ACT5 『勇者の元に仲間が集う』
どこをどう歩き、どう帰ってきたのか覚えていない。だが、気付くと勇輝は自宅の前にいた。家からは明かりとテレビの音と、笑い声が聞こえる。いつもの家だ。仕事熱心だが家族を大事にする父。少し心配性過ぎるが、優しい母親。最近めっきり口煩くなったが、それでも大事だと思える妹。その輪の中に入れば、正義の味方から普通の男子に戻ることができる。本が好きで、たまに女の子のことが気になるが、眺めているだけの、気の弱い自分に……。
お風呂に入りたい。ご飯が食べたい。本を読みたい。そして出来ればあの人が夢に出ることを願いながら眠りたい。だけど足は一歩も動かない。門に手が伸びない。そのままどれだけ立ち尽くしていただろうか? いつまでも立っているかのように思えたが、雲が月を隠した数秒の間に、家から離れてしまった。力のない足取りで向かった先は公園。緑の多い、あの公園。
冬の夜。人がいるはずもない。が、それでも奥へ奥へと隠れるように移動する。そして、樹齢の高い木の幹にもたれるように地面へとへたり込んだ。月明かりも星明りもない茂みの中に、膝を抱えるように座り込んだ。普段なら恐怖を覚えるような暗がりだが、今の勇輝には落ち着きを与える場所であった。何も見えない……誰にも見えないということが、落ち着きを与えたのだろう。何を考えているのかすら分からなかった頭が思考を取り戻した。
まず整理する。今日何をして、何が起きたのか。何のせいで混乱してしまったのか。
力を使うと決めてから始めた、見回りをしていた。そして、能力者と思わしき相手を見つけて後を付け、確信を持てたところで撃退した。今日倒したのは、体育教師。そしてその後、青海たちと出会った。混乱しているのは、ここのせいだ。憧れていた作家との奇妙な出会いも一つであったろうが、一番の理由は……青海だ。青海が現れ、死体を見ても、非現実的な能力を前にしても驚かなかったこと、自分と同じように不可思議な力を有していたことに混乱した。
(いや……そんなことじゃないな)
問題なのは、青海がどんな存在だったかではない。その青い目が、自分のやっていることを非難しているようで、苦しかったのだ。ただ見られただけで、自分が自分の行動を正当化しているだけのような気になって、泣きたくなったのだ。犯罪者なら殺していいの? 本当は悪いことだと思ってるんじゃないの? そう、責められたような気持ちになったのだ。
クリアーな思考が気持ちを整理していくが、とても処理しきれない。ちぐはぐな頭と心はギシギシと音を立て、不協和音を撒き散らす。その音を鎮めるためか、潤滑油が頬を流れた。頬から顎へと流れた水は、地面に惹かれるように離れ、冷たい土の中に染み込む。
胸の奥に収まっている剣は、その水分が嫌いなようで、蒸発させようと激しく燃え盛る。なのに、燃えれば燃えるほど、水分は溢れ続けた。
どっちなんだ? なんなんだ? 止めたいのか、続けたいのか、後悔しているのか、誇っているのか、さっぱり分からない。分からないから葛藤が続く。熱と雫の戦いが続く中、終わりのなさそうな争いを止めるかのように、林の中に声が滑り込んだ。
「ユーキ、いるんでしょ?」
それだけで誰なのか分かった。教室で座りながら、廊下ですれ違う時、意識せずとも耳が向いてしまう相手の声なのだから。願わくば、夢に出てきて欲しいと思いつつ、本当に出てくると照れくさく、そしてそんな女々しいことを考えている自分とは、一生繋がりなんかできないだろうな、と思っていた相手なのだから。その少女の名は……青海と言う。そんな青海が、自分の名前を呼ぶようになった。嬉しいと思う反面、今は恐怖でもある。だが、その声に求められた以上、返事をしない、ということはできなかった。
「……いるよ」
