ACT2 『裏と表。ホルダーと一般人』
どんな本にも必ず表と裏がある。表の頁があれば裏の頁があるのは、覆しようの無い事実にして、永遠普遍の理。そんな表裏ある本が描くのは、社会。世界。多少脚色はされようとも、本は社会や世界の縮図に過ぎない。そして縮図たる本に表裏があるように、元たる社会や世界にも表裏がある。ただ、誰もが表裏を知っているわけではない。存在はしていても、気付かなければ、当人とっては無いと同じこと。だが確かに、表のすぐ近くに裏の世界が佇んでいる。
そしてここにも、表の住人がそうと知らず、裏の住人と接している光景があった。
時に十一月。所は都内某所にある私立高校。生徒数に比べると、校庭も校舎も手狭だが、その分設備は充実している。校風は、制服でも私服でも可というところから始まり、全体的に緩く、生徒の自主性が重んじられている。授業は、高校では珍しい単位制が多く、一つ一つがバラエティに富む。進学に役に立つかは別に、画家や音楽家といった、各分野で現役を勤める人間を講師に招くなどで、生徒からも親からもウケがいい。更に都内にあるということで、通学にも、放課後のあれこれにも適している。唯一の欠点は、入学金も授業料も高いことだろう。
さて、校舎一階にある二年C組の教室。そこでは一人の少女が、大勢の生徒に囲まれていた。青く長い髪を二本で縛った青い目をした少女。学校指定の制服とは違う紺色のブレザーとチェックのスカート。胸元はリボンでなく黒いネクタイ。服装も容姿も、もちろん中身も、『アオヒメ』と呼ばれて、裏の世界でその実力を評されている、ヒメに間違い無かった。
「ちょー寂しかったよぉ! オウミ、旅行中って絶対携帯出てくんないんだもん!」
嬉しいことを言ってくれる背の低い女友達の首に手を回して、頭を撫で回すアオヒメ……ではなく、オウミ。『アオヒメ』は仕事をしている時の名前。いうならば芸名やペンネームのようなもの。普段は、大戸 青海という名で、女子高生として生活している。
青海は仕事が終わった後、一週間近く自分の旅行や買い物にイーターを付き合せ、すっかり満足してから学校生活……表の生活に戻ることにした。それが今日というわけだ。
「今回はどこで何してたんだ?」
「山の方で水遊びしたり、洞窟探検したり」
間違ってはいないが正しくもない。もちろん正確に伝えようなものなら、精神病院に連れて行かれること必至だ。なにせ青海やイーター……いわゆる『裏の世界』を知る者ならともかく、『表の世界』の常識からいけば、青海たちの現実はファンタジーに他ならない。話すことに躊躇いはないが、病人扱いされるのは気に食わない。故に、仕事で学校を長期休校した際は、それっぽいことを言って済ませるのが習慣になっていた。それでも普通の生活を送っている生徒には面白い話題なのか、単に青海の人気故か、始業のベルまで時間があることも手伝って、人垣は減らない。いや、むしろ別のクラスからも人が集まり、増えているくらいだ。
青海は質問される度、間違ってはいないが正しくもない答えを繰り返し、話題を提供する。そんな中、ひそひそもじもじと互いの肘を突つき合う二人の少女がいた。何か聞きづらいことかしら? と青海が興味を覚えると、少女たちが意を決して口を開いた。
「あのさ、大戸さんって、その……ほら、あの」
「親戚だっけ? なんか大人の人と……お付き合いっていうか……同棲してるんだって?」
二人の少女の問いは人垣に一気に浸透し、ただでさえ強い視線が、更に興味深げに集まる。
「ほんとだよねー、オーミ」
代わりに答えた女友達の後を追うように、青海が頷いた。そのやり取りを見るや否や、うわーって嘆く男子。キャーと騒ぐ女子(一部、絶望して泣く)。
「見たのよこの前、大戸さんが男の人と歩いてるの! 和服を着た、お兄様って感じの人!」
「じゃぁもしかして今回の旅行も?」
「たぶん、あんたたちが思ってる奴と一緒だったわよ」
さらに女子一同のボルテージが上がり、男子一同のテンションが落ち込む。
「ね、どんな! どんなだったの?」
「んー、そりゃもう……バチバチってなったり」
「バチバチ!」
「あとは、ビシとかズシュとか、ダダダダダとか、びちゃびちゃーとか、アァァァァァとか」
擬音だと分かり辛いが、電気が走り、蔦が鞭打ち、剣が裂き、弾が飛び、水が跳ね、泣き叫んだぞ、ということを言っている。だがそれを聞いた少女らは顔を赤くし、少年らは興奮を隠そうと平静を装った。わざと違うように取れるように喋っておきながらどうかと思うが、青海はそんな生徒たちのことを、内心小馬鹿にしながら薄っすらと笑った。背の低い女友達だけは、やれやれと溜息を吐いたが、周りはそんなこと気付きもせずに、再び盛り上がりを見せる。
「いいなぁ。私も大人な彼氏が欲しい」
