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姉の為に。  作者: たかだひろき
第八章 幕間
138/202

【魔人化】




 巨人でも潜れそうなくらいに重厚で、巨大な扉がある。

 いや、扉というには些か抵抗があるだろうか。

 取っ手も鍵穴もないから、事前の説明がなければここに扉があるなんて気付きもしなかっただろう。

 そんな不思議な扉を前にして、冷や汗が背筋を伝うのを感じる。

 扉自体から何らかのプレッシャーが放たれているわけでもなければ、何か巨大な力が圧をかけてきているというわけでもない。

 ただ単に、これから会う相手のことを考えると緊張してしまうというだけの、簡単な話だ。


「アンナ、準備は良いか?」

「大丈夫です、お父様。私もアフィもこの通り」


 俺が着る軍服とほぼ同じデザインの服装に鍛え上げられた肉体を隠す赤茶色の髪と紅蓮のような赤い双眸を持つ男――シュトイットカフタ帝国の皇帝ドミニク・シュトイットカフタは、その隣にいる似たような赤毛の女の子へと声を掛けた。

 確か、ラディナ――今はアンナと呼ばれている葵の元側付きだ。

 いつもメイド服を着てた覚えがある。

 召喚者の側付きは全員メイド服だったので特段珍しいわけではないのだが、その格好(メイドふく)で町を歩くとか豪胆な心の持ち主だなぁと思っていたので、記憶に残っていただけだ。

