第三話 【エルフの郷】
長に歓迎され、人生で一度あるかどうかの体験になるだろうから獣人の国を見て回ろうという話し合いをしてすぐに、私とソウファちゃんは入り口の門付近へと来ていた。
そこで町を見渡すでもなく、門番らしき獣人と話をするでもなく、ただ視界いっぱいに広がる大森林へと聞き耳を立てていた。
「音、聞こえなくなっちゃったね」
「……そうだね」
櫓の柵の縁に座り脚をプラプラと宙に垂らしながら、ソウファちゃんは呟いた。
それに私は、大森林の奥をジッと見つめながら気が気でない生返事する。
見えるはずもないのに、音の聞えていた方向をただただ見つめる。
爆発音や衝撃音。
明らかに戦闘が行われていた音だ。
何が起こっていたのか、結果がどうなったのか。
不安が尽きることはない。
「大丈夫だよ」
「え?」
一緒に大森林の方を見ていたはずのソウファちゃんは、いつの間にか私の方を見てそう言った。
嘘や気遣いなどではない。
本心からそう思っている。
声音からも眼からも伝わってくる。
「主様は大丈夫。結愛お姉ちゃんにそう言ったんでしょ? なら、大丈夫だよ」
「――そうだね」
不安がなくなったわけじゃない。
本当に大丈夫なのかはわからない。
けれど、大丈夫だと信じる。
今私にできるのはそれだけだ。
「ありがとう、ソウファちゃん。付き合わせてごめんね? みんなのところ、戻ろっか」
「うん!」
櫓から降りて、譲ってくれた門番の獣人に感謝を言い、みんなの元へ戻る。
ツリーハウスのような街並みが気になると言っていたから、色々と回っているだろうか。
ともあれ、まずは上に行かないと始まらないだろう。
そう考えて、上り下りをした昇降機へと向かう。
丁度降りてきたらしい昇降機から、アカさんが姿を見せた。
「あ、アカさん」
「――板垣結愛か。もういいのか?」
「はい。みんなどこにいるか、わかりますか?」
「全員、町を見て回っている。歩き回っていれば会えるだろう」
出会ったついでにみんなの情報を貰い、アカさんと入れ替わる形で昇降機に乗る。
礼を言って頭を下げると、タイミングよく昇降機の扉が閉じた。
「……初代勇者の外側を継ぐもの、か」
アカは小さく呟いて、扉の閉じた昇降機の向こうを見据える。
今頃、上へ向かって進んでいる一人の少女の顔を思い浮かべて、素振りは見せずに熟考する。
初代勇者とやらと実際に会ったことはないが、老師から何度も昔話として聞いていた。
神に最も近い種族とさえ言われる竜人。
その中で他の追随を許さないほどに強かった老師が、全盛期ですら勝てなかった相手。
「それで、中身があの男か」
初代勇者と同じ能力を使うらしきあの男。
あの男から強者の雰囲気は感じない。
少なくとも、老師を圧倒できるほどの“何か”を持っているとは思えない。
老師ですら勝てなかった初代勇者とやらは、能力に頼らない戦い方だったのか。
あるいは、あの男が能力を使いこなせていないのか。
考え出せば止まらなくなるので、一度思考を切り上げ、短い赤毛を揺らして結界の方へと向かう。
ザクザクと土を踏み鳴らし、礼儀正しく敬礼してくれる獣人の脇を素通りしていく。
そのまま門を潜り、ついさっきまで音の鳴っていた方向へ視線を向ける。
ただでさえ鋭い目つきがより厳しくなっている。
心の弱い人が見れば委縮し気絶してしまいそうなくらい、一点を睨みつけている。
「……私はやはり危険だと思います、老師」
誰に聞かせるでもなく、厳しい目つきのまま小さく呟いた。
* * * * * * * * * *
眠りから覚めるような感覚で、意識が浮上する。
ぼんやりと世界の音が聞こえ、次第に視界が明るくなっていく。
「ここは……」
「目覚めましたか」
「……ああ、師匠に変わってもらってたんだっけ」
俺の目覚めを待っていたらしきエルフの声と顔を見て、眠りにつく前のことを思い出す。
眠ると言うのは正確ではないが、俺が意識して体を動かせる状態ではなかったのであながち間違いでもないだろう。
「良かったよ。師匠の成長を信じてくれて」
「あなたを信用したわけではありません」
「知ってる。それは俺がこれからの努力でどうにかすることだからね」
師匠にお願いしたのは、エルフたちが俺に持っている敵対の意思を削いでもらうこと。
師匠の成長を、心の変化を認めさせ、
友好関係を築き、信頼を得るのは俺の役目だ。
