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第二話 「黒猫たちの学び舎」 後編

長くて細かいです。休憩を挟んで読んで下さい。

  4



 ミーミル学園の大きな半円アーチ形の門をくぐり、初めに目にするのは広大な校庭である。

中央に巨大な水の精霊オンディーヌの石像が建ち、その周囲を水路が巡っており、時には噴水も上がる。石像を囲んでいた水路は学園内の至るところへと進んでいくが、往々に小橋こばしがかかり、歩き回るに不自由はない。

 水路と同様に学園中を走る道々、その路傍ろぼうには整えられた低木ていぼくが茂り、それを越えれば刈り揃えられた柔らかい芝生しばふが広がる。風致林ふうちりんなども多く植林されて、その木立の下で学徒たちは思い思いに憩いを楽しんでいることが多い。

 水の精霊オンディーヌの石像を過ぎて、まず見えてくるのは教室のむね。白塗りの壁に赤い屋根と、下界の家々と変わりはないが、その規模きぼは段違いであった。

 三階建て、そして奥行きがあった。正面の棟は教師たちの私室や教材保管庫があり、そこから右、左、中央と棟は奥へと伸びていく。向かって右が兵事学科の棟で、左は魔法学科の棟である。中央の棟は、兵事・魔法学科を問わず利用することのできる“課後活動”―――愛好会など、学園が公認した学徒主導活動の拠点となる部屋―――の棟。使用しているのは魔法学科の学徒がほとんどで、室内は魔法の研究により凄惨せいさんな状態だと言われている。

 三つの棟の間には、必然的に二つの中庭が造られた。魔法学科の中庭は、校庭に似た雰囲気があり、厳粛げんしゅくさを伴わせて閑雅かんがであった。対し、兵事学科は無骨に土をき出させて、周囲にさくを設けた、さながら決闘場のような造りである。

 この相反する中庭を見下ろすように、もはや壁と言っても過言ではないくらいに高い最奥の棟、ツブラ・ファンの執務室があった。

 かりそめの部屋の主、ユキア姫から停学処分の事情を聞いたユウヒは、表面的には変化もなく、延々と続く階段を下りていく。

 その少し先を行く藍色あいいろの少女は、なぜか赤髪の少年とは対照的だった。


「……レイネ、なんで怒ってるんだ?」

「キーツシリクの責任転嫁と、腰抜け・・・ドランチスカ。この二つ以外になにがあるの」

「こっ、腰……」


 レイネの辛辣しんらつな表現に、ユウヒは言葉を詰まらせた。辛辣と言うよりは無頼漢の言う決まり文句であろうか。なんにせよ、普段の彼女からは考えられないほどに激昂げっこうしているらしい。


「キーツシリクはともかく、えっと、自分の国をそんな風に……」

「だったらなおさら」


 一瞥いちべつすらくれず、レイネは階段を下りていった。

思わず足を止めていたユウヒは我に帰って、飛び降りるように階段を下りて“黒猫”に追いつく。レイネの小言を煙たく思っている彼だが、いまは別の理由で彼女の隣を歩くことができず、やや後ろを歩いた。なぜか知らないが、怒りの矛先がこちらに向きそうだと感じている。


「……ユウヒは、なんで怒らないの。当事者じゃない、悔しくないの?」

「いや、悔しいことは悔しいけど……」


 “魔獣”の予感は的中、黒曜石の輝きに似た瞳は冷たく輝いた。慎重に言葉を選んでいたユウヒは、立ち止まって振り返ったレイネに視線で射抜かれて絶句する。

 適当な言い逃れは許さない、そうレイネの表情が物語っていた。


「理解、できるんだ。いや、納得はできないぞ? でも、殿下のなされたことは正しい、そう思うんだ」


 ユウヒは“トローンの魔獣”と称されながらも、力を誇示せず、無駄な争いから身を遠ざける。野望もなく、ただ誠実に文武に精進する姿勢は、兵事学科のほとんどの学徒が見習うべき点であろう。また、ユキアの下した判断をりょうとした理性と知恵、そしていさぎよさ。臨機応変に兵士を動かす指揮官としての素質が備わっていることを示している。


