第三話 「魔都の狐、魔窟の狼」 前編
無駄に長くて、細かいです。休憩を挟んで読んで下さい。
1
南のトローン山脈、北のカスタモ山脈の間に広がる、トゥーズ高原。
中央にデルディール湖の水面が輝き、それを背にして王都ウィグリムは在る。学園都市ミーミルや“華やかなるスタンブレ”など名だたる都市が点在するドランチスカの中心地ではあるが、慎ましさを旨とした造りの街で人気が少なく、だが荘厳な雰囲気を纏っていた。
国王ラオニーやユキア内親王らが住み暮らす王宮はデルディールの湖上に建っている。豪華絢爛というわけではないが、質素に過ぎるというわけでもなく、まして砦を意識したような堅牢の城でもない。それでも、ドランチスカを訪れる旅人たちは湖上の城を眺めるたびに感嘆の溜め息を残していく。
白を基調とした王宮は、足元のデルディールが放つ光の乱反射によって、えもいわれぬ光彩に染め上げられた。高名な彫刻師や、名高い絵師が創る壁画などが勝ろうはずもない、自然の織り成す技が生かされていたのだ。当然、その日の天気次第という制限はあるものの、湖上に建つ城はそれだけで輝いて見えた。
王宮の建設を手掛けた者の名は知られていないが、
「人の手によるものは、自然を織り込んで初めて美しくなる」
との言葉だけは残っている。
名もなき偉大な古人の言に従い、ウィグリムは原初の景観をなるべく害さぬようにと発展を続けていた。城下街の住人たちはもとより、王族や貴族とて例外ではなく、隠遁するための離宮造りも自然に配慮して行われている。
余談ではあるが、ウィグリムは荘厳であるというよりも、遺物めいた静けさだと揶揄する者もいるらしい。
国王ラオニーやユキア姫の祖母である昔日の女王スズカも、いまはデルディール湖のほとりに建つ平屋の離宮で余生を過ごしていた。
「御前に失礼致します、スズカ様」
「……シナ? 珍しいですね、あなたがここに顔を出すなんて」
揺り椅子に腰掛けてデルディールの湖面を眺めていたスズカは、少しだけ驚きの表情をつくり、続いて穏やかに目を細めた。
若かりし頃は“ドランチスカの鳥獣王”と呼ばれるほどに血気盛んな姫君であったが、女王に君臨して以来、その烈しさはなりを潜められている。為政者としての意識がそうさせたのだろう、現在は柔和な貴婦人の体であった。
シナは、ユウヒなどには見せぬ紳士の風を装って彼女の前に立っている。その身に鎧を纏わず、絹の礼服に包まれているのも理由であるのかもしれない。
「本当に久しぶり……、今までなにをしていたのです?」
「老骨のすることなど、たかが知れましょう。若い者を諭し、ときに惑わせ、そして右往左往する姿を眺めて意地悪く笑っております」
膝もつかずに、口の端に微かな笑みをのせて、シナ。
「無礼」との声もなく、スズカもただ微笑みを表情に刻ませた。
「相変わらずですね。……それでも、それがうらやましい、気もします」
「ならば余計な老婆心を起こせばよいだけの話。……や、これは出過ぎた物言いでございました」
飄々とする白髪の老兵に、少しだけ羨望を滲ませたスズカ。続けてシナは口を憚ることなく雑言を吐く。
やや白髪の混じった頭髪の老婦人はにわかに表情を変え、少女であった頃のようにいじけて見せた。
「そんなこと、思っていないくせに」
―――五十余年前。まだ“グリフォン”であった頃の彼女は、同じ年頃の側仕えであったシナ少年に甘えていた。甘えるとは、猫撫で声を出して寄り添うような、そんなものではない。
ことあるごとにシナに叱咤の雷を落とし、あるいは拳をも落とした。ときに好奇心という名の暴風に巻き込み、あるいは回し蹴りにも巻き込んだ。それが許される相手がいる、だからやる。それもまた甘えと言えよう。
