魔女と傭兵と魔術
魔術のないファンタジーから魔術のあるファンタジーへの異世界召喚のようなものです。
「うぅ……体がイテェ……どこだここは……」
確か俺は剣を受け損ねて……後のことが思い出せねぇ。
ただ煮えたぎる液体の中に突然放り込まれたことくらいは覚えている。
「あのあとどうなったんだったかな……」
思考の海に浸ろうとしていると、声をかけられた。
「やぁ、目が覚めたかな?」
「……あぁ、たった今な。俺はフィアーという。流れの傭兵だ。あんたは?」
目の前には女性が居た。
深い知性を讃えた琥珀色の目に、長い濡れ羽色の髪。
微かに笑う唇は健康的な色をしていて、ひどく艶かしい。
髪に似た黒い服を着ているせいで、体つきがモロに出ている。
街を歩けば誰もが放っておかないであろう魅力的な容姿。
目も覚めようというものだ。
「おや、自意識があるのか、では創造ではなくてどこからか引っ張ってきてしまったのか……?いやしかし……召喚……?」
挨拶をすると女性は顎に手を当てて何やらブツブツと独り言を言い出した。
その様すら絵になるというのだから美人は得である。
「なぁ、あんたが俺を救ってくれたのか?」
「魂に干渉する魔術はアイツの区分……なに?救った?」
流し目でこちらをちらと見られると魂まで掌握された気分になる。
そんなことはおくびにも出さないが、そんな気持ちになった。
「あぁ、俺は戦場で死ぬとこだったんだが、目が覚めたら此処に居た。ってことは、あんたが救ってくれたんじゃないのか?」
「……まぁ、そういう事であれば最終的に命を取り留めた。という意味では確かに私は君の命の恩人かもしれないな。私はエルフリーデと言う。なに、唯のしがない魔女さ」
そう言うと目を閉じてフッと笑ってみせた。
「魔女?仕事か?」
生憎と学は無いためそれがどういったものなのかはわからなかった。
「なに?魔女を知らない?灰塵の魔女、天に座す者、反逆者エルフリーデの名を?」
よっぽど自分の名前に自信があるのか、知らないと答えるとひどく取り乱した。
「まさか私の名前を知らないものがいるとは……一体どこの者だ?」
「だから流れの傭兵だ。最後の戦場はトルキア王国軍との戦争で、アーヴァベルト公国軍と共にゲッペント湿原での大規模戦闘だが……?どうした?」
俺が最後に何をしていたか語ると眉間に手を当てて唸りだした。
「……すまないが、トルキア王国もアーヴァベルト公国もゲッペント湿原も聞いたことの無い名だ」
「……そりゃまた、随分と遠いところに来ちまったな。摩訶不思議な事もあるもんだ。ここら辺はどこなんだ?大陸とかは?」
俺はあっちの国、こっちの国といくつもの国や大陸を渡り歩いたことがある。
何大陸のどこだと言ってくれれば大抵の場所は分かるつもりだった。
「ふむ、どこかと聞かれればクレトーン大陸の……一番近い国はウェランド王国か……どうした?」
クレトーン大陸?ウェランド王国……?
「聞いたことがねぇ……」
「はぁ?なに、クレトーン大陸をか。ほとんどの人族が住んでいる大陸だぞ!」
「俺が知ってるのはグイベーラン大陸とかヒューミナイゼ大陸とかだな……」
「……聞いたことがない。ちょっと常識の埋め合わせをしよう。私も少し混乱してきた。だが、その前に」
そう言うとエルフリーデはタンスから服やらズボンやらを取り出すとこちらに渡した。
「着替えたまえ。そのままでは風邪を引いてしまうぞ?」
自分の状態を見てみれば、なるほど。
「なんで全裸なんだ……?」
「此処に来た時から全裸だったからよく分からないな。着替えたら朝餉にしよう。準備が出来たら隣の部屋に来てくれ」
食事の準備でもするのだろうか?
エルフリーデはそのまま扉を開けて隣の部屋で移動した。
とりあえずもらった服を身につけて―少し大きく、ベルトが必須だ―ベッドから降りる。
「くっそ……防具も剣も……剣は無かったか……失ったのは痛いな……」
体が引き攣るような痛みが走るが、動けないほどじゃない。
この痛みは火傷によるものか。
治るまで此処に置かせて貰えればいいのだが、それは期待しすぎだろう……。
そんなことを考えながら扉を開けると、その部屋の中身に絶句した。
壮絶に汚い。
なんかよくわかんない動物が干されてるし、足元には空き瓶やら中身の入った瓶やら分厚い本やらが転がってるし、なにやら異様な匂いがあたりに立ち込めている。
その中で巨大な釜?の上に木の板を置き、即席のテーブルにしているエルフリーデだけが見事に整っていた。
「もう朝餉の準備は出来ているぞ。まぁ、私も何かを口にするのは久々なのだがね。なかなかの出来だと思っているよ」
木の板の上を見れば、粥か?
