第十話 【妄想の中の真相】
「お久しぶりです、ソフィアさん」
「葵様! お久しぶりです!」
定期報告のために王城へと転移した俺は、廊下をスタスタと歩くソフィアの姿を見つけたので挨拶の言葉をかけた。
嬉しそうに声を弾ませ、王女らしい桃色を基調としたドレスの裾を翻してソフィアは振り返る。
「ラティーフさんとアヌベラさん、どこにいるか知りませんか?」
「御二方なら訓練場にいると思いますよ」
「そうですか……ちなみにソフィアさんはこのあと時間ありますか?」
「はい! ありますよ! 何かお手伝いすることでもありますか?」
ウキウキと言った様子で、次ぐ俺の言葉を待つ。
ソフィアさんが生来のパシリ気質なのか、あるいはやはりイジメの影響か。
ともかく王女らしさの欠片もないソフィアさんへ、少し真剣な声音と眼差しで告げる。
「ラティファさんと、ソフィアさんのお母さんのことで話があります。王様と一緒に、執務室で待っていてもらえますか?」
「――わかりました」
ソフィアは俺と同調し、先程までの雰囲気を一転させて頷いた。
* * * * * * * * * *
「――それで葵殿。ラティファと……ルカイヤについての話とはなんだ?」
俺が指定し呼び集めた人物が揃ったところで、唯一席に座るアルペナム王国国王、アーディル・A・アルペナムはそう切り出した。
俺以外の四人が、全く同じことを思っているのだろう。
神妙な面持ちで俺の言葉を待っている。
時間は有限。
無駄を愛せない人生は虚しいものだという持論を掲げる俺だが、こと今に限ってはその無駄は要らないので容赦なく話を進める。
「皇帝が裏切り魔人側についたけれど、ラティファさんは無事。このことについて王様は聞いていますか?」
「ソフィアから聞いた。その情報だけでどれだけ私が救われたか……」
あれはただの予想、推測だ。
合っている確証はない。
けれど、それが真実だと、俺は二人以上に疑っていない。
だからこそ、これから話す情報は正しい意味での推測にしかならない。
「これから伝えるのは、ある意味王様やソフィアにとって救いになるかもしれません」
「救い……ですか?」
「はい。ですが同時に、ラティファさんの情報よりも格段に信用が落ちるただの推測でしかないことを前提に、聞いてください」
脅すような言い方をする俺に、国王もソフィアさんも、しっかりと頷いた。
覚悟はある。
無言でそれを伝えられ、俺は頷き返して続ける。
「結論から言うと、ソフィアさんのお母さん――王妃様は、生きている可能性があります」
「本当か!?」
五十を超えるかという年齢の国王は、誰よりも早く俺の言葉の反応した。
国王と言う自分の立場も忘れ、椅子を薙ぎ倒すほどの勢いで立ち上がり、俺へと迫り肩を掴んで揺さぶってくる。
周りの、ラティーフやアヌベラ、ソフィアが驚いているのも気にせず――いや、視界にすら入っていないのだろう。
どこからそんな力が湧いてくるのかというような握力で俺の肩を握り締め、再度同じ問を投げてくる。
「本当か!? ルカイヤは本当に生きているのか!?」
「先程も言ったはずです。これは確証も何もない、俺の妄想で終わる可能性の高い推測でしかないと。だから絶対にそうだとは言えません」
突き放すように、王様の手を丁寧に退かしながら言う。
期待を持たせておいて何をしたいのかと、傍から見ればそう思われるかもしれない。
だが、この国の直近の歴史を知っていて、且つその歴史に直接関わりのある人たちと触れ合ってしまった俺には、例え妄想に過ぎない可能性でも伝えておきたいと思ってしまった。
自己満足だと言われてしまえばそれまでな話だが、それでも俺は、世話になった人たちに最大限恩返しをしたいと考えている。
その一環として、この妄想を話すのだ。
「もちろん、確証がないだけで絶対に嘘だとも言い切れません。真実は、次の大戦が終わればわかると思います」
