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ACT8 『ナナシ VS ムダイ』

勇輝と青海が部屋に着いてから一時間ほどして、鎮痛な面持ちのカレンが戻った。

「……誰もいませんでした」

 カレンがテーブルの上に置いたのは、キレイな筆字で『ナナシ様へ』と書かれた封筒。バラや蔦が描かれている封筒を勇輝が開けると、飾り気の無い、用件のみがプリントアウトされたコピー用紙が出てきた。それに目を通した勇輝は、カレンに用紙を渡す。それを見終えたカレンは、青海に見るか尋ねたが、ノーリアクションなので、そのまま畳んで封筒にしまった。

「今日の夜、指定の場所にて人質をかけた戦いを望む、ですか」

 指定された場所は、首都と隣県の県境。買い手が付かなくなったということにして放置してある、裏組織が所有するビルが多数並ぶ場所だ。他組織が所有するビル内で起きたことに関しては不干渉という暗黙のルールがある、特殊な治外法権地帯として、裏では有名な地域である。

「どう思いますか、勇輝?」

「罠、だろうね」

「はい。わざわざ人質を取り場所を指定することから、何かあると踏んで然るべきでしょう」

「でも、どんな罠が?」

「相手がイーターのみならば、トランセンド、クリエイト系の罠はないでしょう。あるならば、地雷などの実弾系だと思いますが、その場合は勇輝さんが先行して進めば問題ありません」

「でも、もし相手が一人じゃなかったら? 仲間がいない、という保障はないんだよね?」

 二人は考えられる可能性を並べ、一つづつ解決策などを論議していく。青海はそれを黙って聞いていたが、やおら立ち上がると、冷蔵庫からリッターサイズの天然水を丸々一本飲み干して、席に戻った。枯れかけの泉に雨が降り注いだように生気が戻る。目に力が戻り、丸型の口が真一文字を描く。凪いだ空気が乱れる。長い髪が波打つ。そして息を呑む二人を睨み付けると、深呼吸をしてから、二人が検討した内容を書いていた紙を握り潰して、ごみ箱に捨てた。

「……何をするんですか?」

「見当違いのことだべってるから止めたの。体を休めること考えると時間が無いでしょ? 無駄なことしてる余裕なんてないのよ」

「何が見当違いなのですか? 今のは十分考えられることで」

「落ち着きなさいよ」

「私は十分落ち着いて……」

 青海が一際強い視線を向ける。その鋭い目に、カレンが不承不承ながら押し騙った。

「相手が軍人とかなら、今考えてた方法で間違いないわ。でもホルダーは違う。ホルダーと戦うときは『相手がどんなホルダーか』を真っ先に考えないといけない」

 青海は空になったボトルを投げ捨て、もう一本冷蔵庫から取り出し、キャップを開けた。

「ホルダーは『欲』を満たすことを第一に動く。肉を潰したい、焼きたい、正義の為に生きたい、誰かの役に立ちたい。だから、欲に合わないことはほとんどしない。でしょ、カレン?」

 カレンは青海からボトルを奪うと、自分のコップに注いでからそれを一口で飲み干した。

「その通りです…・・・すみませんでした。どうやら、私も少なからず焦っていたようです」

 口の端を上げる青海に謝罪してから咳払いをし、カレンは続ける。

「まず私たちは、イーターがどんな『欲』を持って動く人間かを考えなければなりません」

 青海が頷く。

「私の考えですが、イーターは充実した時間を得るために……『楽しみ』のために動く、と思っていますが、どうでしょう?」

「ついでに女とブックが絡んでも、やる気出したりするけどね……まぁともかく、確かにあいつは、自分が楽しくないことはやらないし、面白くするために仕掛けをすることもあるわ」

「仕掛けとっていうのは、トラップってこと?」

「ううん。もっと全体的なことよ。例えば……勇輝が強くなるまで待つ、とかね」

 名前を出された勇輝が目を見開く。一方、カレンはなるほど……と納得顔だ。

「不思議だったのよ。潰そうと思えばすぐに潰せたはずでしょ? あいつの後ろにはシスターがいる。情報収集力も戦闘力も資金力も、全ての面で上回ってるのに、なんで潰しに来なかったのか。最初はあたしのこともあって……と思ってたけど、どうやら違ったみたいだしね」

 先ほどのことを思い出したのか、若干気弱げな顔を見せる青海。だが勇輝が気遣う間もなく、青海は自分で吹っ切り、カレンが話を先に進めた。

「で、その理由が、勇輝さんに実力を付けさせることだと?」

「正直、チームを作る前の勇輝じゃ、キャラを出すまでも無く、夢大の完封勝利。楽勝で勝てる相手と戦っても面白くない。だから、強くなるまで待つことにした」

「だが、勇輝さんが強くなりすぎた。だから人質を取ることにした、というわけですか?」

「可能性はあるわ」

 黙り込む二人。二人の頭の中では、今論じたことが、単なる絵空事でなく、現実に即しているかの検証がされている。そして二人は顔を見合わせると、頷いた。つまり合っていると。

「とすれば、あとは相手の出方を考える番ですが……」

 二人分の視線が青海に集まる。青海はペンを取ると、白紙にビルの絵を書き込んだ。

「たぶん、夢大がいるのは最上階……屋上ね」

「バカとなんとかの法則ですか?」

 頷き、屋上部分に『バカ』という文字を入れる青海。何重もの丸で強調する辺り、恨みが見える。そしてその横に、キャラクターという文字を続けて書き入れた。

「こっちがチームな以上、一人で戦うはずない。必ず傍に一人はキャラがいるはずね」

「そのキャラが誰だか分かりますか?」

「ソリィかエリミ。ただ……ソリィには蔦召還の制約のことがあるし、単純な戦闘力ならエリミの方が高いから、エリミのはずよ」

 『制約』という単語を初めて聞いた勇輝が、話を一次的に遮って、説明を願う。

「能力を発動するための条件などのことです。青海さんの『水が近くになければ、水を呼び出せない』や、私の『近くにしか小人が呼べない』というようなものを指します」

「エリミは刃物を作るけど、作るには血液が必要。ソリィは蔦を操るけど、蔦を召喚するには、土がないとダメなの。だから、地面から遠い屋上にソリィは不向きってわけ」

 更に青海は、ソリィとエリミがどんなキャラで、どんな戦闘をするのかを詳しく説明する。その話を聞きながら、腕を組み、じっとビルの絵を眺めるカレンと勇輝。

「二人は分かったとして……あの天使みたいなのは出て来ないの?」

 勇輝と夢大が初めて顔を会わせた時、そこにはアンと同化し、背中から翼を生やした灯影がいた。それを天使といったのだ。青海は、アンがスライムみたいな存在で、翼は空を飛ぶために出していたに過ぎないこと、そしてアンの持ち主が灯影であることを説明した。

「その人物と、アンというキャラが助っ人としてくることはありませんか?」

「見物はするかもしれないけど、手は出さないと思うわ。パワーバランスが崩れちゃうでしょ? バカは楽しむために戦うんだから、圧倒的な戦力差は作りたくないのよ」

 それに、と追加で青海は語る。

「アンもトーさんも良い人だから、人質なんて使うムカツク奴に手を貸すはずないわ」

「……そんなに信じていいのですか? もし加担していたら、一発で切り崩されますよ?」

「大丈夫。むしろ事情を知ったら、こっちに手を貸したくなるくらいのお人よしだから」

 カレンは、ならいいのですが……と溜息混じりながらも、それ以上は言及しなかった。

「じゃぁ、ホルダーは夢大さんだけ。キャラはエリミとソリィしか出てこないってこと?」

「出てくるだけなら出てくるわ。ただ、その場合はどっちかが出なくなるけど」

「メモリーオーバーですね」

 頷く青海だが、勇輝は再び疑問符を浮かべている。カレンは勇輝に説明をするために、別の紙に本棚と机の絵を書いてみせた。

「ブックには、精神的な大きさを表す『サイズ』と、能力の高さを表す『スペック』という概念が。ホルダーには、どれだけブックを宿せるかを表す『キャパシティ』と、どれだけブックの力を使用できるかの『メモリ』という概念があります」

