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姉の為に。  作者: たかだひろき
第八章 【天の塔】編
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第五話 【再び】




 唐突な勝利宣言――負けた側が言っているのだから敗北宣言?――が想定外すぎて、だらしなく唖然とし、呆然と立ち尽くしてしまう。

 即座に立ち直るにも訳が分からずそれどころではない。


「え……勝ち? どういう……?」


 ようやく思考を取り戻し、口にできたのはそんな言葉だった。

 それを受け取ったのは倒れ込んだ老人の元へ歩み寄り、その傍にしゃがみ込んだ男だった。


「そんなことよりも、その少女はいいのか? 顔が白くなっているぞ」

「――ッ、結愛!」


 男が指で差し示した先には、俺が渡した『無銘』のせいで魔力が枯渇し、地面に突っ伏している結愛がいた。

 結愛を魔力枯渇に陥らせた『無銘』は手から零れ落ちているのが幸いだと言える。

 もし今も握っていたら、魔力の代わりに生命力を吸い取り今頃は確実に死んでいた。

 その幸いに感謝しながら慌てて駆け寄り抱き上げるが、ぐったりと脱力した状態で呻き声の一つも上げない。

 黒く艶やかな髪は、左半分が白くなっている。

 アニメなどではよくある演出だが、実際に目の当たりにすると言い知れぬ不安を覚える。


「お、奥様!」

「息は荒いけどある。脈拍は……少し早いか」


 パトリシアさんが遅れて駆け寄ってきたので、自分の頭の整理も兼ねて現状を言葉にしておく。

 魔力を枯渇させたからと言って、即座に死に至るわけではない。

 今も、直接的な弊害と言えば気を失っている程度で済んでいる。

 このまま放置しても治る場合はあるが、魔力枯渇の最悪は死ぬことだ。

 この世界の人間は誰しもが少なからず魔力を持って生まれる。

 元々体に合ったものが全て失われ、気絶によって食事などによる外からの供給もできなくなれば、至る結果は当然死だ。


 なので、早急な措置を行わねばならないのだが、魔力枯渇に対する薬などは存在しない。

 平時であればポーションなどで魔力を回復させられるが、気を失った人間はポーションなど飲めない。

 気絶している人間に水を飲ませる方法はあるのかもしれないが、少なくとも俺の知識では不可能だ。

 他に何個か魔力枯渇を脱する手はあるが、どれも高価だったり準備が面倒だったりで、今すぐにどうにかできるものではない。

 つまるところ、既知の手段で結愛を確実に助ける方法はないと言っていい。

 ならどうするのか――


「ごめん。ちょっとだけ、失礼するよ」


 気を失っている結愛には無用の気遣いかもしれないが、一応断りを入れてから結愛に手を伸ばす。

 首元に触れ、俺から魔力を譲渡する。

 性質――分かりやすく言うのなら魔術の適性が違う人間の魔力を体に入れると、拒絶反応を起こす場合がある。

 この拒絶反応は、軽い場合は痒みや多少の痛みなどで済むが、こちらも最悪は死に至る。

 故に、最終手段として用いられるものだが、こと俺に至ってはその心配は皆無だ。


「えっ、何を――」

「大丈夫」

「ッ、しかし――」

「大丈夫。必ず助けるから」


 俺が何をしようとしているのかに気が付いたらしいパトリシアさんが慌てて止めようとするが、その前に俺が言葉で牽制する。

 常識で考えれば、俺のやろうとしていることはいい手ではない。

 パトリシアさんもそれをわかっているのだろう。

 だが、適性が絶無の俺なら問題ない。

 だいぶ違うが、イメージとしては黄金の血のようなものだと思ってくれればいい。


「――んぅ」

「っし」


 完全に脱力していた結愛が、小さく声を上げて身動(みじろ)ぎする。

 荒かった息は少しづつ収まっていき、脈拍も次第に正常に戻っていくだろう。

 白く染まった髪はそのままだが、髪は伸びるはずなので時間をかければ戻るだろう。

 むしろ、白と黒のグラデーションで結愛の魅力が引き上げられたと言っても過言ではない。


「終わったか?」

「あ、ああ」

「なら、こっちに来い」


 不遜というか何というか、礼儀と言うものを知らない――と言うよりは敢えて弁えていないような態度で、男は俺に命令する。

 そもそも命令なのだから礼儀も何もないと言うのは置いといて、結愛をパトリシアさんに預けて少しだけ警戒しながら男の方へ向かう。


「ははは、そんなに警戒せんでよいぞ、葵」

「……いや、警戒なんて……」

「坊も坊じゃ。そんな言い方では相手を不用意に警戒させるだけじゃ。時と場合によっては言葉遣いも変えねばならん。ワシみたいにな」

「……善処します」


 老人は仰向けに寝転んだまま、楽しそうに笑った。

 どこにそんな要素があったのかわからないが、今にも死ぬかのように倒れ込んだ割には意外と元気そうだ。


「さて葵。ワシはもうすぐ死ぬ。だからその前に、お主に話しておきたい」

「……死ぬって? そんな元気そうなのに?」

「ああ。なんとなく、すぐそこに死期があるのがわかる。ついさっき、一瞬だけ立ってられなくなったから消極的になっているだけかもしれんが」

「……」


 老人はそう言うが、全く信じられない。

 ずっと仰向けに横たわっている意外、死にそうな感じは全くしない。

 はっきりと話をしているし、目もすぐに死にそうなほど虚ろなわけでもない。

 少なくとも、師匠の時のような“死”を連想させるものが、目の前の老人からは感じとれない。


「じゃあ仮にその死ぬって言葉が真実だとして、俺を呼んだのはどうしてなんだ?」

「君はあのマキと同じ力を使える。まあ尤も、その使い方は全く違うらしいがの? ともあれそんな君に、ワシの力を残しておきたいんじゃよ。マキが私にしたようにできたらいいのだがな」

