ACT4 『交差する思惑、すれ違う思想』
「ロリコンと掛けまして〜、冒険に出たての勇者と解くぅー」
「……その心は?」
「どちらも『小物ばかり狙う』でしょう」
和服でなく、戦闘に赴く際のスーツとコートを着た夢大。それと、アンと同化した灯影が見ている前で、斧を持った太り気味の少年が宙に舞い、地面でバウンドして沈黙した。
「除去完了しました」
剣の腹で少年(太)を気絶させたエリミは、相手が動かないことを確認してから、そそくさと離れると、夢大の傍に控えた。心なしか無表情が崩れている。灯影がエリミの頬を突付きながらそのことを指摘すると、声色に僅かな怯えを含みながら、心境を語ってくれた。
「男は狼だというソリィの言葉、僅かながら理解できました」
三人は揃って横たわる少年に目を向ける。少年もホルダーであるが、強くはなかった。戦闘自体は数分で終わった。なのにエリミが怯えているのは、戦闘中、ずっとスカートの裾や、胸元を見られていたからだ。最初こそ単なる意識の誘導か、はたまた何かの作戦かと思っていたエリミも、洗い鼻息が首筋に触れると、思わず背筋を震わせ、ある種の恐怖を感じた。
「ま、お勤めご苦労様。あとはご主人様のお仕事だ」
「……やらんとダメか?」
「自分で言い出したことだろ?」
夢大はしぶしぶ黒い霧を少年に放った。少年を包んだ霧の中に、星のような煌きが生まれる。それが一面に輝くほどになると、星と共に霧が夢大の中に帰って行く。そして闇を取り込み終えた途端、夢大は急に自分の右手を左手で押さえつつ、エリミとの距離を取った。
「来るな! 来てはいけない……今の私は、私であって私でない!」
按じて近寄るエリミに静止を命じつつ、一方で熱っぽい視線を向ける夢大。少年が自分に向けていたものと同種の視線に悪寒を感じ、エリミは背筋を震わせた。なんとか夢大が傷つかないように後ずさりはしなかったものの、かなりの精神力を必要とする大仕事だった。
「ふぅ……またハズレか」
ようやく落ち着きを取り戻した夢大の傍らに、エリミも静かに胸を撫で下ろし、寄り添う。
「あれから一向に進展無しか。これじゃ、いつ台本が出来上がるか、分かったもんじゃねーな」
「愚痴るな。そもそも台本を書くのはお前ではなく、私だ」
「台本書くのは物書きのお仕事。台本を演じるのが役者のお仕事。あっなたはぁ物書き。わったしはぁ役者。おっ分かりでぇすかー?」
芸術的に神経を逆なでする喋りに、腹を立てる夢大。苛立ちに任せて灯影を叩こうとしたが、灯影がアンから分離した。おかげでアンだけを叩くはめになる。アンは喋れない代わりに、思いの全てを涙目に込め、灯影はそれを抱き止め、ここぞとばかりに夢大を攻め立てた。夢大はアンに謝りつつ、余計なことなど言うのではなかったと、数日前のことを振り返った。
それは青海が傷を負った三日後の昼のことであった。夢大の家にて、人間とキャラクター合わせて、総勢六名の人物が居間に集合していた。夢大、青海、灯影、アン、メグ、そして召喚されたソリィの六人である。集まった理由は、先日の雷人と鬼の襲撃に関することだ。
「どうぞ、粗茶ですが」
腕の回復に努める青海に代わって給仕を務めるソリィ。それぞれの前にカップを置き終えると、自身は夢大の後ろに控え目に座した。
「これからいろいろ話し込むわけだけど……その前に一つだけ、重要な確認事項があるの」
「なんだ改まって」
「このお茶、人間の飲み物?」
メグは、たった今ソリィが入れたミルクティーを指差しながら、真顔で尋ねた。
「安心しろ。料理は壊滅的だが、飲み物に関してはまともだ」
「旦那様、確かに自身でも料理に関しては至らぬ所あることを承知しておりますが、お茶の用意の為だけに呼び出した女性にその発言というのは、如何なものでしょう?」
優しげな顔のソリィ。だが庭から居間へと、障子を突き破って現われた蔦を見ると、その顔も違って見える。しかも蔦同士が絡み合って、読み解きたくも無い恐怖の言葉を描いている。
「失言だった。ありがとう。お前のお茶は、最上級の喜びを私に与えてくれる」
その発言に満足したのか、蔦が庭へと姿を消した。そして誰も言葉を発しないうちに、満場一致で、ソリィの料理とお茶については触れないという暗黙のルールが制定された。
「始めるわ。憶測と事実が色々絡んでたりもするけど、我慢して聞いて頂戴」
前置きを述べたメグは、それぞれに書類を一部づつ配ると、それに添って説明を始めた。
「まずBBの追加報告。実は、所属してるメーカーが、三ヶ月前には行方不明になってることが分かったわ。それと、所属していたホルダーが、半年以上も前に順に退団していることも」
そのホルダーは、雷人と鬼だ。現在、鬼はシスターで監禁。雷人は死亡が確認されている。
「で、夢大。鬼は確かに、自分たちの新たな組織、と言ったのね?」
頷きながらミルクティーをすする夢大。
「組織の名はまだない。リーダーが『ストア』を名乗っている為、組織を現す時も、同じ名称を使っているようだがな。また拠点も持たず、リーダーと部下の縦の繋がりのみで動いている」
「それは聞いた話じゃなくて、喰った記憶で知ったことね?」
「無論。故に出所は確かだ」
記憶を喰うとは、黒い霧で覆われた人間から出てきた煌きを体の中に入れること。そしてその煌きが『記憶』である。これこそがテイル・イーター……『物語を喰らう者』の由来。相手の記憶を抹消し、その分だけ記憶を吸収する。その際、記憶にまつわる感情なども再現される。
「レンの記憶に、メーカーの潜伏場所なんかはなかったの?」
「無いな。レンだけでなく、鬼の記憶にも無かった。代わりに、無い理由は説明できる」
メグの目線を受けて、夢大が鬼から得た記憶を元にその理由を語る。