「……甲斐性なし」


 だが、“黒猫”の瞳に感心したような色は出なかった。

 彼女も感づいている。ユウヒは武技に非凡な才を持ち、勉学にも多大な興味を持ち、いずれは大部隊を指揮するような一角ひとかどの人物になるであろうことは。


「か、甲斐……っ!? れ、レイネだって理解できることだろう? そんな……」

「もちろん理解はできる。でも納得しない。ユウヒ、納得できないって言ったけど本当に? わたしには、ただ間違えないようにしているだけに見えるわ」


 ふと、レイネのつり上がっていた眉が普段どおりに戻り、深緑の瞳に宿っていた冷たさも消えていった。かわりに、またやってしまった、という苦渋くじゅうに満ちた面持ちになる。「腰抜けドランチスカ」と言い放ったところを見れば瞭然りょうぜん、彼女は頭に血が昇ると言葉を選ばなくなるらしい。

 ユウヒの考えが賢明であることは、万人の目に明らかであろう。否定する理由など微塵みじんも無かったはずだった。それでも言わずにいられなかったのは、彼の逆境を心配するあまりの発言だったのかもしれない。

 一度落とした視線をおそるおそる上げてみると、赤髪の少年は困った顔であちらこちらを見回している。


 ……素直なのもここまで来ると、優柔不断よね。


 なにか考えているようだったが、決して言い返す言葉を選んでいるわけではない。レイネに言われたことを吟味しているのである。たどたどしくユキアに奏上したときに彼は言っている、レイネは我が師と。ゆえに、しおらしい・・・・・彼が言い返すことなどない。されたこともなかった。

 胸奥で毒づいてみたレイネだったが、しっかりと言葉を受け止めてくれたユウヒに嫌気は差さない。やはりこれも、特有の独占欲というものなのだろう。


「……言ったでしょ? 原点・・に聞いてみれば、って」


 一向に思考の迷路から抜け出ることのできないユウヒに、帰途に語っていた言葉を繰るレイネ。ユキア姫から一通りの事情は聞いた、それで進退きわまったとすれば、聞く必要のない呟きである。

 そうではないユウヒは我に帰って目を瞠り、「そうだったな」と苦笑へと続けた。


「じゃあ、スメラを探すか」




  5




「ご機嫌うるわしゅう、ツブラ・ファン」

「麗しゅうないわ、この白痴はくちの狼め」


 うやうやしく礼をほどこした銀髪の青年に、巴旦杏アーモンドのような目の、さながら猫の印象を抱かせる老婆が言い放った。手にした大きすぎる杖で石畳を小刻みにき、いささか焦燥感しょうそうかんが見える。

 苦虫をみ潰したような口調、そして言葉ではあるが、スメラにこたえた様子はない。


「事情は伺っておりませんが、まあ、だいたいのさっしはつきます」

「ならばどうするのだ。あの赤熊あかぐまの小僧、キーツシリクの大義名分になろうが」

「ふむ、一昔ひとむかしであれば、そうなり得たでしょうが」

「……違うと申すのか?」


 ひたいに指を当てて熟考じゅっこうするかのような姿勢だったスメラはやにわに顔を上げ、わずかに戸惑ったミーミル学園のおさツブラ・ファンに笑顔を向ける。声には出さないが、それは肯定こうていの意を表していた。

 ツブラ・ファンの背後にいる数人の人影に目をやったスメラ、老婆の背後には世話係の侍女や警護の兵がいる。

 意をんだ学園長は人払いを命じて周辺から人を遠ざけた。


「……ご心配なさらずとも、想い人は、剣ではなく花束を抱えて参上しましょう」

クソ・・がつくほどのババァに色恋なんぞありゃせんわ、狐狼ころうめが。……馬を呼んで蹴飛ばすぞ」

「や、これはしたり。愚昧ぐまいなる私めは、の“翡翠の竜騎士”殿との確執かくしつが深まることを恐れてかと……」


 すがるだけの杖かと思いきや、ツブラ・ファンは手首をかえしてややり減った先端をスメラの顎下あごしたに突きつける。老婆の目に尋常ではない光が宿り、銀髪の青年を射ぬかんとするほどにめつけていた。


「おぬしには大事なことを教え忘れていたようだ、白痴の狐狼よ。……過去を知らば、口を閉ざせ。未来を感ずれば、もくして進め。現在いまを覚らば、流れ流れよ。それが他人事ひとごとならば、なおさらな」