 尤も、今は側付きに支給されていた高性能メイド服ではなく、俺と同じ意匠の施された軍服に身を包んでいる。

 支給品のメイド服に負けず劣らずの、高性能な逸品だ。


「似合ってるぞ、アンナ。あとで母さんにも見て貰おうな」

「はいっ」


 ともあれ、外見的特徴だけならかなり酷似したドミニクとアンナさんは、俺とは打って変わって緊張の『き』の字も感じていない様子だ。

 アンナさんの肩に鎮座する梟の魔物も、どこか堂々とした雰囲気を感じる。

 緊張し切りの俺と、緊張とは無縁そうなあの二人(と一羽)は、いったい何が違うのだろうか。


「お二方。もうすぐ魔王様の御前です。隼人さまやレイチェル様のように、私語は慎んでいただけると」


 緊張感のない親子に、俺たちの案内役を務めてくれているエリュジョンさんが注意を飛ばす。

 魔王城とでも言うべき荘厳な城の案内役だからか、はたまた彼女自身の気質か、その注意は警告と形容できるくらいにはキツめの言い方。

 こちらが思わず委縮してしまいそうになるくらいには剣呑だ。

 だが、それを受けたはずのドミニクは、注意の前の飄々とした雰囲気を崩さない。


「おっと。すみませんね、エリュジョンさん。何せ、俺の娘が可愛すぎるもんで」


 言い訳にすらなっていない、それどころか開き直ったかのような親バカ発言を、ドミニクは平気で言葉にする。

 それを聞きつけたエリュジョンさんは一瞬だけ眉をピクリと動かしたが、それ以上の表情変化はさせず淡々と言葉を紡ぐ。


「魔王様の御前では、そのような態度を取らないようお願いします」

「殺気駄々漏らしで怖いこと言うじゃねぇか。守らなかったら殺されちまいそうだな?」

「……ドミニク様。いい加減に――」


 一触即発の雰囲気が漂い始め、心なしか周囲の温度が何度か下がった気がする。

 元は敵同士で、現在進行形で敵対している種族ではあるが今は仲間だ。

 なのにどうしてこう諍いは絶えないのか、と思ったが、そもそも同じ種族でも合う合わないはあるから、きっとこの二人は相性が悪いだけのかもしれない。


「まあまあ二人とも落ち着きなさい。我々は次の大戦を共に戦う仲間だ。こんなところでいがみ合っても仕方ないでしょう?」

「――ハッ。すみません、カスバード様」

「カスバード様の言う通りですよ、お父様」

「わかってるさアンナ。何も本気で事を構えようってわけじゃあない」


 二人が本気で衝突する前に、ドミニクと似通った赤みのあるオレンジの長髪を垂らしたカスバードさんが二人の間に割って入る。

 ドミニクほどではないものの、それなりに大柄で筋肉のあるカスバードさんが物理的に割って入れば進展が無くなるのは道理だ。

 エリュジョンさんは目上の人からの忠告にスッと頭を下げて、ドミニクは肩を竦めて飄々とした雰囲気を崩さずに娘からの注意を聞いている。

 殴り合いにならなくて良かったと、何もしなかった分際ながらに心底思う。


「隼人とレイチェルは大丈夫か?」

「ん? 何がだーーですか?」


 急に話を振られ、上擦りそうになる声を抑えて問いを投げ返す。

 疑問に疑問で返したにも関わらず、カスバードさんは嫌な顔一つせずにキチンと正面から向き合ってくれる。


「ここに来るまで一言も喋ってないから、緊張でもしてるんじゃないかと思ってな」


 自分でも緊張しているという自覚はあったが、どうやら周りにも筒抜けになっているくらいには態度に出ていたらしい。

 よもや、口数が減るなんて言うわかりやすい挙動だっただけに、なんだか気恥ずかしさを感じる。


「――!」


 それを感じ取ってくれたのか、隣に立つノラがそっと俺の手を握ってくれる。

 こっそりと視線だけを向けてみれば、優しく微笑んでくれるノラがいる。

 たったそれだけの簡単なことで、不思議と緊張感が薄れていった。

 自分でも深呼吸を行い、緊張とさよならをする。


「大丈夫――です。王様と話すのが初めてってわけじゃない――ので」

「そうか。それなら良かった。あと無理に敬語を話す必要はないからな」


 俺の返事を聞いて、カスバードさんは気前の良さそうな笑みを浮かべた。

