新年あけおめ略の番外 「佐藤信文、その生涯」
新年あけましておめでトリップ1999
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の番外編です
佐藤信文は2歳の妹が可愛くて仕方の無いごく普通の高校生だった。18歳、男盛りというか遊び盛り。受験勉強もしていたが、やはり遊ぶ方が楽しかった。
彼女も居たし、友人も多い。家族にも恵まれて、まさにこの時期は彼の幸せの絶頂だったのだろう。
「しの、健太の所行くか」
「あい」
2歳の妹・志信は愛らしい。目に入れても痛くない程だ。そして健太は隣の家に住む、やはり2歳の子供である。一纏めにして信文が面倒を見る事が多かった。
――日常が壊れたのは、何の変哲も無い夏の日。
一枚だけ出し忘れた、遠く離れた所に住む友人への葉書。昨年転校して行った彼に向けての暑中見舞いを、すぐ其処にあるポストに出そうと思い、一歩家を踏み出した。
瞬間、世界が変わった。
信文は勇者として異世界に召喚された。ザルベリグン王国とやらが危機に晒されており、彼は魔王を倒さねばならないらしい。信文は最初こそ突っぱねた。当たり前である。彼は分別ある18歳で、正義感だけで動けた10歳のどこぞの誰かとは違う。けれど結局、自分に付けられた侍女の懇願に、絆された。あまりにも哀れだった。
3年間の修行。ザルベリグンの魔法技術はケイオスティには及ばず、魔法による補正が低く時間がかかった。けれど殆どの技能が完成されれば、彼は勇者と名乗るに足る、絶対的な力を得ていた。
戻る時には時間を戻してくれると、そういう話だった。
旅は順調だった。仲間は、剣士がひとり、魔女と巫女。信文は誰にも好かれ愛され尊敬され、各地を平和に戻していった。
それは、物語の勇者そのもの。
だから、華々しく終わるものだと――無事に帰れるものだと思っていたのだ。けれど、現実は彼に厳しかった。
魔王を倒して帰還した王城は、一変していた。
王族は元々、国王派と王弟派に二分されていた。信文は知らなかったが、彼らは王位継承の時にも散々揉めたのだ。
そして今、二度目のクーデターが起こったのだ。城に帰ってみれば、まんまと信文は捕らえられた。何も知らなかったのだ。
玉座には王弟が座っている。
それは此処に引っ立てられる前に十分理解していた事だ。
しかし信文はそれ以上に――その横に居る人物を見て、驚愕した。
「嘘だろ……」
媚びるように腕を絡める、派手なドレスの女。しかしその顔は、忘れようにも忘れられない。あの日、愛する家族を亡くしたのだと、何も無いのだと泣いた女。メイドだった女が其処にいた。
「何が?」
「ふん、教えてやるがよい」
「ええ……国王陛下」
どきりと心臓が鳴る。この先を聞いたら戻れないのだと信文は理解したが、聞かされる。魔法も腕も封じられており、もう打つ手は無い。
仲間は、と視線を彷徨わせる。
「来ないわよ」
ぎくりとする。女は唇を歪めて笑うと、残酷な言葉を紡いでいく。
「あたしは最初から、こちら側よ」
「……」
「全部、嘘。家族なんて元々いやしないもの」
ぎり、と歯を噛み締める。信じたくなかった。あの涙が全て嘘だとしたら、自分は何のために旅をしたのか分からない。
……いや、違う。最初は問題じゃない。救ってきた人々の笑顔のため、そう思えばいい。
そう自分を誤魔化そうとした所に、追い討ち。
「ノブフミ・サトー。馬鹿な男」
ごろん、と何か目の前に投げ込まれたものがあった。それが何なのか、信文は一瞬理解できず――そして、理解したくなかった、とその直後に思った。
「そ……んな、そんなっ、」
剣士の、首。
その両脇から、ひたり、と白黒のブーツが二組見える。もう、見なくても分かるくらいに見覚えがある。手の震えが止まらない。がたがたと震え、唇は青ざめていた。
「サキア、ツェーリ、よくやった。褒めてつかわす」
サキア。魔女の名前だった。高飛車で意地っ張りで、けれど努力家だった。
ツェーリ。巫女の名前だった。温厚で心優しく、誰よりも民を案じていた。
「ま……マークスっ……お、お前ら、何で」
マークス。剣士の名前だった。豪快で勇敢で、親友とも言えた。
物言わぬ首は、ただ信文を睨みつけている。食いしばった唇に寄せた眉根。怒った様な顔で、殺されている。
「まだ理解できませんか」
哀れむような巫女の言葉。
「あったま悪いわね」
嘲るような魔女の言葉。
全てが理解できない。ぼうっとしているうちに、公開処刑とする、と告げられて牢にぶちこまれた。
不可視の悪魔が、耳元で甘く囁いて理解させてくる。――裏切られたのよ、と。
信文は無気力だった。もう逃げるつもりもなく、いっそ殺して欲しいと思った。元の世界に戻る術など知らない。何もかもが敵に回ってしまえば、勇者はもう勇者ではない。
外では自分は裏切り者として扱われているのだと、牢に居た兵士が戯れに教えた。
