第一話 【エルフ】
「主様ぁ、まだぁ?」
「んー……この辺のはずなんだけど……」
天の塔での一件を終え、俺たち一行は獣人の国があるとされる“大森林”へと足を踏み入れていた。
“大森林”の名の通り、王国の領土を遥かに上回る面積を誇る森林地帯は、端から端まで歩くと半年はかかると言われている。
そんな眉唾物の噂は、正直に言うとここに来るまで俺も信じてはいなかった。
森の端から端までの直線距離はそれなりにあるし、起伏は多くないとはいえ、森林の名の通り木々が生い茂っているから歩きづらいことこの上ないのは理解していた。
だが太陽の位置がほとんど分からないほどに葉が横に広がり、魔素が濃いから魔獣の気配も掴みづらいのはだいぶ想定外だった。
考えてみれば当たり前のことなのに、どうしてそこに考えが至らなかったのか。
そんな俺の動揺を悟ったのか、真衣さんが小さく聞いてきた。
「葵くん、もしかして――」
「迷子じゃないです全然迷ってないです」
「……まだ何も言ってないわよ」
目敏い指摘にオーバーリアクションをかまし、結愛に呆れられた。
どことなく、他の面々の視線も冷たい気がする。
付き合いの短いアカの視線でさえ、『こいつマジか……』と言っているようだ。
唯一、大地さんだけが『わかるよ』とでも言いたげに、涙を蓄えて俺の肩に優しく手を置いてきた。
その気遣いはありがたいが、こと今に限っては悲しくなるだけなのでやめてほしい。
「だけど、本当に大丈夫なのかい? もう2週間は掛かっているが……」
「いやお父さん? 葵くんは2週間くらい掛かるって最初に言ってたじゃない」
「ボケるのはまだ早いんじゃなーい?」
結愛からの指摘に乗っかって、真衣さんが口元を手で覆いながら嘲笑うかのように言った。
いや、実際に嘲笑っていた。
プークスクスと隅っこにでも描かれてそうなくらい、目元がニマニマしている。
「なっ! まだ俺はボケてない! 言ってやってくれ葵くん!」
「……まぁ、今の俺を見たら不安になるのはわかるので、大地さんを責めないであげてください」
憤慨する大地さんを真衣さんを牽制することで宥めつつ、目の前の目標に向き直る。
獣人の国は、大昔の資料によると大木との調和が美しい場所らしい。
森の外から中に向かうにつれて木々の大きさが増していっているから、そろそろ着いてもいい頃だとは思うのだが……。
「――ソウファ、左側から一体来るよ」
「はーい」
「魔力乱れてるからぶん手負ね。結愛も右後方から一体。そっちはピンピンしてる」
「わかった」
写していた大森林の大まかな地図と睨めっこしながら、常時展開している“魔力感知”が捉えた気配を近くにいた二人へ口頭で伝える。
ソウファは拳を構え、結愛は慣れるまで貸し出している刀を抜刀し、来たる敵を迎撃する構えを取る。
数秒と経たずに、大木の陰から言った通りの魔獣が飛び出してきた。
微かに体毛が乱れ息絶え絶えな虎型の魔獣は、ソウファが真正面で通せんぼするように構えている姿を見て猛々しく吼え、宙へと飛び上がった。
それが開始の合図となったかのように、ソウファは迫り来る虎の魔獣との距離を詰め、ガラ空きの胴体を手刀で貫いた。
全生命の急所である心臓が、ソウファの手の中で大きく脈打つ。
まだまだ余力のありそうな心臓とは相反し、心臓を抉り抜かれた虎の魔獣は微かに体を痙攣させたのち、ピクリとも動かなくなった。
もう人型での戦闘はお手の物になったな、とソウファの成長に感激する。
常の人型で生活させていたのと、あとはソウファの努力の結実だ。
あとで頭でも撫でて褒めてやろうと考えてから、もう一方の戦闘が行われたはずの結愛の方へと視線を転じてみれば、そちらも既に決着がついており、ちょうど結愛が刀についた魔獣の血を払って落としているところだった。
すぐ側には首と胴を両断されたトラの魔獣が転がっている。
首から湧き出る血が、ドクドクと脈動しながら大地に赤い染みを作っている。
