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ACT1 『まずは、始まる』

ACT1 『まずは、始まる』

 奇妙なことに、目の前に扉がある。洞窟の中だというのに、豪華過ぎて悪趣味なデザインのものだ。だがこの奥が、ある組織の長を務める者の部屋だと補足すれば、デザインも重厚さも納得できる。それも人身売買、臓器密輸……ナマモノを中心に取り扱う組織の長の部屋だ。

 とすれば扉よりも、その前に立つ二人の方が奇妙と言わざるを得ない。

 1人は、夜色の男。肌以外の全てを黒で彩っている。ダークスーツとダークシャツ。ネクタイも黒なら靴も黒。マントのように見えるコートも然り。そして、目もまた同じく夜色。そこまで黒尽くめだと、統一感よりも先に異様さが際立ちそうなものだが、男の姿からはそれがない。衣装と男は、初めから一揃いであるかのように、互いを受け入れていた。

「ねぇ、イーター」

 夜色の男……イーターの傍らに立つ少女が話しかける。長く青い髪を二本に縛り、膝丈のコートの下には、チェックの短いスカートと紺色のブレザー。シャツの胸元では、男と揃いのネクタイが、柔らかく押し上げられている。その姿を単語に変換するなら、女子高生。それもテレビか雑誌の表紙にいても違和感のないほどの容姿を持っている。かわいいと綺麗の中間。少女と大人の狭間。そんな、背反する二律を集めて作り上げられた姿だ。

「なんだ、ヒメ?」

 イーターは少女のことをヒメと呼びながら、先を促した。

「なんで裏組織の人間とかって、ヒッキーしたがるのかしらね?」

「これは引き篭もりといわん。第一、洞窟の中とは言え、ここはいちおう高原のぅぉッ!」

 ヒメの蹴りがイーターの脇腹にめり込んだ。蹴って蹴って蹴り続けた挙句に到達できるバランスの良さとシャープさは、美しくすらあった。無論、蹴られた方はそれどころではないが。

 ヒメは海色の目を波立たせながら、咳き込むイーターを睨む。釣りあがっているわけでもないのに、鋭いその視線に、イーターはバツが悪そうに目を背けた。

「反論なんかいらないのよ。自分の立場分かってる? 人のこと騙して仕事連れて来たんだから、せめてご機嫌くらい取りなさいよ」

「それに関しては、仕事が終わったら、出掛けることで」

 言い終える前に、再び蹴りが飛んだ。しかも寸分違わず同じ場所に。

「おにーさん、今年いくつ? 悪いことしたらどうするかくらい分かってるわよねぇ?」

「笑ってごまかす」

 ダメージに蹲っていたイーターの背中を容赦無く踏み付けるヒメ。

「すまなかった。私が間違っていた。反省する。だから足をどけてくれ」

「嬉しいくせに」

「そんな趣味など」

「嬉しい、でしょ?」

 口は笑っているが、目が真剣だった。馴れない人間が見れば、逃げ出すような表情を向けられたイーターは、不承不承ながらも肯定した。おかげで怒りも収まったらしく、ヒメも足をどけ、手を差し伸べた。イーターは、手を借り立ち上がると、気を取りなおし、話を進めた。

「最後に確認する。敵のホルダーは一人。だが、ここまで雑魚がうようよいたことから、この中もそれなりの人間がいると考えたほうが妥当だろうが……」

 二人は最初から扉の前にいたわけではない。洞窟の入り口から迎撃班を打ち倒し、ここまできたのだ。手に銃や刃物を持った三桁近くのプロ相手に、たった二人で。そんなことが可能だった理由は一つ。イーターとヒメもまた、『ホルダー』と呼ばれるプロであったからだ。

 ヒメが扉を見据えながら、目の悪い人間がするように、眉根を寄せる。むろん、そんなことをしたところで、ガラス製でもなければ扉の向こう側など確認できるはずもない。目の前の扉は何らかの金属製だ。だがヒメは、見るでなく、何かを感じとるように、意識を向けた。やがて嘆息しながら下を向くヒメ。小波のように前髪が落ち、瞳を薄っすらと隠す。

