エピソード1 幼稚園
エピソード1 幼稚園
おそらく私の中で一番古い記憶は幼稚園のときに4人乗りのブランコ、というんだろうか
二人ずつ座れる椅子が向かい合わせに箱型になっていて4人座ることができて揺れる遊具、そういえばゴンドラとも呼んでいたような気がする
それに、今となっては一体誰だったかすら思い出せないけれど当時仲が良かった女の子、仮にAちゃんとしておこう
そのAちゃんと二人で乗っていた記憶だ
そのAちゃんはひどく可愛らしくて、そして今思えばひどく束縛家だった
例えば私が他の女の子と話そうとするととても怒るのだ、ごっちゃんの友人は私だけでしょといって
なんというか、今もなのだけど今以上に流されやすかった私は、あっそうなんだとそれを受け入れて怒られるたびに毎回ごめんねと謝っていた
そんなAちゃんは、なにかあるたびに私と二人きりでそのブランコに乗るのが大好きだった
おしゃまな子だったかか、二人きりの世界なのが嬉しいと言っていたし、そういうとき大抵私はブランコの揺れに酔っていた
昔から乗り物酔いが酷いタイプだったのだ
そんないつでも一緒にいたAちゃんとも小学校に入るときに離れ離れになってしまって、小学校に入ってから連絡をとりあうようなこともなく、今卒園アルバムを見返してもどの子がAちゃんかすらわからない
これには驚いた
流石に写真を見れば思い出すだろうと思っていたのにどれだけ眺めてもどの子なのか全くわからなくて、結局一番最初のページにツーショットで写っていた子をAちゃんということにして自分を納得させた
もしもこの子がAちゃんでなかったら申し訳ないことこの上ないけれど、まあ今さらそんなことで怒られることもないだろう
今思い返しても、幼稚園の思い出というとそのくらいしか出てこない
さて、話が変わるけれど私は目が悪い
両目とも0.01以下だ
これだけ聞くと何だその程度という人もきっといるだろう
事実私の知人に両目とも0.0001以下という女性がいる
そこまでいくと世界がどう見えているのか逆に気になるもので、一度だけ裸眼でどのくらい見えるのと聞いてみたことがある
彼女は、「世界が綺麗に見える」と答えた
私はその答えが好きで、好きすぎてたまに真似して使ってしまう
とかく、私は目が悪く、また視力が弱い
視力が弱いというのがどういうものか皆様はご存知だろうか
弱視と勘違いされやすいが弱視と視力が弱いのは全く別物で、弱視はどう頑張っても視力が上がらないけれど、視力が弱いというのはメガネを掛けても視力が殆ど上がらないのだ
殆ど、つまり少しだけ上がる、そしてその上がり幅が体調にとても左右される
どれだけ強い度数のメガネを掛けても0.3以上に私の視力がなることはなく、当然ながらコンタクトも同じだ
ちなみに私の場合レーシックでも視力が上がらないらしい
(最もレーシックなんてもしも可能だとしても怖くて出来たものではないけれど)
この視力が弱い原因
これが幼稚園の時まで遡るらしい
私の幼稚園にはとてもわかりやすいいじめっ子がいたらしい
その子は誰か一人を対象にするというよりは、全員をまんべんなくいじめるある意味では公平な子だったらしい
その中でも特に被害が酷かったのが私で、上履きを隠されたりスモックを池に落とされたり突き飛ばされたりと他の子よりも酷いいじめを受けていたらしい
そうして過ごしていたある日、私は母に目がよく見えないと告げたらしく、母が近所の眼科へ連れて行くとそのまま市大病院を紹介されたんだそうだ
そこで受けた診断が、心因性盲目、だかなんだか正式な病名は知らないけれどとにかくストレスで目が見えなくなる病気ということだったらしい
そのため一時期、私は完全に盲目状態で生活し、改善してからも後遺症として視力が出ないことや、体調によって視力が大きく変わるなどの症状が残っている
ところで、先程かららしい、だったそうだ、と書いているが、なぜかといえば簡単
私には全くその記憶がないのだ
幼稚園の記憶というと本当にAちゃんとのったブランコの記憶のみで、その他の記憶がなく、いじめっ子が誰だったのかすら卒園アルバムを見ても思い出せない
(ここでいじめっ子だけ思い出したらAちゃんに悪いから思い出せなくてよかったのかもしれない)
極度のストレスによる記憶障害だろう、と言われたことがあるが普通に生きていたって幼稚園の時の記憶なんて覚えていないものじゃないだろうか
さてそんな私の一番はじめの記憶はブランコから始まったわけだけれど
まるで暗喩かのように、私の人生はブランコのように揺れて揺れて地に足がつかず今日まで生きてきた
あるいは家に帰ってこない父親
あるいは父方も母方も両方の親族から嫌われている関係
あるいは持病によって休みがちの学校生活
あるいは、突然倒れて緊急入院した母
あるいは教師に受けたいじめからの不登校
あるいは何も言わずに家を飛び出した姉
あるいは、そうしてホームで電車を眺める私
そんなありふれたどこにでもあるちょっとした日常の思い出を少しずつ綴っていければと思う