 ここに来てから――いや、ここに来るまででも既に、俺は魔人と言う一種族のことを誤解していたんじゃないかと思わせられている。

 こういった細かいところの気遣いや、純粋な思考や積み重ねてきた文化など、人間とは違うものは確かにあるが、思っていたよりも邪悪な面は少ない。

 敵対者としてみるか、仲間としてみるか。

 視点の違いでここまでの差がでているのだとしたら、どちらの立場にもなった俺にしかできないこともあるんじゃないだろうか。


「レイチェルはどうだ? 魔王様の御前に出るのは久しぶりだろう?」

「問題ありません。何度か直接のご報告をさせて頂いております。それと、今の私はレイチェルではなくノラ・パーカーですので、お間違えの無いようお願い申し上げます」

「――ああ、そうだったな。本名は捨てたんだったか」

「はい。十魔神に名を連ねた時に」


 十魔神。

 第十次人魔大戦にて召喚者が主に戦った、魔王軍の最高戦力の部隊と言うか、集団の名前。

 その中で、ノラの序列は第十位。

 冠する名は“偽神”。

 顔を変え声を変え姿形を変え、自らを偽り他人を欺くノラに与えられた、まさに名は体を表す名だ。


「わかった。以降、気を付けよう」

「皆様、よろしいでしょうか?」


 ノラとカスバードさんの会話の終わりを見計らって、レイチェルさんがそう切り出した。

 先程はレイチェルさんと言い合っていたドミニクも『異論はない』とでも言いたげに瞼を伏せて頷いた。

 ドミニクの隣に立つアンナさんも、アンナさんの肩の上に乗る梟も、一様にして頷いた。

 もちろん、俺も、ノラもだ。


「では――」


 レイチェルさんは全員の準備が整ったのを確認し、王国の謁見の間と遜色ない装飾のされた巨大な扉をノックする。

 言葉はなく、ただそのノックだけで、扉は(ひと)りでに開いていく。


「魔力による感応式の施錠ですか……」


 アンナさんの呟きで、何が起こったのかを理解する。

 取っ手がないのに扉として機能するのは、この世界ならではの機能が盛り込まれていたからだ。

 アンナさんの呟きにこれと言った反応を示すこともなく、エリュジョンさんは扉の端で畏まり、頭を下げて中を指し示す。


「魔王様がお待ちです。どうぞ、中へ」


 エリュジョンさんに促されるままに、謁見の魔の扉を潜る。

 レッドカーペットもないし照明も少ないから陰鬱な雰囲気を感じる。

 石山を削り出して以降何も手を突かなかったかのような、飾り気のない無骨な広間。

 王国のものよりも帝国のものよりも大きいというだけで、権威を示すような調度品も豪勢さもない。

 けれどどうしてか、こちらの方が緊張する。

 扉の前に立った時から感じていた、謎のプレッシャーが原因なのだろうか。


「――大丈夫だよ、ノラ」


 扉が開き、また俺が緊張してしまうのではないかと心配してくれたノラは、握りっぱなしだった俺の手をまた優しく握ってくれた。

 それにしっかりと答え、先頭を行くカスバードさんの後ろを迷いなく歩く。

 広さだけはあるため、それなりに歩いてようやく、魔王が座っているであろう玉座が視認できた。

 暗さゆえに視界が悪いというのも、視認性を悪くしている要因の一つだろう。


「……あれ?」


 ようやくはっきりと視認できた玉座に、魔王の姿はなかった。

 俺たちが着用を命じられたものと同じ系統の漆黒の服に身を包み、肘掛けに乗せた腕で頬杖をついてこちらを見下しながら待っているものだと思っていたが――


「――ッ!」

「ボクの気配に気付くのか。やるねぇ君、気に入ったよ」


 ノラの反対側――俺の左隣に、気づかぬ間に一人の少年がいた。

 身長も体格も顔立ちも、あらゆるものが少年という単語で形容できる子供。

 なのに、油断できない。

 扉の前に立ってからずっと感じていた謎のプレッシャーと同じものを、この少年から感じるからだ。


「……魔王様。いい加減、子供じみたことはしないでください」

「えーいいじゃんかー。レイチェルのいけずー!」


 ため息交じりに呟いたレイチェルさんに、魔王が年相応――いや、姿相応だろうか?