「何もしないわ。あたししかいない。嘘だったら、死んであげる。だからそっち行くわよ?」
信じる根拠は無い。青海が単なる同居人や恋人として夢大に関わっているだけでないのは明らかだ。自分への敵意を露にした人間の側にいる青海。その言葉を信じるに足るものは無い。が、信じたい気持ちはあった。事実と気持ちは、天秤にかけるまでもなく勇輝の身体を動かした。茂みから出る。白色の街頭と月明かりの下には、薄っすらと汗ばんだ青海が立っていた。
「なんでこう、あたしの周りは引き篭もりが多いのかしらね」
「……ここはアウトドアだよ?」
「どっかに隠れてれば、中でも外でも一緒でしょ」
冗談を交わしたが、それ以上続かない。顔を見合わせたまま立ち尽くす。どちらも聞きたいこと、言いたいことがあるのだが、どこから切り出したらいいのかが分からない。そんな時、携帯が鳴った。勇輝のものだ。通信相手は自宅になっている。あまりにも帰りが遅いから心配になったのだろう。勇輝としても、なんか言っておきたい。が、電話に出るほどの気力がない。
「……あたし、どんだけバカなのよ」
突如青海が、自分の携帯を地面に叩き付けた。続いて水の刃で切り、鎚で押し潰し、完全粉砕。そして、辺りの様子を探るように眉根を寄せ『平気そうね』と呟いた。突然のことに、勇輝の葛藤も困惑へと変わる。だが青海は、説明するよりも先に、勇輝の手を取って走り始めた。
「ど、どうしたの?」
「携帯に発信機付けられてたの、忘れてたのよ!」
「……忘れるもんかな、そういうの」
「気付いていない振りしてるうちに、どーでもよくなっちゃったのよ」
詳しい理由は分からないが、青海の様子が普通でないことだけは分かる。勇輝は一瞬だけ悩むと、音の止んだ携帯の電源を切って、ポケットに深く押し込んだ。
「ねぇ、何かあったの?」
「むしろこれから起きるかもしれなってぃぅ!」
走りながら喋るものだから、舌を噛んでしまう青海。ほとんど八つ当たり的に、心配そうに自分を見つめる勇輝にチョップをかましてから、再び走る。
「説明は落ち着いたらする。だから、どっちか選びなさい。一緒に来るか、一人で逃げるか」
前を走る青海の顔は見えない。だが、勇輝にはその問いが、お願いのように聞こえてならなかった。だから、勇輝は自分の戸惑いも葛藤も二の次に返事をした。
「行くよ、一緒に」
「……そうこなくっちゃ!」
ウィンクする青海の横顔は、いつもの明るいものだった。少なくとも、顔の形だけは。
街を走り、向かったのは、都内にある某ホテル。かなり値の張る場所で、雑誌やテレビでも取り上げられるほどだ。ボーイが立ち、自分の家がすっぽり入るエントランスを見ただけで萎縮する勇輝。対照的に、青海は堂々とフロントに近寄ると、空いている部屋を指名した。それだけでも驚きだが、フロントと親しげに会話し、ボーイを断って自分で鍵を受け取る様は、更に勇輝を唖然とさせた。物怖じしない性格だとは思っていたが、ここまでとは……。
「ほら、行くわよ」
勇輝を連れ立って部屋へ向かう青海。
「もしかして青海さん、よくここに泊まるの?」
「気分転換にね。安心して、携帯持って入ったことはないから、あいつにもばれてないはずよ」
鍵を開けて中に入ると、意外にもシンプルな作りをした部屋だった。過度の調度品などはなく、慎ましやかな印象を受ける。が、それはあくまでぱっと見。豪奢でない変わりに、部屋の中にあるもの一つ一つの出来が良く、料金に見合った質を保持している。
広々としたリビングにコートを放り投げ、青海はソファに横になった。対して、どうも落ち着かない勇輝は、おっかなびっくりコートを脱ぎ、畳み、ソファの端に腰を下ろした。
「あー、扉開けなきゃ」