「白痴であればこそ、備えに抜かりがないだけですよ、ツブラ・ファン」


 杖を突きつけられてなお、スメラは顔色一つ変えずに応じた。

 ツブラ・ファンは背中に走る悪寒を感じながらも、杖を引き、青年の言葉の意味を無言で問い掛ける。

 たいして苦しくもなかったはずだが、スメラは大げさに息をつき、ミーミル学園指定の黒い制服の襟首えりくびを緩めた。ややあって碧眼へきがんを収めた目が半分閉じられて、簡易の長椅子ベンチに腰掛けた老婆を見下した。


「……すべて利用するのが、私の流儀。そこに善悪など関係ありませぬ」


 つ、と眺めやった先に、“トローンの魔獣”と“ミーミルの黒猫”が並んで歩いていた。


「我が祖国の繁栄を築くためですから」




 ユウヒとレイネが魔法学科の中庭に出たとき、さっと人影が割り込んできた。黒い頭髪に黒い瞳の少女、ではなく少年のミオだった。


「ユウヒ、レイネさん。いまスメラ先輩はツブラ・ファンと話していますので……」


 申し訳なさそうにちょこんと頭を下げたミオに、ユウヒは突然、その黒い髪を撫でて乱した。


「ぅわわっ! ちょっ、ユウヒ!?」

「あ、悪い。……スメラの気持ちがわかるなぁ」


 ミオの体質は、ユウヒでさえ例外ではないらしい。悪いと言いつつ、少女のような少年の頭を撫で回し続けるユウヒの手は容赦がなかった。

 見かねたレイネが“魔獣”の腕を引っ張って止めさせる。


「どうしてユウヒもスメラ先輩も、ミオをいじめるの」

「いじめる、じゃなくて、いじりたくなるんだよ」


 「表現が下品」と言おうとしたレイネだったが、所詮ユウヒである。首を傾げられるに決まっている、と彼を無視してミオを気遣い始めた。


「大丈夫?」

「あ、はい。……慣れてしまいました、レイネさん」


 とても哀愁あいしゅうを誘う言葉である。にも関わらず笑ってしまいそうになったレイネはなんとか微笑みでとどめ、意味もなくユウヒを睨みつけた。

 思わずひるんだユウヒだったが、ふっと視線をずらすと表情を戻す。青銀の青年スメラに手を引かれて老猫―――白髪の老婆ツブラ・ファンが近付いてきていた。


「おうおう、“ミーミルの黒猫”レイネや。くだらぬ戦などに出て、正直飽き飽きだったろう? 命を粗末にするやからの従軍医などやめて、はよう我の後釜に納まれぃ。それでこそドランチスカもミーミルも安泰と言うもんさね」


 ただ聞くだけでも悪意がありありとわかる口調であった。向けられるべき相手のいない皮肉が混在していて、もしその者が聞いたとなれば、にわかに反論もできなかっただろう。

 直接的ではないがユウヒやスメラはその対象である。しかし、ユウヒは悪意を―――仮に気付いたとしても―――突き返すような人柄ではなく、スメラは軽く流してしまう性格だった。よってツブラ・ファンの言葉は、レイネに向けられた哀願、もとい愚痴にしかならなかった。


「軽々しく後継者を定めないで下さい、ツブラ・ファン。それに、“黒猫”は私個人の名称ではありません。ミーミル学園、魔法学科の学徒すべての称号です」

「ふっ、ふふふぉ、ゆえに己が代表格として“黒猫”の名を冠しておるのだろうが? 黒猫の王、ではないな、黒猫の女王よ。おとなしく我が意に添え」


 哀願や愚痴と言えるのか定かではなくなってきた口調のツブラ・ファン。

 いわゆる誉め殺しとはこのことを言うのだろうかとユウヒは考えたものだが、口に出してはなにも言わなかった。と、なにかに気づいた赤毛の少年は、レイネと話し続ける年老いた猫のような老婆に果敢にも―――あるいは無謀にも―――話し掛けた。


「あ、っと、学園長。兵事学科、ミーミル旗下学徒兵ユウヒ、草原の議場より帰還しました」

「……見りゃあ分かるわ、赤熊の小僧。ぬしゃ、空気読まんか」

「……魔法学科、準従軍医学徒兵レイネ、草原の議場より帰還しました」

「おぬしもかい、レイネ」


 ユウヒには辛辣に返すものの、レイネには辟易といった風にツブラ・ファンは溜め息を吐いた。どうやら彼女の堅苦しさは、学園長その人さえも億劫にさせる力があるらしい。

 俺だけじゃないんだな、と場違いな感想を胸奥に浮かべたユウヒは、表情にも場違いな笑みを浮かべた。


「……なにが可笑しい? 赤熊の小僧」

「や、なんでもないです」


 意外にも、ユウヒは横柄であるのかもしれない。



  6



 聞こえよがしに舌打ちをしたツブラ・ファンはしわ・・の寄った首を伸ばして、高みにある自分の執務室を見上げた。つられて見上げたユウヒは、その部屋の窓辺にユキア姫がたたずんでいるのを見る。