 ともあれ、片腕を上げて唇を尖らせて、ぶーぶー! と抗議する。

 だがそんなことよりも、二つ驚くべきことがあった。

 一つは、今まで目上の人に対しては敬語と下手(したて)にでることを貫いてきたレイチェルさんが、あの少年に対してため息をついた上に呆れたように叱ったこと。

 もう一つは、あの少年こそが俺たちが謁見するはずだったという魔王ということだ。


「あなたが魔王……ですか?」

「そうだ。ボクが魔王だ」


 スタスタと軽い足音を鳴らし、剥き出しの石畳の上を歩いて玉座へと向かう。

 五段ほどある階段を上り、一段上に据えられた王が座るに相応しい玉座に腰を掛ける。


「これは……」

「綺麗だな」


 魔王が玉座に座る。

 それだけで、この無骨な空間において唯一派手に装飾された玉座は、魔王が座ることで完成する。

 まるで魔王が座ったその姿がこそが、玉座として正しかったかのように。

 空間との調和の全くない玉座は魔王が座ったことで途端に調和が取れ始める。

 比喩などではなく、空間そのものが置き換わっていく。

 白のキャンバスに絵の具を落としていくかのように。


「驚いてくれたかい?」

「また余計なことをしたのですね……」

「またってなんだよー。これ作るの結構大変だったんだぞー!」

「だから余計なことなんですよ、全く……」


 切り替わっていく広間の景色に感嘆の声を漏らす俺やノラとは打って変わって、レイチェルさんはやはり呆れたようにジト目をして、やはり呆れたように呟いた。

 そしてやはり魔王も、レイチェルさんに子供じみた抗議の声を上げる。

 この二人はいつもこんな感じなのだろうか。

 と言うか魔王の割に――扉の前で感じていたプレッシャーの割に、今は全く怖さも恐ろしさも感じない。


「さて。じゃあまあ歓迎の挨拶はこのくらいにして――」


 そう前置きし、魔王は肘掛けに肘を乗せて頬杖を突き、足を組んで俺たちのことを見下ろすように直視してくる。


「――伏せろ」

「――ッ!」


 たった一言で、そうしなければならない衝動に駆られ、慌てて片膝をつく。

 冷や汗がドッと溢れ出てくるのを感じながらも、動けば死んでしまうのではないかと錯覚するくらいのプレッシャーを前に、俺は冷や汗を拭うこともできない。

 それは周りの誰しもが同じようで、先程まで軽口でのやり取りを交わしていたレイチェルさんでさえ、美しい姿勢で魔王へと平伏している。


「レイチェル。そいつらが例の奴らだな?」

「はい。人間族より、魔王軍への入隊を希望する三名と一匹そして、兼ねてより人間族での諜報活動を行っていたノラ・パーカーの帰還の報告を」

「わかった。まずはノラ。これまでの活動、ご苦労だった」

「勿体なきお言葉」


 子供のものとは思えない、絶対的な風格と圧。

 抵抗など考えることすら畏れ多いとさえ思える圧倒的な実力差。

 たった少し言葉を聞いただけで、それをはっきりと突きつけられる。


「ノラ。今後はどうしたい?」

「――と、申しますと?」

「いや何。貴様の使命は諜報。だが既に、覚醒させた奴らから貴様と同レベルの諜報が可能になった奴がそれなりの数現れた。故に貴様の功績を称え、今後の自由を与えようと思っただけだ」


 どうやらこの魔王は、人員を使い捨ての駒としか認識していない非情で冷徹な人ではないらしい。

 目の前にいるだけで相当のプレッシャーを感じてはいるが、これはまぁ漏れ出る強者の証のようなものだと考えることもできる。

 魔人が暮らすこの場所に来てから、魔人に対しての認識がどんどんと変わっている。


「――では一つ、お願いしたいことが御座います」

「言ってみろ」

「次の大戦を終わらせ、魔王様や宰相様の願いが果たされた暁には、私は隼人と――この召喚者と一緒になりたいです」


 唐突に、何の前触れもなく。

 隣に跪くノラがそんなことを言い出した。

 首を違えそうになるくらいの速度で振り向きノラを見たが、気恥ずかしさなどは微塵も感じられず、いつも通りのすまし顔で魔王を見上げていた。

 俺以外の周りの面々も、一様に驚きで口をあんぐりと開けている。

 一頻(ひとしき)り驚き、急にそんなことを言われた魔王はどんな反応を示すのだろうかと視線を転じてみれば、やはりと言うべきか、驚いたように口をポカンと開けてキョトンとした表情でノラのことを見つめている。