「いやー。大人は大人だけど、あいつダメ人間よ? 暇があればゴロゴロしてるし、たまに出かけたと思うと猫拾って来たりするし、節操無いし」
ダメ人間というキーワードに、少し自信を取り戻す男子一同。
「そいつちゃんと仕事してんのかよ?」
「仕事はしてるわよ。自営業っていうかサービス業っていうか……まぁなんにしろ、年収なら、あんたらの親父より多いわよ。今住んでるとこ、そいつの持ち家だし」
どよめきが起きる。和服を着たお兄様っぽい大人は、節操の無いダメ人間の自営業(サービス業)で、一日中ごろごろしていると思ったら、猫を拾って来るが、自分たちの父親を超える年収の家持ち人間。一つ一つ聞いても掴めない人物像は、連結すると更に訳が分からなくなる。青海からも、それ以上のヒントはない。だが、不明瞭な人物像は級友達に、想像の余地を与える。八百屋だホストだ、華道の家元だ、スーパーニートだ……好き勝手に人物像が飛び交ううちに予鈴が鳴り、集まっていた生徒たちも、自分の教室、自分の席へと戻って行った。
本日は共通授業の為、級友は皆席に着いている……のだが、一つだけ空席があった。元々他人への興味の薄いところに、暫く学校に来てないせいで、誰の席だか思い出せない。別にいいや……と、放棄する直前に男子生徒が現われた。その顔を見て、ようやく思い出す。一人で本を読んでいることが多い男子だ。あまりどころか、挨拶したことがあるかも怪しいほどだが、周りに騒がしい人間が集まるので、逆に物静かな様子が印象に残っていた。その男子が机の脇に鞄をかけるのを見計らったかのようにホームルームを促すベルがなり、教師が入って来た。
女の教師だった。美人でもかわいくもないが、長い黒髪は同性から見ても綺麗だと思え、笑みが明るく柔和だった。そのせいか、どことなく他人を引き寄せる空気を持っている。教師というよりは、近所のお姉さんといった感じだ。教師は、硬くなくだがラフでもない、話し方で朝の挨拶を終わらせた。だが青海は首を捻った。記憶では、文学を熱く語る、おじさん教師が担任だったはずなのだが……視線に気が付いたのか、女教師が青海に微笑みを向けた。
「挨拶が遅れたわね。はじめまして、青海さん。私は国語科の岡部よ。お気の毒に、吉谷先生は事故で入院されてしまってね……その代理で、このクラスを受け持つことになったの。まだ教師経験は浅いんだけど、精一杯やるから、よろしくね」
一人の男子が『おっさんより岡部先生の方がいいー』とおちゃらけた発言をすると、多くの男子が同調した。しかも女子の多くもそう思っているらしく、拍手が飛び交ったりする。着任して間もない割には、ずいぶんと人気があるようだ。岡部は微笑み「ありがとう。がんばるわ」と、教室を出ると、一時間目の担当教師が入って来た。それが終われば二時間目がやって来て、三時間目がやって来る。学校を休む前と同じような光景だ。何時に授業が始まって何時に終わる、というシステム的なことに変化はない。だが、青海が休んだ三週間近い期間は、高校生や中学生にとっては長い時間である。少なくとも彼らが変わるには十分な時間だ。それを青海が実感したのは、四時間目の授業が終わった時のことだった。催眠音波を発してくる社会科教師の攻撃に耐えられず、昼休みに入っても寝ていた青海は、妙なざわめきに起こされた。
不思議な空間が出来ていた。一箇所に数人が集まっている。そこから離れた所に、それ以上の人間が集まっていた。寝ぼけ眼で状況を確認している間に、机が倒れる大きな音が響く。
「お前もう来んなよ」
机を蹴り倒された少年は、無言でそれを元に戻し、持っていた小説に目を落とした。朝、ギリギリに教室へ入ってきたあの静かな男子生徒だ。
「お前暗いんだよ。学級目標、明るく元気に仲良くだぜ? お前、全部に反してるじゃん」
小学校か中学校レベルの学級目標だが、確かに綺麗な丸字でそんなことが書かれた模造紙が貼り付けられている。青海は初めて見た。ということは、つい最近作られたものなのだろう。
「……昼休み終わるから、ご飯食べてきなよ」
「オレは教室で食うんだよ。だからお前がいると邪魔なんだって」
『絡んでいる』よりは『虐めている』といった方が正しいだろう。ガキクサイことを……と思う青海だったが、会社でも裏の世界でも虐めはあるし、しょうがないかと考えを改めた。
喋れば喋るほど、めちゃくちゃな論理をさも真理のように語っていく加害者。被害を受けている方はただ黙って耐えている。見ている生徒たちは、加担することはないが、止めることもしない。傍観……それも、時折忍び笑いが聞こえるというスタンスで見物していた。
「人が話してる時は相手の顔見ろって! つまんねー本読んでんじゃねーよ!」