「ブックは本。ホルダーは本棚と机。で、本棚に収まらないほどの本は入らない。机に広げきることができないほどの本は読むことができない、ってこと。分かる?」

 勇輝は理解していることを証明するために、具体的な数値を紙に書き入れてみせた。

「十のキャパシティのホルダーは、サイズが五のブックを二冊持てる。七なら一冊と、余りが三。これがサイズとキャパシティの関係。それと、二十のメモリしかないホルダーには、スペックの合計が二十を超えるブックの能力を同時に使うことはできない。ってことだよね?」

「はい。そして、イーターが他と比べて群を抜いているのは、キャパシティです。クリエイトやトランセンドならともかく、通常のホルダーなら、サモンは一冊が限界なのですが……」

 それは説明書に置き換えると分かり易い。武器の説明をするよりも、人間一人を説明する方が、はるかに文章量が必要になるからだ。

「イーターは少なくとも五十冊以上、サモン系のブックを抱えていると言われています」

 背筋が震える勇輝。たかが五十人分ではない。一人で数百人以上の人間と渡り合えるホルダー五十人分だ。その事実を理解できれば、身震いも起きるというもの。だが青海は、震える勇輝の肩を、安心しろとばかりに軽く叩いた。カレンも、眼鏡を押上げ、不適に笑っている。

「確かに恐ろしい数です。戦況や相手に応じて有効な人材を選択できるのですから、対応力はずば抜けています。が、前述のように、キャパシティとメモリは別物です。イーターが使えるメモリ内ではソリィとエリミの合計値分までしか召喚できないのですから、対応はできます」

「でも合計値分までなら、好きなだけ出せるんだよね? キャラを二十体とか出されたら?」

「それは問題ないのよ。総合的な戦闘力は、変わらないか、下がるくらいだから」

 十の力を持ったキャラを二体呼ぶのも、二十のキャラを一体呼ぶのも総合力は同じ。もちろん人数が増えることによって生じる戦略性や対応力などはあるが、代わりに一体一体の絶対力は減ってしまう。二人の小学生と、一人の軍人を戦わせてどちらが強いか、と言われれば軍人の方が強い。故に、ただ数があればいいというわけではない。

「イーターがビルという限られた空間を選んだということは、少数精鋭がよしと踏んだ結果。もし、団体戦を選ぶのであれば、もっと広さがあり、複雑な地形を選んでいるでしょう」

「それにぶっちゃけた話をすると、協力的なキャラは半分くらいなのよ」

「どうして?」

「キャラも人間も同じってこと。相手のこと好きになる奴もいれば、嫌いになる奴もいる。サモンの一番のネックが、ホルダーとキャラの人間関係なのよ」

 キャラにも自分の意思や性格がある。自ら主人を傷つける者、見殺しにする者、上に立とうとする者もいる。当然、そんなキャラを使えるはずなく、抱えていても戦力外だ。

「夢大が持ってる中で、特に信頼してるのが、ソリィとエリミ。勿論二人もバカを受け入れている。そんなでもって、戦闘力も高い。だから、これ以外の選択はないはずよ」

 青海はボトルの水を半分ほど飲むと、残りを自分の頭の上からかけた。水は髪の毛を濡らし、肌を滑り、服を濡らし、そして床や他のものを濡らす前に、泡のような球体になって宙に浮く。

「だから作戦は一つ。殺傷能力の低いソリィにカレン。物理攻撃を無効化できる勇輝がエリミ。そんでもって、あたしが夢大を血祭り。あのバカは……確実に半殺しにするわ。OK?」

「私に依存はありません」

「ボクは勿論いいけど……二人ともいいの? これはボクの問題なのに」

 二人の鋭い視線が勇輝に突き刺さる。

「私は勇輝の仲間です。仲間の家族が拉致されて黙っているほど、薄情な人間ではありません」

「え、いや、そうじゃなくて」

「ならぐずぐず言わない。やるか、やらないか、どっちよ?」

 勇輝は言いかけた言葉をぐっと飲みこむと、きっぱりとした口調で言った。

「やろう!」

 青海は笑うと、水を流しに捨て、後をカレンに任せ、『寝る』と部屋に入ってしまった。それを見送った二人は、暫くそのまま佇んでいたが、やおらカレンが勇輝に溜息を向けた。

「……慰めなくていいのですか?」

 青海は泣いていた。それをごまかす為に水を被った。勇輝もそれは分かっていたが……勇輝はカレンの問には答えず、曖昧に微笑むと、自分の部屋へと引き篭ってしまった。

「若さですかね……あと一歩踏み込めれば、夢大先生にも対抗できるかもしれませんのに」

 小人にこぼしてから、カレンは携帯とパソコンをいじり、戦いの準備を始めた。


 夜。薄い雲が泳ぎ、月が佇み、星が眠りに誘導する時間。街は心の奥にある夜への恐怖を払拭するように、必要以上に光を放って目を晦まし、騒音と喧騒でその耳を塞いでいる。そんな都市部から離れていく一台の車。中にいるのは、チームナナシの三人。カレンが運転席に、勇輝と青海が後部に座っている。三人は特に何を話すでもなく移動し、やがて田畑の先にうっそうと立ち並ぶビル郡へとやって来た。ホラータウンという言葉がしっくりとくる様相だ。明かりがあるわけでもなく、人気があるわけでもないのに、建物だけが異様に乱立している。

「ここ一帯に、私たちとイーター以外の人間はいません」

 カレンがハンドルを切りながら独り言のように呟く。

「シスターが『イーターの邪魔をする者は全力で排除する』という達しを回したそうです」

 カレンが言いたいことは、だから周りを気にせず暴れろ、という類のものではない。いつも自分たちが世話になっていた組織の援護を期待するな、という意味だ。若手のチームと、潰し宣言をする老舗の同業者どちらを選ぶと言われ、組織は老舗を選んだのだ。三人とも、最初から頼る気などなかったが、カレンの武装に制限がかかったことが、少なからず痛手にはなった。

 やがて……車が止まる。横にそびえているのは、周りから見れば、高いとまではいかない程度のビル。都内にあるデパートくらいの高さだろう。敷地面積も、驚くほど広いというわけではない。ただ、かなりしっかりした作りになっているのは、外から見ても分かる。

 カレンは車から降りると、後部トランクを開け、準備を始めた。二人きりになった車内で、青海はじっと目を閉じている。勇輝は横目でその姿を見てから、ふいに青海の名を呼んだ。

 青海の目蓋が開く。薄く、徐々に大きく、水平線から日が昇るように、目の形が現れる。垂れているのに鋭さを感じる目には、チームで仕事をするようになってから初めて見る、緊張が伺えた。いつでもどこか気楽に、戦闘を楽しんでいるほどの余裕が、今は無い。

「……なに?」

 漏れるような小さい声に、勇輝の背筋を寒いものが走った。氷に変わるほどの水温の水が背中を駆け上ったような薄ら寒さだ。勇輝は思わず唾を飲み込みながらも、ゆっくり息を吐き出すと、決意を新たに、青海の視線をまっすぐに収めた。

「絶対守るから。約束する。だから、戦いが終わったら……海での返事、聞かせて欲しいんだ」

 精一杯の、勇気と決意を総動員して出した言葉。思い。

 部屋では、泣いている青海に何も言えなかった。何も出来なかった。その涙が、夢大の為にあると思うと、近づけなかった。だけど、それではダメなんだと気づいた。例え青海がどこを見ていようと、どこに行こうとしていても、自分がそれに付いて行き、こちらを向いて貰うために足掻かなくてはいけないのだと気づいた。そして辿り着いたのが、今の誓いの言葉。

 だが青海は、その言葉にたいした変化も見せずに、一言告げた。

「無理」

 そして目を閉じる。勇輝は目を閉じた青海に何も言えず、ただ固まった。投げつけられた言葉の重みと、言葉の意味が理解できずに固まった。無理、とは何が無理? 約束が守れないということ? 返事ができないということ? 傍にいられないということ? どういうこと?