「力って……もしかして魂でもくれるのか?」

「魂? 貴様の内包しているそれは生来のものじゃないのか?」

「全部後付けだと思う。俺が自覚してるのは……俺と未来の俺と師匠と、あと多分初代勇者のだから……四つかな。もっとあったら生来だと思うけど」


 指折りで数えながら、自覚しているだけの魂を羅列する。

 とはいえ、俺と師匠の魂以外は内包しているのかは不透明だ。

 初代勇者とは夢の中で会っているし、未来の俺も同様だ。

 あれが夢だったら完全なイタイ奴の妄想になるわけだが。


「マキの魂を……持っているのか?」

「……ああ、マキって初代勇者か。うん、ここと、あと共和国で会ってるし、たぶんいると思う」


 後ろにある天の塔を親指で指し示し、老人の言葉を肯定する。

 老人の言う“マキ”が初代勇者だとイコールで繋げるのに時間がかかったが。

 そう言えば、老人の言葉には時々“マキ”なる人物が出てきていた。

 つまりこの老人は初代勇者と何らかの繋がりがある、と言うことだ。


「そう言えばさっきからマキって言ってたっけ? もしかしなくても、知り合い……?」


 この老人が初代勇者と知り合いでも何ら不思議ではない。

 初代勇者は五千年前の人物だが、この老人は竜人――竜だ。

 寿命が五千年あってもおかしなことではないだろう。

 尤も、老人曰くその命もあと少しで尽きるらしいが。


「マキは……()の師匠だ。そうか……なら、君に取り込まれるのも悪くない」

「取り込まれるって言い方……ま実際、違いを上げろって言われてもできないけどさ。それは良いとして、俺にくれるものは違うんでしょ?」

「ああ。君にはワシの眼を上げようと思っておるよ」

「――老師、正気ですか?」


 有無を言わせない圧力が、男から発せられた。

 そんなことはさせん、と言わんばかりの眼力が、横たわる老人を貫いている。

 ただでさえ切れ長で鋭い目つきなのに、それが一層キツくなっている。


「正気じゃよ。葵は人の身でありながら魔眼をも操れる、人間離れした“魔力操作”の練度を持っている。それは坊もわかっているじゃろ?」

「だからと言って、竜の眼を操れるとは限りません。そもそも操れたとして、情報量で脳が焼き切れない保証もない」


 何やら恐ろしいワードが聞こえてきたが、明確に蚊帳の外にされているので割り込みづらい。

 そんなことを考えているとも知らずに、老人と男は口論を続ける。


「竜眼で脳で焼き切れるのならば使わなければいい。宝の持ち腐れだが、死ぬよりはマシだろう?」

「それはそうですが……老師の肉体を好き勝手されるのは少し抵抗が……」

「ワシが生きてるときにワシの意思で渡すんじゃ。坊にとやかく言われる筋合いはない。相違あるまい?」

「しかし……」

「言いたいことがあるならはっきりといいなさい。坊の悪い癖じゃよ?」


 老人の言葉に、今まで燻ぶったような表情で何かを抑えていた男は、腕を組んだまま目を伏せる。

 しかしそれも一瞬。