男子生徒が本を奪い、放り投げる。本は放物線を描いて、青海の近くに落ちた。自然と著者名やタイトルが目に入る。著者名は『夢大』。フリガナは『ムダイ』。タイトルは『愚かな勇者様』とある。何回も読まれた本なのだろう……色合いも落ち、所々擦り切れている。それでも、透明なビニールで保護された本からは、大事にされてきたことが見て取れる。
角の曲がった本を見て、少年が男子生徒を睨み付けた。少年の眼光には、刃物をちらつかせる不良に勝りそうな殺気がある。だが少年は睨んだだけで、それ以上のことはしない。何かに耐えるように、小刻みに震えるだけ。立ち上がったはいいが怯えているのか、それとも……
男子生徒のプライドは、少年の眼光に、一瞬でも怯んだことに傷ついた。それが男子生徒の行動に勢いをつけた。殴りかかるような勢いで胸元を掴み上げる。少年は太い腕を取り払おうとするが、それよりも先に別の男子二人にがっちりと押さえられ、身動きが取れなくなった。
「バカじゃねー。たかが本投げられたくらいで、怒るんじゃねーよ」
殴る。空手部に所属している男子生徒の拳は、それだけでも十分に凶器となりうるほどだった。それが何発も打ち込まれる。腹に、腕に、足に、目立たないところにパンチを打ち込む。何度も何度も。誰もがその光景に目を寄せながら、その一方で無関係を装う。見ていたいが、関わるのは嫌だ。自分が標的にされるのは嫌だ。当然といえば当然な様相。だがそれを打ち崩す、凄まじい音が鳴った。机が机にぶつかり、イスや中身をぶちまける盛大な音だ。
男子生徒は喚きながら振り返り……凍りついた。イスに座り、机を蹴っ飛ばした青海の目を見ただけで息が詰まった。観衆すらも声を無くしていた。秒針の音さえ聞こえそうな教室。立ち上がった青海は、落ちていた本を拾うと、少年の机の上に置いて尋ねた。
「この本、好きなの?」
「え? あ、う、うん。大好きだけど」
青海が僅かに微笑んだ。いや、それは少年の錯覚だったのかもしれない。少なくとも両腕を押さえていた二人の生徒の気力が無くなるくらいの凄みがそこにあったから。
「いつまで握ってんの? あんたらガチでホモ?」
少年の腕から男子生徒二人の拘束が外れる。その瞬間、見事な蹴りが二人の生徒の脇腹に一発ずつ入った。手加減しているため骨は折れていない。が、耐え切れずに地面に蹲ってしまう。
「で、この前あたしに告ってふられたあんたは、その腹いせに虐めでもしてるの?」
「ちが……違う!」
「なんか、かっこいいーこと言ってたわね。お前の敵はオレがやっつけてやる? オレは強いんだぜ? 仮に強くても、こんな幼稚なことする奴の彼女になるなんて思う? 死ねば?」
言うだけあり、青海の蹴りを防御する男子。が、衝撃を流し切れず吹き飛んだ。しかも、半端にガードするものだから、追加攻撃を食らうはめになる。ふぐぅ、と情け無い声が漏れた。
青海は蹲る三人に侮蔑の視線を送ってスカートを払うと、唖然としている少年をじっと見た。
「怪我は……してないみたいね」
「……こう見えても、わりと頑丈だから」
苦笑に似た笑みを浮かべる少年に、青海はそれ以上特に何をするでも思うでもなく、たむろする群集を一睨みして、通り道を作り上げた。青海の噂や生活態度を知っている生徒たちにとっては、神の威光よりも、その一睨みの方がよっぽど影響力がある。
「帰る。むしろ暫く学校休む」
「待ってよ、オーミィ! てか、来たばっかじゃんよー!」
手ぶらで帰ろうとする青海の代わりに、小柄な女友達が鞄とコートを抱え、後を追った。
「な、何なのこれ! 何があったの?」
青海と友人の足音が聞こえなくなる頃、ようやく騒ぎを聞きつけた岡部の問いに、どう説明していいか困り果てた一人の生徒は言った。
「ほら、青海さんが帰ってきたから」
岡部以外は、不思議と全員納得してしまう魔法の言葉だった。
校門で追いついた友達から鞄とコートを受け取ると、青海は溜息をついてから学校を出た。
気が重い。放課後、友達とカラオケにでも行こうと思っていたのに、全ては台無しだ。何もしなければ望みどおりになったのだろうが……無視できなかったのだからしょうがない。とにかくやってしまった以上、あのまま教室にいるより、出てきた方がいくらかマシだろう。
ポジティブに生きるようにしている青海の気持ちは、通学に使う電車の乗車駅が見えるに連れ、通常に戻っていく。気持ちが切り替わると、他のことにも気が回るようになるもので、お昼を食べていなかったとか、近所のスーパーで安売りがあるとか、細々と浮かんでくる。電車を待つ間に、今後の予定を決めると、いつも通りの駅で乗り換えて、いつも通りの駅で降りた。