 だが質問を許す空気を青海は放っていない。かといって、考えても言葉の意味は理解できない。勇輝は混乱に近い思考の渦に飲まれ、目を閉じたままの青海をただ黙って見ていた。

「準備できました。行きましょう」

 ドアを開けて呼びかけたカレンの言葉に従って、青海が外に出る。我に返った勇輝も、気持ちを静めて外に出た。冬の冷たい風が三人を出迎え、開け放たれたビルの入り口へと誘う。

「……行こう!」

 勢いよく勇輝が足を踏み入れる……その前に、青海が勇輝の襟首を掴み、無言でコップ一杯ほどの水を呼び、ビルの中へ流し込んだ。1秒……ニ秒……中からも、青海からも反応はない。

「OK、行くわよ」

 青海が中ビルに入る。中は剥き出しのコンクリートの壁と柱以外には何もなく、奥に昇り階段が見えるだけだった。青海は階段に近づくと水を放った。水は上の階へと昇っていく。そして先ほどと同じように眉根を寄せた青海の目が……今度は、深海色に変わった。

「準備して。いるわ」

 カレンは銃を構え、小人に爆弾やナイフを持たせる。勇輝も剣を出して両手で構える。そして階段を上がると、反対側にある昇り階段の前に、蔦が伸びていた。窓から進入した蔦は、イスのようにくねり、透けるようなドレスを纏ったソリィを支えていた。

「久しぶり、青海。そして旦那様の招待に応じて頂き、ありがとう御座います。、お初にお目に掛かります。わたくしは、ソリィと申します。宜しくお見知りおきを」

 そのにこやかな微笑みに、勇輝の気が削げる。だがその瞬間、青海が勇輝に回し蹴りを放った。ダメージは無い。が、言わんとすることを理解し、勇輝は気を引き締めて、剣を構えた。

「お若いことで……」

 優しげで緊張を解くような笑みだが……だからこそ逆に不気味にも見えてくる勇輝。

「勇気さん、そのようなことでは、性質の悪い女性に手玉に取られてしまいますよ?」

「よく自分で言えるわね」

「まるで、わたくしが性質の悪い女性みたいな言い方ですね、青海」

「そう言ってんのよ」

ソリィが突如、下僕たる蔦を呼び寄せた。計一二本の蔦が、窓からではなく床を割り、舞い、襲いかかる。迫る蔦を、青海は蹴り飛ばし、小人がナイフで切り落とす。二人の連携を見たソリィは、蔦を一旦呼び戻すと、元の長さに戻して待機させた。そしてクスリと笑う。

「残り時間は、十分です」

 突然のセリフに戸惑う勇輝。だが青海は、勇輝の手を取りながら走り出し、カレンは銃を撃ち、二体の小人がサポートに入った。蔦が青海と勇輝の進行を邪魔するべく襲ってくるが、ナイフを持った小人がそれを裂き、青海が蹴飛ばし、ようやく状況を飲み込んだ勇輝が切り、燃やし、進んで行く。そして目前に迫ったソリィは……上へと続く階段を明け渡した。

「どういうつもりだ!」

「わたくしの役目は、旦那様の望みを成すこと。進行を止めることではございません」

 青海が勇輝の腕を引きながら階段へ進むと、ソリィは、蔦の半分を使い、階段と二階とを断絶した。勇輝は振り返り、切り裂こうとしたが、青海は腕を強く引き、それを止めた。

「最初からこうする作戦だったでしょう?」

「で、でもカレンさんが!」

「でもじゃないの。カレンに任せなさい。じゃないと、あんたの家族、死ぬわよ」

 勇輝が蔦の向こうを睨み付ける。

「あと、九分です」

 ソリィは相変わらずの微笑みで時間を告げた。

「先に行ってください。目的達成の為に、それぞれの役割を果たすのがチームです」

 カレンが蔦を打ち落としながら、声を張り上げる。空気を混ぜる音、弾の発射音、床を砕く音、様々な音が飛び交う中、カレンの声は妨げられずに、真っ直ぐに飛び込んで来る。

「信頼、してくれているんでしょう?」

 カレンが微笑む。その穏やかな笑みは、とても戦闘中とは思えないほどに暖かい。

「言葉にして貰ったことはありませんが、十分感じました。私はそれに応えたいと思います」

 ナイフを持った小人が吹き飛ぶ。が、別の小人が爆弾を投げつけ、応戦する。

「青海さんを守るんでしょう? そのためにご家族を捨てるのですか? 違いますよね?」

 一言一言が重い。責めているわけでもないのに、言葉一つ一つが突き刺さる。

「あなたとチームを組んでから今日に至るまで、私はあなたを傍で見てきました。だから、保証します。あなたはけして誰かに劣ってなどいない。ですから、他の誰かと比べるのは止めなさい。あなたはあなたです。あなたはあなたにしか出来ないことを、あなたが成したいことを成せばいい。そしてそのために、誰かに手を借りることがあったっていいじゃないですか」

 青海は何も言わず、勇輝を見ている。

「優しさは美徳ですが、優しいだけでは愚かです。優しい分、強くありなさい。時にそんな人は、残酷で薄情に見えるでしょう……けれど、それが最も勇ましき人だと私は思います」

「残り七分ですが、宜しいのですか?」

「早く行きなさい勇輝。でないと、青海に呆れられるどころか、嫌われますよ?」

 勇輝が振り返る。冷えた目をした青海が立っていた。その目を見、カレンの言葉を理解し、勇気は決した。自分の顔を叩いて、活を入れると、燃える瞳をカレンに向ける。

「帰ったら……今日は、カレンさんの好きな夕飯にしようね」

「……楽しみにしてます」

 勇輝は駆けた。青海は唇の端を上げ、追った。二人は振り返らず階段を上がり、見えなくなった。見届けたソリィは、蔦で小人を吹き飛ばし、弾を再装填したカレン本体に向き直った。

「たいした役者ですねカレンさん」

「ソリィさんほどではありません」

 微笑むソリィ。苦笑するカレン。

「わたくしが旦那様から仰せ付かったことは、彼と青海を、違和感無く上に向かわせること。あなたと戦う必要は無いのですが……お受けして頂けますか?」

「いい経験になりそうですし、戦いたくもありますが、逃げたいという気もありますね」

「あら、どうしてです?」

「この世で、苛立っている女性の相手をすることほど、危険なことはありませんから」

「……顔には出てないと思っていたのですが……」

「空気には出ています。特に女性の嫉妬は表に出易いので、注意した方がいいでしょう」

「ご丁寧にどうも。以後、気をつけます」

 蔦が飛ぶ。カレンはそれを跳躍しながら避け、爆弾を投げつけて吹き飛ばす。

「愚痴でも聞きましょうか?」

「はしたないことは致しません。少しの間、戯れにお付き合い下されば十分です」

 にこりと微笑むソリィに、カレンは珍しく額から汗を流した。

「……わりに合わない配役だったかもしれませんね」

 二人の戦いが始まった。その戦いは激しさを増し、騒音を撒き散らし、勇輝たちの耳にも聞こえていた。だが、振り返ることも立ち止まることもない。カレンも共に戦って来た仲間だ。カレンは、勇輝が思っていた以上に運動能力も高く、とっさの判断力も高い。小人を使った戦いもトリッキーで、そう易々と負ける人じゃない。だから大丈夫。信じよう。

「ユーキ」

 階段を上る音の合間を縫って、青海が話しかける。

「もしあそこで、イタズラに時間使うようだったら、ユーキのこと本気で見捨ててたわ」

「……そんな気がした」

 苦笑する勇輝。

「ごめん。あまりにも間抜けだった。甘く考えすぎてた」

 苦笑も一瞬、すぐに引き締まった口元を見て、逆に青海の口元がほころぶ。

「……青海」

「なに?」

「それでも、青海への気持ちは変わらないから」

 笑うだけで、返答はしない青海。だが、先ほどの冷たい空気は無い。それだけでもマシだと思える勇輝。見捨てられそうなところから、再び肩を並べてもらえる所まで株が上がったのだ。今はこれ以上望むべきではない。なにせこの先に待っているのは、カレンがろくな戦闘手段も立てられない相手。青海が真剣にならないといけないくらいの相手。自分の実力なんかで、恋だの愛だのを語っていては、簡単に殺されてしまうほどの力を持った相手なのだから。

 恋を囁き、愛を求めるような、甘さや若さが許される局面ではない。生死の局面。覚悟も集中も、してし足りることはない。それに気付いた勇輝は、最後の階段を上り、屋上に出る為の扉を視界に納めた。同時に、手をかけるより先に、剣から飛ばした炎で扉を吹き飛ばす。