「ここの魔獣はやっぱり強いわね」
「一刀両断してる結愛のセリフじゃないでしょ……」
「比較の話よ。葵くんの言うことも間違ってはいないけれど……」
確かに、王国や帝国や神聖国などの魔獣と比較してみれば、この“大森林”に出る魔獣のレベルは数段上だ。
身体能力で見ても、纏う気配で見ても、集団戦における連携でも、個体ごとの頭脳面でも、全ての面で上回っていると言っていい。
だが、この程度の魔獣はもう俺たちの敵ではない。
なにせ、王国で戦った白猿以下の実力しかないのだ。
比較対象がおかしいかもしれないが、あれ程の実力がなければ総じて弱いで片付けられてしまう。
「……主様。何か来るよ」
「何かって……?」
トラの魔獣が現れた、直径10メートルはあろうかと言う幹の大木を見て、ソウファが重く呟いた。
俺の“魔力感知”には何も映っていないが、ソウファの真剣な表情を見て直ぐに警戒レベルを引き上げる。
俺の“魔力感知”に映らないほどに卓越した“魔力操作”を扱える相手、又は俺の知らない技術で“魔力感知”を掻い潜れる相手。
アカの例があるので、警戒は最大レベルだ。
「うん。ソウファちゃんの言う通り、2――いや3人来る」
「結愛、手を。最悪、全力で撤退する」
正直に言うと、2週間掛けてここまで来た労力の無に戻すのは惜しい。
実際に全てが無になるわけではないが、それでも徒労感は残るだろう。
だがどれもこれも、命がなければ始まらない。
アカが手を貸してくれるわけでもないだろうし、勝てないと判断したら即座に撤退する。
その意思を短く伝え、現れる何かを待つ。
「――人間がこんなところで何をしている?」
人と同じ背格好で、骨格も酷似している。
違いを挙げるとすれば、人間と比較して体が逞しく、衣類が縄文時代レベルの動物の皮のみみたいな物が大半で。
何より特徴的で決定的な違いは、頭の上にある犬っぽい耳――俗に言うケモ耳があること。
即ち――
「……獣人?」
「その魔獣を倒したのは貴様らか?」
「え? あ、はい。あ、もしかして、よくないことしちゃいましたか?」
獣人の国では魔獣殺しは大罪だとか、そういうルール的なものがあったのかもしれない。
剣呑な雰囲気の獣人に、俺はなるべく刺激しないように答える。
「……いや、魔獣は我らにとっても敵だ。かなり強力な魔獣だった故、俄かには信じ難かっただけだ」
「なるほど、そういう」
確かに、人間の平均基準から考えれば、この魔獣はかなり強いだろう。
「して、何用だ、人間。迷ったのなら最寄りの村まで案内しよう」
「あーっと……」
想定外の邂逅に、少しだけ頭がフリーズする。
しかし、左手をぎゅっと優しく握られ、固まっていた頭が再起動を開始した。
握ってくれたのは言わずもがな結愛だ。
撤退用にと握っていた右手で、俺の左手を包んでくれた。
視線で感謝を伝え手を離し、深呼吸を一つ挟んで、改めて獣人へと向き直る。
歳は二十歳前後。
顔立ちは整っていて、殴りたくなるキリっとしたイケメン顔だ。
胡桃色のような淡い茶色の髪を短く切り揃えている。
身長は高く180程度で、体格はガッチリしていてラティーフに勝るとも劣らない。
けれど、ラティーフのようなムッキムキの筋肉と言うよりは、細めの体にギュッと筋肉が詰まっている、と表現した方が適切な体つきをしている。
怪訝そうな顔で俺を見つめる獣人に、なるべく平身低頭を意識して話し始める。
「すみません。急なことで固まってしまいました。実は俺たち、あなた方獣人に会いに来た者でして」
「我々に……? 何故?」
獣人の声音に、警戒が宿る。
それもそのはずで、今の人間と獣人は互いに不干渉を貫いている。
書面での誓いを立てたわけではないらしいが、初代勇者の時代からそうらしい。
所謂、暗黙の了解というヤツだ。
もちろん、これは国家間の了解であって、個人には適応されない。