 すぐに伏せていた目を開き、横たわる老人へと視線を落とした。


「この人間が件の人間でないことは老師のおかげで理解できました。ですが、信用も信頼も、この男には置けません」

「ふむ? それはどうしてじゃ?」

「言わなくてもわかるでしょう? この男の中の魂――特に、この男と酷似したどす黒い魂は、在るもの全てを消し去るような邪悪ですよ」


 男の言い分に、俺は俺の中に在る未来の俺に『ボロクソに言われてるぞ』と野次を飛ばしておく。

 今まで未来の俺とまともに対面したのは、結愛と再会を果たし、しかし俺のことを忘れられたと知って絶望していた日の夢でのみ。

 その時の印象は、“自信に満ち溢れ、全てを為せると思い込んでいるのに暗く、生きる意味を失っているかのように虚ろな、矛盾したヤツ”程度のものだった。

 言われてみれば邪悪のような気がしないでもないが、俺と結愛を圧倒した男が警戒するような相手ではないと思う。


「坊にはそう見えるのか」

「老師は違うと?」

「……坊、提案じゃ。この男が信じられないのなら、今後旅路を共にするといい。坊の視る魂――そこに至れるこの男のことを良く知るには、それが一番じゃろう?」

「……」

「どうじゃ、葵? 坊とともに旅を行くのは嫌かの?」

「嫌ってわけじゃないけど……その言い方だと監視みたいでいい気はしないな」

「そりゃ悪いな。じゃが実際、監視と大差ないのでな。言い訳は出来ん」


 『すまんな』と軽く、しかし心からの謝罪だとわかる言葉を受けて、それ以上何も言えなくなる。

 例え俺が了承したとしても、今の俺には行動を共にしている仲間がいる。

 彼らの了承がなければ、俺の了承など意味はないに等しいが――


「まぁ、一緒でもいいよ。それで敵対勢力が減るんなら美味しい話だと思うし」

「だそうじゃよ、坊。あとは坊が決めるんじゃ」

「…………わかりました。老師の眼を渡すことも、魂を譲渡することも、私はこれ以上口を出しませんし関与もしません。死体だけは持ち帰りますが」

「ああ。あとは好きなようにしてくれて構わんよ。では、王様の了承も得たので……ほれ、葵。(ちこ)う寄れ」


 話は纏まったようなので、老人に言われた通り手招きに応じて(かが)む。

 手順は師匠の時のように、眼を直接引き千切って俺の眼の部分へ嵌め込むだけでいいのだろう。


「ん? いや待って? 今俺両目ともあるけどどうやって眼を貰うの? 俺も目ん玉引っこ抜かなきゃいけないの?」


 痛いのは嫌だなぁと小さくボヤく。

 竜の眼を手に入れれば明らかな戦力増強に繋がるので、多少の痛みくらいは我慢するつもりだ。

 が、わざわざ自分の手で自分の目を引っこ抜くのは、少し――いやかなり勇気がいる。

 自ら進んではいやりまーす! とはなれない。


「引っこ抜く必要はない。竜の眼は特殊で、普通の瞳に隠せるんじゃよ。だから葵の瞳はそのままで、使うときだけ表に出せばいい。感情が荒ぶったりしても発現するときがあるから、脳が焼かれると判断したら使う前に坊に壊してもらうんじゃよ?」