「分かってきたじゃない」

 青海が笑う。深海色の目と共に出てきた笑いは、敵対していれば心の奥から冷え切るほどだろうが、傍にいる勇輝にとっては、違う意味で震えるような魅惑的な色をしていた。その瞳に、心の中でもう一度だけ思いを呟いてから、勇輝は屋上へと出た。月明かりの屋上は、冬の風が縦横無尽に吹きすさび、あっという間に体温を奪い、建物の中へ押し返す斥力で溢れていた。だがそれは、けして自然が生み出した力のせいだけではない。手すりの上に立ち、風が吹いているのに揺らぐこともなく、風景に目を凝らしている黒尽くめの男がいる。マントのようなコートをはためかせる男がいる。裏の世界にその名を響かせ、五十以上ものブックを宿し、他人の記憶を取りこむ男。そして付いた名前が、物語を喰らう者……『テイル・イーター』。

 イーターは二人が現れたことを知っているはずなのに、そのまま風と遊ぶように立っていた。ただそれだけなのに、圧迫感を感じる勇輝。青海にも緊張が見える。だが、青海が緊張を覚えているのは、イーターよりもむしろ、その手前で、静かに剣を握る少女が放つ殺気にだった。勇輝にもはっきりと分かるほどの殺意をサーベルと共に携える少女は、エリミ。血よりも濃い、なのに夕日よりも輝く緋色の瞳が、風に揺れるブラウンの前髪から、垣間見える。

「ようこそ青海、勇輝君。少々待ち侘びたが、期限よりも前に来てくれて嬉しく思う」

「……皆は無事ですね?」

「無論。裏に身を置いているとはいえ……いや、裏に置いているからこそ、約束は守る。君も知ったろうが、表よりもよほど義理やルールを遵守する一面があるからな」

「家族はどこですか?」

「ここにお連れするわけにもいくまい。シスターの方で預かって貰っている。なに、心配はいらん。君が来たことで、私との約束は果たしている。今宵の物語が如何になろうとも、ご家族は五体満足に、もちろん私も手を出すことなく、元の世界に返す手筈になっている」

 イーターが、手すりから降りる。音の無い静かな着地。その傍らにエリミがぴったりと寄り添うと、イーターの右手にサーベルを握らせた。

「さて、せっかくこうして対面したのだが、あまり話す言葉も思いつかない。本来はもう少し会話に興じてからの方が、戦いも面白みを増すのだが……そちらからは何かあるかな?」

「夢大……」

「何かな、青海?」

「……他のキャラを呼ばなくていいの?」

「残念ながら、メグがアギを痛く気に入ってな。一人暮しのOLじゃあるまいしと思うのだが……まぁともかく、長期レンタルしている。これ以上呼ぶのは、メモリーオーバーだ」

 アギという名前に、勇輝が反応する。蜃気楼を生み出した相手の名前がその名だったことを思い出したのだ。そして夢大のメモリが、青海から聞いていた以上だったことに、気圧される。

「エリミは、何かあるかな?」

「いえ、裏切り者に向ける言葉などありません」

「裏切り者?」

「もちろんあなたのことです、青海」

 視線と視線が真っ向からぶつかる。普段は互角だが、裏切り者という言葉が響いたのか、今回に限っては、圧倒的差でエリミに軍配が上がった。表情を崩した青海の前に立ち、エリミを睨む勇輝。イーターはその様子に、ほぅ、と感嘆を漏らすと、愉快そうに笑った。

「まるでお姫様と王子様だな……いや、ブックの名前で言えば、王子ではなく、勇者、か」

 勇輝の表情が変わる。イーターの笑みが強まる。

「勇者の剣、エクスカリバー。昨今のゲームで最強ランクの武器として登場する剣の名だが、本来の真価は剣を収める鞘にある。鞘には魔法がかけてあり、持ち主への災いを跳ね除ける力を有している。そしてその名を冠したブックもまた、炎が出せる剣よりも、剣を収める鞘たる君自身にある。つまり、あらゆる物理攻撃を無効化するという能力こそが、最大の魅力」

 饒舌に語るイーターの言葉は、とてもあてずっぽうや推量によるものだとは思えない。なら、どうして知っているんだ? その疑問を勇輝が口にするよりも早く、イーターが口を開く。

「情報源は関係ない。気にすべきは、こちらが情報を握っているということだ」

 イーターが左の袖をまくり、地肌を露にした。白い腕が、不気味に月明かりを照り返す。

「私は君と戦いたい。故に、君にエリミの相手をして貰っては困る。なので、そうならないための一手を打たせてもらう。……エリミ、頼む」

 イーターがサーベルで自分の左腕に切り込みを入れた。傷口はホルダーの治癒能力ですぐに塞がったが、一筋の赤い血が流れる。青海が信じられない、と目を見開く中、イーターが左腕をエリミの口元に運び、エリミは舌を伸ばした。小動物がするように舌を上下し、血を綺麗に舐め取る。途端、エリミの頬に薄く朱が広まり、目は眠りに落ちる寸前のようなとろみを帯びた。酒を煽ったか、または誰かに焦がれているかのごとく、不安定で色めき立つ真紅の少女。

「ご覧入れよう。我がエリミの、究極にして最凶の一振りを」

 エリミの手の甲から剣が突き出てくる。勇輝のとはまるで違った、グロテスクな現れ方。細胞を千切って金属に変え、血管で装飾し、血液で彩色を施していくように、切っ先から順に、奇怪な効果音と共に姿を現す。かくして現われたのは、エリミの身長の倍はある両刃の大剣。大きさと施された赤い彩色は、シンプルな装飾と合間って、言いようのない寒気を放っている。そして更にその剣は、金属でありながら、生物のような、妙な脈動感を持っていた。

「青海……分かるな?」

 青海がイーターに向かって親指を地面に向けた。イーターに代わり、エリミが青海を睨む。

「……裏切り者の除去を開始します」

「そっちこそ、泡になって消えないようにね!」

 構えたエリミに会わせ、青海が動く。勇輝は割って入り、自分が行こうとしたが、目だけで青海に止められた。作戦と違う行動。しかも明らかに相手に誘導されて……なのになぜ?

 青海は戦闘に集中して、答える状況にない。代わりに、イーターが説明をした。

「血剣エリミネイト。生命金属で出来たその剣は、敵対者の血を吸い上げる魔剣」

「血を……吸う?」

「そうだ。物理攻撃で傷付けるのではない。触れた相手の血液を吸い上げる。と言っても、触手が伸びたり、管が刺さったりするわけではない。触れた瞬間、剣の中に血液がワープするようなものだ。故に、君の絶対防御の発動条件はパスされる」

 笑う夢大を見て、勇気は唾を飲み込んだ。

「君のブックが判断する物理攻撃は、打撃や斬撃といった、外傷が出来る類のものだ。血をワープさせたり、呼吸を止めるような攻撃は無効化されない。よって、エリミの剣が触れただけで、君は死に近づく。そして君の剣術では、エリミの剣を完全に避け続けることは不可能」

 鋭い。詳しい。自分でも、ここ数日の戦闘で気が付いてきた事実を、すでにイーターは掴んでいる。青海はそれらを理解したからこそ、自分が戦うことにしたのだ。炎が出せるとはいえ、勇輝の遠距離攻撃は、あまりにも拙い。スピードも威力も、トリッキーさや追加効果などもない。だから、単体ではたいした攻め手にならない。よって、相手を倒すにはどうしても剣による近接戦闘をする必要がある。が、近接戦闘でエリミに挑めば、高確率で血液を吸われ、死ぬ。回避するには距離を取らないといけない。そして青海は水を使った強力な遠距離攻撃ができる。

「事情が飲み込めたようだな」

 イーターがサーベルを構える。勇輝も剣を構える。青海も水をまとい、エリミも体を落とす。

「さぁ……物語の始まりだ!」

 青海とエリミが動いた。身の丈を越える剣を持っても、エリミのスピードは変わらず、むしろ急に現れる緩みが青海を翻弄する。一方の青海も、ジェット噴射で空を飛び、地上に降りては足元から水流を出し、滑る様に移動し、エリミの接近を最小限に抑え、水弾を放つ。

