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エピソード7 受験と病気


 家の、というよりは母の方針で私達兄弟は全員中学受験を行う予定だった

 それもまた当時随分と母と父で方針でもめたそうだが、それを知るのは随分成長してからのことだった


 子供に将来やりたいことが出来たとき、

「もう今更目指せない」という状態にならないようにいつであってもなんであっても子供が望む教育は全て与えるという考えだった母と


 子供には勉強よりも大切なものがある、中学高校を卒業したら早く働きに出して家にお金を入れるのが親孝行だという考えだった父


 どちらも自分がそう育てられたからこその意見だったせいか、最後まで相容れることはなかったけれど、

 唯一の幸いは父は私達子供に全く興味がなかったので、

 母が小学校から私立に入れると決めた際も金の無駄だという反対以外は父から出なかったそうだ


 そのため、私達の学費もなにも全て母が稼ぐ形で私立への進学を進めた

 母が稼ぐと言っても実家は商売をやっていた、一応は二人名義の会社だ、母が稼ぐも何もないだろうという話なのだが


 まあ、ようするに父は働かなかったのだ、驚くほどに

 朝自分が起きた時間に店を開き、休みたい日に休み、気分が乗らなければ何時であろうと店を閉める

 定休日なんて存在しない、そんな状態の店を、父が閉めている時間を全て母が変わって切り盛りしていたのだ


 さてそんなわけで一応は母の方針で私も当然のように中学受験をする予定で小学校3年生の頃より塾に通っていたが

 兄弟で唯一私は中学受験を行わず、通っていた小学校の付属の中学へと進学した


 これは当時驚くほどに家庭内で問題になり何度も何度も本当に良いのかと聴かれるほどだったが、

 それでも折れずに私が自分で内部進学を希望したのだ

 

 未だにたまに、あのとき家族の言うことを聞いていたらどんな人生だったのだろうかと考える

 考えるけれど、きっとまあ、私が私である限りどうせ同じようなものだろう


 内部進学を希望した理由の一つに、小学5年に上がる年、母が倒れたことがあった

 突然道端で倒れたという病院からの電話を取ったのは当時中学生だった兄で、



 その日は父はいつものように父の兄弟のところへ麻雀へと出掛けていて

 兄弟三人で家で留守番していたときのことだった


 当時携帯電話なんて持ち合わせておらず、まず一旦病院に行こうと向かった病院で私は、私達兄弟は

 管に繋がれた目を覚まさない母と対面した


 先にいっておくが母は今も存命なので、これが最期の別れだったわけではない

 そしてはっきりと伝えてしまえば、母の病名は糖尿病だった


 先日、とある芸人の血糖値が300を超えていると緊急入院して話題になったのをご存知だろうか

 当時の母の血糖値は、ゆうに600を超えていたのだ


 本来であればもっと早くに体に不調が出て気がつくはずだと言ったのを

 よほど本人が我慢強かったのか、と言ったのを

 医師が直接伝えたんだったかあとから伝え聞いたんだったか

 今はもう思い出せない


 未だに糖尿病というと不摂生な人間の自業自得な病と思われがちだが、当時は今よりももっとその印象が強かった

 実際はそうではなく、誰でもかかり得る病なのだと知っている人が、今、今日であったとしても、一体何人いるんだろうか


 私達兄弟三人は、泣きわめいて話の出来ない姉と唯一の男手として必死に医者の話を聞いていた兄とどうにかして父に連絡を撮ろうとする私で大人を待った

 叔母の家の電話番号を見つけ出し父に連絡が取れたのはそれから1時間ほど後で、父が病院にやってきたのはそれから2時間ほど経ってからで、到着して第一声は「なんだ糖尿病か、じゃあ死にはしないんすよね」だった


 本来、その日父がいた叔母の家から病院までは40分ほどでつくのだと知ったのは、もうずっとずっと大人になってからだった


 母は、それから3日間目を覚まさなかった

 その間父は一度も見舞いに行くことがなく

 4日目、目を覚ましたと連絡をもらった日、父はその日も父の兄弟のところへと麻雀に行っていた

 母はそれから半月ほど入院して様子を見ることになった


 私は、目を覚ました母が、お腹がすいたと言ったのを覚えている

 入院食を食べながら美味しくないと文句を言ったのを覚えている


 入院している間あまりにも退屈だと駄々をこねる母に病院が折れて1時間だけ外に散歩に出ていいと言って、

 パジャマ姿の母と喫茶店に入って、周りにジロジロと見られながらも紅茶を飲んだのを

 ケーキが食べたいと駄々をこねる母をなだめたのを、覚えている


 私のその母の入院を機に通っていた塾を一旦辞めてできる限り母のそばにいるようにと過ごしていた

 当時既に大学生でアルバイトをしていた姉と、勉強漬けで余裕のなかった兄に比べれば、小学生の私は暇をしていたから丁度よかったのだ


 それから1年経ち母の容態も安定した頃、母から再入塾の話が出た

 丁度6年生になるタイミングで、今からなら間に合うからと言われた話を、私は前述通り断ったのだ



 ここまで書いてしまうとまるで私が母の病気のために受験を辞めた献身的な子供のように取られて申し訳ないが

 本当は全くそんなことは関係なく


 まず第一に、1年間勉強していなかった遅れを取り戻せる気が全くしなかったこと

 そしてなにより、今思ってもそんな理由で、なのだけど当時の私としては一番の理由だったのが



 その少し前に同級生の友人と、同じ中学校に行こうねと約束したのだ

 学校帰り、私の通っていた小学校は我が家以外にも外部受験者が毎年多いため、

 自然とそろそろ受験も本格的になるね、と話題になったそんな世間話の時に


 バス停へと向かう歩道橋を登りながら言われた


 「私、このままここ上がるんだ、ごっちゃんも一緒に通おうよ」


 なんて、多分言った本人はもう全く覚えていないだろう、というか言った次の日には忘れたであろうくらい軽い言葉

 私はそれを、約束したからと最後まで家族に突っぱねて受験をしないという選択を取った


 上記の通り私は、あのとき受験をしないという選択を自分で取った、それは誰に強要された話ではなく

 むしろ周りは全員内部進学を反対している状態だったのを子供の約束のためだけに突っぱねた


 だから今となっても誰を恨んでもいないし誰のせいでもないと思っているけれど


 それでも今でもたまに、そうじゃなかったとしたらの今を、たまに考える


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