都内ではあるが、なぜか田舎のような雰囲気を持った場所。ビルもある、車も通っている、人もいる。だが不思議と田舎っぽい。それは田畑があるとか、コンビニまで歩いて一時間といった類のものではない。不思議な落ち着きがあるという意味だ。高級住宅街の静としたものではなく、川原や日向で犬が昼寝するような空気を町全体が持っている。
顔見知りのオヤジが挨拶がてら、パチンコの景品で取ったアメを放り投げてくる。隣近所の人間が自然に挨拶し、会話を交わす。天気や花、家族とかペット……古き良きと人が言うような、どうということのないやりとりが普通に残る町だ。青海は顔見知りに挨拶しながら目当てのスーパーに着くと、カゴを片手に次々と食材を放り込んだ。ぐるりと店内を一周するうちに、カゴは食材やら飲み物やらでいっぱいだ。清算を済ませると、大きな袋が三つ分だった。持って帰ると思うと気が滅入る。せめてもの救いは、スーパーから家までの距離が近いことだ。
店を出て三分ほどで青海の足が止まった。目の前には、門のある和風家屋。表札には『夢大』とある。荷物を持ったまま、足で器用に門を開けて中に入ると、小さな庭と、その先に横にスライドさせるタイプの玄関扉があった。鍵はかかっていないらしく、やはり足で横に滑らすと、扉は簡単に開いた。中に向かって、ただいまー、と声を出したが、返事は無い。
「まーだ、寝てるわね」
靴を脱いで廊下を進むと、台所も居間も見事に暗かった。予想通りの光景に、荷物を降ろしたのに肩が重くなる。その重りを吹き飛ばすように、階段を一段抜かしで二階に上がると、一番奥の扉を開けた。中にはベッドで眠っている男がいた。熟睡しているのか、声をかけても起きない。体を揺すっても起きない。仕方なく青海は耳元に口を近づけ、目覚めの呪文を唱えた。
「起きなさい、無職」
「誰が無職だ!」
起きた。布団を跳ね除け、上半身を起こす男。黒髪に白い肌。釣り上がり気味な目が若干印象的だが、だからといって目立つというほどではない。純然たる日本人といった風だ。
「無職でも、引き篭もりでも、ニートでもないと言っているだろう!」
「はいはい、ごめんごめん、うそうそ、ジョークジョーク、アメリカンアメリカン」
「謝る気ないだろ」
ウィンクしてごまかす青海。もちろんそんなんでごまかしきれるはずも無く、男はサイドボードに置いてあった眼鏡をかけながら、芸術的なほどのジト目を浴びせかけた。
「さ、それはともかく、ご飯作るから、ちゃちゃーっと準備すんのよ」
男の生返事を聞きながら部屋を出、隣の自室にコートとブレザーを放り投げる。代わりにエプロンを取ると、階段を降りながらシャツの上に身に付け、そのまま料理に取り掛かる。材料を刻んでフライパンに入れ、炒めている間に使わない食材をしまっておく。コックとはいかないが、主婦のような手際のよさがある。野菜炒めと焼き魚。それに温め直した味噌汁とご飯に、お漬物。できた順に皿に盛った料理を、居間にある大きめの円テーブルに運んでいく。
「ふむ……制服にエプロンも悪くない」
「死ね、変態」
居間に現れたのは、先ほどの男。寝巻きから着替え、和服を着ていた。二十半ばという年齢の割にかなり着慣れている。歌舞伎や華道のとは違う、生活感が漂う似合い方だが。
男はお茶を注ぎ、テーブルの前に座った。そのまま用意された食事に手を伸ばすと、軽くフライパンなどを洗った青海も、グレープジュースが注がれたコップを持って席に着いた。
「まーた遅くまで起きてたんでしょ?」
「遅くない。日が登り切る前には寝た」
「十分遅いわよ」
「この魚、なかなか美味いな」
男、青海のまとまな意見を完全にスルー。
「それよりも、この時間は学校じゃなかったのか?」
「ほんと、特売品とは思えないわよね」
青海、男の質問を完全にスルー……する前に、ベルが鳴った。男が立ち上がり、電話に出る。
「はい、夢大ですが」
『え……あら? 大戸さんの御宅ではございませんでしたか?』
「あー、申し訳ありません。大戸です」
『よかった……間違えてしまったかと思いました』
「失礼。別名の方に電話する人間の方が多いもので。それよりも、どちら様でしょうか?」
『あ、申し送れました。私、大戸 青海さんのクラスで担任をしております、岡部と申します』
岡部と男のやり取りそのものは穏やかで丁寧なものだったが、青海は箸を咥えながら顔をしかめた。やがて電話が終ると、男はジロリと青海を睨みながら食卓に戻った。
「学校からだ」
青海は予想通り、担任からの電話で今日のことが夢大に伝わってしまったことを知った。
「目立つことは避けるように言っていると思うのだが……原因は?」
「……虐められてる子がかわいそうで、放っておけなかったから」
もっともらしい理由だ。だが男はそれが嘘だと見抜き、じっと睨み返して発言を撤回させた。しかたなく青海は箸を置いて、束ねた髪の毛の先をいじりながら、口を開いた。