「……お父様?」
「……すまない。取り乱した」
愛娘の呼びかけで、王様は我を取り戻せたらしい。
慌てて走ったことで乱れた身なりを整え、倒してしまった椅子を戻してゆっくりと深々と座り直す。
眉間を指でつまみ、小さく溜息をつく。
「葵殿。そう考える根拠を教えて貰えるか?」
「はい。ラティファさんが魔人側――皇帝側に寝返ったのは、ラディナが魔人側についたことからも明白です。ではラティファさんはどうして、皇帝側に寝返ったのでしょうか?」
「そんなの、考えるまでもなく伴侶だからじゃないのか?」
「そうですね。ではどうして、ラティファさんは皇帝の伴侶になったのですか?」
ラティファは第一王女。
男の後継ぎがいない今の王国では、次の王――女王となる人材だ。
なぜその後継者が、女王と言う立場を捨ててまで他国へと嫁いだのか。
「それは……王国が甚大な被害を受け、その復興の対価として皇帝がそれを望んだからだ」
「そうですね。首都全土を焼き尽くさんと広がった大火災。結果的に人的被害は皆無でしたが、三区と四区を除くほぼ全てが焼けた」
あれはソフィアがまだ物心つく前の出来事で、今から数えて十三か十四年ほど前の出来事だ。
それほどの大火災を受けたのに、今の王国の首都がここまで活気を得ているのは、魔術がある世界だから、と言う理由もあるだろう。
消火も延焼を抑えるのも魔術で賄えるのは大きい。
だが、それだけではない。
王国の惨状を聞いたドミニクが、どの国よりも早く人材と資材の提供を行った。
復興に必要な潤沢な資材と、それを扱うだけの人材。
王城と言う国の象徴と首都の大半を焼き尽くされ、そして何より歴代で尤も慕われた女王の死が齎された王国にとっては、その支援は何にも代え難いくらいにはありがたかった。
だがやはり、タダで上手い話があるわけもなく、ましてあの帝王が何の代償もなくそんなことをするわけもなかった。
アヌベラの言った通り、皇帝は支援の対価として伴侶を要求した。
伴侶と言う曖昧な定義の要求に何を――誰を差し出すのか。
恩着せがましい要求してきたが仮にも皇帝。
立場に見合う報酬という選定の元、候補に挙がったソフィアの名を聞いて、姉であるラティファが自ら手を挙げたのだ。
まだ五歳にも満たない妹にそんな重荷を背負わせられない、と。
「じゃあもし、その火災が全て仕組まれたものだったら? 皇帝の手によって全てが仕組まれ、全てが皇帝の手のひらの上だったら、どうなりますか?」
「ま、まさか! 皇帝がそんなことをするメリットがない!」
「皇帝は人類を敵に回してまで成し遂げたい目的がある。その目的に“未来視”が邪魔だったと考えることはできませんか?」
「……」
“未来視”は基本的に、他人がいなければ機能しない。
他者の目を見ることでその能力が発動させられる。
だが例外として、ラティファ自身にマイナスな事象が起こる場合は、目を見る必要もなく未来が視える。
“未来視”についてどこまで公開していたのかは不明だが、もし皇帝がその能力のことを知っていたら。
不確定要素を減らす意味で手元に置いておきたくて、縛るための何かを欲していたら。
伴侶という曖昧な縛りではなく、もっと明確な――
「ルカイヤはラティファの能力を縛るための人質にされたのか……?」
「王妃様の死は、火災後に姿を見かけなかったから。王城を焼き尽くすほどの業火です。死体が灰となって崩れた建物の残骸に潰されてしまえば、この世界の科学力では特定なんてできない」
この世界は元の世界と同じくらいに科学技術が発展している。
共和国がその最たる例と言えるだろう。
地下鉄やガラス張りの高層ビルなど、高い科学技術を前面に押し出していた。
故に勘違いしがちなのだが、元の世界のように高い水準の科学が色々なところで享受できるわけではない。