「怖いこと言わないでよ……そのまま普通の眼まで潰されそうで怖いしさ」


 『ともあれ了解した』と頷くと、老人は穏やかに微笑んで、自分の右目に手を添えた老人は、瞼の上からスッと瞳を撫でた。

 撫でた右手をゆったりを握っている。

 おそらくその中に、竜眼があるのだろう。


「ほれ。手の届く距離に」


 言われ、俺はもう少しだけ顔を近づけた。

 軽く握られた老人の右手が俺の右目に近づいて、スッと瞼の上を撫でる。

 違和感も、変化すら感じられず、本当に終わったのかがわかりづらい。

 恐る恐る目を開けてみるが、やはり変化らしい変化はない。


「終わった……のか?」

「ああ、バッチシじゃ。さて、ワシの目的は終わったが……どうする? 魂の譲渡はするか?」

「え? あ、ああ。そうだな。できるならしたいけど……いいのか?」

「構わん。ワシは死に行く身。その魂を葵が欲するのなら、好きなだけくれてやるよ」

「じゃあ……」


 そう言ってくれるのなら、遠慮なくいただこう。

 今のところ魂を沢山保有しておくことによるデメリットもないわけだし、竜人の――この老人の力の一端を引き出せるようになるのならプラスしかない。

 アルトメナから師匠直伝――と言っても師匠から預かっただけ――の魂を移すスクロールを取り出して広げる。

 あとは、前にやった時と同じ手順を踏むだけだ。


「ここに手を置いて、俺と同じタイミングで魔力を流すだけです」

「あいわかった」


 かつて魂の譲渡を受けた時、師匠が手を置いた部分を指し示す。

 老人が手を置き、俺も前と同じ場所へと手を置いた。


「少しいいか?」

「なんでしょう?」

「これは完成品か?」

「いや、師匠は試作段階のもので、魂の上書きをしてしまう可能性がある、と言ってたけど……何かわかるのか?」


 学院で世界最高峰と呼ばれる魔術陣の授業を受けていた。

 そもそも魔術陣がポピュラーではないとはいえ、それでもかなり高度なレベルの知識を持っているはずだ。

 そんな俺には、この魔術陣がやっていることの半分近くもわからず、魔術陣の講師であり第一人者でもあるカナ先生でさえ、よくわからないと言っていた。

 やっていることはわかっても、その内容がわからない、と。

 そんな代物を、男は一目見ただけで何かあると悟ったかのような台詞を吐いた。


「全てがわかるわけではないが……おそらくここ。これが魂を移動させる根幹となる部分だろう。ただ貴様が言ったように、安全と言うわけではないのだろうな。出力の制限がないように思う」

