第十五話 【先手と後手】
魔人三名と帝王を含めた四人との戦いが始まってから数分が経過した。
たった数分。
その数分だけで、俺は疲労の渦中に居た。
大戦において、師匠を倒した魔人や俺自身が何度も戦った魔人、その補佐として空間魔術を使う魔人だけでも相手取るのが大変なのに、そこに人類最強の皇帝ドミニク・シュトイットカフタが加わった。
俺のことをこの世界でよく知るラディナ、アフィが直接的に敵対していないのが幸運と言わざるを得ないが、それを差し引いても戦力的には明らかに俺の負け。
「シッ――!」
その差を埋めるために、大前提の“鬼闘法”込みの“身体強化”。
膂力は生物の性能的に魔人たちが上で、その性能差を埋めなければ始まらない。
その上で、人数不利を覆すための秘策。
「クッソが!」
「――ハッ」
ナイルの怒りを孕んだ悪態を鼻で笑う。
煽ることで正しい実力を発揮させないための一手。
もちろん、それが機能するかどうかはわからない。
が、こと現在に置いては別。
なぜなら――
「ッ!?」
「こいつの“魔力感知”は魔人と比較しても遥かにずば抜けてる。転移は限界まで出現位置を悟らせるな」
「っはい!」
背後からライアンが空間転移による奇襲を仕掛けてくるが、“思考が読める”今の俺にはまるで意味のない行動だ。
ラディナからの情報提供でそれを理解しているのか、あるいは召喚者としての俺を知っているのか。
ともあれ、的外れなことを言うドミニクの猛攻を全て凌ぎつつ、挟み込むように連撃を仕掛けてくるカスバードの魔術を全て『無銘』で斬り伏せる。
「だがまぁ、ハヤトから聞いてた情報よりもだいぶ精度がいいようだ。転移による攻勢が無理だと判断したら即座に援護に回れ」
「は、はいっ!」
帝王が人類を裏切って魔人側についた。
それは今の状況を見れば誰でもわかるし、ラディナが魔人側についた以上は確実だと言える。
そして、裏切ったのは帝王だけとは限らない。
つまるところ――
「中村隼人が裏切ったってことか」
激戦の中、余剰の思考でそう結論付ける。
ナイルの魔眼の視線上から外れながら、ニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべるドミニクの剣を凌ぐ。
ラティーフと同等レベルの剣の技術は、ラティーフ以上の膂力によって引き上げられている。
まさに人類最強と名高い男の剣戟。
今の俺でなければ、確実に負けている。
「……なるほどね」
隼人が裏切ったと言うことは、その周りにも何らかの影響が出ている可能性がある。
ドミニクが人類を裏切り、ラディナに影響を与えたように。
「時間が惜しい、が……」
決着を早めに着けておく必要があるが、目の前の四人がそれを許してはくれない。
そもそも、時間が経つにつれて不利になるのは俺だ。
初代勇者の能力は、対人戦闘において無類の強さを発揮する。
が、弱点は長期戦闘には向かないと言うこと。
初代勇者自身がどうだったかはわからないが、少なくとも俺には長く続けられるほどの能力がない。
現に、頭の中にはチリチリと焼き切れるような感覚がある。
少しでも油断すればぷつりと切れてしまいそうな、諸刃の剣。
四人の思考を読み、全行動を理解し、先んじてその対応を思考し実行する。
師範の教えがあるから問題ないと甘く考えていた過去の自分を恨みたい。
結果的に、天使との戦闘時の身体能力に物を言わせた戦闘法とは真逆の思考を前提とした戦いとなった。
おかげでと言うべきか、魔王軍において上位十名に入る魔人二人と、その補佐を務める実力のある魔人一名、そして人類最強の名を冠する帝王ドミニクの計四名を相手取って、これだけの時間を稼げている。
「――動きが鈍ってきてるぞ?」
「ハッ、どこ見てんだよッ!」