「赤熊の小僧、あの小娘に聞いたな?」

「こむ……? ああ、内親王殿下。聞いたって、キーツシリむっ」

「ユウヒっ!」


 緘口令かんこうれいを布いた、と言われていることをすっかり失念しているらしいユウヒをレイネが押し止めた。文字通り、手で口を塞ぐ形で。とっさの行動に思わず顔を赤らめた藍色の少女―――口を塞いだだけだが、その辺りを理解できる者とそうでない者がいる―――は手を引っ込めると、代わりに棘のある視線をユウヒへと送った。

 ほとんど殴られたようなものであるユウヒは、思わず涙ぐんだ目を白黒させている。スメラはだれにはばかるでもなく笑声を上げ、ミオさえも口元を押さえて肩を震わせていた。


「……赤熊の小僧と絡むと、レイネも変貌するの。とりあえず、漫才はそれぐらいにしてだな」


 聞き捨てならないらしいレイネは、さらに紅潮した顔で食ってかかろうとツブラ・ファンに向き直る。

 しかし手で制されて、しかも冷厳な表情を向けられ、普段の彼女らしく居住まいを正して耳を傾けた。


「緘口令など、名ばかりよ。事実、我に筒抜けだ。それにこの狐狼にもな」

「あ、でしたら僕は……」

「いや、ミオにも聞いておいて欲しいかな。正確には君の財力が目当てだけどね」


 緘口令と聞いて身を引こうとしていた黒髪の少年、だが笑みを浮かべた“白痴の狐狼”が止めた。銀髪の青年の言動に少なからず嫌味を感じたミオは、珍しく険しい顔をする。

 ミオは口を開き、だが言葉が吐き出される前にツブラ・ファンの杖が唸りをあげた。


「おっと、危険」

「こんの大ボケ男狐おぎつねめが。口が達者なのと悪いのは違うぞ」


 避けられて体勢を崩したツブラ・ファンはレイネに支えられて、それでもいささかも劣らぬ語気の荒さでスメラを叱責した。姿勢こそ威厳はないが、老婆の目には真摯な怒りが見える。レイネと同じく、ミオも優秀な魔法学科の学徒。ツブラ・ファンにとって可愛い学徒である様子であった。ユウヒやスメラに比べて、彼らにひいき・・・を感じるところではあるが、大切に想っていることは間違いない。

 ツブラ・ファンの好悪は別として、スメラは自らの言葉に棘が含まれていたことに気付いて両者に頭を下げた。


「失礼しました。……ミオ、悪かった」

「あ、いや、はい。……でも、本当に僕が聞いても良いんですか?」

「ああ。君たちの魔法機器エンティアタ開発委員会にも頼らなくてはならない、かも知れないからね。……時代の趨勢すうせいによっては、君の父君にも援助を願い出ることにもなるだろう」


 この言葉は、なんのてらい・・・もなかった。少なくともユウヒにはそう聞こえて、ある予想が立てられ始めた。


「……るんだな、キーツシリクと」


 彼自身は気付いていなかったのだろう、普段よりも声音が低く、聞いた者に戦慄せんりつを走らせるような響きが含まれていることに。

 確かにユウヒは“魔獣”であるようだった。赤髪の少年の呟きを聞いて、レイネとミオは目を見開き恐々とした表情を見せている。スメラさえ、その笑顔に若干のひきつり・・・・が見えた。それは獣の雄叫びを耳にしたときと似た感覚であった。