「周りが血の海じゃないのが救いね」

「不必要です。水場から離れたあなたなど、血剣だけで事足ります」

「言ってくれるじゃない!」

 戦いはエスカレートする。誰かが割り込めば、割り込んだ仲間のせいで不利になるほどの紙一重の連続。その戦いは、互いに傷一つ付けられず、体力と気力をすり減らし続けていく。だが、水場が無いこの戦いは、青海にとってかなり不利だ。予めビル周りを調べていたカレンは、水を車に積んで来たが、限りがある。その事実を知る勇輝は、乱入したい気持ちをぐっと押さえ、まだ動き出さないイーターを睨んだ。怒りや焦りが複雑に混じり、血走しった目で。

「血剣の発動時間は、エリミが体内に取りこんだ私の血量に比例する。よって、時間が長引けば、剣は無くなる。だがそれよりも先に、車に積んだ水が底を尽くだろうな」

 そんなことまで知っているのか……。改めて勇輝は、目の前にいる男……その裏にいるシスターかもしれないが、とにかく敵の情報収集能力の高さを痛感した。

「時間切れは期待できない。ならどうすべきかな?」

「あなたを……倒します!」

 勇ましい瞳と、力の篭った答え。だが……イーターはそれを鼻で笑った。

「殺せ」

 短い言葉が、夜風を従えて勇輝の耳に飛び込む。

「青海を助けたければ、私を殺せ。そうすればエリミはブックに帰る」

 イーターの闇色の目が勇輝を攻める。勇輝の炎が闇を払拭するように燃える。だが闇は炎の隙間を抜け、燃え上がれば上がるほど、色濃い夜を纏い、心に流れ込む。闇は炎に自ら飛び込み、エネルギーを送り、不快感、敵対心、嫌悪と姿を変えて、勇輝の中に降り積もる。それが相手の狙いなのだと分かっていても、渦巻く怒りの炎が勇輝の全身に熱を送る。

「……いいんですか、そんなこと言って? あなたにボクが倒せるはずないでしょ! サモンしかないあなたに、どうして物理攻撃を無効化するボクが倒せるんですか! 」

 イーターは声を荒げる勇輝のことを、小馬鹿にしたように笑いながら、簡潔に答えた。

「屋上から突き落とせば良かろう?」

 炎が陰る。闇がほくそ笑む。

「ブックは優秀だが、万能ではない。弱点となる相手や能力、落とし穴のような欠点もある。しかも、能力が高ければ高いほど、意外なところに。おそらく君も試してはいないだろうが、『物理攻撃無効』ということは、『攻撃でなければ、物理ダメージを受ける』可能性がある」

 その危険があることを勇輝は自覚していた。だが、イーターも気付くとは思っていなかった。

「なぜ屋上か分かったかな? バカと煙の法則で選んだだけではないのだよ!」

 イーターが歩み寄る。夜と同化したように、視界に収まりきらない圧迫感を与えながら。

「君を殺す方法などいくらでもある。重りをつけて水に沈める。毒の入った食べ物を食わせる。精神破壊系のホルダーと戦わせる。能力を無効化するブックを持ち出す……世界の懐は広く、人が産み出してきた物は想像よりも深い。それをその身をもって知るがいい!」

 剣が煌く。初太刀を剣で受け止める勇輝。すぐに二撃目を繰り出すイーター。その攻撃を勇輝は素手でガードするが、ガードとほぼ同タイミングで蹴りが顔面へとぶつかった。ダメージはないと分かっていても、金属が仕込まれた靴から伝わる殺気に、冷や汗が出た。

「まずは、一死」

 イーターが飛ぶ。同時に手元から短剣を投げる。細く長い短剣を勇輝が手で払った瞬間、イーターは手にした極細のワイヤーを操って、刃を勇輝の首筋に叩きつける。これで二死。

 勇輝はすぐさまワイヤーを焼き切り、イーター目掛けて短剣を投げ返した。イーターはそれをコートで打ち払って床に落とす。その間に距離を詰めた勇輝が炎を纏った剣を横凪ぎに振るが、スライディングしたイーターは勇輝足を払い、倒れた所で、腹部を思いきり踏み付けた。

 相次いで、計三死……更にイーターは、剣を握る勇輝の手を踏み、動きを押さえる。

「甘い。浅い。そして若い。簡単に自分が最強無敵だなんて考えるのが、そもそもの誤りだ」

「そんなこと考えてない!」

「ふむ。その言葉が本当かどうか、調べてみるのも一興」

 イーターが、黒い霧を生み出した。その霧は勇輝の全身を覆うようにまとわり付く。

「私が相手の記憶を奪い、自分の物にすることはカレンから聞き及んでいるだろうが……その術を『喰闇クラヤミ』という。そしてこの闇が、記憶を奪うものだ」

 瞬間、勇輝は炎を飛ばして夢大を退け、逃げるように後ろに下がった。だが闇は、張り付いたように勇気を追う。剣で切っても、炎を出しても、闇は同じ姿のまま、まとわり付く。

「それは物質でなく精神的なもの。故に、精神攻撃を排除する術を持たない君に払えはせん」

「外せ!」

「そう憤るな。それは確かに記憶を奪うものだが、すぐに発揮されるというものではない」

 イーターは連続で切り付ける勇輝の攻撃を捌き、かわしながら、説明を続ける。

「闇が君の記憶を食うには、条件がある。一つは、君の体力が限りなく空になった時。もう一つは、君の精神が崩れた時」

 イーターは勇輝の服を掴み、柔道や合気道の要領で遠くへ放り投げた。勇輝は回転しながらすぐに起き上がると、意識を集中して、剣に熱を送る。

「心が折れた時、気絶した時、敗北を感じた時。君の心が弱った時、その闇は記憶を喰らい始める。つまり、物理的に負けず、精神的にも負けなければ、記憶が奪われることは無い」

 三連続の炎を、サーベルで虚空に弾き、イーターが手すりの上に立つ。月を背に立つ姿は、夜の静けさを人知れず守るそれではなく、限りなく自分本意に蹂躙するそれに見えた。

「今回奪うように設定した記憶は二種類。裏の世界に関すること。つまり、組織やホルダーに関すること。そしてもう一つが……青海に関すること」

 消される。充実した日々のことが。奪われる。誰よりも愛しいと思っている相手の記憶が。

「宣言する。情緒も面白みもなく、体力切れで記憶を奪うなどしない。私がするは、精神攻撃」

 焦りを糧にした強い炎がイーターを襲う。サーベルでも弾けないほどの炎だ。だがイーターは焦る事も無くジャンプした。真下を炎が通過し、手すりを夜の空へと凪ぎ飛ばす。

「加えて君も知ってのとおり、私も物書きの端くれ。よって、電波や電磁波など使いはしない。私が使うは唯一、この言葉のみ。破格だろう? なぁ、新米君」

 叫びながら向ける、鋭い勇輝の突きをサーベルで弾き返しながら、胴体に蹴りを叩き込む。ダメージは打ち消されるが、その勢いで勇輝の体が後ろに下がった。

「言われて怒るは、付きつけられて焦るは、それが事実とどこかで思っているからだ。そうとは思わないかね、本の虫君、プチストーカー君、引きこもり君、マザシスファザコン君?」

「思わない!」

 勇輝が炎を連続で飛ばす。だが単調な軌道の炎がイーターに当たるはずもなく、逆にサーベルで叩き返され、勇輝の体が吹き飛んだ。

「こんな安っぽい挑発に真剣に乗るなど、呆れて物も言えぬ。いや、失礼。喋ってばかりだった。どうも歳を取ると必要以上に言葉が多くなる。心身共に幼い君には分からんだろうがな」

 勇輝が置き上がる前に、サーベルの切っ先が、勇輝の眉間に触れた。これで計、四死。

 冷や汗をかく勇輝。目の前には青海のと似た……でもそれ以上に邪悪な微笑みを浮かべるイーターがいる。暴言やジョークを吐きつつ、見た目には蚊ほども戦いに集中していないとしか思えない男。だがそれは偽り……いや、装いだと黒い瞳が言っている。根は臨んでいる。深く、静かに、徹底的に。感覚を総動員して立っている。生き死にの場所であることを理解している。自分が死ぬことも受け止めている。なのに、楽しんでいる。目の前にいるのは、そういう人間。

