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姉の為に。  作者: たかだひろき
第九章 【エルフの郷】編
145/202

第七話 【ソウファの戦い】




 大森林を全力で駆ける。

 焦りが心を囃し立て、視界が狭まっていくのを感じる。


「慌てるな。ナディアの弟子がいれば、時間くらいは稼げるだろう」

「……ごめんなさい、師匠(せんせい)

「謝る必要はない。それよりも、ソウファ自身にできることを考えろ」

「はい」


 厳しい物言いだが、私のことを考えての言葉。

 それをわかっているし、何より言っていることは正しい。

 師匠(せんせい)の言葉通り、私にできることを考える。

 考えながら、走る。

 そうして数分ほど大森林を駆け抜けていると、目的の獣人の国が見えてきた。

 しかし、いつもとどこか雰囲気が違う。

 妙に騒がしいのは、今起こっている事態が事態なだけに理解できるが、それ以外の何かが違うような――


「む、結界がない……?」

「結界がなくなっちゃったの?」

「どうやらそのようだ。国の中も安全ではないな」


 獣人の国の防衛機構は、そのほとんどを国を囲む結界に依存している。

 主様曰く、共和国にあった結界をより強化したようなもの、と言っていたし、それさえあれば魔獣や魔物の脅威に怯えることもなくなるらしい。

 私は詳しくないのでよくわからなかったが、この町にとって重要なものが壊れてしまった。

 今しがた感じた違和感の正体を師匠(せんせい)の言葉で理解しつつ、跳躍して壁を乗り越える。

 刹那。

 ズガァアアアアンと爆音が鳴り響いた。

 その爆音が発したであろう衝撃波は、空気と地面から伝わってくる。


「あっちだね!」

「……ソウファ。先に行け」

師匠(せんせい)……?」

「この一週間で、お前は大いに成長した。増した力に過信することなく、ただひたすらに努力してきた。まだ拙い部分こそあるが、それでもここに来た時よりもずっと強くなった。ずっと見てきたワシが保証する。だから行け」