青海は、ぐったりと横になったままブレザーのボタンを外して、ネクタイを緩めている。起き上がるのも億劫そうな青海の代わりに、勇輝がドアに近づく。すると、合わせたかのようにノックの音が飛び込んだ。扉を開けると、軽食とドリンクを運んできたボーイが立っていた。フロントで注文してあったらしい。テーブルの上に品を並べ終えたボーイに、青海がチップを払うため、コートから財布を取ろうとしたが、手が届かない。勇輝はいそいそと駆け寄ると、青海の代わりにコートを取り、言われたポケットから財布を取り出して渡した。
「ありがと。将来、良いメイドになれるわよ」
「せめて執事にして欲しいな」
ボーイは青海に嫌な顔もせず、貰うものを貰い退室した。勇輝は呆けたままそれを黙って見送っていたが、鍵を閉めようとドアに近づくと、当たり前のようにドアは勝手に閉まっていた。
「さってと……何から話そうかしら」
サンドイッチを齧りながら寝転ぶ青海の発言に我に返る勇輝。オートロックのドアが閉まっていることを再度確認してソファに座ると、軽食に手を伸ばすより先に、質問をぶつけた。
「なんであんな場所にいたの? 青海さんは何者なの?」
先ほどは混乱していたせいで出なかった質問が、関を切ったように溢れる。答える前に飛んで来る問いに、青海が不機嫌な顔を見せる。勇気が気付いたのは、すでに四つも五つも質問した後だった。慌てて謝る勇輝に、青海はふて腐れながら起き上がると、順を追って話し始めた。
「最初に、私はずっと前から、ホルダーとしてのヒメっていう名前があるの」
ホルダーと言われても、理解できない勇輝。それはそうだ。ブックを持てど、基本は一般人。ホルダーがどういう存在であるか、知っているはずもない。
「ホルダーっていうのは、ユーキもだけど、変な能力を持った人間のこと。ちゃんと言うと、ブックって呼ばれてる本を体に宿して、その能力を使う人間のこと。持ってるでしょ、変な本」
頷く勇気。青海は勇輝が理解したことを見ると、次いで仕事のことを語った。シスターという裏の何でも屋のこと。そこから受けた依頼で壊滅させた組織BB。そして逃亡したメーカーが作った組織ストアと、ストアがばら撒いたブックのこと。
「つまり、ボクが拾ったブックが、そのメーカーの作ったものだってこと?」
「たぶんね。そんなポンポン道に落ちてるもんじゃないし」
その後も青海は、勇輝に一連の事件のことを聞かせた。ブックを拾った人間による犯罪者殺しと、その犯罪者殺しを止めるべく動いた夢大たちのこと。勇輝はその話を、青海が驚くほど素直に、そして正しく聞き入れていた。
「夢大さんたちは犯罪者殺しを止めるため、そして黒幕に辿り着くために、新米を狩っている。そして同じメーカーが作った本を拾ったと思わしきボクもその対象、ってことか」
今まで見たことのない勇気の表情に、青海がじっと瞳を向けた。それはクラスで虐められている人間とは、ホテルの内装に落ち着きを無くしていた人間と同じとは思えないほどに引き締まっていた。理知的というか、大人びたというか……。
「で、夢大さんは書き込んだ人間……エックスがボクだと当たりをつけたんだね?」
いきなり視線が自分を向き、慌てる青海。青海の様子を見た勇輝の表情はふっと崩れ、またいつもの気弱そうな色が戻る。
「あの書き込みだけで、そんなにバレルなんて、考えが浅かったよ」
勇輝は苦笑しながら自分の胸に手を当てた。剣が出入りするのと同じ場所から現れる、古びた一冊の本。その本は、青海も一度だけ見たことがあった。公園で青海が覗き込んだあの本だ。
「題名は『勇者の剣 エクスカリバー』……だから、エックス。単純でしょ? 能力は、剣を出すことと、その剣から炎を出すこと。あと、自分への攻撃を無効化することができるみたい」