俗に獣人と分類されるドワーフやエルフなどが人間の国で暮らせるのは、それが理由だ。
「実は、俺の師匠がエルフでして……彼女のことを伝えに、獣人の国にあるエルフの里に出向きたいと思っていまして」
「……ナディアさんか」
「師匠のことをご存知なのですか?」
師匠の能力は、俺の能力で基本的には受け継げている。
しかし記憶の大半は、未だ受け継げてはいない。
故に、師匠と彼ら獣人にどんな関係が築かれていたのかを、今の俺には正しく知る術がないのだ。
「彼女には直接にしろ間接にしろ、世話になった者が多い。私もその1人だ。……そう言えば君の眼――」
「はい。師匠の――ナディアさんの眼です。そのことについても話をしようと思っています」
「……わかった。案内しよう。ただ一つだけ明言しておく。我ら獣人に危害を加えるのなら、種の全てで君達と戦う。例え、異界から喚ばれた可哀想な子供たちであっても」
「――俺たちのことを知っているんですね。でも大丈夫です。少なくとも俺たちは、あなた方から危害を加えられない限りは敵対しませんので」
互いに受け身でいるのなら、絶対に敵対はない。
それを理解してくれたのか、獣人の青年は頷いて無言で歩き始めた。
置いて行かれないようについていく。
「主様、道間違ってなかったね」
「でしょー?」
ソウファが少し前の俺を庇うような発言をしてくれたので、ふふんとその指摘をしてきた結愛へと視線を転じる。
それに気づいた結愛は呆れたように小さく溜息をついて、『はいはい』と吐き捨てるように呟いた。
けれど、俺は知っている。
今の一連の流れは、負けず嫌いな結愛が自分のミスを隠そうとするときに行う行動だと。
あんな些細なことで躍起になっているのは、やはり昔の結愛とは変わってなどいない。
それを再認識出来て、少しだけよかったなと思う。
「道……というと、何か地図のようなものがあるのか?」
「え? あ、ええ、まぁ。地図と言っても大まかな位置をつけて大体で進んできたんで、地図と呼べる代物でもないですが……」
“大森林”の地図なんて、実際は全く以って意味を為さない。
例え衛星などがあったとして、グー○ルマップのような高度な地図があったとして。
そもそも葉っぱで埋まるわけだから、道などわかるはずもなく、機能する方がおかしいとさえ言える。
この地図と言うのは、おおよその位置を大まかに書いてあるだけの、言わば動かないコンパスのようなものだ。
「……わからないな。こんなものが地図として役に立つのか?」
獣人の青年が地図を見たそうにしてたので見せてやると、小さく聞こえる程度の声量で呟いた。
正直、森の外周の地形が描かれ、その中に大体の位置を点で置いてあるだけの紙片が地図なんて呼べる代物なはずがない。
だから、同じくらいの小声で『役に立たないっすね』と答えて、もう必要なくなった紙片を仕舞う。
「獣人の国って、ここから近いんですか?」
「遠くはない。夜が来る前には着くだろう」
「意外と距離あるんですね」
「今は冬越えの準備をしている最中でな」
冬越えというワードに、魔獣を追っかけていたという事実。
二つを合わせて考えて、一つの結論にたどり着く。
「……魔獣食べるんですか?」
「ん? いや、違うぞ。冬越えのために家畜を育てているのだが、それを魔獣が襲うのでな」
「ああ、そういう。数を減らしてたんですね」
「その通りだ。魔獣も冬を越えるためのエネルギーを欲する時期だからな」
「熊みたいですね」
「肉食の生物だからな」
魔獣や魔物のことはそれなりに知っていたつもりだが、冬眠する魔獣なんて聞いたことがなかった。
大森林に棲息する魔獣や魔物特有の生態系なのかもしれない。
獣人の青年と色々と会話をしながら歩き続け、青年の言葉通り夜が来る前に獣人の国へと辿り着いた。
「おぉ……すっげぇ」
木で編まれた大きな門を潜ってまず目に入ったのは、巨大な木々だ。