その頃の心的外傷が蘇ってきたのか、毒舌であるはずの老人は身構える。
「や、その、あー……。そう、スズカ様に目通りしましたのは、ご令孫の方々に関することでございます」
ユウヒがいまの彼を見たならば、思わず目を丸くしてしまうだろう。どんな貴人が相手だろうと鈍ることがないシナの毒舌が、振るわれることも含まれることもなく、ひたすら弁明めいた口調で話すのだから。五十余年前の古傷はよほど深いらしい。
「あの二人がなにか? ラオニーはともかく、……ユキアは私に勝らぬとも劣らぬ働きでしょう? それとも外交官として居丈高だというのですか?」
穏やかに、しかしどこか意地悪く笑んでいたスズカは、令孫―――ラオニーやユキアのことを仄めかされて表情を改めた。言い回しこそ詰問のようであるが、口調は至って優しげである。
その言葉を聞いたシナは、思わず呆気にとられ、そして笑わずにはいられなかった。とくに最後の言葉―――「居丈高な」幼い姫君の姿が易々と思い出すことができたからだ。ともない、その姿は“ドランチスカの鳥獣王”の少女の姿が重なった。
彼女は言っている、「わたしに勝らぬとも劣らぬ」と。
「くくく……、……あいや、失礼しました。たしかに、どこぞの姫君よりか、あのお二方は御しやすい為政者でありますな」
「……さすがに怒りますよ?」
もはや不敬罪の話ではないほどに無礼な発言をしたシナ―――心的外傷は簡単に引っ込んだらしく―――へ、気分を害した様子のスズカは刺々しい視線を投げやる。
高貴な身分ゆえの怒りではないことを知っている老兵は、型通りに、しかし誠意があるのか分からない謝罪をして難を逃れた。
「重ね重ね失礼致しました。で、本題ですが……」
いつもの調子を取り戻したらしく、シナは先刻のスズカのように表情を改める。全体的には笑っているが、目には真剣味を漂わせた。
やはり怒りは演技であったらしいスズカ、粛然とした面持ちへと変えて居住いを正す。
「伺いましょう? 戦友シナ。願わくは、かくあらまほしきことを」
「さて……」
相談事に、望ましいもなにもないだろうに。そうシナは言いたかったが、言いたくなる彼女の気持ちも理解できた。ある程度、孫たちの動向は耳にしているのだろう。
国王ラオニーは微行をくり返し、国政を放り出している。公妹ユキアは「政治に参与して兄を支える」と公言したものの、実際は権力を専らにしている状態である。
この二つの話は、市井や一部の官吏の間から聞こえてきたものであった。なにやら不穏な響きが含まれているものの、そのような愚鈍な、そして支配欲に塗れる孫ではないことをスズカは知っている。鼻先で笑い飛ばせるよたでしかなかった。
……だが、年老いた“グリフォン”は、妙な胸騒ぎを抑えられないでいる。二人の年若い孫たちはなにを成そうとしているのか、そこまでは知り得なかったのだ。
……少々、危なっかしいあんよであります。
単刀直入にそう言おうとしたシナだったが、さすがに憚れて、ただ胸中で呟くに止まった。
さてどう切り出したものか。シナは、皮肉しか浮かばない頭を捻り始めるのだった。
2
まだ日は高いが、学園は課後活動の時間帯になっていた。季節は春、進級や卒業が危ぶまれている者たち以外は、授業も少ない。
校庭には多くの学徒たちが思い思いの場所に集まり、楽しげに大声を上げながら会話に花を咲かせ、あるいは商人のように密談めいて話し込む姿があった。水路にかかる小橋に腰を降ろして流れる水面と戯れる者や、低木の向こうの風致林に癒しを求めて寝転がる者、それぞれの憩いを学徒たちは楽しんでいた。