「鬼が所属する新たな組織……仮名でストア。そのトップが、失踪した元BBのメーカーだ。メーカーはホルダーだけで構成する組織を目指しているらしい。そしてその強さを証明するため、あわよくば仲間にするため、私と青海にケンカを売ってきた」
著名な相手を倒したとあれば、当然倒した者と、属する組織の評判が上がる。そしてイーターとアオヒメは、新しい組織を有名にするに、十分過ぎるネームバリューを持っている。
「私たち以外にも狙われているホルダーはいたようだ。実際に勝てたのかどうかまでは知らんがな。ただ、私と青海にはかなり執着していることが分かる」
そもそもレンの持っていた電気のブック『電気鼠の夢を見るか?』は、雷人の使っていた『雷神の鎚』の実験用として作られた物だった。鬼の『羅生門』も、サモンしか持たないイーターのようなホルダー相手のために考えられた物だ。
「鬼はストアの中でもかなりの上席だが、メーカーは顔を晒していない。その理由は、私に記憶を喰われた時の対処だと鬼に語っている」
「理由は納得いくけど、それで組織って上手く動くもん?」
青海の疑問ももっとも。構成員の多い組織なら、トップの顔を末端が知らない、ということもある。だが、直属の部下まで知らないことは珍しい。それは仕事の効率ももちろんだが、信頼というものがある程度必要だからだ。故に、少人数で動く組織なら、互いの顔を見せ、素性をばらすとことで連帯感を生み、信頼というものに転化するのが一般的なのだが……
「それが出来るんだ。灯影、監視をしていたのは、確かに女だったんだな?」
「もちろん。アンと記憶の共有した上でも間違いねー」
アンと灯影は、互いの記憶や知識を、融合することによって共有することができる。その二人分の記憶を照らし合わせても、やはり相手は女であった。
「男たる鬼は、ある思いから、女であるストアに付き従っていた。その思いというのが……」
「恋愛感情、ですか?」
「そうだ。鬼はストアに惚れている。生成された感情は、色恋のそれだった。そしてこれは、記憶を客観的に見ての仮説だが、ストアは鬼に恋愛感情を抱かせるように振舞って来た」
「つまり、本気で好いているわけではない、ということでしょうか?」
「そういうことだな。あくまで忠誠心を得るためにやったこと……おそらく雷人へも似たようなことをやって来たのだろう。BBから引き抜いて、駒とするために」
「仮説が正しいなら、うちもいいように使われたみたいね。いくらホルダーを抱えてても、組織力なら遥かに劣るBBがしつこくケンカ売る理由が分からなかったんだけど」
「それもストアが仕組んでいたのだろう。ボスを惹き付けながら、一方でレンを焚き付けるなどしてな。ボスが死に、自分の顔を知るものがいなくなる。壊滅の混乱で、自分の存在は更にあやふやになる。トリガーになったレンも片付けられる。いいことづくめというわけだ」
仮説をまとめるとこうだ。ストアは、新たな組織を作るため、予てより雷人と鬼に顔を晒さずに、恋愛感情を植え付けた。そして時期を見計らい、雷人と鬼を組織から脱退させた。その後、唯一BBで顔を知っていたボスをレンが殺すように仕向けておき、自分も姿を眩ます。そして仕上げに、前々から煽っていたシスターに、レンを始末させる、という流れ。
「んー……話は分かるけど、顔も知らない相手を好きになれるもん?」
「できるっしょ。文通とかネット恋愛なんて、いいケース。むしろ相手の顔が見えない分、自分に向けられる言葉が、より強く響いたりするもんだーよ」
笑いながら語る灯影に、そういうもんかしら……とすっきりしないまでも、反論はしない青海。夢大はそんな青海に、ネット恋愛を扱った本を貸してやる、といったが、小説なんて読まない、と一蹴され、心なしか落ち込んだ。どうも、夢大の中で姿の見えないストアへの恋愛感情が生成されたことが気に食わないらしい。不可抗力な上に、一時的なものですぐに消えると分かっていても、納得はできないようだ。げに乙女心とは難しいとは、夢大の弁。
「これで、失踪したメーカーとホルダー。そしてそいつらの目的なんかは分かったわね」
メグが書類を捲る。そこには、ここ一連の犯罪者大量殺人に関することが書いてあった。
「今までを踏まえて、私はこの事件の首謀者が、ストアだと推測してるわ」
説明の前にそう語り、捕捉を入れていく。
「で、この犯罪者連続殺人の実行犯は、ストアがばら撒いたことを知らずにブックを拾った、新人ホルダーたちだと思ってるの」
「なんでまた?」
「ストアのことを……裏の世界のことを知っているなら、動きがもっと組織的で、神経質になるからよ。なのに、こいつらがやってることは幼稚なの。誰だって新しく手に入れた玩具はとにかく使ってみたいものでしょ? こいつらも一緒。新しく手に入った力を使いたい。誰かを殺したり、何かを奪ったり……そういった欲を満たしたい」
「だからって、そんな簡単に人が殺せる心境に至るとは思えないんだけんどもなぁ」
灯影の意見に、アンとソリィが頷く。その一方で、夢大と青海は別の見解を述べる。
「いやー、結構殺しちゃうと思うわよ。学校にもいるもん、危なそうなの。自分が弱いから何もしないけど、力さえあれば殺してやるのにーって顔してる奴」
「同意見だ。犯罪願望は、誰しも少なからずある。そこまでいかなくとも、出来心や背徳に手を伸ばしたくなることはあるだろう? そこにブックの力が加われば、言うに及ばず」
「それは分かってるって。オレが言いたいのは、だからって本当に殺すか、ってこと。中には進んでやるかもだけど……実際にやったら犯罪者だぞ? 恐怖心やらで竦まないもんかね?」
今まで普通の生活を送っていた会社員や学生が、銃を拾ったら、必ず人を殺すかと言われれば、多くの場合はNOだ。犯罪者のレッテルを貼られること、誰かを殺すという罪の意識……多くの精神的な縛りが行動を疎外するのが普通だ。