「この奥、水浸しみたい。真っ赤な液体で……ね」

 ヒメの瞳が、海底に沈んでいくように濃い蒼へと変化していく。光を拒み、進むことを嫌い、外の世界から見れば異様な……だがだからこそ奥深い興味を覚える深海の蒼へと。

 その変化を見たイーターが、ヒメの体を引き寄せた。ヒメは無抵抗にそれを受け入れる。何もかもを潰す深海が、夜と闇だけは招き入れるように。唇の端を吊り上げながら、そっとイーターの体を抱きしめた。そして短く、イーターが自分たちにしか聞こえない言葉を囁くと、ヒメは返答の代わりに、自分の唇をイーターのそれに重ね、ゆっくりと離した。

「……続きは、仕事が終わってからだな」

「続きを許すかどうかは、あたしが決めることでしょ?」

「そして許させるのが、私の役目だ」

 返答に笑いながら体を離すヒメ。セリフが気に入ったのか、不機嫌さは無い。そして笑みを湛えたままのヒメが、扉に向けて指を突き出した瞬間、水が産まれた。指先に水が現れ、踊るように対流している。比喩ではない。手品でもない。何も無いところから水が姿を現した。

「さぁ……物語の始まりだ」

 水量が増える。水はヒメの指の動きに合わせて回転しながら、人間を飲み込む程の大きさになると、指先から離れた。水弾は高笑いしながら扉に激突し、悲鳴を上げさせる。何度も何度も。そして、何度目かの高笑いが衝突した時、扉は壁からもがれ、水の流れに乗って吹き飛んだ。散る水飛沫。落ちる扉。洞窟に響く音。曝け出される室内。途端に強烈な……鉄の匂いが漂ってきた。血の匂いだ。それも、ホースで撒いたほどの血溜まりから漂う匂い。それを作り出したのは、無数の死体。大広間といって差し支えない部屋一面に、死体が転がっていた。五体満足に死んでいればマシだ。ほとんどは腕や足が無く、内臓が溢れ、焦げたりすり潰れたりと、性別どころか人間だったのかすら分からなくなっている。そんな異様な室内に、二人は足を踏み入れた。靴が生み出した波紋が、赤い液体の上を走り、奥へと進む。波紋は部屋の一番奥にある、自己顕示欲を満たす以外に使い道の無いイスに当たると、力を失って消えた。

「ようこそ、テイル・イーター。それとアオヒメ」

 イスに足を組んで座る青年がいた。大学生くらいだろう。どこにでもいそうな青年で、これといって特筆すべき点はない。ただ、こんな死体だらけの場所で、平然とサイドテーブルから持ち上げたグラスに注いだワインを口にしていることが、そもそも異常だが。

「足元のそれは、そちらのボスと見受けるが?」

 それ、とイーターが指した死体を一瞥する青年。

「元、だよ。ついさっきまで。今は僕がボスだ」

 その言葉で、青年が組織に反旗を翻したことを理解する。別に珍しいことではない。混乱の最中に長の交代劇が起こるのは、ままあることだ。それに元より、イーターからすれば誰がボスだろうと大差無い。どのみち生死問わず、敵組織の構成員を全滅させるつもりだったのだ。