 師匠(せんせい)が何を考えているのか、私にはわからない。

 私よりもずっと頭が良くて、ずっと強い師匠(せんせい)が何をしようとしているのかも、わからない。

 けれど、一つだけ分かったのは、師匠(せんせい)は私の実力を認めてくれていると言うこと。

 守られるだけじゃ嫌だと駄々を捏ね、主様から許可を貰って自分の意志で始めたことで、ようやく少しは認めて貰えた。

 だから、私は――


「――わかりました!」


 元気よく返事をする。

 期待に応えたいから行動するのか。

 今の私がどこまでやれるか試したいのか。

 もっとたくさん認めてもらいたいだけなのか。

 今はまだ答えは出せないけれど、それでもやるべきことは決めた。


「――見つけた!」


 先ほど聞こえた衝撃音から少し離れた場所。

 私の“魔力感知”の範囲内に、三つの反応を捉えた。

 二つは私の知る反応――結愛お姉ちゃんと、フレッドさんのものだ。

 そしてもう一つ。

 誰かの判別こそできないものの、その反応は知っている。

 鍛錬中の私のいた部隊に通達されたものとも一致する反応。

 油断などできないと己の心と覚悟を引き締めて、私はその反応の傍に着地する。


「新手か」

「――! それ……」


 降り立った先で私を値踏みでもするかのような視線を向けてきたのは、“魔力感知”で捉えていた通りの反応――魔人だった。

 その肌は今まで見てきた魔人よりも若干だが明るく、髪も茶色っぽいオレンジ色だ。

 鋭い青色の瞳が私を貫いているが、師匠(せんせい)や指導官が鍛錬の最中に向けてくる視線の方が怖い。

 と言うか、そんなことよりも、私は目の前の魔人のある一部が気になって仕方がない。

 それは、日焼けした主様のような肌を奔る赤とも青とも取れる線。

 主に首から下――もっと言うのなら、腕や脚などを主に奔るその線は、ここ一週間でよく見てきたものだ。

 故に、いやだからこそ、疑問が生まれる。


「どうして魔人のあなたが、“獣化の秘術”を使えるの?」

「……? 何の話だ」


 その問いに、目の前の魔人は不思議そうな顔をして答えた。

 私を謀る素振りはなく、純粋に言葉通りわかっていないのだろうか。

 それとも、私なんかではわからないほどに嘘を吐くのが上手いのか。

 どちらにせよ、もっとたくさん警戒しなければならない。


「この場から去るのなら追わないが、ここに来たと言うことはつまり、私を止めに来たのだろう?」

「その通りです」

「だろうな。だが止めておいた方がいい。その先で蹲っているであろう二人や、向こうに飛ばした君の主人のようになるだけだ」

「……あなたを足止めできるのが私だけになったなら、余計にここから逃げられません」


 魔人の言葉を聞いて、おおよその状況を把握する。

 この魔人は主様や結愛お姉ちゃんたちと戦って、信じられないがどうやら勝利――少なくとも、負けてはいないらしい。

 この状況で、私では魔人の言葉の真偽を確かめられないが、魔人が暴れたと仮定するなら見える範囲の被害は少ない。

 つまり、主様たちが足止めを行い、今の今まで耐えていたのは間違いないだろう。

 そう考えると、魔人の言っていることも嘘ではない、と思う。

 ここで私が主様たちの負担を減らせば、主様たちも動きやすくなる。

 だから、私はここから逃げず、この魔人と戦う。

 両の拳を軽く握り、腰を少し落として構える。

 主様から少しずつ教わった武術と、ここ一週間で身に着けた戦い方。

 その全てを使って、目の前の魔人と戦おう。


「ふむ……蛮勇か、あるいは――」


 そう覚悟を決めると、魔人は小さく呟いた。

 その言葉が何を意味するのかわからない。

 あるいは意味なんてないのかもしれない。

 ただ、次の一瞬で何が起こるかはわからない。

 主様たちを倒したのなら、どれだけ警戒しても足りないのだから。


「君は確か、ナイルが連れてきた“銀狼”だったな?」

「……だとしたら、何かあるの?」

「いいや。期待できるなと、そう思っただけだ」


 そう言って、目の前の魔人は私の瞳を見てきた。

 その瞳には既に、魔人の持つ魔眼――その発動を意味する光の円が映っている。

 構えた私に対し、特にこれと言った対応を見せることなく、唐突に魔人は口を開いた。


「私の名前はユリエル。十魔神序列二位。技神ユリエルだ」

「……私も名乗ったほうがいいの?」

「そうだな。名乗ってくれると嬉しい」

「……私はソウファ。主様の従魔だよ」

「ソウファか。ではソウファ。存分に戦おう」


 そう言うと同時、魔人ユリエルは加速し距離を詰めてきた。

 十メートルはあっただろう距離を一瞬で詰めたのか、気が付けば眼前に拳があった。

 頸を傾けてそれを躱すと、耳の傍を拳が空を切る音が聞こえた。

 その拳が持つ威力のほどをその音から感じ取り、慌てて大きく跳び退いた。


「避けたか。葵以上だな」

「すー……ふーッ」


 深呼吸をして、焦りだす心を落ち着ける。

 想定して通り――いや、想定を下回っていた魔人ユリエルに、疑問と疑念を抱く。

 これがこの魔人の力なら、主様も結愛お姉ちゃんも負けはしない。

 フレッドさんだってそうだろう。

 まだ力を隠しているか、あるいは本気を出していないかの二択。

 他にもまだ可能性はあるかもしれないが、今の私で考えられるのはその二つだけ。

 このままでも時間稼ぎはできるが、それが油断に繋がっては元も子もない。

 まして、もし考えたうちの後者だった場合、本気を出されれば抗う術なく倒される。

 ならば最初から全力で立ち向かうのがいいはずだ。


「ハァーッ……」


 大きく息を吐いて、全身から力を抜く。

 立つこと以外の全てを緩めて、全身の意識を己の心臓へと集約させる。

 そして、本来は意図的に動かすことのできない心臓を、周囲の筋肉――利用できる全てを利用して、脈動させる。

 全身に巡る血液をもっと早く回転させ、体の隅々まで広がるように意識する。

 鼓膜が心臓の鼓動を簡単に拾えるようになってなお、私は脈拍を上昇させ続ける。


「……なるほど。獣化の秘術とはこのことか」


 魔人ユリエルは己が腕を見下ろして呟いた。

 指導官が教えてくれた、獣人の中でも強靭な肉体と才能がなければ使えないと言っていた“獣化の秘術”。

 なぜか魔人ユリエルも使えるが、その出所など気にしていられない。

 まだ使()()()だけで、使()()()()()()()()()私に、この秘術は少し厳しい。

 慣れれば大丈夫だと言っていたが、一週間で慣れるほどの才は私にはなかったらしい。

 それでも、魔人ユリエルと対等に戦うために、今の私にできるのはこれしかない。

 あとが辛くても、体が悲鳴を上げても、死ななければ問題ない。

 主様が真似をするなと言っていた、自らを省みない戦い方をして、あとで怒られるだろうか。

 いや、それでも。

 私が目指す未来は、ここを乗り越えなければ見られない。

 私が私の意見を押し通す。

 その為の第一歩として――


「どうやら、君が()()()()()()