攻撃の無効化という言葉を聞いて、青海は記憶の中から、映像を引っ張り出した。ソリィの蔦が当たったのに無傷だったこと。空手部の男子に殴られても、堪えてなかったこと。そして青海は見ていないが、教師の強打に無傷だったのもこの能力のおかげだ。
勇輝はパラパラとめくって中を見せると、再び本を身体の中に戻して、会話を再開させた。
「これを拾ったら、なんの前触れもなく、使い方が分かった。恐怖もあったけど、ボクは本を体に入れた……でも、使いたくなかった。それくらい強力なことは分かったから」
「じゃぁ、なんで使い出したの?」
うつむく勇輝。頭の中に、雷人を殺した日のことが浮び上がる。
「許せなかったんだ」
その口調には、今までの穏やかな語りとは違う熱のようなものを感じる。
「許せなかった。だってそうだろう? 悪い方がまかり通って、正しい方が虐げられるなんて、あんまりじゃないか。力が無いってだけで殺されるなんて、あんまりじゃないか!」
「じゃぁ……ホルダーは悪いの?」
「……そう、思ってた」
勇輝の顔が上がる。その目に、炎を宿して。
「でも、話を聞いて変わった。悪いのはホルダーじゃない。その力を悪用することだ」
「どう違うの?」
「青海さんはホルダーだけど悪い人じゃない。そして、きっと、夢大さんも」
青海の表情が揺れる。自分の名前が出たせいか、夢大の名前が出たせいか……。その判別は勇輝にはできなかった。当の青海でさえも。二人は再び黙りこくり、暖房の音だけが無機質に流れる。その流れに任せたまま思考を止めていた勇輝だが、ふと思いついたように口を開いた。
「そういえば、青海さんの本は?」
「……あんまり言いたくないんだけど……こっちだけ秘密はずるいわね」
勇気の目の前で、グラスの水が空中に浮かび、輪になり線になり、再びグラスに戻る。
「ブックネームは『deep sea princess』」
「……深海のお姫様……人魚姫?」
うっすらと笑い、肯定を表す青海。
「能力は水分を操ったり、感知したりすること」
「だから雨が降るのを察したり、ボクの居場所を見つたりできたんだね」
これで、互いに自分の能力を晒し、今までの経緯を語り終えた。だが、これで終わりというわけにはいかない。今に続いてきた過去を理解したのであれば、今から続く未来を決めなくてはいけない。勇輝はこれからも活動を続けるのか。続けるのだとしたら、夢大にはどういう姿勢を見せるのか。そして青海もまた、勇輝と夢大にどういう対応を取るのか。
冷徹な対応を取られ、感情的になって飛び出したが、夢大を裏切ろうとしたわけではない。できれば勇輝にはホルダー殺しを止めてもらい、夢大は勇輝を狙わずにいて欲しい。が、そんなに都合のいい話がまかり通るはずがないことは、長い仕事の経験から理解している。
希望と現実のジレンマを解消するには、片方を切り捨てるか、別の道を模索するしかない。
「……ごめんね。せっかく止めに来てくれたのに」
その発言と瞳を見れば、勇輝の言わんとすることはすぐに分かる。
「夢大は……テイル・イーターは強いわよ? シスターだって生半可な組織じゃないわよ?」
「うん、分かる。なんか……怖かった。でも、やっぱり自分で決めたことだから」
志は変わらない。いや、むしろ強固になったくらいだ。
「ホルダーを止められるのがホルダーだけなら……ボクが他のホルダーを止められるなら、止めたいって思う。やりたいって思う。今度こそ……本当に」
きっと、あの日から今日までは、自分を正当化するために。だけど、今日からは本当に誰かの為に。例え夢大と青海に敵対することだとしても、自分の意を曲げるつもりは微塵も無い。
「じゃぁ……ありがとう。ボク、もう行くね」
コートを着る勇輝。このままドアノブに手をかけ、出て行けば、青海は夢大の元に戻る。その時は夢大側として、勇輝と対立することになる。しかも、そう遠くないうちに。