水の精霊像の前に、憩う学徒たちとは雰囲気の違う三人がいる。一人はぼんやりと教室の棟を眺める赤毛の少年、一人はその少年を憮然とした表情で見つめる藍色の少女。もう一人は、その二人に挟まれて居心地が悪そうにしている少女のような少年。
「あー……、スメラとなんの話もできなかったなぁ」
「ツブラ・ファンのお叱りは短いんだから、すぐに来るわよ」
「その分、並の人なら三日は立ち直れないくらい辛辣に叱りますけどね、学園長は」
「スメラ先輩は、“並みの人”じゃないと思うけど」
藍色の少女―――レイネは、銀髪の青年の笑顔を思い出してぽつりと呟いた。
少年のような少女・ミオとは違った意味で、中性的な顔つきのスメラは多くの異性に好意を持たれていた。レイネは「多くの異性」に含まれない性格のようで、スメラに対してこれといった特別な感情は湧かない。というよりも、目の前でぼんやりしている少年一人で精一杯である。
彼女は、だがスメラにまったく好意がないわけではなく、同じ学び舎の人間としての友愛はある。ミオと同じく、魔法機器の開発に取り組む姿は、正直つたなさがありつつも実直さがあった。
その真面目さをレイネは評価するが、それ以外は評価できなかった。悪い意味をもってしての「できない」ではない。
捉えどころがない、その一言に尽きた。飄々とした性格はともかく、話し方、表情、仕草、すべてがまがい物に見えて、ときおり友愛さえ忌避したくなった。生真面目であると周囲から言われているレイネは、自分の堅苦しさがスメラを得体の知れない人間だと思わせているのかもしれない、と、やはり生真面目に考えていたのだが―――。
「……ユウヒ。スメラ先輩は、どうしてユウヒに退学を勧めたのか、分かってる?」
「うん? そりゃあ……、ミーミル旗下は、俺が戦える環境じゃない。ってことを言いたかったんだろ? と思うんだけど」
レイネが妙に不機嫌になっていることを察した赤髪の少年―――ユウヒは、言葉を吟味するように選びつつ答える。彼が曰く、師匠であるらしいレイネは、じっと見つめるだけでなんの反応もなく、ユウヒを挙動不審にさせた。返答がないことに、ひどく不安を感じているようである。
彼の言葉が正解か否かを知るのは、他でもないスメラであり、レイネは返答の言葉を持たない。それは分かっていることだが、あえて尋ねておきたかった。彼女が確かめたかったのは、ユウヒの意志であった。
しかし確かめるまでもないことは、中庭でのユウヒの発言を聞けば分かる。
『戦るんだな、キーツシリクと』
戦慄して、次いで生まれた感情にレイネは気付いていなかった。その後、“魔獣”と“狐狼”へ向けられたツブラ・ファンの言葉に期待感が満ちていったことだけは覚えている。
だがそれも、ユウヒの「“魔獣”に戻る」との一言にひどくまごついてしまった。
……なぜ、簡単に退学することを決意できるのか。これまで勉学に励んできた学び舎を捨て、決して深いとは言えないまでも、勉学その他諸々の付き合いがある自分たちを捨ててまで。
戦うことがそんなに重要なのか。もともと戦闘要員としてユウヒはトローン山脈から降りてきたことは知っている、だが、それ以上に大切なものは見つからなかったのか……。
「結局、スメラ先輩の言いなりってこと……?」
「ん? なんて言ったんだ?」
小さな呟きはだれに聞かせるものでもなく、ゆえに聞き返されてもレイネは答えなかった。
確かめたかったユウヒの意志とは、戦うことそのものではなく、彼を支えようとする自分を顧みないのか、ということ。転ずれば、「自分がユウヒになにを望んでいるか」。漠然とした思いが、いざ言葉になるとレイネは自身に嫌気が差してきた。
だが……。
「スメラ先輩は、ユウヒになにをさせたいの?」
「なにって……、腕のいい兵士になれるからって誘われたんだから……」