「本……投げたのよ。しかも『こんな』呼ばわりして」
理由を聞いた男は、溜息を付いた後、複雑に笑って見せた。その顔から怒っていない、と察した青海は、緊張していた体から息を抜いた。級友に自分がなんと思われようと、学校から電話がこようと構わない。だけどこの男にだけは、本気で呆れられたり、怒られるのは嫌だった。なぜならこの男こそが、青海が学校で言っていた『年上の彼氏』にあたる存在だから。つまり一緒に旅行に……いや、仕事に行った男、テイル・イーターであるからだ。アオヒメが青海という表の生活を持っているように、イーターもまた表の世界での顔を持っているというわけだ。
名は、大戸 奈々(オオド ナナ)。女のような名前だが、れっきとした男であり、本名である。裏の仕事が無い時は、和風家屋で和服を着た、生活の不規則な半引き篭もり人間。ただそれは、無職であるとかニートであるからではない。イーターは、本名と裏の名前以外に、もう一つ名前を持っている。それが表札にかかっている『夢大』という名前。では夢大が何を表す名前なのかというと……それはペンネーム。それも商業レベルでのだ。名前を聞けば誰でも知っているというわけではないし、文学賞を受賞したというわけでもないが、ライターや作家を名乗れるほどには仕事をしている。小説、戯曲、ゲームのシナリオ、コラム、批評など、文章に関する仕事なら大体何でもやる。ただし、興味が沸けば。生活するための収入など、裏の仕事だけで賄えるため、一般的なライターたちほど熱心に仕事をすることはない。懇意にしている編集者や劇団などから頼まれて仕事をするくらいで、新規の依頼などまず引き受けない。
かたや裏の世界に名を広げる女子高生。かたや裏の世界で知らぬ者のないフリーライター。
裏の人間というと、薄暗い地下や人里離れたところで暮らしていそうなものだが、二人はずっとここで暮らしている。青海に関して言えば『大戸』という性は偽名で、実際には夢大となんの血縁関係もない。だがご近所では、親戚の子を預かる立派な若者と、下宿しながら家事をこなす立派な少女として慕われるほどに、近所付き合いもある。その近隣住民も、二人に若干のおかしさは感じているが、『風変わりな』であり『危険人物』という意味ではない。そのおかげで、裏の人間が訪れても、なんら違和感を覚えられていない。現に今、一人の裏に属する女性が門の前に立ったが、近所のおばさんは軽く会釈するだけで、不信感は抱いていなかった。
小脇に鞄を抱えた女性は、シンプルだが材質のいいコートに、赤いスーツという格好だった。顔立ちは、ナチュラルメイクなのに目元も鼻筋も整っている。ボディラインは全体的に細いのに、しわを作る胸元の形は、十人男が歩けば、七人は振り返るほどに隆起している。ちなみにあとの三人は小さい方が好きなタイプだ。全体的に日本人離れした容姿には、セミロングの金髪もマッチしている。よっぽど趣味が偏った相手でなかれば、美人と評すだろう。
女はインターホンも押さずに門を潜った。その足取りには音が無い。足音どころか、服が擦れる音すら無い。女はそのまま家の中に進入して居間に近づき、一瞬息を詰めると、急に動いた。ターゲットは夢大。手にした細い針が煌く。夢大が女に気付く。が、すでに遅かった。
「……貰ったわ」
肉を刺した針を持ち上げる女。その先には今まさに貫かれた……焼き魚がくっ付いていた。
「余所様の食卓を荒らすな!」
「私とあなたたちの仲じゃない。ねぇ、オーミちゃん」
女は魚を骨ごと食べながら微笑んだ。ある程度の歳と経験を重ねなければ滲み出ない色気が漂う微笑みだ。これで片手に魚がなければ多くの男性を魅了できただろうが、今はシュールこの上ない。が、夢大も青海も嫌な方向で女の奇行に慣れているらしく、すぐに食事へと戻る。一方女もそんな対応に慣れているのか、挨拶を忘れてたわ、とマイペースに続ける。
「はろー。あなたの天使、メグメグよ」
魚を齧る自称天使に、取られたおかずの恨みを込めて睨む夢大。
「何がメグメグだ、才谷 梅子」
魚ごと針が飛んでくる。夢大は針をキャッチしたが、すっぽ抜けた魚に頭突きを食らった。ダメージは無いに等しいが、精神的な部分が著しく傷ついた。
「本名で呼ぶなって言ってるでしょ。実名がばれることが、どれだけ危険か分かってるの?」
「単に本名が気に食わんだけだろうが」
「そうよ。それの何が悪いの?」
「ネーミングセンス」
メグがチョークスリーパーをかける姿を見て、慌てて青海が箸を置いて止めに入った。
「止めても無駄よ。今日こそ、確実に殺すとかいて確殺するわ」
「いや、止めた方がいいって。喜んでるから」
改めて自分と夢大の状態を確かめるメグ。後ろからチョークスリーパーかければ、当然出るところが出ている体型なメグ故、当たるものが当たる。