大森林は内部に向かうにつれて木々が巨大化していたが、その中でもここに乱立する木々は大きい。
直径が優に30メートルは超え、枝でさえ5メートルはある。
「木の中に住んでるんですか?」
「ああ」
「……随分と高いところにあるんですね」
「獣人の身体能力なら高いところでも問題はない。他種族がそう軽々と登れる高さでもないからな」
確かに、身体能力の面だけで言えば、獣人は全種族でもトップだ。
10メートルほどの高さなど、ジャンプで易々と登れるだろう。
“身体強化”があれば俺や結愛でなくとも、騎士団ほどのレベルがあれば跳んで行けるだろうが、警戒にはなるだろう。
「にしても、大森林は方向感覚が有耶無耶になるんだろ? だったらここまで警戒する必要はないんじゃないか?」
「たまに――と言っても、数十年から数百年程度だが、お前たちみたいなやつらがいるからな。警戒するに越したことはない」
「……それはそうだな」
俺たち自身が大森林の障害を越えて来てしまっているので、そう言われてしまえば何も言い返せない。
数十年から数百年なら考える必要もないんじゃないかとも思うが、この大陸の大半は人間が支配し、その人間は獣人のことを良く思ってはいない。
だからこその警戒もあるのだろう。
尤も、人間や獣人、その他全種族に根付いた意識はほとんど全てが、植え付けられたに過ぎない。
それが長い年月を経て積み重なり重複していったからこそ、この世界は昔の何十倍も複雑になってしまった。
ただ、それだけだ。
「葵くん?」
「――んや、大丈夫。それよりまずは、一番偉い人に挨拶した方がいいよな?」
結愛が俺の顔を覗き込んで問いを投げてきた。
問いと言うよりは、ただの疑問だろうか。
立ち止まり、何かに耽る俺を不思議に思ったのだろう。
それが何なのかはわからないまでも、プラスな方向ではないと悟っていたはずだ。
結愛の直感は、昔から侮れない。
「そうだな。お前たちの目的がエルフの里に行くことならば、長老に会っておいたほうがいいだろう」
「わかった。俺たち全員で行った方がいいか?」
「どちらでも構わない。ただ念のため、武器の類は回収させてもらいたい」
「当然だな」
互いに手を出さなければ戦いになることはないと言い合ったばかりだが、それはそれとして、やはりお偉い方と会うのに武器を携帯したままと言うわけにはいかない。
今までがイレギュラーだっただけで、本来はこれが普通だ。
俺たちはそれぞれの得物をここまで案内してくれた茶髪の獣人ではなく、後ろを護衛する形で追従してくれた二人の獣人に手渡した。
一応の保険として、アルトメナは指に着けたままにしておく。
「では案内しよう」
「お願いします」
四人分の武器を一人で抱えても、全く辛そうにしない青年を先頭に、今度は町中を歩く。
町中と言っても、歩いているのは木の上ではなく巨木の根が蔓延る地面だ。
柔らかな土をしばらく歩くと、とある木の前で立ち止まった。
「ここから上る」
「ここから?」
「はい。子供などが上へと上るための昇降機がありますので」
「……ああ、そりゃそうか」
考えてみれば、いくら獣人と言えども子供が数十メートルの跳躍をできるとは思えない。
ならば、普通に跳んで行く以外の乗降の手段があるのは何もおかしなことではない。
そんな当たり前のことを今更ながらに認識しつつ、到着したのは一本の巨大樹の前だ。
いやまぁ、今のところ見える範囲の木は全て巨大樹と形容できる大きさなのだが。
「おぉ……台無し」
「何か?」
「いえ、何でもないです」
大きな木の根元にぽっかりと開いた穴から木の中へと入り、俺たちを出迎えたのはめちゃくちゃ機械機械した鈍色の金属の塊だった。
真っ直ぐと天高く伸びている木に沿うように、円柱状の塊が高く高く伸びている。
自然との調和が見られた町並みにどでかい機械があるのは、なんか色々と台無しだ。