青海は勇輝の背中を見て、自分が引き金を引いたことを自覚した。自分と話をせず、家に帰っていれば、勇輝は元の生活に戻ったかもしれない。涙したままの、熱の弱い勇輝なら……だが、燃え上がった。覚悟と決意という芯を備えた勇気は、風に吹かれて揺らぐ弱い炎ではなくなった。青海は助けるつもりで、止めるつもりで行動した。が、結果は火に油を注いで、しかも水までかけてしまう始末。だけど、消化する手段は必ずある。そう思う。
「待って、ユーキ!」
勇輝が立ち止まる。驚くほど素直に。それは、心のどこかで、そうなることを望んでいたからかもしれない。それに続くセリフを待っていたからかもしれない。
「……あたしも手伝うわ」
仲間が欲しかった。一人では押し潰される気持ちも、仲間がいれば奮い立つのではないか、と。今まで読んだ物語の主人公たちと同じように、仲間と共にいれば、困難があっても向かえるのではないか、と。そして出来れば、その仲間に青海がいて欲しかった、と。どんな形であれ、傍に居たいと思っていた少女が、近くに来てくれるという。それが嬉しくないはずがない。
「……いいの?」
だが、素直に仲間になって欲しいとは言えなかった。プライドか、思いやりか、はたまた別の感情によるものか。自分にも判断しかねたが、付いて来て欲しいとは言えなかった。青海は、そんな勇輝の心を知ってか知らずか、戸惑うこともなく頷いた。
自分がいれば、シスターはともかく夢大はやたらに手を出して来ないはず。それに、勇輝の傍にいれば、暴走するようなことがあっても止められる。こうして自分が中に入って、互いが睨み合っている間に、発端であるストアをとっ捕まえれば、きっと丸く収まる。
(……そうよね? そしたら、許してくれるわよね?)
それは予測というよりも希望の方が強い。だが、今この場でできる最良の選択であったとは思う。引き金を引いた責任と、夢大の元を飛び出した償いになるとは思う。
「よろしく、ユーキ」
「……ありがとう」
勇輝が手を差し出す。青海が握り返す。辿った経緯は複雑だが、勇輝の望んでいた仲間が加わった。めでたいといえば、めでたい。それを祝うかのように、部屋の中に拍手の音が響いた。青海は、すぐさま手を放して身構えた。同時に水を浮かせて、輪を作っている。それに遅れて、勇輝も剣を胸元から引き抜いて臨戦態勢を取った。そして青海は、喋るよりも先に肘で勇輝の体を反転させ、背中合わせになってから、意識を集中して、部屋の中に漂う水分を探った。
生物は基本的に水分を発している。これだけ近く狭い場所なら、呼吸に含まれる水分程度でも位置を割り出せる。……いた。壁際だ。水がムチのようにしなり、カーテンを切り裂いた。多少丈夫な作りはしていたものの、あっさりとカーテンの下半分が床へと落ちる。
「物は大事にすべきだと思いますが……」
両手を挙げた人形のようなものが立っていた。おかっぱ頭で眼鏡をかけた日本人形のようなそれは、だが人形というよりは、人間だった。子供が抱えられる大きさまで縮んだ少女。そう表現した方が妥当だ。その小人は、服の裾を払うような仕草をしてから、再び両手を上げた。
「あんた何なのよ?」
「もちろんそれをお話します。ですから、臨戦態勢を解いて下さい。こちらには攻撃の意思はありませんし、勝てるだけの戦力も保持していません」
「こそこそやって来た奴の言うことが信じられると思う?」
「いえ、思えません」
肩をすくめるマネを見せて、小人は更にのたまう。
「何かご質問があれば答えましょう。そして信用に足ると思ったら、飲み物を下さるとありがたいです。何分、不慣れな土地でだいぶ歩かされましたからね。いくら用心のためとはいえ、これでは集まる者も集まらないと思いますが」
