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エピソード5 姉と私





 前回兄の話を続くとしたが、やっぱり一旦置いておくことにしよう

 特に理由はない、ただでさえとっ散らかっている文章をこれ以上とっ散らかせないためだ


 順番で行くと次は姉について話すべきなのだろうが、姉についてはどこから話してどこまで話せば良いかがわからない


 まず前提として、私は姉が好きではない

 また姉も同様に私を好きではない

 だからきっと今回のエピソードはいつも以上に私の主観が入ってしまう


 姉は私を要領と外面の良い都合のいいところだけ持っていって全部を自分に押し付ける妹と思っており

 私は姉をどんな失敗をしても癇癪を起こしてヒステリーを起こして最後には仕方ないで許されて甘やかされてきた長女として見ている


 そういう関係なのだ、私と姉は


 子供の頃から、姉とはあまり上手く行っていなかった

 機能不全家庭らしく姉は父親派、私は母親派、で別れていたせいというのもあった


 というのも父はなぜか昔から姉にだけは優しかったのだ

 理由は知らないが第一子だから特別だったのか、たまたまか

 その優しさだって責任を伴わない、優しさというよりも甘やかしだった


 父が姉に与える甘やかしは箱に捨てられた犬に時々気が向いたときだけパンくずをやるような、そんな責任もなにもない気楽な、

 だからこそ姉にとって聞きたくない言葉を一言も使わない甘やかしだった

 姉は、未だにそれを優しさだと思って生きている


 もっとも私も、自身が母から「優しい虐待」を受けてきた自覚があるので、どこまで行ってもどっちもどっちなのだけど


 子供の頃、家の中から罵声が消えることがなかったのは、母と父の喧嘩だけではなく、母と姉の喧嘩でもそうだった

 成績のこと、態度のこと、将来のこと、母から何かを言われるたび姉は癇癪を起こして包丁を握りしめて死んでやると叫んでいたが、その包丁が首筋に当たるのは一度も見たことがなかった


 私から見ると姉が一番母に執着しているようにみえた

 母に認めて貰いたいと褒めてもらいたいと必死にすがりつく子供のまま姉は成長してしまって

 そういった意味ではきっと姉もこの家庭の被害者なのだ


 だからといって好きになることはできないけれど


 私と姉は表向きで喧嘩をすることは少なかったが、少なかったのが悪かったのだろう

 血は水よりも濃い、と前々回のエピソードで語ったが、どんなに濃い液体も濁って腐ってしまえば飲めやしない


 わかりやすく姉を表現するエピソードを告げるなら子供の頃からの姉の口癖がある


「洗濯機、回しておいたから干すだけやって」


 毎回言われるたびに私はなんとなく理不尽な気持ちになった

 姉の洗濯機を回す、はカゴの中身をそのまま分けずに洗濯機に放り込んでスイッチを押すことだったし、干すだけ、という言い方もいつも気になった


 姉は、いつもそういう言い方を使う人だった

 そういう人だったから、私はあまり姉と行動をともにするのを嫌がった

 単純に相性が悪かったのが、私と姉は


 ただ残念ながら血が繋がっていた、という、それだけの話だ


 上記のように私は姉が嫌いだし、姉も私を嫌いだ

 大事な話し合いの時にいつも自分は関係ないと逃げ出すところが嫌いで

 自分に都合が悪いことが起きると癇癪を起こすところが嫌いで

 私は姉が嫌いで

 そして姉も私を大嫌いで



 昔、姉と二人で大阪に旅行に行ったことがある

 確かその時私は小学生か中学生か、そのくらいで、始めていく大阪だった


 姉と二人で、確かどこかのデパートで期間限定でやっていたチーズ展のようなものに行った

 今思えばそんなもの横浜でもいくらでも食べられるのに

 わざわざ大阪まで行って私と姉はそのチーズ展の催事カフェで山羊のチーズとヤギのミルクを飲んだ


 今食べたらどうだかわからないけれど、

 当時は初めて飲んだヤギのミルクも初めて食べたヤギのチーズも臭いとしか思えなくて、美味しいと思えなくて

 食べられない、いらない、食べてと言ったのだ

 姉は笑って私の分のチーズとミルクを平らげて


 最終日にはお土産に当時は横浜ではまだ珍しかったタレが中に入っているみたらし団子と大阪でしか買えないチーズスフレケーキを本当に馬鹿かと思うほどに何個も買った、確か両手でも足りないほどの数買った


 私は、それ以来ヤギのミルクは飲んでいない

 大阪でしか買えないチーズスフレケーキはたまに通販で買っている



 姉は、30歳を過ぎた年、実家の家財道具一式を盗んで家を出ていった

 たった一本のメールで、当然引越し先も告げず、

 なぜそれが可能だったかといえばまた別の機会に書くが、

 その時期父から母を逃がすため別に家を借りていたので実家には基本的に姉だけが住んでいたのだ 


 事前の相談も話し合いもなく家を出ていった姉は、私達家族をずっと毒家族だと言っていた

 姉は、いつも自分は搾取されて利用されていると言っていた

 社会人になった姉に母が多少はお金を入れるように言ったのが搾取だったのだ


 姉はよく遅刻をして、遅刻が酷すぎて仕事をクビになることが多々あった

 その度に今月は払えないと母に言っていて、母は仕方ないねとため息を付いていた



 姉は、一時期夜勤の仕事をしていた頃自分が眠れないからという理由で電話線を抜いてしまうことがあった

 それを直すと癇癪を起こして最後には電話を投げて壊してしまった事があった



 姉は、子供の頃から嫌なことがあるとすぐに家出して家族総出で探すことがよくあった

 私はそんな度重なる姉の家出を見ていたからか、何があろうと終電で家に帰ってしまうように育った、というと人のせいにしているので良くないけれど



 そんな姉が本当に失踪して、洗濯機から冷蔵庫から、フライパンに至るまで盗めるものは全て盗んで出ていった



 姉が盗んだ家財道具の中に私の使用していた衣装ケースがあった

 当然中身の入っていた衣装ケースの中身が全て床に散らばっていて、ケースだけなくなっていて

 そこには私が特別な日に着るようにとしまっていたワンピースも転がっていた

 それは、以前に姉にも特別な日用なんだ、と見せたことのあったワンピースだった



 私は、姉が失踪する前日に姉に会っていた

 本当に偶然だった

 偶然実家に戻って、姉に会って、一緒に食事でも行こうかと誘われて、確かお寿司を食べた


 私は未だにあのとき私を食事に誘った姉の気持ちを考える

 私は、未だに誰かと大阪に行くたびチーズスフレケーキを美味しいからと薦めてしまう


 疾走した姉から次に連絡が来るのは、3年程経ってからで、要件は金を貸してくれだった


 私は、姉が嫌いだ

 姉も、私を嫌いだ


 私達姉妹はそうやって育って、そんな関係になったのだ

 きっと別の道も正解もない


 だからこそ、今回のエピソードは私の主観ばかりになってしまったんだ

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