「あぁ……そのための犯罪者殺し、ですか」
ソリィは、植木の話でもするかのように穏やかな口調で、視線を集めながら続きを語る。
「本来、人間は欲に忠実にありたいものです。ですが、世の中には法がある。法がなくとも、灯影さんが仰ったように、心理的な枷がある。この場合、欲に制限を起こしているのは、良心やモラルといった道徳観念以外にも、恐怖心や、自己愛などがございますよね?」
「だろうな。自分が犯罪者と罵られたら、殺しいてる相手が善人だったら、と考える。その恐怖心なり罪悪感などが欲に勝れば人は動けなくなる」
「でしたら、その恐怖心や罪悪感を軽減すれば宜しいのではないでしょうか?」
メグが拍手を送る。メグが考えていたのは、まさしく今ソリィと夢大が言ったことだった。
「仮説はこう。ストアがブックをばら撒く。一般人がそれを拾う。最初は戸惑う一般人だけど、なんらかの方法で、殺す相手を『犯罪者』に限定させる。犯罪者を殺すなら自分は罪にならない、と思わせる。自分は正しい、世の為になっている。だから人を殺しても悪くない」
「そうやって戦争とかやっちゃう人間、表の世界にも溢れてるしねー」
「ま、今回に限って言えば本当に犯罪者だから、為になってるかもしれないけど」
苦笑しつつ、どこか他人を小バカにしたような顔のメグと青海。
「で、メーカーがわざわざブックをばらまく必要は何ですか、メグメグ先生?」
「一つは力不足を補うため。死体の処理とかって、けっこう金も組織力も必要なのよ。それを自分たちでやらずに済むようにするため。大量殺人事件なら警察が処理してくれるし、身元がばれるとやばいような人間は、その人間が属していた組織が処理してくれる」
「二つ目は人材確保だろう。ホルダーだけで構成を成すのは、かなり難しい。メーカーがいる故、ホルダーを量産するのは可能だが、裏の世界で生きられるかどうかはまた別の話だ」
「裏の世界も表の世界も、求められるのは能力だけでなく、人間性も、ということですね」
アンが感心したように頷いている。が、理解したのか? と灯影が尋ねると、すぐに首を横に振った。話に合わせて頷いていただけらしい。
「そして三つは、他組織のホルダーを潰すため。ホルダーを大量に抱えているという売り文句で仕事をするなら、対抗馬は少ないに越したことないものね」
「玩具を拾い、情報を自分で得たと勘違いし、殺しを始める新人。ストアはその中から選りすぐりを組織に加え、ホルダーにぶつけ、倒し、名声を上げる。システムはこんなところだろう」
灯影から許可を貰って落書きを始めたアン以外の全員が頷く。これで事件の背景とその目的などは理解出来た。あとはこれに対して、どういう対処をするかということだけだ。
「今の話を持ち帰ってボスに説明するわ。すでに表からも裏からもこの件に関する依頼が来てるから、すぐに正式な要請があるだろうけど、もちろんやってくれるわよね?」
「無論だ。その際に灯影にも手伝ってもらう」
「うっわ、マジで?」
「早くお前の劇団の台本を上げて欲しかろう? ぶつくさ言わずに手を貸せ」
気の無い返事ながらも了解する灯影。メグは灯影に報酬を払わなくていいことを確認すると、手伝いを快諾した。むしろ始めから協力させるつもりで呼んだ節がある。
「依頼完了は、事件の終結、及び首謀者と見られるボス兼メーカーである『ストア』の生死を問わない確保。契約に関することはいつも通り。料金は後ほど指定でいい?」
「問題ない」。
「……なんか今回はやたらに素直ね。いつもだったら、あーだこーだ難癖つけるのに」
質問に答えない夢大の代わりに、灯影が、アンの体組織で覆っている青海の腕を指差す。メグは呆れたように笑いながら、やたらに夢大がやる気になっている理由を理解した。
こうして夢大たちは行動を開始した。内容は、犯罪者殺しをしているホルダーの殲滅。それは裏に属する人間達の生存率を高めるだけでなく、情報収集を兼ねている。相手の記憶を奪うことで、隠れているメーカーに辿り着く情報を得ようというものだ。
「今夜も何の収穫も無しに終わりそうだな。大胆な展開から、もっと早くケリが着くと思っていたが……割合に慎重な相手ということか。少し腰を据える必要があるかもしれん」
ぼやく夢大。その夢大に露骨な溜息を聞かせるアンと同化済みの灯影。
「とかなんとかいって、本当は台本の〆切延ばそうとしてるだけなんじゃねーの?」
「そんなことはない。ちゃんと仕事の合間を縫って書いている」
「じゃぁ、後で見せてみろよ」
「未完成品を人に見せるのは、物書きとしての矜持が許さん」
「正直に言えよ、どうせ新入りの猫娘と遊んでるんだろ?」
「だから書いているというに!」
「エリミ、君の主は、女ならば誰でもいいという、ある意味でとても懐の広い人なんだよ」
「変なことを教えるな! エリミもそんな目で私を見るな!」
珍しくエリミの瞳に戸惑いがある。さきほどの少年から受けた恐怖と、その記憶を食べたせいで一時的にとはいえ、夢大もエリミに劣情を覚えてしまったことが原因だ。
「もうお前の劇団の台本なんて書かん!」
「ふざけんな! 少しでも早く台本書いて欲しいがためだけに、ボランティアしてるのに!」
「何が無料奉仕だ。メグに公演チケットを売らせているのを知らないとでも思ったか!」
「うるせー。てめぇー、貧乏劇団なめんなよ、お願いしますよ、ごらぁ!」
「怒るか懇願するかどちらかにしろ!」
「人間の感情が一か0で表せるなんて思わないことね!」
大の大人がみっともなく争う様から目を逸らし、眼下の風景を視界に収めるエリミ。ビルの屋上から見る夜の街。この景色の中、シスターの諜報員や、青海とソリィが、探索班として行動している。探索班がホルダーを探す。見つけたら連絡し、夢大たちが向かうという体制だ。