ここの住人がそれを良しとしているのだから、部外者の俺がとやかく言う筋合いもないし、青年にも聞かれてなかったので何もなかったことにしておく。
「なんか……合ってな――」
「さー! 長老に会いに行こう!」
ソウファが俺と同じ感想を抱き、あまつさえそれを持ち前の大きな声で言おうとしたので、口を塞いでそれを物理ごと遮りつつ青年を促した。
俺の唐突な挙動に不審そうな目を向けてきたが、特に何かを言うわけでもなくエレベーター――もとい昇降機のボタンを押す。
ガコンと小さめの音を立てて、目の前の金属柱は動作を始める。
それを待つ間にソウファに背を向けさせる。
「いいかソウファ。世の中には言わなくてもいいことがあるんだよ」
「でも主様も同じこと言ってたよ?」
「そう、俺は言葉にしちゃった。でもあの犬耳の人には聞こえてなかったでしょ? だから、わざわざ蒸し返さなくていいんだよ」
「ふーん……?」
「葵くーん。来たよー」
よくわかっていなさそうだが、ともあれ頷いてくれた。
大地さんの言葉に返事して、ソウファと一緒に昇降機へ乗る。
俺の知る昇降機とほとんど同じもので、直方体の箱の一面に左右へ開く扉があり、隅っこにはボタンが付いている。
ボタンの数は二つしかないが、下と上を繋ぐだけなら何も問題はない。
大自然の中にあるという意味では新鮮だが、それ以外の面ではまるで新鮮味はない。
想像通りの動作音と振動を以って、昇降機の扉が閉じて軽いGが降りかかる。
数秒程度その箱に乗っていると、一瞬だけGが増してスピードが落ちていく。
そのまま扉が開き、目的の階層へと辿り着く。
「ぅわー! 凄い高ーい!」
「ソウファ、落ちないようにね」
「こちらです」
辿り着いてすぐ、ソウファが木の幹を中心に円形に広がった広場とでも言うべき足場から、見下ろせる景色を見て楽しそうな声を上げた。
落ちないようにと据えられたであろう手すりは、見た目では強度のなさそうな草で編まれたものだ。
念のために注意を促しておいたが、当の本人は俺の言葉など聞えていなさそうな様子で、楽しそうに大森林を見下ろしている。
燥ぐソウファを注視しながら、青年の獣人の後を追う。
強度が心配になる木で作られた空中の回廊を歩き、何度か広場を通過して、少しだけ他のものよりも豪華な広場に辿り着く。
「こちらに長がいらっしゃいます。準備はよろしいですか?」
「はい」
武器を回収している二人の獣人は、同じように広場の邪魔にならない脇の方に収まる。
それを確認して、案内役の獣人は扉をノックする。
「どうぞ」
「失礼します」
中から声が聞こえ、それに呼応するように青年が扉を開ける。
今まで通り追従する形で獣人に付き従い、部屋へと入る。
壁や床が一本の木ということもあってか、落ち着くというか何というか、不思議な香りのする部屋だった。
見た目的にはほとんど普通の部屋と変わりなく、カーペットや机や椅子、本棚などは、流石に長の部屋ということもあってか高そうなものが多いが、けれども決して目新しさはない。
至って普通の家具だ。
「ふむ……そちらの方々は?」
「警備にあたっていた際に出会った人間です。詳しいことは、この者たちから――」
「――初めまして。俺は綾乃葵と言います」
挨拶を交わし、俺は獣人族の長をチラリと見やる。
歳は六十ほどだろうか。
白い長髪を後ろで一つに括り、いわゆる触角と言うべき部分に何やら部族っぽい装飾をつけている。
瞳はかなり細く、糸目と呼んでも差し支えないくらいに細い。
見た目の年齢よりもガタイが良く、案内役の青年よりも洗練された体つきをしているのが、ゆったりとした服装の上からでもわかる。
そんな長が、高そうな椅子に座り、こちらを品定めでもするようにジッと見つめてくる。
圧迫面接を受けているような気分だ。
「初めまして、召喚者殿。私は獣人族の長、カミナリと言います」
「……自分のこと、知ってるんですね」
「ええ。あなたの話はそちらの勇者様と同じく、片田舎の村にも伝わるほどに有名ですから」