「噂で聞いてたよりも普通だね。全身真っ黒でゴキブリみたいだけど」

「お前の髪の色も、茶羽ゴキみたいな色だろう」

 即座の切り返しに、青年の顔に青筋が浮かんだ。

「茶髪にすればカッコイイとでも思っているのか? だとすれば鏡を見ろ。センスを磨け。もっとマシな美容院に行け。高い服を着ていればカッコイイと思うな阿呆が」

 増える青筋。だが青年は深呼吸して気を落ち着けると、グラスのワインを飲み干した。

「飲酒は二十歳になってからだぞ、少年」

「すでに二十歳だ!」

「少年って、精神年齢の話でしょ?」

「それも二十を過ぎている!」

「行き過ぎて、初老の域にまで達したのだな」

「年取ると逆行するっていうもんねー」

 唇を噛む青年。力の入りすぎでグラスにひびが入った。

「僕は二十歳だ! 以下でも以上でもない! 身体も心も立派な大人だ!」

「以下でもなく以上でもなければ、どこにも属さん。きちんと日本語を理解しろ」

「二十歳未満でもなければ、二十一以上でもない!」

「よくできましたー、いいこねー」

「アオヒメは黙っていろ!」

「よしよし、いいこかな?」

「イーターも黙れ! 微妙に疑問系にするな!」

 死体に囲まれた中で行われる低レベルな争い。放っておけばまだ続けられそうだが、あっさりと断ち切られた。飛ぶ。イーターとヒメの背後から、丸い塊が飛来する。青年と言い争いをしていた二人からは、完全に死角となる位置からの不意打ちだ。

 塊が飛ぶと同時に、怒鳴り散らしていた青年の空気が変化した。瞳には淀んだノイズが走り、相手の敵意を刺激する嫌味な笑いが張り付く。イーターがその変化に気付く間に、差し迫る塊。それは生首だった。高速で生首が飛んでくるが、相変わらず二人は青年の方を向いたままだ。そして首は、イーターの背中へと衝突した。低い音が響き、イーターの体が前に押し出される。

「はっ! 調子に乗って人のことをバカにしているからそうなるんだ」

 勝ち誇り笑う青年……だがすぐに表情が改まる。舌打ちし、手から電撃を発す。黄色の筋は、今まさに青年へと投げつけられたナイフを打ち落とし、僅かな余韻を残して消える。

「……やるね。伊達に有名人じゃないってことか」

「なに、褒められるほどのことではない」

 青年に投げつけたものと同じ形のナイフを玩びながら答えるイーター。

「その褒められない程度のことができないせいで、割と死ぬんだけどな」

 青年が指を鳴らした。慣れているのか、キレイな音だ。その音に従うように、死体の影に身を潜めていた何かが、青年の元へと一足飛びに移動した。

「紹介するよ。この僕、レンのパートナー、『百万回殺した猫』に宿るキャラクターのアギだ」

 少女だった。不快なほどに深い紫の光を瞳に宿した細身の少女。長い爪は血に染り、灰色のワンピースが切れて出来たスリットからは、肉の無い脚が、赤い靴を履いたように濡れた足元に伸びる。そして肩まで流れる黒髪の天辺からはネコの耳が生え、腰元では、服を突き破って灰色の尻尾が揺れていた。耳も尻尾も、飾りではない。証拠に、生物の持つ温かみがある。

 アギはイーターを見、大きな目を輝かせてからペコリとお辞儀をすると、すぐに手と爪を舐めることに夢中になった。舐める度に肌色が戻るが、舌の色は濃さを増していく。

「ご丁寧にどうも。存じているようだが、私はテイル・イーターだ」

「ヒメよ。アオヒメでもいーけどね」

 二人の自己紹介を受けたレンは、目を細めながらイーターの後ろを見やった。

「後ろにいるのもぜひ紹介して貰いたいな。アギの弾丸を受け止めるほどの相手だろ?」

 イーターは苦笑を漏らしながらコートを翻し、背中に隠していた少女の姿を晒した。

 赤いフード付のマントを被った、かなり幼さいショートカットの少女。だが、顔以外の地肌を全てブラウスやスカートで覆った姿は、若年層特有の隙や柔らかさを感じさせない。そして、目つきは尚更だ。ゆるく釣り上がり、夕方から夜に転じる一瞬を映し出したような、腐食しかけた血のような瞳の色合い。そこからは、何年も研磨してようやく得ることのできる落ち着きと鋭さが佇んでいる。その手に、一本ずつ計二本の長いサーベルを握りながら。

「紹介が遅れて申し訳ない。『Red Hood Eliminator』のエリミだ」

 エリミは挨拶抜きにサーベルを構えると、いち早く殺気を纏った。小さな身体から出ているとは思えないほどの圧倒的な質と量に、アギの耳がピクンと反応した。が、負ける気は無いとばかりに爪を伸ばし、身体を低くした。レンがその様子を見て、対戦カードを決定する。