「反撃はないのか?」

 我に返った勇輝は、力任せに剣を振るった。イーターは飛び退き、サーベルを構える。そして剣を繰り出す度、攻撃を避ける度に言葉を投げ付ける。その精神攻撃とやらは確実に神経と精神を蝕んでいる。宣言されていても、防ぎきれない。言葉だけではない。イーターの存在全てが心を蝕む。態度、表情、空気、無数のアクションが精神を揺さぶる。怒り、恐怖、焦り、戸惑い、反感。アップダウンの激しい言葉が、精神的な防壁を内側から壊していく。

「エリミ、止めは私がやる。くれぐれも殺しはするな」

「承知しました」

「そんなことさせるか!」

「こっちはいいから、自分に集中しなさい!」

「自分よりも窮地な女に心配されるとは、なんとも虚しいな、勇者君」

 青海は徐々にエリミに追い詰められている。明らかに青海の攻撃の手が鈍っているのは、水の残りを考えてのことだろう。下で戦っているカレンのことも気になる。こんなことをしている場合じゃない。こんなところにいる場合じゃない。こんな男の、こんな話を聞いている場合じゃない。なのに目の前の男は真剣に戦っている自分をバカにするように、精神攻撃と称した言葉遊びを繰り返す。その言葉が、その行動が、その存在が、いちいち癇に障る。黙れ。うるさい。迷惑だ。邪魔だ。うざい。どけ。喋るな。なんなんだ、なんなんだ、なんなんだ!

「なんなんだ、あなたは!」

 絶叫にも似た勇輝の言葉が闇を行く。

「何がしたい! 何が言いたい? 本当の目的はなんだ!」

 剣が燃え上がる。周囲を紅に照らす炎がうねりを上げる。触れれば全てを焼き尽くす炎。勇輝自身も驚くほどの炎。その炎の逆巻きは、勇輝の心を代弁するようにイーターを睨む。

「本当の目的、か」

 イーターはその炎を見ながら、やけに落ちついた声と表情で勇輝を見る。

「分かった……話そう。私が君に言いに来た事はただ一つ」

 イーターは咳払いを加え、強調するように、その言葉を伝えた。『君を……救いに来た』……と。そう語った。そんなイーターのことを、勇輝の目がじっと見つめる。

「君はまだ高校生。本来なら学校でその青春を謳歌する年齢だ。なのに、不運にも拾ってしまったブックのせいで、殺人者に変わってしまった」

「不運なんかじゃない!」

「いや、不運さ。覚えているだろう? 人を殺した時のことを。その手に残る感触、悲鳴、崩れる肉と、鼻につく匂い。瞑っても思い起こされる幻想が、何度も苦しみを与えたはずだ」

 勇輝の頭にフラッシュバックする。自分が切り殺した人間。自分が焼き殺した人間。それが死んでいく様と、死んでいく様が忘れられずに、のたうちまわった眠れぬ夜のことを。

「君は犠牲者だ。だが、犯罪者でもあった。君を放置していた本当の理由は、君に贖罪をして貰いたかったからだ。私が記憶を奪った後も、強い苦しみなどは、感覚として残る。故に……もう頃合いだ。これ以上罪を重ねることも、罰を受ける必要もない。素直にその心を開き、私に記憶を譲渡すれば、何もなかったことにして、いつもの生活に戻れる」

 その言葉は、とても魅力的な提案に思えた。何事もなかったことに出来る。家族も無事、自分も無事、そしてブックにまつわる記憶を無くし、いつもの学校生活に戻る。嫌なことはある。苦しいこともある。だけど、吐き気を催すような罪悪感と人の死に様は記憶から無くなる。

「君はよく頑張った。偽り無く勇者だった。だが……そろそろ終わりにしようではないか」

 顔は父親よりも頼り甲斐があり、声色は母親よりも慈愛に満ちている。全てを照りつけ奮い立たせる太陽ではないが、全てを許して受け入れる月のような神秘ささえ感じる程に。

 勇輝は震える身体をなだめるように、そんなイーターの目を捕らえると……

「嘘は止めてください!」

 炎を纏った剣を振り降ろした。轟音と爆音が飛ぶ。それは火炎放射器のように伸びると、薙刀の刃のように広がり、イーターを襲う。速く、熱く、鋭い炎を見て、イーターは剣を投げると、大きく後退しながら、コートで全身を保護するように覆った。そして爆発。炎は夜空を染め上げ、床を砕きながら、ゆっくりと沈静化する。本物の炎ではないため、残り火はない。それでも凄まじい熱は風となり木々を揺らし、爆発の中心部では、大抵のホルダーの攻撃に耐える強度を持ったエリミのサーベルが、折れ、ひしゃげ、使い物にならなくなっていた。

 イーターは額から流れた汗を拭い、着弾地点を挟んで反対側にいる勇輝を見やった。今の一撃で消耗したのだろう。全身を使って呼吸し、剣を杖にするようにして立っている。

 イーターは、勇輝に拍手を送った。破壊力に、予測を上回る成長ぶりに、そして未だに消えぬ瞳の熱に。それは確かに素直な賛辞の気持ちだったが、受け取る側は、バカにされているとしか感じられなかった。勇輝はふらつきながらも構え、敵意を露にイーターを睨み付ける。

「バカにするな……」

「いや、大マジメだ。正直驚いた。よもやあんな一撃を放ってくるとは思わな」

「そっちじゃない!」

 怒声がイーターの言葉を蹴散らす。

「あんなんで負けるか! あんなんで手放すか!」

 それは、記憶の譲渡に関すること。イーターは参ったとばかりに両手を挙げて肩をすくめた。

「……卑怯ですよ、夢大さん」

「確かに……大抵の人間なら、追い詰められた状況で救いの手をさし伸ばされれば、食いつくというものだからな。いや……たいした精神力といおうか、観察眼といおうか……」

 悪びれもせず、元の冷ややかな表情に戻るイーター。

「だが……愚かしい。そのまま落ちていれば、楽になれたものを」

「……だと思います。でも、そんな無責任なこと出来ません!」

 言い放つ勇輝。イーターは静かにあごをしゃくると、その言葉の続きを促した。

「もうボクは殺しました。もう知ってしまいました。だから、戻れませんし、戻りません」

 その言葉は、燃える剣と同じくらいの熱を帯びている。

「単なる成り行きだったかもしれない。でも仲間が出来た。一緒に戦った。助けて貰って、救って貰って、でもボクは何のお返しもしてない……だから、これから返すんです。守って、守られて、一緒に……一緒に行こうって決めたんです。だから、ここでボクだけ引くなんてこと出来ない! 青海もカレンさんも置いて、ボク一人だけ元の生活に戻るなんて出来ない!」

 イーターはその熱弁に関心したように頷くと、夜空を見上げながら、しみじみと呟いた。

「仲間、そしてこれから、か」

「そうです。だから……止めましょう? 夢大さんとは戦いたくない。怖いとかそういうことじゃくて、こんなことになったけど、ボクは本当にあなたのことを……それに青海だって」

「皆まで言わずとも分かっている。青海のこと然り、君のこと然り、私のこと然り」

 なら……と、終戦の期待を込めて見詰める勇輝を、だがイーターは鼻で笑い返した。

「クダラン」

 勇輝の体が固まる。空を見上げたまま、目線だけを自分に向けたイーターを見て。

「卑怯だと……正面から来いと、真実を述べろと言うなら、今度こそ本当に述べてやろう」

 イーターから、一切の温かみが消えていた。月が消え、星が消え、全てを受け入れる優しさが消え、飲み込むように覆い被さり、自分の殻へと押し込めるプレッシャーが顔を出す。

「何をこの後に及んで綺麗ごとを……自分にとって都合のいいことばかりを並べるか!」

 剣の炎が弱まる。目を背けていた心の真実に、容赦なく、闇が食らい付く。

「記憶を無くしたくなかろう。せっかく思い人と深い関係が築けつつあるのに、他の男が出て来て面白いはずがない。その男の救いに乗るなど、言うに及ばずだ。それを取って付けた美論でごまかす。仲間、友情、努力、勝利、平和、敵との和解……飾るな! 素直に言えばよかろう。青海が欲しい、青海の近くに居たい、青海の勇者でありたい。だから記憶は渡せない!」