 頬杖や組んだ足こそ解いていないが、気付けばプレッシャーはなくなり、心なしか呼吸がしやすくなっている気がする。


「それは……そのままの意味でいいのか?」

「はい」


 魔王の確認に、ノラは一瞬の間もなく頷いた。

 それを聞いた魔王は、一瞬の間をおいて子供らしく無邪気な笑顔を見せて笑い始めた。


「あっはっは! そっかそっか! あのノラがそんなことを言うとはねー。十魔神のみんなが聞いたら、そこのカスバードみたく驚くんじゃない?」

「かもしれませんね」


 未だ驚きが抜けないのか、周りの様子など気にならないかのようにぽかんと口を大きく開けているカスバードを目線で示して魔王はなお笑う。

 それがあってようやく現実だと認識したのか、カスバードは開けていた口を閉じて、しかし悩ましげに眉を顰めて考え込むような素振りを見せる。


「あのノラがそこまで言うのなら、大戦が終わってからでなく今からでもいいんだぞ? 戦力的には十分にあるしな」

「ありがたい申し出ではありますが、隼人にはまだ大戦でやるべきことが残っています。それを終わらせる手伝いを、私がしたいのです」

「なるほどな。……隼人と言ったか。お前はどうだ?」

「ど、どうだと言いますと?」

「ノラの言葉を聞いて、お前はどう答える?」


 先程までなくなっていたプレッシャーが、再び襲ってくる。

 まるで巨人に圧し掛かられているかのような重圧。

 今まで感じていたものの比ではないくらいに、重いプレッシャー。

 周囲へばら撒いていたものを、俺一人にのみ集約したかのようだ。

 間違った答えを出せばそのまま押し潰されそうな圧の中で、俺は思考する。

 魔王が望む答えを言うべきか、あるいは真摯にノラの言葉に向き合うべきか。

 前提から思考して、思考して、思考して――


「――俺は正直に言うと、魔人が勝つだとか人間が勝つだとか、そんなのはどうでもいいんです」

「……ほう?」


 魔王の目が細められ、子供のものとは思えない鋭さが俺の全身を貫く。

 剣山を突き立てられたかのような感覚を全身に浴びながら、震えそうになる足を、腕を、喉を抑え、確実に声を紡ぐ。


「俺はただ、昔の出来事を清算して、ノラと一緒に暮らしていきたい。例えかつての仲間から忌み嫌われても。例えどれだけの敵を作ろうとも。例え、元の世界を捨てることになっても」