そうではない。気付かせたいなら、質問で導くのではなく、初めから答えを示せばいい。
そう思い至ったものの、さしも“黒猫”を称されたレイネも少女、感情を優先させることに恐怖があった。
ミオの存在を半ば忘れ、ユウヒの赤褐色の瞳を見つめながら、レイネは高鳴る鼓動を抑えようと静かに恐怖と戦っていた。
「ああ、みんな。やっぱりここだったか」
レイネにのみ折も悪く、スメラはのうのうと姿を現した。
彼を今ひとつ信用できない理由の一つが、「間の悪さ」から来ていることにも気が付いたレイネ。ただでさえ冷たい印象の黒い双眸が、完全な三白眼となって銀髪の青年を射抜いた。
「……ユウヒ、お前、なにかやらかしたのか?」
「お、俺のせいじゃない……と思う」
「……二人のせいだと思いますけど」
正確にとは言えないまでも、レイネの心情を汲み取っているのはミオだけの様子であった。彼の声は小さくユウヒとスメラには届かなかったが、静かに睨んでいたレイネには拾えたようで少し驚いた顔がミオに向けられる。
「ツブラ・ファンではないですけど、本当にレイネさんは変貌しますね」
自分は才媛などと呼ばれているが、実はからかわれて名付けられたのではないか。そんなことを考えて、レイネは赤くなった顔を背けた。まさかミオにまで見抜かれるとは思わなかったらしい。
「……スメラ先輩は、ユウヒを大舞台に上げようとしているだけです。目論みは多々あるでしょうけど、一番の理由は、優秀な人材を放っては置けないから、でしょうね」
ミオの声は控えめで、やや聞き取りにくい。引っ込み思案な彼には珍しくないことだが、このとき、レイネは妙な引っ掛かりを覚えた。
その言葉は、まるでスメラの意を得ているようなものだったからだ。いつもスメラとミオは一緒に行動しており、彼らの間には他の者が立ちいれぬものが築かれているのだと予想はつく。
だが、それにしても。赤味の引いた顔を再び向けたレイネは、漆黒の大きな瞳を見つめた。
「その優秀なユウヒが、レイネさんを泣かせるようなことはしないと、僕は思いますよ?」
そちらに水を向けられて、またレイネは初々しい果実色へと変化してしまうのであった。
3
「あれ? また殿っがぅ!?」
「いい加減にしなさい!」
何度目になるのだろうか、ユウヒの無礼な言葉にレイネはついに手を出した。強かに後頭部を殴りつけた彼女は、痛がるユウヒの頭を押さえつける。
度重なる“魔獣”と“黒猫”のやりとりに、やはりユキア姫は表面上に変化を表さなかった。先刻、ツブラ・ファンの執務室では無表情であったが、いまは微笑を浮かべて眺めている。
「構いません、“ミーミルの黒猫”レイネ。“トローンの魔獣”ユウヒほどに、とは言いませんが、楽にしてください。私がここに在るのは、微行に近いものがありますし……」
そう言った後、内親王殿下は首を巡らせて室内を見回した。
乱雑に積み上げられた書籍の山、散らばる実験器具やその材料。煤けた壁に、くもの巣が張った天井。唯一、ユキアの座る長椅子だけは新調されたばかりのように清潔感がある。
「……俺の寝床なのに」
スメラが聞こえよがしに呟いたが、王女には届かなかったらしく、彼女は物珍しげに、そして辟易したように部屋中を眺めやっている。ツブラ・ファンの執務室も、正直なところ整理整頓されていたとは言い難かった。
この部屋は、教室棟の真ん中の棟、“課後活動”で使用される施設である。利用者のほとんどが魔法学科の学徒で、どの部屋も似たような有様だが、この場所はまだましだとスメラやミオ、レイネでさえも言っている。
「“アンタリエの銀鯨”ミオの部屋といっても、やはり魔法使いの部屋ですね。これなら、レイネの部屋の方が良かったかもしれません」