何を一人でベラベラ喋ってるんだ、と視線を鋭くする青海。だが、勇輝はふと剣を握る力を緩めると、伺うように視線を向けた。
「もしかして、書き込みを見てくれたの?」
「そうです。探しましたよ、エックス」
安堵する勇輝。だが青海は、臨戦態勢を解こうとした勇輝に、軽く蹴りをいれた。ダメージは無いが、言いたいことは伝わり、勇輝は再び剣を固く握り締めた。
「その言葉を信じる根拠は?」
「ありませんね。あなたが考えるように、敵である可能を否定する物的証拠は何もありません。その代わり、こちらの手の内を明かしましょう」
小人はそう語ると、ふっと姿を消した。変わりに青海たちの後ろでカチャリとドアが開く音がする。見ると、今消えたはずの小人が鍵を開けていた。瞬間移動能力? いや、違う。小人が扉を開けると、廊下の向こうから、一人の少女が入って来た。青海よりも背が低く、体も細い。だが、顔つきから見ると、成人間近くらいだろう。黒髪おかっぱの眼鏡で、その姿は小人をそのまま人間サイズに引き伸ばしたような姿だった。唯一違うのは、服装くらい。スカートの下にジーンズをはいて、更に厚手のコートを着ている。
「初めまして。私が小人の本体、花園 カレンです」
小人がカレンと名乗った少女の肩の上に乗る。そして消えたと思ったら、青海の足元に現れ、再び消えると、勇輝の頭の上に正座で現れ、最後に扉を閉めると、カレンの肩へと戻った。
「分類はサモンタイプ。本の名前は『ホーリーブラウニー』。一定範囲内に、最大で二体の小人を呼び出し、自分の代わりに仕事をさせることができます」
カレンはソファに座り、抱えていたノートパソコンに電源を入れた。すると小人が肩の上から降りてキーを叩き、次々にグラフや表などを引っ張り出した。そのデータが、シスターを含む裏組織の資金力や、抱えているホルダーの情報を示していると分かった途端、青海のカレンを見る目が変わった。カレンもまた、どうですかと言わんばかりに、口元を吊り上げている。
「これ、あんたが調べたの?」
「もちろんです」
「……ホルダー暦は?」
「十年と少々くらいでしょう。幼い頃の記憶は曖昧ですが……少なくとも、ストアともBBともなんの関係もない人間です」
「なんでその単語を知ってるわけ?」
「理由は二つ。一つは、私が戦闘よりも情報収集寄りのホルダーだから。二つは、イーターを含むあなたたちの動向を、ここ暫くずっと探っていたから」
カレンはドリンクを勝手に飲みながら、小人をもう一匹召喚した。二匹の小人は青海の足元まで近寄って上を向く。そして青海に蹴られる前に、テーブルの下に逃げ込んだ。
「小人は言うなれば、私の分身。小人の視界は私の視界。この子達が得た記憶や情報は、私の記憶であり情報。これがどういうことか分かりますね、スカートの下はスパッツの青海さん」
「むかつく実証の仕方ね」
「よかったですね、下着の色を当てられなくて」
顔を赤くした勇輝に肘鉄を食らわせてから、青海はカレンの首の周りに水の輪を作った。カレンは目線だけを動かし水の流れを見ると、どうといったこともなく青海たちに視線を戻した。
「泣いて謝れば、殺さないであげる」
「まさか……この程度の水量と速さでは、ホルダーの身体に傷は付きませんよ」
フレームを押し上げ、鋭く冷たく笑うカレン。
「情報収集寄りのくせに、場馴れしてるじゃない?」
「そっちの方が得意というだけで、戦えないといった覚えはありません」
「いい性格ね」
「青海さんには負けます」
皮肉るように笑うカレンに、似たような笑いを返す青海。
「話の続きだけど、あんたは安全地帯にいながら、小人に情報収集させられるわけね?」
「そうです。出てくるには私の近くでないといけませんが、行動事体は広い範囲で行えます」