 目線を玉座に座る魔王へと合わせ、射殺さんばかりの眼力を放つ黒の双眸を見据える。

 ここに来た時から――いや来る前から、その覚悟はしていた。

 たった一人の大切な人の為に全てを捧げると。

 そのために必要なことをして、全てを終わらせてから、そこからまた始めようと。

 大切な人(ノラ)と一緒に。


「――いいだろうノラ。その願いは聞き入れた」

「ありがとうございます」

「レイチェル。ノラと隼人を覚醒器へ案内してあげろ。他のやつらは後でカスバードに案内させる」

「はっ!」


 魔王に指示をされ、レイチェルさんに案内されるまま、来た道を戻る。

 途中からルートが変わったから、『覚醒器』とやらに向かっているのだろう。

 だがそんなことよりも――


「ノラ。あの場でいきなりあんなこと言わないでよ。めっちゃ嬉しかったけどびっくりしちゃったじゃん」

「魔王様に申し出るチャンスはあそこしかないと思っただけよ。後悔はしてないわ」

「……そうなの? その割には決めてたみたいに冷静だったみたいだけど……」


 俺は顔から火が出そうなくらいに恥ずかしかったのに。

 いや今でも思い返すだけで火を噴きそうになるが。

 なんなら今も顔が茹でってるみたいに熱い気がするが。


「……私だって少しは恥ずかしかったわよ」

「え……?」


 そう言って視線をそっぽへと向けるノラ。

 よく見てみれば、髪の間から見える耳が赤くなっている。

 それが堪らなく嬉しくて、思わず抱きつきそうになる。


「元々、魔王様へ報告には上がるつもりだったのは事実だわ。十魔神は――いや、十魔神だけじゃなくて、魔王軍に所属している魔人は全員、魔王様のものだもの」

「……そうなんだ?」

「そ。だから、あなたと一緒になるのにも報告がいるの。今の魔王様はあまり気にしないって話だけど、筋は通しておいた方がいいじゃない?」

「それはそうだね」


 まだまだ魔人や、魔王軍について知らないことは沢山ある。

 これまでの会話や聞いた話からもそれはわかっていたが、どうやらまだ想像不足だったらしい。


「でも、あのタイミングで言えて、結果的には良かったわ」

「……? どうして?」

「だって、隼人は私のものだって、魔王様が認めてくれたんだもの」


 その言葉を聞いて、思わず立ち止まりそうになる。

 感動が頭からつま先までを駆け抜けて、今度は全身を嵐のように駆け巡る。

 頭がぼんやりとしてきて、胸が熱くなるのを感じる。


「私たちにとって“魔王様が認めた”と言う事実は、何よりも価値のあることなのよ」


 また新事実が発覚した。

 発覚したのだが、それ以上に嬉しい発言が聞けた。

 そのせいで後半の言葉が全く頭に入ってこない。

 頭の中にあるのは、ノラを抱きしめたいという真っ直ぐな欲望だけであり、それ以外の入る隙間が無くなっていた。


「お二方。もう少しで到着しますので」

「――はい、すみません」

「別に咎めたわけではないのですが……」


 言い方と言うか雰囲気と言うか、俺もよくわからないが反射的に謝ってしまった。

 なんだか気まずい雰囲気になってしまう。


「着きました」

「……地下にあるんですね」

「はい」


 着いた、と言われた先にあったのは、地下へと続く階段だった。

 昼間なのに日が翳っているおかげでそれなりに暗い魔王城だが、地下ともなればもはや暗黒だ。

 深淵でもあるんじゃないかと思うくらいに、途中から階段が見えなくなっている。


「……足場あります? これ」

「問題ありません」


 俺の危惧などお構いなしに、レイチェルさんはスタスタと階段を下っていく。

 ノラも大丈夫だと言ってくれたので、勇気を出してレイチェルさんの後についていく。

 階段を下ってみてわかったが、思っていたよりも怖くはなかった。

 と言うか、先が暗いのは考えてみれば当然で、近づけば見にくいだけで普通に視認できた。


「意外と大丈夫だ……」

「隼人が怖がりすぎなだけじゃない?」

「いやだって真っ暗だったんだよ? 怖くない?」

「わからなくはないけど……」


 それにしてもビビりすぎじゃない? と言葉にしないだけでノラは思ってそうな顔をする。

 悲しいことに否定できないので、仕方なく唇を尖らせるという幼稚な抗議だけしておく。

 そんなこんなで思っていたよりも怖くなかったくらい階段を下ると、松明と言う原始的な光で照らされた地下道に出た。

 こちらは魔王が登場する前の謁見の間のように、削りだしただけの石の通路だ。


「こちらになります」

「……今度の扉は小さい」

「何か?」

「あ、いえ、何でもないです」


 一本道の道を歩いてすぐに、一つの扉に辿り着いた。

 通路と言っても十メートルもない。

 階段を下りてすぐに扉、と言う印象だ。

 その扉も謁見の間ほどの大きさはなく、せいぜい縦横三メートル程度の大きさだ。

 デカい扉なことに変わりはないが、五メートルは優にあろうかと言う謁見の間の扉に比べれば小さい。