「ずっと見てたけど、あんたたち悪い奴ではなさそうだな」
「藪から棒に何ですか?」
訝しげで胡乱げな視線を、嫌そうな顔とともに向けてくる。
そう言う癖の人なら興奮できるのだろうが、生憎と俺にその気はない。
肩を竦めて、ゆっくりと立ち上がる。
「師匠のことがあって魔人を警戒してて、その仲間らしき俺が師匠の名前を出した上にエルフの郷に行きたいとか言い出したら、誰だって警戒するよな」
相手の立場になって考えてみたら、何もおかしなことはなかった。
視野が狭くなっていたのは、どうやら俺も同じらしい。
「魔人側に着いた人間がいると言う情報を得ていたのも、我々が警戒した理由でもあります」
「あー……だからあいつらも俺のことを敵だって断定したのか」
思い返せば、あの竜人の死に際にそんな感じの話していたような気がする。
魔人サイドに寝返った人間がいるのは確かだ。
確かだが、だからと言って濡れ衣で二度も死にかけたのは、何というか複雑な気持ちだ。
「一応言っておくと、それ、俺じゃないからね」
「わかっています」
師匠にアナベルと呼ばれていた案内役のエルフは、素っ気なくそう言って去っていく。
それをボケーっと眺めていると、ふとアナベルさんの足が止まる。
何か言い忘れたことでもあるのだろうかと思っていると、アナベルさんは怪訝そうな顔で振り向く。
「郷に行かれないのですか?」
「あっいえ、行きます。お願いします」
俺のことなどまるで考えていないかのような早足で去っていくアナベルさんの後ろを、置いていかれないよう慌ててついていく。
どんな場所に連れていかれるのか、興味がある。
ここと同じ巨木に囲まれた森林なのか。
あるいは秘境の郷のイメージ然としたものなのか。
「他の方たちはもう帰られたんですか?」
「はい」
「随分と早いんですね」
後ろをついていくついでに周りに視線を巡らせてみたが、人の姿は見えなくなっていた。
木の枝の上に立っていた人影も、木の幹の陰にいた人影も見えない。
“魔力感知”でも気配を見つけられないから、アナベルさんの言葉通り郷に帰ったのだろう。
そこでふと、大森林に変化がないことに気が付く。
あれだけの魔術が展開され、地面も木々も巻き込むような戦闘を行ったにも関わらず、これと言った影響はない。
「大森林って再生機能でもあるんですか?」
「大森林は濃密な魔素によって、ものの一時間程度で快癒する」
「ああ。魔術が霧散してったのはそれか」
師匠に変わる前に、何度か距離を取ることで魔術が効かないことが何度かあった。
放ったエルフが魔術を解いたのだと思っていたが、魔素によって威力減衰が齎されたと言われれば納得だ。
ここらの魔獣や魔物が濃密な魔素で強力な傾向があることと言い、魔術が他の場所より通りづらいことと言い、魔術を使わず自身の肉体を武器に戦う獣人がこの大森林を拠点にしているのも頷ける。
ここは人間よりも、獣人の方が住むのに適している。
そんなことを考えつつ、俺はアナベルさんの後ろを歩く。
常に“魔力感知”で警戒しながら、辺りを見回す。
大森林の中心部から離れて行っているのか、ほんの僅かに木々が小さくなっている。
小さくなっているとは言っても、まだ巨木と呼称できる程度の大きさはあるが。
しばらく歩いていると、水音が聞こえてくる。
滝でもあるのか、それなりに大きな音が聞こえている。
「川……と滝か」
音から考えていた通りに、それなりの大きさのある滝が目の前に現れた。
滝壺は直径で五十メートルくらいある広々としたもので、アニメなんかだと主人公が女子の水浴びを覗く場面が展開されそうな立地だ。
今現在、周りに人の気配はないためそんなハプニングは起こり得ないが。
「ここを潜るぞ」
「……ほんとに秘境みたいだな」
俺がしょうもないことを考えている間に、アナベルさんは視線で向かうべき場所を示す。
それを確認した俺は、少しの驚きと少しの興奮に思わず笑みが零れる。
アナベルさんはそれに何の反応も示すことはなく、滝壺の傍から滝へと突入した。
滝の裏側に入るなんてまさしく秘境じゃないかと、子供じみたワクワクが止まらない。
「滝の裏って暗いんですね」
「必要なら松明を用意しますが」
「あー……いや、大丈夫です。ありがとうございます」
考えてみれば当たり前なただの感想に、アナベルさんは意外にも俺を気遣ってくれた。