「いけ、アギ。お前は小さい方だ!」

 レンに命令されたアギが、地を這うように体を落とし、じりじりと距離を詰める。

「後退願います」

「あんたが行くの?」

「指名です。加えて相手は高速型。この中で一番軽いのは私です」

「事実だけど、なんかむかつく言い方ね」

 エリミがアギに対して視線を向ける。互いの視線が絡み、自分の敵を認識しあう。

「除去、開始します」

 エリミが地を蹴る。アギが飛び掛る。サーベルは爪を受け止め、弾き飛ばす。アギは空中で回転しながら体勢を整える。エリミは血溜まりに手を付くと、隠していたかのようにナイフを生み出し、アギに向かって投げた。単調なナイフはあっさりと叩き落されたが、腕を振って出来た死角から、サーベルが襲う。が、目ではなく耳が反応し、爪が伸びた。爪と剣がぶつかり、高い音が響く。地面に降り立った二人は、一筋縄で行かない事を悟り、睨み合いへと入った。

「じゃ、あたしの相手は腹黒ね」

「イーターじゃないのか?」

「こいつのブック、サモン系しかないのよ。しかも、ぜーんぶ女キャラ」

「なるほど。噂通りの変態というわけだね」

「口を慎め、誰が変態だ」

「ごめんごめん。せめて女好きにしておくよ」

 不服そうに唸るイーターを押し退け、ヒメが一歩前に出る。その指先に水が現れる。レンはイスから降り、指先に黄色い筋をスパークさせた。

「戦う前に……電気椅子で死んだ人間がどうなるか知っているかな?」

「汗も涙も、言いたくないようなものもぜーんぶ垂れ流し。それがどうかした?」

「いや……楽しみだな、と」

「あんたもじゅーぶん変態じゃない!」

 水の大砲が飛ぶ。電気の槍がそれを砕く。レンは第二波が来る前に、蜘蛛の巣のような電気を放った。だがヒメは巣に捕まる前に水の壁を呼び、吸収させながら相殺する。その後も数度に渡り水と電気の応酬が続くが、どちらも近づかない。水を操るヒメは電撃を苦手として。身体能力で劣るレンは、接近戦を敬遠して。それぞれの理由から、遠距離での攻防が続く。

 イーターは暫くその戦いを見ていたが、やがて剣と爪の戦いの方へと視線を動かした。

 アギが爪を振る。エリミがそれを受け、斬激を繰り出す。が、アギも柔軟な動きでそれを避ける。スピードと感覚でアギが。判断と戦術でエリミが相手を押し、押される。進展の無い攻防。アギは脇を見ると、大きく退き、爪を地面に叩き付けた。飛沫と共に爪が折れ、すぐに新しい爪が伸びる。先ほどよりも細く鋭い爪を振りかざし、駆ける。……イーターに向かって。

「死んでね、おじさん」

 迫るアギ。幾多の人間を殺した爪が近づいて来る。だがイーターは笑った。それを期に、鈍く輝き、緩く陰り、地を這う生き物を翻弄する月のような存在感がホールに行き渡る。その笑みに、存在感に、アギの脚力が弱まった。殺意に恐怖が混じった。命を脅かされる恐怖ではなく、もっと異質な恐怖。アギはその恐怖を振切って加速したが、僅かな失速は、イーターにエリミが投げたサーベルを握ることを許してしまった。正確に手元まで届いたサーベルを右手で掴み、イーターが構えるのと、爪が振り下ろされたのは同時。

「いい判断だ。確かに私を殺す方が易かろう……が、今一歩及ばなかったな」

アギは剣をへし折り、切り裂こうと力を込めるが、サーベルの強度とイーターの腕力は想像以上に高く、音を立てるだけで終わる。そんな中、ふいにイーターの左手が持ち上がった。アギが警戒するよりも前に、その手に握られていたハンカチが、アギの頬に到達する。