このやり方で、数人のホルダーを確保した。だが敵はかなり用心深く、相変わらず有力な情報は出てこない。今はまだ敵も対決姿勢を見せているため事件が起きているが、ホルダーの絶対数が無くなれば引き上げるだろう。その間になんとかケリをつけたいのだが……
中でも強くそう思っているのは、探索組の青海だ。傷は治ってきているが、まだ痛む。おかげで、半分ほどの力しか発揮できない。アンの体組織で作った偽皮膚も外せないでいる。それでもホルダーを見つけると、自ら殲滅しようとするのだから、恨みはよっぽどのものだ。
青海はいつもの制服姿。ソリィもコートを着て、一般人を装っている。とはいえ、平均を上回る容姿の二人が夜遅くに歩けば、ホルダーよりも男たちが声をかけてくる方が多い。通常は青海の視線だけで撃退できるのだが、中にはタフな男もいる。そんなタフガイは、青海に蹴り倒されることになる。もはや隠れているホルダーよりも悪目立ちしているが、実はこれも作戦の内だ。夢大がソリィにだけ告げた内容によると、青海の憂さ晴らし兼、囮だという。
「本当にお気に入りには甘いのですから……」
主の偏った性格に嘆息するくソリィ。
「旦那様があれでは、青海が慎ましやかさを身につけるのは、当分先のことになりそうですね」
ソリィの言葉を聞き流しながら、中年に蹴りを入れる青海。
「元気と乱暴は違いますし、若さと愚かさも同意ではありませんのに」
だが立て続けの小言を受け流す度量など無い青海は、その苛立ちを中年に蹴りという形で向ける。やがて、中年の顔が輝いてきた。どうもそっちの方向に目覚めたらしい。
「も、もっと……」
「パートナーの恥は、男性の恥であると分かっているのですか?」
下の哀願、背中の苦言。青海は身体を震わせると、突如吼えるようにソリィに詰め寄った。
「なんなのよ、文句あるなら直接あのバカに言いなさいよ!」
「はしたないことは、致しません」
「あんたの価値観をあたしに押し付けないで! そして、おっさんは、体を押し付けるな!」
青海の踵が中年の脳天を直撃した。中年が嬉しそうに意識を失った。
「……哀れですね」
「どっちがよ」
「真実を告げるなんて、そんな残酷なこと、わたくしにはできません」
「言ってるようなもんじゃない……」
青海の目に闇が混じる。対照的に、ソリィの目には光が差す。お互いに感覚が鋭くなり、攻撃性が増す中、ふいに青海の目が、ソリィがいる方向とはまるで違う場所を向いた。それだけでソリィは、青海が探している対象を探り当てたのだと察した。
「今のは、ツケにしておくわよ」
「承りました。ご返却、お待ちしております」
二人が走り出した。青海の先導の元、入り組んだ裏路地を進む。辺り一帯は、一方通行や行き止まりが多く、車は滅多に入ってこない。そのせいでアパートも古いものばかりで、人気もほとんどない。建物はあるけど中身のない住宅街は、可愛いもので不良、行き着く所まで行って裏世界の人間などが集まるようになる。そして今夜はホルダーがこの場に来たようだ。
壊れた冷蔵後、乗り捨てられた廃車、判別の付かない破片。ゴミの博覧会と化した空き地にいたのは、大柄な男と、華奢な少年。男は自分の体型と似た手甲を。少年は両刃の剣を握り、相対していた。その傍らには、出来たばかりの死体が転がっている。それはたった今、男に殴られて出来たモノだった。少年の制止の声を聞かず、男が作ったものだった。
「……まさか先生が人殺しだとは思いませんでした」
「そうか鶴来、お前も力を手に入れたのか」
勇輝の剣を見て、自分と同属と見る男。そうと分かった男は、にやついた顔で勇輝の全身を見定めた。勇輝は、自分の通う高校に勤める体育教師の視線に、言いようの無い不快感を覚えた。元々小言の多い嫌いなタイプではあったが、学校と今とでは、感じるものがまるで違う。
「お前のは剣か。剣も面白そうだな。でもな、鶴来。やっぱり殴るのが一番だぞ」
教師は勇輝に背を向け、死体を殴りつけ始めた。勇輝の目の前で死体が崩れ、赤い塊へと変貌していく。体罰などもっての他だ、と若手の体育教師に説教している人物と同じとは思えない醜悪さが漂っている。その醜悪さは、一発殴る度に増し、勇輝の中にある炎を刺激する。
「ダメだぞ鶴来。これは俺の獲物だ。殺したいなら他の奴を捜せ」
勇輝を同類だと思っていた教師は、その認識が間違いであったことを、剣から燃え上がる炎で知った。勇輝の瞳と同じように炎上し、影を地面に落とす炎は、無言の敵対宣言を放っている。教師はそれを受け、立ち上がった。全身からは、怒りよりも、新しい獲物を見つけた喜びの方が色濃く出ている。勇輝はその様子に吐き気を……嫌っているとはいえ、知り合いを殺そうとしている自分へか、醜悪な人間への反感か、とにかく不快感を炎に変え、剣を構えた。
「バカが。虐められっ子のお前が、勝てるわけないだろう!」
攻め寄る教師。その教師目掛けて剣を振る勇輝。だが教師は、熱を我慢して刀身を手甲で弾き返すと、もう片方の手で思いっきり勇輝を殴りつけた。最初こそぎこちなかったその殴り方も、今ではプロにも引けを取らないほどに洗練されている。もし勇輝がなんの力も持っていなかったら、これであっさりと死んだだろう。だが、今は違う。力がある。ホルダーであるだけで、一般人よりも丈夫で回復の早い身体になる。が、当然防御を上回るダメージなら、傷を受ける。そして教師の放った渾身の拳は、破壊力十分だと思うのだが……勇輝は無傷だった。
教師の足が知らずに下がる。確かに渾身の一撃だったはずなのに、勇輝はよろけただけ。力を手に入れて初めて目の前に現れた、自分の力が通じなかった人間に戸惑いを隠せない教師。
「もうしないと誓うなら、命だけは助けます」
「え、偉そうなに言うなぁ!」