「これも感応式なんですね」

「ええ。ここの感応式の扉は、私含め十魔神と少数の認められた魔人しか開けないものになっています」

「謁見の間の扉は違うんですか?」

「あれは魔力を通せば誰でも開けます。重要な施設ではありますが、必要な施設ではありませんので」

「へぇ……」


 じゃあなんで面倒な手順を踏んでいるのだろうか、と少しだけ疑問に思う。

 俺の思考を読んだのか、レイチェルさんはため息交じりに呟いた。


「魔王様がいらっしゃった時の演出は、あの感応式の扉を開けた際に起動する仕組みなのです。前に見せて頂いた時より派手になっていましたが……」


 スタスタと歩みと愚痴のような呟きを止めないレイチェルさんの言葉に、なるほどと頷く。

 考えてみれば、有事の際であれば魔力で開く扉なんて邪魔でしかないだろうが、謁見の間を有事の際に使うなんて場面は少ないだろう。

 レイチェルさんには不評だったが、俺は個人的にあの演出は悪くないと思っている。

 あのプレッシャーさえなければ、いい思い出として記憶されていたのは間違いない。

 印象に残ったことに違いはないが。


「こちらが覚醒器になります」

「おお……想像してた通りだ」


 レイチェルさんは卵型の透明なケースを指し示してそう言った。

 上の三分の二程度が半透明で、下の三分の一程度が金属系の鈍色で構築されている。

 機械の管が意外にも綺麗な形で地面や壁を這っており、卵型のケースに繋がっているようだ。

 中はわかりきっていたかのように、半透明の緑の液体で埋まっている。

 “覚醒器”の名の通り、如何にもな機械だ。


「あれに入れば、魔人化できるんですよね?」

「はい」


 太古の昔。

 魔人化には魔物の肉を喰らう必要があると聞いていたが、現代はそんな古臭いやり方は必要ないそうで。

 と言うか、この機械は正確には魔人化の機械ではなく魔王因子を植え付けた結果として魔人になるというだけの代物だ。

 要は魔人化は副産物に過ぎないらしい。

 それを聞いて驚いたが、肉を喰らって魔人化するのは五千年も前の話だと言われて、それだけの長い期間があれば技術の進歩があっても不思議じゃないかと納得する。

 俺らがいた世界はたった二千年であれだけの科学技術を発展させてきた。

 その倍の時間があれば、種を変える技術を確立するのも、そう難しくはないのだろう。

 俺には想像もできないが。


「どのくらい入ってれば?」

「人によって期間は変わりますが、早くて一週間ほど。遅くともふた月程度で魔王因子との結合が完了します」

「魔王因子って言うと……魔王になるために必須なアレですか?」

「その通りです。十魔神が例外なく保有している因子です」


 そうなのか、と初知りの情報を聞いて、十魔神(ちょうほんにん)のノラへと視線を向けてみる。

 俺の視線を正しく受け取ってくれたノラは頷いてくれた。


「私は天然だけど、覚醒自体はこれでやったわ」

「あ、覚醒は人工的なんだ?」

「ええ。自然に覚醒させたのは、序列一位から三位までの三名しかいらっしゃらないわ」

「人工的に覚醒させると何か変わるの?」

「多少影響はあるでしょうけど、そこまで大差はないわ」


 強制的に力を引き出したり、あるいは覚醒させたりする機械に、良い印象はない。

 漫画でもアニメでも、そういう類のものには何らかのデメリットがついて回るものだから。

 けれど、実際に試した人がいて、経過に何も問題はなさそうとなれば、きっと大丈夫なのだろう。

 そう自分に言い聞かせても、やはり不安は尽きない。


「……何か、これに入って不都合なことって起こったりしませんか?」


 不安だったので、レイチェルさんに直接尋ねてみる。

 機械の方から俺の方へと視線を転じて、レイチェルさんは答えてくれた。


「稀に記憶障害や身体機能不全などの症状に陥ることはありますが、発生確率は低い上に宰相様が治癒されますので問題はないかと」

「そ、そうなんですね……なるほど」


 後遺症が残る可能性があるが、それは治癒できるから問題ないと。

 そうとくれば断る理由もないのだが、それでも怖さは拭えない。

 恐怖は、生物に本来備わっている防衛本能の一つだ。

 それを理性で抑えられるほど、まだ俺は強くない。

 だからーー


「ノラ。ちょっと、勇気頂戴」

「ーーん。私も」


 ノラの手を握り、勇気を分けてもらう。

 柔らかで優しいノラの手がしっかりと俺を包み込んで、俺が望んだ勇気をくれる。

 体の一部がこうして触れ合ってるだけで、こんなにも頼もしく、こんなにも勇気づけられる。

 俺って本当に単純だな。


「……ありがとう。行ってくる」

「うん。また後で」


 顔を合わせたノラがどこか切なげで、意味もなく唐突に、キスをしたくなった。

 レイチェルさんがいるが、それを差し引いてもなお、キスをしたいよ急に駆られた。

 握った手を引き寄せて、ノラの体を抱き寄せる。