「あたし……、わたしは課後活動用の部屋は持っておりません、あしからず」
丁寧に返したレイネの後ろで、ユウヒがミオに驚いた顔を見せていた。
「ミオも通り名を持ってたのか?」
「勝手に付けられたんだ、父上にね。その方が見栄えが良いとかなんとか言われて。名前負けしてるって言ったんだけど、聞いてもらえなかった」
トローン山脈以南にある、広大な港の都アンタリエ。海上交易の要所、「白帆の森」の別名を持つ商都である。
絶えず商船が停泊し、そして行き交い、その数は数百数千とも言われている。海面より高い地へと船を運ぶ閘門が幾つもあり、豪商、貴族の城へと直接に船舶が向かう姿も珍しくなかった。“華やかなるスタンブレ”にも劣らぬ繁華ぶりで、南の海カップラスを越えてきた多種多様な人々がいる。香辛料や金銀はスタンブレよりも多く集まり、どこよりも安価に手に入れることができるという。
広い敷地を持つミオの生家にも、例外なく閘門があり、一日に少なくとも五隻以上が出入りするという貴族顔負けの豪商であった。
そんな良家の子息ミオは、商いの能力―――「時を読む力」と言われるが、素人には理解し難い―――はまずまずだったが、その性格が災いしてミーミル学園へと押し込まれることになった。商人たちは神をも恐れぬが、魔法にはいたく忌嫌の念がある。ミオの父親の行動には、一丁前に度胸をつけて来い、そういう意味合いがあるらしい。
当初こそ、なにもできずにすくみあがっているだけの少年であったが、スメラに出会ってからはなんとか立ち直り、少しずつ魔法に関心を持ち始め、やがて魔法機器開発という分野を設立することになる。開発されたもので実用化に至ったものは、いまだ一例もないが。
しかし、新たな分野を拓いただけでもミーミル学園に名を残す、偉業を成し遂げた学徒として語り継がれることである。“アンタリエの銀鯨”の名に恥じぬ成果なのだが、いまひとつミオには自信がつかないようだった。
「自信を持ってもいいんだ、ミオ。“銀鯨”は白く波立つ海原の道を指し示している。船舶の航跡、道を創ったと言う意味だよ。ミオは“アンタリエの銀鯨”の名を誇るべきだ」
ユウヒを真ん中に、右側にいるスメラが口角を上げて頭を傾けた。どこか悪童めいた仕草と表情ではあるが、青年を見たミオは恥ずかしそうに、だが嬉しそうに頷く。
「レイネにしてもミオにしても、……既成事実? ってヤツがあって、通り名を名乗ってるんだな」
二人の間に立ち、スメラとミオの顔を交互に見ていたユウヒは、腕を組んで唸り始めた。
「俺は、どうなんだろうな、スメラ」
やや意表を突いた“魔獣”の質問に、銀髪の青年は驚いてすぐには言葉が出なかった。ミオも同じのようで、大きな瞳を何度も瞬かせている。
ユウヒの通り名は、いわば連綿と受け継がれてきた老舗の謳い文句のようなものである。彼自身、その名を誇るのになんの不足もないのだが、言われてみればユウヒがなにかを成し遂げたわけではない。
本来は狩人であり、“トローンの暴君”“赤い獣王”を仕留めた時点で“トローンの魔獣”を名乗れるが、あくまで内輪のことだった。
まして、ユウヒは幹部候補生である。
最盛期を迎えようとする国ドランチスカ王国に、尚武の国アヴェール帝国や、砂漠の国ビウロン王国、そして神聖キーツシリク帝国に響くような武人の名であるかと言われれば、疑問を抱かざるを得ない。
ミーミル学園内での素行、あるいは『草原の議場』でのゴブリンを一人で一掃した武勇。なにを持ち出して彼を納得させようかと、ミオは引っ込み思案ゆえの優しさで言葉を紡ごうとしている。もごもごと、やはり引っ込み思案ゆえに声が出ずに不発に終わっていたが。