 ツブラ・ファンは「けっ」と口の端をわずかに開いて鋭く息を吐く。


「気張るのはいいが、小僧、まだ戦うと決まったわけではないぞ。それに、いずれにしても学徒兵の出る幕などありはせん。……我が許さん」


 老婆は一瞬、視線をユウヒから外して横を見る。白い顔の三方を藍色の髪に包んだ少女の表情を目に収めていた。おののいた感情はすでに消え、代わりに―――。


「……スメラよ、ぬしがどんな姦計を用いようと知ったことではない。だが“トローンの魔獣”の起用は、学徒の派兵は認めんからな。小娘になにを言わせても無駄だぞ」


 始めは呆気あっけにとられたようなスメラだったが、まくしたてるツブラ・ファンを見つめ、次第に笑みが刻まれていく。“白痴の狐狼”はそこはかとなく事情を察し、ユウヒに浮かんだ笑みを向けた。


「ふむ、派兵は認めぬと学園長は申されますか。“トローンの魔獣”ユウヒ、どうしたものかな?」

「え? あー……」


 さっきの迫力はどこへ行ってしまったのか、ユウヒは歳相応の顔つきで考え始める。

 学徒としては学園長であるツブラ・ファンに従うべきだろう。しかしドランチスカ国民としては王家、というよりユキアに従うのが道理。どちらにしてもユウヒはキーツシリクの前に立つことを許されていないが……。

 “トローンの魔獣”とスメラは言っている。

 つまりは、ユウヒ個人はどうしたいのかと聞いているのである。そこまで考えが及ぶまでにさして時間はかからなかったものの、いざ自らの意志はどこに向かっているのかと聞かれれば、さらに時間を要する問題であった。

 が、早い段階で答えは出た。いや、スメラが示唆していた。


「……ああ。戻れば・・・いいんだ、“トローンの魔獣”に」

「な……っ!」


 悲鳴に似た言葉の切れ端を漏らしたのはレイネである。ツブラ・ファンはこの上なく苦々しい顔をして、この上ない怒りの視線をスメラに向けた。ミオにもユウヒの言葉がなにを意味するか理解したようで、猫たちと狐狼と魔獣の間でおろおろとしている。


「……冗談だよ、ユウヒ。ひとまず、ツブラ・ファンの言に従うとしようか」

「あ? うん、そうか」


 なにも分かっていなさそうなユウヒの背中を軽く叩いて、スメラは他意なく笑う。演技であることなど露知らず、赤髪の少年は押されるがままに中庭を出て行くことになった。

 視線を彷徨さまよわせつつユウヒを伺うレイネ。まだ戸惑い気味のミオ。なにか言いたそうにしているユウヒ。

 スメラはなにかと理由を付けてレイネとミオをも閑雅な中庭から去らせた。

 と、背中に衝撃を受ける。ツブラ・ファンの大杖の先端らしいことだけは分かった。


「どういうつもりだ、狐狼……!」

「つつ……、こちらの科白ですよ、ツブラ・ファン」


 しかめた顔にも笑みを作る銀髪の青年に、老婆は大杖を振り上げる。

 振り下ろされた大杖は、だが石畳に跳ね返った。避けたそれをスメラは強引に奪い取り、ふと高みにある学園長の部屋を見上げる。ぽつりと佇む人影と目が合った。


「……あえて身分・・を持ち出させますか?」

「いかな貴人であろうと、我は屈せぬぞ……!」


 このとき、スメラの瞳に色が出た。感情とは違う、意志の表れ。老婆に呼び出されたときにミオに見せた、人格が代わったような表情。


「……レイネを想う気持ちは分からぬではないが、いささか度が過ぎる。稀代の魔女も寄る年波には勝てぬか? 情にほだされて見境をなくすのか?」

「……!」


 途端に変化したのは言葉使いだけではなかった。眼光、とでも言えばいいのだろうか、威厳ある老婆をすくませるほどに強い視線をスメラは放つ。

 にわかに言葉も発せぬツブラ・ファンは自らを叱咤し、どうにも抗えない空気を一掃しようと睨む目に力を込める。思わず魔法を発動しそうになる自分を抑えて、なんとか目の前の青年を論破しようと脳内を回転させた。

 だが浮かんでくる言葉はすべて、先刻のスメラの問いに対する弁解・・


「此度は控えていただこう、元“ミーミルの黒猫”。貴女はいるだけでよい、我々のすることに口を差し挟むな」


 冷徹に、ユウヒたちと一緒にいたときとは想像もつかぬほどに冷厳に、“白痴の狐狼”は語る。


「すべての権限は、ドランチスカ国王ラオニー三世……この私にあるのだから」







 ―――第三話「魔都の狐、魔窟の狼」前編に続く


ではまた。

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