「ふむ。やはり血が無い方が愛らしい」

 ただ血を拭いただけ。それ以上のことは何もない。だが、何もないからこそ感じる恐怖もある。いきなりのことで思考が止まったアギも、数瞬遅れで震えに襲われた。今まで何人もの人間を殺してきたが、こんなことをした人間は初めてだ。何かの作戦か、余裕の現れか……何にしろ、猫の本能が不吉を察し、飛びず去った。そして、

「堂々と浮気するな!」

 アギの代わりに、巨大な水の塊がイーターを襲った。レンに向けたものよりも大きく速い。容赦とか手加減とかいう配慮のない弾丸は、駆けつけたエリミに切り裂かれ途中で霧散した。一秒でも遅かったら、イーターが地面に転がる死体の仲間入りをしていただろう。

「ヒメ……主人に危害を加えるなど言語道断。覚悟はいいですね」

「あんたは黙ってなさい! 述べろ! 十五文字以内で、顔を拭いた理由を述べろ!」

「ネコミミガ、カワイカッタカラダ」

 句読点含めてぴったり十五文字。即答したにしては、なかなかに優秀といえる。だがもちろん、相手が納得するとは限らない。というか、この理由で納得できるはずがない。

「死ね! 豆腐の角に頭ぶつけて死ね!」

「死ぬのはあなたです」

「怒り過ぎはよくないぞ。肌が荒れる」

「誰が原因だと思ってんのよ!」

 超至近距離で水を飛ばすヒメ。瞬時に切り裂くエリミ。笑うイーター。笑い声に加熱したヒメは、十数個の水弾を同時に繰りだし、エリミはその分だけナイフを作りだし、霧散させる。

 仲間同士で致命傷レベルの攻撃をやり取りする三人を前に、アギはあたふたとしていた。今までこんな敵に遭遇したことなどなかったからだ。だが、その主であるレンはごく冷静に次の一手を用意していた。腕全体に溜めに溜めた電撃が、激しいスパークを見せている。

「見せてあげよう……電糸の芸術を!」

 電気が走る。電撃はすぐに、イーターたちを取り囲むリングとなった。輪は次いで上下に電撃を放射し、リングからドームへと姿を変えた。電糸のラインは様々な姿を……死や終わりを象徴するようなモチーフを描きながら回転し、悲鳴のような嘲りのような音を撒き散らす。

 迫るでなく、放つでなく、ただ見物客を閉じ込めるためだけの檻。その檻の外でほくそ笑むレンは、一際高く笑うと、椅子に座り、グラスをワインで満たした。

「閉じ込めて高みの見物? 随分といい趣味してるじゃない」

「だろう? 恐怖に怯え、泣き叫ぶ人間を見る時ほど心が高ぶることはないよ」

 目に宿ったノイズが激しさを増す。これから始まる最高のショーに期待が膨らむ。

「さぁ、感動のフィナーレだ!」

 強くなったノイズに刺激されたヒメが水を生み出そうと手を上げる。が、イーターはその手の上に自分の手を重ねて、小さく首を振った。ヒメが意を知るべくイーターの視線を追うと、檻の外で、地面に屈み込むアギの姿が目に入った。アギの目の前には死体。紫色の目を光らせせ、死体の腕をもぎ取り、口の中に入れる。巨大なソーセジでも食べるかのごとく指先から腕が無くなる。更にもう片方の腕も口の中に消えた。そして、足が、胴が、頭が食われ、丸々一人分の死体が口中に収まった。異様に膨らんだ口の中、氷を噛み砕くような音が繰り返され、

「アギ……ミリオン・ダラー」

 マシンガンのように吐き出される血肉と骨の破片。だがその一片一片が、速く細かい。それがイーターたちに襲い掛かる。逃げ場は無い。視界を覆うほどの破片が飛び、血飛沫が舞った。地面に着弾した破片が血溜まりを跳ね上げ、檻の中いっぱいに赤い液体が飛び交う。赤と黄色のコントラストが見せる幻想的な光景に、身を震わせながらワインを飲み干すレン。