ラッシュ。一撃で頭を破壊する拳に揺らぐが、ダメージはない。勇輝は説得は無駄だと悟ると、燃える刀身で斬り付けた。教師の腕が落ちる。だがまだ片腕がある。教師が痛みを堪えて拳を繰り出す。が、異変が起きた。燃えている。教師の体が、切り落とされた肩口から、紙が燃えるように、黒ずんでは灰となり、地面に落ちていく。まるでタバコの灰が落ちていくようだ。慌てて地面に転がる教師。だが火は消えず、体のみを燃やす。そして教師の体は全てが灰となり、黒い山となり、その命が潰えた。教師が宿していたブックが、その灰の中に佇んでいる。勇輝はそのブックを切り裂き、無に返すと、大きく息を吐き出した。
「やっぱり、こんなのは許せない……」
ある種の達成感と共に、決意を新たにする。自分がやらないといけない。無闇に殺される人間は作らない。例え自分が汚れようとも……傷つこうとも、必ず守って見せる。そう、決意する。その決意は深く固く、今までの人生の中で、一番重みのあるものだった。なのに……
「ユーキ?」
硬い決意を一瞬ですり抜け、奥に触れる声。その声に反応して、勇輝の体が震えた。体が震えたのは、声があまりにも透き通っているからか、それとも知り合いのものだったからか?
「ユーキ……何やってんの?」
振り向く。そこにいたのは、青海とソリィ。勇輝は慌てて剣を自分の背中に隠そうとするが、隠れきるはずも無く、余計に怪しまれるに過ぎない。しかもその後ろには、教師が作り上げた肉の塊と、教師だった灰の山まである。いや、そんなことはどうでもいい。そんなことよりも、なんと言えばいいのか、それが分からずパニックに陥っていた。普通の人間がこれを見たらどう思うか。そんなことに思い至らないほどバカではない。だから力を手に入れても誰にも言わなかったし、ひた隠しにしていた。なのに、それを見られてしまった。焦る勇輝。対称的に、ソリィは落ち着き払って蔦を召還し、命令を下そうと口を開いた。が、その口を青海が塞ぐ。
「正直に答えて。後ろのそれ、あんたがやったの?」
「ち、違う……」
「犯人は誰? 今どこにいるの?」
「やったのは、草野先生だよ。ただ……もう、死んだ。いや……ボクが、殺した」
勇輝が足元にある灰の山を見つめる。その姿を見ながら、草野という名前を記憶から引きずり出す青海。やたらと小言を重ねる体育教師がそんな名前だった気がする。言葉の上では、良い教師風であったが、女子の間では、セクハラ疑惑や体罰疑惑などでよく話題に上がっていた。
あいつなら、人くらい殺すわね……と青海はたいした動揺もなく考えを整理した。
だが、青海が草野に関することを思い出している間の沈黙が、勇輝には自分への非難に思えたのだろう。勇輝は一歩踏み出すと、まっすぐに青海を見ながら事情を説明した。
「信じられないかもしれないけど、先生は不思議な力を持っていて、人を殺してたんだ! 先生だけじゃなくて、他にもいるはずなんだけど、ボクはそれが許せなくて、だから、それで!」
「落ち着いて、ユーキ。疑ってなんかないから」
「いや、信じれらないのは分かるんだ。でも、ボクがやらないと、何も悪くない人が殺されて!」
「だから……あーもう!」
青海が手の平を広げる。水が現われ、回転しながら浮かび、弾け、草野の灰を撒き散らす。
「え、な、んで、大戸さん、が?」
戸惑いが、少なからず勇輝の勢いを削いだ。元々頭の回転は鈍くない勇輝は、それだけで青海もまた自分と同じように、なんらかの力をもっているのだと悟る。なら、自分がおかしな力を持っていることを弁明する必要は無くなる。が、草野を殺した理由は説明しないといけない。
「あの、それで、これは」
「分かったから、ちょっと黙ってて」
素直に黙る勇輝。青海が髪をかき上げ、視線をずらすと、ソリィが細い目を向けていた。知り合いであることは分かったのだろう。で、どう対応するの? という質問を投げている。だが、青海にだって判断しかねる。まさか級友とこんな風に鉢合わせるなど思いもしなかった。
「殺したのはユーキなのね? でも、殺した理由は、草野が人を殺してたからなのね?」
「そうだよ!」
勇輝は黙っていた分、熱っぽく青海に語りかける。青海は考えあぐねながら、黙ってそれを聞き取る。その姿に安堵を覚えながら、誤解されたくない一心で青海に近寄る勇輝。それは殺意や敵意とは違うところでの行動。理解して貰いたいが為に、無意識のうちに青海に近づいているだけ。それは最初からいたソリィには分かる。だが、後から来た者はそう思わなかった。
「ヒメから離れろ」
心臓が潰れるような深い声が聞こえた。突如、青海を背に隠すように、夢大が現れた。それに若干遅れて、空から翼を生やした同化済みの灯影が降りてくる。その肩にはエリミが乗っており、着地するよりも先にサーベルを夢大に投げて寄越した。剣を構える夢大。そこから発せられる殺気に、勇輝も剣を構える。夢大の放つ濃厚な空気に、体が勝手に反応した結果だ。
「夢大! だめ、待って!」
黒いコートの裾を青海が握る。夢大が青海の困惑に気付く。今は仕事中だ。仕事中は相手をイーター、ヒメ、と呼ぶようにしているのに、青海は『夢大』と名を呼んだ。
「夢大? その人が夢大さん?」
掠れ声の勇輝。だが目はしっかりと夢大を収めている。そして情報が頭の中を巡る。自分の好きな小説を書いている人間。青海と暮らしている男。そして青海が好きだと言い、付き合っていると公言している相手。それがどうしてこんなところに? それも空から降りてきて、剣を持って、言いようの無い圧力を放って……いや、夢大だけではない。どうして青海もこんなところに? 周りの人間たちは一体? 様々な疑問が頭の中を渦巻き、思考を奪っていく。だが、思考が麻痺した分だけ、本能が覚醒した。目の前の男はヤバイ。逃げろ。立ち去れ!