「あー……つまり、魂を吸い取りすぎたりしてしまうってことか?」

「だろうな。どうすればそれが解決するとかはわからないが、貴様の言ったことと繋がる」


 どうやら魔術陣についての知識はそこまでないようだ。

 初見の魔術陣の効果を朧気ながらも理解できたのは竜眼の能力だろうか。

 右目に備わった竜眼を試してみたい気持ちに駆られるが、操れるかどうかもわからない代物の実験を今すぐ行おうとは思えない。


「貴様の魂の上書きされて老師が貴様の肉体を乗っ取ったとしても、全く困りはしないが」

「ハッ。ぜってぇ無事に終わらせてやる」


 男の遠慮ない物言いに、啖呵を切って魔術陣に手を乗せる。

 目を瞑り、深呼吸をして、心を落ち着かせる。


「最後に、何か言っておきたいこととかありますか?」

「ふむ、そうじゃな……坊」

「なんでしょうか」


 老人はちょいちょいと手招きして、男を呼びつける。

 それに従い、俺と老人の間に入るようにして、男は老人の口元へと耳を寄せた。

 俺には聞こえない程度の音量で何かを伝えたようで、顔をあげた男は小さく頷いた。

 老人はその様子を見て満足そうに頷いて、今度は俺に視線を向ける。


「葵や」

「のぁ、何ですか」


 男への遺言的なものを考慮しての発言だったので、まさか俺にも何かあるとは思わなかった。

 虚をつかれ変な声がでてしまったが、老人はそこにツッコむことなく話を進める。


「マキの遺志は、継いだのかい?」

「……ああ。俺の目的ってか、目標と被らないわけでもないし」

「そうか……ならば、一つだけアドバイスじゃ。葵が最後に敵対するであろう相手はマキですら勝てなかった。……気を付けてな」

「――おう」


 誰かに頼られる、何かを任されると言うことに、悪い気はしない。

 老人の眼を見て、はっきりと答える。

 俺の答えを聞いて、老人は優しい笑みを浮かべた。

 そして、手を乗せたスクロールに魔力を流した。

 それを確認してから即座に俺も魔力を通す。


「……ほぅ」


 本来合わさるはずのない二つの魔力が螺旋を描き、鮮やかな光景を映し出す。

 心に焼き付いていたあの景色が、再び眼前に展開される。

 それを見た男が、小さく感嘆の声を漏らした。

 ソウファもパトリシアさんも、スクロールの上に広がる光景に見惚れている。

 今回は何の障害もなく、魂の譲渡が終了した。


「……老師」

「……」


 男の呼びかけに、老人は答えない。

 いや、反応すらない。

 男はゆっくりと老人に近づいて、片膝をついて首元に手を添える。

 その体勢で少しだけ固まっていたが、ふぅと小さく息を吐いてゆっくりと立ち上がった。


「――私は一度、集落へと帰る。しばらくしたら戻ってくる」

「……わかった。俺たちはしばらくここに滞在してると思うから……」


 何か言葉を掛ける必要があるかと少し考えたが、こういう時になんて言葉を掛ければいいのかわからない。

 それに、今の俺に何を言われても無粋にしかならないだろう。

 そう自分に言い聞かせ、スクロールから手を離し、アルトメナへ仕舞ってから二人に背を向ける。

 ソウファと結愛を抱きかかえるパトリシアさんを手招きで呼びつけて、その場を後にする。


「じゃあ、またな」

「……ああ」


 それだけ言葉を交わして、天の塔の反対側へと向かう。

 今はあの二人から離れておいた方がいいだろう。


「……大丈夫、ですか?」

「ん、何が?」

「いえ……辛そうに見えたので」


 結愛を抱きかかえるパトリシアさんにそう言われ、自分の顔に触れてみる。

 とはいえ、自分の顔が辛そうかなんて触れてみるだけでわかるわけでもない。

 『多分大丈夫』とだけ答えて、天の塔の裏側まで来た俺は歩みを止めた。


「じゃあ結愛が起きるまで待機してよっか。起きたらこの後どうするかを話し合おう」

「あ、はい。わかりました」


 パトリシアさんは結愛を地面に優しく横たわらせて、天の塔を背に座った。

 ソウファをパトリシアさんの隣に座らせて、二人の守護を任せる。

 竜人クラスを相手にするなら確実に実力不足だが、そんじょそこらの魔獣や魔物相手には十分な護衛だろう。

 パトリシアさんの警戒も、子供状態のソウファには適応されないらしい。

 中身が銀狼だと言うのは知っているはずだから、見た目は大事だなと感心しつつ、シルフに二人を守ってくれた感謝を述べておく。

 そして、俺も少し離れた位置で壁を背に一度眠りにつく。

 老人の魂の確認は、夢の中でできるだろうという目算だ。

 神聖国から旅をして、天の塔に着いたと思ったら世界最強クラスの種族である竜人と戦って。

 色々あってとても疲れたこともあって、すぐに眠りにつけるだろう。


「……」


 だが、いつもなら目を瞑って即座に夢の世界へは旅立てるのに、今日はそれができなかった。

 考えうる理由はただ一つ。

 あの老人のことだ。

 大して仲良しでもなく、知り合いですらなかった今日知り合っただけのただの知人程度の間柄。

 そんな老人が天命を全うしたことが、思いの外俺の精神にダメージを与えているのかもしれない。

 いや、もしかしたら、俺の中に在る初代勇者の魂が、現実から目を逸らそうとしている可能性もある。


「――大丈夫。あの老人は、俺の中にいるから、大丈夫だよ」


 誰に聞かせようとしているのか。

 それすら定まらないまま小さく呟いて、ゆっくりと意識を手放していった。




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