 アギは主人たるレンの喜びを増やさんと、弾が切れるとすぐに死体を引き千切って口に放り込み、新たな破片を量産しては吹きつける。その度に舞う赤い雫。でたらめに舞うことを強要される人間。それは今までレンが何度も見てきた光景。普通の生活では見ることの出来ない魅惑的な踊り。BGMは絶命するまでの叫び。その二つがこの世界で一番自分を満たしてくれる。

 なのに……今日に限って様子が違った。音が聞こえない。弾丸に踊り狂うダンサーが見えない。いや、踊り手どころか何も見えない。檻の中は赤い霧が立ち込め、全てを覆い隠していた。

「なかなかいいものを見せてもらった。こちらからもお返ししよう。エリミ」

「はい……霧刃狼ムジンロウ

 霧の中から漏れた温度の無い呟きの振動を受け、ホール中の血が空中に浮かんだ。赤の雫は細かな霧になる。そして動く。始めはゆっくり、次に獣のような速度で。赤い霧は全体で一つの生き物のように蠢くと、アギが逃げるよりも先にその全身を包み上げ、高速で回転した。

 途端、聞こえる叫び。霧の竜巻の中、無数の刃物によって肌を切り刻まれているアギの悲鳴。切り刻んでいる刃物の正体は霧。一粒一粒が鋭利な刃物となって回転しながら、アギの体にラインを刻む。刻んだ箇所から溢れた血は霧の渦に巻き取られ、刃物と化してアギを切り付ける。

 これを防ぐ術をアギは持っていなかった。ただ闇雲に爪を振っても、霧は若干流れを変えるだけ。それでも、もがいた。痛みから逃れるため、赤い世界を終わらせるため。だが……

「除去完了」

 赤い霧が消える。役目を終えた血は、元から存在していなかったかのように消えた。そんな中、唯一残っていたアギは、立つことも出来ずに横たわっていた。死んではいない。だが動けないのは明らか。穴から漏れるような呼吸音。浮かんだ涙。再生しない爪。子供のいたずら書きのような、でたらめな線が残る肌。奇妙な色合いに染まったスリットワンピースの切れ端。

「ヒメ、やってくれ」

 巨大な水流が生まれ、暴れる。それは電気の檻を一瞬にして打ち壊し、レンの体を吹き飛ばして消えた。地面に転がったレンの顔からは、一緒に流されてしまったのか、戦意が失せていた。この瞬間、勝敗は決まった。だが、エピローグはまだ残っている。

 イーターが歩き出す。床を伝って身体に響く足音に、アギが震える。震えた体は気力を与え、レンを見ることを許した。『助けて』……動かない口からでも確かに伝わる願い。レンはそんなアギから……いや、アギに近寄るイーターから遠ざかるように後ずさり、その懇願を拒否した。それを見たアギの目から、恐怖とは違う意味を持った涙が流れた。

 一歩、また一歩。気持ちを見透かしているかのように、余裕のある足取りでイーターがアギに近づく。その度、アギは首を横に振る。怖かった。痛かった。嫌だった。逃げたかった。助けて欲しかった。なのに拒否された。悲しかった。苦しかった。切なかった。信じれなかった。

その全てを瞳から察したイーターは、自分のコートを脱ぐと、屈みながらアギにそっとかけた。温もりが残っているコートに疑問を感じ、アギが恐々とイーターに視線を向ける。イーターは、アギの涙を指で拭き取ると、微笑んで見せた。そこに邪なものは感じない。少なくともアギにとっては、真っ暗闇の中、静かに行く先を照らしてくれる月のような笑みだった。

「少し、待っていられるか?」

 アギは戸惑いながらも、コクンと小さく頷いた。イーターはアギの頭を軽く撫でると、微笑み、立ち上がり、レンに近づいた。星一つ無い、夜空のような視線を向けられたレンは、慌てて電撃を放った。それをサーベルで受け流し、更に近づく。レンは二度三度続けて電撃を放ったが、四度目の電撃を放ったところで、スパークが起きなくなった。エネルギー切れだ。回復するには、何時間も必要だ。だがどんなに相手の歩みが緩くても、何時間もかかるはずがない。