なるほどね、と呟いた青海は、ソファに寝そべり、臨戦態勢を完全に解除した。
カレンは立ったままの勇輝に顔を向けると、手招きして、ソファに座るように促した。青海の態度から見るに、警戒しなくてもいいのだろうと判断した勇輝は、剣を自分の中にしまうと、おっかなびっくりした様子ながらも、ソファの端に腰を下ろした。
「勇輝さんからは何かありますか?」
あれこれと質問を思い浮かべる勇輝だが、どれもたいした意味の無い質問に思え、最終的にただ一つだけ気になったことを聞くことにした。
「どうして仲間になろうって思ったの?」
興味があったのか、青海の視線もカレンに向かう。が。当のカレンは逡巡を見せる。
「その理由を語るのは、私にとっては非常に不愉快であり、かつあなたちの気分を害する恐れがあります。ですから、もっと親密になった時に話すべきことだと思うのですが……」
「その場合、信じるってとこまで辿り着かないかもしれないわよ? 仲間になりたいんでしょ? なら先に誠意を示す必要があるんじゃない?」
押し黙るカレン。だが、大きく息を吐き出すと、苦笑してみせた。その苦笑は、今までの冷たさすら感じる印象とは打って変わった、ひどく儚げなものだった。
「複雑な気分ですが、もっともな意見です。分かりました……話しましょう」
ただし、長くなりますが宜しいですか? と前置きし、頷いた二人を見てから、カレンはぽつぽつと語り始めた。それは、ありきたりといえば、ありきたりな話だった。
カレンの父親はホルダーだった。組織に属さず、警察などが秘密裏に雇う対裏組織や、凶悪犯罪者用のフリーホルダーとして仕事をしていた。実際に会ったことはないが、そういう仕事を好む人間がいることは青海も聞いていた。そして、そういう仕事を好んでやる人間の末路も。
裏の組織は、ホルダーを保護することが多い。敵になられては困るし、自分の組織に属さずとも、上手に付き合っていれば、貴重な戦力であるからだ。消耗の激しい裏の世界で、持久力のある強兵が身近にいることは、組織の安泰へと繋がる。だが公的機関は、そんな考えを持たない。死んだら別のホルダーを探せばいい。自分たちが潰れるということは国が潰れるということであり、そんなことはまずありえない。だから、裏の組織ほど個人としてのホルダーを重要視しない。同程度の戦力になるホルダーがいれば、別に誰だっていいのだ。
カレンの父親は、そんな公的機関に雇用されて死んだ。母親も父の後を追って、その数年後には他界した。自殺で。その時カレンには、一人で生きていけるだけの生活力も、両親が残した遺産もあった。両親にすら内緒にしていた、ホルダーという力もあった。カレンはいくつもの力を復讐のために……父を殺した組織を壊滅させ、両親の死をなんとも思わなかった公的機関に報復するために活動を始めた。ホルダーに関すること、裏に関することを調べ続けた。
「ですが先ほど明かした通り、私の能力は本来、非戦闘向けです。極めて戦闘向けのホルダーに戦いを挑むのは無謀というもの」
だから仲間が欲しかった。だが、都合よく仲間が集まるはずもない。ブックは希少だし、ホルダーは自分の利や欲を優先させる人間が多いのだから当たり前だ。そこにこの事件が起きた。大量のブック。多数の新人ホルダー。もしかしたら、その中に一人くらいは、志を近く持つ人間が、戦力となる人間が現れるかもしれない。そんな折に、エックスの書き込みを見つけた。
カレンは改めて、勇輝と夢大たちのここ数日の動きを見ていたことを明かし、謝罪した。勇輝も青海も、話の正確さから、本当に見られていたと自覚する。それに気持ち悪さを感じないではなかったが、理由は納得できる。仲間になるべきか否かを見極めるためだ。使い物にならなければ仲間になる意味が無い。名乗り出て殺されてしまうような相手では話にならない。
