異類婚姻譚 「神霊写真 一枚目」
紅葉が綺麗な頃になったので、一人で登山することにした。
といっても行くのは近所の山で、登山というよりは散歩に近かった。
――筈なんだけど。
滅茶苦茶迷った。方向音痴だったわ、私。あーやっちまった。
でもそのうち出られるかー、とふらふらと歩いて、写真を撮っていた。
その人を見つけた時は、ぴたりと足が止まった。
非現実感とか、なんかもう色々気にならない。落ち葉が舞う中に、ぽつんと立っていた人。
長い、緑がかった黒髪は地に届きそうなほど長い。
透き通るような肌と、少し装飾の多いような、神社の人が着てそうな服。
神秘的な雰囲気に、美人さんなんだろうなーとちらりと思う。
かしゃ、と許可も取らずにシャッターを切ってしまったのは、全くの不覚だ。
こういうの、気をつけてたんだけどね。……やー、いい被写体が居ると、ついつい。
「……あっ」
思いがけず低い、いい声。ちょっと間抜け感溢れる台詞ではあるが、ばっとこちらを振り向いたその人は、思ったとおりに美しかった。
柳の葉のように細められた目は、綺麗な緑色。薄い唇とすっと通った鼻筋、涼しげな感じのする超絶美人さん。
睫長いし、首ほっそいし、何これほんとに人間? 妖精じゃないの?
「あ、すいません! あんまり綺麗で思わず撮っちゃって!」
美人さんは美麗な顔に一瞬妙な表情を浮かべ、はっとした。
「……私が見えるのですか?」
「はい?」
え、マジで妖精さん? 精霊? 精霊ですかエルフですか? や、耳は普通だ。
……え、ええ?
それが私と山神サマの出会いだった。
私はカメラマンである。といっても、アマチュアだ。
昔から何故か心霊写真をやたらと撮ってしまい、その筋の人には兎も角普通の写真としては全く評価されない。不本意だが、心霊写真家とまで呼ばれている。
でも、私が撮りたいのは生きた生物とか、人間とか、自然の造形なのだ。
だから諦めずにバイトに励みつつも山や海に出かけている。
霊感が強いらしい私だけど、幽霊やらが見えるのはファインダー越しだけ。
裸眼で見れば何もないから、まだ錯覚だと信じていられたんだけど。
「私は……このあたりの山の神、柳といいます」
「神!?」
まさか最初に会うのが神だとは思わなかった。
私も自己紹介すると、柳さんはなんとなくフワッと笑う。うっわー美人美人!
「桜さん、でよろしいですか?」
「はい! っていうか本当なんですか、神って!」
「……カメラを見て御覧なさい。私の姿は、写っていますか?」
ああなるほど、普通見えないものなら写らないんじゃ――
……。あれ!
「写ってます!」
「は?」
「いやー、私、よく心霊写真撮っちゃうせいで売れないんですよねー、普通の人には! あ、この場合心の霊じゃなくて神の方で、神霊写真ですかね?」
「……」
僅かに眉の間に皺を寄せつつ、デジタル一眼レフの画面をすいっと覗き込んでくる。なんかすごい新緑みたいな……マイナスイオン出てそうな匂いがする! 美人ってにおいまで洗練されてるんだね!
「写って、いますね。……機械のカメラでは写せないとばかり、思っていたのですが」
「機械じゃないカメラって何ですか?」
「妖怪の使うカメラです。あれは形ばかりで、自分の妖力で撮影するものですから」
「妖怪!?」
いるんだ妖怪! いるんだ!
むくむくと興味が沸いてくる。というか、撮りたい!
「妖怪……!! いるんですかっ、撮らせてくださいお願いします神様仏様!」
「仏ではありません! だっ、抱きつかないでください! ちょっと――」
「撮らせてくれたら離すから! お願い! ね?」
「わっ、わ、分かりましたから!」
わたわたしている美人もほんとに美人だな!
とりあえずほんのり赤くなった顔をパシャッと一枚撮って、私は妖怪の里に案内してもらう約束を取り付けたのである。照れ顔を撮ったことは怒られたけどね!
