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3.満月の夜に


貴方は、満月を見て何を思いますか?


 その日は、満月だった。欠ける事なくキレイに夜空に浮かび上がったそれを見て、私は無性に悲しくなったのを覚えている。



 そしてまた、今日も満月だった。

 ビロードの空には星たちが輝き、欠けてない月が冴え冴えと光っていて、私はどうしようもない無力感に襲われその場にしゃがみこんだ。

 何故、満月なんてあるのだろう。

 欠けたままで十分キレイだし、その方がほっとするのに。

 私は11月の空を見上げた。

 しゃがみこんだまま見上げたものだから、他の人が見たら唖然とするかも知れない。

 首をかくんと落とし、小さな溜め息をつく。

 その時だった。

 ポンと肩をたたかれて、私が無視して顔を上げずにいると、しつこくたたかれ思いっきりうっとりする声で耳元に囁かれたのである。

「君、大丈夫?」

 と。

 その声がとてもハスキーないい声で、私はその声に思わず顔を上げた。私以外の人でも顔を上げただろう。その位の声だった。

 顔を上げた私は愕然とした。

 世の中はなんて不公平なんだ、とこの時程思った事はない。

 声だけで充分金になるようなうっとりする声なのに、この美青年は……。同じ人間の子供なのか、などと思ったりした。

 私は美青年をよく見るためにひょろひょろと立ち上がった。

 貸してくれた手を振りはらい、私は品定めをするかのように、上から下までじろじろと見た。

 茶色がかったサラサラの髪の毛、青っぽい何かがかかっている真っすぐに見つめる瞳、女でもこんな白い肌の人はいないだろうと思うぐらいの白い肌、そして顔の輪郭までもが全て整っていた。

 服はなんて事のないTシャツにジーパン、そしてGジャン。ただそれだけなのに……。顔がいいとここまで差が出るのか。

 彼は私の態度に少々驚いたらしく、その整っている顔を曇らせて言った。

「気分、大丈夫なのかい?」

 ああ、なんていい声なんだろう。うっとりして聞きほれていたらもう一度訊かれた。

「気分、直ったの?」

 私は何が何だか分からずに言った。

「気分? 何の事?」

 私が訳が分からずに難しい顔をしていたら、彼の方がより訳の分からない顔をして端正な眉をひそめた。

「気分が悪かったんじゃないの?」

 それでやっと私は、彼の言葉を理解して首を振った。

「気分が悪かった訳じゃないの。自分の無力さに腹が立っただけ」

 心の中で、だからと言って道路の真ん中にしゃがむのはやっぱり気分が悪いとしか見られないんだな、と思いつつ。

「無力?なんで?」

 彼が言った。その真っすぐな瞳を向けて。私はさすがに彼の顔を見ることはできなかった。だから下を向いて迷っていた。

 そうして、投げやりな気持ちで重たい腕を持ち上げ、指で空の満月を指した。彼は私の指をたどっていき、そして笑った。

「ああ満月か……。それで?」

 何で無力なの? と彼は訊いた。

 私はとても答える気にはなれなかった。

 誰も分かりはしない、そう決めつけて。

 またしゃがみこもうとする私は、腕を引っ張られて道の端に連れて来られた。そこで彼が口を開いた。

「僕が思うには……」

 私は彼の方を見た。彼は独り言のように言った。

「今日が満月で、いつも欠けているのに今日は欠けてないから、普段考えない事まで考えてしまって。例えばさ、自分のイヤなトコとか。だから満月を見て、自分が無力だと思って腹が立ったんじゃないのかな。あくまで、僕の推測だけど」

 驚いた。私はついつい口を開いた。

「……何でわかるの?」

 彼は一瞬目を開いて、それから苦笑した。

「当たった?」

 クイズ番組のような口調でそう言うので、私は仕方なく答えるはめになった。

「大体……。でもね、普段考えてない訳じゃないのよ。ちゃんと考えてるの。でも満月だと、そう、欠けてないから私ね、自分の欠点を見せつけられてるような気がするのよね。だから、満月じゃなくて、欠けてると安心するの。自分の欠点を 見せつけられないから。だけど、満月の日には決まって自分の事を 考えてしゃがみこんじゃうの」

 これって変だと思う?私は一気に話してから、最後にそう訊いた。

 彼は、いやそんな事ないよ、と言って私に向かって、少し歩こうか、と言う。私は頷き、彼は歩調を私に合わせて横の道路側に立って歩きだした。

「君が自分の欠点だと思うのは、何?」

「たくさんあるけど……」

 私は重い口を開く。

「学校では受験もあるし。それなのに私、成績変わらなくて。他の子はぐんぐん上がっていくのよ、私だって頑張ってるのにどこが違うのかしら。友達だってそう。皆、人付き合い が上手なの、だけど私の友達はごく少数よ」