「……悪評じゃないことを祈ってます」
“綾乃葵の噂”と言うワードには、嫌な思い出しかない。
心の底からそう願う。
「安心してください。私は噂程度で人を判断するほど驕ってはいない。少なくとも今のあなたからは、信用はできそうだと考えていますよ」
「それなら良かったです。では早速、本題に移らせて貰ってもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
長の寛大な言葉に甘えて、俺は素直に自分の目的を話す。
森精族の師匠のことを、端折りながら最期まで。
途中に何かを言うこともなく、終始黙って長は聞いてくれた。
「――以上です」
「事情はわかりました。では、エルフの方へと伝達しておきましょう」
「――え」
あまりに呆気なく目的の一つが達成できそうになり、思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまった。
それを耳聡く拾った長は、不思議そうな顔をする。
「何か不都合でも?」
「あ、いえ。その提案自体はめちゃくちゃありがたいし今すぐにでもエルフに会いに行きたいんですが……俺のこと、信用しすぎじゃないですかね?」
噂を聞いていたとは言え、今日が初対面だ。
ましてその噂はそもそも良いものではなく、俺が話したこともどこまでが本当でどこまでが嘘かなんてわかるはずもない。
もしかしたら、某ラノベの獣人族よろしく五感が優れていて嘘を見抜けるなんて特殊能力があるのかもしれないが。
「私が理解したのは、今時点であなたは獣人と敵対するつもりがなく、そしてナディア殿となんらかの縁を持っていると言うこと」
その瞳が証明してるでしょ? と言わんばかりに笑みを浮かべて、長は自分の左目を指し示す。
それが示すのは、俺の左目。
つまり、師匠の眼だ。
「エルフに会った結果、どんな結末を齎すのか。場合によっては私も加わるかもしれませんが、基本的にはエルフの方々が決めることだと思っています。違いますか?」
「……そうですね。その通りです」
これはエルフと俺の問題だ。
長にはその仲介を頼んだだけ。
その長が、エルフとの関係とその後を考慮した上で仲介をするに足ると判断したのなら、後は野となれ山となれだ。
「では、エルフの方を――」
「その必要はございません」
長の言葉を、一つの女声が遮った。
そちらを見れば、一人の女性が立っている。
獣人とは違い、細身の女性だ。
新緑の髪に金色の瞳を持つ、顔立ちの整った美人顔の、耳の尖った女性――エルフだ。
「お話は、失礼ながら聞かせていただきました。郷の総意によって、綾乃葵。あなたのみを郷へと案内します」
「……どうやって総意を? 今の話を聞いてから郷とやらに戻って会議して、またこっちに来れるのですか?」
言葉の内容が気になって、思わずそう問いを投げてしまった。
エルフは凄く嫌そうな顔をして、けれどしっかりと説明をしてくれる。
「我々エルフは風を伝って意思の伝達ができる。故に、長との会話を聞いて即座に総意を取った」
「なるほど。ちなみに俺一人と限定するのは何故ですか?」
「エルフの郷は知っている者の少ない秘境だ。おいそれと部外者に教える道理はない」
「……それもそうですね。わかりました。では案内、お願いします」
俺の返事を聞くと、鼻を鳴らしてエルフの女性はスタスタと歩みを進める。
まるで、ついてこられるなら案内してやるとでも言いたげな態度だ。
「あーすみません。厚かましいとは思いますが、俺がエルフの郷に行っている間、結愛たちここに置いて行っても良いですか?」
「構いませんよ。元々そのつもりでしたから。我らの国を十分に堪能してください」
「ありがとうございます。じゃ、すまん。ちょっと行ってくる」
「行ってらっしゃーい!」
ソウファの言葉にグッとサムズアップして、歩みを止める気配のないエルフの背中を追う。