「そ、そんなことない!」

「加えて、自分が勝てないと分かった途端、青海が死ぬかもしれないと分かった途端、戦いを止めようと言い出す始末……身勝手この上ない」

「違います! ボクはただ!」

「なら貴様は、今まで戦ってきた相手の意見を聞き入れたのか!」

 勇輝が言葉に詰まる。

「聞き入れて来たなどとは言わせない。貴様たちが戦った相手の情報など、とうに手にしている。その中には、お前と同じようにストアのブックを拾ったホルダーもいた。右も左も分からずに、持て余すほどの強い力をどうしていいのかも分からないうちに襲われ、捕まった。そして貴様の見ていないところで、拷問された。イタズラされた。そして最後に殺された」

「そ、それはボクには!」

「それは自分に関係ないとでもいうつもりか! 自分の仕事は捕まえるまで。後のことは知りません。私の仕事は子供を生むまで。生んだ後は知りません。私の仕事は授業を教えるまで。虐めなんて知りません。貴様の言ってる事はそういうことだ。無責任この上ない。恥を知れ!」

 炎が更に薄くなり、勇輝の顔に夜の闇が忍び寄ることを許してしまう。

「……君は知ってしまった。実は人が死ぬというのは、さほど重いことではないことを」

 いきなり話題の変わったことに困惑する勇輝。だが、イーターは気にせず続ける。

「本を読んでいる時、名前も無い末端の戦闘員がいくら主人公に殺されようが、それに胸を痛めることはない。なのに、主人公やヒロインが傷を負っただけで、命の危機に瀕しただけで、悲しみや震えに襲われる。それが実際に死ねば、言わずともがな」

 イーターの流暢な語りは、溶けるように勇輝の中に入り込む。

「現実も同じ。大して知らぬ者、興味のない人間など、いくら死のうが感慨もない。ニュースで連続殺人が報じられるよりも、身内に一人の死者が出る方が、遥かに重みがある」

 イーターが笑う。これほど楽しそうに歪んだ笑顔をする人間を勇輝は見たことがない。

「先ほどの問いに答えよう! 私の本当の目的は何か! それは君に、壊れんばかりの、揺れ動く気持ちの変化を与えたかったということだ!」

 イーターがエリミたちの方に指を向けた。見えるのは、青海の喉元に突き付けられた血剣の切っ先。そして、イーターが次に指したのは、屋上の入り口。そこに現われたのは、腕がもげ、泡を噴きながら、首が一回転したカレンを蔦に運ばせてきたソリィ。それを見た勇輝の手から剣が落ちる。震える体を抑えるように、両手で自分の身体を抱く。曖昧な単語を繰り返す。

「私が動かなかった理由が、強くなるのを待った、という推理は大間違いだ。私は、君に取って青海とカレンという存在が、より身近な存在になるのを待っていただけだ。単なる人間の死を重く取らなくなった、顔を知っている教師を殺したくらいでは動じなくなった君が、日々を重ね、信頼を寄せた仲間が死に直面することで、深い絶望を感じてくれるようにな」

 勇輝に近寄り、地面に落としたままのエクスカリバーを蹴飛ばすイーター。剣は屋上から、夜に飲み込まれるように消え、地面に落ちた。イーターは無反応な勇輝から離れると、ソリィのツタからカレンの身体を受け取り、勇輝の足元に放り投げるように、その身体を横たえた。

「さ、良く見てあげるといい」

 イーターは、顔を背けようとする勇輝の顔を両手で掴み、無理矢理その姿を確認させる。白い肌。張りついた黒髪。割れた眼鏡の奥にある光のない目。開いた口からは泡が漏れ、腕のなくなった肩は、血が固まったのか、奇妙な色に変色している。その人でない姿に、勇輝は思わず顔を背け、込み上げて来た吐き気を必死に押さえながら、床にへたり込んだ。

「一つ、レクチャーしてあげよう……君は、勘違いしている」

 イーターの声が遠く聞こえる。なのに言葉は、今まで聞いたどの言葉よりも根深く広がる。

「君は『愚かしき勇者様』などではない。彼は愚かしくはあったが、本質は勇者だ。だが君は逆。名付けるならば『勇ましき愚者様』だ。勇ましくはあったが、本質は愚か者。見せ掛けだけの勇ましさに全てを委ねるから、このような痛々しい現実に向き合わねばならなくなる」

 イーターが青海とエリミの傍へと移動する。

「……お前もヘタに同情などしなければ、こんな惨めな姿になることもなかったろうに」

 何か言いたげな青海だが、エリミの握る剣の切っ先があるため、口を開くことも叶わない。

「エリミ、剣を」

 エリミは剣を持っていない方の手に噛み付き、血からサーベルを作ると、夢大に渡した。

「ついでに述べるが、君のご家族は無事に帰す。が、その後は知ったことではない。裏の世界の人間から報復を受けるかもしれない。表の世界で、犯罪者として死んだ君の汚名を、一生背負うかもしれない。だがそれらは、全て君のせいだ。君が弱く、愚かで、そうなることを予測しながら、青海と共に暮していたいという願いを優先させた軽率さのせいだ」

 勇輝が震える目でイーターを見る。何も言い返せない。その全てが事実だから。

「さぁ……物語を終らせよう。恋焦がれる少女が、目の前で散る姿を見れば、強情な君も折れるだろう。こんなことで青海を手放さないといけないのは惜しいが……まぁ、青海も裏切ったわけだ。少々重すぎるかもしれないが、罰として甘んじて受け入れて貰おう」

 イーターがサーベルを振り上げる。青海が、何かを諦めたように力を抜く。

「さらば……青海よ」

 瞬間、勇輝は走った。手に……イーターが床にうち捨てたままの、細く長い短剣を握って。

「やめろぉおおおお!」

 イーターはそんな勇輝を見て……身じろぎ一つせずに、笑った。そして、短剣が刺さる。イーターの背中に。黒いコートを超え、シャツを超え、肉を突き刺す感触が短剣越しに伝わる。

「や、めぇ、ろぉおお!」

 叫びながら短剣を更に押し込めようとする勇輝。だが、イーターが背中に手を回し、刃を掴んで、それ以上は進まない。背中から、手から、血が流れる。なのに、イーターは笑う。

「青海、すまなかった……だが、終いだ」

 エリミの手から血剣が消える。代わりに斧を作り出し、勇輝めがけて横殴り気味に振り下ろした。吹き飛ぶ勇輝。イーターは青海に軽く口付けてから、引き抜いた短剣を投げ捨て、ソリィに目配せした。蔦が舞い、勇輝の身体を更に吹き飛ばす。ダメージは無いが、肺が圧迫されたのか、咳き込む勇輝。それでもすぐに立ち上がり、ふらついた足取りでイーターに向かう。

「エリミ、彼に剣を」

「承知しかねます」

 その断固とした物言いに、イーターは自分が握っていたサーベルを勇輝に投げ付けた。勇輝は剣を空中に跳ね上げてからキャッチし、再びイーターに向かって来る。

「エリミ、私に剣を」

「……承知しました」

 サーベルを受け取り、前に踏み出し、振りかぶった勇輝の剣を下段から受け止める。

「よく刺した。それでこそ……青海を預けていたかいがある」

 言葉は無い。叫びだけが、勇輝の口から溢れる。感情が、気持ちが、心が爆発して、頭が言葉を生み出すよりも先に、次々に出て行ってしまう。

「詫びよう、勇輝君。君は、愚かながらも、勇しくもあった」

 何度も何度も、剣と剣がぶつかる。イーターと勇輝がぶつかる。勇輝からは息が漏れ、イーターからは血が溢れる。だが二人共そんなことを厭わずに、剣を振り、止め、撃ち返す。

「短剣を残したのも、刺されたのもわざと。それはどうしてか分かるか?」

 返事の代わりの斬撃。イーターはそれを受け止め、つばぜり合いの状態に持ち込んだ。

「君のことを調べて分かった。話を聞いて分かった。君は、私に似ているところがある」

 イーターが振り返る。自分も勇輝と同じように本の世界に浸っていた。勇輝と同じように愚かしい人間だった。自分に手一杯で、好きな相手に好きとも言えない相手だった。唯一の取柄といえば、少なからず他人の心や表情が読み取れたことだけだった。そして……