「ソリィ!」
勇輝が逃げると同時に、夢大が名を呼ぶ。青海もすぐにソリィの名を口にしたが、ソリィは夢大の命を聞き入れた。ソリィが蔦を操る。地面を割り、二本の蔦が勇輝に伸びる。青海のことを考えたのか、手加減されたしなりで、蔦が勇輝にぶつかる。だが、勇輝は無傷で立ちあがると、剣を振るった。剣は炎をまとい、蔦を寸断する。が、すぐに追加で十本……計十二本の蔦の兵士が姿を現し、ソリィの命を受け、四方八方から襲い掛かる。『good night』……ソリィが捕縛を確信する。が、次の瞬間、水の刃が蔦を根元から切り裂いた。蔦は根から切り離された途端にしおれ、腐り、一瞬で千年の時を超えたかのように風化する。
「何のつもりですか青海?」
「だ、だって……今、あんた本気で攻撃しかけたから!」
言い争いを始めそうな二人の脇をすり抜け、エリミが自分の指を齧り、血を流す。その血は一瞬にしてサーベルに変わった。だがエリミが戦闘圏内に入るよりも先に、勇輝は廃車に向かって火の塊を飛ばした。それ自体はたいした大きさではない火の玉だったが、残っていたガソリンに引火したのか、爆発を起こし、さまざまな破片を撒き散らした。
エリミはサーベルで破片を打ち落とし、夢大たちは、自分の体を広げて硬質化させた灯影に守られて、事なきを得た。が、その爆発と飛散が収まった時、勇輝の姿はすでになかった。
「……申し訳ありません旦那様」
「いや、謝らなくていい。ソリィのせいではない」
夢大の言葉が、遠まわしに自分を責めている気がして、青海は黒いコートから手を離した。
「ご……ごめん」
「謝罪は無意味です」
エリミが詰め寄る。そして青海の口元にサーベルの切っ先を向けた。こんな挑戦的なことをされようものなら、普段ならすぐに噛み付くだろう青海も、さすがに今回は強く出られない。
「だ、だって知り合いだったから、つい、その」
「考慮に値しません。問題は、青海のせいで、主人が負傷したかもしれないという一点。灯影様がいたから良かったですが、私やソリィ、そして貴方ならまだしも、主人は」
「エリミ、私を思っての発言は嬉しく思う。ありがとう。だが済んだことだ。剣を収めてくれ」
「承知しかねます」
「エリミ、旦那様がおっしゃっているのです。引きなさい」
夢大とソリィの視線を受け、不承不承ながら剣を下げるエリミ。それを最後に、沈黙が場を支配する。そんな中、携帯にメグから着信が入り、今夜の作戦終了時刻を告げた。夢大はソリィとエリミを労らうと、闇色の光で二人を包み、同化させ、指先から自分の中へと帰した。
「帰るとしよう」
歩き出す夢大。アンから分離した灯影は、青海の頭を軽く叩くと、いつもの笑いとは違う微笑を向けてから後を追う。遠ざかる二人の背中。歩き出せない青海。アンはそんな青海の手を握ると、少し強引に連れ立って歩き始めた。家に帰るまで、青海はずっと俯いたままだった。
夢大たちが戻ると、居間では、ノートパソコンをいじり、携帯で今夜の作戦報告を受けているメグがいた。テーブルにはビールとスルメが置いてある。どうみてもくつろいでいる様にしか見えないが、これでも、侵入者が現れた時の対処要員だったりする。ホルダーとの戦闘になればひとたまりも無いが、一般構成員程度なら、渡り合える程度の実力はある。
「特に問題は無かったようだな」
「えぇ。それに何かあっても、かわいいボディーガードがいるもの」
メグの膝の上に、灰色の猫がいた。小さな寝息を立てる姿は、ボディーガードとは言えない気がするが、メグは気持ち良そうな寝顔に、柔らかい顔を向けると、優しく首をくすぐった。
「むしろ私より、あんたたちの方が何かあった?」
アンに手を引かれている青海を見ての発言だろう。夢大は一言『何も無い』と告げると、コートとネクタイを外しながら台所へと向かった。
「あっ……あたしがやるから」
「いい、座ってろ」
台所に入ろうとした青海に背中で返答しながら、夢大が人数分のインスタントコーヒーを用意しようとする。が、普段青海に任せているせいで、どこに何があるのかがてんで分からない。それでも夢大は青海に頼らず、ソリィを召還した。
「あら、お早い……何かご用でしょうか?」
「済まないが人数分のコーヒーを」
ソリィは夢大越しに青海を見つけたが、分かりました、と呟いて用意を始めた。青海とはまた違う手馴れた様子でコーヒーを用意するソリィ。青海は立ったまま、それを黙って見つめる。そうこうするうちにソリィはホットコーヒーを作り終えてしまった。
「青海、手伝って貰える?」
頷いた青海とソリィが台所から丸いテーブルにコーヒーを運び終えると、夢大はいつもの場所に座り、ソリィがその後ろに控えた。そして青海もいつもの席……夢大の隣に座ろうと思ったが、躊躇った後に反対側へと座った。アンは青海の隣に、灯影は夢大の近くにそれぞれ腰を下ろした。全員揃ったはいいが、なんとも気まずい空気が流れる。が、メグは何の意にも介していないのか、マイペースに今夜の反省会を始め出した。コーヒーとビールを交互に飲みながら、ざっとシスター側の報告を済ませる。その後に、夢大が報告を述べる番になる。
「こちらが相対したホルダーは二人。一人は小太りの少年。たいした記憶は持ってなかった」