「いい?」

「……今? ここで?」

「……ダメ、かな?」

「……わかったわ。いいよ」


 人前でのキスに躊躇いを見せたノラだったが、最終的には折れてくれた。

 了承を得られたので、遠慮せずに行動に移る。

 抱き寄せた体をもっと密着させ、そのまま少し下にある顔――もっと言えば柔らかそうな唇に己の唇を寄せ、そのまま優しく突き合わせる。

 手と同じかそれ以上に柔らかで、さらにそれ以上に甘美な時間が俺とノラの間に流れる。

 何度も感じたことのある感覚だが、何度やっても変わらない。


「おーおー随分と盛ってらっしゃる」

「ッ――!」


 急に背後から声をかけられ、背筋がビクッと跳ねた。

 振り向けば、カスバードさんを先頭に、ドミニク、アンナ、肩の上の梟と、全員が揃っていた。

 物珍しげに俺たちを見ている。


「ど、ドミニク……何でここに?」

「何でも何も、俺たちはみんな魔人化する予定なんだから、ここにくるのは当然だろ?」

「……」


 そう言えば、魔王は後でカスバードさんに案内させると言っていた。

 俺たちだけに先に行けと。

 更には、謁見の間で魔王と会う前の事前説明でも、同じことを聞いたはずだ。

 つまりドミニクたちが合流してくるのは必然であり、こうなることは予測できたわけで――


「ノラが躊躇った理由はこれか……」

「どうしたー? もっと見せつけてくれてもいいんだぞー?」

「お父様。無粋で下品ですよ」


 ニヤニヤと、明らかに面白さ重視でからかってくるドミニクに対し、それを咎める娘。

 カスバードさんや梟に関しては、純粋に興味深そうな目で見てくるのだから、どう反応すれば良いかわからない。


「見せ物じゃないよ」

「こんな公然の場でしといてよく言うぜ」

「うぐッ」


 痛いところを突かれ、同時に羞恥心が襲ってくる。

 後悔は全くない。

 ノラから勇気を貰うことはできた。

 できたのだが、一から十まで恥ずかしい。


「もういいや! レイチェルさん! どこでもいいから中に入ればいいんですよね!?」

「え!? あ、はい。どこでも構いませんよ。今開けます」


 据え置きのタブレットのようなものにレイチェルさんが手を置き何やら操作をすると、卵型のポッドの中に充填されていた薄緑色の液体が消えていく。

 ズゴゴゴと音を立てて、卵型の下部にある管から吸い込まれているようだ。

 何個も連なっている卵型のケースの中から五つだけが空になって、両扉のように左右に開く。


「じゃあ俺は行ってるから!」

「おいおい逃げんなよー。もっと楽しもうぜ?」

「楽しいのはあんただけだろ!」


 浅慮からくる行動は面倒なことになると、今のでよくわかった。

 今後は気を付けようと心に留めておき、これ以上何かを言われる前にさっさと魔人化してしまおうと一番近くにある卵型のケースへと向かう。

 時間が経てば経つほど、せっかく貰った勇気が霧散してしまいそうだ。


「なぁ隼人」

「まだ何か!?」


 卵型のケースへと入り、後はレイチェルさんに全てを委ねるだけとなった状態で、ドミニクが話しかけてきた。

 扉が閉じるまで逃げも隠れもできないので、やけくそ気味に答える。


「ノラは大事か?」

「――あ? 今――」


 『――関係あるのか?』と答えようとして、気づけばすぐ近くにいたドミニクの真剣な表情に当てられる。

 今までのからかいや、冗談と言った類のものではない。

 俺の何かを探ろうとしているような、あるいは純粋な疑問のような。


「……大切か?」


 再度そう問われる。

 真剣な、今まで見たことないような顔で、真っ直ぐ見つめられる。

 普段の飄々とした雰囲気は、ラティーフ以上に軽々しい。

 だからこそ、その落差が俺を真っ直ぐ答えさせられた。


「大切だ。大事だよ。何にも代えられない。俺の全部を賭けてでも」

「――そうか」


 俺の答えに満足したのか、ドミニクは背を向けてノラたちの元へ行ってしまった。

 何だったのかを聞けないまま、卵型のケースの扉が閉じ始める。

 どうやら、レイチェルさんが先ほどの据え置き型のタブレットを操作したらしい。

 まぁ目覚めてからでも問題ないかと問題を後回しにして、俺は目を瞑る。


「何があっても守れよ。でなきゃ後悔するからな」


 積年の後悔と猛烈な願望が込められた言葉が、ドミニクの口から発せられた。

 それに答えるより早く、卵型のケースは閉じた。

 そのまま、下からゴポゴポ音を立てて薄緑の液体が注入される。

 何を言いたかったのか、何を伝えたかったのか。

 それがわからぬまま、俺は眠りへと落ちていく。

 眠気など、つい今しがたまでなかったのに。


 目覚めた時にもし覚えていれば、珍しく真面目に、真剣に何かを伝えようとしたことを茶化すついでに聞いてみよう。

 過去に何があったのかを。




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