鍔迫り合いをするドミニクが見透かすように指摘してきたが、声を張り上げ否定する。
ドミニクを弾き飛ばし、飛来するカスバードの炎弾を叩き斬る。
その間隙をすかさず突いてくるナイルの視線を見切り、魔眼の効果圏内から逃れる。
攻撃を何度も透かされ、苛立ちを募らせるナイルを尻目に、ナイルとほぼ同時に転移で奇襲を仕掛けてきたライアンへと拳を突き上げる。
背後を取るような強襲は、事前に心の中を読んでいたので難なく対処する。
仲間意識の問題か、あるいは純粋なミスか、タイミングが僅かにズレていたからこそ対応できた。
己の意思で作り出せたかもしれない偶然にホッとしつつ、次第に追い込まれていくのを感じる。
拙いとは思いつつも、打開する手立ては勇者の気づき意外にない。
「いッ――」
激戦の最中、頭痛が襲ってくる。
滅多に頭痛になど襲われない上に、痛み方が脳を引き裂くようなものであるから余計に辛い。
しかし、そんなものに意識を取られている暇はない。
時間が経つにつれて不利に追い込まれるこの状況で、高々痛み程度に足を引っ張られるわけにはいかない。
意地を張って、気合を入れて痛みを我慢し、戦いを続行する。
「余裕なさそうな顔してんなァ? 大丈夫か、よッ!」
「ッ――問題ねぇよ!」
先ほどから、俺の状態を完全に理解しているかのようにドミニクに図星を突かれる。
俺よりも遥かに多いであろう戦闘経験からくる直感のようなものだろうが、当たっているのが辛いところだ。
相手に自分の調子を気取られるのは二流だと師範から教えられていた意味を体感する。
俺が不利的状況に陥り始めているのがバレてしまえば、無茶でも攻めれば好機になると悟られる可能性が高い。
現に、ドミニクの攻撃が勢いを増してきた。
思考を読むという絶対の防御のおかげで凌げるが、あと五分もしないうちにこの防御は使えなくなる。
それまでに状況を打開する一手が打てなければならないが、それも他人頼り。
俺が今できることは――
「――ッ!」
初代勇者の能力を乗せて展開していた“魔力感知・臨戦”が、ライアンの不吉な行動を捉える。
限界まで範囲を絞り、感知領域内の反応を事細かに捉えられるように改造したそれが届くか届かないかのギリギリの範囲で、カスバードと行っていた密談。
内容を全て聞いていたのに、ドミニクとの戦闘に意識を向けすぎたせいで、聞いてはいたが理解が遅れた。
結果、結愛への接近を許してしまった。
受動的魔術の結界は、魔術を完全に遮断する。
が、人は通ることはできる。
つまり、転移で結界の外まで近づいて、歩いていけば自然と結愛の元へ辿り着ける。
この戦いは、結愛の生死が全て。
結愛が死ねば俺の負けで、それはイコール――
「――ッぶね!」
「また――ッ」
ライアンの転移による結愛への接近を寸前で防いだ。
結界の中にまで入られ、握っていた短剣を突き立てられる直前だったが、個人の戦闘能力が一番低いライアンであれば事後でなければ対処できたのは僥倖と言わざるを得ない。
ただし、無茶をしたせいでドミニクからの一撃を貰ってしまった。
幸い生身の、それも深すぎない程度の傷だったので行動に支障はないが、万全ではなくなったのは非常に痛いダメージだ。
ただでさえ不利が近づく現状、万全を期せなくなれば確実に敗北する。
「ッ! ――ァ」
突然、今までの比ではない頭痛が襲ってくる。
その原因も、対処法もわかっているが、あまりに唐突だったがゆえに覚悟なんてできているわけもなく、敵前で片膝をついてしまう。
隙だらけの姿を晒しているという自覚を持つ前に、その頭痛の原因が――アヤノアオイ主張を始める。
「――まだ、終わってない……だろうが……っ! テメェは黙って、そこで見てろ……!」
言い聞かせるようにして、オレへと命令する。