「焦がれる女性も似ている」

 イーターが、瞳に複雑な色の水分を溜めた青海を見やる。

「君と私は似ている。だから君が青海を気に入るのも、青海が君を気に入ったのも分かる。あれは我が強いし、わがままだし、乱暴だし、突拍子もないし、口は悪いし、すぐ拗ねるし、ひねくれているし、平気で虐殺するは、おにぎりに砂糖を死ぬほどかけてくれたりもする」

 そして……と、イーターは微笑んだ。柔らかな、穏やかな笑みで。

「真っ直ぐで、強く……同じくらいに弱く儚い。なのに優しい。身内には……気に入った相手のことは、全力で守ろうとする。大事にしようとする。時には自分の悲しみも苦しみも押し込めて、笑い続けようともする。君はそんな青海に気がついたね?」

 勇輝が……頷いた。もう、叫びは無い。ただ、空気が漏れるような息遣いだけが聞こえる。

「カレン……いや、灯影、アン、もういい」

 カレンの全身がグニャリと歪むと、次の瞬間には、どこにも傷のない白髪の女性が立っていた。そしてお辞儀をすると、その身体が二つに別れ、アンと灯影へと変わる。

「……悪いな勇輝、オーミ。でもこれが、台本を書き上げてもらう条件だったんだわ」

 アンは目を伏せ、灯影は苦笑いを浮かべて、アンの身体を後ろから抱きしめた。

この世に、花園カレンという名のホルダーは元から存在しない。カレンは、夢大がアンと灯影の能力を利用して思いついた、架空の人物。二人を監視し、情報を集める内通者だった。

「二人から君のことは聞いていた。君の人間性、私なんかの本を大切にしてくれていること、そしてどれだけ青海のことを思い、大事にしてくれていたかも。……その気持ちに応え、私も本心を語ると共に、青海の本当の姿を見せてあげたいと思う」

 イーターが青海を見る。青海は複雑な顔で視線を受け止めると、躊躇いながらも頷いた。

「愛してる……青海」

「……あたしも」

 魔法の呪文を唱えたかのように……青海の身体が水に包まれた。水は七色の光を放ち、弾け、シャボン玉のように、辺り一面に広がった。その小さなシャボンの渦の中にいるのは、制服ではなく、水の布を波の糸で縫い上げたようなドレスに身を包んだ青海。そのデザインに合わせたように青い髪は解かれ、細波のように広がり、耳は御伽噺に出てくる龍のように尖っていた。そして何よりも印象的なのは、その瞳。汚れの一切を取り除いたような無垢な海の色。

「紹介しよう。私の最愛の女性『deep sea princess』に宿るキャラクター……青姫だ」

 青海が近寄る。その悲しげな瞳と、薄い唇を見た途端、勇輝の全身から力が抜けた。サーベルが落ち、その後を追うように、身体が地面に崩れる。そして勇輝は、自分の回りに星が煌いているのを見た。こんなにも星の輝きを愛しく、そして切なく思うのは初めてだ。

「最初……から、夢大、さんのシナリオ……通り、だったん、です、ね」

 小人とカレンがそうであったように、アンの体の一部は、アン本体と記憶や知覚のやり取りが可能だ。青海はその事実を把握していなかった。だから、自分の腕を覆っているアンの体組織を利用して、夢大たちが居場所を把握し、会話を知ることができるなど、思いもしなかった。夢大はそれを利用し、青海の助けたいという思いと、勇輝が悪人でないということを確かめ、作戦を打ち出した。まずは、台本を書き上げることを条件に、同化したアンと灯影が、カレンとして勇輝の元に向かう。その後、事実上シスターが全権を掌握している組織を経由して、シスターの仕事を回した。おかげで勇輝はシスターに狙われる対象から、保護される対象へと昇格した。シスターというバック、青海とアン&灯影という仲間を得たことで、勇輝への危険は格段に下がった。それだけでなく、勇輝がこなした仕事への報酬を使い、メグが他の組織へ根回しをし、家族が狙われないようにもしていた。そして今は、家族揃って旅行に行かせている。ホログラフィで見た妹の姿は、アンと灯影が同化して姿を変えたものだ。

そして最後に、夢大が言った通り、勇輝にとって青海とカレンが大切な存在へとなった今夜、最後の幕を切って落とした。つまり、この最後の物語を開演させた。

「あは……はは、は……なん、だ、そう、か」

 星が増える。いや、それは星ではなく、勇輝の記憶。記憶がどんどん抜けていく。それと共に、抗い難い眠気が全身を支配し始める。

「……青海、も……最初、か、ら?」

 青海が首を横に振る。

「いや……青海は、ずっと自分の気持ちで動いていた。君への思いは本物だ。……カレンも、な。どちらも、演技で嫌いな人間と暮らせるほど、出来た神経はしていない」

「そっか……なら、それで……いい、や」

 星が移動を始めた。勇輝とイーターを繋ぐ闇の掛け橋を渡り、星が夢大へと流れる。

「ボクは、愚か、だったかもしれ、ない。で、も。本当に……青海、の、こと、は」

「言わなくていい……すでに感じている」

 イーターの目から涙が落ちる。記憶を受け取る度、感情が再現される。コンクールの日から始まり、今日に至るまでの喜びや切なさを。そして、それらを失うという悲しみと辛さを……。その涙が、今自分が流している涙と同じ涙なのだと知って、勇輝は少しだけ微笑んだ。

「夢大、さ、ん。青海のこ、と、大事に、して、あげ、て」

「約束しよう。私の分だけでなく、文字通り『君の思いの分も』だ」

 星が流れ終わった。あとは闇がイーターに戻れば、勇輝は全てを忘れ、元の生活に戻る。

「最後に何かあるかな?」

「あ、の……ボクが元、の生活に戻った、ら、夢大さんの……サイン、くだ、さい」

 勇輝は最後の気力を全て使い、人の悪い笑みを浮かべると……静かに、燃える瞳を閉じた。

「……サインするのは嫌いなんだがな」

「だからこそ、だろ。嫌がらせにして、最大の宝物になるじゃーないの」

 灯影は勇輝の身体を抱えると、アンと一緒に階段を降りて行った。ソリィとエリミも、無言で階段を降りて行く。そして……二人だけになった屋上で、夢大は床にうずくまり、涙を零し続けた。青海は傍らに寄り添い、夢大の頭を優しい手つきで撫で続けた。

「……私はなんとも度し難いことをやっているな」

 夢大は知っていた。青海が勇輝を気に入っていることを。個人にあまり興味を持たない青海が名前を覚えていたのだ。その青海が助けてあげて欲しいといった。だから、気持ちとしては助けたかった。だが、勇輝はシスターの捕縛対象だ。すぐに助けるとは言えなかった。それを回避する作戦を立案したはいいが、物理攻撃の効かない勇輝を殺さずに追い詰めるには、精神的なものしかなかった。だが、その為に勇輝はもちろん、灯影とアンに苦い気持ちを強要させたし、青海に至っては、苦いでは済まないほどの苦痛を与えることになった。

「離れたくなったらば言うがいい。もしそう願うなら、私は……」

 全てが言葉になる前に、夢大の口が塞がった。目の前に、青海の顔がある。唇は、青海の唇で塞がっていた。イーターは静かにそれを受け止めると、言いかけた言葉の続きを削除した。

 やがて二人は、夜が移動するのと同じほど緩やかに唇を放す。そして青海は、音の無い言葉を囁いた。その唇だけで作られた言葉を受け止め、夢大はありったけの温もりを込めて、同じ言葉を返した。その小さな呟きは、一際強く吹いた風にかき消され、耳もとの青海にしか聞こえなかった。だが込められた温もりは屋上に行き渡り、無数の泡を次々に弾けさせ、青海を元の制服姿に戻した。夢大はコートの中に招き入れるように、青海を強く抱き寄せた。

 裏の世界に名を響かせる、テイル・イーターとアオヒメ。普通の人間として暮らす、夢大と青海。ホルダーとブックに宿るキャラクター。そしてそれら全ての関係を超えた二人。

「……ただいま、夢大」

「……おかえり、青海」

 もう一度重ねた口付けは、千の言葉よりも、万の歌よりも勝る気持ちで彩られていた。



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