異類婚姻譚 「神霊写真 裏側」
※五話同時更新です。
私はまだ、神としては若輩者だ。妖怪と比べても若い方である。
劣等感という程ではないが、漠然と、力が足りていないと思っていた。
そのくせ、力を借りるという事を知らなかった。
変えてくれたのは、彼女だった。
「皆さんに、お聞きしたいことがあります」
「おお?」
「なんだなんだ」
「――里の、おすすめデートスポットを教えてくれませんか」
そう言って軽く頭を下げた私に、
一瞬静まり返った宴会場は――爆発的な歓声に包まれた。
◆
浴衣から覗いた白い首筋にくちづけ、下に滑らせていくと不明瞭な声が搾り出される。
ああ、もう、何をしているんだ私は。
思いながらも、止められない。止めたら最後、逃げられそうな気がした。
「――っす……す、すすすすす、」
「す?」
「す……き……やき!」
しかし、強情だ。
この人の性格なら、嫌なら蹴り飛ばしてでも逃げるだろうに。
酔っていた昨日の夜、そんな話をちらりと耳にした。
「桜さん?」
笑顔を浮かべて覗き込むと、彼女は口元を引き攣らせて笑った。
「ああああ汗かいたからお風呂入りたいなーとか顔洗いたいなーとか」
「汗を掻くような事、しましたか? ああ、今から?」
「待ってそんな斜め上の回答期待してません!」
ぶんぶんと振られる頭を抑えて、額に、鼻先に、接吻を落とす。
――ああ、神にもこういう欲求はあったのか。
新しい発見だ。
「桜、さん……桜……桜」
「え、は、はい……あれ、呼び捨て……え?」
「呼びたかっただけです」
「うわああああ」
手で顔を隠そうとしたので、奪うように指を絡めて布団に押し付ける。
顔を逸らした彼女は、真っ赤な顔をしていた。
「好きでも、嫌いでもいいです。あなたの気持ちを、聞かせてはくださいませんか」
「逃げたい」
「二択です。いえ、無関心を入れて三択でも良いです。いいかげんにしないとキスしますよ」
「待っ、まっ、ままままま」
壊れたラジオのようになっていたが、カウントダウンを始めると流石に観念した。
潤んだ目は真っ直ぐ外を睨んでいるが、確かに、彼女は。
好き、と、言った。
「桜っ」
「うぐふっ」
強く抱き締めると、くたりと力が抜けた。諦め顔でぽんぽんと背中を叩いてくる。
……なんというか、前から思っていたが、やはり子供扱いされている節がある。
今は、それでもいいか。
◆
好きになったのは、いつだろうか。
やはり、大丈夫だと抱き締めてくれたときからか。
――わからない。
もしかすると、出会った時かもしれない。
「おはようございます」
「おはようござ――あああああっ仕事!」
ばっと飛び起きた彼女は、わあわあ言いながら服を引っ張り出して纏う。
私は何時も通り食卓に朝食を並べ、手早く化粧を終えた彼女を椅子に座らせて髪を梳く。
――彼女の家に神棚を設置して行き来するという妙案を考えたのは、木霊たちだ。
里に祀られた、朽ちた柳の幹。その一部を、この部屋に誂えた簡単な神棚に置いた。
普通なら難しい転移だが、分身に等しいそれがあれば、格段に難易度が下がる。
私は、彼女の家と里とを往復して生活している。
彼女が仕事に行けば里に戻り、帰る頃に家に出向く。
……どうも釈然としないが、まあ、彼女から仕事を奪いたくはない。
彼女には、そのままの彼女であってほしい。
だが、いずれは里に来て欲しいという気持ちもあった。
人の命は短い。できれば、ずっと共にいて欲しい。
寿命を伸ばす事は、難しくない。妖怪たちが使う延命薬でもいいし、私の神気を分けるのが1番手っ取り早い――というか、既に多少取り込んでしまっているだろうが。
自分では気づいていないだろう。近頃髪や肌が艶を増し、より若々しくなっている事を。
元々そう悪くない容姿なのに、ますます綺麗になってしまってどうする。
会社までは付いていけないのでとても心配だ。
……じゃない。それもあるが、老化しなくなれば長くはここにも居られない。
出来るだけ早く説得したいとは思うが、変わって欲しくはない。……恋をすると我侭になるものだなと、最近思った。
「いってきますっ!」
「いってらっしゃい」
首筋までの髪を揺らし、スーツを纏った彼女は飛び出していく。
――さて、掃除をしよう。里に戻ったら、今日は会議だったか。
以前よりも相談や頼みごとを受けることが多くなり、忙しくはなった。
けれど、以前よりもずっと満たされている。
……と、掃除機をかけながら思うのであった。
◆
「通い妻……」
1人の木霊が洩らした言葉に、ぶ、と全員が噴出した。
「でも良かったよな、貰い手が出来て」
「逆っ、逆だろ……ぶふっ」
呼応するように笑いが広がっていった。
主の前でこそ礼儀正しく幼げで従順だが、実の所半数は柳より年上なのである。
柳は木霊の中でも力が強く成長が早かった、それだけのことだ。
要するにエリートなのである。
「ほら、あれだろ? 昔は男が通ってただろ」
「夜這い!」
「無理無理」
冷静な声に、ますます笑い声が増える。基本的に彼らは無礼であった。
ちなみに、そもそも彼らは働かされる事は少ない。
木の精であるため、己の本体の近くで昼寝しているか、集まって騒いでいるかだ。
かといって別に柳を嫌っている訳では無く、優秀な弟を面白がって眺めている程度である。
「まだキスしかしてねーんだろ?」
「いやいや、わからんぞ。向こうで何してるか」
「つーか見てないけど、あのネエちゃん多分巨乳だよな」
「着やせしてるよな」
「浴衣着てたらボインだったもんな」
「死語だよ」
「パイオツカイデー?」
「もっと死語だよ!」
話題は「死語について」にシフトしていく。
そんな感じで、彼らは騒がしく柳の動向を生温かく見守るのであった。
という訳で、へたれ神様と元気なアマチュア写真家娘のお話でした。
若々しいけどなんとなく母性強そうな娘です。