「――行きます」


 大地を踏みしめ、私は前へ跳躍する。

 風景が置き去りにされ、風景が線で描画される世界で、私は狙いを定めず拳を振るう。

 その拳は魔人ユリエルへと腹部辺りに直撃し、私より二回り以上も大きい巨躯を吹き飛ばす。

 そのままズカァアアンと大きな音を立て、巨木へと衝突した。

 突き出した赤とも青ともとれる線が奔った腕を降ろして、俯きがちに呼吸する。


「ハァッ、ハッ……」


 たった一回。

 この攻撃だけで、もう息が上がる。

 “獣化の秘術”は心臓の鼓動を速くし、体内を流れる血流の速度を上げることで限界以上の力を引き出す技術だと言っていた。

 運動すれば誰でも脈拍は上がるけど、それを意図的に、しかもその何倍もの速さで行っているとなれば、体にかかる負担も大きい。

 大きいが、逆に言えばそれだけだ。

 こんな辛さ、銀狼の加護に押し潰されていた時に比べればなんてことない。


「凄まじいな。あの方の言っていた通りだ」

「……頑丈だね」


 倒せるなんて思ってはいなかった。

 ただ少なからず、ダメージは与えられるとは思っていた。

 だけど、砂煙の中から衣服についた木屑を払いながら出てきた魔人ユリエルに、目立った傷は見つけられない。

 あれだけの勢いで木に直撃したのに痛そうな顔一つしていないのは、頑丈の言葉を超えている気もするけど。


「今度はこちらから行くぞ」


 その言葉通り、魔人ユリエルは一瞬で距離を詰めてきた。

 先程と変わらない直線的な攻撃。

 反応さえできれば避けられる。


「ッ――!」


 そう考えていた私を嘲笑うように、繰り出された拳が私に届く。

 ガスッと鈍い音が自分の頬から聞えたが、いなしてダメージを抑えつつ退く。

 拳を放った姿のままの魔人ユリエルを注視しながら、拳を受けた頬を撫でる。

 主様から教わったいなし術のおかげでダメージこそ少ないが、鈍い痛みは継続して存在感を示してくる。


「確実に当てるつもりだったが……やはりいいな」

「ふー……」


 大きく息を吸って、大きく吐き出す。

 獣化の秘術を使っている現在、体の倦怠感はどうしても抜けない。

 だからこそ、いつも以上に心と体を落ち着ける。


「ソウファ。君はどうして戦う?」

「……どうして、と言うと?」

「そのままの意味だ」

「今戦ってる理由ってこと?」

「そうだ」


 どうしてそんなことを聞いてくるのか。

 理由はわからないけど、その表情は真剣だ。

 時間稼ぎのつもりなら乗っておいても損はないと思うので、警戒は緩めないで考える。


「……今戦ってる理由は、あなたからこの町を守る為」

「これまで戦ってきた理由は?」

「これまでは、主様の為だよ」

「では、これからは?」

「これから……?」


 ここ最近、たくさん考えてきたことだ。

 今まではずっと、主様の為に戦ってきた。

 私たちを助けてくれて、その後もずっと面倒を見てくれた主様の為に。

 だけど、他人だけを頼りに生きているだけではダメなんじゃないかと思い始めて、私は動き出した。

 この国で初めて、私は私の意思で考え動いている。

 もちろん、主様の為に戦ってきたのも私の意思だ。

 でも、その根っこにあるのは主様。

 最初から最後まで、私の意思ではなかった。

 ……いや、今こうして動いている理由の根っこも、私の意思ではないかもしれない。


「どうした?」

「私がこれから戦う理由……」


 私が自分で考えて動き始めたのは、アフィ兄ちゃんやラディナ姉ちゃんたちを見習ったから。

 主様に助けられて、主様に恩を返すために行動し続けるだけじゃダメなんだと、二人の行動から教えて貰ったから。

 二人みたいに主様の敵側に回るのは難しいけど、それ以外でもできることはあるはずだと。

 やはり、考えれば考えるほど、私は私自身で何かを決めてはいない気がする。


 私は今まで、行く先を誰かに頼っていた。

 だけど、それじゃあいけない。

 いつかは私一人で何かを決めなきゃいけない時が来るかもしれない。

 そうなった時になんにもできないままでは、昔と同じことになってしまう。

 サルの魔獣に襲われたときは、力がなくて逃げるしかできなかった。

 では、今度は?