なにやらドロドロとした白い流動食のようなものが木のボウルに入っている。
体の調子もあまりよくないし、有難いのだが……。
「これはなんだ……?」
とりあえず適当な瓶を拾ってみる。
中には何かの紐?が数本入っている。
カラカラと音を立てることから硬いものなのだろう。
「うん?あぁ、それは冬眠したカエルの舌の結晶漬けだよ」
「カエルの舌……何に使うんだ?」
「そりゃ、儀式とか呪術とか。まぁ、そんな話は後でしよう。まずは食べようじゃないか」
カエルの舌が転がってる部屋で食べるのか……?
いや、これがここらでは普通なのかもしれない。
ではこの粥は何を材料に使っているんだ?
「この粥は……?」
そう聞くとエルフリーデは会心の笑みで答えた。
「出来合いの物で作ってみたんだ。うん。美味しいじゃないか。食べてみたまえ」
そう言って彼女は椅子を勧めてきた。
違う、そうじゃない。
俺は原材料名を聞いたんだ。
しかし何度も尋ねて彼女の機嫌を損ねるのはまずい。
まだここに置いてもらわないと……金もないし武器もない。
そんな傭兵がどこで働けるというのだ。
付いている木の匙で掬ってみれば、見た目は米を使った粥のようだ。
極東で一度見たことがある。
匂いは……乳か?なんの乳かは知らないが、食えるもので作られた料理だということは分かる。
恐る恐る口に運んでみれば、うん。
「味がしない……」
「ん?」
「いや、何でもない」
匂いはいい。見た目もいい。
だが、口に運んだ瞬間霧散する。
なんだこれは……?
いや、まずは体の調子を整えるために胃に何か入れないとな……。
美人の手料理なんざ、滅多に食えるもんでもなし。
そう思ってこの一見うまそうな無味粥を食べきった。
「いい食べっぷりだ。これなら普通の料理でも良かったかな?」
「いや、助かったよ。重いものだったらダメだったかも知れない」
「それは良かった。じゃあお腹も膨れたところで常識のすり合わせをしよう」
「あぁ」
俺もここがどこら辺に位置しているのか分からないと困るしな。
「まず、この大陸の名前はクレトーンだ。他の呼び名と言うのは聞いたことがないし、誰に聞いてもクレトーンだと答えるだろう」
「あぁ、それで俺はここまで身ぐるみ剥がされて運ばれてきたと」
「いや?君はこの釜の中から出てきたのだ」
「……は?釜?」
突然のカミングアウトに思考が止まる。
奴隷商とかそういうのじゃなく釜?
「そうだ。どうやら私が儀式で呼んでしまったらしくてな。しかし、クレトーン意外にも人が住んでいる大陸があるのだな。魔術体系はどうなっているんだ?やはり刻印魔術が主流なのだろうか?」
「いやいやいや、待て待て、なんだ儀式ってのは、それに魔術?そんなもん御伽噺の出来事だぜ」
「なに、魔術を知らない?どんな辺境に住んでいたのだ」
「辺境も何も俺が渡った大陸のどこにも魔術なんてものは無かったよ。あったとしてもペテンだったな」
そう言うとエルフリーデは椅子の背もたれに体を預けると天を仰いだ。
「なんという事だ……魔術が全く発展していないだと……?ありえない。精霊魔法や真言魔法はともかく、誰にでも扱える刻印魔法は500年も前から普及しているのだぞ?こんな便利な魔術を使わずにいられない人間なぞ、仙人か仏くらいなものだ」
そうボヤくエルフリーデの表情はとても嘘を吐いているようには見えない。
もしこれが嘘だったら俺は何も信じられなくなりそうだ。
「そもそも魔術ってのはなんだ?」
尋ねるとエルフリーデは姿勢を正し、
「ふむ、難しい質問だな。」
と答えた。
「魔術とは、万物に備わっている魔力という力を使い様々な現象を起こす術なのだが……魔力を知らないだろう?」
「あぁ」
「まぁ、そうだろうな。魔力とは物質に働き続ける力のようなもので、世界の法則に近い。石ころを投げればそれは上へと上がり、やがて下に落ちる。この動作の中にも魔力が働いているのだ」
「…………?」
さっぱりわからん。
どこに働いてるんだ。
「うーむ。そういう物だと考える部分が多かったからなんとも説明しづらいな。こういうのはどうだ。世界のありとあらゆる行動を記録した本がある。歩くとか、走るとか跳ぶといった当たり前のことが全てな。人は跳ぶために足を使うが、高い場所に移動したという結果を出すためには別に他の方法でもいい訳だ。手で跳んでもいいし、誰かに放り投げられてもいい。」
「まぁ、そうだな」