「エリミちゃんにある種の精神攻撃をしかけてきた相手ね。報告が来てるわ」
「そして二人目は、剣を使う少年だ。小柄だが、高校生だろう。この少年には……逃げられた」
メグの目が開く。視線で説明を求めるメグに、夢大は明言することは避け、話を進める。
「まぁいろいろとあってな。とにかく会ったのはその二名だけだ」
「そう……鈍器とか、トランセンド系の奴とかはいなかった?」
「少なくとも私達は見ていない」
メグが部下の報告を記したメモを見ながら考えを巡らせる。夢大も覗き込む。そこには、今夜殺された人間たちの死因や数が書かれていた。その中には撲殺によって死亡したものがある。ということは、そういう能力を持つホルダーがいたと考えられる。なのにそれが見つからない。逃げられた相手の武器は剣だから、死因と当てはまらない。潜伏しているのか、それとも……
メグの目が霧がかった時、携帯の着信音が鳴った。メグのものだ。メモを取りながら受け答えをし、電話を切ると、パソコンに今聞いたばかりのアドレスを打ち込んで、サイトを呼び出した。それは裏の……といっても、一般人でもある程度の知識や経験があれば辿り着けるような違法掲示板サイトだった。更にページをクリックして、一つの書きこみに辿り着く。その書きこみを読み終えると、メグはパソコンごと夢大に寄越して見せた。気になったのか灯影も後ろから覗き込み、青海の傍から動かないアンにも聞こえるように、内容を読み上げた。
「書き込み者、エックス。タイトル、仲間募集。一緒に悪事を働く相手を倒してくれる人を捜しています。条件は、特殊な本を持っていること。仲間になる意思がある人は……」
その後に書いてあったことをまとめると、本を持っている人間は、指定した地域で本の能力を使うこと。ただし、罪は犯してはいけない。犯した場合は悪人として、敵対象とみなす。仲間になる場合は、以下のキーワードを元に捜して欲しい。キーワードは、剣と炎。
灯影が読んでいる間にミニマップを広げるメグ。指定された範囲を地図で確認すると、メグがデータを元に指定した、ホルダー索敵範囲と酷似していた。
「これ、確実にブックのことだよな?」
「間違いあるまい。剣と炎を扱うホルダーが……いや、すでに二人組なのかもしれんが、とにかくホルダーが仲間を集めようとしているな」
書き込みへのレスは、冷やかしや馬鹿にしたモノばかりで、まともに取り合っているものはなかった。だがそれも当たり前。いかに違法サイトとはいえ、あくまで裏の表層。裏の奥で出回る話を知っている人間の方が稀なのだ。メグの部下も情報収集というより、素人がどんな的外れな論議をするかを笑うという、暇潰し程度にサイトを見ていて、偶然見つけたらしい。
「……なかなかに面白い書き方だな」
夢大が口の端を上げる。
「一般人には単なる電波人間の発言にしか見えない。少し興味を持って指定地域に来ても、ホルダーでなければ、キーワードが特殊能力を指しているとは思わない。仮に超常的なものだと思い至ったとしても、特殊な本がブックだなんて思えるはずがない」
「でもよー、逆にホルダーや、ホルダーを知っている裏の人間なら一発で分かるだろう?」
「だからこそ面白い。おそらくエックスにとって、仲間を得るというのは、おまけだ。あったら嬉しい程度。本当の目的は、自分を餌にホルダーをおびき出すというものだ」
夢大が、実に楽しそうに説明を続ける。
「エックスの主用目的は悪人……犯罪者を殺すことだが、無差別ではない。ホルダー、ないしはホルダーの力を利用する人間限定だと推測できる」
「なんでそーなる?」
「単に犯罪者を殺したいだけなら、こんな書き込みをする必要がない。目に付いた犯罪者をかたっぱしから殺せばいいだけだ。それをするだけの力がホルダーにはある。だがこの書き込みだと、例え犯罪者でも、ホルダーを知らない人間は来ない。そしてホルダーの存在を知っているだけの人間は、その凶悪さを恐れて近づこうとはしない」
そこまで説明しても、アンがちんぷんかんぷんな顔をしていたので、夢大は説明を続けた。
「エックスは、自身がホルダーであると暗に名乗っている。そんな人物が『ホルダーを殺す』と言っている。危険視したホルダーや、その恩恵に預かっている人間の中には、エックスを殺しに行く者も現れるだろう。結果として、こんな掲示板にしか辿り着けない情報収集力でも、殺害対象と相対することが可能ということだ。無論、相対して勝てるかは別の問題だがな」
真剣なアンの表情だが、そういう顔をしている時は、まったく分かっていない。付き合いでそのことを理解している夢大は、これ以上の説明を諦めた。だがアンを除いた全員は理解した。そしてメグは夢大の説明を聞いた直後、パソコンからデータを引っ張り出した。
「ここ最近の死体データよ。死体の数は平均して変わらないんだけど、死因が減ってるの」
「エックスがホルダーを殺しているせいかもしれんな」
死体の数が変わらなかったのは、殺し手の人数が減っても、一人頭が殺す数が増えていたからだ。結果として、プラマイゼロになっていたということ。
「書き込みの時期、専門用語の書かれていない記事、指定地域。これらから、エックスも一連の……元BBのメーカー、ストアが作ったブックを手に入れた人間であると思うのだが……」