“魔力感知”があれば視界が悪くとも問題なく進めるので、気持ちをありがたく受け取って辞退する。
太陽の光の届かない真っ暗な滝の裏の洞窟を、やはりスタスタと早足で歩く。
暗さゆえに視界が効かないので、いっそ瞼を閉じて“魔力感知”による知覚に切り替える。
魔力を持たない物質が見えなくなるというデメリットこそあるが、魔素まで感知すれば反射でどうにか知覚できる。
イルカやコウモリなどが使うエコーロケーション――俗にいうソナーだ。
かなりの集中を要するのでこの状態で戦闘をするとなると中々に厳しいものがあるが、今はそう言う時ではないので問題ない。
「めっちゃ罠ありますね」
「……よくわかりましたね。これでも、かなり隠蔽に気を遣っているのですが……」
“魔力感知”のその先。
魔素まで感知してようやくわかるレベルの罠。
魔力に反応するものも、物理に反応するものも。
数メートルに一つ程度の割合で、何個も何個も罠が設置されている。
「平時だったら、たぶん何個か踏んでると思いますよ。それに、殺傷力がどの程度かまではわかりませんし」
「罠があると見破られているだけで効果は激減します。見抜かれている、と言うのが問題なのですよ」
「確かに」
罠は初見殺し的な意味合いが強い。
罠があると警戒すれば、引っ掛かる割合も減る。
洞窟はただの一本の通路なので、滝の裏の洞窟がバレてしまった時の保険的なものだろう。
「今罠が起動してないのは、アナベルさんがいるからですか?」
「はい。そう言う設定にしてあります」
「凄いですね」
今の時代のテクノロジーとは思えない。
もしかすると、初代勇者が絡んでいるのかもしれない。
それを訊ねようとして、ふと閉じていた瞼の上に光を感じる。
「着きますよ」
ほぼ直線の洞窟を、百メートルほど歩いただろうか。
アナベルさんの言葉を聞いて、俺は閉じていた瞼を開ける。
瞼の上から感じていた通り、十メートルほど先には洞窟の出口らしき光が差していた。
その先に、エルフの郷があるのだろう。
期待に僅かな高揚を覚えながら、俺はその光に足を踏み入れる。
「……おぉ」
光の先にあった光景を目の当たりにして、俺は思わず感嘆のため息を漏らした。
滝の裏の洞窟を潜ったとは思えないほどのだだっ広い空間。
空には太陽が照り輝いており、熱量と光量を地上に絶え間なく注いでいる。
照らされる地上は数多の緑で形成されており、大森林のような荘厳さこそないものの、大自然を思わせるだけの美しさはある。
その大自然を一望できるこの高台のような場所は、観光地にすれば良いんじゃないかと思うくらいだ。
空には一定の距離を取ったところに半球状の結界が張ってあるようで、滝裏の洞窟からの侵入も空からの侵入も難しそうだ。
「……ん?」
「何か?」
何か、違和感を感じた。
目で見た光景、常時展開している“魔力感知”の結果。
それらを纏めた時に感じた、些細な違和感。
「いや……なんか空に違和感って言うか……なんだろうな?」
「……それにも気が付くとは、あなたの“魔力感知”は凄まじいのですね」
何がどう違うとは言えないが、確かな違和感があった。
それをアナベルさんに伝えたところ、何度目かの驚きの表情を浮かべた。
「ここは地下に生成された半球状の洞窟です」
「洞窟ってことはつまり地下だよね? じゃああの空と太陽は……?」
「全て疑似的なもの、人工的に作り出したものになります」
「人工……って太陽作ったってことですか!?」
空を作るのは、規模に比べて意外と難しくはないだろう。
極論、頭上数10メートルの部分を指して空と言っても間違いではないのだから。
だが太陽となれば、それは限りなく難しい。
元の世界では、一時的に似たようなものを生成したという記録はあるらしいが、維持できるほどのものを作り出したという話は聞いたことがない。
それは元の世界は当然、こちらの世界でも聞いたことがない。
だからこそ、アナベルさんが引いてしまうくらい驚いてしまった。
「あ、ごめんなさい。いやその、めっちゃ驚いちゃって」
「反応を見ればわかります。集落に向かうついでに、軽く話しておきます」
この郷は、人魔大戦が始まるよりも前に、初代勇者によって作られた。
昔の人々の間に種族の差異など存在せず、一つの街に様々な種族が暮らしていた。
今で言うと共和国がいい例だが、それよりも遥かに多く、遥かに仲良く暮らしていた。