何か言いたげにしていたが、結果的には俺の言うことを素直に聞いて下がってくれた。
結愛が危機に瀕するたびに俺に訴えかけてくると、本当に大事な時に支障をきたすかもしれない。
あとでしっかり話し合わなければと頭の片隅においておき、目の前に意識を戻す。
「……なんだ、せっかくのチャンスを棒に振ったのか? まぁ、俺としちゃあありがたい話だが」
結界の中とは言え、特大の隙を晒した俺を見逃すどころか、俺が結界に入る前と立ち位置すら変わっていない現状を見てそう零す。
何かに驚き、固まっている様子だ。
言った通りの幸運だが、腑には落ちない。
何かの策かと深読みし、一連の可能性を潰して回るが、結局それらしいものはなにも考えつかない。
もし策でないのなら、俺を潰す恰好のチャンスをなぜふいにしたのか。
「……まぁいいや」
考えてもわからないことを考えても無駄だ。
それ以外に意識を向けた方が圧倒的に効率的だ。
「初代勇者の能力はもう無理だな。頭パンクする」
魔人三人と帝王ドミニクを同時に相手取るのに最適解だと考え選んだ一手は、想定通りの効力を発揮し対等に戦えた。
しかし如何せん継戦能力に欠ける。
ならばどうするか。
「天恵……使うか」
俺に合わない初代勇者の能力とは違い、適性ありと認められた天恵ならば体への負担は少ないはず。
全容はまだ把握し切れていないが、把握済みの天恵だけならば時間稼ぎはできるはずだ。
未だ固まる魔人たちへと不敵な笑みを向けて、『無銘』を握り直す。
「お? ――ああそういや、お前の気づき待ちの時間稼ぎだっけか」
新しい力を使った戦闘を楽しむこと。
次第に余裕をなくしてしまった現状。
その二つの板挟みにされ、本来の目的を忘れてしまっていた。
そんな自分自身に呆れ、自嘲する。
「おい勇者。任せて大丈夫だな?」
「――後で色々聞きたいことがあるけど、とりあえず大丈夫だ。ゆっくり休んでてくれ」
勇者の方へと視線を向けて、淡い光が二つ宙に浮ているのを確認する。
そこにあるとだけわかっていたものがこうしてしっかりと瞳で捉えられている。
勇者――もとい認められた契約者が認識してようやく誰もが認識できる存在。
それを目の当たりにし、興奮を胸に仕舞いつつ答える。
「たった今力を手に入れたやつに全部任せるわけないだろ? 確実に対処できるのは誰と誰だ?」
「……オレンジっぽい髪の魔人と、女の魔人かな」
「じゃあそれだけ任せる。あとの二人は俺がやる」
「大丈夫なのか?」
「さっきほどの余裕はなくなるだろうけどな」
撃退を勇者に任せ、俺は徹底した防御――時間稼ぎを行う。
直接伝えてはいないが伝わるだろうという予測の元、勝手に役割分担を行う。
「……」
勇者が立ち直り、更には新たな戦力を従えているのを認識し、魔人たちは集う。
何やらコソコソと話し合い、そしてこちらへと改めて視線を向ける。
「仕切り直しだ」
「願ったり叶ったりだな」
カスバードが代表して、俺たちへと告げる。
俺と精霊を従えた勇者を同時に相手にするのは流石に無理だと判断したのだろう。
この戦闘が始まる前から言っていたことを、ようやく実践する気になったらしい。
「……この無念、必ず晴らす」
「いいや、次も俺が――俺たちが勝つ」
俺の返事に、カスバードは何も言わずに背を向ける。
振り向いたその先、楕円形の薄い膜が展開されていた。
それは間違いなくライアンが作ったゲートで、魔人たちの背後に展開されたそれに、カスバードを先頭に入っていく。
カスバードの次だったナイルはやはり、こちらを物凄く恨めしげに睨みつけてきた。
師匠の弟子に負けたお前は実質師匠より下だな、と煽ってやろうかとも思ったが、それより優先すべきことがあるのでやめておく。
「ラディナ。次会った時は必ず、お前の間違いを証明してやる」
「――葵様」