だがカレンは、勇輝と青海は違うと判断した。仲間になりえる存在だと判断した。そして今日、ここで青海が勇輝に合流したのを見て、実行に移す時だと判断した。
「無論、復讐は個人的なものです。お二人には別の目的があるでしょう。しかし、どの先にもホルダーや組織があるのは確実。そして私にはそれを探し、調べる能力がある。あなたたちには、戦う力がある。個人的な見解ですが、私たちが組んだならば、現状においても将来性においても、ホルダー個人はもちろん、組織にすら対抗できるポテンシャルを持つと推測します」
青海がカレンの目を見る。カレンの眼鏡の向こうにある真意を見定めるために。嘘をついていればそれは瞳に出る。そらすでも、みつめるでもなく、ただありのままの心を浮かべているかどうか。そしてカレンもそれを見られていることが分かっているのか、何を語るでもなく、じっと青海の目を見て佇んだ。勇輝はその二人の視線と真意を、横から静かにみつめた。
そのまま、一分近くそうしていただろう。静まり返った部屋の空気を、青海の苦笑が崩した。
「決めて、ユーキ。仲間にするかどうするか」
「え、ボクが?」
「当たり前でしょ。リーダーが決めないで誰が決めるのよ」
戸惑う勇輝。だが青海のじと目を受けると、すぐにその居住まいを正して、真剣な表情に変わった。そして、青海にした時と同じように、カレンに手を差し伸べた。
「よろしく、カレンさん」
「……こちらこそ」
カレンは少し困ったように笑いながら、その手をぎこちなく握り返した。勇輝はそんなカレンを気遣うように微笑むと、軽く手を上下に揺すってから、その隣に腰を落ち着けた。
「がんばろうね、青海さん。カレンさん!」
「がんばろうっつても、何からすべきかしらねー」
「ではまず、各自の能力を把握することから始めましょう。それと勇輝さんには、ホルダーやブックに関する基礎を覚えて貰い、その後、暫くの行動指針を決めるのが妥当でしょう」
小人が拍手して場を盛り上げる中、カレンが意気揚々とノートパソコンを操作し始める。
「随分ノリノリじゃない」
「もちろんです。これまでずっと、こうなることを待っていたんです。乗り気にもなります」
「じゃぁ、メンドウなことは全部あんた任せね」
「その場合、戦闘は全部青海さん任せになりますが、宜しいですね?」
「それはユーキの仕事でしょ」
「じゃぁ青海さんは何の係りなの?」
「あたし? あたしは……ボス」
「さっき、ボクがリーダーって言ってなかった?」
「ユーキはリーダー。あたしはボス」
「では私は会長でよろしくお願いします。あぁ、委員長でもかまいません」
勇輝に二人の仲間が加わり、一つのチームが出来上がった。三人は、今後の方針を決めるため、カレンがバックから取り出したノートを囲んで、話し合いを始める。
「まず、このグループの名前を決めましょう」
カレンが切り出す。今後の活動をする上で、あった方が活動しやすいからだ。それに対して青海は、いちいち名前つけるなんて恥ずかしい、と却下する。険悪とまではいかないまでも、言い合いを始めそうな空気を察した勇輝は、いちおうリーダーらしく、会話に割って入った。
「じゃ、じゃぁ間を取って……『ナナシ』っていうチーム名は?」
青海とカレンは、揃ってきょとんとすると、次の瞬間に笑い始めた。
「イーターに……夢大さんに向かって、宣戦布告ですか?」
「そういう意味じゃなくて、これなら名前が無くても、団体を特定することは出来るかなって」
「おーけー、グッジョブ、ユーキ。これなら、名乗ってもいいわ」
その日、三人の話し合いは日が差し込む直前まで続けられた。その半分以上は意味のない笑い話や冗談などだったが……。とにかくこうして、チーム『ナナシ』は出来上がったのだった。