 あれと似たようなことが起こったとして、誰かに決めて貰わなければ何もできない私のままで、どうにかできるかな?

 ……できない、と思う。


「……どうやら質問が悪かったようだな。では質問を変えようか。この先の未来で、ソウファは何をしたい?」

「私が、したいこと?」


 そうだ、と魔人ユリエルは頷く。

 見た感じ、戦闘を好みそうな魔人ユリエルが、戦闘を一旦止めてまでこの会話をする意味は……わからないから考えない。

 考えてもわからないことではなく、質問に……私にとって大切なものの気がする質問への答えを考える。


 私がしたいこと。

 この先の未来で、やってみたいこと。

 すぐ思い浮かぶのは、またみんなで旅をしたいということ。

 主様とラディナ姉ちゃんとアフィ兄ちゃんとで、楽しく色んな場所を旅したい。

 ラディナ姉ちゃんに主様がからかわれて、アフィ兄ちゃんが呆れたようにそれを眺めてる。

 そんな旅を、またしたい。


「……そっか。旅がしたいんだ、私」

「見つけたか?」

「うん、見つけたよ」


 もう自分の中で、答えは出ていた。

 気づいていなかっただけで、答えはどこを探す必要もなく、私自身が持っていた。


「私は、またみんなで旅がしたい。仲良く楽しく、旅がしたい! その為に、私は戦うんだ……!」


 主様の為というのも、もちろん嘘ではない。

 それも、私の本心だと思う。

 そしてこれも、私の本心だ。

 魔人側に行ってしまったラディナ姉ちゃんとアフィ兄ちゃんを連れ戻して、また主様と一緒に四人で旅をする。


 あれ、でも、それはできないのかな?