けれど、それはある日唐突に終わりを告げる。
大きなきっかけがあった。
誰もが聞き、誰もが理解し、そして誰もが当たり前を認識できなくなった。
たった一日で全ての生命は“当たり前”を失い。
そして、魔人を排斥するようになった。
それは悪い方向へと加速し、次第に人間はその非力さから、他種族全てを排除せんと動き始めた。
その動きを察知した初代勇者は、種族の保存と繁栄の為に可能な限り尽力した。
ある種とは交易をするためにと嘯いて排斥の対象外とし。
また、ある種とは持ちつ持たれつの関係を築き。
そうして可能な限り人類の凶行を止めようとした。
けれど、初代勇者もまた人間。
できることに限りがあった。
故に、人類の排除対象から逃がしてあげられなかった種族を、人類にバレないように陰から支えた。
その内の二種族が、獣人族と森精族だ。
一先ずは人類に手出しできない大森林に隠れさせ、その後、隙を見計らって作られたのが、この郷――
「――六千年近く前の、御伽噺のようなお話です」
「……六千年も前ってなると、まぁ御伽噺も納得ですね」
とは言ったものの、天の塔で初代勇者が遺した看板に書いてあったものと、一部は一致する。
それも、これまでの歴史からは割と考えられない“他種族と仲良く暮らしていた”という部分が。
どちらの話にも初代勇者が絡んでいるから何とも言えないが、初代勇者が嘘を言っていない限りはすべて真実なのは間違いないだろう。
問題は、なぜその歴史がエルフの郷にしか残っていないのか、だ。
「今の話、俺は信じる方に寄ってるんですけど……」
「何か?」
「いや、その……エルフの記憶力を信じてないわけじゃないんですけど……それって口伝ですか?」
エルフは長命種。
千年や二千年などは余裕で生きるらしい。
だから、人間と同じ基準で考えても当てはまるとは限らないとわかってはいる。
ただ、エルフに老けたことによる“ボケ”がないとも限らないわけで。
俺の言わんとすることを察してくれたのか、アナベルさんは俺の疑問を即否定する。
「いいえ。口伝で教えられますが、きちんと書物が残っています」
「そうなんですね」
「とはいえ、世界中のどの国の歴史書を見ても同じことは書いていませんでしたから、初代勇者の妄言や創作と言われる始末ですが」
「……多分、事実だと思いますよ。多分ですけどね」
世界の為に遺したであろう記録を妄言や創作扱いされるのは悲しいので、一応フォローはしておく。
それに根拠などほとんどないので、“多分”を強調して。
「そうだといいですね……と、着きましたよ。ここがエルフの郷――の居住区です」
「おぉ……」
辿り着いたそこは、昔ながらの村を思わせる出で立ちだった。
村や町などではなく、集落や村落と形容するのが正しいと思える雰囲気がある。
石やコンクリートなどでできた家はなく、どれもが藁や木をメインとしている。
火をつければ、周りの大自然も相まって全て消し炭になりそうだ。
「結構広いんですね。もっとこぢんまりとしているものだと」
「エルフは絶対数こそ少ないですからね。そう思うのも無理はありません。が、ここには世界中のエルフのほとんどがいますので、これくらいの規模が必要になるのです」
「なるほど。言われてみればそうですね」
アナベルさんの言い分に納得して、その居住区へと足を踏み入れる。
柵や壁などがなく、明確な境界線があるわけではないが。
居住区に入ると、色々な視線が向けられる。
興味、疑心、嫌悪。
本当に雑多な視線を向けられる。
ただ、負の感情の視線を向けてくるのはほとんどが事情を知っているであろう大人。
子供らしき数人の小さなエルフたちは、好奇心の瞳をキラキラ輝かせて、建物の陰からこちらを覗いている。
「子供の数は少ないんですね」
パッと見渡せる限りで、子供たちはその三名ほどしか見当たらない。
今まで見てきた同じくらいの規模の村や町では、もっと子供の声が聞こえていたので、そう疑問を言葉にした。
「エルフは長命種ですので、そこまで繁殖能力は高くないですよ。むしろ、同世代の子がいる今が珍しいくらいです」
「……そりゃそうですね」
命が長い生物は数が少なく、命が短い生物は数が多い。
考えてみれば当たり前な自然の摂理だ。
むしろ、人間と言う種がおかしいだけなのを失念していた。