王国にある科学技術の結晶は、その大半が共和国から貰ったものか、五千年前の初代勇者の残した物でしかない。
それなりの広さのある王城の全てを検証し、王妃様の死体の有無を確認する術はないと言っていい。
「今まで言ったことは、全て俺の推測じみた妄想です。正しい保証はどこにもない。だけど、可能性は十分にあると思っています」
「一応、筋は通ってる……のか?」
帝国でラティファの“未来視”にお世話になった時、夫であるはずの皇帝は見舞いに来なかった。
そう言う決まりがあった、よくあることだから気にしなくていい。
どんな約束が交わされていたか、詳しくは聞いていないので細部までは不明だ。
だが、王国に恩を売ってまで手に入れようとした愛おしい人に対してする行いではないと、今更ながらに思う。
「俺が話したかったことはここまでです。その上で、もし王妃様が生きていたと仮定した上で、お二人に聞きたいことがあります」
「――聞こう」
ソフィアと視線を交わし、ソフィアが頷いたのを確認してから、厳かに国王は問う。
毅然と、真っ直ぐ二人の目を見て、俺は答える。
「どうしたいですか?」
主語のない質問。
けれど、この場で今の話を聞いていたのなら、主語などなくともわかるはずだ。
お世話になったからこそ、その意思を尊重したい。
俺がどうにかするのではなく、当事者の二人がどうしたいのかを。
「――生きているのなら、また会いたい。会って、積もりに積もった話をしたい。それが、ルカイヤがいなくなってからの、私の願いだ」
「……私は、お母様のことをほとんど覚えていません。顔も声も……。ですが、ラティファお姉様から聞いていたお母様は、強くて厳しくて、とても優しい人だったと」
まだ物心つく前に亡くなった人物のことを覚えている人間なんて、ほとんどいないだろう。
幼児期健忘という言葉があるように、三歳より前の記憶は定着しにくいのだ。
ソフィアも例に漏れず、亡くなったとされていた母親の記憶はほとんどないらしい。
「なので、会ってみたいです。ラティファ姉様を助けて、その上で会えるのなら会いたい。会って、お父様と一緒に、沢山お話ししたいです」
二人とも、俺の目を見てはっきりと答えてくれた。
その答えが得れたのだから、俺がするべきことはもう定まった。
「と言うことです、ラティーフさん、アヌベラさん。皇帝と今の件、全て二人に任せます」
「ん!? いやちょっと待て葵。任せるってどういう……」
「そのままの意味です。大戦で二人が取り戻したい人たちを皇帝から取り戻す。その護衛をお願いしますと言ったんです」
「……その言い方だと、まるで陛下と王女様を戦地へと向かわせ、あまつさえ矢面に立たせると言っているように聞こえるのですが……」
「そう言いました。何か問題が?」
あっけらかんと答えた俺に、ラティーフはポカンと馬鹿を見る目で、アヌベラは『はぁ』とため息をついて、『いいですか』と続けた。
「陛下も王女様も、この国にいなくてはならない方々です。後継ぎがいて、その方たちの命の保証があった上で戦地に赴き指揮を執るのとは話が違います。後継ぎはソフィア様しかおらず、まして陛下はもう齢四十を超えている。そんな方々に戦地に出ろというのは無理がある」
「ソフィアには魔術の才がある。上には上がいると謙遜していますが、水準は魔術師団に入団できるレベルでしょう?」
「それはそうですが……」
「それに、王様に至ってはより心配ないと思いますよ。多分、純粋な力だけで言ったらアヌベラさんよりもある」
俺の発言に、アヌベラは真偽を問うような目で王様の方を見る。
それに対し、王様は肩を竦めて、少しだけ笑いながら言う。
「葵殿。既にラティーフたちと遜色ない実力を持つ君からのその評価は嬉しいが、根拠はあるのかな?」
「先ほど肩を掴まれた際、異様に力が強いと思いました。肩から手を剥がした時も、老人の手はしていなかった。王様は若い頃、魔導学院に通い魔術を習っていたと。そんな方が年老いてもそれだけの力を保持しているのは、少しばかり理に適ってないなと思っただけです」