妖怪の里は、なんだかよく分からない祠を通った先にあった。
どうやらこういう分かり易い出入り口と、普通に山から繋がった場所など色々あるらしい。
人間は意図して近づく事は出来ないようになっているらしいけど。
「うわー凄いっ、何ですかここ!」
出たのは小高い山の上。見下ろす妖怪の里は、窪地のようになった中心にある里が1番賑わっている様子で、木の古そうな家もあれば時折煉瓦なんかの家も見える。
周りの山々にも幾つか里が点在していて、どうやらそこは数の多い妖怪が暮らす里らしい。
右手の方に2つ連なったような山。そこには赤鬼と青鬼の里がある。間のあたりに、他の鬼が住む里。鬼は喧嘩好きで、大抵あのあたりの広場で戦っているらしい。
抗争とは銘打っても、別に里の土地を取り合うわけでもない。せいぜい、酒やら食べ物を賭けるくらいだそうだ。
左手の方、山の間から流れてくる河のほとりに、河童の里。水神の祠が近くにあるけど、今は海の方まで出張中らしい。河童のリーダーは河主と呼ばれている。今の河主の妻はなんとびっくり、人間らしい。
「じゃあ河童の里見てみたいです! 芥川の河童みたいな感じですか?」
「……あれほど近代的ではないですがね。相撲と胡瓜を好み、水遊びを毎日欠かしません」
読んだ事あるのかよ! と内心突っ込んだ。
意外と俗っぽいなあ。
「母親のお腹の中で喋ったりとかしません?」
「しません。あれはフィクションです」
「わーかってますって」
そう言いながら、柳さんに変な丸薬を貰って飲む。水無し1錠で半日は身体能力が上がるという秘薬だ。もう2、3貰って帰りたいと思ったけど、駄目だろうなー。
それにしても、神様がフィクションなんて言葉を使っていると妙な感じだ。1番フィクションっぽい見た目してるのに。おっと失礼。
そのまま山道を軽い体で降りていき、中央の里に行った。普通、ここが妖怪の里と称される。他の場所に散らばった里は種族の名前で呼ばれるそうだ。
里は十字型の大通りに道が立ち並んで、その他には家々が並んでいる。そう大きくはなく、住民は千に満たない。元々妖怪は群れを作らないのだが、今はこうして寄り集まっている。
「――随分、開発が進みましたからね。住む場所も少なくなってきて、こうして寄り集まったのがつい百年ほど前のことです」
「……はあ、なんだか申し訳ないですね」
「別に、あなた個人に責任はありません。百歳という訳でもないでしょうし」
妖怪の里に入るなり、柳さん――と私には、それぞれ人……じゃなくて妖怪が群がった。
山神である柳さんは、つまりこの里の……里長……? とにかく、首長でもある。
しかし大人気だなあ。
「ついに神さんに春が来たか!?」
「ただのお客人です!」
微妙に必死な柳さんに、生温かい視線が大量に刺さっている。ああ可哀想! 可哀想だ!
「私、フリーですよ! ぴちぴちの24歳独身です!」
「火に油を注がないでくださいっ!!」
怒られた。からかわれ慣れてない様子だ。いや、神がからかわれてたらあれだけど。
妖怪はフレンドリーだった。首が伸びてたり離れてたり目が大量についてたり人間じゃなかったりするけど、わらわら寄ってきては質問を浴びせてくる。
私は写真撮ったり撮ったり撮ったり答えたり撮ったり。うん、有意義!
「こんにちは」
そんな中話しかけてきたのは、黒髪を肩あたりで切りそろえた可愛らしいお嬢さん。高校生くらいかな、なんとなくあどけない。
その横には黒髪に赤い目の、黒い羽が生えた男。カップルなのか、男の方の手ががっしりと少女の手を握って離さない。ひゅーひゅー!
「あの、私、人間なんですが。少し聞きたいんですけど、いいですか?」
「人間? ……あれ、人間も居るの?」
「はい。ええと、嫁入りしてここに」
「攫った」
「拉致結婚!?」
いいの!? いいのそれ!? 納得してるみたいだけど!
「妖怪的にはアリらしいです」
「ありなんだ……あ、聞きたいことって?」
「私、嫁入りする前の記憶が無いんです」
思わず男の方を見る。殴って記憶飛ばしたんじゃないのこの人!?
「俺じゃない」
「あ、そう……」
女の子――椛ちゃんは、人間の一般的な持ち物を見せてもらいたい、と言ってきた。
記憶が戻るかもしれないから、と。なるほどなるほど。横の人不満そうだけどね!
「えーとじゃあ、これ。携帯電話とか」
「……えっと……? どういう用途ですか?」
「電話したりメールしたり、ゲームしたり動画見たりネットしたり」
頭の上にクエスチョンマークを浮かべた様子に、横の人がにやりと笑う。
……絶対記憶戻らなくていいと思ってるよねこの人!
でもまあ、幸せそうだから、それはそれでいいのか。いいのかなー。いいのか!?
「ありがとう。充分だ」
「え? ちょっと、楓」
「そうそう、俺は楓という」
「それはどうも」
仲睦まじい若夫婦だなー。う、羨ましくなんてないんだからね!
まあ、とりあえず。
「一枚いっとく?」
私はカメラを持ち上げて、ラブラブ夫婦に向けた。
「河童の里ですねっ、早く行きましょう」
「ああああ……あなたのせいで神のイメージが……」
「何ですか辛気臭い顔して! ほーら早くっ」
落ち込んだ様子の柳さんの袖を引っ張る。
神様はイメージ商売なのか。
「なんだか、一気に中学生くらいの扱いになったんですが」
「古今東西、神話なんてみーんな女侍らせ放題じゃないですか。どうです? 片っ端から美女を略奪!」
「嫌です!」
顔を赤くしてばっと逸らす柳さん。ひゅーひゅー若いねえ!
「あなたって人は本当に失礼ですね……私じゃなければ死んでますよ」
「えー、マジですか? でも神様に会う機会なんてそうそうありませんって」
「それはそうですが。……行きましょうか」
純情神様は頬を染めたまま、こっちです、と手招きする。
うーんなかなか、可愛い人だなあ。
その後、ロリコンイケメン河童と巫女幼女を激写して、私は夢のような妖怪ワールドから帰還した。
また休みがあったら来ようと思いながら。