「余裕ね……なら、徹底的にやってあげるわ」
「だから締めれば締めるほど喜ぶんだって!」
「人を、いじ、められて喜ぶ、へ、んたい、よば、わり、する、な」
どっちにしろ変態には変わりない気もするが……結局その後数分に渡り首を絞められていた夢大だが、柱時計が三時を告げると、メグはぱっと手を離してバックから書類を取り出した。
「いつまでもファンサービスしてる暇なんかなかったのよね」
「誰が誰のファンだというのだ?」
「はいこれ、ブラックバイバル壊滅依頼関連のね」
夢大の質問など気にも止めず書類を出す。夢大の方も無駄と悟っているのか、大人しく書類に目を通していく。それは、先日青海と共に行った……洞窟での一件に関する詳細だった。
裏の世界では、夢大も青海も、どこかの組織と専属に契約しているわけではなく、フリーとして活動している。そして今回夢大たちに話しを持ちかけたのが、メグが所属する組織だった。
メグが所属するのは『シスター』と名乗る組織。裏の世界では中々の老舗だ。そのシスターに対抗してきたのが、レンが所属していた『ブラックバイバル』と名乗る若手組織だった。シスターは、当初交渉での解決を図ったが、相手が徹底交戦の意を見せたため、武力行使を取ることになった。シスターは戦闘員も武器も保有している。だが『ホルダー』と呼ばれる超常者を専属で抱えていない。そこで二人に仕事を依頼したのだ。今回メグが持ってきた書類には、簡単な事後報告や、支払われる額面などが記されている。給与明細のようなものだ。
夢大はざっと見終えると、了承を意味するサインを入れる。表同様、裏でも一部の人間としか付き合おうとしない夢大は、最近は専らシスターと……厳密にいえば、メグからの依頼を中心にこなしている為、目を通すのもサインを書き入れるのも手早い。メグもまた戻って来た書類を素早くチェックして鞄に仕舞うと、針を服のどこかに仕込みながら立ち上がった。
「お昼の邪魔して悪かったわね。私は帰るから、ごゆっくり」
「お腹空いてるなら、なんか作ってあげるけど?」
「ありがと。でも仕事が立て込んでるのよ」
「商売繁盛か。世の中荒れているな」
「おかげでリストラとは無縁よ。むしろ消耗激しいから、いつでも人材募集中」
冗談を交えつつ、玄関まで見送る夢大と青海。メグは扉を出たところで振り返り、わざとらしく『あぁ、そういえば』と話を振った。明細よりもこちらの方が本題だったらしく、フランクな空気の中に、交渉ごとを繰り返してきた人間が持つ隙の無さが現れる。
「近いうちに仕事回すことになるだろうから、スケジュール開けておいてね」
「この前やったばっかじゃん!」
「これでも旅行に行くって言うから、気を利かして減らしたのよ?」
「まだ映画見てないからダメ!」
「また今度にして頂戴。それにあんまり束縛すると、男は嫌がるのよ?」
青海が伺うように夢大を見る。夢大は何の色も浮かべていなかったが……旅行中の時折不満げだった夢大の様子を思い出し、メグの言っている事が正しいと知った。
「持ちつ持たれつってことで宜しくね」
「まだ私は引き受けるとはいってないのだが?」
「……喫茶店のウエイトレス、キッコちゃんと先月二十八日」
「喜んで引き受けよう!」
慌ててメグの言葉を遮った夢大の足に、青海の踵が襲来した。街に夢大の悲鳴が響いたが、ご近所は『あぁ、またか』と誰も気にしなかった。
どこの世界にも、そこでしか通用しない言葉がある。業界用語、専門用語と呼ばれるような言葉だ。例えばトンカチを『ナグリ』と呼んだりもする。が、そんな言葉を知らなくても……『トンカチ』という言葉を知らずとも、使い方は分かる。人によって理解までのプロセスは様々だろうが、最終的に『何かを叩く』ということに行き着く。それと同じように、筆記具なら書く。刃物なら切る。針なら刺す。名前など知らなくても、使い道は理解していけるものだ。
そしてここに、名前は分からないが、使い方を理解した道具を手に入れた男がいた。
月空の下を走る男。昼間は人の多い工場地域は、夜になると急に薄ら寒さを際立たせる。走る男の手には、不思議な熱を帯びた手甲がはめられていた。拳全体を覆いながらも、動きは妨げないようにできた機能性と、どこかふてぶしさが残る味のあるデザイン性が同居している。
その手甲の作りは、これを手にはめた男の体型と似ていた。単なるジャージ姿だが、ダイエットで毎夜走るおばさんとは違った、締った筋肉が身体全体を覆っている。
男が走る……いや、追う。男の前には、逃げる若者がいる。何十人もの相手に麻薬を売っていた若者だ。その背景を知っていれば、男は若者を正すために追っている、と思えるかもしれない。だが漂う雰囲気は、道を正そうとする熱血漢というよりも、破壊魔といった方が近い。