ドミニクにエスコートされるような形でゲートを潜ろうとしたラディナへと宣言する。
返事を貰わないつもりだった宣言はしかしラディナの足を止め、振り向かせた。
何かを言おうと口を開き、一度止めて、瞳を閉じて、ゆっくりと呼吸をして。
開いた眼で俺の瞳を見てはっきりと告げる。
「私はアンナです。間違えないようにお願いします」
「――ああ、わかってる。じゃあな、ラディナ」
厭味っぽい笑みを浮かべて、厭味ったらしく返事する。
呆れたように、諦めたように頭を振って、ラディナはゲートを潜っていった。
その後ろ、最後にゲートを通ったライアンはこちらを恨めしげに睨みつけてきた。
ナイルのことを嫌っていたはずだが、そのナイルとほとんど変わらない反応だ。
嫌いなやつと同じ反応をしてしまう、漫画やらでよくあるあれを思い出し、少しだけおかしく感じた。
「どうした?」
「んや、何でもない。それより、今から行かなきゃいけない場所ができた。結愛のこと、任せるぞ」
「わかった。今度はちゃんと、俺たちで守る」
自信ありげに勇者は頷く。
過信ではない、純然たる事実が勇者の自信を押し上げている。
結愛を一時は死に瀕するところまで持っていった失態を忘れたわけではない。
自らの不甲斐なさを嘆き、その上で二度と同じ轍は踏まないと前を向いた結果こそが今。
故に、任せられる。
「ソウファ、俺に触れて。魔力、3割ほど貰うよ?」
「う、うんっ」
俺の言葉をソウファはよくわかっていない様子だったが、説明をしていないから当然だ。
ただ説明している間すら惜しい。
事後報告になってしまうが許してもらいたい。
そう考えて、師範の能力ーー“空間転移”を実行した。
* * * * * * * * * *
「どうして……! どうしてそんな選択をしたんだ!?」
「翔……その質問何度目だ?」
いつも穏やかで、誰もが血気立つような状況でさえ落ち着いて、それを収めてきたイケメ――二宮翔が、大声を張り上げる。
クラスメイトの中には、翔が誰かに向けて声を張り上げるのを初めて聞いた人も見受けられ、現状も相まってより一層困惑を深めた表情になっている。
「答えてくれ隼人! でなきゃ俺は……俺――!」
翔を激昂させる原因。
葵を除いたクラスメイトが、担任の龍之介を含めて揃っているこの状況で、混乱を招いている張本人である中村隼人は、まるで平時と変わらないかのような態度で翔と対面している。
「さっきから答えてるはずだぞ? 俺なりに考えた結果、魔人側につくのが最適解だと判断した、ってさ」
「それは何度も聞いた! その上でどうしてそんな結論になったのかって聞いているんだ!」
「それは言えない。と言うか、言ったところで理解もされないしな」
歩み寄ろうとする翔を、隼人は遠ざける。
翔からすれば暖簾に腕押しのような状況なはずだが、当の本人である翔は隼人の間違いを正そうと必死だ。
「そもそもさ、この状況で俺を大事に思う必要あるか? お前を殺す気で剣を振るった奴で、もっと言うならクラスメイトを洗脳したんだぜ?」
「――ッ!」
隼人の後ろで姿勢を正して主人の行いを見守る側付き――ノラ・パーカーの恩寵によって意識と自由を奪われたクラスメイトへ視線を向ける。
ボーッとここではない虚空を見据え、脱力した状態で立ち竦む彼らは、操られていない操り人形のそれだ。
それを為した隼人に激怒し一度は剣を交え、僅かばかりの時間が経って少しは冷静になれた翔に、再び怒りの火が灯る。
―
「――わかってる。でも隼人がわけもなくそんなことをするとは思えない。だからこうして、話し合いの機会を設けているんだ」
「……」
灯った怒りの炎は、己の意思で鎮火する。
歯を食いしばり、翔のために誂えた国宝級の直剣を握っている右手を強く握って、耐えるように言葉を紡ぐ。