 話し ながら私は溜め息をついた。そして続ける。

「きわめつけが性格よね。自分の悪いトコばっかり見えて、私の長所はないのよ。悪いトコがあれば直せばいいのに、私はそれさえもしようとしないの。ううん、しようとはしてるんだけど、どこから直せばいいのか分からないの」

 私と彼は話し ながら、とてもゆっくりと歩いていた。彼は私の言葉に、時々頷きそして足を止めた。

「君は今、何歳?」

 18歳よ、見えないでしょ、私はやや反抗的に言った。

 彼はそんな私の言葉を聞きながら、18歳かぁと、苦笑しながら呟き、空を仰いだ。

「僕がね、自分が無力だなぁと実感したのは、16、17歳の頃だった。別にこれと言った理由はなかったんだけど、親に迷惑ばっかりかけてる気がしてね。例えばさ、親がいなくなっても僕は生きていけるか、とか。答えはNOだね、その頃の僕が一人で生きていけるはずがない。そんな時、決まって空を見てた。月じゃなくて、星の方だけど」

 そう言って彼は笑った。その笑顔があまりにも無邪気すぎて、私はつられて笑った。

 彼は笑いながらも話を続ける。

「だけど、星って何個かでもちゃんと名前がついてるだろ?つまりは、ひとつでもなくちゃならない存在な訳なんだよね。それに気づいた時、僕は少なからずともショックを受けたんだ。それまで知らなかったことがおかしかったんだけどさ。それから、月を見るようになったんだ。君と同じ理由で満月の時以外。なんとなく楽な気がして」

 君と僕は似ているんだね、彼は微苦笑をした。そして、ガードレールに腰掛けて言う。

「色んなことに気が付くのはいいことだと、僕は思うよ。もちろん、自分の事とか、他人の事、それから社会の事にね。良い事にしろ、悪いことにしろ。気づくだけ早く、君自身成長できるから」

 彼は私に向かって言い、こんなこと言うのはガラじゃないんだけどな、と付け加えた。

 私は、少し嬉しいような気持ちが沸いてくるのを感じた。

 自分と同じようなことを考えていた人がいる事、いた事。

 満月が嫌だった事。

 私も彼も無言だった。

 やがて彼がガードレールから下りて、ぼーっとしている私に、ちょっと待ってて、とあのハスキーな声で私に言って、自動販売機でホットレモンティーを買ってきてくれた。彼はホットレモンティーを私にくれ、素早くプシュッと自分のも開けて一口飲み、優しい顔で話した。

「今、君ができると思う事、それをやってみるといいよ。君ができると思う事を、精一杯さ。その後また、夜空を見てごらん。多分、君が今見ている月や星や満月とは違うのが見えると思うよ。僕は今24歳だけど、あの頃の夜空とは違う夜空が今、僕の上にはあるんだ。君も多分、そうなると思うよ」

 彼はそう言って私に笑いかけてくれた。それから小さな声で、今夜は偉そうな事ばかり言ったなぁ、と言うのが整った横顔からもれる。

 私はしばらく笑って、彼の顔を見つめていた。そしてホットレモンティーを飲みながら、初対面の人何かすごい会話をしたぞ、と思ったりした。

 彼はレモンティーを飲みつつ、

「夜空を見ながらデートっていうのも悪くないな」

 と、うっとりするぐらいのハスキーな声とその端正な顔を私に向けた。

「レモンティーを 飲み終えたら、家に帰った方がいいよ。きっと心配してるから」

 私は、家はここから2分程だから、という 言葉を飲み込んで、頷いた。

 11月の寒い季節に、ホットレモンティーはとても気持ちよく体の中に入ってきた。

 それから、彼と夜空を見ながらレモンティーを飲み終えた。

 特別寒かった訳ではないが、レモンティーのおかげで体は温まり 、わざわざホットを買ってくれた彼に私は心の中で感謝した。

「ごちそうさまでした」

 と言った。

 彼は満天の笑顔で私に、気をつけて、と声をかけてくれた。

 私は頭を下げ、だるっこい足を引きずるよう な形で家へ向かって歩き始めた。気になって振り返ると、彼は大きく手を振っていた。

 ちょくちょく振り返って彼の姿が小さくなるにつれ、私はしまったと思った。あんないい男の名前を訊くの忘れたからである。走って彼の所へ行こうとしたが、振り返った時、そこには彼の姿は見当たらなかった。

 不思議な人だなぁ、と私は思った。

 初対面の私に、昔話までしてくれてホットレモンティーおごってくれた。

 もう一度、満月を見てみる。立ち止まって。

 何年か経って、いつか満月をちゃんと見れる時が来るだろうか。

 今の満月とは違う満月が見える時が。

 そしたら。

 そしたら、名前も知らない彼の話を誰かに聞かせてあげたい。

 立ち止まって見上げた満月は、少し新鮮な感じがした。




   《END》




《初出》1995年 2月12日発行「満月の夜に」

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