「感心しないな。助けを求める女性……それも、パートナーの懇願を無視して逃げるとは」

体を懸命に後ろへ後ろへと運ぼうとする。イーターは量り切れない視線を向けながら近づく。

「一つレクチャーしてあげよう。女性に優しくできない男は、女性から反感を買うものだ」

 イーターの指先に黒い光が燈る。全てを飲み込む闇とは違い、温かみのある黒い光。光は指先を離れると、空中に広がった。そして一瞬にして、デザイン性を持った文字を綴る。『Beauty THE dozy&dozy』……コマ送りにしてようやく見える速さでそう綴られた文字は、緑色の光を薄く放ちながら捻じれた。文字と共に、周りの景色も捻じれる。低い唸り声を立てながら空間ごと極限まで捩れると、ゴムが戻るように逆方向に回転しながら、何かを吐き出した。

「……おはようございます、旦那様」

 声も顔立ちも柔らかな女性。イーターは女性の細く木目細かな手を取ると、甲に口付けた。

「おはよう、ソリィ」

「だいぶ長い間お声が無かったので、わたくしのことなどお忘れかと思いましたが」

「悪かった。謝るから、そう責めてくれるな」

「冗談です。こうして呼んで頂けるだけ、幸せ者と思っております」

 ソリィが微笑む。ただでさえ細い目は、柔糸のようになり、どんな相手の緊張をも解いてしまいそうな緩やかさを見せる。それに、木漏れ日のように波打つ髪や、百人の芸術家が試行錯誤を重ねて作り上げたかの身体のラインが合わさると、存在だけで芸術の領域に達しそうだ。肌が大理石ならば、安布を重ねただけのような今の服装でも、美術館に置けるだろう。

「ソリィ、落ち着きの無い彼を躾てやってくれるか?」

 目の端でレンを捕らえたソリィは、承りましたとお辞儀をすると、ライトグリーンの目を薄っすらと開き、葉が揺れるようなハスキーな声で「come on」と何かを呼んだ。その呼びかけに応え、地面を割りながら、千年生きた樹木ほどの胴回りを持つ蔦が現れる。それに自分の身を預けた後、もう一度蔦を呼び出す。現れたのは、十二本の細い蔦。細い……とはいっても、それぞれがバットほどの太さがある。その細い蔦は、「bind」というソリィの言葉を受け、一斉に蠢き、レンの体に巻き付いた。一端巻きついた蔦は、どれだけ体を捩っても解けない。

そのままレンの体は、足も着かないほどに持ち上げられた。高くなった視点から、大広間全体が見渡せる。血は無くなったが、今だ多くの死体が転がっている。自分とアギが殺したものだ。死んでいるのだから意思などない。そのに死体たちが、嘲笑っているかのように思えてくる。仲間を殺すからこうなったんだ。自業自得だ。お前も仲間になれ。死んで詫びろ。様々な聞こえるはずの無い声が聞こえる。それだけで恐怖が臨界点に届きそうなのに、責め苦は続く。

「……ねぇ、おにーさん。こっち見てよ」

 足元から脳に至る、全神経が怯え、震えた。硬直しかけた顔を動かして、声の主を確認する。そして後悔した。いたのはヒメ。蔦を片手で掴み、すぐ横にぶら下がっていた。

目が合っただけで全てを飲み込むような深い青の瞳が、自分のことを見ている。それだけで逃げたくなる。なのに、押さえられてもいないのに目を外すことが出来ない。目をそらした瞬間、死んでしまうのではと思える。でも、見ていたら死んでしまいたくなる。そんな目だ。

「人間の体って、どんくらい水が入るか知ってる?」 

 返答をする間も無く蔦が顎を掴み、無理矢理開かせた。そこに水が注がれる。ヒメの指先から溢れてくる水が、口の中に入っていく。勢いは軽く蛇口を捻った程度。口の中がいっぱいになる前に飲み込める。レンはパニックに陥りながらも水を飲み続ける。だが水の勢いが増す。ゆっくりと、たっぷりと時間をかけながら……それに連れ、飲むよりも溢れる方が多くなる。飲み込めずに咳き込み、口から溢れる。だが溢れた水はすぐに口の中に戻って来る。