 主様が旅をする目的は結愛お姉ちゃんで、その目的はもう達成した。

 だから、主様が旅をする理由はもうない。

 いやでも、また四人で旅がしたいって言ったら、きっと一回くらいはしてくれると思う。

 主様は素っ気ないようで、とても優しい人だから。

 ラディナ姉ちゃんだってそう言っていたし、間違いない。


「いい目標だ。未来を見据えて生きるヒトは、そうでないヒトに比べて強くなれる」

「……あなたも、強い人と戦いたい人なの?」


 主様から聞いたことがある。

 帝国の王様は、強い人と戦うことに喜びを見出すと。

 よくわからない感覚だけど、魔人ユリエルの言い方は同じようなものを感じる。


「あなたもと言うことはソウファ。君もそうなのか?」

「私は違うよ。そう言う人を知っているだけで」

「そうか。どうせなら強い人と戦いたいと、ただそれだけだ」

「何が違うのかよくわからないけど、あなたの目的は達成できたってことでいいの?」

「そうだな」

「じゃあ帰ってくれたりしない?」

「無理な相談だ。そも、今達成した目標は本来の目的の前座。これからが本番だ」

「そうだよね」


 魔人ユリエルの反応は想定通りだ。

 わかりきっていたからこそ、私は半身になって構える。

 なんとなく、これから始まる攻防が最後になる気がして。

 理由なんてない。

 直感がそう言っているだけ。

 私の構えを見て、魔人ユリエルは力を抜く。

 だらーんと体の力が抜けて、油断しているかのような立ち振る舞いにみえる。


「十魔神、序列第二位。技神、ユリエル」

「えっと……“銀狼”ソウファ」


 唐突に名乗られて、慌てて何を言うか考える。

 パッと思い浮かんだ自分の種族を言ってから名乗る。

 その返事で満足してくれたのか、魔人ユリエルは嬉しそうな笑みを浮かべる。


「行くぞ」

「――」


 丁寧に開始の言葉を告げて、魔人ユリエルは直線で突進してくる。

 速度がとんでもなく、真っ直ぐ受け止めた私の腕がビリビリと震える。

 少しだけ勢いに押されて下がってしまったけど、ちゃんと受け止められた。


「――ハァッ!」


 突進の勢いを完全に止め、反撃に顎を狙って蹴り上げる。

 体格の違いのせいで、魔人ユリエルの腕ほどの長さしかない脚だが、狙い通り顎を打ち貫いた。

 しかし、手応えは薄い。

 魔人ユリエルが器用にいなし、私の攻撃の威力を激減した状態で受け止めた。

 腕はきちんと掴んでいるのにいなされているのは、単純な体格差が影響している。

 実力では埋められないその差を、まだ足りない技術で補わなければならない。


 今度は反撃の反撃とばかりに、魔人ユリエルが掴んでいない左の拳を突き出してくる。

 前触れや予備動作のない瞬発的な攻撃に、蹴り上げた片脚の状態で一瞬だけ思考する。

 思考の結果導き出した行動は回避だ。

 掴んだ腕を離して、まだ地面に着けている左脚に力を込めて、大きく後ろへ跳躍する。


 だが、そう行動することを読まれていたのだろう。

 魔人ユリエルは、回避の都合上、最後まで傍に残っていた蹴り上げた私の右脚を掴み取り、空中へと放り投げる。

 大森林の真ん中あたりにある木々は、一番下の枝でさえ地上から五十メートルは離れている。

 だと言うのに、その枝を越え葉を越え、下に木々が見える高さまで放り投げられた。

 天も地もなくなった空中でぐるぐると回転する私は、どうにか体を動かし回転を緩めようとする。

 しかし回転を止める前に、私の耳は爆音を捉えた。

 方向は回転しているからわからない。

 ただ、“魔力感知”は接近してくる気配を確実に捉えている。

 それが魔人ユリエルだと言うことは、もうわかっている。


 回る視界の端で私と同じように大森林の木々を越えてくる魔人ユリエルへ、苦し紛れに蹴りを放った。

 それがヒットしたのか、脚に確かな感触と衝撃が伝わる。

 ついでに、回転の勢いがほとんどなくなった。

 ラッキー! と幸運に感謝して、未だ上空へと上昇を続ける私は、今さっき蹴った魔人ユリエルへ視線を向ける。

 どうやら私の蹴りはクリーンヒットしたらしく、魔人ユリエルはゆっくりと落下し始めた。


 顎にでも入って気絶したのかな? と考えた瞬間、魔人ユリエルは空を蹴って上昇してきた。

 さっき聞いたばかりの轟音が鳴り、地上にいた時と変わらない速度で向かってくる。

 普通では考えられないことをしてくる魔人ユリエルに驚愕しながら、叩き落すべく両腕を引き絞って狙いを定める。

 標的はもちろん、突進し(あがっ)てくる魔人ユリエルだ。

 それに気づいた魔人ユリエルも、上昇しながら両腕を引き絞る。


 そして、互いの間合いに入った瞬間、連続の殴打が繰り出される。

 私よりも間合いが長い魔人ユリエルの最初の数発を躱して私の間合いに引き込んで、私も引き絞った腕を振るい拳を叩き込む。

 考えている暇などない。

 反射と反応と手数だけで、魔人ユリエルを殴りつける。

 間合いが短い分、私の方が腕を放って戻すまでの時間が短い。

 故に何も考えず、ただひたすらに拳を放つ。

 上昇の勢いが止まる前に倒せと、自分を奮い立たせて。


「ハァアアアアアアアアアア!!!!!」


 雄叫びを上げて、全身全霊で拳を振るう。

 空中で踏ん張る足場もないから、体の捻り、重心の移動、その他諸々。