すれ違いざまに、小さく結愛に呟かれた。
「――気を付けてね」
「危なそうならすぐ逃げる」
何を指し示して『気を付けて』なのか。
その意味はよく理解しているので、同じくらいの声量で頷き返す。
既にエルフは広場から飛び降りたらしく、“魔力感知”で捉えた気配は地上にあった。
同じように広場から跳躍し、靴から発する風力で落下の威力を殺して着地する。
まだ走らないだけ良心があるのかもしれない、なんて思いつつ、俺はエルフの数歩後ろに位置取る。
無言でスタスタと歩いていくが、生憎と歩く速さには自信がある。
“身体強化”など必要ともせずに、“魔力感知”に全振りして後ろをついていく。
「そう言えば、秘境なのに目隠しとかはしなくてもいいんですか?」
「ええ。そもそも、あの子の魂を継いでいるのなら、秘境の場所を秘匿しても意味はないでしょう」
獣人の国の門を潜り、結界の外に出て森林に差し掛かったあたりで話しかけてみた。
しかし、それもすぐに終わってしまう。
この人があまり人と会話するのが苦手なのか、そもそも会話のキャッチボールをする気がないのか。
そんなものは言わなくともわかっている。
「それもそうですが……もう少し――」
それでも一縷の望みをかけて会話を続けようとして、俺はそれが無意味だったと悟る。
どうやら、結愛と俺の直感は間違ってなどいなかったらしい。
「――一つお聞きしても?」
「なんでしょうか」
「百名近くの方々に囲まれている現状は、歓迎のサプライズだと考えていいですか?」
「……気づかれるのですね」
「ええまぁ。負の感情が込められた視線を感じ取る能力と“魔力感知”には覚えがありまして」
前者は長年向けられ続けたことで開花した力。
後者は俺の自慢できる才能だ。
奢りでも何でもなく、ただ事実としてそれを告げると、隠れていた百人近くのエルフたちが姿を見せる。
木の上や木の陰など、忍者も斯くやと言う具合に、森林の至る所に潜んでいた。
案内役を買って出たエルフは隠しもせずにため息をついた。
「面倒ですね」
「なぜこんなに歓迎されているのか、お伺いしても?」
「聞く必要がありますか」
「あります。俺は師匠の過去を清算するためにここに来た。何も言われないまま決別するのはできない」
「――それですよ」
案内役のエルフが、俺の言葉に反論するように声を震わせて言う。
全員に語り掛けるようにして言葉を発していた俺は、目の前のエルフに注視する。
「あの子は人間を弟子には取らない」
「いいえ。あの子はそんなことはしない」
「あなたたちの元を離れてから十何年も経ってるんなら、考えの一つくらい変わってもおかしくないでしょ」
「何度も言いますが、ありえません」
人と言う生き物は、変われる生き物だ。
生きていれば、考え方が根底から覆ることだってある。
二十年も生きていない俺でも知っていることを、目の前のエルフは頑なに認めようとしない。
「それにその左目。それはあの子のものだと言いましたよね」
「ええ。師匠の死に際に俺が目を失って、その代わりになればと受け取りました」
「それは嘘です。あなたの左目は、魔人のものでしょう」
「そうですが、それのどこに嘘が?」
「あの子の眼は魔人の眼ではありません」
「師匠は魔人の血を引いていた。なら魔眼が――」
「――もういいですよ」
魔眼が覚醒してもおかしくない。
そう言うより前に、エルフは話をぶった切り、スッと右腕を俺に向けた。
まるで、宣戦布告でもするかのように。
「嘘をつき、あの子の名を出してまでエルフの郷に入ろうとしたこと――」
刹那。
目の前のエルフと、周囲を囲むエルフが魔力を高めているのを感知する。
宣戦布告のような、などではない。
これからここにいるエルフたちは、間違いなく俺を――
「――悔やみ、懺悔しながら死になさい」
万来の魔術が、大森林の一角に轟音と衝撃、そして閃光を齎した。