未だ俺に好奇の視線を向けてくる無邪気な子供たちへ、手でも振ろうかと考えた刹那。
“魔力感知”がとある気配を捉える。
瞬間、俺は反射的に腰を落とし、左の腰へ右手をやる。
しかし、そこに『無銘』はなく、そう言えば渡したままだったと思い出す。
「アナベルさん。魔人の気配があります」
アルトメナから師匠の『精霊刀』を取り出し、その間にアナベルさんへの報告をする。
ここも大森林の中らしく魔素の濃度が濃いせいで近づくまでわからなかった。
直線距離で約五十メートルと言ったところだろうか。
鈍い気配だが、間違いなく魔人だ。
「ナディアと私たちが戦っていた時の会話は覚えていますか?」
「え? あ、はい。覚えてますけど……今必要ですか?」
俺を排除せんとした理由の根源たる魔人が近くにいるはずなのに、アナベルさんは落ち着き払っている。
それに違和感を覚えつつ、しかし警戒は解かない。
そんな俺の様子を見て、アナベルさんはゆっくりと魔人の方へ歩みを進めだした。
「あ、アナベルさん?」
「覚えているなら話は早いです。ついてきてください」
疑問が尽きない俺は、取り敢えずいつでも戦闘に入れるよう警戒レベルを最大に引き上げたまま、アナベルさんの後ろをついていく。
しばらく歩いて、俺が魔人の魔力を感知した建物の前へで歩みを止めた。
窓のない、生活感の欠片も感じられない建物。
外見の素材こそほとんど一緒だが、この建物だけ結界が幾重にも張り巡らされている。
外からの攻撃を防ぐための結界ではない。
中からの脱出を不可能にする、牢獄のような結界だ。
「我々は魔人について無知だった。魔眼という固有の能力を持ち、我々エルフに負けず劣らずの魔術の技術を持ち、身体能力は我々以上。その程度しか知りません」
「……そうですね。まぁ魔術関連はエルフには劣るでしょうけど」
魔術に関連する事柄の平均で見れば、魔人がエルフに勝てないだろう。
魔人はあくまで、全種族の平均を取ったようなステータスが特徴だからだ。
魔術関連に特化したエルフや吸血鬼族には魔術関連で劣り、身体能力に特化した獣人族や鬼人族には身体能力で劣る。
だが、知能以外の全てが平均以下な人間にとっては、全てが格上。
それが魔人だ。
「なので研究することにしました。幸い、大戦は数百年周期で行われる。それを利用しない手はない」
「……遠くから観察でも――え? いや、え――」
研究というワードと、今俺が感じている魔人の魔力に気配。
そして、アナベルさんの落ち着きっぷり。
それらがふと、俺にある閃きを齎した。
「――魔人捕まえて、研究してるんですか?」
「はい」
俺の疑問に頷いて、アナベルさんは建物に手を当てた。
すると、魔力の波が広がって、張り巡らされた結界が解かれていく。
次第に薄くなっていく結界を眺めていると、藁で編まれた建物の一部がズレ始め、数秒で人が通れるくらいの穴が開いた。
まるでそこが入り口かのように、建物はあんぐりと口を開けている。
「どうぞ」
「……」
入り口の傍まで寄って、アナベルさんは中へ促してくる。
師匠を信じると言ってくれた言葉を疑うわけではないが、何かのトラップである可能性を頭の片隅に置いておき、その入り口を潜る。
人感センサーでもあるのか、俺が中に入った途端に照明が点る。
「……まじか」
中には魔人がいた。
椅子に座った男の魔人だ。
手も足も雁字搦めに縛られて、その上から更に固定化の魔術まで掛けられている。
口には猿轡が嵌められて、目隠しがされている。
どちらも、使用者のことなど考えていない、ただひたすらに頑丈なものだ。
更には、魔術の一切を禁ずるかのように、首には魔力を発することができなくなる首輪が嵌っている。
建物に掛けられていた結界と言い、エルフたちの警戒具合が否が応でも窺える。
「……これを俺に見せて、どうしろと?」
「どうもしません。ただ、あなたには知ってもらいたかったのです。我々がどれだけ魔人を嫌悪しているのか」
「……よく、理解しました」
それだけ言って、俺はその建物を後にする。
正直、いくら魔人とは言えずっと見ているのは堪える光景だった。
俺が比較的平和な国で生まれ育ったからこその感性なのか、あるいは俺自身が平和主義者なのか。
ともあれ、気分がいいものではなかった。
「わかり合うの、結構大変そうだぞ……」
前途多難を肌身で感じつつ、誰にも聞こえない程度の声量で小さく弱音を零した。