「海水じゃなくて良かったわね。ほら、ここの近くに湖があったじゃない? あれの水使ってるから美味しいわよ。天然水飲み放題ね。ちなみに湖の水がなくなるまで続けるから」

 飲み切れる筈が無い。事実が恐怖心を煽り、単純な行動すら阻害する。飲めない。溢れる。でも水はこんこんと湧き出てくる。胃が膨らむ。苦しい。吐きたい。止めてくれ。逃げたい。そんなレンに、ヒメが口を動かして告げる音の無い言葉。レンはその穏やかな笑顔から救いの言葉であることを期待した。だが唇の形から事実を読み取った……『シネ』と。瞬間、表情を変えた。暴れた。数ミリしか動かない全身を懸命に揺すった。死の覚悟などできているはずだった。いつ死ぬとも分からない仕事であると理解しているはずだった。だが、それは偽り。出来ていない。死にたくない。泣き叫んで許して貰えるなら、。生きられるなら何でもする。

 レンは、今まで殺してきた人間がそうしたように、懇願した。必死にしがみ付こうとした。その行為を侮蔑し、高みから笑っていたことすら忘れ、ただ助けを求めた。

「え? なーに? 今晩はマーボがお奨めだ?」

「辛い物は敵です。代案としてオムライスを提唱します」

「せっかくご提案頂いたのに申し訳ありません。うちの子は、好き嫌いが多いもので」

 分かっているはずだ。なのに誰も相手にしない。助けて、助けてくれ、お願いだ、頼む、死にたくない。その気持ちを横たわったままのアギに送る。が、アギは懇願を聞き入れようとしなかった。動けないからではない。体が動いたとしてもだ。紫の瞳は、レンに対する忠誠心を完全に無くしていた。アギがダメなら、当然この場で自分を助けてくれるモノなどありはしない。ヒメも、エリミも、ソリィも、元ボスも、元仲間も、懇願を聞き入れる心など誰も……

「条件次第では、開放しても構わない」

いや……たった一人だけいた。唯一イーターだけがレンに救いの手を差し伸べていた。

「けして安いとはいえない。だがまぁ、命に比べれば……そうだろう?」

 頷くレン。何度も何度も頷く。首が痛くなるくらい頷く。それを見て、イーターがヒメに合図を送ると、水の流れが止まった。すぐ目の前で対流しているが、流れては来ない。

「欲しいものは二つ。一つはアギの宿っているブック。さぁ、出して貰おう」

 顔に出る悩み。いくらなんでも、これをおいそれと渡すわけには……

「ヒメ、まだ飲み足りないそうだ」

 迷う暇などない。レンは体の中に意識を巡らせた。自分の身体の中にある『何か』を意識で掴み取る。そしてそれを外へ吐き出していく。意識の中にあったはずのものが、現実の世界に現れる。胸元から出て来たのは、古びた本。タイトルに『百万回殺した猫』と書かれている。本は地面に落ちると、ペラペラと捲れた。そこには文字があり、挿絵があり、一見すると単なる絵本のようだ。だがそれは、やはりおかしな本だ。イーターはアギに近づき、何かを確認すると、本を自分の胸に押し当てた。起きた現象はさっきと逆。本が体の中に入っていく。そして本がイーターに溶け込むと、アギの身体が黒い光に覆われた。アギの身体は光に混じるように消え失せる。そしてアギを取りこんだ光は、イーターの指先に吸いこまれるように消えた。

「さて、残る一つだが……」

 イーターが笑う。ヒメが離れる。エリミが剣を消す。ソリィが哀れみの目を送る。それらが自分の終わりを告げるものだとレンが悟った時、イーターの全身から黒い霧が産まれ、

「欲しいのは、お前の人生だ」

 霧に包まれたレンは、洞窟全体に響き渡る悲鳴を残して、闇に喰われた。



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