体力に優れた体と、薬で弱体化している体。その距離が開くはずもなく、確実に差が詰まっていく。そこに路地から一匹の黒猫が飛び出してきた。猫を踏みそうになった若者が、慌てて足を踏み留めようとして、足をもつれさせ、転んだ。そして……追いついた男の拳が、若者の頭を砕いた。潰れる。弾ける。人の頭を作る様々なものが飛び散る。
「悪は……非行はいかんぞ、非行は」
どす黒く笑う男。そこには人間の頭を砕いたという罪悪感はない。自分の手に響く、殴りつけた感覚にだけ酔っている。その酔いに任せ、殴る、殴る。もはや動くことのない若者の身体を何度も打ち付ける。その度に死体が潰れ、血が広がり、やがて若者は、単なるミンチに成り果てた。月はその死体の凄惨さから目を背けるように雲を手繰り寄せ、輝きを隠した。男は興味を無くしたのか、深まった闇の中を、何事もなかったかのように去って行く。残ったのは、一匹の猫。結果として若者の命を奪った黒猫は、暫くの間、じっと目の前の肉を見つめていた。
こうした事件が最近増えている。
狙われているのは、何らかの犯罪の匂いを持った人間。小さくは窃盗などから始まり、大きくは組織犯罪者まで。それも狙われたが最後、生き残る確立は極めて低い。それもこれも、狙ってくる相手が総じて尋常でない戦闘力を有した相手だからだ。
高層ビル群の中に建つとあるビル。表の社会では、警備会社としてそこそこに有名な会社のビルだ。その地下室の一室に、葉巻を咥えた少女がいた。外国製のスーツ。ブロンドの髪と灰色の瞳。異国の血が流れる顔立ちは愛らしく、葉巻よりアイスやお菓子の方が似合う。
少女は、多発する『犯罪者殺し』の説明を受けていた。一時間ほどに渡り、何件かの事例と共に写真を見ていたが、さすがに見飽きたらしい。部下の女……メグに手を振り、説明会を中断させると、背もたれに体を預けた。この少女が、シスターのトップにして、メグの直属の上司。不滅の少女と呼ばれ、何十年と同じ姿でシスターの全権を握ってきた者だ。
「和も世も意にせぬ、欲にまみれた殺生か……だからホルダーは嫌いなんじゃ」
葉巻の煙を吸い込む。普段なら格別な味も、今は煙たいとしか感じないのが癪だった。
「撲殺七件、焼殺三件、斬殺一二件、失踪行方不明一五件。他にも圧死、窒息死、水死、毒死、多種多様な死に様がラインナップされております」
少女はあごをしゃくって、メグに事件に対する見解を求めた。
「死に方が統一されていないことから、以下のことが考えられます。一つ、複数のホルダーがいる。二つ、一人のホルダーが何タイプものブックを抱えている。三つ、複数の攻撃方法を持つブックを抱えているホルダーがいる。四つ、一から三の複合」
メグはその後も推測を並べたが、最終的な結論をこう述べた。
「どのタイプであったとしても、シスターの兵力だけで対応するには厳しいでしょう」
「餅は餅屋じゃな……また小僧の手を借りねばならんのか」
「すでに予約済みです」
「相変わらず手の早い」
「あなたから、いい男と優秀な人材は早い者勝ちだと教わりましたから」
にっこりと笑うメグと対照的に、苦々しい顔を浮かべる少女。ホルダーは嫌いだ。できれば自分の組織だけで何とかしたい。だが外見と同レベルの思慮で動くほど浅はかではない。
「近く、依頼が入ってくるじゃろう。イーターの雇用、情報収集、抜かりないようにの」
少女の言葉を受けたメグの指示により、シスターの情報収集が本格的に始まった。
その間にも次々と犯罪者が殺されていく。それも無分別にと言っていい。確かに犯罪者ではあるが、魔がさした程度の犯罪で殺されている者が多い。計画的に選ばれたというよりも、たまたま目にしたから殺した、といった風だ。無論本当の犯罪者……表よりも裏の世界で生きる時間の方が長い人間も殺されている。それなりに有名な組織に組する者が何人か死んでいた。膨大な死体の中のごく一部ではあるが、メグはむしろ、希少データの方に重きを置いた。
仕事柄、人付き合い柄、ホルダーという人間がどういう人間か、どういうスタンスで裏の世界に接しているかをよく理解している。その経験則から、犯罪者殺しの実行犯は、ホルダーになり立ての人間だとあたりをつけた。つまり、新しく裏の世界に接してきた者。
この仮説が正しい場合、分からないのは、素人同然の人間がどうしてプロの所在を知れたかということ。長く裏に居れば、その身は表から遠ざかる。夢大のように生活している方が稀なのだ。普通は探って探って、ようやくみつかるのがほとんど。表に出て行動することがあっても、裏の人間は細心の注意を払う。故に、素人が簡単に遭遇できるはずがない。それを可能にする一番分かりやすい答えは、先導する人間が……長く裏に関わる人間が、別にいるというもの。だが、なぜ素人を集め、犯罪者殺しを先導するか、と問われると推測すら出てこない。