クラスメイトとして、友人としての交友はそれなりにあった。
あまり良くない噂を少なからず聞く隼人だが、実際はそんなことはないと言うことも知っている。
女遊びが酷いと言う噂は、派手そうな外見と男女問わず仲良さげに話せる当人の気質を勘違いされたものだったり。
親が資産家ゆえに賄賂で入学をしただとか、あるいはテストの点数を買収してるだとか、そう言った話はほとんどが妄想の類だ。
隼人は真面目で、誠実で、ちょっとおちゃらけたところも愛嬌としていられるくらいのいい奴だ。
それを信じている翔は、故に対話を諦めない。
「……翔、現実を見ろよ」
信じ続ける翔に、隼人は現実を突きつける。
恩寵である領域内の完全制御の応用ーー転移で日菜子の背後に跳び、手に持つ弥刀を首筋へと添える。
「日菜子ッ!」
「お前が甘ちゃんで、いつまで経っても煮え切らないから、お前の大切な奴がこんな目に遭うんだ。わかるか?」
「日菜ッ――!」
言葉で伝わらないのなら実際にそうであると見せつけるのが早いと言わんばかりに、対話を望む相手の大切な人を人質に取ってみせた。
言葉通り、既にお前達の味方ではないのだと告げる隼人に、翔はこれまで以上の激昂を見せる。
「そうだ。俺はもう敵だ。お前の大切を奪う敵だ。理解したか? したよな? じゃあもうやるべきことはわかってるよな?」
「……」
ジリジリと距離を離れ、翔の間合いから外れる隼人。
日菜子の抵抗は、召喚者の中で近接最強の隼人には全くと言っていいほど通用していない。
体が密接するこの距離では、自爆するため魔術も放てない。
日菜子は何もできず、隼人と対面している翔は、隼人を追うことも、止めることもできない。
否、正確には止められる。
が、その手段は隼人の言ったように戦うことだけ。
隼人と対話での和解など、もうできないとこうして目の前で知らしめられている。
「……できない」
「は?」
「俺は……俺は、隼人と戦うだなんて、できない……!」
その場の誰もが予想していなかった返事に、隼人ですら唖然とした。
幼馴染。
仲が悪いなんて噂はなく、高校生にもなって彼氏彼女ですらないのに一緒に登校するような間柄の相手。
それを人質に取られ、取り戻すための一手を残されておきながら、二宮翔はそれを拒んだ。
「……そうか。じゃあいいや。日菜ちゃんを殺して――いや洗脳するか。まぁとにかく、お前とはさよならだ、翔」
「やめてくれ! 俺が代わりになる! だから日菜にだけは手を出さないでくれ!」
「断る。もうお前に納得してもらうのも面倒だ。手っ取り早く敵として認識してもらう」
未だ翔が煮え切らない態度を取れているのは、明確に敵対する行動を取っていないから。
クラスメイトを洗脳はしても、まだ操り人形として扱ったわけじゃない。
その甘さが、翔の悠長な態度を許してしまった原因だと判断し、その容赦を一切合切かなぐり捨てる。
「日菜ちゃんの次は、お前以外のクラスメイト全員を洗脳する。次の大戦で自分の仲間と対峙してから、後悔して自分の甘さに気づきな」
アドバイスのように聞こえるそれは、隼人の目によって否定される。
ゴミを見るような、光を宿さない冷徹な瞳。
少なくとも友人にアドバイスする時の目ではない。
「ノラ、頼む」
「や、止めてくれ!」
洗脳を行えるノラへと頼む隼人に、翔は縋るように懇願する。
しかし翔の言葉をサラサラ聞くつもりのない隼人は、迫ってくる翔を恩寵で固定し妨害する。
「そこで見てろ」
「や、止め――」
恩寵の効果で隼人の元にも、ノラに受け渡された日菜子の元にも向かうことができず、ただ眼前で行われる幼馴染の洗脳を見せつけられるだけしかできなくなった。
手を伸ばしても届かない距離。
ノラが抵抗する日菜子の頭に手を翳して眠らせる。
