。

 瞬きをする間に、象られた手刀はオレの心臓を貫いてくれる。

 それで全てが終わる。


「――待って!」


 瞼を下ろし、どうしようもない現実を目の当たりにして、オレは全ては終わるのを待っていた。

 けれど、その時はたった一言の、懐かしい声音よって遮られる。

 少し掠れてはいた。

 記憶にあるものよりも、少しだけ声のトーンは落ち着いていて、少女らしさは消えているように聞こえた。

 十年近くも聞いていなかったはずなのに、たった一言で誰の言葉かが理解できた。


「……驚いたな。まさか自我を取り戻すとは」

「ドミニクさん、待って」

「待ってるさ。自我を取り戻したお前なら、その両目でしっかりと見えてるだろ?」

「あなたに対しては、念を押しておく必要があるもの」

「信用ないねぇ」

「信用なんてできるわけないでしょ」


 その言葉に、ドミニクは「そりゃそうだ」とでも言いたげに肩を竦める。

 それを見てから、ドミニクの手刀を止めた人物――シャルとオレの視線が交錯する。


「シャル……」

「久しぶりだね、リック」


 リック。

 フレデリックの通称はフレッドだが、オレたちの間だけの愛称で呼ぼうと約束し、名前を文字る形で引っ張って来た特別な愛称。

 そんな懐かしい思い出を、シャルの言葉を聞き、視線を交わしただけで思い出す。


「……」


 随分と、大人になったと思う。

 今年で20歳になるのだから当然か。

 身長も伸び、体の各部も女性らしさが増した。

 髪は手入れがされていないのか、身長と大差ないくらいに伸びきっている。

 記憶にあるロッテとは何もかもが違う。

 虚な瞳でドミニクに連れられていた時にも見たはずなのに、懐かしい再会を果たしたような気になる。


「ごめんね……? ワタシが捕まっちゃったせいで、リックの人生を奪っちゃって」

「シャルのせいじゃない、違うよ。オレがしたくてしてきたことなんだから……そんな――そんな悲しい顔しないで」


 久しぶりの会話なのに、言葉はたくさん溢れてくるのに、その大半は(こえ)にならずに消えていく。

 シャルの目には涙が溜まり、ポタポタと地面に染みを作っていく。

 十年ぶりの再会。

 それがこんなに悲しい形になるなんて、思ってもみなかった。


「お取り込み中のところ悪いが、要件があるなら早めにな? こっちも無限の時間があるわけじゃあないんでね」

「……わかっているわ。――リック、ごめんなさい。ワタシは、ドミニクさんに着いていくわ」

「――はぃ? ど、どうして?」

「リックがワタシのためにずっと動いてくれていたのは知ってるわ。ドミニクさんがずっと面白そうに話してくれていたから……さっきまでの会話も、全部聞こえてた」

「なら……なら、一緒に――」

「今のリックじゃ、ドミニクさんには勝てない」


 愛する人から、わかりきっていたはずの現実を叩きつけられる。

 胸が締め付けられるように痛み、呼吸が浅くなっていく。


「もしワタシが万全の状態で、自分の意思で動くことができたとして……リックと一緒に戦えたとしても、きっと勝てない」

「そ、そんなこと――」

「勝てないのよ。ドミニクさんは魔人の力を取り入れている。でも、今の戦いでそれは一度も使ってない。もしドミニクさんがそれを使ったらどうなるか、わかるでしょう?」


 シャルの言葉に、ぐうの音も出せない。

 今語られたのが真実だとして、本気を出していないドミニクに本気を出して敵わないオレが勝てる道理など、あるはずがない。

 どんなに小さいガキでもわかる。


「ワタシは大人しくあなたに着いていく。だからリックには手を出さないで」

「それは交換条件になってないぜ? お前が元から俺が連れて行く予定だったんだからよ」

「そうね。でもワタシが抵抗すれば、連れて行くのに手間はかかる。その手間がなくなるのは、あなたにとっては好都合じゃないかしら?」

「……へぇ。人質であることを利用するってか。なるほどなるほど、いいじゃあねぇの」


 満足げに頷いて、ドミニクはオレを放り投げる。

 軽く壁に叩きつけられ、肺から息が漏れる。

 何度か嘔吐き、オレは視線を上げる。


「シャル……」

「もしまた無事出会えたなら、その時は誹りでも何でも受け入れるわ。だから……ごめんね。それと、あの時の約束……守ってくれてありがとう」


 申し訳なさそうに、とても悲しげな表情(えがお)で、シャルはオレに言った。

 それに返事をする間も無く、シャルとドミニクは突如生まれた空間の狭間に飲み込まれる。

 大きな機械だらけの広間に残ったのは、ドミニクに手も足も出なかったオレと、オレに巻き込まれた二柱(ふたり)の精霊だけ。


「――畜生……!」


 シャルにあんなことを言わせてしまった自分(オレ)が。

 自分を犠牲にさせてしまった自分(オレ)が不甲斐なくて。

 忘れていた体の痛みがぶり返し、でもそんなことも気にならなくなるくらいの後悔に襲われる。

 蹲り、体を渦巻く後悔に、己の全てを潰される。


「畜生……ッ!」


 どうしようもないほどに大きな後悔に、オレはただただ飲み込まれることしかできなかった。




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