夢大の笑いが消える。変わりに出てくるのは、形容しがたい威圧感。そこにいるのにいないような、でも逃げても確実に迫られるような、星一つない夜空のような威圧感。
夢大が正面に座る青海を見る。その夜色の瞳を見ただけで、青海の深海色の瞳が波立たされる。その口が自分の名前を呼ぶ。それだけで全身が震える。だが、波立たされ方も、震わされ方も、普段とはまるで違う。『恋人だ』と友達に断言している時の人間とはまるで違う。
「率直に言おう。私は先程の少年がエックスだと思っている。……青海、彼が誰か教えるんだ」
命令。普段なら『知っているなら教えてくれないか?』というお願いだっただろう。青海の身体が強張ったのを見て、灯影が青海の隣に移動しようとするが、夢大は素早くその腕を掴むと、無理矢理座らせた。次に夢大は、目だけで青海から離れるようにアンに命じた。アンは何度も首を横に振る。だが最後には、夢大の圧力と、灯影の溜息まじりの手招きに負けて、青海から離れてしまった。メグは黙って空になった缶をごみ箱に放り投げた。同じ部屋にいるのに、テーブルを挟んで一人きりになってしまったような心許無さを感じる青海。
「黙っていても、顔を覚えている以上、早晩本人に辿り着く。だから、教えるんだ」
「……勇輝。学校のクラスメイト」
青海が、怒りとも悲しみともつかない目をしながら答える。
「ホルダーだと知っていたのか?」
「知らなかったわよ。あたしだって今日初めて見たんだから」
「能力は?」
「だから知らないって。剣持ってて、炎出せるのは、夢大も見たでしょ!」
「どこに住んでいる?」
「近くだって言ってた!」
「連絡先は知っているか?」
「知らない!」
「ブックの名は? どうして私のことを知っていた? どんな性格の持ち主だ?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問に答える変わりに、青海はテーブルを叩いた。反動でカップに注がれたコーヒーが揺れ、こぼれて、広がる。
「なんなのよ! そんなにあたし悪いことした?」
「いいや。ただ、これから少年をどうこうするために、情報が欲しかっただけだ」
極めて平坦な声に青海が絶句する中、夢大は学校から配られた連絡網を取り出した。そこには級友たちの名前と、電話番号が記されている。
「これで住所を調べることはできる。あとは、その処遇をどうするかだが」
夢大がメグに視線を向ける。メグは自分に振らないでよ、と言いながらも正直な話を語った。
「その子がストアのブックを拾ったなら、オーミちゃんの友達でも見過ごす訳に行かないわ」
「大丈夫だから、ユーキは悪い奴……きっと、ストアのブック拾って無茶してるホルダーしか狙ってないから! シスターには迷惑なんてかけないから!」
「今はそうかもね。でも将来的に『犯罪全体』を……うちみたいな組織を狙うかもしれない。ストアに加わるかもしれない。集まった仲間の中に、危険思想を持つ人間がいるかもしれない」
「全部憶測とか可能性の問題じゃない!」
「じゃぁオーミちゃんは、核ミサイルを持ってる民間人を放置してられる?」
飛躍しすぎかもしれないが、メグの質問が意味することは当たり前のことを言っていた。他人に驚異的な害を及ぼし、自分たちに圧倒的有利にことを進める道具を持った人間を……それも、裏は裏で複雑な事情や掟がある中に現れた一般人を放置できるわけがない。普段が普段なだけに忘れてしまうこともあるが、メグはそういう世界の、それもトップに近い立場で仕事をしている人間だ。例え青海のことを気に入っていて、あれこれと便宜を図ってくれることがあっても、通せない筋を無理矢理通す人間ではない。その証拠に、僅かに潤んでいる青海の瞳を見ても、メグの瞳は硬質ガラスがはめ込まれているかのような頑なさを保っている。
アンは申し訳なさそうに瞳を伏せている。ソリィは何を考えているのか、瞳を閉じてじっと佇んでいる。灯影は机を拭きながら、成り行きを見守っている。そして夢大は、相変わらずの押し迫るような夜色の目をしている。それでも夢大なら……と、青海が身体を寄せる。
「許して……あげるんでしょ?」
質問形式の懇願。夢大は青海の願いを真正面から受けて、微動だにせず答えた。
「いや、償いはして貰わねばなるまい」
青海が下を向く。雫が落ちる。落ちた雫は畳の上に佇むと、また上から降ってきた雫に跳ね除けられ、四方に散った。
「なら……いいわよ」
青海が顔を上げる。雫を落とした瞳とは思えないほど、その瞳は力に満ちている。ただ、その力と同じくらい、悲しみも満ちている。内側から溢れてくるものが大きければ大きいほど、それを食い止めるには大きな力を宿さないといけない。
「ならいい! あたしが助ける! 夢大なんか死んじゃえ!」
青海は夢大の手から連絡網を引っ手繰ると、そのままの格好で外へと飛び出した。アンが立ち上がり、その腕を掴んだが、それすらも振りほどいて……残された面々は、それぞれの思いを顔に出しながら、青海が出ていった戸口を眺めていた。
「どんな理由があれ、女性を泣かすのは、感心致しません」
ソリィの嗜めを聞きながら、夢大は畳に落ちた雫を親指にすくい、舌に移した。海水よりも薄いはずなのに、深海よりも深い味に、顔が歪む夢大だった。