洗脳の前に抵抗されるのは面倒だと、少し前に行った見せしめのための召喚者の洗脳で学んだゆえの行動だ。
「日菜ッ!」
魔術で眠らされた人間は、大きな声程度では目覚めることはない。
ぐったりと項垂れ、ノラの腕で介抱される日菜子は、ただ眠ったまま洗脳を待つしかない。
次目覚めたときには自分の意志など関係なく、ノラの命令のまま動くだけの人形と化すだろう。
「始めます」
「早めに頼む。まだ沢山残ってるから」
「はい」
隼人の了解を得て、ノラは再び日菜子の頭に手を翳す。
洗脳開始の合図。
それを目の当たりにして尚、翔は隼人の恩寵で動くことが許されない。
「ッ――!」
項垂れ、歯を食いしばる。
自分の不甲斐なさも、覚悟の無さも痛感している。
クラスメイトと戦う覚悟を身に着けられなかった。
特別な一人と、友人多数を天秤に掛けられなかった。
書けられなかった結果、どちらも失う結末を迎える。
それを理解した上で、翔は動かせる頭で、この状況を打破して欲しいと願う。
ラティーフでもアヌベラでも、誰でもいい。
この状況を覆せる誰かに、クラスメイトを――日菜子を助けて欲しいと。
「――遅れてやってくるのはヒーローの定めとか言うけどさ」
突然、懐かしい声が聞こえた。
たったひと月程度聞いていないだけの声は、召喚者の中での存在感のせいで忘れることのない男のもの。
その男の存在を認識しようと、勢いよく顔をあげる。
「ッ――! なんで!」
「俺の師匠が転移を使えるの、お前も知ってるだろ?」
自信に満ちた笑み。
現状を全て理解しているような言い回し。
手に握るのは、ある時期から愛用しているらしい刀。
翔の救世主――綾乃葵は、堂々とした態度で隼人の前に立つ。
「――小野さんから手を放せ。それと、後ろのクラスメイトも解放しろ」
「……ハッ。聞いてやる道理はないな。それともお前は、自分のクラスメイトと殺し合いができるのか?」
「……はぁ。洗脳なんて面倒な真似するな」
面倒くさげに呟いて、愛刀の間合いの外で刀を振るう。
威嚇でも、あるいは攻撃のためでもない。
ただ振るっただけのそれは、現状に何も変化を齎さない。
「もう一度だけ言うぞ? 小野さんと後ろのクラスメイトを解放しろ」
「だから、聞いてやる道理は――」
傲慢な葵の言い回しに、隼人は恨めしそうな瞳と表情で断ろうとする。
しかしそれを、ノラが肩を叩くことで静止する。
「どうした?」
「洗脳が解けました」
「は? 何言って――」
「それから、宰相様からの言伝です。帝王含む十魔神二名と魔人一名が、召喚者綾乃葵に敗北しました。恐らく、無理かと」
何が無理なのかと、隼人は聞き返さない。
ノラは間違ったことを言わないし、隼人自身を騙そうとなんて考えない。
洗脳と言う、自分自身すら操っている可能性がある相手のことを、隼人は信じている。
故に、その言葉が嘘でも、間違いでもないと理解する。
「わかった。撤退する」
隼人の言葉に、ノラは恭しく頭を下げた。
そして懐から一枚の紙きれを取り出す。
「おい綾乃」
ノラを抱き寄せながら、視線を葵へとやって隼人は告げる。
「次会った時は、必ずお前と決着をつける」
「じゃあ俺からも。お前ら十魔神は確実に俺らが相手する。覚悟はしなくていいぞ。結果は決まってる」
「……言っとけ」
吐き捨てるようにそう言って、隼人とノラの姿は掻き消えた。
隼人の恩寵の効果が終わり動けるようになった翔は、一目散に日菜子の元へ駆け寄る。
ノラの好意か、丁寧に床に横たえられた日菜子は、しっかりと眠っている。
ただ眠っているだけで、洗脳されていたクラスメイト達のように、操り人形のように動くことはない。
「状況、詳しく聞かせてもらうぞ」
日菜子を大切そうに抱える翔に、そして固まり一向に動く気配を見せないクラスメイト達に向けて、有無を言わさぬ圧力で問いかけた。