「可哀想なこったな。まあ、俺は王弟……や、王か。そっちに賛成だが」
兵士同士の話し声。彼らにとっては、どちらが王だろうが大差ないのだろう。
「何でだ? つーか何で今更」
「勇者を召喚したのはまあいいんだが、湯水のように金使ったしな。給金増えるに越した事はねえわ」
「あー、それはあるな。大体何で国の危機にあんな派手なパレードとかやるんだっつーの」
「警備も大変なのによー、給金は減る一方だし」
彼らにとっては、末永い平和よりも貰える給金こそが現実的で好ましいのだ。
自分のしてきた事がひどく空虚に思えて、耳を塞ぐ。
そうして1日2日と過ぎていった時、不意に兵士が騒ぎながら外に出て行く音がした。ずっと俯いていた顔を上げると、其処には闇のような男が立っている。
「ゆーうしゃっ」
フードから覗いた口元が楽しげに笑っていた。チェシャ猫のようなその男は、両手に血塗れのナイフを持ってくるりと回す。
「何だよ。まだ暗殺しようってのか」
彼は修行していた時期に何度も信文を殺そうとしてきた、殺し屋だった。彼はフードを落として派手な紫の頭を露にし、真っ黒な目を細めて哂っている。
「助けに来てあげたんだけどー?」
「嘘臭ぇよ。いらないし」
「善意じゃなくて悪意だからさあ。いいじゃん、ほら。来いよ」
がらんと音がして鉄格子が全て細切れになった。腕を引っ張られ、拘束具の数々もすぐに地面に落ちる。相変わらず人外じみている、と溜息を吐いた。
「俺はもう、助かる気なんてない」
「嘘つけ。だったら舌でも噛んで死にゃあいいのになー」
「死に際くらい人任せにしたい」
「おーおー」
笑いながら、強い力で引き摺られて仕方なく歩く。城内は慌しく、明らかに彼の侵入が問題になっていた。信文は溜息を吐く。
何故か人にも遭わずに、城下町まで出る。何事もなく、平和な町だ。人の気も知らないでと思いながら、信文は放り出された。
「じゃーな、影ながら見てるよ」
「はあっ!? お前――」
音もなく消えた殺し屋に、溜息を吐く。どうすればいいのだろうか。脱獄したと追われるに決まっているし、街でどうなっているのかも分からない。
呆然と路地裏に立っていると声が掛かる。
「あんた、勇者様じゃないかい?」
「……あ」
宿屋のおかみだ。しまったと一瞬思ったが、逃げるのも可笑しいだろう。武器も何も無いが気絶させる程度なら出来る。しかし、躊躇する気持ちが強かった。
「やっぱり勇者様! 心配してたんだよ、逃げてきたんだろう? うちで少しなら匿ってあげられるさ」
その言葉に顔を上げる。信じてくれるのかと、むしろこちらが信じられないような気持ちになる。磨り減った心は、あっさりと彼女を信用した。
けれど、それは間違いでしかなかった。人間というものは、いくら信用する人間だとしても――そうそう罪人を守ろうとはしない。
「……あんた、早くっ」
「わ、わかった。これで……」
「そうだよ。うちが手柄だっ」
夜中、トイレに行こうと部屋を出た時に階下から聞こえた声に、硬直した。
耳元で悪魔が囁く。裏切られたよ、また。――違う、違う。喉が乾いて言葉も出ない。階段を駆け下りて、信文は椅子を蹴飛ばした。俺は、ここにいる、と。
「ひっ」
悲鳴。脅えられている。そのことに、何より心臓がずきりと痛むような気がした。
何を言おうとしたのか。崩れていく心を撫でるような、見えない悪魔の睦み言。
――ねえ、もういいでしょ?
びきりと地面が罅割れる。武器が無いから、何だ。戦ううちに膨れ上がった膨大な魔力は、どす黒く色を変えている。信文はふらりと体を一歩前に動かし、感じる痺れに薬を盛られた事を悟る。
――恨もうよ。呪おうよ。
兵士たちが駆けつけた時には、そこには。
頭を割られ、ぴくぴくと痙攣している死に掛けた女しか居なかった。
空が曇る。雷撃が町を穿つ。魔王は孵った。絶望を胸に、世界を呪い。魔神の声に魔物が咆哮し、魔族が喜びも露に笑う。笑う。笑う。
地獄の中で、かさついた心を抱き締めて、ただ無気力な日々。
そして。
「奇遇だけど、私も佐藤。佐藤志信」
泣き笑いを浮かべた勇者は。最後の最後に、与えられた救いだった。
「ごめん」
殺せ殺せ殺せ。敵側の魔族がみな、そう言う。止まらない。止まれない。
「殺せ、早く」
いびつな救いだ。涙を散らしながら、白い鎧に包まれた聖なる女は剣を振るう。抵抗など一切もなく、首を刈られる。強く、育ったものだ。
殺されても、裏切られてはいない。
確かに残る肉親の情に、信文はどこか満足した笑みを浮かべながら、この世を去った。
ノブフミ・サトー、悲劇の勇者であり元魔王である彼は、やがて前世の記憶を持ったまま転生した。なんと、第182代魔王シノブ・サトーと夫エリオットの第5子として。
「てめえエリオット!」
「息子のくせに口出ししてんじゃねーよっ」
「ああ!? 兄上と呼べっ!」
父親=弟という奇妙な状況ながら、彼は今度こそ幸福に人生を全うしたという。
これにて、終幕。