エピソード0 最終話
エピソード0 最終話
20代後半実家暮らし
父親はいない
母親は足腰を悪くしているから介護状態
とはいえ本格的な介護ではなく、近場、例えば近所のコンビニやスーパーなら一人でも出掛けられる
ただ電車に乗る距離になると付き添いがいないと出掛けられない
だから電車に乗る距離の外出にはいつもついて行く
多分本格的な介護をしている人からすればその程度って位のもの
その程度の軽い介助
自分も心臓に持病があるから一人暮らしして発作が起きるのが怖くて、持ちつ持たれつ暮らしてる
幸い仕事も在宅の仕事だから丁度良いんだと思う
兄弟は、私と違って仕事が忙しくて世界中飛び回ってる
会う度いつも私にばかり任せてごめんと言ってくれる
手伝えない分、と必要な費用は持ってくれている
母親にもいつも面倒見てくれてるからと家賃すら請求されて事がない
きっと私は人より恵まれてると思う
甘えている自覚がある
以前、ちょっとした飲み会に出たときにその歳で実家暮らしは甘えだと言われたことがあった
というかそう言われることは何度かあった
言ってくるのはそれぞれ別の人だけど、共通するのはみんな夢や目標を持っていて自信と行動力に満ちあふれていた
「独り立ちした姿を見せるのがご両親への一番の親孝行だよ」「一人暮らししてこそ一人前だよ」と必ず言われた
私は全くその通りだと思ったし、「なかなかタイミングがね」なんて適当な言葉で場を濁した
「タイミングなんて今動かなかったら一生来ないよ」と言われたのも覚えている
その通りだなと思いながら、うまい返事が思いつかなくて結局適当に話題を変えた
少なくとも、そのとき話した相手と私は、自分や親の病気を明け透けに話すほどの関係ではなかった
今日予定があって一人で出掛けた
予定が終わったのがお昼の一時
そこから夕方六時、親から心配のメールが来るまでずっと駅のホームで電車が通り過ぎるのを眺め続けてた
飛び込みたかったわけではないし死にたくもない
ただ電車に乗って、乗ると家に帰り着くんだと思ったら足が動かなかった
ぼんやりと何本も何本も通り過ぎるのをただずっと座って眺めてた
今日は寒かったからマフラーしてきて良かったなあとか、手袋もしてきた方がよかったかなあとか、そんな事しか考えてなかった
辛いとか苦しいとかもう嫌だとかも全く頭に浮かばなかった
甘えてるんだと思う
苦しいふりをしていれば慰めて貰えることを知ってるから努力から逃げてるんだと思う
世の中にはもっと大変な人ももっと頑張ってる人も沢山いて、私は周りも理解があって随分恵まれてる自覚がある
それでも電車のドアが開いて閉じるまで、何回も何回も足は動かなかったし
それでも、母親からの「大丈夫?もしかして発作起きちゃったの?」のメールに大丈夫だよって返して、結局そのまま次の次の電車に乗って、家に帰って、母親にはウィンドウショッピングしてたら時間が経ってたと言った
今自室でこんな起承転結もなにもない意味もない文章を書いている
きっと、私は自分が甘えてる自覚があると書きつつ苦しいと思ってしまっていて、苦しいとか思ってしまっている事自体が甘えていて、その甘えを誰かに叱って欲しいし、だけど誰かに慰めても欲しいと思っている
甘えている
これから寒さが酷くなる
寒さが酷くなると母の足腰の痛みも酷くなる
痛みで歩けなくなる姿を見る度変わってあげられればいいのにといつも思う
自分でもなにが書きたいのか全く解らない文章になってしまった
次に用事で電車に乗ったときにすんなりと帰りの電車に乗り込めるのかは解らない
だけど何時間ホームで電車を眺めたとしても、最後にはきっと今日みたいに家に帰るんだってことは、私は自覚しているし、きっとそれが正解なんだと思う