隣に立つスメラは唖然とした顔を、ミオに見せた悪童のような笑みへと少しずつ変えていた。
「意表をついた」というのは、スメラに限った話では、「なにを言ってるんだ?」と言う意味になり、ミオとは違った反応で返されることになる。
「勇名、武名というものは、あるいは先立つものだったりする。能力の発展や実力の開花、そんなものは後からついてくることもあるんだ。……少し意味は違うけど、虎の威を借る狐ってね」
小声での会話は、よりユウヒの理解を妨げることになった。
よって、続けた彼の言葉は、
「狐から虎になりゃあいい、そういう事か?」
「ぶふっ……、……まぁ、そんな感じだ」
「間違ってはいないと思いますけど、正しくもないんじゃあ……?」
「……っんん!」
ユキアの存在を忘れていた男三人は、レイネの咳払いに半ば慌てて姿勢を正した。ミオは純粋に、ユウヒは師を怒らせないために。
“黒猫”に萎縮する二人は、ある意味で名前負けしているのかもしれない。
……スメラは、これといった変化もなく、悠然と前を向いている。彼の態度にレイネは首を傾げた。「飄々とした」というよりも、もはや傲岸不遜である。
「スメラ先輩……」
「ユウヒ、ミオ、そしてレイネ。唐突ではありますが、登城を命じます。ツブラ・ファンより許可は頂いてありますから、すぐにでも支度を整えてください」
先ほどとはうって変わったユキアの、淡々とした言葉が部屋に響いた。
スメラに苦言を放とうとしていたレイネは、そのことを忘れて呆けた顔になり、ぎこちなく公妹殿下を振り返る。
「……殿下、いま、なんと?」
「登城を命じます。ツブラ・ファンより許可は頂きました」
なぜ、許した? まずレイネの胸中に浮かんだ言葉はそれだった。
ツブラ・ファンはユウヒの派兵を認めないと、語気も荒く話していた。学園長の性質は頑固の一言に尽き、口にしたことを翻したことは一度もない。これと決めたら、どんな状況だろうと、だれが相手だろうと自らの意志を貫く人間だった。
それに、なぜ自分やミオまでが登城を命じられたのか……。
そこまで考えて、レイネはふと気付いた。
中庭でのツブラ・ファンの言葉、あれはだれに向けてのものだったのだろうか、と。
「スメラ先輩……」
再び呼びかけたレイネの声に、疑問ではなく確信めいたものが含まれつつあった。ツブラ・ファンへの言動、公妹殿下を前にしての態度。彼女の中で合点し始めている。
レイネがなにかに思い至った風なのは、端から見ていても明らかだった。見つめるユキアやミオに変化はない。
「一を聞いて、十を知る才媛。……見事な推察です」
「黙ってて、ごめん、レイネさん」
この二人の反応で、スメラと呼ばれる青年が何者なのかを、完全にレイネは把握した。把握したものの、あまりの荒唐無稽さに、呆気に取られて礼を尽くすことを忘れてしまっていた。
「あ? なに、なんだ?」
ただ一人、その場の雰囲気についていけない者がいる。
“魔獣”は、驚き固まる師匠を窺いながら、周囲の人間へと視線で訴えかけた。が、ユキアもミオも苦笑を見せるだけでなにも答えない。
あまりすることのない真摯な顔つきをゆるめたスメラは、捉えどころのない笑みを浮かべ、不思議そうにしているユウヒの肩を叩いて答えた。
「“ドランチスカの狐狼”ラオニーとは、俺のことさ、ユウヒ」
「スメラは“白痴の狐狼”だろ、通り名でも盗作はダメだと思うぞ。それに、国王陛下の通り名を盗むなんて」
……直接的に言っても理解しない“魔獣”が、スメラが何者であるかを知ったのは、丸一日が経過した後だという。
―――第三話「魔都の狐、魔窟の狼」後編に続く
世情とか人間関係とか、自分はこだわり過ぎるようです。でも、そろそろ開戦させたいと思います。
では。