要するに高いところに行くためにジャンプする以外にも投げられたりしても結果は同じだと。
「人は無意識に跳ぶ際に足を使う選択肢を取る。しかし、意識すれば足以外でも跳べるのだ。ここで出てくるのか全ての行動を記した本だ。人はこの本の中から自由に跳ぶための方法を選択できる」
あー、ちょっとよく分からん……。
「足とか手を使う以外で何を使うって言うんだ?選択肢はそんなに多くなさそうだが」
「ところがそうではない。この本には風で空を飛んだり、自分の体を軽くする方法等も書いてあるのだ」
「んな、非現実的な……」
「いやいや、現実的さ。方法を知らないだけであって、人は本来自由に空を飛べる生き物なのだよ。生まれたての頃は歩き方を知らないし、喋り方も知らないだろう?君は魔術を知らないだけだ。知れば自然と使えるようになる。本能に組み込まれているからね。さて、話を戻そう。人が風を使って空を飛ぶにしてもいつまでも風を待っているわけにはいかない。今、この場所で、この方向で、このタイミングで、これぐらいの強さでといった複雑な風が必要になる。この風を強制的に吹かせるのが魔力だ。つまり跳ぶための筋力の代わりのようなものだよ」
「筋力を使ってジャンプする代わりに魔力を使って風で跳ぶと?」
「うむ、そういう事だ。魔術とは常に何かの代替行為なのだよ」
「本当にそんな力が存在するのか……?」
疑わしそうな声を上げると、エルフリーデがニヤリと笑った。
「そんなに疑うのならば、見せようじゃないか。魔術を。着いてきたまえ」
案内された先は外の森林だ。
どうやらこの家は森の中にあるらしい。
「街はどっちだ……」
「まぁ、いずれ案内しよう。それよりもまず魔術だ」
そう言うと彼女は地面に手を付けた。
「【隆起せよ】!」
俺の知らない言語―1つの音を二つ同時に出しているような―を短く唱えると、エルフリーデの目の前の土が盛り上がり、壁を作り出した。
高さにして2m、幅は1mといったところか。
叩いてみれば、なかなかの強度だ。矢なんかは通さないだろう。
「こんな壁を一瞬で作れるのか。戦いが変わるぞ……」
「変わらないさ。数百年も前から使われているのだから」
そう言うとエルフリーデは自慢げに鼻を鳴らした。
「これが俺にも使えると?」
「あぁ、練習をすればな。まぁ、私の魔術は最高峰のものだから、君が作ってもこれより幾許か心もとない壁になるだろうがな」
「それでも作れるんなら、練習してみたいところだな」
もし俺の知っている戦でこれが使えるんならもっと楽に戦えることは間違いない。
いや、帰る金を稼ぐのならば、覚えてないと何が起こったか分からないうちに殺されかねない。
「ほぅ、では私が手ずから教えようじゃないか。魔術を知らない人間と言うのは初めて見たのでな。それに、一度人に教えたいと思っていたのだ」
「あぁ、有難い。よろしく頼む」
「うむ、灰塵の魔女エルフリーデに任せるがいい」
そう言って彼女は胸を張った。
一日二日で出来るような物でもないだろうし、その間泊めてもらえるのなら有難いが……野宿はできれば勘弁したいもんだ。
「ではまず、魔力を感じるところからやっていこうか」
「魔力を感じると言われてもどうすればいいんだ?」
「ふむ、少々待ちたまえ」
そう言うと手頃な枝を一つ拾うと地面になにやら書き始めた。
「……何をしてるんだ?」
「さっきは説明していなかったが、魔術にも種類があってな?言葉によって扱う真言魔術。精霊の力を借りる精霊魔術。そして記号や図形によって扱う刻印魔術だ。精霊についてはまた後で話すとしよう……よし、出来た」
そう言って描いたのは三角やら四角やらをいくつも重ねて作り上げた絵のようなものだ。
「この中に入れば自動的に体の中の魔力を吸い出すような刻印魔術を地面に刻み込んだ。乗ってみたまえ」
線を消さないように恐る恐る踏み込んで見れば、ガクンと体が重くなる感覚に襲われる。
「重っ……体がすげぇダルイ……」
「それが魔力がダダ漏れになっている状態だ。走れば体力が減るように、使えば魔力は減る。減るとまぁ、色々よろしくない事が起こるんだが……おや、出力が強すぎたかな?」
「……ば……かやろぅ……」
ダメだ、立ってられん。
そのまま地面に顔から突っ伏す羽目になった。
あー……地面が冷たい……。
そして視界の端が黒く染まっていき、意識が落ちた。
大陸などの名前は必要な物は後ほどまた話すことがありますので、そういう所もあるのかー程度に聞き流してください。