情報は集まる。だが答えは見えない。メグはビルの一角にあてがわれた自分の部屋で、データを見ながら推測と修正を重ねる。一点を見ているようで何も見ていない曇り硝子のような瞳と、微動だにしない体は、容姿とあいまって人形のようだ。だがそこには人形にはけして持ち得ない重圧感がある。報告に部屋を訪れた部下は、メグの空気に思わず唾を飲み込んだ。
「ブラック・バイバル……略称BB。その壊滅戦後の追加レポートをお持ちしました」
無言で手を差し出すメグに、ディスクが渡される。ほとんど身体を動かさず、そのディスクをパソコンに読み取らせ、内容に目を通していく。そこにはBB壊滅後の裏世界の動きや、捕虜に対する処遇などが書かれていた。上から下へ、左から右へ、次々にデータを見ていく中、ふいにメグの視線が止まり、霧がかっていた瞳に光が戻った。
「所属してたブックメーカーの存在を確認できてない、って書いてあるけど間違いないの?」
「はい。全ての死体を確認し、全ての捕虜を確認、尋問しましたが、該当する者はおりませんでした。元々構成員の前にも顔を晒すことはなかったそうです。そのことから、壊滅戦が行われた時には、すでにいなかったのでは、という意見が出ております」
メグの指が何かを描くようにぐるぐると回る。頭の中の動きを表すように。
「……質問。ブックメーカーがどんな存在か知ってる?」
「詳しくは……ただ、ブックを作ることができる存在だと聞いております」
「じゃあ、そのブックとは何?」
言い淀む部下。有名な用語でも、説明できるほど理解している人間ばかりと限らないのは、裏でも同じだ。メグは一瞬批難の目を向けたが、すぐに解答を自分の口から披露した。
「ブックを宿す人間をホルダーと呼ぶ。ホルダーに人外の力を与えているのが、ブックと呼ばれるもの。能力は主に三タイプ。武器や薬なんかのアイテムを作り出す、クリエイト。ホルダー自身に強い影響を与える、トランセンド。そして本に宿るキャラクターを呼び出す、サモン」
説明しているとは思えない早さで終える。意味がないような行動だが、そもそも部下に理解させるというより、知っていることを口にすることで、考えをまとめようとしているだけだ。
「ブックあってこそのホルダー。なのにブックの数は少なく、それを作れるブックメーカーは更に希少。だからメーカーの存在は貴重なの。戦力増強するも良し、売って資金を得るも良し。うちはボスがブック嫌いだから生死問わずだけど、本来なら生け捕りにすべき対象なのよ」
人外の力を与えるものを作り出せる存在だ。どんな組織だって欲しがるに決まっている。凶悪な力を有するホルダーを大量生産できる可能性があるのだから当然だ。
部下もブックメーカーの価値は理解できた。だが、別の疑問が浮かぶ。メグの視線から発言を求められていることを察した部下は、恐る恐るその質問をぶつけてみた。
「どうしてBBの連中は、ホルダーを一人しか出してこなかったんでしょうか?」
そう、作れる存在を抱えているなら、ホルダーを作ってしまえばいい。なのに、実際に戦ったのはたった一人、レンだけだった。
「適合者がいなかったのよ」
新たな単語に、疑問を浮かべる部下。
「あんたも本くらい読むわよね? 歴史小説でもミステリーでもいいけど……本にはジャンルと作家があるでしょ? そしてあんたは自分の好きなジャンル、好きな作家の本を好んで読む。つまり、本に対する嗜好性がある。その嗜好性と合わない本は読んでも面白くない、肌に合わない、適合しない。それと同じことがホルダーとブックの間にもあるのよ」
つまり、ブックがあっても、相性のいいホルダーがいなければ意味が無いということだ。
「男と女の関係と一緒。数がいても恋人になるかは別。そうかと思えば、一人の男が何人も女を抱えることもある。世の中バランス悪いったら……」
何かに思い当たったメグは、話しを途中で切ると、すぐさまディスプレイに別の報告書を映し出した。そこには、定期的に収集している、他の裏組織の戦闘力や資金力などのデータが記されていた。もちろんその中にはBBのものもある。その資料を遡っていくと、夢大たちによって倒されたレンとは別に、二名のホルダーがいた経歴があった。ただし、どちらも壊滅戦が起きる半年以上前に退団したことになっていたが……。
みつからないブックメーカー。急増した新人ホルダー。犯罪者殺し。壊滅したはずのBB。
情報の点が線になり、メグの目が閉じた。指の回転は、リズミカルに机を打つ動きに変わる。その姿に、自分の役目が終わったことを理解した部下は、静かに頭を下げ、部屋を出て行った。