「そこまで見抜かれているとは……観察眼ならば、既にラティーフたちを上回っているのではないか?」
「陛下、つまり――」
「ああ。ライラを失い、ラティファを帝国に嫁がせてから早十四年。残るソフィアを守れるように、執務の合間を縫っては鍛錬をしてきた。お前たちの訓練を眺めていたのも、気晴らし半分、トレーニングの最適化半分、といった具合だ」
王様の地道な努力に、二人は全く気付いていなかった様子だ。
状況が状況なだけに言わないだろうが、ラティーフならマジかよ、と言ってもおかしくなさそうなくらい、びっくり顔をしている。
大変レアな表情だ、と脳内メモリにその面白顔を保存しておいて、話を進める。
「だから問題ないと思います。二人にも天の塔の試練に挑んでいただき、ついでに神聖国で精霊もつければ、盤石かと思いますよ」
「そうは言うがな……戦場では何が起こるかわからない。万が一が起こってはダメなんですよ」
「その万が一を起こさないための二人です。できるでしょう?」
出来ないとは言わせない。
二人は王国が誇る最強の戦力。
その二人にできなければ、王様とソフィアさんの願いは叶わない。
「それに、もし本当に危なくなったら、俺がいます。王様とソフィアさんの二人を連れて逃げるくらいならできるので、問題はかなりなくなると思いますが?」
「本当に危なくなったらというが、それをどうやって知る? 手遅れになってからでは意味がないぞ?」
「ご心配なく。少し前に心拍数やその他もろもろの身体状況から、危険を感知するセンサーの開発を、ミキトさんに依頼しています。魔術陣のプロフェッショナルのカナさんとライラちゃんの協力がありますので、たぶん依頼通りの物ができますよ」
「そこまで準備してたのか……葵も未来が視えるんじゃないか?」
「それが出来るなら、俺はこんな苦労してませんよ」
未来が視えていたのなら、俺はこの世界になど来ていない。
結愛が行方不明になるなんて経験は、知っていたら絶対に回避する。
例え仮病を使って、子供みたく結愛に看病を強請ってでも、だ。
「で、どうです? やって貰えますよね?」
俺の質問に、二人は顔を見合わせる。
どうするのか、と視線で問い、ラティーフは『仕方ない』とでも言いたげに小さく笑って、アヌベラはまた小さく溜息をついた。
「……陛下、王女様。お二方に聞かせていただきたい。よろしいですか」
「構わん。申せ」
ラティーフはその場に片膝をつき、胸に手を当て頭を垂れながら、畏まって言う。
ちゃんとした礼節なのだろう。
「危険が伴います。命の保証は、俺たちでも出来かねます。それでも、葵の言ったように……いや。――お気持ちは、変わりませんか?」
王様へ向けた問い。
それを王様は、視線でソフィアさんに投げる。
『ソフィアが決めろ』とそう言っているように見えた。
「――はい。変わりません」
「……わかりました。腹を決めます」
過去に決着をつけるのは、自分の手で行うべきだ。
誰かにしてもらっては、一生消えない後悔になりかねない。
だからこそ俺は、手助けしかしない。
少なくとも俺なら、そう思うから。
「じゃあ俺はもう行くな。定期報告はまた今度で」
「ああ。気を付けてな。次会った時は覚えてろよ」
物凄い形相でラティーフに睨まれた。
それもそうだ。
相談も何もせずにただひたすらに我が儘で周りを振り回している。
たまたま俺が思っていた方向に転んだだけで、今後も同じことをしていいわけがないのは確かで、ラティーフやアヌベラが俺に文句を言いたくなるのも道理だ。
まぁでも結果的にいい方向へ転んだのだからいいではないかと、そう開き直って、
「……すこーし時間が空くかもね」
そそくさと逃げるように、俺は転移で執務室を後にした。