 教わった全てを注ぎ込んで、魔人ユリエルを殴りつける。

 魔人ユリエル(あいて)から殴られるよりも多く、魔人ユリエル(あいて)から放たれるよりも強く。

 それだけ考えて、無心で殴打を繰り出し続ける。




 結末は、あっさりと訪れた。




 数を繰り出す私に、負けず劣らずの量の拳を放っていた魔人ユリエルの一撃が、私の顔を捉えた。

 痛みはほとんどなく、しかし衝撃は確かに私の体を貫いたようで、体が少し――ほんの少しだけ後ろに下がってしまった。

 結果、間合い(リーチ)が足りずに私の攻撃が空ぶって、魔人ユリエルの攻撃で地面へと叩き落された。


「ガ――ハッ」


 背中から地面に叩きつけられ、私はその衝撃に声も出せない。

 全身を痛みが駆け巡り、のたうち回るのにさえ痛みが伴う。

 このままではいけない、立ち上がらなければ、と頭は体へ命令するが、体は全く言うことを聞いてくれない。

 そうこうしている間に、魔人ユリエルは私の傍に立っていた。

 私を見下ろすように立っているが、すぐに(うずくま)る私の傍に片膝を立ててしゃがむ。


「私の勝ちだな」

「――ァ」


 背中を中心にとんでもない痛みがある私は、それに答えたくても答えられない。

 声とは呼べない、掠れた音だけが出る。

 そんな私の状態をわかっているのか、魔人ユリエルは達成とも満足ともとれそうな小さな笑みを浮かべて立ち上がる。


「目的は十分に達した。次に戦うときを楽しみにしているぞ、ソウファ」


 それだけ言って、魔人ユリエルは背を向けて去っていく。

 それを止めなければならない立場の私だけど、立ち上がることは愚か、声も出せない。

 遠ざかっていく背に向けて、何とか腕を伸ばすことには成功するが、魔術を構築するほどの余裕はない。

 何もできず、霞んできた視界で最後の最後まで魔人ユリエルを見据えて――




 私の意識は、プツンと途切れた。









「どこに行く?」


 かなり力を使い、久しぶりに心身ともに疲れた私に元へ、立派な白い髭を蓄えた老エルフが警戒を込めた問いを投げてくる。

 腰には素朴ながら確かな技術の凝らされた意匠の施された鞘が提げられており、手にはその鞘に収まるであろう鈍色の鋭い刀が握られている。

 私に切っ先を向けてはいないが、迎撃にでたら間違いなくアレが私に牙を剥くだろう。


「城へと帰るところだ」

「そうか。もしワシが止める、と言ったら?」

「勘弁願いたいな。これでも疲れているんだ」

「見ればわかる」

「……そうか」


 どうやら、私が疲れていることは見てわかるらしい。

 先のソウファとの戦闘は勝利で収めたが、その前の三人との戦闘も相まって中々に疲れた。

 そも、ソウファとの戦いでさえ全力を振り絞らねば勝てぬ戦いだった。

 それこそ、人間の皇帝と遜色ないくらいに。

 私に全力を出させた数少ない相手。

 真の意味での、好敵手との戦い。

 思い出すだけでも奮える。


「だが、貴様は私を止めるつもりはないのだろう?」

「……どうしてそう思う?」

「私よりも、あちらに眠るソウファへ意識が向いている」

「……魔人の力か? それとも――」

「私の勘だ」


 私の答えに、老エルフは小さく溜息をついた。

 そして、隙だらけのまま刀を鞘へ納める。

 もちろん、隙だらけなのは見かけだけ。

 私が攻撃すれば、手痛い反撃が待っているだろう。

 おそらくは、卓越した技術力で全ての差を埋めに来るタイプの戦い方をする相手。

 疲労していなくとも、油断ならない。


「心配ではなかったのか?」

「何がだ?」

「ソウファが私に殺されるのが、だ。戦いを見ていたのだろう?」


 気配は常にあった。

 戦い始めてすぐ、こちらをずっと監視するように見つめていた気配だ。

 故に、今こうしてソウファ(あのこ)を心配する老エルフの行動に違和感を抱いた。


「あの子だけで、十分貴様を打ち倒せると思っていた」

「それは、読みが外れたな」

「そうだな。だが、貴様があの子を殺すつもりがないことは、戦いの最中の会話で聞いていた」

「……なるほど。だからか」

「あの子は私の二番目の弟子だ。死なせたくないが、だからと言ってあの子の想いを踏みにじることはしたくない」


 違和感は老エルフの言葉でなくなり、納得へと変わる。

 私の横を通り過ぎる老エルフを、何もせずに見逃す。

 ……いや。

 この場合、見逃されているのは私の方かもしれない。


「今回、ワシは読みを外した」

「……その通りだな」

「だが、貴様の言っていた“次”は、ソウファが勝つぞ」

「――フッ」


 背を向けてこちらに話しかけてきた老エルフの言葉に、思わず笑みを浮かべる。

 片手の指で事足りる、私に勝利した相手の一人に名を連ねる。

 そんな相手と戦ったのなら、どれだけ楽しく、そして胸が熱くなるのか。

 あり得るかもしれない未来を想像しての笑み。


 ソウファ(あのこ)は確実に強くなる。

 もし私を越えてくれるのなら――


「――本当に楽しみだ」


 誰もいなくなった大森林を歩きながら、私は誰に聞かせるでもなく呟いた。




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